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Ben Sidran+Georgie FameインタビューA

Monday, April 7th 2008

無題ドキュメント
Ben Sidran & Georgie Fame interview

Ben Sidran & Georgie Fame インタビュー


1962年のジャズ・バンドというのは、ジンジャー・ベイカーがドラムで、ジャック・ブルースがベース、
というようなメンツだったんだ


--- この時点では、意外にもまだお二人は出会っていなかったそうですが、全くそのような機会もなかったのですか?

Georgie  そう。なかったんだ。本当に残念なのだけれど、その頃出会っていたら、最高だったと思うよ。共通の友人がたくさんいたから、会えたはずだとは思うけれどね。グリン・ジョーンズ、私のレコードのエンジニアをしていたのだけれど、彼を通して、お互いの名前は知っていたしね。

--- 20年後の1989年に、オーストラリアでお2人は初めて出会ったそうですが、お互いの最初の印象はどうでしたか?

Georgie  実際対面はしていなかったけれど、すでに知っている人と会ったという感じだったよ。

Ben  30分ぐらい、ガァーッと話し込んだんだ(笑)。ちょうど彼(Georgie)が、(スタジオから)帰る時で、私が来た時だったのだけれど、お互いの情報を一通り交換して、今度何か一緒にやらないか?という話になったんだ。


Georgie Fame(左)/Ben Sidran(右)


--- 96年に、モーズ・アリスンのソングブック『Tell Me Something』にお2人共参加していますが、彼の存在は、やはり特別なものでしょうか?

Georgie     そうだね。ミュージシャンとしても、ライターとしても、アーティストとしても、そして、哲学者としても特別な人だよ。音楽におけるパワー、フォースとしても非常に重要な存在なんだ。彼(Ben)は、モーズ・アリスンのアルバムを、これまでに8枚プロデュースしているのだけれど、ある意味、私達の関係性においても「核」になっている存在だよ。

ヴァン・モリソンも、モーズ・アリスンが好きなんだ。このアルバムに関して言うと、ある時、ヴァン・モリソンが何か違うことをやりたいと言ったので、ちょうど、ベンがプロデュースを手掛けていて、いい機会だから、モーズ・アリスンも含めて4人でやってみようか、となったんだ。

モーズ・アリソンという名前を、クラブなどに来ている若い人達は知っているんだよ。それには正直驚いたね。

--- お2人とも、そもそものジャズとの出会いはいつごろだったのでしょうか?

Georgie     確か16ぐらいの時だったと思うけれど。その頃はよく、ビリー・ホリディやペギー・リーなんかを聴いていてね。2年ぐらい、ロックンロール・バンドで活動をしていたんだけれど、2、3ヶ月仕事がなくて、おまけに住む所もなかったんだ。別のバンドをやっていたミュージシャンの友人が、素晴らしいジャズ・レコードのコレクションを持っていて、彼の部屋に転がり込んだのはよかったのだけれど、私は鍵を持っていなくて(笑)、彼は、バンドの仕事で出て行ってしまうのだけれど、鍵を閉めずに出て行ってしまうものだから、その部屋から一歩も出れないカタチになってしまったんだよ(笑)。

そこで聴いたのが、チェット・ベイカーの『Chet Baker Sings』や、キャノンボール・アダレイの『Them Dirty Blues』、チャーリ・パーカーの『Now's The Time』、アート・ブレイキーとセロニアス・モンクの『Art Blakey's Jazz Messengers With Thelonious Monk』、ランバート、ヘンドリックス&ロスの『Sing A Song Of Basie』、キング・プレジャーとアニー・ロスの『King Pleasure Sings / Annie Ross』、あとは、ヘンリー・マンシーニの61年か、62年のアルバムだったんだ。

ジャズ・クラブで私達のバンドは演奏をしていたんだ。とりあえず、ダンス向けな感じでね。その当時は、2つバンドがあって、私達は、ダンス向けで、もう1つは、ジャズ・バンドだったんだ。そのジャズ・バンドの演奏を聴いて、「オレ達もジャズをやろう」となったんだ。1962年、あの頃のジャズのバンドというのは、ジンジャー・ベイカーがドラムで、ジャック・ブルースがベース、というようなメンツだったんだ。その時、私にとってジャズへの道が「開花」したという感じだね。 

Ben     私の場合はちょっと違うのだけれど。幼い頃は、アルバート・アモンズや、フレディ・スラックのようなブギ・ウギ・ピアノをよく聴いていて、13歳頃に、ホレス・シルヴァーのレコードを聴いたんだ。確か・・・ものすごく寒い冬の日だったのだけれど、新しいレコード・プレイヤーを買って貰って、火にあたりながら、そのすぐ側でそのレコードを聴いていたんだ、エスキモーの人みたいに(笑)。

そのレコードには、「Juicy Lucy」という曲が入っていて、それを何度も何度も聴いていたんだ。その曲のトランペット・ソロをよ〜く聴いていたら、「あ、これ、解るぞ!もう1回聴いたら理解できるぞ!」って感じたんだよ(笑)。まぁ、そういったレコードに関しては、色々と理解しきれていない部分もあって、50年経ってもまだ理解できないところもあるのだけれど(笑)、でも、その時に、ジャズという音楽に対する初めての理解が生まれたんだ。

Georgie     一旦、解ってしまうと、もう戻れないんだよ(笑)。

Ben     その通り(笑)。


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ベン・シドラン
1943年シカゴ生まれの彼は7歳でピアノを始め、間もなくジャズやロックの虜に。大学時代のバンド仲間には、スティーヴ・ミラーやボズ・スキャッグスもいた。ソロ・アルバムも20枚を超え、プロデューサーとしてもヴァン・モリソン、リッキー・リー・ジョーンズ、クレモンティーヌ、モーズ・アリソンなどのヒット作に関与。90年代には、Go Jazzレーベルを設立して話題の的となり、現在は自らの姓を逆につづった(敬愛するマイルス・デイヴィスの曲名でもある)Nardisを本拠地として活動中。音楽のフィールド以外でも、評論家、作家、テレビ・キャスター、ラジオDJ等の活動を行ない、その見識の広さから「ドクター・ジャズ」の異名をとり、常に時代の一歩先を行くスタイリッシュな音楽をクリエイトしている。

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ジョージィ・フェイム
本名・クライヴ・パウエル。1943年6月26日、イングランドのランカシャー州のリーに生まれた。やがて50年代のアメリカン・オリジナル・ロックンロールの数々に刺激され、ロンドンに進出。60年には、ジーン・ヴィンセントとエディ・コクランの英国ツアーに参加。その後、ジョージィ・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズとして本格的に活動を開始し、所謂「モッズR&B」の先駆者的存在となる。60〜70年代には、ジャズ志向を打ち出したりと、音楽的領域を広げながらコンスタントに名作をリリース。80年代末からは、モッズの復興やレアグルーヴ・ムーヴメントによる再評価を獲得。89年、ツアー先のオーストラリアで共通の友人を通じ、ベン・シドランと出会う。意気投合した2人は、ベン主宰のGo Jazzレーベルより『クール・キャット・ブルース』、『ザ・ブルース・アンド・ミー』という2枚のアルバムを制作。その後も、敬愛するモーズ・アリソンの作品集『Tell Me Something』で共演したり、再び、Go Jazzレーベルでタッグを組み『ポエット・イン・ニューヨーク』をリリース。ヨーロッパでは、互いの息子たちをサポートに従え、ライブ活動も精力的に行なっている。

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