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与世山澄子インタビューC

Wednesday, August 6th 2008

無題ドキュメント
与世山澄子 インタビュー


 沖縄"インタリュード"より、与世山澄子。
アーティスト特集 「カスバの女」で
与世山澄子の特集記事を掲載中。
ご覧になりたい方はこちらから。
沖縄インタリュードより、与世山澄子。

与世山澄子 インタビュー


沖縄の方が歌いやすかったし、毎晩好きな歌が歌えるし。
それで戻ったんです。その時に知り合ったミュージシャンや歌手の方と、今でもずっとお付き合いを続けているんです。


--- 与世山さんからご覧になって、沖縄で演奏されているジャズと東京で演奏されているジャズとでは、質感の違いなどをお感じになったりしますか?

与世山  やっぱり、演奏をやりたい連中は都会に集まるでしょ?アメリカならニューヨークね。技量のある連中は都会へ行きますからね。そういった気持ちで私も来たわけですけど(笑)。だから、どこがどことかは関係ないです。やれる人は、出て行きますよね。

--- 高校1年生の時にデビューということなのですが。

与世山     デビューというより、ちゃんとした仕事としてね。アルバイトができたっていうだけで。時間も夜11時に終わりますからね。早い時間なので、大目にみてくれたっていうのもあったでしょうけどね、特別に支障はなかったですね。

あの頃って、本土でも、私よりちょっと年上の江利チエミさん、雪村いずみさん、美空ひばりさん、マーサ三宅さん、笈田敏夫さん・・・そういった仕事をしていた人がたくさんいましたから。府中やら座間やら米軍キャンプがあるところでね。そういう時代だったんです。たまたま、私はまだ子供で沖縄にいたっていうだけのことでね。

--- デビュー・アルバム『Introducing』が83年なのですが、それまでは、スカウトされるということやアルバムを制作する機会というのは全くなかったのでしょうか?

与世山     40過ぎてからですから(笑)。私が高校生の頃、世界的な喜劇役者のボブ・ホープなんかが軍の慰問で世界を周っていた時に、たまたまそのご一行が、私の歌っていたクラブのステージのすぐ前の席にお座りになっていらしたんですよ。そうしたら、翌日すぐ、「ボクたちのメンバーの中でやってくれ」っていう話になって、本当にびっくり!(笑)もう、新聞社から何から騒ぎ出して。それが、最初に声をかけていただいた時のことです。

そこで歌うようになって、そうしたら、その中のプロデューサーが「アメリカまでどうか?」ってことで話をいただいたんですけど、その時はまだ・・・ねぇ、一応は高校を卒業してからということで。それから、卒業する年に上京して、3ヶ月だけの契約で。母もついてきて(笑)。あの頃はまだパスポートが必要な時代でしたしね。

でも、やっぱり外人の前だけで歌っていたものですから、日本人だけを前にすると、「本当に聴いてるのかしら?」って(笑)、生意気な年頃でしたからね(笑)。「いいやもう、沖縄帰っても」って(笑)、契約を破棄して。でも、レコード会社も厳しかったですから、破棄しても2ヵ年間は本土に来て歌っちゃいけないとかね。それでも、沖縄の方が歌いやすかったし、毎晩、好きな歌が歌えるしね。それで戻ったんです。その時に知り合ったミュージシャンや歌手の方と、今でもずっとお付き合いを続けているんです。

--- 今もそうして、現役で歌われている理由といいいますか、与世山さんにとっての「歌」というものは、どういうものなのでしょうか?

与世山     本当に自然な、空気みたいなものですね。子供の頃いつも音が流れていて。だから、デビューするためにどうのこうのっていうのは、全くやってません、私は。ただ好きで好きで、続けてきただけです。

--- 息子さんも歌や楽器などをやってらしたのでしょうか?

