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のろま さんのレビュー一覧 

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     2013/01/07

    ボーウェンのファンの方から誹りを受ける覚悟で書きます。私にとって、ボーウェンのCDはヴィオラ協奏曲に次いでこれが2枚目ですが、この作曲家の印象を一言で形容するならば、広島県のキャッチコピーでもある「惜しい」という言葉になるでしょうか。ただし、謙遜の意味も込められた広島県の場合とは違って、悪い意味で。同じ師を持ち、年齢も1歳違いのバックスの管弦楽曲と比べると、楽器編成が小さいせいか、オーケストレーションはそれほど重厚ではなく、使われる和声の種類も限定的かと思われます。したがって、「イギリスのラフマニノフ」と称されるほどの美しい旋律を誇るにもかかわらず、特にピアノ協奏曲第4番は、演奏時間が長い割に、変化に乏しく単調な印象を受けました。バックスの場合、これだけ長い曲であれば、もっと多くの“仕掛け”を施したのではないでしょうか。彼の場合、シベリウスやドビュッシーの影響を受け、大好きだったアイルランドが独立を果たすまでの苦闘を目の当たりにしたことなどが、作風を豊かにしたと考えられます。その点ボーウェンは、多作だったものの、生涯を通じて作風がほとんど変わらなかったようで、今ひとつ深みが欠けるきらいがあるのは、他の作曲家に学ぼうとする意欲が乏しかったことや、良くも悪くもあまり大きな不幸を経験しない人生を歩んでしまったことによるのかもしれません。いずれにせよ、ピアノ協奏曲第3番は楽天的でそれなりに面白いですが、第4番は短調で始まるものの暗さや哀愁はさほど強くなく、盛り上がりを期待した箇所で思ったほど盛り上がらないなど、少々中途半端で生ぬるい内容です。この主題を使ってバックスかウォルトンがアレンジを施したら、より魅力的な曲になるのではないかと思いました。録音はかなり良いので、おまけで星4つ。

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     2012/11/11

    第2番は、シチェルバコフの独奏によるNAXOS盤でもそうですが、ピアノが主でオケが従となってしまっており、ソリストの激しさに比べて低弦などの響きが薄いのが残念。演奏だけでなく録音にも問題があるかと思われ(私の再生装置との相性が悪いだけかもしれませんが)、音の分離が悪く、ピアノが強奏するとオケが掻き消されるだけでなく、その逆もあり、バランスが悪いです。最も新しいBIS盤(スドビン独奏、ルウェリン指揮ノース・カロライナ響)が、スドビンの評価については他の方に譲るとして、多少おとなしいものの、メトネルの管弦楽法のうまさを味わえますし、カデンツァもロングバージョンなのでお薦めですね。第3番のほうが、オケとソリストのバランスは良いです。こちらは西側に移ってからの作品だけに、第2番よりロシア情緒は薄く、ブラームスの第2交響曲の第3楽章を真似たような冒頭部を持つ緩徐楽章に始まり、遊悠音詩人さんの書かれている通り、途中までは、長大な序奏ということなのか、メトネルらしからぬ、悪く言えば動きの少ないダラダラとした展開です。徐々に変化が出てきて、短い第2楽章を経て、第3楽章でようやく、メトネルらしいロシア的で快活な音楽となります。第2番でのオケの薄さ、第3番の前半の展開に不満はありますが、メトネルのファンなら一度は聴いておきたい1枚です。

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     2012/10/08

    このレーベル、他の盤でもそうだが、安い理由の1つは録音の悪さかもしれない。協奏曲では、オケの弦楽の音はややキメが粗くシャリシャリしているし、ソリストの音も、まるでコントラバスのようにくぐもって聞こえ、チェロ本来の伸びやかさに欠け、協奏曲の最後の一音など少々聞き苦しい。だがソナタでは、M.タラソワが弾いているOlympia盤(ピアノ:A.ポレジャエフ)と比べると、ピアノの音が“ダンゴ”にならず、比較的クリアに聞こえる。演奏は、協奏曲では最後まで聴くのがしんどいくらいテンポが遅く(第1楽章13:27、第2楽章23:18)、Olympia盤(各10:25、17:25)と対照的であり、第1楽章のカデンツァもロディンは単調で、もう一工夫ほしいところである。ただ、Olympia盤の明るくノー天気な内容と比べると、当盤では、録音の悪さが逆に、作曲当時の社会状況を彷彿とさせる暗さを出すのに一役買っているとも言えるし、抑え気味の演奏にもそれなりに好感が持てるので、星3つ。

