トップ > 音楽CD・DVD > ニュース > ジャズ > モダンジャズ > 【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔

【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔

2011年10月11日 (火)

interview
DCPRG 菊地成孔 インタビュー



 「Alter War & Polyphonic Peace」と銘打ち行なわれた、今年6月6日の恵比寿LIQUIDROOM ライブが遂に音盤化された。その名も『Alter War In Tokyo』。 黒とオレンジのなじみある意匠を纏った、あのImpulse! レーベルからのリリースにDCPRG 朋党は驚きと興奮、そしてわずかな戸惑いを一様に隠しきれず(?)。

 去る10月9日をもって、伝説となった豪雨の日比谷野外音楽堂、つまりDCPRG 活動再開からちょうど1年が経過。当初は単発的な再結成を目論んでいたものの、あれよあれよと恒常的なものへと流れ、DCPRGはますますもって目の離せない活動体となって聴衆を地獄のような熱狂へといざなう。アフリカン・ポリリズム、マイルス・マナー、総ての実践形態はさらなる進化を遂げながら。

 「新しい(そして、まったく無名な)メンバー達によって、コンプリートなバンド活動を再開」というアナウンスに乗って、文字通り ”新生” されたDCPRG。レコ発オールナイト(!)パーティを目前に控えたバンマスの菊地成孔さんに、ニューアルバム『Alter War In Tokyo』のことを中心に、ここまでの諸経緯、さらにはこれからの動きなどを伺ってきました。 菊地さんにとっての ”テオ・マセロ”、高見一樹氏の驚異的な名参謀・戦略家ぶりもとくとご了知あれ!

※ このインタビューは10月5日に収録されたものです。


インタビュー/構成: 小浜文晶
 



--- 本日は宜しくお願いいたします。去年活動を再開したDCPRG(デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン)、そして先月リリースされたライブ・アルバム『Alter War In Tokyo』について色々とお話をお伺いしたいなと思っております。まずは、Impulse! からのリリースということなんですが。

 そうですね、経緯が経緯というか、突然、Impluse! からリリースするっていう話だったんで。でまぁ、断る理由もないんで、やったって感じではあるんですが(笑)。特にImpluse!からのリリースを狙っていたわけでもないんで、当初は非常に受身だったんですよね。

 ただ、いざ事が進んでみるとですね・・・とにかく盤自体が出来上がったことが嬉しいというか面白いというか、単純に(笑)。

--- (笑)あのレーベル・ロゴが実際入ったりすると。

 うん、やっぱりブランドってすごいなって思いましたね(笑)。なんかパロジャケみたいな感じもありましたけど(笑)、「あぁ、Impulse!のCDなんだな」ってあらためて実感させられたっていうことですよね。それが今一番刺激が強いことなんだけど、事に至るまでの経緯はとにかく受け身だったと。僕は、例えば「アメリカからCDを出したい。レーベルは絶対ここがいい」っていうレーベル・グルメみたいな感じはまったくないんで。

 まぁもちろん、Impluse! なので、エレクトリック・マイルスとは関係ないだろとは思いましたけど(笑)、実際出来上がったものを見たらそういう意味ではなかなか面白いなっていう。だけど、Impulse!は実質過去のレーベルっていうか、これからブッ込んでいって、去年はホセ・ジェームス、今年はデートコースって、今までになかったメンツの新譜をどんどん出していく時代に入っていくのかどうかっていう胎動すら分からないですし。

 ただ単に、向こうで出したいっていうのがスタッフ側にあって、それをユニバーサル・ジャズの斉藤くんを経由したらこうなったっていう。このCDのA&Rをやってくれた人なんですけど。で、VerveとImpulse!を比べたら、まぁウチらはVerveじゃないだろうということで(笑)、最終的にImpulse!に話を持っていったらレーベル許可が下りたっていう経緯なんですね。


Impulse!
Impulse!
  (註)Impulse! (インパルス!)・・・「The New Wave of Jazz is on Impulse! (インパルス! こそジャズの新しい潮流)」を掲げ、1961年にABCパラマウントのジャズ専門レーベルとしてスタート。プロデューサーは、後にCTI レコードを興す策士クリード・テイラー。デューク・エリントン、カウント・ベイシー、ギル・エヴァンス、アート・ブレイキー、チャールズ・ミンガスといった巨匠のアルバムを制作する一方で、アルバート・アイラー、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダースといった当時気鋭のフリー系若手ミュージシャンの録音も積極的に手がけた。看板アーティストは何と言ってもジョン・コルトレーン。死後リリースされた未発表作を含む数十タイトルに及ぶコルトレーンのアルバムは、今なおレーベルの歴史と共に燦然と輝いている。98年には、ユニバーサル ミュージック・グループ傘下 Verve(ヴァーヴ)ミュージック・グループの一部となり、近年に至るまで長らくカタログの再発のみを行なっていた。しかし昨年、クラブ・ジャズ界隈を中心に人気の高いシンガー、ホセ・ジェームスとジェフ・ニーヴのデュオ・アルバム『For All We Know』、そして今年、”アジア人初”という快挙を成し遂げたDCPRGの『Alter War In Tokyo』という2枚の新譜をリリース。2011年でレーベル設立からちょうど50年、さらに今後の動向がにわかに注目されている。また、黒とオレンジで統一されたレーベル・デザインは、ブルーノート・ブランドに追随するインパクトと影響力を今も与え続けている。


