Ben Sidran+Georgie Fameインタビュー
Monday, April 7th 2008
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Ben Sidran & Georgie Fame インタビュー
Georgie Fame そうだね。彼(ベン・シドラン)にレコードをプロデュースしてもらってからは、お互いの関係が固まってきて、よく一緒にやっているよ。Go Jazzレーベルの最後のCDでもある『Poet In New York』では、2曲ぐらいニューヨークで一緒に歌ったんだよ。今回のこのコットンクラブでのショウは、2人の関係をさらに強めるのに一番いい機会になったんじゃないかな。 --- 今回の来日公演を終えて、日本のオーディエンスにはどういった印象をお持ちですか? Georgie 本当に素晴らしいよ。もっと日本語が喋れたらって思ったぐらいだよ(笑)。驚いたことに、若い人達が多かったんだけれど、それがとても嬉しかったんだ。私達は、段々と年を重ねて、ベテランと呼ばれるような立場になってしまっているけれど、ああいった若い人達が、私達の音楽やパフォーマンスをちゃんと愛してくれているっていうのを、この目で見るということは、とても元気付けられることなんだ。 私達が、今まで愛してきた音楽というのは、前の世代の人達のものだったわけなんだよね。それを新しい世代に引き継いでいくということ自体が、とても楽しいことなんだ。 --- お2人の楽曲は、昨今、特に若いリスナーやDJ達に支持されているのですが、どのようにお感じでしょうか? Ben Sidran 20年ぐらい前に、アート・ブレイキーと話す機会があって、「あなたの60年代にリリースされた『Ugetsu』いうレコードの中の「Ping Pong」という曲を、ロンドンのDJがかけていたんだ」と話すと、彼も「そうなんだよ。若いコたちが、オレの古いレコードをどこからか見つけてくるんだ(笑)」と言っていたよ。その時の事を思い出してしまうね(笑)。 --- 恐らく、お2人がいつまでも心から音楽をエンジョイしている様子が伝わり、彼ら若いリスナー達を魅了しているのだと思いますよ。 Georgie Fame その通りだね。楽しめなかったら、音楽なんてやらないよ(笑)。 Ben 単純にお金が欲しかったら、不動産業をやっているよ(笑)。
Georgie ヴォーカリーズというのは、本当にスペシャルなアート・フォームなんだ。勿論、ジャズの中でも特別な歌い方だよね。すごく難しいんだ。だから、あまりやる人がいない。でも、好きな人は多いよね。確かに、それなりに巧くやる人もいるけど、本格的なヴォーカリーズというのは、最近あまり見ないんじゃないかな。ジョン・ヘンドリックスや、キング・プレジャーのような先駆者達のヴォーカリーズ・スタイルを初めて見たとき、私は「これをやらないとダメだ!」と思ったんだ(笑)。 でも、幼い頃は、ジョン・ヘンドリックスを聴きながらも、やっぱりファッツ・ドミノなんかにも夢中だったね。やっぱり、その辺の音楽の歴史というものを愛しているし、それが、私達の演奏にも出ていると思うよ。 --- ベン・シドランさんは、1967年に渡英されています。チャーリー・ワッツや、エリック・クラプトンらに出会い、親交を深めたこの時代のロンドンのシーンは、あなたにとってどのようなものであったのでしょうか? Ben なかなか面白い質問だね(笑)。共通の友人であったグリン・ジョーンズを介して、チャーリーとは出会ったんだ。私は、オリンピック・スタジオで、2、3ヶ月ぐらいスティーヴ・ミラー・バンドのセッションをしていて・・・別のスタジオには、まだ本当に若かった頃のピーター・フランプトンなんかもいて、彼は大好きなミーターズを真似たリズムばかりを弾いていたんだけれど(笑)。 ある時、グリン・ジョーンズが、最初のデモを作るときに、ドラムを叩いてもらうためにチャーリーを呼んだんだ。でも、チャーリーは、車の免許を持っていなかったんだよ。当時、私は彼の家の近くに住んでいてね。で、何で私が、ローリング・ストーンズのセッションに参加したことになったかというと、結局、チャーリーは運転ができないから(笑)、グリンとのセッションのために、私が車で拾って行って、それが終わったら、そのままストーンズのセッション・スタジオに送り届ける、運転手みたいなことをしていたことがきっかけなんだよ(笑)。 イギリス人には、本当にフレンドリーな人が多くて、音楽の話をするのもとても好きなんだ。 Georgie 実際のアメリカ人に会うというのも、私達イギリス人は好きなんだよ(笑)。 Ben そう言えば、ビル・ワイマンは、ピーター・フランプトンが12か13の頃から知っていて、ロンドンへよくライヴに連れて行ってあげて、送り迎えなんかもしてあげてたんだよ。 その頃、ビートルズは、すでに大きなビジネスになってしまっていたけれど、他のミュージシャン、例えば、エリック・クラプトンでも、ストーンズでも、有名ではあったけれど、そんなに遠い存在という感じではなかったんだ。気軽に接することができた時代だったね。 Georgie ビートルズにしても、よくスタジオに遊びに来ていた時期はあったよ。
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ベン・シドラン
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1943年シカゴ生まれの彼は7歳でピアノを始め、間もなくジャズやロックの虜に。大学時代のバンド仲間には、スティーヴ・ミラーやボズ・スキャッグスもいた。ソロ・アルバムも20枚を超え、プロデューサーとしてもヴァン・モリソン、リッキー・リー・ジョーンズ、クレモンティーヌ、モーズ・アリソンなどのヒット作に関与。90年代には、Go Jazzレーベルを設立して話題の的となり、現在は自らの姓を逆につづった(敬愛するマイルス・デイヴィスの曲名でもある)Nardisを本拠地として活動中。音楽のフィールド以外でも、評論家、作家、テレビ・キャスター、ラジオDJ等の活動を行ない、その見識の広さから「ドクター・ジャズ」の異名をとり、常に時代の一歩先を行くスタイリッシュな音楽をクリエイトしている。
ジョージィ・フェイム
本名・クライヴ・パウエル。1943年6月26日、イングランドのランカシャー州のリーに生まれた。やがて50年代のアメリカン・オリジナル・ロックンロールの数々に刺激され、ロンドンに進出。60年には、ジーン・ヴィンセントとエディ・コクランの英国ツアーに参加。その後、ジョージィ・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズとして本格的に活動を開始し、所謂「モッズR&B」の先駆者的存在となる。60〜70年代には、ジャズ志向を打ち出したりと、音楽的領域を広げながらコンスタントに名作をリリース。80年代末からは、モッズの復興やレアグルーヴ・ムーヴメントによる再評価を獲得。89年、ツアー先のオーストラリアで共通の友人を通じ、ベン・シドランと出会う。意気投合した2人は、ベン主宰のGo Jazzレーベルより『クール・キャット・ブルース』、『ザ・ブルース・アンド・ミー』という2枚のアルバムを制作。その後も、敬愛するモーズ・アリソンの作品集『Tell Me Something』で共演したり、再び、Go Jazzレーベルでタッグを組み『ポエット・イン・ニューヨーク』をリリース。ヨーロッパでは、互いの息子たちをサポートに従え、ライブ活動も精力的に行なっている。
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