シェーンベルク(1874-1951)
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シェーンベルク(1874-1951) レビュー一覧

シェーンベルク(1874-1951) | レビュー一覧 | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

商品ユーザーレビュー

253件
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  • グールドの残した録音の中では人気のあるものではなさ...

    投稿日:2023/06/04

    グールドの残した録音の中では人気のあるものではなさそうだが、このシェーンベルクはバッハに劣らない秀逸な演奏だ。作品11からこれだけどす黒い表情を引き出したものは私の知る限りない。12音作品はさらに冴えて一つ一つの音が生きゾクゾクさせる。12音はパズル的なところがあるのでグールドは面白くてしかたないという感じなんだろう。ポリーニのテクニックは最高だが表情は単一な演奏の対極だと思う。

    フォアグラ さん

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  • この曲は意外にも名盤がひしめいている。ブーレーズ、...

    投稿日:2023/02/25

    この曲は意外にも名盤がひしめいている。ブーレーズ、シノーポリ、ラトルの他、ロバート・クラフトやデイヴィッド・アサートンといった現代音楽のスペシャリストが録音している。最近はヴァイオリニストのカパチンスカヤがカパチンスカヤがこの曲で歌って(演じて)いる録音が注目を集めた。しかし私には、この曲の歌はどうしてもドイツ語のネイティブに歌ってほしい。ネイティブでないとドイツ語の発音の「パンチ」が十分に効かないのである。ところが、ドイツ語ネイティブの録音はそれほど多くなく、ブーレーズ版のシェーファーとこのシュミットフーゼンくらいではないか。シェーファーはベルクの『ルル』のタイトルロールが素晴らしかったので期待して聴いたのだが、期待外れだった。「ソプラノ」の型から抜けきらず、語りも不自然だった。その点、このシュミットフーゼンの録音は素晴らしい。きちんと「ソプラノ」としてん声は駆使しながら、見事に「シュプレヒシュンメ」を演じている。この歌手の名前を、私はこの版で初めて知ったが、調べてみると、鈴木雅明のバッハの宗教曲に参加するなど、バロックの宗教曲でソプラノを歌った録音が多いようだ(決して数は多くないが)。そのような歌手が、この曲のソリストとして録音するというのも面白い。私にとっては、この曲のベストの録音で、安心して音楽に身を委ねることができる。ドイツ語の発音・発声も理想的。マイナーなレーベルのせいか、あまり知られていないが、この曲が好きな人には是非おすすめしたい。

    soziologe さん

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  • 日本人指揮者による、感動的なシェーンベルク作品集だ...

    投稿日:2022/03/19

    日本人指揮者による、感動的なシェーンベルク作品集だ。 指揮は湯浅卓雄氏。活動が海外中心のため国内で聴く機会は少ないが、Naxosに邦人作曲家の作品や海外の現代作品を多く録音している。このCDの演奏の素晴らしさからすると、知る人ぞ知る実力派と思われる。演奏のアルスター管弦楽団も国内ではマイナー感が強いが、トルトゥリエの指揮でCHANDOSから優れた演奏のCDが多く出ている表現力の高いオケだ。 このCDに収録されているのは、室内交響曲第2番op.38、映画の一場面のための伴奏音楽op.34、浄められた夜op.4の弦楽合奏版の3曲だ。いずれも大変優れた演奏で、名演と思う。 その演奏は、余分な強調がなく自然体で、しかも曲の深さを存分に伝えてくるものだ。旋律は呼吸をするようによく歌い、管弦楽は隅々まで実に繊細に、効果的に鳴り響いている。良い状態で再生すると、演奏会でシェーンベルクの実演を聴くのに極めて近い体験ができる。 室内交響曲第2番も、映画の一場面のための伴奏音楽も、全てが成るべくして成るという必然に従って音のドラマが進行する説得力に呑み込まれ、曲の持つ悲劇性がずっしりと重い感動を残す。 浄められた夜は、湯浅氏の豊かな想像力が反映されて、個性のより強い演奏となっている。 前半は、主人公の女性が孤独感ゆえに過ちを犯してしまうという悲劇がありありと伝わってくる。これだけ主人公の女性の心理に寄り添った演奏も稀だ。湯浅の目にはそれこそ映画の一場面のように各場面の情景が「見えて」いるかのようだ。 後半は、温かく包容力のある男の赦しの場面だが、特徴的なのは男女の気持ちが通い合い、舞曲調の曲想になる部分からかなりテンポが速くなることだ。これは、湯浅が登場人物を2人とも意志の強い性格と捉えていることが反映しているように思われる。女にしても、前半の行動はかなり大胆であり、嘆くときもなよなよとはしていない。結構激しく嘆いている。男も、そんな女を受け止められる程強い性格なので、2人が喜び踊るときも激しく元気に踊るのであろう。そのように理解して初めて腑に落ちる解釈であるようにも思われる。 いずれにせよ、かくも優れた演奏が日本人指揮者によって録音されたことに、シェーンベルクの音楽を愛している私は大いに誇らしさを感じている。この名盤の価値を多くの人に知ってもらいたいものだ。

    伊奈八 さん

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  • カラヤンの遺産に、改めてじっくり向き合ってみた。 ...

