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ココパナ さんのレビュー一覧 

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     2021/04/16

    小樽市在住の鉄道写真家、星良助(1935-)氏が撮りためた貴重な写真が、「北国の汽笛」と銘打って全4冊のシリーズとなっている。全ページが白黒で、基本的に1ページに2~3枚の写真を紹介する形。第4巻には1965-81年に撮られた写真が、以下のようにまとめられている。

    【国鉄】
    国鉄の話題
    電化工事/特急「北海」誕生/室蘭本線不通迂回運転/夏休みカメラ紀行/NHK連続ドラマ 旅路ロケ/小樽‐滝川間 電化開業/義経としずかご対面/小樽築港機関区/北海道 鉄道90周年/千歳線 新線切り替え/義経号到着/電車特急試運転/北海道 鉄道100年記念
    国鉄各線
    客車・貨車
    【私鉄】札幌市交通局/定山渓鉄道/旭川電気軌道/函館市交通局/美唄鉄道/夕張鉄道/三菱大夕張鉄道/苫小牧港開発 苫小牧臨海鉄道
    【その他】三井鉱山 美唄鉱業所専用線/三井鉱山 奈井江専用鉄道/北星炭鉱 北星鉱業所専用(美流渡)/日本甜菜製糖 磯分内工場専用鉄道/小樽臨港鉄道/泰和車両/貨物線のスイッチャー/北海道開発局/鉱山のナローゲージ
    【資料】室蘭本線不通に関する局報より

    当書が全4巻シリーズの末尾であり、掲載対象となっている期間も1965年から1981年までの長い。この期間は、北海道の大地を覆った運炭鉄道の殆どと、森林鉄道、簡易軌道の全てが廃止となった時代で、蒸気機関車が1976年を最後に北海道の大地を去った。つまり、これらの鉄道の魅力的なものの多くが失われた時代でもある。かつて、多くのファンが羨望し、目指した北海道の鉄道は、80年代に入るころには、その多くが失われ、さらに80年代になってから、多くの国鉄線が廃止されることとなる。本巻掲載内容で最初に注目したいのは、「定山渓鉄道」と「千歳線 新線切り替え」である。前者の真駒内-澄川間は、札幌市営地下鉄南北線に、後者の東札幌-大谷地間は、同じく東西線に置換することとなる。いずれも札幌の市街地を走る線区である。定山渓鉄道の廃止には、1972年の札幌オリンピックの開催が関わっている。札幌市は、オリンピックを目指して都市を公の主観でデザインするため、鉄道職員を札幌市職員化するなど強引な手法で、「私」→「公」の引き継ぎが行われた。札幌市において現在に至るまで続いている「官主導」の開発スタイルを固定させたのがこのことであった。もし定山渓鉄道(東急系列)が残されていれば、札幌市も本州や九州の大都市のように、私鉄資本の開発・投資が行われ、街並みも現在とはまったくちがったものになっていただろう。千歳線の旧線も、もし今JRが線形を持っていれば、需要の高い路線として、経営の厳しいJR北海道の一助になっていたにちがいない。現在、それらの線形は、札幌市交通局が引き継いだ形になっているが、当該地下鉄線は、案内軌条式という独自の方策を取り入れたため、維持コストが余分にかかっている有様で、ある面で、40年以上前のオリンピックの負の遺産と化してしまっている。こんなことなら、定山渓鉄道と国鉄線の線形を維持したJR線を残した方が、余分な投資を回避し、民需を活用できたのではないだろうか。そのような観点で見ると、惜しいものを失った時代、という見方もできる。もちろん、その時代に、そこまでの見通しを持つことが困難であったという見方もあるだろうが。それにしても、旧千歳線の大谷地駅の木造駅舎の姿を見ると、さすがに隔世の感は禁じ得ないところか。別に注目したいのは北海道開発局の江別工場の風景で、石狩川治水工事等に従事した機関車たちの姿が収められている。また、最後にまとめられた「鉱山のナローゲージ」は、ほとんど報告のない軌道が紹介されている。岩内線国富駅から住友金属鉱山国富鉱業所に牽かれた線路を行く機関車で、この路線は地上部が木造の雪覆いで覆われており、橋梁を渡る部分でのみ、機関車が顔を外界に覗かせたという。その瞬間が撮影されている。思い入れの深いものとしては美唄鉄道で、これは私の父が撮影のため、足しげく通ったところ。父は1,000枚を越える美唄鉄道の写真を撮影していて、私は最近これをデジタル化し、HPでも公開したところ。4100型の特徴的な姿を見ることが出来る。現在、美唄鉄道の東明駅跡に、唯一見ることのできる形で保存されている当該蒸気機関車がある。興味を持たれた方は、是非足を運んでいただきたい。シリーズ4冊とも、星良助氏の熱意がこもった見事な写真集である。今世紀になって、このような書物にまとめていただいたことに、感謝の念は絶えないのである。

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     2021/04/16

    小樽市在住の鉄道写真家、星良助氏が撮りためた貴重な写真を、「北国の汽笛」と銘打って全4冊の写真集としたシリーズの第3巻。全ページが白黒で、基本的に1ページに2~3枚の写真を紹介する形。当巻には1962-64年に撮られた写真が、以下のようにまとめられている。

    【国鉄】
    国鉄の話題
    「狩勝」「はまなす」の増発/手宮線旅客営業廃止/小樽の列車/洞爺駅に改称/蒸機急行「大雪」の最後/小樽始発になった「はまなす」/函館本線の列車/臨時海水浴列車/北海道鉄道記念館/小樽市内高架工事
    国鉄各線
    客車・貨車
    【私鉄】札幌市交通局/定山渓鉄道/夕張鉄道/旭川電気軌道/留萠鉄道/雄別炭礦 尺別鉄道/寿都鉄道/函館市交通局
    【その他】豊羽鉱山専用鉄道/日本セメント 上磯工場専用鉄道/北海道炭礦汽船 美流渡礦専用鉄道/明治鉱業 庶路鉱業所専用鉄道/    日本甜菜製糖 磯分内工場専用鉄道/北日本製紙 江別工場専用鉄道/七重浜・伊達紋別・富士製鉄/農地開発機械公団/旭川土木現業所 東神楽客土事業所
    【資料】北海道の駅スタンプ/編者あとがき/北国の汽笛2 正誤表