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     2012/07/29

    今や絶対に手放せない1枚となったので、レビューを書き直すことにしました。全曲が世界初録音である上に、おそらく現時点で唯一の録音という貴重なもの。どの曲も交響曲ほど晦渋ではないので、バックスの入門編として最適です。オリンピック・イヤーにどうぞ!(注:曲目のところに「クイック・マーチ」とあるが実際には入っていない)
     「ロンドン・ページェント」は、公式に演奏されたかどうかは不明ですが、ジョージ6世の戴冠式に際して作られたようです。演奏時間10分超、コーダではテンポを落としてオルガンや鐘を入れるなど、「行進曲の仮面をかぶった演奏会用序曲」とも言うべき充実した書法で、エルガーの「威風堂々」と比較してもなんら遜色なく、お蔵入りさせておくのがもったいない作品です。吹奏楽版に編曲しても面白いかもしれません。
     3つの管楽器のための協奏曲は、いわば「小協奏組曲」で、第1曲がイングリッシュホルン、第2曲がクラリネット、第3曲がホルンのための協奏曲で、第4曲がこれらによる三重協奏曲のような内容という風変わりな構成。チャペル社の火災で作曲者の自筆譜は焼失したものの、それを写真撮影したものが残っていたのだそうです。第1曲と第3曲は印象主義的で、ハープが効果的に使われており、幽玄という言葉が似合うテンポの遅い楽曲。第1曲はエレジーという副題どおりの雰囲気で、終盤のヴァイオリン独奏は、反乱の首謀者として処刑されたアイルランドの愛国者ロバート・エメット(1778-1803)とセアラ・カーランの悲恋を描いた、トマス・ムーアの詩と関連があるようです。なお、イングリッシュホルンによって開始される第1主題は、交響詩「妖精の丘にて」の中間部の主題を引用したものと思われます。第2曲は対照的に、どこかミュージカルを思わせる都会的で軽妙な楽曲。第3曲は、大西洋に沈む夕日を思わせる、ホルン以外の独奏楽器では成立しないであろう雄大な作品で、半音階の使用が巧妙です。第4曲は短い終曲で、その主題は、直後に書かれた「左手のためのピアノ協奏曲」の終楽章の主題とそっくりですが、完成度はこちらが上です。4曲とも、曲想がバックスにしては比較的シンプルで、編成も小さいためか交響曲のような粗暴さもなく、各独奏楽器の特性が見事に捉えられており、アマオケでも演奏しやすそうです。
     バレエ「タマーラ」組曲(G.パーレット編曲)は、ウクライナ人のナターリャとロシアからウクライナを旅したことが契機となって生まれた作品の1つ。バラキレフにも同名の交響詩があることで知られています。チャイコフスキーや初期シベリウスの小品を模したような曲想で、あまりバックスらしさが感じられない分、初めての方には馴染みやすいかと思います。
     交響詩「キャスリーン・ニ・フーリハン」は、番号なしの弦楽四重奏曲の緩徐楽章からの編曲。曲名はアイルランドを女性として擬人化した語で、そのせいか、冒頭から聴かれる民謡風の主題など、彼の作品の中でも特にケルト色が明瞭です。中間部のヴァイオリンによる主題(4:46〜)が少し弱いのが玉に傷ですが、「風と共に去りぬ」の続編を思わせる、アイルランドに帰国した移民が感慨に浸っているような雰囲気があり、若い時の作品とは思えないほど味わい深く、郷愁を誘います。なお、10:20からの弦による主題は、交響詩「黄昏に」に転用されています。
     最後に、録音に関しては、「ロンドン・ページェント」のような大編成の曲では、ホールの悪さもあってか、低音が弱く、弦の音は細く聞こえ、残響が長いため音の輪郭が少々ぼやけており、内声部がつぶれ気味なのが残念です(ハンドリーによるバックスの作品集なども同傾向)。BBCフィルにしてみれば、手っ取り早いので自局内のホールを使っているのでしょうが、ライブではないのだから、もっと良い会場で録音してほしいところです。