    投稿日:2022/02/13

    カラヤンの遺産に、改めてじっくり向き合ってみた。 「浄夜」(HMVの表記に従った)op.4の演奏は、同曲の究極的な美演の一つだろう。 もう冒頭から、ここまで雰囲気のある演奏はなかなか無いのだ。 全ての旋律にカラヤンの表現したかったニュアンスが溢れており、繊細な表現から圧倒的に力強い全合奏まで、弦楽合奏の表現力の究極に近いものを聴かせる。 細部をいたずらに強調することなく、巧みに響きの海に沈めており、聞き手が心地よく作品世界に酔えるように演出されている。 全体的には、愛の世界を深く描くというのとも少し違う感じもするが、曲の終わりに近付いた部分で、カラヤンは非凡な解釈力を見せる。 初期のシェーンベルク作品の中でも、この「浄夜」や弦楽四重奏曲第1番は、聞き手が「もう終わる頃だろう」と思ってから更に曲想が展開する。「浄夜」の場合、370〜390小節の第2主題の再現部がそれに当たり、ここを「まだ続くのか、冗長だなぁ」と感じさせるか、「2人の愛が更に深まっているなぁ」と感じさせるかで、演奏の成功、不成功が分かれるのだ。 対位法を駆使しつつ転調を重ねるこの部分からラストまでを、カラヤンは、他の部分の倍ほども丁寧な演奏をしている。それが、この演奏を感動的にしているのである。 もう一曲は交響詩「ペレアスとメリザンド」op.5だ。グレン・グールドはこの曲について「リヒャルト・シュトラウスの偉大な交響詩のどれと較べてもひけをとらない、少なくとも同等の価値はあると思う。」(鈴木圭介訳『グールドのシェーンベルク』より)と述べている。 私自身はあらゆる交響詩の中で一番好きな曲である。このカラヤン盤は私が同曲を聴いた最初の演奏であったが、およそドラマチックな解釈力という点で、これを超える演奏は未だに聴いたことがない。 全ての旋律にカラヤンの想像力が生き生きと吹き込まれ、他に類を見ない緩急豊かな展開と、オケの圧倒的な機動力で、聞き手をぐいぐいと作品世界に引き込んでいく。 カラヤン以降の多くの演奏ほど細部を強調していないが、無数の楽器を鳴らしつつ、全体の響きを見事に自分のイメージに整えている。 どの部分も素晴らしいが、一つだけ例を挙げよう。 ペレアスとメリザンドが、遂に互いの思いを打ち明け、2人の愛が燃え上がる場面。それを物陰からゴローが、嫉妬と殺意をたぎらせながら見ている。 ペレアスを刺殺せんとするゴローの刀がキラリ!と光る。それに気付き、命の危機が迫っていることを悟っても、2人の愛は最早止められない! その、刀のキラリ!を、ピッコロに物凄いスピードで吹かせているのは、カラヤンだけだ。 このキラリ!が恐ろしく劇的な効果を発揮している。 ここを他の指揮者のように遅く「ピラリラリラ」と吹かせると間抜けになってしまう。一聴するとカラヤンの独断的な創作のようだが、シェーンベルクはここに「hastig」(急いで)という指示を書き込んでいるのだ。 一人、カラヤンだけがシェーンベルクの指示を的確に音楽のドラマと結びつけているのである。 この一曲の演奏を聴いただけでも、カラヤンという指揮者が他を寄せ付けないほど非凡な想像力の持ち主であったことがよく分かるのである。 音質は、今日の録音ほど鮮度が高くないが、装置の質が良ければ、この遺産の価値を今なお十分に味わうことできよう。

    伊奈八 さん

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  • 今なお感動を失わない、シェーンベルク歌曲集の名盤だ...