    当巻の注目点をまず書いていこう。寿都鉄道は、晩年、経営が非常に厳しく、冬期間の運行はめったにないような状態となっていた。そのような中、1968年の豪雨による河川増水で路盤が流出し、運行休止、そのまま廃止となってしまった。和歌山から札幌に移り、1969年から蒸気機関車の写真を撮り始めた私の父が、「寿都鉄道には行きたかった」と言っていたが、その理由は、茅沼炭化工業専用線から寿都鉄道に移り、最後まで活躍していた8100の存在がある。星氏は所属する鉄道愛好会のメンバーと一緒に寿都鉄道を訪れた模様。かように寿都鉄道は蒸気機関車ファンには外せない路線であったが、不幸にも天災に見舞われ、私の父はその姿を見る機会を失ってしまった。そのため、残された写真を見るのは、私には感慨深いが、そうでない人であっても、その美しい機関車の姿は感動的であろう。ちなみに、紀行作家の宮脇俊三も、寿都鉄道のことを「なぜ乗っておかなかったのだろう」と悔やんでいた。函館線の黒松内から寿都湾の港町に至る線形は、地図で見ても旅情を誘うもの。本書に話を戻して、特に貴重な画像として、定山渓鉄道の錦橋駅を起点としていた豊羽鉱山専用鉄道の姿、そして、東神楽客土事業所による客土事業のため敷設された線路を走る蒸気機関車の姿を挙げよう。前者は現役時の写真を紹介される機会自体がほとんどない。後者の客土事業については、星良助氏が1963年6月号の「鉄道ファン」誌に、地図とともに1ページの報告を寄せている。その報告によると、道庁が軌道を用いて客土を行っているところが(当時)全道で19カ所あり、そのうち東神楽と知内では8〜20トンの蒸気機関車が使用されていたとのこと。昭和28年日立製の蒸気機関車には「土改C101」「土改C102」のプレートが付けられていた。本書では、その貴重なCタンク蒸気機関車の写真が紹介されている。なお、1963年6月号の「鉄道ファン」誌のマップを見ると、東神楽の客土事業は1,067mmの軌道により行われ、その路線は2か所で旭川電気軌道の線路と平面交差によりクロスしていたとのこと。さらに旭川電気軌道の終点である東川周辺では、別に軌間762mmの鉄道が敷設され、こちらではディーゼル機関車が客土作業に従事していたという。かように瞬間的しか存在しなかった貴重な鉄道も、写真として記録されたことは、たいへん価値のあることである。小樽市内の函館線高架化工事の際の写真、完成時の写真も掲載されている。一時期のみみられた鉄道風景であり、地域史の貴重な一コマに違いない。他にも、美流渡、上磯、庶路、磯分内など、貴重で良い写真が数多く収録されているが、ファンには巻末に収録された当時の北海道の各駅の旅のスタンプも楽しいものとなっている。

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     2021/04/16

    小樽市在住の鉄道写真家、星良助氏が撮りためた貴重な写真を、「北国の汽笛」と銘打って全4冊の写真集としたシリーズの第2巻。全ページが白黒で、基本的に1ページに2~3枚の写真を紹介する形。当巻には1960-61年に撮られた写真が、以下のようにまとめられている。

    【国鉄】国鉄の話題/小樽の鉄道/札幌/函館本線/道央・道南/道東・道北/客車・貨車
    【私鉄】札幌市交通局/定山渓鉄道/夕張鉄道/三菱大夕張鉄道/美唄鉄道/羽幌炭礦鉄道
    【その他】三菱鉱業 芦別専用鉄道(上芦別鉄道)/油谷工業所専用線/日曹炭鉱 天塩鉱業所専用線/藤田炭鉱 宗谷鉱業所 専用線/北海道炭礦汽船 真谷地礦専用鉄道/雄別炭礦鉄道 茂尻鉱業所専用線/三井鉱山 美唄鉱業所専用線/東洋高圧 北海道工業所専用線/運輸鉱業・泰和車両/日本製鋼所 室蘭製作所専用鉄道/富士製鐵 室蘭製鐵所専用鉄道/貨物側線のスイッチャー/主夕張森林鉄道/根室拓殖鉄道
    【資料】星良助 著作一覧/富士製鐵 室蘭製作所専用鉄道 機関車改番表

    この時代、北海道の各地には、様々な用途の鉄道があり、古典蒸気機関車をはじめとする個性的な車両がひしめいていた。その一方で、北海道は主要道路でさえ、多くがまだ未舗装という有様。それゆえに、当時の交通事情を乗り越え、各所を回り、精力的に撮影されたこれらの写真は、疑いなく貴重な記録である。とはいえ、国民のくらしにはいくぶんの余裕が生まれてきた時代でもある。国鉄の話題として、週末快速「たるまえ」やスキー臨「ニセコ」、ディーゼル特急「おおぞら」の試運転など旅を積極的に促進する列車たちが、本書で写真と併せて紹介されている。国鉄線の蒸気機関車では、C51、D50がなお姿をとどめながら、室蘭線ではC58、C57、岩見沢、宗谷線のC55、そして各所のD51と9600など、この時代ならではの華やかさが楽しい。また、相生線、胆振線、日高線といったローカル線も被写体となっている。また、本巻では、芦別の三菱鉱業 芦別専用鉄道と油谷工業所専用線が紹介されている。前者は、1964年にけむりプロの面々が訪問し、その際の成果を上芦別物語としてのちに「SL No.2」(1969年)、そして最近復刻された名作「鉄道讃歌」(1970)にまとめることとなる端緒となった鉄道であり、本書では、そのさらに数年前の記録を見ることが出来る。(撮影されているのは、9613、103、2650など)。また、真谷地、茂尻、美唄など、私の父が70年代はじめごろに、足しげく撮影に通った場所であり、そういった意味でも思い入れたっぷりに拝見させていただいた。札幌市の桑園付近にあった運輸鉱業や泰和車両の様子は、ほとんど紹介されることもないので、こちらも貴重なこと、この上ない。さらに、最果て感のある藤田炭鉱の鉱業所全景、今さらのように廃止が惜しまれてならない定山渓鉄道が夏の陽射しの中を進む姿など、とても抒情的で美しい瞬間が記録されている。今ほど移動が簡単ではないこの時代に、北海道全域を行動域とし、これほどの写真を残せた著者の行動力には恐れ入るが、その貴重な成果が、本書のような形でまとめられたのは、とてもうれしい。

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     2021/04/16

    小樽市在住の鉄道写真家、星良助氏が撮りためた貴重な写真を、「北国の汽笛」と銘打って全4冊の写真集としたシリーズの第1巻。全ページが白黒で、基本的に1ページに2~3枚の写真を紹介する形。当巻には1956-59年に撮られた写真が、以下のようにまとめられている。

    【国鉄】小樽の鉄道/手宮線/函館本線(函館‐小樽)/函館本線(小樽‐札幌)/札幌付近/北海道各線/客車貨車
    【私鉄】札幌市交通局/定山渓鉄道/寿都鉄道/夕張鉄道/三井芦別鉄道/天塩鉄道/羽幌炭礦鉄道/北海道拓殖鉄道/十勝鉄道/雄別鉄道/根室拓殖鉄道/函館市交通局
    【その他】北海道炭礦汽船美流渡専用鉄道/三井鉱山奈井江専用鉄道/茅沼炭化工業専用鉄道/日本セメント上磯専用鉄道/専用線その他/札幌営林局/北海道簡易軌道 当別線