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     2012/05/18

    あるブログで紹介されていたので買ってみましたが、谷本氏の演奏は、「ヴァイオリン好きのお父さんが片手間に弾いてみました」というレベルで、鑑賞に耐えられるものではないです。音程は何度も外すし、指がもつれてうまく回らない箇所はあるし、ダイナミックレンジも狭く、ロシア的な力強さを感じさせるようなアーティキュレーションにも乏しいので、メリハリも足りません。メトネルは、楽想についての細かい指示を楽譜に記入する人だったそうですが、こんな演奏では到底それらを表現できているとは思えません。私は弦楽器を弾けませんし音感もあまりないですが、弦楽器を弾かれる方や音感のある方だと全曲聴き通せないのではないかと思うくらいひどいです。これを2500円で発売したレーベルにも、「ぼったくりか!」と言いたくなります。ブードニコフ氏のピアノは良いので、星1つ。

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     2012/03/07

    クチャル&ウクライナ国立響(NAXOS盤)よりテンポが速めでダイナミックレンジが広く、劇的な仕上がり。難点は、木管とハープがマイクから遠いせいか聞こえにくいことで、第1番の第1楽章再現部のハープは、音量を上げてもわずかに聞き取れる程度です。余談ながら、NAXOS盤の第1番第2楽章で、ハープが点滅信号のように聞こえるというのは、マイクに近いのも一因かと思われます。当盤では、第1番の終楽章は、最初は抑え気味で後半に向かって高揚していきますが、第2番の終楽章は前半から全開で、ケアード・ホールの残響の豊さもあって、金管バリバリの豪快演奏になっています。NAXOS盤で第2番の終楽章を聴いた直後に、再生装置の音量をそのままにして当盤の第2番の終楽章を聴いたら、音のデカさにぶっ飛びそうになりました(笑)。残響があるのに快速テンポで持って行くところがすごい!まるでライブのような熱い演奏です。

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     2012/02/26

    ヤルヴィ(CHANDOS盤)との違いを簡単に言ってしまえば、当盤のほうが全体的にテンポが遅く、金管の音量がセーブされている代わりに、木管とハープがマイクに近いのでよく聞こえるが、ダイナミックレンジが狭い。第1番の第2楽章は、CHANDOS盤のほうが静かに始まっており、当盤よりもロシアの夜の寒さがよく伝わってきます。良くも悪くもスタジオ録音と言うべきか、冷静でバランスのとれた腹八分の演奏で、金管もそこそこ鳴ってはいるものの、聴いていてあまり熱くなりません。ただ、やかましい音楽が苦手な方にはお薦めです。

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     2012/01/21

    メトネルの第2番は、デミジェンコ独奏によるHYPERION盤と、シチェルバコフ独奏によるNAXOS盤がありますが、いずれもソリストの力強い弾きっぷりに比べて、オケの響きが薄いのが不満でした。HYPERION盤では残響の長さもあって、オケの内声部の音がダンゴになりやすく、すぐに飽きがきました。当盤は対照的に、ロシア的な雄大さとは一線を画した少々抑え気味の演奏ながら、重心が低く、メトネルの管弦楽法のうまさや、ソリストとオケの掛け合いの妙を楽しめる飽きさせない内容で、ブラームスの第2協奏曲(変ロ長調)に通じるものがありますね。第2楽章の、ピアノとオケがぴったりと寄り添って奏される歌心には、苦難を乗り越えて結ばれたカップルの愛のデュエットのような熱いものがあり、主題の美しさも相まって感動的で、この曲がマイナーなのが不思議に思えますね。ちなみに第1楽章カデンツァは、HYPERION盤と同じロングバージョンを使っています。ラフマニノフの第4番については、ティボーデ独奏、アシュケナージ&クリーヴランドによる盤(DECCA→ユニバーサル)の少々威圧的な音が苦手でしたが、当盤はより落ち着いた印象。第2楽章の淡白な内容は原典版でも相変わらずでいただけないものの、私も“ロマン派さん”と同じく、終楽章の充実した書法とそれを表現した好演には爽快感を覚えました。

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     2011/05/22

    曲数が多く、タグもいろいろつけられているように、BGMとして流すにはまずまずの内容。ただ、レーベル側が「ピアノは伴奏に過ぎない」と考えたのか、マイクとの距離が、チェロが近いのに対してピアノが露骨に遠いのに違和感を覚えました。ギャニュパンの演奏も、ダイナミックレンジが狭くてメリハリに乏しく、少々漫然とした印象で、競合盤のポルテラと比べると、同じ曲をやっているとは思えないくらい差があります。

