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マーラー(1860-1911)

SHM-CD 交響曲第6番『悲劇的』 アバド&ベルリン・フィル

交響曲第6番『悲劇的』 アバド&ベルリン・フィル

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  • ★★★★★ 

    そうだアバドを聴こう!  |  ルツェルン  |  不明  |  2008年01月17日

    人の意見もいろいろだが、丁寧な仕事をただの好き嫌いで切り捨てられたらアバドもたまらないだろう。そもそもマーラーは微細なものを表現する目的で巨大オケを使用したのだ。自分の気に入った表現でなければ、演奏そのものと関係ない物語を操り、無機質?冷静すぎる?どこがいけないのだろうか?本末転倒ではないのか?フルトヴェンは「書かれた楽譜の裏にあるもの」を表現すると標榜し、マーラーの交響曲を振ってない。持ち出すこと自体変だ。きちんとした演奏論で意見を述べてほしい。それでアバドが理解できるとは思えませんね。

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  • ★★★★★ 

    Edgar  |  東京都  |  不明  |  2005年12月28日

     何でもスコア通りなら良いのだろうか?(テンシュテットのマーラーにしても全てスコア通りでないのは事実でしょう。)  この演奏は、実にアバドらしいマーラーであり、素晴らしい演奏です。  中高年世代にはアバドを評価しない人々(アンチ・アバド)が多いと言われますが、ここのレビューを見ていると最近はそういう傾向もなくなってきたのかなと感じられ、私としては嬉しい限りです。 自分が読み込んだスコアの解釈と違う演奏を受け付けないような器の小さい方のレビューは無視すべきでしょう。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゆーさん  |  埼玉某所  |  不明  |  2007年10月06日

    《悲劇的》というタイトルがスコアにあろうがなかろうが、この曲のテーマが悲劇そのものであることは誰の目にも明らかである。マーラーの交響曲と言えば、19世紀末の混沌の生き写しのような複雑難解さをもって知られる。何しろ、当時の心理学界をリードするフロイトが興味を抱く程の異常心理を持っているのだ。また、若き日に経験した身内の相次ぐ死の恐怖から、一生逃れられなかったことでも知られる。この交響曲が作曲された頃、マーラーはアルマとの間に子供を授かっていたが、そうした幸福の影に死への恐れがあったのは言うまでもない。従って、この曲は彼の心情吐露と言えるのである。だからこそ、荒れ狂う程の情念が渦巻くくらいの演奏でなくてはならないはずである。しかしここに聴くアバドの演奏は余りに馬鹿丁寧で、冷静過ぎる。かつてインバルでこの演奏を聴いた時、余りの無神経さ、他人行儀な有様に嫌気がさしたが、アバドもそれに迫る無機質ぶりだ。おおよそオケの技だけで勝負している。精緻なのはいいが、もっと感情の切り込みがあっても良いはずだ。また、演奏順序やらスコアの違いやらが問題視されているようだが、肝心なのは「それで何を伝えるのか」に尽きる。「音楽の中にある最上のものは、音符の中からは見つからないよ」とは、マーラーその人の発言である。またフルトヴェングラーは「書かれた楽譜の裏にあるもの」を表現することこそ、演奏の本質であるとしている。理論理屈や技巧を越えた、真の音楽を聴きたいものだ。

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  • ★★★★★ 

    綾子  |  横須賀市  |  不明  |  2005年07月04日

    アバドは作品構成の構造に目を向け、その構造自体の有する表現力を浮き上がらせ、作品全体の構造を明晰に、効果的に集中的に現前させることに力点をおき、すでに充分すぎるほどに表現的な作品においては、むしろ形態の美と秩序が重要である、と主張しているように感じました。アバドの作り出す音楽が自然で新鮮な旋律の美に溢れていることは、1楽章の冒頭から直ちに聞き取れました。音そのものの純粋な迫力、両端楽章の行進曲のリズムの現代性は稀有です。アバドが現代音楽の視点からモダーンな作曲家としての、マーラーがいかに卓越した音楽家であるかを示してくれました。