    この時代の北海道は「蒸気機関車の王国」とも呼ばれていた。全国的には、1956年(昭和31年)に最新鋭気動車であるキハ44800形が準急「日光」の運行を開始。東海道線は全線電化され、1957年には仙山線、北陸線といった地方にも電化は波及、ついに1958年には東京‐九州を結ぶ夜行寝台特急「あさかぜ」に電車が登場する。そのような時代変化が急速に進む中にあって、北海道では蒸気機関車たち、特に古典機があちこちで活躍していた。高名な鉄道写真家、広田尚敬(1935-)氏は、名作「昭和三十四年二月北海道」の中で当時の事を以下の様に記述している・・・「現代の日本人が認識する地球上のどの国よりも、当時の人たちにとって北海道は、はるかに遠い所だったのです。」。この時代の北海道は、道路整備もままならず、冬季の移動手段と言えば、ほとんど鉄道のみであり、しかも開拓の名のもとに、実質的な先遣隊が、各地に入殖を行っているような状況で、限られた交通手段でさえ、天候によっては運行もままならず、少なくとも冬季に首都圏の人が旅行に行くようなところではなかったのである。だからこそ、当時、北海道に住み、各地で写真を撮影してきた星氏の功績は、きわめて大きなものがある。とくに50年代中期〜後期のもので、これほど、北海道の鉄道に関する写真をまとめて拝見できるものは、他にはなかなか思い当たらないのである。蒸気機関車で言えば、かつて特急燕を牽いたC51(1965年運用中止)がまだ健在で、函館線で活躍する姿が収められている。函館線ではD50の貴重な写真も見ることが出来る。また、地方の私鉄たちの貴重な車両たち、古典型蒸気機関車や、レールバスたちの姿も収められている。全般に写真は車両を中心としたものが多く、貨車なども車両にターゲットを絞ってまとめられたものが掲載されており、資料的な価値は様々に高い。美流渡、奈井江、茅沼、寿都など、ファンには言わずもがなの鉄道たちも押さえられており、これ以上のものは見つけるのは難しいと思うほど。札幌市電は当時の催しに際して運用された記念車両なども掲載されていて、当時の街並みと併せて、時代の風を様々に感じ取ることができる。また車両と別に、個人的に特に感銘を受けた写真として、旧手宮機関庫の素晴らしい雰囲気のある姿、余市臨港鉄道の駅舎後、台風のため運行休止となってしまった殖民軌道当別線の姿を挙げたい。もちろん、その他にも、貴重で美しい写真ばかりであり、これらのデータが散逸することなく、書物にまとめられたことを、なにより慶賀と感じる一冊となっています。

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     2021/04/16

    特殊軌道の研究でも高い功績を挙げている歯科医師、西裕之)氏による著書で、「特撰 森林鉄道情景」。貴重な森林鉄道の記録写真等が紹介されている。以下、項目別に取り上げられた内容を列挙しよう。

    カラー写真で偲ぶ森林鉄道情景
    安房森林鉄道/遠山森林鉄道/杉沢森林鉄道/木曾森林鉄道/松本製材(現・松本建設)/秋田営林署管内鳥瞰絵図  14
    各地の森林鉄道
    美深(仁宇布)森林鉄道/陸別・斗満森林鉄道/扇田森林鉄道/宮田又沢・船岡森林鉄道/椿森林軌道/杉沢森森林鉄道/葛根田・鶯宿森林鉄道/仁別森林鉄道/岩見森林鉄道/附馬牛森林鉄道/新川森林鉄道/猪苗代森林鉄道/浪江森林鉄道/ 神楽山森林鉄道/下仁田森林鉄道/東京大学演習林軌道/杣口森林軌道/渋森林軌道/王滝森林鉄道白川支線/遠山森林鉄道/千頭森林鉄道/水窪森林鉄道/熊切森林鉄道/小原野森林軌道/魚梁瀬森林鉄道/福川林業森林軌道/巣之浦森林鉄道/赤水・小野市森林鉄道/安房森林鉄道

    森林鉄道は、屋久島の安房森林鉄道を除いて、現在では国内に残っているものはない。私の住む北海道では、かつて800km以上にもおよぶ森林鉄道が、山林深くに張り巡らされて、木材搬送のための列車が運行されていた。それらは、安価な輸入木材の流入と、運送のトラック化により衰退し、北海道においては60年代のうちに全森林鉄道が廃止となった。私は幼少のころ、夕張を訪問したとき、シューパロ湖の対岸にかかる立派な鉄道橋跡を見て、「あんなところに鉄道がないはずなのに」ととても不思議な思いにつつまれたことがある。北海道では、森林鉄道のほか、数多くの運炭鉄道や殖民軌道が路線を張り巡らせていたため、思わぬところでその遺構を目にし、その由来を知らないと、とても不思議な思いにつつまれることがある。私には、そんな幼少のころの体験が多く記憶に残っている。人は、時として失われたものに強烈な郷愁を感じる。たとえ、それが自分の生い立ちに直接的な関わりを持っていなかったとしても。最近の「廃線跡探索ブーム」は、人の気持ちのどこかに共通して働きかるものが、一つのアクションとして表れた例に思える。ちょっと別の話をさせていただこう。最近読んだ有栖川有栖(1959-)の小説を読んでいて、こんな印象に残るフレーズがあった。ミステリを愛する若い主人公が、先輩に「なぜミステリが好きか?ミステリ特有の感動があるのはなぜか?」と問われ、回答を探していると、先輩がこう述べる。「人間のもっとも切ない思いを推理がなぐさめるからや。名探偵の推理は、殺されて物言えぬ被害者の声を聞くのに等しい。ミステリが推理の巧みさを楽しむだけのものやったら、ああまで殺人事件を中心に描く必要はないやろ。殺人を扱った方が、刺激的で、問題に切実さが出るということもあるやろうけど、殺人事件がミステリの中心的モチーフになることには必然性がある。当たり前に響くやろうけど、被害者が絶対に証言できない、というのが重要なんや」。これはどこか、失われた鉄道に思いを寄せるフアンの気持ちに通ずるものだ。かつてそこに地域と産業の発展に鉄道があった。しかし、急な時代の移り変わりの中で、彼らはいつの間にかいなくなり、誰もその存在を気に留めるものはいない。こちらから積極的に探究し、働き替えなければ、その姿は想像の世界にさえ立ち現れない。だからこそ、数少ない遺構を発掘し、資料を集めて、その存在していたものを、何らかの形で、具現化したい。廃線跡を探索したり、失われた鉄道の資料をまとめたりするのは、その人の郷愁に深く作用する作業であり、それは対象を「鉄道」に限らなければ、だれにでも共有できる感情に違いない。そのようなわけで、この書も、フアンの気持ちに沿った実に美しい書物となっている。貴重な写真が集積されているほか、紹介されている森林鉄道に関しては簡略化された路線図(できれば5万分の1地形図にトレースしてほしかった)も記載されている。写真も、厳しい路肩と勾配の中、森林軌道ならではの線路幅の狭い鉄道の様子が、見事に示されている。紹介される機会の多い木曾、王滝、魚梁瀬、安房といった森林鉄道以外のものも、貴重な写真が集められており、当時の姿を様々に伝えてくれる。まさに、読み手の郷愁を満たしてくれる1冊だ。また、インクライン、集材所などの関連施設についても、その姿をよく伝える姿が紹介されており、今や人が通うことも難しい山奥に、これほどの施設があったのかと感嘆し、フアンの「知りたい」という気持ちを満たしてくれ、「今はもうない」という気持ちを、適度になごませてくれる。アカデミックだけど情緒的。こういのを趣味的な良書と言うのだろう。