与世山     息子は、役者を目指して上京してきて、7年ぐらいおりましたけどね。その間に映画に出たり、TVのゴレンジャーにも出演していました。本名でね。でも、ちょっと体を壊して、清瀬の国立病院に6ヶ月間入院していたんですよ。そして、2ヵ年間静養期間ということで、息子を沖縄に戻したんですよ。そうしたら今度は、主人が倒れちゃって。私ひとりではケアできなかったんで、そのまま沖縄に残ってくれて。

--- で、現在お店をご一緒にと。

与世山     はい、手伝ってくれています。もう欲求不満のようで(笑)。

--- 息子さんもそうだと思いますけど、島の若い人たちは皆東京などの本土に行きたがりますよね。寂しくはありませんか?

与世山     寂しくはないですよ(笑)。やっぱり、肩を並べたいという欲望がありますでしょ?みんな何かをやると。だから、沖縄だ大阪だは関係ないです。やる人はやる、行く人は行くんでね。

--- 逆に、本土から沖縄に仕事やリゾートで来る人も増えていますよね。

与世山     そうね。よくビジネスでいらっしゃいます。八重山なんかは、70%か80%が本土からの人みたいですよ。何泊かして帰るみたいな人たちがほとんどでね。だから、税金も落ちないでしょ(笑)。

--- 私も、沖縄には行ったことがあって。レンタカーを借りて、辺戸(へど)岬の先まで行った帰り道に事故にあって、真夜中、歩いて街まで帰ったんですよ(笑)。そこで見た星空が今でも忘れられなくて、また行きたいなって思っているんですよ。

与世山     のんびりしてますからね、確かに(笑)。でも、メインストリートは、どこもかしこも同じお土産屋さんばっかりでね。

--- この辺りを回ったらオススメというところなどはありますか?

与世山     私はもう、ビーチかどこかで寝転がって(笑)星を見るとか、そういう方をオススメしますね。街なんて別に・・・ねぇ(笑)。

--- それこそ、「インタリュード」にジャズを聴きに行くのもいいですよね。現地で聴く与世山さんの歌と、東京で聴く与世山さんの歌とを、それぞれ自分の中で体験したいなっていうのがありますよ。

与世山     ありがとうございます(笑)。先だっても仙台のグループや、福岡のグループ、「インタリュード・ツアー」ってご本人たちは呼んでましたけどね(笑)、お店にいらっしゃってくださいましてね。北海道や、大阪からもね。今、お店にいらっしゃるのは、本土の方のほうが多いです。

--- 是非、「インタリュード」に遊びに行きたいですね。沖縄で与世山さんの歌を聴かないと。

与世山     是非是非。お掃除おばさんですけど(笑)。

--- では、最後にファンの方々にメッセージをお願い致します。

与世山     私は特別、メジャーな動きをしているわけでもないのに、昨日も一昨日もあれだけの人が、レコードにサインをしてくれって列を作っていたのには驚いたわ。聴いてくださる方あってのものですからね。何と申しあげたらいいか・・・いつまでも宜しくお願いしますとしかいいようがないわ(笑)。

--- 今日は大変貴重なお話を伺うことができました。ありがとうございました。

与世山     こちらこそ、ありがとうございました。

【取材協力:Tuff Beats】


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与世山澄子
1940年、八重山小浜島に生まれる。16歳でデビューし、1957年、ボブ・ホープとレス・ブラウン楽団と共演。1972年の本土復帰まで米軍基地のクラブでフル・オーケストラをバックに活躍する。復帰の年にジャズ・スポット「インタリュード」をオープン。お店での演奏の傍ら、本土公演も増えジャズ評論家や著名人から賞賛される。1983年、待望のファーストアルバム「イントロデュージング」が発売され地元沖縄以上に本土で熱い注目を集めた。1984年、世界的ジャズ・ピアニスト、マル・ウォルドロンとの共作『ウィズ・マル』を、1985年には3rdアルバム『Duo』を発表。そして、2005年8月に20年ぶりの新作『インタリュード』をリリース。2006年3月のTBS系『情熱大陸』に出演したこともあって、再び彼女の歌声に注目が集まるようになった。2007年には中江裕司監督の映画『恋しくて』に出演。同年、森田芳光監督の映画『サウスバウンズ』にも出演し、映画界でもその個性を発揮し活動の場を拡げた。現在も、沖縄はもとより全国でのライブ公演を中心に精力的に活躍中。今なお進化し続ける、日本屈指の実力派ジャズ・ヴォーカリスト。

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