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  • ★★★★★ 

    51さい  |  北海道  |  不明  |  2011年10月13日

    ジャケットがかっこいい。マーラーは曲が長いのに一枚で収まっているのがいい。途中でCDを変えなくててよいのでBGM的に聞けます。全部集中して聞くのは大変です。流して聞いてると所々にとってもきれいなメロディーや迫力ある場面にでくわします。へんてこりんな場面もあります。で、だんだんマーラーが好きになります。第2楽章(アンダンテ)をリピートして聞くのが好きです。このCDはダイナミックレンジが広いので小さい音にボリュームを合わせておくと盛り上がった時に大音響になってしまいます。でも小さい音の場面にくっきりと珍しい楽器の音が聞き取れるのでおもしろいです。机の両端にスピーカーをおいて内ぶりにするニアフィールドで聞くと低いボリュームでもOKです。ハンマーが近づいてきたら椅子を後ろに下げましょう。演奏は素晴らしいです。リスニングルームでおっきなスピーカーで聞いてみたいです。

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  • ★☆☆☆☆ 

    おむちゃん  |  京都府  |  不明  |  2011年06月21日

    学生時代の6番の愛聴盤はアバド/CSOでした。セルも持っていたのに音質が悪いと言う理由であまり聴きませんでした。あの頃はオーディオ的カタルシスに興味があったのでしょう。あれから30年、私も本当の苦悩を味わいました。でもアバドは変わっていなかったようです。彼はエンターテイナーだったようです。ブーレーズのレビューでは反論もした「ゆーさん」さんのおっしゃる通り表題があろうがなかろうがこの曲は悲劇をテーマとしているのは明らかです。ベートーヴェンの「苦悩から歓喜へ」の痛烈なアンチテーゼでしょう。自作の第5番までのアンチテーゼかもしれません。「楽章の入替え」は音楽上の極めて重要な事柄であるのだから「金子健志的な聞き手」さんの意見にはアバドに限らず首肯しかねます。また「数年後が楽しみ」さんのおっしゃる「楽章を入れ替えても影響がないよう、各楽章を組曲状に処理して関連を持たせてある」というのも交響曲はひとつの有機体なのだから意味が変わってしまいます。そんなことを言えば1楽章と終楽章を入替えても対応できることになってしまいますよ。マーラー協会が言うことに追従することが「音楽」になるでしょうか?私には「文献学」でしかないように思えます。

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  • ★★★★★ 

    ベスト!  |  三重県  |  不明  |  2005年06月29日

    アバドの演奏は、どの演奏も聞き手を虜にしますが、この演奏もそうです。第1楽章と第4楽章が力強いのは音そのものの純粋な迫力なのです。特に終楽章のハンマー、ハープの力強いグリッサンド、他の演奏には無く、アバド独特のものです。特に終楽章のハンマーの力強さをはじめ管楽器・弦楽器のアンザンブルが実に流麗であることに感銘を受けました。文献、スコアを読みながら聞いていますが、私はこの演奏は数々の演奏の中でもベストだと思います。

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  • ★★★★★ 

    Abbadian  |  東京都  |  不明  |  2011年04月30日

     こんなことは書きたくないのだが・・・・この演奏の本質的な凄さは,フィルハーモニーで生を聴いた者以外には分からないかもしれない。何と言ってもDGの録音が,この演奏の具現している異様なまでの真実・迫力を十分伝えてはいないからだ。特に,ホール全体を満たした充実し切った音楽とその空気感―例えば,冒頭のCbの,人間の存在を押し潰すかのような強烈な弓圧,アルマの主題を奏する,徳永氏率いるVnパートの溢れるような歌(これらは皆,ラトルによってBPOから完全に失われた),椅子から転げ落ちそうになった,Hrnの強烈としか言いようのない吹奏,また第3楽章(第2,第3楽章の順序については意見もあろうが)の,正に室内楽的な透明かつ遠近感の見事な演奏,そして最後にやってくるカタストロフィー―これらが皆,一回りも二回りも小さくなり,ホールが震えるような音圧を伴って聞えてこないことが残念である。しかし,音場の再現力に優れた装置で聴けば,かなりの部分それは補えると思われる。少なくとも私の,最高級とは言えない装置でも,あの日のフィルハーモニーの空気を思い出すことはできた。この音盤に記録されている情報だけでは分かり辛いが,バーンスタインやテンシュテットとは異なった方法でアプローチされた,虚仮脅しでない,間違いなく最高度に音楽的な「悲劇的」である。