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     2011/05/22

    第1番の第3楽章で、ネルソンスがオケを目一杯鳴らしているのに感心しました。競合盤でセルゲイ・ハチャトリャンと共演したマズアも、これくらいやってほしかったと思います。ただ、ソリストの指が回らないせいなのか、2曲とも終楽章のテンポが遅く、聴いていていまいち高揚感が得られないのが残念。第1番のカデンツァも、私が愛聴しているムローヴァと比べると、ダイナミックレンジが狭いなどあまり余裕がなく、その悪い流れを引きずったせいか、オケもギアを一段落として終楽章に入ってしまっており、少々ちぐはぐな印象です。それでも、S.ハチャトリャンよりも暗めの音色は曲に合っていると思うので、星4つ。

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     2011/05/01

    発売されてだいぶ経っていますが、ある程度聴き込んだので、レビューを書くことにしました。
    人名事典には、「チャイコフスキーやラフマニノフの路線を踏襲した保守的な作風」などと書かれていますが、何曲も聴いてみると、この2人がサウナなら、ミャスコフスキーは、腰湯にじっくり浸かっていて後からじわじわ温まってくるような感じで、結構違うように思えてくるし、それさえもほんの一面に過ぎないという気がしてきました。未聴ですが、弦楽四重奏などはまた少々趣が違うのでしょう。小品に、何気ない日常の1コマを切り取ったかのような気負い・衒いのない佳作が多く、特段奇抜なことをやっていなくても琴線に触れる表現ができるところが、この作曲家の持ち味の1つだと思います。
    初期作品は、ラフマニノフを思わせる第1交響曲の第2楽章などを除き、やたらと不協和音を散らして不気味さを強調するようなものが目立ちます。文学者たちと交流があったらしいので、勝手な憶測ながら、悪魔的な象徴主義の音化を目指していたのかもしれませんが、交響詩「沈黙」はまだいいものの、「アラスター」や第6交響曲の第3楽章は、冗長なので聴き通すのがつらい(後者は素人臭い)です。ただ、最も長い第6交響曲は、父親を革命家に射殺され、友人と、母親代わりだった叔母も続けて亡くした悲しみを克服しようという気力と、革命直後の不安定な社会情勢を反映したような、かなりの意欲作であることは伝わってきます。プーシキンの叙事詩「青銅の騎士」の挿絵に着想を得た第10交響曲は、題材が同じグリエールのバレエとは違い、ホラー性だけが強調され、原詩で詠まれている自然の雄大さなどは反映されておらず、評判も悪いようですが、ネヴァ川の洪水で恋人を亡くした主人公が、ピョートル大帝の銅像を呪ったため、動き出した銅像に追い回された末に自分も溺死してしまうという筋書きがよくわかる内容。中途半端に不気味な第7〜第9交響曲と違って、作曲者の意図が明確であり、ホラー音楽というか、交響詩のつもりで割り切って聴いています。親友のプロコフィエフが、ストコフスキー&フィラデルフィア管弦楽団による米国初演を実現させており、作曲時期が重なる彼の第3交響曲(ミャスコフスキーに献呈)に近い路線と思われます。
    中期の作品については、Dewurichさんと同意見。無調志向の第13番は別として、第12番の両端楽章と、第14番から第20番までが、特に変幻自在な印象です。第15番の巧妙さ、第16番の2つの緩徐楽章、第17番と第18番の各緩徐楽章の壮大さが見事。第20番も、緩徐楽章はコマーシャルで使われてもおかしくない明快・雄大な内容で、終楽章の最後の盛り上がりも聴き応えがあります。対照的に、吹奏楽のみの第19番は軽妙で、気楽に聴けます。なお、第17番はショスタコの第5番と同じ1937年の作で、制裁を受けることも覚悟の上だったのか、終楽章は恐怖政治をあからさまに連想させる“際どい”内容で、暴力的・悲劇的な結末に衝撃を受けると同時に、勇気ある決断をしたものだと驚かされました。おそらく、こみ上げてくる感情を抑え切れなかったのでしょう。第21番も悲劇的で、少し思わせぶりが過ぎる気もしますが、人生の絶頂を迎えた矢先に処刑され、死後の安息を得られずに森の中をさまよい続ける亡霊が、在りし日を回想しているような印象を受けました。