--- その辺の話は菊地さんのまったく知らないところで進んでいったと。

 この音源を出すこと自体も知らないところで進んでたんで(笑)。だから、「今日のライブはCDにして海外発売しますので宜しくお願いします」って事前に言われてやったライブじゃないっていうことなんですよね。言っちゃあ乱暴な(笑)・・・全部ライブが終わって「まぁまぁだったな」って思ってたら、「コレを盤にしてインターナショナル発売したいんだけど」って言われて、「えーっ!」っていう(笑)。もう少し傲慢で神経質なミュージシャンだったら「いやオレ、そんなの聞いてないからやめてくれ」ってなったと思うんですけど、まぁ別にそういうこともなく(笑)。だったら、いい作品として出せるレベルにまでいじっちゃえばいいかって(笑)、そんな感じですよね。

--- そのことはブログでもかなり重要度の高いお知らせとして公表されていましたよね(笑)。そうして、音をかなり切り貼りして編集したという。その点では結果的にエレクトリック・マイルスのマナーにかなり肉迫していったのではないかなと思うのですが。

 そうですね。『Alter War In Tokyo』はライブ盤ですが。マイルスのライブに関して言えば、『Live at Fillmore East』『Live Evil』みたいにテオ・マセロが鋏を入れまくってるものがあれば、やりっ放しの無編集のものもあるんですよね。どっちもやってる。編集の入ってるコンサートは異様にかっこいいけど、無編集のものは、例えば『In Concert』とかね、ダラダラしてて聴けたもんじゃないっていう(笑)。だからやっぱり編集が入ると違うんだっていうことをマイルスは訴え続けたっていうか。

 ウチらは、これ以前のライブ盤は全部無編集で、TD(トラックダウン)も立ち会ってないような音源を、とにかく“オフィシャル・ブート”みたいな感じで出してきたんですよね(笑)。それは比較的演奏が良かったんで、今聴いても問題ないんですが・・・まぁダレるっちゃあダレるんだけど(笑)。さすがにこの日(2011年6月6日 恵比寿LIQUIDROOM)の音源は、そのままではとてもじゃないけど使い物にならなかったんで編集しましたね。 


マイルスとテオ・マセロ(右)   (註)テオ・マセロ・・・1959年の『Sketches of Spain』から83年の『Star People』までの期間、数多くのマイルス・デイヴィスのアルバム・プロデュースを手掛けていたコロムビアの名プロデューサー。テオの名声をより確固たるものにし、何よりその手腕が光ったのは1968年以降の作品。数十テイク何時間にも及ぶ録音テープを切り貼りして緻密にして大胆な音絵巻を作り上げてきた鋭い感性は、『In A Silent Way』、『Bitches Brew』、『Jack Johnson』、『On The Corner』、『Get Up With It』、『Live Evil』などでの鋏さばき(≠編集マジック)に最も顕著。テオがいなければ、「エレクトリック・マイルス」という混沌とした綜合芸術は生まれることはなかっただろう。マイルスのほかにも、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガス、デューク・エリントン、ビル・エヴァンス、デイヴ・ブルーベック、サイモン&ガーファンクル『卒業』、ラウンジ・リザーズなど多岐ジャンルに亘る作品を数多く制作してきた。2008年死去。


--- ただし、クラウドの盛り上がりは尋常じゃなかったという。

 うん、ただそれはまったく別の話で。クラウドは、演奏がダメでもその場の空気が高揚すれば上がるし、演奏が良くても何かが気にくわなかったら上がんないですよね。だから、クラウドの上がりが音楽のクオリティそのものに関わってくるなんて、100%ありえないっていうか(笑)。クラウドはそれこそゲストが出てくるだけで上がるわけだし、そんなもんですよ。別に蔑視して言ってるわけじゃなくて。このときもすごかったですよ、クラウドの盛り上がりは。フロアにギュウギュウになってるところへアート・リンゼイが出てきたから。異様な盛り上がりになったんだけど、演奏はボコボコでしたからね(笑)。

 言っちゃあ、クラウドは始めから終わりまで一貫して上がってましたから。「伝説のライブだ」とか「CD化してくれ」とかっていうつぶやきレベルの声もいっぱいあったらしいんですけど(笑)、いざスタジオに入ってあらためて音源を全部聴き返してみたら・・・まぁ、違う意味で伝説のライブだったっていう(笑)。そうとう気が抜けちゃってて。

--- 実際ステージ上にいたときも、そうお感じになっていたんですか?

 ちょっとあった。「今日はちょっと疲れたのかな?」って。デートコースのフル・セットのライブは3時間あるんで、うまくいかない日は疲れるんですよね。うまくいった日は3時間が3時間に感じないんですが。この日も後半はキツかったんですよ、なんか。たしかに色んな不確定要素が入ってたっていうのもあったんだけど。アート・リンゼイが入ってきたとかさ。あれも知らされたの直前だからね。僕から「どうしてもアートと共演したいから呼んでくれ」なんて一言も口にしていないし、それ以前にそんなこと一瞬たりとも思っていないところに「アートが来るんで一緒にやってください!」って突然言われたの。「えーっ!? ウチらの曲できんの?」って思ったんだけど、すごい勢いでプロデューサーの高見(一樹)くんが「絶対やってください! 個人的に超盛り上がってます!」って言うから(笑)、まぁそんな無下に断れないなと思って、「じゃあやるわぁ」みたいな感じでやったんですよね。で、結果すごい盛り上がったんですよ、現場は。

 でも、音は聴けたもんじゃなかったんで編集したっていう。編集したものにはもちろん自信はありますよ。だから、元々の演奏がダメだったっていうことを公表したんですよね。聴く上でも面白い話かなと思って。しかも編集して良くなった上に、3時間のライブが70分になってるわけだから、ざっと3分の1に縮めたことになるんですよ(笑)。



