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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/29

    ブライアンの交響曲第1番「ゴシック」など滅多に演奏されない曲を除けば通常、演奏会に登場する交響曲のうち、史上最長の長さを誇る大曲。そこからイメージされるスケールの大きさを期待するなら、この演奏はやめておいた方が良い。第4番ではフランクフルト時代の演奏とかなりイメージが変わったが、こちらはあまり変わらない。巨大だが細部に構わないというタイプではなく、かなり綿密に作り込んでいくが、マラ3マニアさんがおっしゃるように、音楽の流れが破綻してしまうほどポリフォニーに凝るわけではなく、口当たりはいいが、やや中途半端な印象。都響の繊細な表現力は今回も生かされていて、第2楽章など非常な美演。難所の多い金管楽器もポストホルンを含め、とてもうまい。けれども、ここ十年ほどの間にティルソン・トーマス、ブーレーズ、アバド(ルツェルン祝祭管)、ヤンソンス(コンセルトヘボウ、近日発売)など、きわめて精緻な演奏を聴くことができるようになったので、かつては最前衛だったインバルの新鮮さが薄れてしまった。

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     2010/11/23

    ブルックナー交響曲全集がこの後、出るからいいようなものの、今年はマゼール80歳の祝いの年でもあるはずなのに、記念盤がこれ一枚しか出ないとしたら何とも寂しい。しかも建前はバイエルン放送響創立60周年だ。厖大な英デッカ時代の録音を持つUM社はどうした。彼の活動の一つのピークが1960年代であったことは間違いないが、もう一つ、巨匠的なスケールを獲得した後、やりたい放題の指揮をした90年代も注目すべきだと思う。バイエルンとの録音にはなぜか目ぼしいものがないが、この頃はメジャーレーベルがまだ彼を起用していたので、ウィーン・フィルとのラヴェル、ピッツバーグ響とのシベリウスが残ったのは幸い。さて、『火の鳥』組曲はこれが三つ目の録音となる得意曲。「カスチェイ王の魔の踊り」あたり少々もたつき気味で寂しいが、彼の持ち味は出ている。これも三つ目の『春の祭典』はあえてウィーン・フィルを起用して、独特な面白さを狙ったデッカ盤に似ている。決してスマートではなく、むしろ故意に不器用。緩急の差も大きく、恐竜がのたうつような趣きがある。録音は最善とは言えないが、まあまあ。拍手はカットしてある。

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     2010/11/23

    チャイコの5番は良く言えば豪華絢爛だが、悪く言えばセンチメンタルでゴテゴテしたところがあり、作曲者自身も自作の装飾過剰について自己嫌悪気味の発言をしていた。ところが、これはセンチメンタルのセの字もないような筋肉質でマッチョ系のチャイコフスキー。相変わらず楽譜の読みは緻密で、たとえば第3楽章ではホルンのゲシュトップト奏法を浮き立たせて、甘美なワルツの背後に暗い影を感じさせるが、全体としてはもう一息、彼ならではの個性を刻印しても良かったかな。同じホ短調のシベリウスの1番ほどには感服しなかった。既に書かれているように『フランチェスカ・ダ・リミニ』の方が上出来。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/23

    ストローブ=ユイレ監督の映画版を含めると三組目の本作の映像だが、デッカーの冴えた演出のおかげで、もともと良かったウィーン国立歌劇場版を凌ぐほどの出来。既に『兵士たち』の上演でも使われていた非常に特異な会場をまず紹介しておくと、20世紀初頭に見本市会場として建てられた体育館のような場所で、両側にヒナ壇のような観客席があり、その間の細長い部分が演技空間。細長い部分の片方の端にオーケストラが陣取る。しかし観客席全体やオケピットすらも可動式であり、この演出では、演技は観客席やオケピットの中ですら行われる。冒頭、暗闇の中からモーゼの声が響いてくると、スポットライトは観客席に座っていた背広姿の男性を照らしだす。第二次大戦後の前衛演劇ではおなじみの手法だが、この男性がモーゼなのだ。第1幕では観客席の壁や、壁が半透明の膜になった箱型の装置などに映像を投影するが、第2幕の乱痴気騒ぎではウィーン版とは逆に、映像に逃げず「四人の裸の乙女」などもト書きそのまま(これが18禁ではなく12禁に過ぎないところにドイツとの国情の違いを感じる)。デュージングはこの役でよく聴かれる深々としたバスではなく、バリトンの声だが、風貌からも役柄にふさわしい。下着一枚、ついには全裸になっての演技者たちの熱演には感服させられるし、合唱団、オケともに完全に作品を手の内に入れている。かつての難解な「現代音楽」も半世紀を経て、見事に演奏者たちに消化されたことを実感できる。きわめて機動的なカメラワークも秀逸。

