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2006年10月13日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第63回

「フェドセーエフでスッキリ」

 クルマを定期点検に出したら、営業マンが代わりにSMARTの4人乗りを置いていった。例の時計のスウォッチとメルセデス・ベンツがいっしょに作っているやつである。
 内装はオレンジ色で、外側もポップと言えば聞こえがいいが、言葉を換えれば、頭が悪そうとも言える。
 薄っぺらなドアを開けて乗り込んでみて、あまりの安っぽさに驚いた。まるでおもちゃだ。シートなど、ひっかくとはがれそう。
 案の定、走らせてみるとむやみとエンジン音はうるさいし(しかも音質はガサガサ)、変速のたびに体がつんのめるようなショックがあるし、いやはや、これが21世紀のクルマかと呆れた。トヨタが高く評価されるのも無理はないと思った。拙著『オレのクラシック』ではトヨタ車についてケチョンケチョンに書いたが、トヨタの一番安い車のほうがよほど立派な工業製品であることは、論をまたない。
 しかし、だ。最初の10分程度こそ、「なんじゃこりゃあ、本当にベンツが協力しているのか???」とびっくりしながら運転したのだが、体が慣れるとともに不思議と楽しくなってきた。自転車のような開放感と言おうか、ジョギングのような運動感覚と言おうか。自動車という複雑な機械を作動させているのではなく、自分の体の延長でものごとが進行しているように感じられてくるのだ。こうなると、ギアの変速ショックすら、車が動物みたいに力む愛嬌のように思えてくる。確かに決して性能が高いわけではない。いや、ハッキリ言って低い。だが、低いがゆえに、人間がクルマに乗せられるのではなく、クルマと遊んでいる気がしてくる。私は犬を飼っていないのでよくわからないけれど、犬の散歩とはこういう気分なのかなと考えた。
 こういう経験をするたびに、ヨーロッパ恐るべしと思う。つまり、だ。この自動車を作った人たちが、どういう車がまともなのか、知らないはずがないのである。そして、トヨタだの日産だのフォルクスワーゲンだのルノーだのという、同程度かそれ以下の値段で買える車のできばえを知らないはずがないのである。そんなことはとくと知ったうえで、全然違う味わいの、それこそ自転車のような車を作った。万人に受けないのは端からわかっている。しかし、間違いなく特定の人にアピールする個性がある。こういう個性こそ、数値化されないものであり、日本のメーカーが苦手とするところだ。
 しかもだ。なんと信じられないことに、このクルマは、「まじめ」を売り物にした三菱のコルトという車種と基本的な部品を共用しているのである。基礎に同じ部品を持ちながらも、めざしたものは正反対ということだ。
 これに乗っていたら、人生の一瞬一瞬がキラキラ光りそうな気がする。少しばかりむりやりカーブを曲がって、キーッとタイヤが鳴るだけで、ささやかな幸福感を味わえる。もし私が広大な駐車スペースを持ち、車をポンポン買える財力があったとしたら、スーパーとかプールとかに行くために、つまり近所を気軽に走り回るためだけに、この1台を買うかもしれない。ちょうど、かっこいいスニーカーを見つけて衝動買いするように。

 と、こんな長い前置きを書いたのは、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響のCDを2枚ばかり聴いたからだ。ちょうど彼らの演奏は、日本人が一般的に正しい、好ましいとしがちな、神経質なまでに細かくて、つるつるしたものではない。もっとおおらかで、包み込むような大きさがある。欠点をなくそうという緊張がなくて、息が詰まらない。のびのびとリラックスしている。そういうところがSMARTの楽しさと同じだなあと思ったのだ。
 谷崎潤一郎は確か羊羹を日本的美の典型と言っていたと思うが、ああいうシンプルできめが細かい美しさを、たとえばN響にしたって、サイトウ・キネンにしたって、諏訪内晶子だって、鈴木雅明だって、多くのピアニストたちだって、やろうとしている。どこまでも均一な、極度に滑らかで、無表情な、そして退屈きわまりない美しさを。
 けれど、夾雑物は許すまじといった強迫観念は、大いにストレスになる。別に音楽に限らない。会社はどこでもそうだろうし、私が努めている学校でだって、暗黙のうちに人々が期待しているのは同じことだ。丁寧で細かくてミスがない仕事。突出しないで無難な判断。まじめな人間なら鬱病になるかもしれない。私は幸いズボラで、「そんなこと、オレにやれるかよ」と開き直っているのでまだしもだが、それでもストレスを感じることがある。
 最近もそんなことがあったので、フェドセーエフの2枚を聴いて大いにスッキリした。チャイコフスキー集、リムスキー集、どちらも推奨に足る魅力的なCDである。この指揮者は実力からして不思議なほど録音に恵まれていない。どちらも彼の芸風を鮮やかに伝える貴重な盤ということになる。
 「イタリア奇想曲」の出だしのファンファーレからして、楽しそうである。続く弦楽器は思い切り濃厚。以後も屈託なく陽気な音楽が続く。
 「弦楽セレナーデ」は、思う存分歌った甘美な演奏だ。深く深呼吸するような冒頭からして大いに結構。やはりこうでなくては。直線的なバシュメットあたりとは正反対で、肉感的だ。第3楽章ではぬくもりのある響き、やさしくささやくような抑揚、次々とあふれるような歌、劇的な起伏がすばらしい。チャイコフスキーを、ロシア音楽を、ロシアのオーケストラを聴く喜びを満喫させてくれる。実は私はこの曲が大好きで、すごい演奏に出会いたくて仕方がないのだが、いまだ完全に満足したためしがない。このフェドセーエフは現時点でもっとも好感が持てる演奏のひとつと言える。
 「1812年」は、もちちろん派手な鳴りっぷりを示すが、野蛮一辺倒ではなく、弦楽器のこってりとした節回しが印象的。

 「シェエラザード」は全然神経質じゃない。音楽が当たり前に起伏する。当たり前にリズムが飛び跳ねて、音楽が生き生きする。第3楽章ではたっぷりした弦楽器の響きがノスタルジーをかきたて、クライマックスでは蜜のように滴る。ライヴ録音だが、東京で聴いた生より、よほど上出来だ。ことさらかまえているわけではない。しかし、おなかがすいて近所のとんかつ屋に入ったら、さくっとしたとんかつと、おいしく炊けたごはんと、みずみずしいキャベツが出てきた、そういう幸福感が間違いなくある。ああいっぱい食べたという満足感に充たされる。
 「スペイン奇想曲」はマゼールも裸足で逃げ出すやりたい放題演奏で痛快。ドンジャカ、ズンジャカとにぎにぎしく開始され、独奏楽器はクラリネットもヴァイオリンも、辻音楽師みたいなノリに大変身。テンポも大きな振幅を取り、ゆさぶりをかける。最初から最後まで漂ういかがわしさが何とも愉快で、あちこちでニヤニヤさせてくれる。こうした曲をやると、フェドセーエフは圧倒的にうまい。彼が演奏会でやるアンコールが好きな人にはたまらないはずだ。
 「サルタン王の物語」からの抜粋は、これぞロシアのオーケストラという力業が聴ける。弦楽器が分厚い音でギュルギュルやっているかと思うと、突如ロマンティックな夜の風景が出現。

 職場でのストレスに悩むあなた。鬱病になる前にフェドセーエフの表情豊かな音楽を聴きなさい。ほっと息が抜けます。こういう生き方を知らない、できない上司を余裕で笑えるようになります。

きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 



⇒評論家エッセイ情報 
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