DCPRG × アート・リンゼイ @恵比寿LIQUIDROOM 2011.6.6
Photo by Chikashi ICHINOSE (skyworks)



--- Impulse!からのリリースにあたっては、90年代のマイケル・ブレッカーが行なっていた「アフリカ音楽の研究と、ポリリズムの導入」という角度から様々な言及をされていましたよね。

 第一にエレクトリック・マイルスとImpulse!ってまったく関係ないわけじゃないですか。長らくColumbiaだったわけだから。ただ、今のImpulse!の人たちもチャラっとしたもんで(笑)、「次のアルバムではエレクトリック・マイルスの曲を入れてくれ」って平気で言ってくるわけ。いけしゃあしゃあとしてるっていうか、グズグズっていうか(笑)。Impulse!ってもう90年代以降は “店じまい” してるようなもんで、旧譜をCDにする業務しかやっていなかったんですよ。

--- トミー・リピューマに制作を委ねて。

 トミー・リピューマにしても、現場来て指示出してコンソールいじるっていう立場じゃなくて、もうエグゼクティヴだから。マスタリングしたものを確認してるだけでしょ、きっと。でまぁ去年、突然思い出したようにホセ・ジェームスを出して、今年ウチのCDを出したってことだけど、よしガンガンいくぞっていうことかも分からず微妙なんですけど・・・いずれにせよ去年までは“休んでた”レーベルなわけですよね。しかも、ジャズ・ファンってあまりこういうことは気にしないんだけど、とっくにユニバーサルに吸収されていて。老舗の饅頭屋が今や路面店はなく、伊勢丹の地下にしかないっていう(笑)、そういう状況ですよね。


  (註)トミー・リピューマ・・・デビューして間もないYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を発掘し全世界へ紹介したことでも知られる稀代の名プロデューサー。マイルス・デイヴィス『TUTU』、ジョージ・ベンソン『Breezin'』といったジャズ/フュージョン史にその名を刻む大ヒット・アルバムほか、サンドパイパーズ、イエロージャケッツ、ニック・デカロ、ナタリー・コール、ダイアナ・クラールなど数え切れないほど多くの名アルバムをプロデュースし、幾度もグラミー賞にノミネートされている(受賞は3度)。1995年からは、同じユニバーサル傘下となったGRPレコードの主宰を務める傍ら、カタログ・リイシュー事業を主としたImpulse! レーベルの活動再開に手腕を揮った。現・ヴァーヴ ミュージック・グループ会長。


 というわけで、マイルスという部分では全然関係ないわけ。流れは完全に無視ですよね。当たり前ですけど、エレクトリック・マイルスなんだからColumbiaから出すっていうわけにもいかず(笑)、それでImpulse!になったと。そのときに、そもそもImpulse!っていうのは「コルトレーンが建てた御殿」って言われていて、60年代 Impulse!って言えばジョン・コルトレーンですよね。ブルーノート以降60年代の作品を全部Impulse!から出していて。末期の頃は一緒にはやっていませんけど、コルトレーンとエルヴィン・ジョーンズっていうのはすごいアフリカン・ポリリズムなんですよ。それって誰も言わないわけ。日本人ってアフリカン・ポリリズムの構造を音楽から覚知できないんですよ、多分、一言で言うと。「うわぁ!」って言ってるだけ(笑)。ほかの事は結構嗅覚よくて覚知するんだよね。メロディの感じが何かに似てるとかさ。ハーモニーがドビュッシーに似てるだとか。そういうのは敏感なんだけど・・・ジャズ・ファンがいちばん鈍感なんじゃないかな?


--- リズムに対しての覚知が?

 ジャズ・ファンって大掴みに、「こいつはパーカー派だ」とかさ、「こいつはエヴァンス派だ」とか言うじゃないですか(笑)。でも、それはバッと聴いた印象であって、構造的なことに触れているわけじゃないですよね。特に日本人は、ジャズ・リスナーに限らず、とにかくリズム読みが能力的に遅れているんですよね。リズムを正確に読めない。日本人にアフリカってことを伝えるには相当苦労するわけなんですよ。肌の黒い人を呼んでアフリカの民族衣装を着させて、アフリカの楽器並べてって。

--- かなり分かりやすい見えヅラにしないと(笑)。

 そこまでしないとアフリカなんだと認識しないわけ(笑)。インドの影響を見せようと思ったら、シタールとか置かないと分かんないわけ。そこで初めてワールド・ミュージックなんだって分かってくれるわけね。そもそもJBですらアフリカの影響を受けてるわけで。まぁJBは黒人だからさ、話し的にはなんか分かりそうなもんじゃないですか。でも、具体的にアフリカの民族音楽の構造がファンクに生きてるってことは見つけづらいですよね。で、コルトレーンはものすごくアフロ・ポリなんですよ。エルヴィンもそう。大抵のジャズ・ミュージシャンは露骨にやらないだけでアフロ・ポリなんですけど、コルトレーンは稀有な例としてサックスなのにアフロ・ポリなんだっていう。パーカーにしろ優秀な人は皆そうなんですけど。コルトレーンはもっと露骨にアフロ・ポリで、しかもモーダル。エルヴィンとコルトレーンの演奏っていうのはすごくアフリカ的だったんですよ。ただしこれはビハインド情報で、多分アメリカの白人も当時よく分かってなかった。で、日本人はもっと分かってなかったと。