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     2010/11/21

    ヤンソンスが今日の名声を得たのは、緻密な楽譜の読みとそれを確実に具現できるオーケストラ・トレーナーとしての能力のゆえ。でも、2000年代に入ってからの彼は単に品位の高い、堅実な音楽を作るにとどまらず、曲によってはかなり個性的な押しの強さも見せるようになってきた。「ピッツバーグに行って悪い癖がついた」などと悪口を言う人もいたが、これは彼の指揮者としての自然な成長であったと思う。マーラーの2番は彼にとって初の合唱付き交響曲ということで、まだ若い作曲者(完成時34歳)がベートーヴェンの第9に張り合おうと、大いに背伸びをして書いた曲であるから、やや表面的な効果に頼った皮相なところもある曲だ。ヤンソンスの指揮は「効果」はそれなりに生かしつつ、しかし皮相さをあまり感じさせない音楽的な充実度の高いもの。木管のひと節、弦の歌い口などでも実にいいオケ、ひいては実にいい指揮者だなと感じさせるところが随所にある。十分に5つ星に値する演奏なのだが、それでも星を一つ減らしたのは「効果」もここまでやると言葉を失うほどのラトル/BPOの強烈きわまりない演奏を視聴してしまったから(これもCD化の予定)。そして、これもすでに視聴できたヤンソンス/コンセルトヘボウの3番が、曲との相性という点で、遥かに2番より良好と感じられたから。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2010/11/03

    結構モダンな第4番は文句なしに良い。ミケランジェリを凌ぐほどの出来だ。問題はかの「怪物的な」第3番。ピアノは一音も弾き漏らすまいという構えの緻密でデリカシーに富んだ演奏。指揮もオペラ指揮者らしく、オケがピアノをマスクしてしまわないように、周到に気を配っている。ただし、アダージョも必要以上には粘らないし、たいていの演奏者がちょっとテンポを落として「見得を切る」のが普通の、終楽章のクライマックスもイン・テンポのままで大変あっさり。ラフマニノフ節を堪能したいという聴き手からは、もの足りぬという声も出てこよう。バカテク・ピアニストのためのショー・ピースと割り切るならば、同じEMIのガヴリーロフ/ムーティ盤がとことん満足させてくれる。でも、この曲にはそれ以上の「音楽」があると考えるならば、この演奏は面白い。賛否両論、やっぱり好みは割れそうだけどね。

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     2010/09/28

    2007年の来日公演が圧倒的だったし、その後の読響への客演でも好演の連続なので、注目せざるをえない指揮者だ。彼が取り上げたこれまでの演目を見ると、マーラーはやや苦手なのかなという気がしたが、確かに普通のマーラー指揮者のやり方と違うところがある。しかし、それを否定しようとは思わない。つまり、まぎれもなく彼だけの個性的なマーラーだからだ。最も目立つのはテンポの動かし方。マーラーの総譜はデジタル的にテンポの変化を求めるところが随所にあるが、彼のやり方はアナログ的。つまり、加速の指示がある所のちょっと前から速めていって、徐々に目的のテンポに達するという、いわばフルトヴェングラーのような方法だ。オケの響きも悪く言えば洗練が足りないとも言えようが、低音を軸に積み上げてゆくようなピラミッド型だし、この個性のせいでマーラーの交響曲がまるでシューマンの進化形のように聴こえる。細かいアゴーギグのおかげで、例のアダージェットをはじめとする抒情的な部分はすべて無類の美しさを誇るし、終楽章は直線的に飛ばしすぎたような気もするが、今はこれでよしとしよう。

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     2010/09/26

    今回も「最新の研究成果」を踏まえての録音という触れ込みだが、シカネーダーは優れた台本作者でオペラの筋に矛盾はないと強弁するアスマン先生のお説は、解説書を読む限りではシャイエの幾らかマシな再版といった感じで、全くもって凡庸。にもかかわらず演奏自体は大変魅力的だ。導入曲から聴いたことのない一節が出てくるほか、緩急、強弱の変化、装飾句の挿入などはこれまで通り、いやジングシュピールゆえ、これまで以上に自由な感覚で行われており、初めてこの作品を聴くようだ。随時、フォルテピアノの伴奏まで加える台詞部分も、ほぽすべてのセリフが語られており、「聴くドラマ」としてドラマティックに作られている。かつてはセリフ部分を俳優が受け持った録音もあったが、今の歌手たちは皆、セリフが巧い。ベルリンの新鋭古楽器オケの切れ味の鋭さにも舌を巻く。歌手陣はベテランのフィンク(ザラストロ)のみ渋すぎて声に魅力がないが、若手はいずれも好演。特にペーターゼン(パミーナ)、カーッポラ(夜の女王)は技術、表現ともに出色の歌手と思うし、シュムッツハルト(パパゲーノ)のウィーン訛りも楽しい。

