与世山澄子インタビューB
Monday, August 4th 2008
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沖縄"インタリュード"より、与世山澄子。 |
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与世山澄子 インタビュー
与世山 沖縄は、アメリカの支配下にありましたでしょ。だから、私たちが育った子供の頃は、国際通りでも半分以上は外人でしたからね。その後、本土復帰して、円とドルが入れ替わり、ドルで仕事ができなくなったんですよ。あまりにも差がついちゃってね。1ドル=360円が120円になって、どんどん下がっていって。それじゃあ、生活ができませんからね。結局は、自分の店を持つなど、そういった人たちが増えたんですね。 復帰前まではパスポートが必要な時代ですから、面倒くさいんですよ。こっち行ったり来たりで。一応やってはいたんですけど、そんなにしょっちゅう本土に来れたわけではなくて。復帰後たまたま東京に来て、先輩のジャズ歌手の方々と以前から交流があったものですから、彼女の紹介で六本木あたりのライヴハウス、「Valentine」とか「Body And Soul」とかにちょこっと顔を出したんですよ。そこに、たまたまテイチクのプロデューサーが来てて、レコーディングどうですか?って。即答はしなかったんですけど。その時に、昨日も一緒だったんですけど、山本剛さんのグループとファースト・アルバムを作ったの。峰(厚介)さんも昨日一緒だったわ。で、その後にマル・ウォルドロンとの話が決まって、『With Mal』、さらに『Duo』を吹き込んで。 ああいった偉大な人たちとモノ作ったら、もうその後、作る気もなくなっちゃって(笑)。それに、CDは誰でもおうちで作れるような時代ですから。別にコレといった動きもしてなかったんですけど、たまたまTuff Beatsからレコーディングをということになっちゃって(笑)。「こっち来てくれるんだったら、いいわ」ってOKしたの(2005年リリースのアルバム『インタリュード』)が、フィーバーになっちゃったのね(笑)。 それで、たまたま「情熱大陸」とか映画(『恋しくて』、『サウスバウンド』)やら出ているうちに、一人歩きしちゃって(笑)。一昨日も、その映画の中で歌った曲をステージでやると、「ワァー」ってなって。不思議な世界ね(笑)。メディアの力が、いかにスゴイかというのを実感致しております(笑)。 --- 映画では、どのような役回りでご出演されていたのでしょうか? 与世山 森田(芳光)監督の「サウスバウンド」では、過疎の町の、生徒4名ぐらいしかいない小学校の女校長(笑)。『恋しくて』は、若い人がかなり観てくれてますね。 --- 元々、与世山さんがジャズ・シンガーを志すようになったきっかけというのは? 与世山 小学校の頃から、何かの度に、学級会や学芸会で歌を歌わされたりしてて。そういう風に、先生方が引っ張り出してくれるうちに、いつの間にか歌を歌うことになったのね。 --- では、最初からジャズを歌っていたというわけではなかったんですね? 与世山 いえいえ、とんでもないです。ジャズなんて歌ったのは、むしろ本土復帰後だと思います。それまでは、ポピュラー・ソングとかね。要するに、サービス・ステージが、あの頃はフル・バンドの時代でしたからね。各舞台に4つか、5つバンドがあって、本土のミュージシャンもフィリピンのミュージシャンもみんな出稼ぎに来ていた時代があったんですよ。その頃に、憧れて出入りしているうちに、いつの間にかそういう世界に入ってしまいました。 本格的にジャズを歌い出したのは、お店をはじめて、自分でじっくり選択ができる時間のゆとりが出てきた頃からですね。それまでは、仕事に追われて、クラブ行って、歌って、帰ってきてっていうのが、十何年も続いていたから。高校1年の時から30前まで、米軍のクラブで歌う仕事をしていましたからね。 本土復帰で、そういった仕事はなくなって、本当に困ったんですよ、ミュージシャンたちはね。音楽をやっている人は、反対運動なんかできませんでしょ?(笑)自分で生きていく道を探すしかありませんからね。だから、ちょっとした店を持っただけなんです。 --- 72年に開店した「インタリュード」は、もともと住まれていたところに増築した感じなのでしょうか? 与世山 いえいえ。そこに父がビルを建てたんですよ。そのタイミングで、「このまま米軍基地で仕事をしてたって、生活できないから。じゃあ、もう自分でお店をやってみよう」ってことでスタートしたんですよね。
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与世山澄子
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1940年、八重山小浜島に生まれる。16歳でデビューし、1957年、ボブ・ホープとレス・ブラウン楽団と共演。1972年の本土復帰まで米軍基地のクラブでフル・オーケストラをバックに活躍する。復帰の年にジャズ・スポット「インタリュード」をオープン。お店での演奏の傍ら、本土公演も増えジャズ評論家や著名人から賞賛される。1983年、待望のファーストアルバム「イントロデュージング」が発売され地元沖縄以上に本土で熱い注目を集めた。1984年、世界的ジャズ・ピアニスト、マル・ウォルドロンとの共作『ウィズ・マル』を、1985年には3rdアルバム『Duo』を発表。そして、2005年8月に20年ぶりの新作『インタリュード』をリリース。2006年3月のTBS系『情熱大陸』に出演したこともあって、再び彼女の歌声に注目が集まるようになった。2007年には中江裕司監督の映画『恋しくて』に出演。同年、森田芳光監督の映画『サウスバウンズ』にも出演し、映画界でもその個性を発揮し活動の場を拡げた。現在も、沖縄はもとより全国でのライブ公演を中心に精力的に活躍中。今なお進化し続ける、日本屈指の実力派ジャズ・ヴォーカリスト。
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