 Impulse!の最初のスターはコルトレーンですよね。そのコルトレーンが亡くなる67年以降、Impulse!はスターを失ったわけだから急激にダメになる。80年代に入るぐらいでリイシュー企画が中心になって、事実上1回休むことになるんですよ。たしか10年以上閉鎖状態が続いたんだけど、90年代に突如としてフュージョンをやめたマイケル・ブレッカーを、コルトレーンの跡目継ぎみたいな感じでImpulse!のスターにするっていう時期が5、6年あったと思うんですよ。90年代の “60年代リターンズ” っていうことで、ざっと数字で見ればマイケルは30年後に現れた「二代目コルトレーン」みたいな感じだったんですよ(笑)。 だけど、90年代のマイケルのソロがImpulse!を支えたなんて事実は、ジャズ・ファンの中でもさらに好事家しか知らないから(笑)。

 とにかくImpulse!の90年代っていうのがあって、マイケル・ブレッカーの時代だったんだっていうね。マイケルは、コルトレーンよりもさらにアフロ・ポリを推進しているんですけど、コルトレーンよりもさらに誰にも言及されなかったっていう(笑)。

--- ひっそりと推進していたわけではないんですよね?

 全然ひっそりとじゃないよ。当時の「スイングジャーナル」のチャートとか「ジャズライフ」の人気投票とかでも、常にアルバムを出せば上位っていう、少なくとも “ジャズ村” では大変な求心力があったから。

 僕は、ブレッカー・ブラザーズをやっていて、ポリリズムにあまり目覚めていない頃より、この時期のマイケル・ブレッカーの方が全然好きなんですよ。トラックも打ち込みを使っていて、そのバックトラックとテナー・ソロの関係なんかも全部ひっくるめてポリリズムだった。その頃マイケルのインタビュー記事をまめに読んでいたんだけど、必ず「みんな僕の部屋に来たら驚くよ。アフリカ音楽のレコードしかないから」とか、「僕は今ジャズには何の興味もないね。アフリカ音楽ばっかり聴いていて、ちょっとしたアフリカ音楽研究家と言ってもいいぐらいだよ」って言ってんだけど、インタビュアーは「・・・は、はぁ」みたいな(笑)。

 「あのアルバムにはすごい表れてますよね、アフリカ音楽の要素が」って言ってくれる人がひとりもいなくて(笑)。「あの曲のポリリズムはすごいですよね」とかさ。「俺だったら言うのに! なんにも分かってない、このバカ!」って思いながら読んでたんですけどね(笑)。でもまぁ仕方ないなと。難しいんですよね。黒人がアフリカの衣装を着て民族楽器を叩かない限り、アフリカ音楽のリズムだなって分かる人はいないんですよ、やっぱり。世界中見渡してもいないんじゃないかな。日本にはましてやいないですから、ポリリズムが読まれなくてもしょうがないんですけど、マイケルもコルトレーンも終生に渡ってアフリカの太鼓とか民族衣装とかをステージに置かなくて、普通のジャズ・セット、フュージョン・セットで演奏してましたからね。コルトレーンの本当の末期は、思い切ってパーカッションを呼んだりなんかはしているんですけど、それはもうイッちゃったって感じで。写真しか残っていなくて、作品になってないんですよね。

 ウチらもそうなんですよ。「ウチらはアフロ・ポリなんだ」って僕がしつこくしつこく言ってきたこともあって(笑)、「あ、これはポリリズムなんだ!」ってことが、アフロ・ポリの知覚能力に著しく欠けた日本の聴衆の方々にも何とか分かっていただけてきたなと。あとは時代もありますよね。クラブ・ジャズなんかが盛り上がったことによって、ポリリズムっていう感覚が昔より遥かに伝わるようになったと。まぁユースだけですけどね。

 とは言え、ウチらが最初に出た頃なんかは誰もポリリズムをやってるバンドだなんて思ってなくて、フリーだと思われてたんで(笑)。インプロのニューロックとか(笑)。だから、「違う、アフロ・ポリなんだ」って話を散々してたわけなんですけどね。要は何を言いたいかっていうと、ウチらがImpulse!に合流する意味があるとしたら、コルトレーン、マイケル・ブレッカー、デートコースと、全部アフロ・ポリをやっているってことなんだけど、アフロ・ポリっていうのはやっても報われないもののひとつだっていうね(笑)。ただのロックのリズムでやっているキング・サニー・アデだとか、ボトムが効いてるだけで普通の四拍子でやってるブラック・ウフルだとか、全然ポリリズムじゃないものを皆「アフリカ、アフリカ」って呼んでいるわけで(笑)。アフロ・ポリを抽出して何かをやろうとしている人たちは別にそうは思われないっていう長い歴史があるわけですよね。ウチらはその中には食い込むので、そういう意味では、コルトレーン、マイケル、デートコースって流れは成立するかもねっていうさ。

--- その流れの中では正統派なんだっていう(笑)。

 そうそう(笑)。そういうことですよね、90年代、Impulse!時代のマイケル・ブレッカーを引き合いに出したっていうのは。


マイケル・ブレッカー   (註)マイケル・ブレッカー・・・ジョン・コルトレーン以降最も影響力があったとも言われる、圧倒的なテクニックと多彩な表現力を兼ね備えたテナー・サックス奏者。トランペット奏者である兄ランディとのブレッカー・ブラザーズやスティーヴ・ガッドらとのステップス(ステップス・アヘッド)などでの活動で70年代中・後期のフュージョン/クロスオーヴァー時代を牽引。同時に400以上のアーティストのアルバム・セッションにも参加し、「ファーストコール・ミュージシャン」の名を欲しいままにした。1987年にImpulse! へ移籍し、初のソロ・リーダー・アルバム『Michael Brecker』(写真)を発表。全米ジャズ・チャートでは19週連続1位を記録した。その後99年の『Time is of The Essence』まで6枚のリーダー作品をImpulse! に吹き込んでいる。2007年にこの世を去るまで、実に13項目でのグラミー賞を獲得しており、サックス奏者としては史上最多の記録となっている。


--- そうした部分では、新しいメンバーの方たちは菊地さん曰く「かなりリズムのリテラシーが高い」ということで、アフロ・ポリのそれなりの素養や基礎などもあったのではないでしょうか?