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     2010/09/21

    昔はプッチーニ好きの間ですら『つばめ』が大好きと言うと馬鹿じゃないのと言われたものだが、1996年に素晴らしいCDを録音したコンビによる七十数年ぶりのメトでの上演。それだけでも感激ものだが、2009年1月の録画なので、二人の夫婦としての最後の共演だろう。風邪をひいていたというゲオルギューだが、この役ではいつもの癖(ヴィブラート)もさほど気にならず、やはり極めつけの演唱と言える。エンディングは最も普通の形が採用されているが、彼女の歌だとヒロインはミミのように死ぬのではなく、夏の終わりとともに「つばめ」は元の巣に帰るという「大人の結末」が最良なのだと納得させられる。「田舎出の純朴青年」に見えそうもないアラーニャがだんだんそう見えてくるというのもオペラならではのマジック。オロペーサ、ブレンチューのもう一組の恋人たちも良く、渋いオジサンになったレイミーが物語に重みを添えている。演出家は交通整理以上のことを何もしていないが、幕が上がったとたんに拍手が起きるようなアール・ヌーヴォー風の金のかかった舞台だけで十分。DVDなのでライブ・ビューイングの録画の方が画質が良いのだけは残念。

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     2010/09/20

    ヴィラゾンは2004年ネーデルランド・オペラの時から、熱血漢だが、お坊っちゃまゆえ未熟というこの役に最適と思っていたが、ますます良い。カレーラスに匹敵するドン・カルロ役だと思う。キーンリーサイド、フルラネットと揃った男声陣は鉄壁。ポプラフスカヤはクールな感触の演唱が好みを分けようが、この役には合っている。ガナッシは迫力不足だが、この役はエリザベッタを食ってしまうような猛女が多かったので、バランスとしては悪くないか。演出は抽象的(安上がり)な舞台にもかかわらず丁寧だが、決定的な新しさはなく、このオペラでは常に問題になるエンディングも良く分からないまま。スカラ座の意味不明なブロンシュウェグ演出よりはマシだが、先のネーデルランド・オペラでのデッカー(4幕版)、仏語版ではボンディ、コンヴィチュニー(別格)演出に及ばない。指揮も健闘しているが、シャイー、ガッティなど当面のライバル達に比べると今一歩。ボンディ演出の仏語版の時の方が良かったので、このあたりはコヴェントガーデンのオケの限界か。

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     2010/09/18

    それなりに面白いけど、今ひとつ決定的なインパクトに欠ける作品で、最近は上演も少なくなっているけど、これは刺激的な演出、精彩ある指揮に加えて主役5人に隙なく名歌手を揃えた素晴らしい上演。演出は時代を初演の時代、ナポレオン3世治下のパリに移しており、その点ではラヴェルリ演出と同じだが、あらゆる点で遥かにリアルでどぎつい。マクヴィカー演出は音楽自体がもともと雄弁なオペラでは、舞台上の細かい動きがうざく感じられがちだが、この曲に関しては圧倒的に面白く見せてくれる(ちなみにケース、解説書に彼の名前がクレジットされないのは何かトラブルがあったのか)。例のワルツの場面はキャバレー『地獄』での踊りに変えられているし、第4幕「マルグリートの部屋」以外は大きなカットはなく、「ワルプルギスの夜」のバレエもちゃんとあるが、『ジゼル』風19世紀バレエの痛烈なパロディで、ここが一番衝撃的かもしれない。アラーニャはさすがにフランスものでは他の追随を許さぬし、ターフェルももちろんハマリ役。おなじみのヴィブラートさえ気にならなければ、ゲオルギウも大変良い。最終場ではやや声の力に不足を感じるが、その分は体当たりの演技でカヴァーできている。