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     2021/04/16

    国土地理院が発行する5万分の1地形図は、全国を1,291面によりカバーし、不定期に更新される。鉄道ファンにとって、概して過去地形図は魅力的なものだと思う。「かつて存在した鉄道」の線形がそこには記録されている。当書は、古い地形図から、鉄道の改廃、線形変更の歴史、その背景を紹介してくれる。当「東日本編」と題する本書で紹介されているのは下記の通り。

    【北海道】 札幌付近◆千歳線・苗穂〜北広島の改良  室蘭付近◆室蘭本線・室蘭〜東室蘭  狩勝峠と金山付近◆根室本線(金山〜新得) 小樽・幌内付近◆旧・手宮線と旧・幌内線の今昔  殖民軌道と標津線◆根室標津・中標津・厚床付近  駒ヶ岳をめぐって◆函館本線(七飯〜大沼〜森)  苫小牧・沼ノ端◆室蘭本線・千歳線・日高本線  【東北】 野辺地・千曳付近◆南部縦貫鉄道  花巻付近◆花巻電鉄・岩手軽便鉄道  仙人峠越え◆釜石線(足ヶ瀬〜陸中大橋)  石巻〜女川間◆金華山軌道と石巻線  羽越本線◆村上〜鶴岡間  白河付近と棚倉◆東北本線(白河〜黒磯)の改良と白棚鉄道  塩釜・松島◆東北本線新旧線・宮城電気鉄道(仙石線)  小名浜付近◆磐城海岸軌道・小名浜臨港鉄道・江名鉄道他   【関東】 佐野・葛生付近◆安蘇馬車鉄道・東武佐野線  今市付近◆下野軌道→東武鬼怒川線  渋川・沼田付近◆東武の軌道各線・吾妻軌道・利根軌道と上越線・吾妻線  千葉付近◆総武本線・内房線・外房線・京成電鉄  津田沼付近◆新京成電鉄  成田・三里塚付近◆成田鉄道・京成電鉄他  川越への鉄道◆川越鉄道・川越電気鉄道・川越線・東上鉄道  荒川放水路◆東武伊勢崎線・京成押上線  新宿停車場◆山手線・甲武鉄道・その他私鉄  羽田空港への鉄道◆京浜急行空港線  東京の東急路線網◆東横線・目蒲線・池上線・大井町線  西武の複雑路線網◆国分寺・所沢付近  八王子付近◆京王御陵線と高尾線・武蔵中央電気鉄道  多摩の専用線◆中央本線・青梅線・横浜線に沿って  鶴見の埋立地をゆく◆鶴見線・海岸電気軌道・京浜急行  横浜駅三代◆横浜駅付近  海老名・大和付近◆小田急・相鉄・相模線  小田原〜熱海◆豆相人車鉄道→東海道本線  【中部】 新潟付近◆信越本線・越後線・白新線・新潟交通  寺泊◆越後交通長岡線・越後線  頸城トンネル付近◆北陸本線糸魚川〜直江津間  確氷峠◆旧・信越本線(横川〜軽井沢間)と長野新幹線  三島・沼津◆新旧の東海道本線・駿豆鉄道  大井川鉄道井川線◆井川線・長島ダム付近  富士を目指す鉄路◆富士急行他  吉原・富士宮付近◆身延線・岳南鉄道他  飯田線◆辰野〜伊那松島 中部天竜〜大嵐  遠州の鉄道・軌道◆秋葉原馬車鉄道・中遠鉄道・光明電気鉄道・遠州鉄道他  

    各項目ごとに、鉄道や線形の変遷の歴史、背景が述べられていて、読者は、その文章を読みながら引用された地形図を見比べるという体裁になっている。地形図は、基本的に同地点における変化の前後を参照できる形で引用されていて、なかなか興味深い。特に、北海道で、かつて拓殖のため、道東・道北を中心に敷設された狭軌の軌道「殖民軌道」など、1946年には、総延長は600kmを越えたにもかかわらず、なかなかきちんとした記録がないものであるため、地形図は一次資料としても有用なもので、本書では1925年5月に厚床-中標津58kmに開通した最初の軌道を中心にその変遷を紹介してくれる。私のような趣味を持つ人間には、とても楽しく拝見できるが、地形図の引用を参照するさい、「細かすぎる紙面」は人によっては苦労させられるかもしれない。また、紙面の制約からやむないとは言え、情報も鉄道線の変遷のみであり、個人的希望として、例えば、いくつかの廃止された鉄道に絞って、その全線を地形図で紹介し、地域一帯の歴史を紹介してみるような試みであれば、より深い社会的興味を喚起できそうに感じる。また、森林鉄道についても、是非触れてほしかったところである。ただ、そのような趣味性に基づく要望は、それこそ「言い出せばきりがない」であろう。それよりも、これほど全国の広範囲なターゲットから、興味深い地点を抽出し、資料を集約した著者の労力は、賞賛されてしかるべきものだし、これを機に、さらなる分析を加える機会を人々に提供されたなら、最大の成果というべきものになるだろう。著者のこれからの活躍にも期待したい。なお、巻末にある「廃線・路線変更区間地形図一覧」は、線路が通っていた個所の地形図を、図郭番号で示しただけのものとなっている。こちらは、廃線なだけに、線路の記載されている地形図の「発行年」を併せて周知しなくては、データの意味が薄いと感じられました。