 プレイヤー・リテラシーの問題は非常に難しいんですけど、あくまで僕の考えの中では “全部が揃わない” 方がいいんですよね。少なくともエレクトリック・マイルスみたいな雰囲気を出したいとしたら、揃わない方がいいんですよ。マイルスはそこが伏魔殿というか、すごく変わってるんですよね。

 例えば、ポリスのカヴァーをやるとするじゃないですか。そうするとベースはスティングに、ドラムはスチュワート・コープランドにって、全員がポリスに対するリテラシーが高くてそっくりに弾けると、概ねポリスになるっていう感じですよね、普通は。さらにそこから普遍的にポリス的なものを展開することもできると。別にポリスを例に出した深い意味はないんですが(笑)。だけど、マイルス・バンドは、各メンバーのリテラシーが著しく違うんですよ。キース・ジャレットマイケル・ヘンダーソンのことを「オスティナートしか弾けない、コードを知らないバカ」って言ってたぐらいで、移動の車の中で口も聞かなかったほどなんですよね。ドラムのアル・フォスターは勿論4ビートも叩ける人で、サックスは人によって違ってて、バリバリのコルトレーン派のデイヴ・リーブマンがいた時期もあれば、ヒッピーでフリーキーなカルロス・ガーネットなんかがいた時期もあったと。だから、バンドの中で「リテラシー格差」があった方が70年代マイルスの禍々しい感じっていうのは表出しやすい。理解し合っていないところから毒々しい魔術が生まれるみたいな感じというか。「ウチら全員ザッパが好きなんですよ!」じゃ、そういう感じは出せないんですよね(笑)。

 なので、デートコースもアフロ・ポリのリテラシーがあるメンバーなんて、第一期では3、4人だったのね。大儀見(元)や芳垣(安洋)さんは分かってて、坪口(昌恭)も僕も分かってる。後のメンバー、高井(康生)だったりジェイソン(・シャルトン)だったり皆分かんないわけ。だけど、それでよかったんですよね。栗原(正己)さんも分からずにやってるなと。分からないっていうか、今ここで初めて知って新鮮みたいな(笑)。そういう感じでやってる初期衝動みたいなのが畳み込まれて、デートコースは不安定であるのと同時に非常にフレッシュだったんですけど。

 でまぁ10年もやってると、デートコースを聴いて育った若者とかも出てくるわけじゃないですか。ティポグラフィカとか他のバンドも含めてですけど。その中で、端的にデートコースが好きで、僕に何かを教わりたくて(ペンギン音楽大学の)生徒になるっていう人もチラホラ出てきたんですよね。でまたその中に非常に優秀なプレイヤー・アビリティを持ったヤツとかがいるんですよ、デモ・テープをもらって聴いてみたりすると。言わば中〜末期の「ザッパ・スクール」みたいなね(笑)。「マイルス・スクール」もそうですけど。そういうデートコースのスクーラーを入れてみようかなと。だから、相変わらずギターの大村(孝圭)くんなんかはポリリズムの「ポ」の字も知らないって言ってますし。ロックの「ロ」の字とヘヴィメタの「ヘ」の字でやってるわけですよ(笑)。

 でも、昔よりはだいぶ上がったかなぁ。ホーンは全員ポリリズムを理解してくれる人ばっかりになったし。類家(心平)、高井(汐人)、(津上)研太は。大儀見、坪口は残してますし。丈青はあまりポリは分かんないですね。全員アフロ・ポリについてすごくよく分かってるということは今でも無くしているんですけど、ただ、増えたことは間違いなくて。さっき言ったように、デートコース・スクーラーが発生したっていうことが重要なわけで。だから、年齢がすごく下がりましたし。年齢が下がって、リテラシーが上がったっていうところですかね(笑)。

--- 70年代マイルスに対するリテラシーもやっぱりバラバラですか?

 うん、バラバラ。ただ、今はYoutubeなんかがあるから、アドレス4つぐらい送れば勉強してもらえちゃうんですよね(笑)。昔だったら、バンマスが「もっとリテラシー上げろよ、お前」ってアルバムを貸したりして、で聴いてくんなかったりとか(笑)、色々あるじゃないですか。聴いてもピンと来なかったりとか(笑)。今は、3分間ぐらいに凝縮されたいい映像なんかがいっぱいアップされてますから。逆に、こっちから言わなくても皆観てきますよね。

--- 世代的には、この時期のマイルスへの食い付き自体は良さそうなものですが。

 いやぁ、でも千住(宗臣)くんあたりは一生エレクトリック・マイルスなんか関係なくたって生きていけそうな人ですからね(笑)。とは言え、一応チェックはしますよね。だから、リテラシーが上げやすい時代になったっていうか。例えば僕が知らないバンドに誘われたとして、「こういうのを目指してるんで」って言われれば、まぁ観ますよね。一晩あれば100曲近くは観れるわけですから、ちょっとしたリテラシーを一夜漬けで身に付けることができちゃうんで。そういう意味では、リテラシーの問題も昔よりだいぶ変わってきましたよね。