    投稿日:2022/01/16

    今なお感動を失わない、シェーンベルク歌曲集の名盤だ。 シェーンベルクは、作品番号がないものも含めると、かなりの数の歌曲を書いている。 この2枚組のCDは、作品番号付き8作品のコンプリートに番号なしの1曲を加えたもので、総トラック数は44にもなる。 この歴史的偉業の中心となっているのがグレン・グールドで、これほど素晴らしい歌曲の伴奏も稀だろう。歌っているのは4人の歌手で、バスバリトンのドナルド・グラム、メゾソプラノのヘレン・ヴァンニ、ソプラノのエレン・フォール、バリトンのコーネリス・オプトホフである。 中でもヘレン・ヴァンニは大活躍で、この曲集のクォリティを支えている。 以下、各曲のざっくりとした感想。 2つの歌曲op.2は、極めて重厚でドラマチックでロマンチックな曲だ。ドナルド・グラムの力強い歌唱が立派だ。歌曲としてかなり長大な2曲をグールドの伴奏が感動的に構築している。 4つの歌曲op.2は、親しみ易い曲も多いロマンチックな歌曲集。エレン・フォールは無理して歌っているように聞こえる部分もあり、4人の歌手の中ではやや落ちる印象だ。同曲に関しては白井光子の方が上手いと思うが、ただし白井は移調して歌っている。グールド伴奏はとても美しい。 架空庭園の書op.15は、全15曲からなり、無調音楽の世界を切り開いた画期的な作品だが、鑑賞が難しい作品でもある。ただでさえ味わいにくい、感情の表出を抑えた無調の旋律を、歌手が十分に上手く歌えないことが難しさの原因だ。 この演奏は、グールドの分析的とも思える伴奏の上手さもさることながら、ヘレン・ヴァンニの歌唱が素晴らしい。幾つか聴いているが、特に上手い方の一人ではないかと思われる。 DISC2の最初は6つの歌曲op.3。1曲目だけドナルド・グラムが歌い、後の5曲はヘレン・ヴァンニが歌っている。第2曲「興奮した人々」と第5曲「練習を積んだ心」は特に名曲と思う。 次いで力作、2つのバラードop.12。1曲目「ジェイン・グレイ」は、歌唱はヴァンニより白井光子の方がドラマチックで上手いかもしれないが、伴奏の構築力は白井盤のヘルよりグールドの方が上に聞こえ、さすがと思わせる。 2曲目の「決死隊」は、この曲だけコーネリス・オプトホフが歌っている。極めてドラマチックで魅力的な曲だ。グールドの伴奏は細部まで明確だ。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとアリベルト・ライマンによる名演といい勝負だ。 次の3つの歌曲op.48は、12音技法で書かれた最晩年の歌曲。難解な作品なのに、ヴァンニの歌唱とグールドの伴奏のコラボがあまりに素晴らしくて引き込まれてしまう。3曲目の伴奏など、シェーンベルクの独奏ピアノ曲に負けずとも劣らない複雑さなのに、グールドは胸がすくほど上手く弾いている。 次いでまた比較的初期の、2つの歌曲op.14に戻る。op.15が「架空庭園の書」だから、本当に無調ギリギリの作風だ。 次いで、作品番号なしの2つの歌曲。1曲目の「想起」は白井光子も録音している。 2曲目のリルケの詩による「海岸で」は、グールドの伴奏の尖ったタッチが凄い。 最後は、これも初期の8つの歌曲op.6。ここでもヘレン・ヴァンニが高い音域まで歌って頑張っている。 1曲目「夢の生活」、4曲目「見捨てられて」、8曲目「さすらい人」は白井も録音している。「見捨てられて」はディースカウの名唱も印象に残る。 グールドは、ヘルやライマン以上に曲想に合わせて雄弁にタッチを変化させている。3曲目「少女の歌」、6曲目「路傍にて」、7曲目「誘惑」でのキレッキレのタッチはグールドならではの快感がある。 シェーンベルクの歌曲は、現在は作品番号のない作品も網羅したCD4枚組の歌曲全集も出ているが、歌手の健闘と、伴奏の域を超えたグールドのピアノの魅力に支えられたこのアルバムの価値は不滅であろう。

    伊奈八 さん

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  • ドイツの現代音楽のピアニスト、ヘルベルト・ヘンクに...