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     2021/04/16

    昭和30年代の北海道は、道路整備もままならず、冬季の移動手段と言えば、ほとんど鉄道のみであり、しかも開拓の名のもとに、実質的な先遣隊が、各地に入殖を行っているような状況で、天候によっては運行もままならず、少なくとも冬季に首都圏の人が旅行に行くようなところではなかった。その一方で、この時代の北海道は「蒸気機関車の王国」とも呼ばれていた。この当時の鉄道事情についても本書内で言及があるが、1956年(昭和31年)に最新鋭気動車であるキハ44800形が準急「日光」の運行を開始。東海道線は全線電化され、1957年には仙山線、北陸線といった地方にも電化は波及、ついに1958年には東京―九州を結ぶ夜行寝台特急「あさかぜ」に電車が登場する。そのような時代変化が急速に進む中にあって、北海道の鉄道たちに残された時間の少なさを、広田氏は肌で感じ取ったのだろう。前述の通り、当時の北海道は首都圏の人によって遠隔の地だ。気安く行ける場所ではとてもない。本書の後半に、「鉄道ファン」名誉編集長である宮田寛之氏が、これらの路線の注目すべき車両と背景、広田氏の経歴等について、詳細に解説を寄稿してくれていて、それ自体がとても参考になるのだけれど、そこにこのような一説がある。「現代の日本人が認識する地球上のどの国よりも、当時の人たちにとって北海道は、はるかに遠い所だったのです」。しかも、北海道の各鉄道は開拓や運炭のため、山深い奥地や、開拓の前線に張り巡らされている。それらを巡るのは、様々に厳しい条件があったであろう。しかし当時24歳だった気鋭の鉄道写真家広田尚敬(1935-)氏は「今行かねば」、という思いで、1959年の冬に北海道へ向かったに違いない。厳冬期の北海道にける滞在旅行は1か月に及んでいる。そこで記録された数々の貴重な蒸気機関車と、鉄道施設周辺の写真たちは、当然のことながらすべて白黒。しかし、それゆえのリアリティと質感がともなって、訴える力の強い写真ばかり。全184ページに及ぶあまりにも貴重な記録だ。写真が掲載されている路線を挙げよう。(カッコ内に参考までの国鉄等接続駅を書く) 1) 寿都鉄道(黒松内) 2) 国鉄胆振線 3) 日本製鋼所室蘭工場(東室蘭、御崎) / 栗林商会(本輪西) 4) 北海道砂鉄伊達工場(長和) 5) 三菱鉱業大夕張鉄道(清水沢) 6) 北海道炭礦汽船平和鉱業所真谷地専用鉄道(沼ノ沢) 7) 北海道炭礦汽船角田鉱業所専用鉄道(夕張鉄道 新二岐) 8) 夕張鉄道(野幌、栗山、鹿ノ谷) 9) 北海道炭礦汽船幌内鉱業所美流渡専用鉄道(美流渡) 10) 三菱鉱業美唄鉄道(美唄) 11) 三菱鉱業美唄鉱業所茶志内専用鉄道(奈井江) 12) 三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道(茶志内) 13) 雄別炭礦茂尻鉱業所専用鉄道(茂尻) 14) 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道(上芦別) 15) 芦別森林鉄道(上芦別) 16) 三菱鉱業油谷鉱業専用線(三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 油谷) 17) 日本甜菜製糖十勝清水工場専用鉄道(十勝清水) 18) 北海道拓殖鉄道(新得) 19) 根室拓殖鉄道(接続なし) 20) 明治鉱業庶路鉱業所専用鉄道(西庶路) 21) 雄別鉄道(釧路) / 釧路埠頭(新富士) 22) 釧路臨港鉄道(東釧路) 23) 日本甜菜製糖磯分内工場専用鉄道(磯分内) 24) 置戸森林鉄道(置戸) 25) 運輸工業専用線(桑園) 26) 北日本製紙江別工場専用線(江別) 27) 定山渓鉄道(東札幌) 28) 茅沼炭化工業専用鉄道(岩内) 29) 簡易軌道風蓮線(厚床) これらの鉄道線は、現在までにすべて廃止となっている。北海道が蒸気機関車の王国と呼ばれた所以は、運炭鉄道、森林鉄道、殖民軌道といった様々な鉄道に、古典的な蒸気機関車が運用されていたためである。全国的に、昭和30年代にはほとんどの個性的な蒸気機関車が廃車になり、規格型汎用機に置き換わっていく中で、北海道ではまだ彼らが活躍していたのだ。特にコッペルやボールドウィン、さらにはノース・ブリティッシュ製の古典蒸気機関車が、各地で入替等を中心に実働していたのである。しかし、これらを撮影をするといっても、簡単なことではない。まず当時は情報収集手段が限られている。時刻表に記載されるような系統的な運転になっていないものがほとんど。広田氏が参考にしたのも現地のファンから入ってくる情報だ。これに基づいて、前もって広田氏は、主だった事業所に手紙を送り、来訪の旨を告げている。その甲斐あって、彼は様々に貴重な巡り会いを繰り広げる。根室では、積雪で運行できなくなった銀竜号を、事業者の協力で機関庫から出すだけでなく、写真のために呼びかけで集まった周囲の人が乗車し、「自然な写真撮影」に協力してくれた。十勝清水では、かつて磯分内にあって、その由来が取りざたされたライケンハンマー(Lunkenheimer)がシートで覆われているのに遭遇。青年の熱意が通じてシートが外され、無事撮影に成功する。置戸森林鉄道では、訪問2か月前に廃車となった木曽と同じ1921年ボールドウィン製B1形リアータンク3号機が庫内に保管されていたものに出会う。そのような過程や、現地でもらったメモ、受け取った手紙なども引用があってとても楽しい。一つ言えるのは、当時の寒冷地での生活というのは、現代とは比べ物にならないくらい厳しいものだったと思うのに、広田氏のファインダーから伝わる人々の表情が、とても輝いているということである。現地の人たちも24歳の若者の訪問を、喜んでいたと思うし、厳しいながらも、希望を見出して生活していたのだろう。そういった強さや暖かさが伝わってくる。蒸気機関車と似ている。肝心の写真ももちろん素晴らしい。貴重な蒸気機関車およそ90機が収められている。美唄や真谷地ではE形タンク機4110形、夕張鉄道では11形1Dテンダー機、北海道拓殖鉄道では国鉄8620形と同形の8622号機、寿都鉄道ではボールドウィン1897製1C形テンダー機8100形など、数々の名品を見事に撮影している。胆振線では現地の人の案内でキマロキ編成への添乗と撮影にも成功。とにかくすべてが貴重過ぎて、書ききれない思い溢れる写真集だ。その他、古くは蒸気機関車ファンのだれもが憧れていた磯分内や奈井江の由緒ある機関車たち、夕張鉄道の角田炭鉱を走っていた電車、カメラを構えていると次々と列車が通ったという活気あふれる釧路臨港鉄道など、私の「当時の風景が見られたらどんなにいいだろう」という思いを叶えてくれたものばかり。本当に当時の広田氏の熱意に感謝の思いでいっぱいになる写真集でした。

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     2021/04/16

    1954年(昭和29年)に北海道各地の私鉄群を訪問し、記録した写真等をまとめた貴重なレポート。著者は東京学芸大学教授である青木栄一氏。上下巻に分かれているが、下巻は56ページからなり、下記のように項目分けされている。「雄別炭鑛鉄道釧路埠頭線」「北海道殖民軌道雪裡線」「釧路臨港鉄道」「雄別炭礦鉄道」「根室拓殖鉄道」「雄別炭礦鉄道尺別専用線」「十勝鉄道」「芦別森林鉄道」「三井芦別鉄道」「三井奈井江専用鉄道」「美唄鉄道」「北炭夕張化成工業所」「夕張鉄道」「そして-帰京」「札幌市電のこと」「函館市電のこと」。末尾に札幌市電、函館市電について、当時の様子がそれぞれ1ページずつ紹介されているが、こちらは著者の一連の紀行とは別に編集されたものとなっている。前編のレビューでも紹介したが、引用されている時刻表なども含めて、きわめて貴重な資料であり、掲載されている写真にも美しいものが多く、はっとさせられる。また、当時の旅の情景等を簡潔にまとめた文章も好ましい。掲載されている鉄道は、いずれも北海道の開発と、殖産興業の時代を背負った一種の象徴のような存在で、その歴史の中で役割を果たして去って行ったものに、今となっては切ない情緒を感じる。釧路臨港鉄道については、一部が現在も“現存する国内唯一の炭鉱”である釧路コールマインの専用線として生きており、ユニークな形状の機関車が行き来しており、フアンには有名な路線だ。また、十勝鉄道については、2012年6月まで、その一部である日本甜菜製糖と帯広駅の間の6kmほどが、貨物専用線として利用されていた。札幌市電、函館市電については、一部が現役である。他方、他の路線はいずれも昭和期にその使命を終えたものだ。現在ではその廃線遺構などが探索されているが、往時の写真は、その鉄路が確かに生きていた時代の刻印と呼べるもので、感慨が深い。実際、北海道は、開拓・開発の歴史の中で、実に多くの鉄路が建設された歴史がある。森林鉄道、鉱工業専用鉄道、あるいは拓植鉄道などその性格も様々で、今でも山中の道路など通るおり、気を付けてあたりを見ると、一見用途不明な使われていない橋脚などが廃墟をして姿を現す。芦別森林鉄道なども、びっくりするほど人里から離れた山奥にその痕跡を残しており、経緯をしらないものには、まさに謎の廃墟として映る。本書には、各鉄道の主力機関車や、編成、主要駅の様子が的確に収められている。また、添付されている時刻表を見ると、多くの軌道が停車時間を含め、時速20km/h程度の走行であったこともわかる。この時刻表がすでに、軌道が現在の幹線のような高規格で作られてはおらず、蒸気機関車が主流で客貨車混合列車が多く、駅では貨物の出し入れも行われていた、そのような物流形態の時代の一面を雄弁に物語るものと言えるだろう。この書を片手に、これらの廃線跡を探索してみたいと思わせてくれる一冊だ。これらの廃線跡の多くがその痕跡さえ薄めていく現在であるが、人為的に保護された史跡以上に、歴史の語り手として、何かを私たちに伝えてくれるものであると思う。