 エレクトリック・マイルスに関しては、以前から筋金入りで大ファンだっていうのと、一夜漬けのヤツに分かれるっていう感じじゃないですか(笑)。

--- その両スジが混在するとおもしろいという。で、やっぱりギターの大村さんの参加が目を引くというか、ビジュアル的なインパクトも含めてデートコースならではだなと。野音のTAKUYAさんもそうでしたけど。

 やっぱりね、全然関係ない人がいてくれないと困るんですよね(笑)。マイルスも知らない、ポリリズムも分かんない、それどころか僕のことすら知らないっていう人(笑)。でも、出会い頭が知らないだけで、あっという間にYoutubeで調べ上げちゃうことができるから、僕のことですら一夜漬けでどんな人か分かっただろうけど、いずれにせよ最初は知らなかったんですよね。

 大村くんは何も知らなかったし、今も知らないまま。次のスタジオ・レコーディングでは色々やってもらおうかなとは思ってるんですけど、今までのところはただ自分の腕だけで参加しているわけ。そうすると、まぁこれもマイルス・マナーですけど、叩かれるんだよね(笑)。「あの変なヘヴィメタのヤツ、クビにしろ!」とかツィッターにすぐ上がるわけ(笑)。でも、大村くんてすごく図太くて、全然そういうこと気にしないんだよね。しかもすごい速度でリテラシーを上げていって、ずっと弾きまくってるんで、大村くんすごいなやっぱりっていう感じになってると思いますよ。 

--- 大村さんと最初にコンタクトをとった方っていうのは?

 僕です。「なんか菊地っていう人から連絡があったんだけど・・・」ってことですよね(笑)。J-メタルを入れたかったんで。J-メタルの人がデートコースにいたら相当ヒドいじゃないですか(笑)。ジェイソンはウチらにばっちりな音楽家で、オルタナティヴは何でも知ってたし、ロックの本流も知ってて、且つファンクも好きだったから、これ以上ないほどにデートコースにフィットしてたんだけど。でも次は、とにかくヘヴィメタの格好をした、J-メタルの人を入れたいなって思ってたんですよ。それはすごい前、デートコース初期の頃から決めてて、何回かアプローチしたこともあったんですよ。「高崎晃さん呼べないか?」とかって。ウチらのバックトラックにメタルのギター・ソロが乗ったら相当かっこいいんじゃないかって思ってたから。

--- それこそ、ザッパ・バンドのスティーヴ・ヴァイですね。

 まさにそう。変わったトラックの上に超絶技巧のヘヴィメタ・ギターが乗るっていうのがずっと夢だったんで。幸いなことに日本はメタルの人材が非常に豊富なので、そこはMyspace、Youtubeですよね。今はヘッドハンティングもすごい楽になってきて、どんどん観ていったら、とんでもないヤツがいるってことになって。それで大村くんに頼んだっていうことなんですよね。

--- デートコースの歴代ギタリストは、大友(良英)さんから始まって各時期で毛色が違いますが、菊地さんの中では、このバンドにおけるギタリストの役割みたいなものをその都度特別に設けていたりもするのですか?

 まぁ、エレクトリック・マイルスにもギターはいたし、特別な立ち居地みたいなものを与えているわけじゃないですけど、やっぱりファンキーな音楽をやる上でリズムをカッティングするっていうときに、キーボードだけじゃちょっとキツいですよね。ジャズ・タッチになり過ぎちゃうんで。ギターのカッティングがないとファンクな感じは出ないじゃないですか。そういう意味では単に不可欠だっていう。

--- 刻みの巧さという点では、大村さんは申し分なしですね。

 いやもう、あれだけの技術があるわけだから当然ながら刻みは巧いよ。というか、今までの誰よりも巧い。ポテンシャルの高い人っていうのは何でもできるんですよね(笑)。だから、大村くんはすごいですよ。ポリモードとポリリズムがないだけ。でもちょっと教えたらすぐできると思うよ。

--- 今その段階に入ってきている感じだったり。

 次のアルバムでそうしようか、いやまだ教えないでおこうとか、その辺はこちら側のたのしみのひとつでもあるんで(笑)。ただ、別に僕からそんな余計なものを教わらなくたって、彼は今のスキルで一生生きていけると思うから、無くてもいいんですけど。ギターでポリモード、ポリリズムをやってるのはいっぱいあるから、要はそれを聴かせればいいわけ。そういうことはやっていこうかなとは思ってます。

 ただやっぱり、マイク・スターン以降、ポリモード、ポリリズムのギターなんかアメリカのジャズ・ファンは死ぬほど聴いてるから、むしろやらない方がいいかもしれない(笑)。未知のスキルがあった方がエラいってわけじゃないから。バックトラックがこんな変わってるのにメタルが乗っかってるってことの方が “ジャパン・クール”でおもしろいかもしれないですよね。一応、輸出品であるわけなんで、そういうのはちょっと必要かなっていうね(笑)。



(次のページへつづきます)