    投稿日:2022/01/16

    ドイツの現代音楽のピアニスト、ヘルベルト・ヘンクによる、血の通ったシェーンベルク作品集だ。 シェーンベルクの作品番号付きピアノ曲のコンプリートに加えて、ピアノ曲の断片も18曲収録しているアルバムだ。 作品番号付きのピアノ曲は、3つのピアノ曲op.11、6つの小品op.19、5つのピアノ曲op.23、ピアノ組曲op.25、ピアノ曲op.33abである。 ヘンクの演奏は、実に魅力に富んでいる。 3つのピアノ曲op.11は、シェーンベルクの作品の中でも陰気な方だと思うが、ヘンクが作品に向けるまなざしはフラットで温かい。聴く人を激しさで脅かそうとか、技術だけで聞かせようとかいう偏りがない。ストーリーを感じさせる緩急や強弱と、聴き易い適度な軽快さ、ピアノ曲としての響きの美しさを持っている。暗い筈のop.11を聴いていてなんだか楽しい気持ちになってくる。 欝な内容の作品であっても、それをきちんと芸術的に仕上げるのは、明るく健全で強い精神である。ヘンクの演奏は、暗い作品の背後にある、そうした明るい精神を感じさせてくれる。 6つの小品op.19は、短いということもあり、演奏会でもよく取り上げられるが、説得力がある演奏が為されているのだろうか?このヘンクの演奏は、1曲1曲が、曲に込められた物語や、気持ちの変化を豊かに感じさせてくれる。この曲が、管弦楽のための5つの小品op.16の第2曲と同様、シェーンベルクの寂しい一面を表している曲であることがよく分かった。 5つのピアノ曲op.23は、シェーンベルクのピアノ曲の中でも、難解な方だろう。曲想があまりにもどんどん変化していってしまうからだ。ヘンクの演奏は、全体的に軽やかな調子にまとめつつ、変化していく曲想の句読点、ポリフォニックに展開する断片の呼応関係、1曲の中における起承転結などが実によく整理されており、破格に分かりやすい。一旦解体された瓦礫の山から、再び何かを構築しようと立ち上がる、人間の創造的な意志を感じる音楽だ。 ピアノ組曲op.25は、シェーンベルクのピアノ曲の中では親しみ易い方だろうが、技術的には非常に難しい曲だろう。ヘンクは全体的に速いテンポで弾いている。ミュゼットのラストではミスタッチがあるが、ここはどんなピアニストでも難しいところなので、むしろ編集なしで弾いている証拠に残したと考えられる。しかし、このピアノ組曲に関しては、技巧に傾いた演奏となったために、曲の持つ奇妙なユーモアや倒錯の面白さを弾き逃した印象があり、惜しい感じがする。 ピアノ曲op.33aとピアノ曲op.33bは、本来は別々の曲だという捉えなのか、ヘンクはプログラムでわざわざ分けている。 私の感想ではop.33aの方は速いテンポで一気呵成に弾き過ぎている感じがする。中庸のテンポで噛んで含めるように弾いているop.33bの方が面白い。 メカニックな技巧よりも、人間味のある読解力の方にヘンクの魅力が発揮されるように感じる。 トラック22からトラック39は多くのピアノ曲の断片を年代順に弾いたものだ。 ロマンチックな作風からスタートして、次第に現代的になっていくというシェーンベルクの作風の変化を辿ることができる。 ヘンクの録音は1994年だが、2年後の1996年にはピ・シェン・チェンが、断片も番号付きの立派な作品も、すべて年代順に並べて弾くというユニークなアルバムを作っている。 全てのピアノ曲が一つの大きな物語のようになっていて面白い企画だ。それとて、ヘンクの先駆があったからこそできたことであろう。 私的には惜しい演奏もあるが、取っ付きにくいシェーンベルクのピアノ曲と聞き手の距離を縮めてくれる、大変良いアルバムだと思う。ヘンクのCDはこれ1枚しか持っていないが、イタリアのブルーノ・カニーノと同様、現代曲を人間味豊かに弾ける優れたピアニストだと感じた。ヘンクの他のCDも聴いてみたくなった。

    伊奈八 さん

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  • 最初に聴いた時には、さすがにこれはやりすぎだと思っ...

    投稿日:2021/12/29

    最初に聴いた時には、さすがにこれはやりすぎだと思った。でも、この演奏については、しばらく「寝かせた」ことで印象が逆転。特に複数の映像を見たことですっかり考えが変わった。デジタル・コンサートホール内にあるベルリン・フィルのメンバーとの2019年3月ライヴも悪くないが、フランス国立管メンバーとのyou tube上にある演奏はさらに良い(France Musique制作、収録は2021年か?)。それでも、演奏が練れているという点では、このディスクの面々が一番。5人の器楽奏者たちはさすがの腕っこき揃いだが、完全にコパチンスカヤの意図を理解して、彼女に寄り添ってくれている。ピラルツィク/ブーレーズ以来の「マジメな」現代音楽としての演奏が間違いだったとは言わない。しかし、作曲者がほんらい望んでいたのは、ウィーンやベルリンの文学キャバレーでこのように演じられることではなかったか。女優であるバーバラ・スコヴァならこのように語ることもできたはずだが、やはり前例にならって、あと一歩踏み込むことができなかったのだ。コパチンスカヤのシュプレヒ・シュティンメは第1曲「月に酔い」から誰とも違うが、特に第9曲「ピエロへの祈り」、クライマックスの第11曲「赤ミサ」に至ると相当にハメを外している。でも、作曲者の指定した音の高さはそんなに外していないようだ(それが決定的に重要とも思わないが)。何よりも得難いのは、すべての言葉に対する表情が選び抜かれていて、全くハズレがないことだ。極端な早口の第12曲「絞首台の歌」など、これまでのすべての歌手を顔色なからしめるような名人芸。彼女は今後も「二刀流」を続けてゆくつもりのようで、2023年3月の大野/都響によるリゲティ生誕百周年演奏会にはヴァイオリン(ヴァイオリン協奏曲)と声(マカーブルの秘密)の両方で出演することが予告されている。 余談ながら、カップリングも実に秀逸。『月に憑かれたピエロ』の後に『皇帝円舞曲』(シェーンベルク編)を続けるなんて、誰が考えついただろうか。しかも『ピエロ・リュネール』の次に演奏されると、このワルツの序奏は、骸骨が骨をカタカタ鳴らす死の舞踏のように聞こえるではないか。個人的にはホーネック指揮『第9』とこれが今年のベスト2。