    後期作品は、冗長な第22番と少々素人臭い第23番は当局に迎合した感がありますが、第24番の緩徐楽章は、正にロシアの大地が悲しみに覆われていくかのような内容で、胸を打たれます。ショスタコは、自らの交響曲群を「墓標」と述べたようですが、これも立派な墓標ではないでしょうか。ただ、両端楽章は、いかにも戦時下の作品という感じがするものの、初期作品のマンネリ化した暗鬱さも彷彿とさせます。むしろ、大戦後に完成された第25番のほうが、中期の作品と同じように充実していて、深みがあります。第26番は、死期を悟り、最後の交響曲になってもいいつもりで書いたのか、あの世への旅路の途中で人生を振り返り、「いろいろあったけれど、自分はやはりこの国に生まれてよかった」と感慨に浸っているような内容。小品にも通じる素朴さが印象的です。第3楽章冒頭は、チェロ・ソナタ第2番の第2楽章冒頭主題と同じようです。第27番は、第2楽章の圧倒されるような深遠さは、内戦〜テロル〜独ソ戦の犠牲者たちの魂が大地に溶け込んで調和していくかのようで(些かスクリャービン的な言い回しですが)、ミャスコフスキーの作品中、最もロシア的で美しいものかもしれませんね。また、第26番で一度気持ちを整理していると考えると、ジダーノフ批判後ということもあり、ポリャンスキー&ロシア国立響(CHANDOS)の解説などに、「終楽章で赤軍マーチが唐突に出現するのは、ショスタコと同じ2枚舌であり、独裁体制への怒りと抵抗のささやかな表明を、確信犯的に行ったものだろう」という指摘があるのもうなずけますが、この楽章ではあまり気にならず、むしろ、26番などそれ以前の作品のほうが、唐突な展開が見られるという印象を受けます。当てつけではなく、末期がんで余命少ない作曲家の、「祖国の人々に幸あれ!」という素直な気持ちの表れのように感じられますね。ロシア語学者の高橋健一郎氏が、「スターリン時代の作品もモーツァルトなどと同じように、時代背景をあまり意識せずに、イデオロギーなどの文脈から離れて純粋に楽しめればいいのだが…」といったことを述べられていますが、第27番の第2楽章などは正に、ミャスコフスキーのことを知らない人が聴いても感動できる傑作だと思います。
    こうして見ると、後期作品には確かに俗っぽさもありますが、第2次大戦からジダーノフ批判に至る、必ずしも自分の思い通りの曲を作れるわけではなかった状況を考慮すると、彼もやはり、社会主義リアリズムの要求に応じつつ、体制への批判や自身の体験を盛り込もうと苦闘し、人々と苦楽を分かち合うことを切に望んだ作曲家だったと想像されます。作品における表現姿勢と、日記などに見られるショスタコ作品などへの詳細な批評を合わせて考えると、ひょっとすると、ユーモアに富んでいたが、自分を出し過ぎて周囲を戸惑わせないよう、あえて控えめに振舞うような、「隠れ毒舌キャラ」に近かったのかもしれませんね。ステンカ・ラージンが題材で破滅的に終わる第8番や、第14番のどこへ進んでいくかわからない不気味さは、作曲者自身も含めて、自分の立ち位置を見失いそうになりながらも過酷な激動の時代を懸命に生き抜こうとした人々の生き様の縮図ともいえそうです。
    最後に、演奏に関しては、良くも悪くもスヴェトラという印象。曲によっては少々雑になる部分もあり、これがバルシャイあたりなら・・・という不満はありますが、隠れた名曲に光を当て、一生付き合えそうな価値ある曲集を出してくれたことを心から感謝いたします。

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     2011/04/13

    遊悠音詩人さんのコメントに賛同。確かに最強奏で少々音割れはありますが、1968年の録音とは思えない高音質です。演奏も、ゲヴァントハウスと思しきホールの残響が長めであるにもかかわらず、これだけ速いテンポで押していけるのはさすがで、まさにライブ以上にライブ的ですね。ただ、一番驚いたのは、モルダウにおける透明感と緻密さ。下手な指揮者や楽団だと、高音が低音をかき消し、金管と打楽器が弦と木管をかき消すという表面的な演奏になりがちかと思いますが、ノイマンは手兵のオケを見事にコントロールしており、中低音域の響きも美しく、室内楽を大迫力のサウンドで聴いているかのようです。ちょっとした川の濁りや吹き抜ける風、陽光を受けて光り輝く清冽な水面、夜霧など、高画質の大画面を見ているかのようでもあり、聖ヨハネの急流の場面は、岩に当たって流れを変える水の激しいしぶき、舟人の恐怖感や、そこで亡くなった人の呻き声まで聞こえるかのようにリアルで、母なる大河とそこに生きる人々の喜びや悲しみが凝縮された名演だと思います。そして、最後はターボルでの静と動の鮮やかな対比から、ブラニークでの凄烈な盛り上がりへ…。チェコ・フィル盤は持っていませんが、安さもあってこれだけで大満足の1枚です。