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     2021/04/16

    1954年(昭和29年)に北海道各地の私鉄群を訪問し、記録した写真等をまとめた貴重なレポート。著者は東京学芸大学教授である青木栄一氏。上下巻に分かれているが、上巻は48ページからなり、下記のように項目分けされている。「まずは南部鉄道」「いよいよ北海道へ」「寿都鉄道を訪ねる」「留萠鉄道」「羽幌炭礦鉄道」「天塩鉄道」「旭川電気軌道」「旭川市街軌道」「士別軌道」「日本甜菜製糖磯分内製糖所」。南部鉄道は尻内駅(現八戸駅)を起点とする私鉄であるが、他は道内の私鉄である。上下巻通じての特徴であるが、森林鉄道など、旅客営業鉄道以外も対象としていることで、その網羅性にも感服する。また、当時の時刻表なども可能な限り掲載されており、こちらも大変興味深い。本書で取り上げられている鉄道は、いずれも昭和期に廃止になったものばかりである。廃線の往時の姿を伝える本書の写真は、感慨を催すもの。寿都鉄道など、名高い紀行作家の宮脇俊三氏をして「なぜ往時に乗っておかなかったのか」と嘆かせた路線だが、その味わい深い機関車や駅の様子が本書の写真からは伝わる。留萠鉄道、羽幌炭礦鉄道、天塩鉄道など、天塩炭田の開発、経営に係った鉄道も、いかにも失われた風景としての情緒を感じ取るものばかり。一方で、旭川の郊外交通を司った軌道の写真には当時の地方都市近郊の姿が好まく表出しており、多くの人が共有する郷愁感に訴えるものになっている。士別軌道、日本甜菜製糖磯分内製糖所ともにまとまったきれいな写真を鑑賞できる機会は少なく、こちらもこの上なく貴重な資料。また、解説もかねて、筆者が当時の経路や、周囲の様子を簡潔に文章でまとめてくれている。もっと紀行文のように情報を増やしていただいても楽しかったと思うが、本書の簡潔な編集方針は、それはそれで、焦点のしっかりした好感のあるもの。旅の移動自体が現代に比べて圧倒的に難しかった昭和20年代に、労を惜しまず、これだけの記録を行った著者及び出版に結びつけた関係者に感謝したい。

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     2021/04/15

    タイトルの通り、昭和20〜50年代(西暦では1945-1984年に相当)の北海道の鉄道・軌道を網羅的に集成することで、現在の有無にかかわらず、以下の路線すべてについて写真つきで紹介されている。取り上げられている路線項目は以下の通り。

    函館本線/江差線/松前線/瀬棚線/岩内線/函館本線南美唄支線/手宮線 札沼線/千歳線/幌内線/歌志内線/深名線/室蘭本線/胆振線/夕張線 万字線/日高本線/富内線/根室本線/富良野線/士幌線/広尾線/白糠線 石北本線/池北線/相生線/釧網本線/標津線/根北線/留萌本線/羽幌線 宗谷本線/美幸線/天北線/興浜北線/名寄本線/興浜南線/渚滑線/湧網線/寿都鉄道/茅沼炭化鉱業専用線/定山渓鉄道/夕張鉄道/三菱鉱業美唄鉄道/三菱鉱業大夕張鉄道/三井鉱山奈井江鉱業所専用線/藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線/三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道/三井芦別鉄道/ 北海道拓殖鉄道/十勝鉄道/雄別鉄道/雄別炭礦尺別鉄道/釧路臨海鉄道/根室拓植鉄道/留萌鉄道/明治鉱業庶路鉱業所/天塩炭礦鉄道/明治鉱業庶路炭鉱専用線/羽幌炭礦鉄道/旭川電気軌道/北海道炭礦汽船真谷地炭坑専用線/北海道炭礦汽船美流渡炭鉱専用線/油谷鉱業所専用線/三美運輸(三美鉱業専用線)/日曹炭鉱天塩鉱業所専用線/角田炭礦専用線/日本セメント上磯工場専用線/日本甜菜製糖磯分内工場専用線/北日本製紙江別工場専用線/士別軌道/札幌市電(札幌市交通局)/函館市電(函館市企業局)/旭川市街軌道/札幌市営地下鉄(札幌市交通局)/温根湯森林鉄道/ムリイ・上丸瀬布森林鉄道/芦別森林鉄道/主夕張森林鉄道/下夕張・夕張岳森林鉄道/定山渓森林鉄道/歌登町営軌道/浜中町営軌道/鶴居村営軌道/幌延町営軌道/別海町営軌道/知内の客土事業/雄別鉄道の車窓から確認された河川整備事業