    村井 翔 さん |60代

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  • シェーンベルクの歌曲を、素晴らしい演奏で楽しめるア...

    投稿日:2021/12/11

    シェーンベルクの歌曲を、素晴らしい演奏で楽しめるアルバムだ。 演奏は、白井光子とハルトムート・ヘルとのデュオ。シュワルツコップは2人を「世界最高の音楽家夫婦」と賞賛したという。白井は2008年(平成20年)には紫綬褒章も受賞した、日本のドイツ・リートの第一人者だった。このCDは1993年の録音で、歌唱は大変充実している。 白井の歌唱は、一曲一曲、丁寧、濃密、表情豊かで、独立した一つの世界のようだ。全20曲通して高いクォリティである。上質なリサイタルを聴くのと同じで、おなか一杯になる。 聴くほどに魅力が理解できるアルバムなので、多くの方にお勧めしたい。 なお、CDの常ではあるが、どんな音質で聴くかによって印象も変わるので、できるだけ良い音質で聴いていただきたい。 以下、各曲の紹介。 1〜3は、8曲ある親しみ易い「ブレットル・リーダー」からの選曲。 1.「ガラテーア」2.「素朴な歌」3.「ギエルゲッテ」。これらの歌の最も良い歌唱かもしれない。ガラテーアの前奏は、シェーンベルクが書いた一番華麗なピアノのパッセージだろう。 4.「太陽が出ているのだろうか」は、もの悲しく優しい表情の初期歌曲。これがシェーンベルクの曲かとびっくりする。 5〜8は「4つの歌曲op.2」。非常にロマンチック、かつ独創的だ。 9.「興奮する者たち」は、「6つの歌曲op.3」の2曲目。激しさと、悩ましいロマンチシズムにシェーンベルクらしさが出ている。 続く3曲は「8つの歌曲op.6」からの選抜。10.「夢の生活」11.「見捨てられて」12.「さすらい人」。なんともドラマチックで、かつ美しい。激しい曲でも、白井の歌唱は乱れない。「さすらい人」あたり、かなり難解度が増しているが、ハッとするほど美しい表情がある。 13.「想起」は、作詞者不詳の歌曲。こういう捨てがたい作品を選曲するのが憎い。 14.「ジェイン・グレイ」は「2つのバラードop.12」の1曲目。2曲目の「決死隊」もディースカウの名唱が忘れがたい傑作だが、ソプラノ向けの「ジェイン・グレイ」も、重厚かつ極めてドラマチックだ。白井の壮絶な歌唱がこのCDの頂点を形作る。ジェイン・グレイは策謀によって即位にさせられたが、わずか9日間で退位させられ処刑された悲劇の女王だ。 15.「私が感謝するのは許されていない」と、16.「この冬の日々に」は「2つの歌曲op.14」から。難解さは大幅に増しているが、白井の歌唱のクォリティは変わらない。むしろ「ジェイン・グレイ」からの3曲は、ハルトムート・ヘルの伴奏の方が、音楽を消化し切れていない印象がある。 最後の4曲は、ドイツ民謡の編曲だ。 シェーンベルクは、自身の作曲はどんどん難解さが増していったが、調性のある音楽への愛は不変だったようだ。 ドイツ民謡の編曲は1928年の「3つの民謡」、1929年の「4つのドイツ民謡」、最晩年1948年の「無伴奏混声合唱のための3つの民謡」op.49と3種ある。 このCDに収録されているのは「4つのドイツ民謡」だ。17.「楽しい5月がやってきた」18.「ふたりの遊び仲間がやってきて」19.「いつも忠実なわが心」20.「わが心みだれて」。 いずれも素朴な明るい歌だが、バッハ風の伴奏をつけているのがちょっと妙な感じでもある。 これも、ヘルの伴奏がそう思わせるのであろうが、重厚なリサイタルの最後に、軽めのアンコールという感じで、心地よくCDを聴き終えることができよう。

    伊奈八 さん

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  • シェーンベルク作品の、磨き上げられた演奏を楽しめる...