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     2011/04/13

    シマノフスキに関しては、ひょっとすると、もうこれ以上の名盤は出ないのでは?EMI盤では、ツェートマイヤーが、けれん味が強すぎたり、高音域が突出気味のラトル&バーミンガム市響とのバランスが悪かったりしますが、当盤のツィマーマンは、シューマンの協奏曲(EMI)のレビューで指摘されているような神経質さはなく、直球勝負をしていますし、何より、自国の作曲家への思い入れもあってか、ヴィト&ワルシャワ・フィルの妙技が光ります。加えて、装飾的に変化する音の綾が鮮明で、ホール・トーンも美しい、思わずひれ伏してしまいそうになるくらいの超優秀録音で、聴くたびに発見があるというご意見に納得。第2番は、音楽アカデミーをやむなく辞して貧窮していたシマノフスキと、彼に作曲を依頼し、カデンツァの改訂や初演時の独奏を行ったコハニスキが、当時ともに結核に冒されていたらしく、初演の3か月後にコハニスキは死去し、未亡人は作曲者を「夫を殺した!」と責めたそうであり、まさに必死の思いで創作に打ち込んだであろう両者が、当盤の完成度の高さを知って、泉下でさぞ感激しているだろうと想像されます。一方ブリテンは、若書きの作品のせいもあってか、所々展開が単調で、ヴァイオリン独奏に高音が多いことが、シマノフスキでは気にならないのにこちらでは気になってしまうなど、曲自体あまり好きではないので、個人的には、録音の少ない同じ1939年作のヒンデミットの協奏曲(NHKFMでツィマーマンを知るきっかけとなった)あたりをやってほしかったですね。

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     2011/04/12

    「オルガンつき」は、軽快だが細部が粗雑なデュトワ&モントリオール響、重過ぎて凭れるミュンシュ&ボストン響に落胆していましたが、この盤は、第2楽章第2部のテンポがやや遅めなものの(最後は加速)、ライブとは思えないほどバランスよく仕上がっています。SACD用の装置は持っていませんが、CD層はホールの残響が短く感じられ、音の分離が良く、作曲者が「すべてをつぎ込んだ」と言うほどの手の込んだ楽器法を十分に堪能できます。プーランクも、初期のドタバタした作品に比べて、後年のこのような“まじめな”作品は苦手だったのですが、プレートル&パリ音楽院や上記デュトワ盤に比べてオルガンが突出せず、弦楽とのバランスが取れているので聴きやすいです。バーバーは、1つの基本主題に基づいて展開される曲で、初めて聴きましたがわかりやすい内容。どの曲も、ファーストチョイスとして最適かと思います。会場で直接聴けた人たちが何とうらやましいこと!

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     2011/04/12

    DENON CRESTのメトネル・シリーズ第1弾のようにマイクが近過ぎることもなく、良好な録音。ただ、録音やホールより、奏者のペダリングの影響と思われますが、「6つのおとぎ話」の第5曲プレストでは、残響が長いため、音の分離が悪く聞こえるのが少々惜しいです。ソナタに関しても、ユーチューブにあるベレゾフスキーの演奏のほうが、個々の音が良く聞こえ、情報量が多く感じられるので好きです。ただ、テンポや強弱のこれだけの変化は、一部の男性奏者の演奏では味わえないだろうし、ミルンの場合と違って、後半(第2部)を一本調子で駆け抜けてしまうこともない(アムランは未聴)のは見事!ベレゾフスキーの「夜の風」が、南部の乾燥地の砂嵐に近いとするなら、メジューエワは吹雪や雨混じりの夜風に近いと言えるかも。また、ソナタの楽譜冒頭に掲げられたチュッチェフの詩も載せられているなど、解説書の内容が充実していながら、それが長過ぎないのもありがたいです。

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