    当時、北海道には実に多くの鉄道・軌道が張り巡らされていた。その中には、乗客や貨物を運ぶもの、石炭や森林資材を搬送するものに加え、北海道特有の殖民軌道というものまであった。その目的は、当時の国家的事業であった北海道の開拓である。原始の大地を切り拓くため、多くの人が移り住んできたわけだが、その末端部では、道路等の整備さえままならず、開拓のための資材搬送と、人の移動を確保するため、各地方自治体は「殖民軌道」を整備した。その総延長は最盛期では600kmに及んだと言う。加えて、山間部の森林、石炭といった資源を搬出するため、驚くほど奥深くまで、鉄道は敷かれていた。現在の路線図しか知らない人が、その全貌を知ったら驚くに違いない。現在、それらの遺構は、人知れず山野に埋もれていることが多い。私は、北海道を旅していて、「どうして、こんなところにこんな人工物が」という驚きにたびたび遭遇し、その由来に興味を持つうちに、鉄道・軌道の歴史を知るようになり、ひいてはかつて張り巡らされていた鉄道網の全容を知りたいと思うようになった。とはいっても、それはたいへん難しいことだ。まず資料が少ない。これらの軌道には、時刻表にさえ記載されていないものが多く、往時の地図の記載も、不正確なことが多い。幸いにもある時期の地形図に記載されていたとしても、路線の線形が誤っている場合もある。年月とともに、人の記憶から去る一方で、その物理的証拠であった痕跡さえも、野に帰りつつある。そのような中、本書は、北海道の鉄道の黄金期と呼べる時代の、高品質な写真を網羅的に集成したという点で、たいへんに貴重だ。本書では地図等のデータは割愛されている。掲載されている文字情報は、国鉄線に関しては、「区間」「旅客駅数」「沿革」、他の鉄道・軌道については「区間・距離」「動力」「軌間」というシンプルなものだ。なので、そういった視点では、他にもっと優れた資料は存在する。しかし、それを越えて見事なのは、集められた写真の数々である。いずれも名のある鉄道研究家たちによって記録されたもので、それだけに視点、焦点のしっかりした目的意識の高い写真であり、当時の状況、車両の様子などが、克明に分かるものとなっている。すべてを象徴する一点を、絞り込んだような、渾身の一枚が集められている。また、網羅性という点でも見事。ほとんど知られていない私企業の専用線まで対象に含めた編集陣の熱意には、敬意を払いたい。1枚の写真の価値が、現在とは比較にならない当時にあって、これほど情報量の多い写真が残っていることを把握し、それを発掘し、一冊の本にまとめあげるというのは、相当な労力と調査が必要だったに違いない。そのような高い編集意識によって選定された写真は、フアンにはとても納得がいくものが選ばれている。例えば、留萌本線の場合、石狩沼田駅の構内が一望できる写真になっている。現在では行き違いのできないホーム一つきりの駅(使用されなくなったホーム跡が残る)だが、かつては札沼線が分岐し、当然の様に留萌線の行き違い設備を備えていた。その当時の構内の様子が一目でわかる写真が採用されている。流石である。私の気に入った写真を挙げだすときりがないのだけれど、デッキまで溢れた人を乗せて走る鉱業鉄道や、広大な上芦別貯木場ヤードに進入するC29牽引の運材列車、それに1957年(昭和32年)8月の雄別鉄道の車窓から「偶然発見し」撮影された河川整備等のために臨時で敷設された軌道など、このような企画が無ければ、永遠に失われていたであろう瞬間が、本書にある。このような良質な媒体として、改めて記録されたこと自体に、一抹以上の感動を覚える。また、路面電車などの写真の背景を担う失われた昭和の街並みや、人々の生活の姿も、ほどよい演出となって、往時の交通の在り様を、蘇らせてくれる。まさに、タイトル通りの素晴らしい書物である。

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     2021/04/15

    鉄道写真家、野沢敬次氏の編著による写真集。野沢氏だけでなく、安田就視氏をはじめとする数々の著名な鉄道写真家の貴重な記録を集めている。カラー・白黒。カラー写真はすべてカラーのまま印刷されている。対象となっている路線は「鉄道全盛期に時刻表に掲載されていた路線」とのことで、専用鉄道、森林鉄道、簡易軌道等は含まれていない。(簡易軌道のうち、歌登、鶴居については時刻表に掲載されていたが、本書の掲載対象にはなっていない)。一応掲載対象は以下の通り(目次の表記のまま)

    【道北の鉄道】 天北線/興浜北線/興浜南線/羽幌線/羽幌炭礦鉄道/天塩炭礦鉄道/美幸線/深名線/名寄本線/渚滑線/湧網線/留萌本線(廃止区間)/留萠鉄道/旭川電気軌道/士別軌道  【道東の鉄道】 池北線/相生線/根北線/標津線/白糠線/広尾線/根室本線(狩勝旧線)/北海道拓殖鉄道/根室拓殖鉄道/釧路臨港鉄道/雄別鉄道 【道央の鉄道】 歌志内線/函館本線支線/幌内線/万字線/札沼線(廃止区間)/富内線/北海道炭礦汽船夕張鉄道線/三井芦別鉄道/三菱鉱業美唄鉄道/三菱石炭鉱業大夕張鉄道/夕張線/定山渓鉄道 【道南の鉄道】 岩内線/胆振線/瀬棚線/松前線/江差線/寿都鉄道/青函航路

