『アイム・ノット・ゼア』トッド・ヘインズ監督インタビュー
Wednesday, May 7th 2008
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--- ボブ・ディランは、あなたにとってどんな存在ですか? トッド・ヘインズ監督(以下、トッド) ディランがアーティストとして成し遂げたことは、ここで改めて説明するまでもないと思うよ。彼を史上最高のソングライターと思っている人もいれば、彼のことなんか気にも留めない人もいる。 でも、ポップ・ミュージックと戦後のカルチャーにおける影響力という点から考えれば、誰もディランという存在を避けて通ることはできない。 彼とビートルズが 60年代を牽引したんだ――特に、当時を生きていた多くの若者にとってはね。
--- この作品を撮るに当たって、どんな準備をしたんですか? トッド ディランの作品がどうやって作られたのかを調べたよ。彼の歌を聴いたり、執筆物を読んだり、インタビュー映像や映画を見たりしたし、そのほかに、彼に影響を与えたと思われる音楽や文学、映画や社会的背景についても調べた。ありきたりの伝記映画を作るつもりはなかったから、代わりに、彼が制作活動を行なったり、実際に暮らしていた場所に行ってみた。彼について書かれた伝記もすべて読んだ――彼について出版されている本はすべて読んだよ。でも、そういった本を書いた人に取材をしたりはしなかった。“本物のディラン”や“真実のディラン”を探すために書かれた伝記は、どれも失敗しているように思えたからね。ディランの真実を描くには、“フィクション”を通して描かなくてはいけない、と思っていたんだ。 --- 本作は、ディランがこれまでに製作を許可した唯一の伝記映画です。 どうやって彼にこのプロジェクトを説明したんですか? トッド 今回の冒険を通して、僕自身がディランと会ったり話したりすることは、一度もなかった。 もし僕が望むなら、可能だったとも思うけど、僕はそうしなかった。そうする必要性を感じなかったからね。その一方で、彼に長年連れ添うマネージャーのジェフ・ローゼンとはすごく親しくなったし、彼はこのプロジェクトに最初からすごく協力的だった。 ディランの長男で、ロサンゼルスに拠点を置くインディペンデント映画監督のジェシーを通じて、僕とプロデューサーのクリスティーン・ヴァションが00年の夏に最初にアプローチした相手がジェフだったんだ。 ジェフはこちらの投げかけに対して、ディランを“天才”だとか“現代を代表するシンガー”とは形容しないように注意してくれた上で、1枚の紙にコンセプトをまとめるように言ってきた。僕らがコンセプトをまとめた用紙と、僕の過去の映画のビデオをいっしょに送ったら、数ヵ月後に、ディランから“イエス”という言葉が返ってきたんだ。未だにまだ、自分でも信じられないんだけどね。 --- どのようにディランの人生を受け止め、描こうと思われましたか? トッド この映画は“ボブ・ディランのすべてを語る”というタイプの作品じゃないからね。彼がどのくらいドラッグを使ったとか、どのくらい不義を働いたのかを追求する作品ではないし、 一方で、彼のことを単純に崇め奉るような作品でもない。その代わりに、ディランの中に存在するいろんな側面や、他の人々がディランをどう受け止めてきたかということを、さまざまな角度から描いているんだ。ディランのマネージメント側は、あれこれ口を出さず、僕がイメージしたままにディランを描くことを奨励してくれた。この映画に率直さや深みを加えられたのは、そのおかげなんだよ --- 『アイム・ノット・ゼア』というタイトルを選んだ理由は? トッド “アイム・ノット・ゼア”は、ディランの作品群の中でも手に入りにくいことで有名な曲で、67年に彼がザ・バンドと一緒に行なった『ベースメント・テープス』・セッションでレコーディングされた曲なんだ。その頃のディランはオートバイ事故から回復したばかりだった。映画の中では、オリジナルのディランのバージョンと、ソニック・ユースによるカバー・バージョン(ソニック・ユースにとって最初で唯一のディランのカバー曲)の 両方を使っている。僕自身にとって、このタイトルは、ランボーの“私はひとりの他者である” という有名な詩節(映画中でも引用されている) を想起させるものだった―― “複数のディラン”を描くことで彼の巨大な人間像に迫る、という映画全体のテーマともぴったり合っていたしね。 --- ディランのさまざまな側面を描くに当たって、6人の俳優を起用するというアイディアはどうやって生まれたんですか? トッド ディランについてリサーチを進めていくうちに、彼の内面に起こった変化を発見していったんだ。