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     2010/09/11

    全曲目の内、LPを持っていたのはショパンの前奏曲集だけなので、復刻状態についてレポートするには役不足かもしれないが、色のパレットを捨ててモノクロームでショパンに挑むのかと驚いた、かつての音色は再現されているし、70年代初頭の録音としては上々のCD化ではないだろうか。ショパンのみ国内でも廉価盤として出るようだが、まだ発売日前ゆえ聴けていない。そのショパンに関しては門外漢の私は黙るべきだろうが、今回の私のお目当てはシューベルト最後の二つのソナタ。造形は概して端正でテンポも遅くない。変ロ長調の第1楽章では焦燥感を感じさせるほど速くなるところもある。しかし、エアポケットのように死の深淵をのぞかせる部分、たとえば変ロ長調の第1楽章提示部反復前の経過句、イ長調の第2楽章中間部などでは凄まじい形相で表現主義的演奏をみせるので、全体の晴朗な色合いとのギャップもあって非常に強い印象を与える。1973年収録のイ長調の録音があったとは知らなかったが(LPで出たことはあるのだろうか)、変ロ長調以上の出来とさえ感じられる。第2楽章最後の両手和音連打の箇所では、左手のみ和音を崩して弔鐘のように響かせるし、無重力状態のような第3楽章トリオのテンポ感も凄い。

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     2010/09/10

    『角笛』は二人の歌手が6曲ずつを分担、「死んだ鼓手」を前半最後の6曲目に入れた以外は珍しく出版譜通りの曲順で演奏されている。その二人の歌手が最高の適役で、大変な聴き物だ。F=ディースカウやクヴァストホフが歌うと、この曲集の詩は高級なリートになり過ぎてしまうきらいがあるが、ゲルハーエルには庶民的な風合いがあって実に好ましい。しかも彼には庶民を装っている自分を脇から眺める、もう一つの自意識もあって「塔の中の囚人の歌」では囚人の大言壮語に対するパロディの視点がちゃんと確保されている。コジェナーも「美しいトランペットの鳴り渡るところ」ではまことに情が深い。指揮は遅めのテンポで細やかだが、「死んだ鼓手」は緊迫感不足、「高い知性への賛歌」もテンポが遅く、だれてしまっている。アダージョは予想通り、室内楽的とも言える透徹した演奏。この楽章にまぎれもなくあるはずの、どろどろとした情念はきれいに消去されてしまっている。終盤の突発的なクライマックス直後も、今のトラウマはどこへやら、何事もなかったかのように元のテンポに戻ってしまうのには、ショックさえ覚える。

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     2010/09/07

    三つのダ・ポンテ・オペラの締めくくりにふさわしく、グート演出が相変わらず冴える。序盤はこんな話ありえないと良く言われる通りのこのオペラの不自然な設定を強調するため、『フィガロ』の時のようなストップ・モーションを多用するが、男心、女心の真実が露わになってくると、『ドン・ジョヴァンニ』の時のように外の「自然」が白壁の豪邸のなかに侵入し、「異国人」たちの白いスーツも泥だらけになってゆく。ドン・アルフォンソとデスピーナがそれぞれ異性不信になった原因である「心の傷」を露骨にさらけ出すこともあって、終盤はかつてないほどのドロドロの展開に。指揮のアダム・フィッシャーは、2006年グラインドボーンで振った弟のイヴァンの方が一枚上手かと思うが、オケの巧さにも助けられ、まあ悪くない。パーションはそのグラインドボーンでも、ちょっと笑えるほど操の堅い姉娘にぴったりだと思ったが、二つの大アリアではたっぷり笑わせ(第1幕)、泣かせて(第2幕)くれる。プティボンの弾けっぷりも楽しいし、スコウフスは苦みも感じさせる万全の狂言回し役。歌手陣はドラベッラのレナードがやや地味に見える以外、完璧だ。

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     2010/09/01

    どうしても1988年の録画との比較にならざるをえないが、文句なしに優れているのはデセイのツェルビネッタ。初の全曲市販映像となるが歌、演技ともに最高。大アリア「偉大なる女王様」には既に二種類の映像があるが、どちらと比べても遜色ない。しっかり演技しながら、この難曲を歌いおおせるのは驚異だ。演出は手堅いが、ナヤーデ以下の造形、色の対比(青と赤)による死の世界と生の世界の区分け、幕切れの構図、いずれも適切に品良く出来ていて秀逸。欲を言えば、アリアドネが死んで生まれ変わる箇所(ト書きには「口づけ」とある)がそのように描かれなかったのが残念。アリアドネのヴォイト(大幅減量前の映像)も、個々の言葉に対するニュアンスの濃さではノーマンに分がある。ヘルデンテナーなのに高音域が要求される難役バッカスのマージソンは声楽的には及第点だが、外見がもう少し若く見えればなお良かった。作曲家のメンツァーはやや老けた感じで、前のトロヤノスの方が上かな。指揮は相変わらず見事。既に過去の人のような言われ方もするレヴァインだが、緻密で劇的な盛り上げのうまい、オペラ指揮者としての手腕は高く評価されるべきだろう。

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