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  • ★☆☆☆☆ 

    時代の殉教者  |  不明  |  2008年05月06日

    あらゆる《悲劇的》のCDのうちでも、最も“悲劇的”な一枚だろう。なぜなら、天下のベルリン・フィルが、この程度の演奏しか出来なくなってしまったのだから。終楽章に振り落とされる二度のハンマーは、このオケの因縁―カラヤンの独裁政治とアバドの破壊行為―を象徴しているようだ。

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  • ★★★★★ 

    あにすと  |  東京都  |  不明  |  2007年07月05日

    いろいろな考え方や感じ方もあると思うが、聴衆に新しいものを提供しようとするアバドの姿勢は評価できる。最近の指揮者は若い時代に作った解釈をいつまでたっても金太郎飴のように使い回す官僚的サラリーマン音楽家が増えている状況で、少しでも更新しようとする取り組みは好感が持てる。

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  • ★★★★★ 

    Edmond  |  Chiba  |  不明  |  2005年11月19日

    これまでに聞いた6番の中でも極めて内容の濃い演奏だと思う。オーケストラの音もきわめて透明で,マーラーがこの曲のオーケストラの響きにとてもこだわったことが納得いく内容になっている。とにかく,いろいろな発見がある演奏である。

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  • ★★★★★ 

    ニンニン  |  三重県伊勢市  |  不明  |  2005年06月30日

    この曲は、当時のマーラーが初演した際もあまりいい指揮ではなかったと言われ、それほど演奏が難しいのです。第1,4楽章の客観的で、容赦のないリズムの力強さ、ハープの力強いグリッサンド、ハンマーの音色、流麗なアンサンブル、特に終楽章の第3の展開部の大規模なアンサンブルのまとめかた、アバドの長年の経験と美学でこのような演奏になったのだと思います。演奏は、その指揮者の解釈です。ここのレビューは自分たちの主観を押し付けていませんか?それぞれの感想・意見を尊重してほしいです。私は文献、スコア(初版、改訂版)を読みながら視聴しましたが・・・。

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  • ★★★★★ 

    もんすたー  |  東京都  |  不明  |  2005年06月17日

    極めてレベルの高い6番です。これこそ本物、最高のオーケストラ、最高の演奏です。迫力、硬軟、陰陽のバランスが高いレベルできっちりと取れていて、粗探しは無駄に終わります。アバドは、ルツェルンとの2番も素晴らしかったけど、このところ人が変わったよう。録音は、個人的には同じライブでもMTT/サンフランシスコ響に軍配を上げますが、ライブそのままが収められている感じです。それにしても、「悲劇的」なんていう御人もいますが、どこに書いてあるの?? 作文はやめましょう。 ヨーロッパでは妙な副題を付けないが普通です。

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  • ★★★★★ 

    ハンス  |  世田谷  |  不明  |  2006年12月14日

    発売当初、期待に胸を膨らませて買い、聴いてガッカリした。2、3度聴いただけでそのまま一年ほったらかしにしていた。中古屋へ売る前に確認のためにと何の気なしに聴いてみた。素晴らしかった。美しかった。「悲劇的」は「悲劇的な演奏でなければならない」とする私自身の頑迷さを恥じた。湖畔で一羽の白鳥が密かに落命する、そのような「悲劇的」でも、よいと思った。

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  • ★★★★★ 

    絵美子  |  京都  |  不明  |  2005年07月04日

    聴きました。感想は私なんかが書いてもいいのかな。感想書いたら突然銃殺されたりシベリア送りにされたりしないかな(~_~;)って気もします。でも書いちゃおーっと。「私はこの演奏好きだよ。」

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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