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Steve Tyrell 来日記念ロングインタビュー

2008年6月18日 (水)

無題ドキュメント
Steve Tyrell interview

Steve Tyrell インタビュー


40、50になって、最盛期を迎えたことは、普通のアーティストに較べると全て順番が逆になってるんだ(笑)


--- 2年半ぶりの来日となるわけですが、日本、そして、日本のジャズ・ファンの印象はいかがでしょうか?

Steve  日本は大好きだよ。文化、人、作法、デザイン・・・全てが大好きだよ。お客さんも素晴らしいね。ブルーノートは、本当に世界一のジャズ・クラブだって言えるよ。世界中、色々なクラブでやってきたけど、アーティストへのケアも申し分ないし、音響設備も文句なしだよ。

食べ物もすごく美味しいね。毎晩、ご馳走を頂いてるよ(笑)。他のどの場所よりも、ブルーノートでもっと多くのショウをやりたいなって思うぐらいだね。

--- 今回、東京以外の場所も訪れたりしました?

Steve  前回来たときは、3都市を回ったんだけれど、今回は、マニラで大きなコンサートをした後に東京にやって来たんだ。その前は、ソウルへ行って、それから、シンガポールと・・・今回のアジア・ツアーは、日本は残念ながら東京だけなんだ。

--- マニラなどでもジャズは盛り上がっているのでしょうか?

Steve     基本的には、コンサートやっただけだから、マニラのジャズ・シーンのことなどはよく分からないんだけれど、記者会見もやったし、インストア・ライヴや握手会なんかもやったんだ。今回の『Back To Bacharach』の発売を記念して、ほんとうに多くの人が集まってくれたから、その時の写真を見せてあげるよ。

(PCに入っているフォト・データを見せていただきながら、)これが、そうだよ。記者会見にはマスコミも大勢来てね。これが、インストア・ライヴのとき。大きなショッピング・モールのようなところでやったんだ。(吹き抜けの)上の階にも大勢の人がいたんだよ。信じられなかったよ(笑)!そして、こんな感じの大きなホールで、コンサートを行なったんだ。コンサート後は、会場の即売CDにみんな殺到していたんだ。さすがに、マニラでこれだけ知られているとは想像していなかったから、ほんとうに驚いたよ!


Steve Tyrell


--- 99年に『A New Standard』でシンガーとしてデビューされたわけなのですが、それまで、プロデューサーなど音楽制作の面で輝かしいキャリアをお持ちだったことを考えると、その当時「新人シンガー」と呼ばれることについては、なかなか抵抗があったのではないでしょうか?

Steve     確かに、少し違和感はあったけど(笑)、やっぱり、パフォーマーとして人前で歌うということと、プロデューサーの仕事とは全く違うから、パフォーマーとして「新人」であったことは間違いないことだよね。ただ、元々は歌手としてキャリアをスタートさせたことも事実でね。映画音楽もたくさん手掛けてきて、さらに、TV番組の音楽を手掛けたときは、私自身の歌が使われたこともあったんだ。だから、単に人前で歌っていなかっただけなんだ。「花嫁の父」という映画が、私の歌手としての一面を世間に出した、かなり大きなきっかけとなったんだ。

     私のキャリアは、実は少し風変わりなんだ。10代の頃から自作でレコードを作っていたりしてて、ドクター・ジョンだとか、アラン・トゥーサンだとかニューオリンズのミュージシャンや、地元ヒューストンの連中なんかと音楽をやっていたんだ。バーバラ・リンや、サニー・ザ・サングロウズや、アーロン・ネヴィルといったところからもプロデュースをしてくれと頼まれて、色々と仕事をしていたんだ。

     そうした経歴が元になって、19歳でニューヨークに出てきた時、フローレンス・グリーンバーグ(セプター・レコードの設立者)に雇ってもらい、セプターで働くことになったんだ。その後、重役として働くことになり、21、2の時には、A&R/プロモーションを行なう「副社長」という肩書きをもち、そこでバート・バカラックやハル・デヴィッドに出会い、彼らと私とは、そういう立場関係で仕事をしていたんだ。

--- 19歳の若さで、音楽ビジネスの世界へ飛び込むということは、やはり、それなりの覚悟が必要ですよね?

Steve  19歳から25歳という時期は、普通、音楽の道を志す青年なら、レコード会社と契約してアーティストとして大活躍する時期なんだけれど、逆に私は、バート・バカラックやハル・デヴィッドに、「こういう曲を書いてくれ」と指示を出したり、彼らの作った曲がラジオでかけてもらえるように働きかけたりといった仕事をしていたんだ。つまり、アーティストのキャリアとは、全く別方向に向かう時期を過ごしていたんだ。40歳になって、なぜか、アトランティックや、コロムビアや、ディズニーといったメジャー・レーベルから、アーティストとしての契約オファーがたくさん来たんだ。40、50になって、アーティストとしての最盛期を迎えたということは、普通のアーティストに較べると全て順番が逆になってるんだ(笑)。本当にクレイジーだよね(笑)。

40歳後半で、レコード契約を初めてした歌手は、ちょっと他にはいないよね(笑)。普通だったら、引退しようかなって思う時期だよ(笑)。でも、自分でこうしようとしてなったわけじゃなくて、流れでなったことだから、自分にとっては自然なこととして受け入れているんだ。


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スティーヴ・タイレル
1999年『A New Standard』、50歳でデビューを飾った名スタンダード・シンガー、スティーヴ・タイレルは、フランク・シナトラ、フレッド・アステアらの系譜に名を連ねる。A&R〜音楽プロデューサーとしての豊富なキャリアに裏打ちされたセンスの良いサウンド作りと、南部出身らしい渋味と、イタリア系ならではの温かな陽気さを含んだ歌声が人気を呼び、2nd『Standard Time』は、本国USのジャズ・チャートで最高ランク2位、92週連続チャート・インのロング・セラーとなった。91年、タイレルは、映画「花嫁のパパ」のサウンド・トラックのプロデュースを手掛ける。この作品でケニー・ランキンのスタンダード「今宵の君は」を取り上げることとなり、タイレルは自身が歌ったデモを制作する。これを聴いた同映画のチャールズ・シャイアー監督らが彼の歌声を大いに気に入り、彼の歌ったデモはそのまま、映画のテーマ曲として劇中で使われることとなった。これが、50歳での遅咲きデビューの布石となったことは有名な話。その後も『This Time Of The Year』、『This Guy's In Love』、『Disney Standards』、『Songs Of Sinatra』といった古きアメリカの良心=「Great American Songbook」を今に伝える名スタンダード作品を発表。2008年には、かねてからの念願だったバート・バカラック集『Back To Bacharach』を発表し、人生最良の師であり仲間であると語るバカラックへの想いを歌に乗せる。

最新作『Back To Bacharach』詳細はこちら!



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