呪いの「浄夜」

2021年04月10日 (土) 08:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第287回


 クラシック史上もっともおぞましい曲は何か? 忌まわしい曲は何か? いろいろな意見はあろうが、シェーンベルクの「浄夜」は候補の最右翼ではなかろうか。すぐれた演奏で聴くほどに不気味だし、ぞっとするような嫌な気持ちがしてくる。もちろん、悲しみや孤独を表現したであろう曲はいくらでもある。それはそれでぞっとする。が、「浄夜」がかもしだす嫌な感じ、足先から冷気が伝わってくるような感じはまったくほかに例がないのではないか。
長年ホリガーの盤が圧倒的だと思っていたが、最近イザベル・ファウストの演奏を聴いて、上には上があるというか、これこそは今のところ最高に、というか、最悪に、気分を悪くしてくれるものと確信した。ファウストの盤はここでも取り上げることが多いのでいまさらとも思ったが、演奏のすごさが躊躇を許さないのだ。
 ファウストの演奏は、録音でもナマでもずいぶん聴いた。演奏のユニークさと密度にはたびたび感服した。が、この「浄夜」ほど彼女の演奏スタイルと作品が合致したように思われるものはないかもしれない。そしてそれ以外の共演者たちも献身的、くんずほぐれつの大熱演。弦楽器が悲痛な叫び声をあげている。肉をえぐるような凄絶な音やリズム。細やかさと大胆で暴力的な筆致が同居する、陰惨な暗黒の絵画。鑑賞しているうちに、自分の頭がおかしくなっていくのでは、と心配になるような。
 演奏している人々の名前を見ると、全員が全員女性ではないようだが、女性の男性に対する恨みつらみに染まったような音楽なのだ(と思う私が悪い男というだけ?)。もう冒頭からして、自殺した女の幽霊が出てきたような怖さ。ひい、と驚く男。「私あなたが好きなの」と囁く幽霊。そんなイメージ。全然ロマンティックではないですよ。リアルに怖い。呪いがこもっているようだ。
 ファウストについては、すでにここでも何度か書いたし、一般的にも名声を得ている人である。今年、せっかく来日してくれたのに、王子ホール公演などは満席で聴きに行けなかった、それくらいに人気がある。だが、この録音を聴くと、そんなに人気があるのがおかしいのではと思わさされる。それほどまでに暗く、陰気で、嫌な後味しか残らない演奏。私の想像が間違いだったら申し訳ないが、もしや男性に関して嫌な思い、経験があるのではないかと妄想をたくましくさせられるくらいなのだ。本当にこれはまずい、やばい領域の話なので、細かくは書かないし、想像したくもないのだけれど、演奏家のただならぬ思い、それも愛などではなく負の感情が煮えたぎる演奏と私には聞こえる。そして、演奏者全体がこの負の感情を共有してしまっている。私が書く文章は、時々おおげさにすぎると思われるらしいけれど、これは実際に音を聴いてご判断ください。私自身は掛け値なくそう感じる。
 普通の人間なら言葉で表現するところを音楽家は音楽で表現する。としたら、ここで表現されていることはとんでもなく重たいことなのではないか。終わりの10分くらい、最後を予感しながら、呆然として聴いた。何度聴いてもそういうふうになる。最初から異常なテンションの演奏ではあるが、普通は緩んでしまいがちな最後のほうが、この演奏はすさまじい。単なる盛り上がりとか、陶酔とか、甘美とか、苦みとかではない、何とも言えない複雑な感じ。普通は、あ、ハッピーエンドなのね、わかったわかった、と冗長感すらしてしまうのに。
 現存する指揮者ではサロネンとかラトルを私は高く評価しているし、彼らの「浄夜」は、彼らの最高の演奏、一番の得意曲ではないにしても、十分にすばらしい。だが、そんなものとは比較にならない、これまでに例がないくらい、戦慄的な「浄夜」。ではあるのだが、ぜひみなさんこれを聴いてくださいとは簡単には言えない、怖さと不快がこの演奏にはある。もしかして、音楽とは、あるいは演奏とは、突き詰めると、他人には聴かせたくなくなるのではなかろうか。
 女の苦しみがさんざん示されたあとの明転は、しかしよくあるような晴れ晴れとした明転ではない。それもいい。暗いけれど、明転ではあろう。それがわずかな救い、だが確実に救いである。


 そんなものを聴いたあとで、別世界の音楽のような田中希代子。往年の名演奏家の名曲アルバム。
 どの曲も粒ぞろいの透明な音色、かつ、すばらしいバランスで響くが、そのバランスを得るために縮こまっている感じは完全にゼロだ。
圧倒的な気品である。なぜクラシックは静かにして聴かないといけないのか。お行儀良い姿勢で聴かないといけないのか。そういう疑問は、このCDを聴けば氷解する。聴いてわからない人には、何を言っても仕方がない。
気品がありすぎて少しばかり冷たい感じがしないでもない。だが、これこそ、ジーパンにTシャツでクラシックのコンサートにお出かけすることなどあり得なかった時代の感性なのだ。
そして、こういうクラシック演奏があったからこそ、バーンスタインがとりわけひとなつっこく感じられもしたし、ホロヴィッツは芸人だとまで言われたのである。
同時に、こんな演奏を若くして達成してしまった人が長生きなどできぬこと、少なくとも演奏家として数十年を過ごすことあり得ぬことも容易に想像されてしまう。美しいと同時に不吉で儚い美の記録である。
氷漬けになった天国。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
ファウスト
田中希代子

評論家エッセイへ戻る

7件中1-7件を表示
表示順:
※表示のポイント倍率は、ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

チェックした商品をまとめて

チェックした商品をまとめて