    投稿日:2021/11/05

    シェーンベルク作品の、磨き上げられた演奏を楽しめるCDだ。浄められた夜op.4の弦楽合奏版、弦楽四重奏曲第二番op.10の弦楽合奏版。そしてボーナスCDに室内交響曲第一番op.9が収められている。とりわけ、弦楽四重奏曲第二番は名演である。 演奏は、ジャン=ジャック・カントロフ指揮する、フィンランドのタピオラ・シンフォニエッタ。ソプラノ独唱として、クリスティーナ・ヘグマンも加わっている。カントロフは、数多くのコンクールで優勝したヴァイオリニストだ。2012年に指揮活動への専念を宣言したが、2017年にヴァイオリンの演奏活動を再開している。このCDは1994年の録音であり、カントロフが指揮活動の可能性を模索していた頃のものであろうか。演奏は、カントロフの非凡な音楽観と人間性を証明するものとなっている。 まず、浄められた夜op.4の弦楽合奏版。驚くほど技術的に追い込み、完成度を高めた演奏だ。一つ一つのフレーズの、一音一音にまで丁寧に表情付けがされており「そこまでやるか?!」と驚かされる。アンサンブルの難しい場面を、稀に見るスピードで演奏させるなど、個性的な解釈も多い。ローカルな合奏団であるタピオラ・シンフォニエッタを、カントロフは鬼のように鍛えている。しかし、何度聴いても、聞こえてくるのはカントロフの「解釈」である。音楽のストーリーや感情が豊かに迫ってくるということが無い。皮肉を込めて例えると、これは弦楽合奏コンクールの課題曲演奏のような演奏である。できるだけ良い音質で美音に浸りながら、何も考えずに解釈の細やかさや演奏の上手さを楽しむのが望ましい鑑賞法だ。 2曲目は、弦楽四重奏曲第二番op.10の弦楽合奏版だ。シェーンベルクは弦楽四重奏曲を5曲(若い頃の1曲と、番号付きの4曲)書いている。いずれも素晴らしい作品だ。中でも、弦楽四重奏曲第二番の弦楽合奏版は、シェーンベルクの作品中最も美しい曲と言ってよい。カントロフの演奏は、「浄められた夜」と打って変わって大変素晴らしいものだ。とりわけ、クリスティーナ・ヘグマンの上手さには心底仰天した。カントロフの演奏は、緩急を大きくつけている。耳慣れたギュルケの演奏ほど音楽がスラスラと流れないので、最初は違和感があった。しかし、聴き馴染むほどに、ギュルケ盤や他の演奏よりも、曲のテーマに肉薄している名演だと気付いた。 この曲のテーマを理解する鍵はいくつかある。 一つは、この曲がシェーンベルクの家庭生活の危機を反映しているということだ。妻のゲルトルート(ツェムリンスキーの妹でもある)が、居候していた画家のゲルシュトルと家出したという事件である。ウェーベルンの説得でゲルトルートは家に戻ったが、ゲルシュトルは自殺した。 二つ目は、第二楽章に悲喜劇的に引用された「愛しのアウグスティン」である。 「ああ、愛しのアウグスティン、何もかもなくしちまった!」この喪失感が、曲の根底にある。 三つめは、第三楽章と第四楽章の、シュテファン・ゲオルゲによる歌詞である。どちらも現世の苦しみから逃れることをテーマとしている。 第一楽章は、嘆き、悲しみ、よろよろとした歩み、心のざわつき、自分を嗤う空虚な笑いである。カントロフの演奏は、「浄められた夜」と同様に美しく磨き上げられているが、現世での幸福を得られなかったシェーンベルクの悲しみが至る所から聞こえてくる。 第二楽章はスケルツォだが、あまり快活にしてしまうと、曲のテーマから逸れてくる。カントロフの演奏は、曲のテーマに迫っている。悲しみを隠して空虚におどけて見せる、道化の姿が聞こえてくる。 「ほらほら、これが僕の骨だ」と歌っているような、悲喜劇的な音楽なのだ。 第三楽章は、「連祷」という詩に曲が付けられている。神に、旅と戦いに疲れ果てたことを訴え、救いを求める詩だ。何の旅なのか、何の戦いなのか、最後の数行でヒントが与えられる。主人公は、現世での愛欲のために苦しんでおり、そこから逃れたいと切望しているのである。 クリスティーナ・ヘグマンの歌唱は、音程の驚異的な正確さ、歌詞に沿った表現の適切さで、他の全ての歌手を圧倒的に凌いでいる。