Alter War In Tokyo / DCPRG
2011年6月6日、恵比寿リキッドルームにおける菊地成孔DCPRG+アート・リンゼイのライヴを収録した2枚組。ライヴでは聴き取ることのできなかった全く別次元のグルーブが聴こえてくる! バンドの結成12年目にして初のメジャー・リリースとなる作品は、2011年6月6日に恵比寿リキッドルームで行われた最新ライヴを収録した2枚組。鬼才ギタリスト、アート・リンゼイがゲスト参加した熱狂のライヴで、オーディエンスからは公演直後から作品化のリクエストが多数寄せられるなど、早くも伝説化していた。初期からおなじみのレパートリーが新生DCPRGにより鮮やかに甦る。また、マイルス・デイヴィス『オン・ザ・コーナー』収録の「ニューヨーク・ガール」のカヴァーは今回がCD初収録となる。




菊地成孔 ライブ・スケジュール


ローソンジャズウィーク2011

公演日:2011年10月24日(月)
会場:大阪・森ノ宮ピロティホール
開場:17:30
開演:18:30
料金:5,500円 (全席指定・税込)
お問い合わせ:キョードーインフォメーション 06-7732-8888 (10:00AM - 19:00)



菊地成孔 南博「花と水」

公演日:2011年11月3日(木・祝)
会場:ラフォーレミュージアム原宿
開場:15:30
開演:16:00
料金:前売り5,500円 (税込)/当日6,000円 (税込) *入場整理番号付き、全席自由席
お問い合わせ:ラフォーレ原宿 03-3475-0411



菊地成孔クインテット・ライブ・ダブ
YO NAKAGAWA PRESENTS NIGHT OF JAZZ & ECHO
〜 ジャーナリスツ・チョイス vol.7 中川ヨウ 〜


公演日:2011年11月15日(火)
会場:JZ Brat Sound of Tokyo
開場:17:30
開演:19:00
料金(税込):前売5,500円 (税込) /当日6,000円 (税込)
お問い合わせ:JZ Brat Sound of Tokyo 03-3475-0411



菊地成孔ダブセクステット ”2012 SS / Brand New Collection”

公演日:2011年11月21日(月)
会場:ブルーノート東京
開場:17:30
開演:19:00
料金:席種により異なります。お店のHPにてご確認ください。
お問い合わせ:ブルーノート東京 03-5485-0088



DCPRG ”SYNDICATE NKKH -DCPRG & AMERIAN CLAVE -”

公演日:2011年12月6日(火) 1st
会場:ブルーノート東京
開場:17:30
開演:19:00
料金:席種により異なります。お店のHPにてご確認ください。
お問い合わせ:ブルーノート東京 03-5485-0088

公演日:2011年12月6日(火) 2nd
会場:ブルーノート東京
開場:20:45
開演:21:30
料金:席種により異なります。お店のHPにてご確認ください。
お問い合わせ:ブルーノート東京 03-5485-0088






菊地成孔 その他の関連記事


  • 【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔 × ヒップホップ

    【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔 × ヒップホップ

    DCPRG 新作は、SIMI LAB、ボカロ、大谷能生氏参戦の完全ヒップホップ仕様のアルバムに。その完成を記念して、主幹・菊地成孔氏にお話を伺ってまいりました。

  • 【特集】 DCPRG、リユニオン

    【特集】 DCPRG、リユニオン

    新生デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン(DCPRG)の今年6月恵比寿LIQUIDROOMで行なわれたライブが名門IMPULSE! から音盤化。ゲストにはアート・リンゼイ! 帝王カヴァーも・・・

profile

菊地成孔(きくち・なるよし)

 音楽家/文筆家/音楽講師、1963年千葉県銚子市生まれ。25歳で音楽家デビュー。山下洋輔グループ、ティポグラフィカ(今堀恒夫主宰)、グランドゼロ(大友良英主宰)を経て、「デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」、「スパンクハッピー」といったプロジェクトを立ち上げるも、2004年ジャズ回帰宣言をし、ソロ・アルバム『デギュスタシオン・ア・ジャズ』、『南米のエリザベス・テイラー』を発表。現在ジャズ・サキソフォニストとして演奏するほか、作詞、作曲、編曲、プロデュース等の音楽活動を展開。主宰ユニットに「ペペ・トルメント・アスカラール」、「ダブ・セクステット」をもち、そして2007年に解散した「デ−トコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」を2010年に活動再開させ、今年Impulse!より『Alter War In Tokyo』をリリース。音楽、音楽講師、また執筆(音楽にとどまらずその対象は映画、料理、服飾、格闘技と幅広い)をよくし、「時代をリードする鬼才」、「現代のカリスマ」、「疾走する天才」などとも呼ばれている。






DCPRG 2011 その他のメンバー


坪口昌恭 坪口昌恭
(つぼぐち まさやす)


いまやDCPRGの副司令官とも言える結成当初からのメンバーのひとり、坪口昌恭。菊地氏とはDCPRGとほぼ時を同じくして、自動変奏シーケンスソフトがリズムを刻む、多重力的エレクトロ・ジャズ・ユニット、東京ザヴィヌルバッハを立ち上げているのは広く知られているところ。ラップトップ・テクノの鬼才numbとのコラボ活動や、自身のソロ作品におけるエフェクティブ手法やポリ・スイングの実践などを行なう一方で、ソロ・ピアノやトリオ〜小編成コンボではアコースティック・ジャズ・ピアニストそのものの魅力をアピールするなど、菊地氏に負けず劣らぬ「アンビバレンツ(両面性)」を兼ね備えている。


丈青 丈青
(じょうせい)