彼の人生を特徴づけているのは、アーティスティックな変化の連続だからね。 ディランの人生の真実を表現するたったひとつの手段は、それをドラマ化すること――彼の人生と作品を濾過して、別々の人格を浮き上がらせて、そのそれぞれを物語に仕立てることだと思ったんだよ。 --- どうやって俳優を選んだのですか? 特にケイト・ブランシェットを選んだ理由は? トッド 基本的に、ただ思いついた中で一番だと思える俳優をキャスティングしたんだ。ジュードの役は女性が演じるべきだとずっと考えていた。66年当時のディランの肉体が持っていた不思議な感覚を表現する手段は、ほかに思いつかなかったからね。 --- 俳優たちには、どこまで解釈の自由を与えたのですか? トッド この作品の準備に取りかかっている間に、かなりの量のディランのヴィジュアル資料を渡した。それと、それぞれの物語をスタイリングしたイラストや、彼らが役柄を膨らませるのに役立ちそうなディランの歌やインタビューもね。ディランの真似をしてくれとは誰にも言わなかったけど、彼の人生の特定の時期を演じてもらうに当たって、ディランの歩き方や外見やスタイルを利用してもらうことはした。その結果として、ディランの内面から外見に至るまで、それぞれの俳優ごとに幅広い解釈が生まれたんだ。 --- ディランの膨大なカタログの中から、どうやって選曲をしたんですか? トッド 映画で使用した曲は、必ずしも僕が個人的に好きな曲でもないし、ディランの中で“ベスト”と言われているものでもない。選曲する際に重視したのは、まず、物語性のある曲だということと、ドラマとしての要求を満たせる曲だということだった。ただ、ディランの傑作と言われている曲と、ほとんど知られていない曲を組み合わせた方がいいとは最初から思っていた。それと、ディラン自身によってレコーディングされた曲と、今の時代のアーティストがカバーした曲を混ぜた方がいいだろう、ともね。そうすることによって、彼の膨大な作品の奥行きがさらに広がるだろうと思ったんだよ。 --- ある意味では“過激な解釈”とも言えるこの作品を、ディランのファンはどう受け止めると思いますか? トッド ディランの熱狂的なファンたちは、みんな真剣だからね。 陶酔感を感じてくれる人もいれば、激怒する人もいて、強烈な論争を巻き起こすことになるんじゃないかな。
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トッド・ヘインズ監督 プロフィール |
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1969年、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。80年代の半ば頃に自主制作で短編映画を作りはじめ、87年、『Superstar: The Karen Carpenter Story』を発表。70年代の人気ポップ・デュオ、カーペンターズの女性ヴォーカルだったカレン・カーペンターの不幸な生涯を題材に、すべての登場人物を“バービー人形”を使って描いた同作は、曲の著作権の関係で一般公開に至らず、“幻の傑作”と呼ばれた。 91年、『ポイズン』で長編監督デビューを果たし、サンダンス映画祭の審査員特別賞を受賞。94年には、ジュリアン・ムーア主演作『Safe』(日本では『ケミカル・シンドローム』の邦題でビデオ発売)を発表。〈ボストン・グローヴ〉〈インタビュー〉〈ヴィレッジ・ヴォイス〉など、多くのメディアでその年の“ベスト・フィルム”に挙げられ、話題を呼んだ。 97年、70年代のロンドンで人気を集めたグラム・ロック・シーンに題材を得た『ベルベット・ゴールドマイン』を発表。ユアン・マクレガー、ジョナサン・リース・マイヤーズ、クリスチャン・ベイル、トニ・コレットらが出演した同作は、カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を受賞し、へインズの知名度を国際的に高めるきっかけとなった。02年には、再びジュリアン・ムーアを主演に据えた『エデンより彼方に』を発表。50年代に多くのメロドラマの傑作を送り出した名匠、ダグラス・サーク監督の作風にインスパイアされた映像美が絶賛され、アカデミー賞で4部門にノミネート。また、ヴェネチア国際映画祭ではジュリアン・ムーアに主演女優賞が贈られた。 現在はオレゴン州ポートランドを拠点に活動中。寡作ながらも、現代のアメリカ映画界を代表するインディペンデント監督として、全世界の映画人から高い評価を集めている。
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