無調に近いメロディーにとって、音程の正確さは絶対であり、さらに、そのメロディーの味わいをよく咀嚼して、理解していることが必要だ。ヘグマンの歌を聴いて、これまで聴いてきたエヴァ・チャポの歌がいかに不十分であったか、よく分かった。カントロフによる伴奏との音量バランスも完璧である。 第四楽章は、「脱世界」という詩に曲が付けられている。この詩は、「私は他の遊星の空気を感ずる」という言葉から始まる。人間界の苦しみから逃れ、仏陀の悟りにも似た、精神的な孤高に達したいという幻視を詠っている。心に傷を負った体験を、祈るような音楽を書くことで癒そうとする、作曲者の心情が痛々しい。 しかし、シェーンベルクには、不断に新しいものを生み出そうとする衝動があった。生きる苦しみを、芸術的に表現することで昇華させたいという衝動と、新しいものを生み出そうとする衝動とが、彼を突き動かし、結果としてシェーンベルクを生かし続け、前例のない音楽を生み出させたように思われる。 この楽章でも、ヘグマンの歌の素晴らしさは際立っている。この音楽の本質を知りかったら、是非ともこの演奏を聴かねばなるまい。ヘグマンは2021年現在65歳で、声楽家としては全盛期を過ぎていると考えられるが、彼女はこの曲で最高の名演を残したのである。 カントロフについては、「浄められた夜」での感情の入らなさと、弦楽四重奏曲第二番での感情移入の深さには大きなギャップがあると言わざるを得ない。カントロフ自身が、現世を離れた別世界に理想を求める人なのではないか?とも考えられるのである。 さて、このCDには、ボーナスCDがあり、室内交響曲第一番op.9が収められている。一枚のCDに入っていてもおかしくない三曲だから、二枚組であることに気付いたときは驚いた。実際、二枚目のCDには、21分程度の曲が一曲入っているだけなのだ。おそらく、当初は一枚に収める予定だったが、トータルタイムが80分を超えてしまったために、価格据え置きで二枚組としたのであろう。メーカーのBISは、少人数による小企業で、採算を度外視して良いものを作ろうとする会社らしい。このCDにも、そんなBISのこだわりが溢れていると言えようか。また、BISのCDは音質が良いことでも知られているが、此度のカントロフのCDは、何もせずに十分な音質が得られるものではなかった。 室内交響曲第一番の録音を最初に聴いたとき、あまりに響きがシンフォニックだったので、1935年のオーケストラ編曲版op.9bではないかと疑った。実際は、残響の多いホールで録音した為にそう聞こえただけで、本来の15人奏者によるop.9であった。だが、その厚みのある楽器の響きの重なりがうるさく聞こえて、演奏の良さが分かりにくかったのである。 最終的に、相当美しく響きを整えて、ようやくこの演奏の良さも分かった。カントロフの独自の解釈は、この曲に対する私のイメージを変える程のものだった。 私のこの曲に対し、前に前に進もうとする、革新的な力に溢れた曲というイメージを強く抱いていた。ところが、カントロフは、前に進もうとする力と、後ろを振り返り、進むのをためらう力との、葛藤のドラマとしてこの曲を描いたのである。緩急をつけた解釈自体はこれまでにもあったが、カントロフほど、進むのをためらう内向的な表現を打ち出した人はいなかった。ここにも、カントロフの独特な音楽観と人間性が現れている。大抵は、テンポの緩やかな部分は、ロマンチックな感傷として表現されていたのである。カントロフの解釈は、この音楽の内容を、より奥行きの深いものとしたと言えよう。 総括すると、「浄められた夜」に関しては、お薦めの演奏とは言い難い。カントロフは1992年にも同曲を録音しているので、そちらも聴いてみる必要はあるだろう。(LYR134という型番でHMVでも購入できる。2001年発売だが、実はBIS盤より録音は古い。)室内交響曲については、同曲の解釈に新たな一ページを開いており、聴く価値があるが、オーディオ的な難易度は高いように思う。弦楽四重奏曲第二番弦楽合奏版は、同曲の厭世的な性格をかつてないほど美しく描き出している。クリスティーナ・ヘグマンの完璧な名唱と相まって、是非とも聴くべき名演である。

