HMVインタビュー: matthias tanzmann
2008年2月22日 (金)
matthias tanzmann インタビュー
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「レーベルを立ち上げたのは、何か新しいハプニングを起こそうと思ったからなんだ。」
matthias tanzmann 僕が10代の頃は、実はこれといって特別に興味のある音楽はなかったんだよ。エレクトロニック・ミュージックには15〜16歳頃に出会った。別に僕のルーツにHip HopやFunkがあるってわけでもないし、ストレートにエレクトロニック・ミュージックに入っていったという感じだよ。 --- Gamat3000名義でリリースされたジョン・レノンの名曲のカヴァー「Feeling Love Remixes」はクラブ・ヒットを記録しましたが、これはどんな経緯で生まれた曲だったのですか? matthias tanzmann これは実は、カバー曲のカバーなんだ。これはドイツのトラディショナルな女性シンガーが、彼女のアルバムでこの曲をカバーしていたやつで、僕らはたまたまこのアルバムを聴いて、メロディが気に入ったから自分たちの曲に使ったというわけ。だからオリジナルがジョン・レノンの曲だとは知らなかったんだよ。 日本のハウス/テクノのシーンがこのトラックを評価してくれた事は記事で読んだことがある。ただ、その事についてインタビューで聞かれたのは今が初めてだ(笑)。
matthias tanzmann レーベルを立ち上げたのは、何か新しいハプニングを起こそうと思ったからなんだ。僕のビジネス・パートナーのアンドレ・クヴァースと、2000年のニュー・イヤーズ・イヴである1999年12月31日に、僕らの将来について話している時に、僕らは同じアイデアを持ってることに気付いたんだ。これからのミュージック・シーンをもっと活性化するために、新しいレーベルを始めるのはどうかってこと。 僕らは以前から良く知っている仲だったし、「OK、一緒にやってみよう」ということになったんだ。当時はアンドレ・クヴァースはライプチヒのクラブDistilleryのオーナーの一人で、僕はそこでDJをしていたんだけど、レーベルが動き出してからは彼はクラブを辞めて、レーベル運営とブッキングだけやっているよ。 --- レーベルの拠点であるライプチヒはどんなところですか?たとえばベルリンと比べるとどんな違いがありますか? matthias tanzmann ライプチヒは人口50万人程の小さな都市で、僕のホームタウンだよ。僕はここがとても気に入っている。エレクトロニック・ミュージックのシーンもあって、住むにも働くにもいい街だ。 ただベルリンと比べると、そうだね、ベルリンは間違いなく今のエレクトロニック・ミュージックの中心地だと思う。今は主なアーティストの多くがベルリンに住んでいるし、ドイツの主要クラブも多い。ベルリンはライプチヒにもいい影響を与えていると思う。ベルリンはまさしくエレクトロニック・ミュージックのキャピタル、首都だよ。
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Matthias Tanzmann プロフィール |
Daniel Scholz(ダニエル・ショルツ)とのデュオ gamat 3000名義で'90年代から活動し、dessousやfreude am tanzen、fm musikといった好レーベルから作品をリリース、ジャーマン・ハウスのシーンに瞬く間にその名を轟かせたmatthias tanzmann(マティアス・タンツマン)。'99年夏には、「feeling love」をリリースし、日本でもカルト・ヒットとなる。2000年より自らのレーベルmoon harbourを立ち上げ、現在ではホームグラウンドと言える地元ライプチヒのクラブdistilleryを始めミュンヘンやベルリンのクラブを拠点にして活躍中。2007年末には本アルバム「Restless」に先駆け、シングル「Rugby」をリリースし「ミニマル・サンバ」を提唱している mathias kaden(マチアス・カデン)のリミックスも収録されフロア・ヒットしている。
http://www.matthiastanzmann.com
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