DCPRG 第三シーズンの中核を担うであろう、ドスの利いた「爆音ジャズ」「デスジャズ」でシーンに風穴を開けまくるSOIL&PIMP SESSIONS (別働トリオ・プロジェクトに J.A.M.)のピアニスト/キーボーディスト、丈青。2003年に音源も出さないままフジロックに出演するというSOILの快挙は、2000〜01年上半期までにスプリット・シングル『全米ビフテキ芸術連盟』 1枚こっきりの作品目録でライブハウスを夜毎熱狂させたDCPRGの徹底的な現場主義と共通している。


大村孝佳 大村孝佳
(おおむら たかよし)


坩堝感がさらに極まった新生DCPRGの中でも一際異彩を放つのが、今年2月20日の「巨星ジークフェルド」がお披露目公演となった新加入ギタリスト、大村孝佳の存在。様式美ヘヴィメタル/メロディック・ヘヴィメタル・ギタリストの「最速王」というのがそのスジでのふれこみ。従って「ザッパ・バンドのヴァイみたいに弾いてくれ!」(©菊地氏)という明瞭なパラブルと明確な着地場所がきちんとあってこそのヘッドハンティング、ということになる。しかもこのメタリックなギタリズムが、化学反応という意味合いも含めて、とてつもなくDCPRGにフィットしている。そして巧い。スピードを競うソロよりは、堅実な刻みや音の出し入れみたいなものがハンパなく手練れている。東京JAZZでのステージはしばし釘付けになった。


千住宗臣 千住宗臣
(せんじゅ むねおみ)


PARACOMBOPIANOウリチパン群など幅広い活動で爽やかに暗躍するドラマー、千住宗臣。メタルやハードコアから、ファンク/グルーヴ・ミュージックへと向かい、さらにNO WAVEとテクノを通過しながら、民族音楽と現代音楽を同時に貪る。「聴き手の意識を変容させていくようなビートの創出」を無機質的に表出することで、その独特とも言える空間芸術が生まれている。数々のレコーディング/ツアー・サポートに引っ張りだこなのも納得だが、この若さにして菊地氏や大友良英はおろか、ビル・ラズウェルアート・リンゼイ高橋幸宏細野晴臣ダモ鈴木(!)といった一筋縄ではいかない巨匠ドコロと共演歴がある。


大儀見元 大儀見元
(おぎみ げん)


背中一面にバカでかい「雷神」を刻んだ、泣く子も黙るパーカッション・リズムマスター、大儀見元は、菊地氏と同級生の初期メンバー。オルケスタ・デ・ラ・ルスの初代リーダーとしても知られ、脱退後の1991年にN.Y.へ移住し、サルサ界の大御所シンガー、ティト・ニエベスのバンドでコンガを叩くようになる。帰国後の97年、総勢11名からなるリーダー・コンボ、サルサ・スインゴサを立ち上げ、07年にはフジロックにサルサ・バンドとしては初めての出演を果たしている。ラテンのみならず世界各地のリズムを吸収した幅広いプレイスタイルと抜けがよく迫力のあるサウンドは、エムトゥーメのそれにも全く引けをとっていない。


津上研太 津上研太
(つがみ けんた)


2000年加入のアルト/ソプラノサックス、フルート奏者の津上研太。同じく初期メンである大友良英ONJQ/ONJOにも2007年まで参加し、ゼロ年代東京の緊迫した裸のジャズの在り方をケイオスに吐き出した。2000年に南博(p)、水谷浩章(b)、外山明(ds)と旗揚げしたリーダー・バンド「BOZO」ほか、村田陽一オーケストラ、渋谷毅との活動などでもその骨太でエレガントなブロウを聴くことができる。


類家心平 類家心平
(るいけ しんぺい)


DCPRGの「トランペットの王子様」「傷ついた美男子」(©菊地氏) 類家心平。海上自衛隊大湊音楽隊に在籍していたという驚くべき経歴を持ち、退隊後の2003年に6人組のジャム系ジャズ・コンボ「urb」に参加。2007年には、マイルスと並び敬愛してやまない菊地氏の当時の新バンド、ダブ・セクステットに加入し見事その念願を叶え、以来若手No.1 トランペッターの名を欲しいままにしている。その甘いお顔立ちからは想像できないほど激しく燃え上がるアドリブで、DCPRGファンからアッパーギャル層のハートを総ざらいしていることは、あの『美男子JAZZ』に堂々フィーチャーされている点においても顕著。先月には、類家率いるワンホーン・カルテット、類家心平 4 Piece Bandの2ndアルバム『Sector b』もリリースされた。プロデュースはもちろん親方・菊地氏。氏書き下ろしのポリリズミック・チューン「GL/JM」、DCPRG若衆が寄ったジャズバンド「アンフォルメル8」の三輪裕也が書いた「アトム」、さらにはレディ・ガガ「Poker Face」のカヴァーなど、かなりバラエティに富んだコンポジションが散りばめられている。


田中教順

アリガス

高井汐人
田中教順 (たなか きょうじゅん)
アリガス
高井汐人 (たかい しおひと)

「DCPRGを聴いて育った世代の成長ぶりにとにかく驚かされた」と語っていた菊地氏肝煎りの、ピッカピカの新メン・トリオ。2010年、ダブ・セクステットのフジロック公演で本田珠也のトラも務めたドラマー、田中教順、ベースのアリガス、テナー/ソプラノ・サックスの高井汐人。いずれも「朱雀大路」というインストバンドのメンバーで、主幹の私塾「ペンギン音楽大学」出身でもある言うなれば「菊地成孔チルドレン」にして腹心。「新人の腹心」「腹心の新人」という実体があってないようなものを起用するというこうした人材育成・開発メソッドは、まさにエレクトリック期以降のマイルスのそれに追随している。