    伊奈八 さん

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  • シェーンベルクの、演奏機会の少ない傑作を誠実に演奏...

    投稿日:2021/10/10

    シェーンベルクの、演奏機会の少ない傑作を誠実に演奏している良いCDだ。 弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲変ロ長調と、弦楽三重奏曲op. 45が収められている。 弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲は、ヘンデルのコンチェルト・グロッソop.6, no.7を編曲したものだが、ただの編曲ではなく極めてオリジナリティの強いユニークな作品となっている。 この曲が傑作であることを最初に紹介したのは、柴田南雄氏であった。NHKの教養番組でシェーンベルクについて話された際、同曲に触れたのである。柴田氏の慧眼恐るべし。協奏曲だがソリストが弦楽四重奏だというのがユニーク。オーケストレーションはカラフルだ。四楽章からなるが、後半の二楽章は大半がシェーンベルクの創作で、原曲からの変貌の凄まじさにも驚く音楽だ。 前半二楽章は、主旋律はほぼヘンデルの原曲通りである。第一楽章は、さながら平和な日々の活気ある日常生活のようだ。だが、時折異形の音型が顔をのぞかせ、ドキッとさせられる。第二楽章は、幸福な一日の黄昏の風景か。しかし、そこには既にノスタルジーの趣があり、ラストの部分の改変も効いて、平和な時が過ぎ去りつつあることを予感させる。第三楽章は、冒頭のモチーフだけほぼ原曲通りだが、続く99%はシェーンベルクの作曲だ。いまだ上辺の平和を保っている生活の中に、ファシズムの影が不気味に忍び寄ってくる。日常が歪み、どんどん狂っていくのに、どうすることもできず翻弄されていく個人の運命。第四楽章は、ファシズムに覆いつくされた町の風景だ。最初の主題こそヘンデルからの借用だが、原曲の単調さは解体し尽くされ、緊迫した音楽が繰り広げられる。シェーンベルクがこの曲を書いた1933年は、年頭にナチスが政権を獲得した年であった。バロック音楽にありがちな行進曲調の全合奏が、あからさまにナチスを連想させるやり方で挿入される。この曲は、ショスタコーヴィチの一連の戦争交響曲に匹敵、あるいは凌駕するほど、ファシズムの時代の空気を映し、その時代に生きることの恐怖を描いた作品なのだ。無調や12音技法で書かれた音楽は難しく、価値が分からないという人も、全編が調性で書かれたこの曲を聴けば、シェーンベルクの作曲力の高さに納得するであろう。 同曲はこれまで七回録音されている。中でもジェラード・シュワルツの指揮、アメリカ弦楽四重奏団による演奏が、曲の核心を突いて最も優れている。同演奏は現在「ジェラード・シュワルツ・コレクション」に入っていてHMVで購入できるが、30枚組である。レノックス弦楽四重奏団による演奏は、スマートでシャープなシュワルツ盤と比べると素朴な印象もあるが、ソリストにオンマイクな録音で逃げも隠れもせず音楽に真摯に向き合っており、聴くほどに訴えかける力が増してきて聞き飽きない。伴奏のハロルド・ファーバーマン指揮するロンドン響の演奏は、第三楽章でアンサンブルの乱れが少しあるものの、至極まっとうな演奏でソリストを支えている。現在最も手に入れやすい盤なので、是非お勧めしたい。 もう一曲は晩年の傑作、弦楽三重奏曲だ。この曲は、シェーンベルクの臨死体験が基になっている。1946年8月2日、シェーンベルクは心筋梗塞の発作に襲われ、心臓が一時停止した。心臓に直接アドレナリン注射が打たれ、後遺症は残ったものの一命をとりとめた。回復後、この曲を作曲し、殆どすべての和音に、自身の発作から救命に至る過程を音楽的な比喩として込めたという。 曲の冒頭1分30秒は、心臓発作による七転八倒の苦しみの描写である。その後は、心停止状態での治療の様子、ゆっくりとした覚醒と回復、静けさと安らぎ、湧き上がる様々な感情などが、音楽の言葉で語られていく。 レノックス四重奏団の演奏は、例によってオンマイクで録音されている。全く誤魔化しがきかないむき出しの音質で、曲と深く誠実に向き合った成果が繰り広げられる。 この演奏を聴くことは、全く稀有で、感動的な音楽体験である。ジャケットにカンディンスキーの絵が使われているが、抽象絵画の鑑賞にも似た体験だ。最初の内は全く抽象的で、点描的なポツンポツンとした音の羅列と聞こえていたものが、聴けば聴くほど全ての音が繋がり、具体的な意味を帯び始める。 この瞑想的な音楽は、聴くほどに心癒される不思議な力に満ちている。これは生命の不思議、生きていること、生かされていることの不思議と向き合う音楽なのだ。 このCDに収められた、シェーンベルクの2つの作品は、【生きること】に深く向き合った傑作である。レノックス弦楽四重奏団は、現在はほぼ忘れられた団体で、情報にも乏しい。しかし、彼らは真摯に音楽と向き合い、誠実な演奏でシェーンベルクの傑作を録音した。興味を持たれたら、是非聴いていただきたい。

    伊奈八 さん

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