    それぞれ各路線の概略が記述され、写真ごとに場所、日時等の属性と簡単な解説が付されている。いずれも美しいもので、蒸気機関車時代のものから、80年代まで、様々である。ことに「冬晴れ」の日の各路線の情景は美しい。郷愁をかきたてる写真も多く、仁宇布駅の冬の黄昏の光景など、深く印象に刻まれる。羽幌線、興浜北線、興浜南線、湧網線、富内線、胆振線など風光明媚な地域を走っていた路線はどこをとっても絵のように美しい。紙面の関係から、各路線で紹介される写真の数は、数枚前後と制約があるが、それなりに厳選を経たものであるし、広範囲に収集する努力を惜しまず編集した成果がみてとれ、良心的である。幸い紹介されることとなった今は亡き駅舎であったり、機関車であったりという風景は、無類の情感を呼ぶ。印刷、紙質も良好。さて、それにしても、と思うのは、当書と直接関係することではないかもしれないが、北海道の厳しさのことである。これらの路線の中には、産業の移り変わりにより、当初の役目を終えたと言えるものもあるとはいえ、地域の生活を支える、いわゆるインフラとしての役割を併せ持っていたものがほとんどである。それらが、単に収益という観点から廃止され、鬼籍に名を連ねることが、この地域の厳しさの象徴となっている。特に、北海道の場合、厳しい冬がある。雪に覆われる冬こそ、特に長距離移動において鉄道の果たす役割は大きかったのだが、それが多くの地域から根こそぎ奪われたのは、耐雪の維持費と不可分ではない。だが、そのことに私は疑義を感じてしまう。厳しい冬という実情があるからこそ、鉄道は公的負担により維持されてしかるべきであり、それを民間産業と同じような価値軸〜単に運賃収入を維持費で割ったもの〜でその価値を図って切り捨てることが妥当であったとは、到底思えない。私は個人的には、電力、郵便、通信、交通等の生活基盤となるインフラは、公が管理するべきものだと思っている。しかし、いつの頃からかこの国は、とにかく民営化、民間委託することが良いことで、それに抗うものは「抵抗勢力」と呼ばれるようになった。極端な話、電力や郵便、通信であっても、民営化された現在であれば、企業の論理でペイしない土地から撤退することは十分に合理的なこととなってしまっているし、現在の社会的方向性はそちらを向いている。そのことに、明瞭に警鐘を鳴らす意見が、より大きくなるべきではないのだろうか。加えて、国鉄再建法により、80年代に国鉄線の多くが廃止された際、政府は国会答弁等で、「これ以上の廃止はない」旨を何度も繰り返したのである。しかし、それからわずか30年の今日、その言質を顧みるどころか、JRに是正勧告という名で、廃止推進を諭しかねない態度を示す。それは、地域の住民にとって、多重の背信行為にほかならないだろう。そうであっても、圧倒的に人口の少ない地域の声は、たとえ正論であっても、大都市圏に住む人たちのがなり声にかき消される。悲劇である。私はすべての路線を残し維持すべきだったと言っているわけではない。中には運炭鉄道や森林鉄道、簡易軌道のように、その使命をまっとうしたものや、実際に利用実態がわずかしかないものもあっただろう。しかし、生活路線として利用されている多くの路線が廃止されていったこともまた事実である。当時、廃止の目安としたものが「輸送密度」という指標であった。これは人口における利用率ではなく、単純に利用者の絶対数を背景とした指標であったため、元来人口密度の少ない北海道で用いるには本来不適切な指標であり、地元の人の多くが利用していても、その実情は反映されず、達成不可能な基準となってしまった。そのため、利用の実態とは関係なく、次々と狙い撃つように路線が廃止となっていった。実際、私が乗った多くの路線では、時には通路まで一杯の利用者がいたのである。しかし、地域の人の多くが利用しても、地域の人口自体が少なければ、先の指標により「利用価値のない」「無用な」ものと見做された。現地の状況を知らない人が、まるで、我がことの利益に係る重大事のように「廃止すべき」という論調を掲げることもあった。紋別という町がある。町を通じる名寄線が廃止されたとき、この駅の一日の乗客数が800人。人口3万人の町の一駅で800人が列車に乗車していたのである。この比率は、当該年度の札幌市の人口と札幌駅の乗客数の比と大きく変わるものではない。紋別市の両隣の興部町、湧別町にいたっては、当時の人口:代表駅の1日利用者数比はさらに高まり、それぞれ6,600人:403人、1万7千人:686人で、当時札幌よりも、はるかにこれらの町の方が、「日常的に鉄道を利用する人の割合」は高く、依存度が大きかったのである。つまり、当時もっともらしく囁かれた「現地の人が利用してない」は、現状を知らない都会に住んでいる人たちが、たまにTVに映る乗客の少ないディーゼルカーの映像か何かから刷り込まれたであろう勝手な妄想でしかなかった。しかし、名寄線は廃止された。紋別市は、廃止まで5年間の人口減少率が1%であったが、路線廃止後は、それがおよそ5%となり、一層の過疎化が進んでいる。鉄道の廃止だけが原因ではないだろうが、その一方で、鉄道路線図の変遷を見ると、私は隅々まで血の通わなくなった組織を彷彿とさせる。そういった意味で、この大廃止時代は、過疎化に拍車がかかった象徴的時期に思えてならない。そもそも、先進国において、鉄道事業だけで経営を成り立たせることは至難である。多くの国において、鉄道は国営、もしくはいわゆる上下分離方式により、施設を公が維持した上で、運行のみを民間委託している。そうやって、鉄道を維持している。なぜか。それは、単に鉄道が地域のライフラインだというだけでなく、観光を含めた「人の移動」自体に、社会的に様々な意味での「価値」があることを、社会と地域が理解し認識しているためだ。いわゆる「物流」とよばれるものの価値は多元的なものなのである。ところが、日本ではこの感覚が非常に薄く、特に最近では、一民間会社の収支という観点ばかりが考えられるようになってきている。鉄道利用者の数が減っている。これだけ多くの路線が廃止されているのだから当たり前でもある。私も、もしかつてのように鉄道網が充実していたのなら、当然のように鉄道を利用していた行程であっても、鉄道がなくなってはどうしようもない、他の交通機関を利用する。ローカル線という枝を振り払ったら、幹線という幹が枯れてくるのは自然の摂理だ。二次交通網がなくれば、一次交通網も衰退するのである。バスで代替といっても限度がある。そもそも、冬期間のバスの運行は当てにならないことが多いし、遠距離であれば、いくつものバスに乗り継ぐことになる。吹雪の中、いつ来るともしれないバスを待つのは、大げさではなく命がけだ。実質的にそれは利用のハードルを大きく上げることになる。旅行者の足は遠のく。利便性が低下し、地域の価値が下がる。衰退する。せめて本書に興味を持つ人には、ただきれいだな、と感じるだけでなく、そこで生活している人がいて、その大事な基盤が失われたのだという今と地続きな現実を知っていただきたい。

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     2021/04/15

    北海道の空知地方にある人口2万人の美唄市は、かつて美唄川の上流域に良質な炭田があり、財閥の投資により、巨大な炭鉱が経営された。最盛期の美唄市の人口は9万人を越えていた。函館線の美唄駅と、産炭地を結ぶ鉄道が運炭のための「美唄鉄道」が敷設された。傾斜に強い車両として、国鉄が鹿児島線の矢岳越え・奥羽線の板谷越えを中心に活躍した4110型蒸気機関車が転用され、蒸気機関車ファンも集まった。現在、美唄市から道道135号線を東に進み、町はずれを少し左手の方に入っていくと、蒸気機関車が一輌屋外展示してある。知らない人はまず気付かないような場所だけれど、手入れの行き届いた美しい姿だ。そこはかつて美唄鉄道の東明駅があったところ。1951年には、この駅を1日に3,450人の乗客が利用していた。今では夏であれば、草生した傍らを鄙びたサイクリングロードが通る市街地の端の住宅地といったところ。往時の面影はない。この蒸気機関車をもう少し見ると、多少の知識のある人は、「ちょっと変わってるな」と思うに違いない。D51とか、C62とかとは全然違う。まず蒸気機関車に付き物の炭水車(動力である石炭と水蒸気を生産するための水を搬送する後部接続車輛)がない。そして動輪が5つもある。これが4110型と呼ばれるタンク内臓型の蒸気機関車の特徴だ。美唄鉄道を象徴する1両だ。このとても変わった、けれども不思議と見る者を魅了する造形を持った蒸気機関車が、なぜ美唄鉄道を象徴する存在になったのだろうか。本書は、そんな美唄鉄道の歴史、車両について、実に詳細な記述がされた第一級の資料であり、写真集である。1915年に開通し、1972年に廃止された同鉄道の歴史もまとめられている。本書の内容は、写真集としての情緒性より、アカデミックな資料性に重点を置いているともいえる。冒頭にこそグラフと題した歴史的写真が掲載されているが、その後は各車両の写真も機能性、構造がよくわかるカタログ的なもの。しかし、それゆえに、これらの貴重な車両の詳細がわかる貴重なデータ集だ。美唄鉄道で運用された全蒸気機関車、客車、貨物車について、わかりうる情報はすべて記載してある。当然のことながら、晩年まで活躍した4110型にとどまらず、9040、9200型等についても詳細な記載がある。特に戦前の蒸気機関車についても写真データがある点が無類な貴重さで、当時から精力的な撮影活動を続けた西尾克三郎(1914-1984)氏をはじめとする諸氏の努力のたまものに他ならない。解説文も重厚な内容で、関連資料からの引用などと合わさり、この鉄道のことを体系的に知ることが出来る。ちなみに、私はこの鉄道にちょっとした思い入れがある。廃止までの数年間、私の父が何度も美唄周辺に足を運び、1,000枚近い写真を撮影していたためだ。私にとって、本資料は、それらの父の記録に学術的な肉付けを与えてくれるものとも言えそうだ。情緒的な写真集が主流の中で、本書のようなピリッと辛口な資料に重点を置いた書物は、一層の重々しさを感じさせるもの。ここまでの資料を収集した関係者の努力には心底敬服したい。最後に、先述した東明駅跡に保存されている2号機の歴史を書いておこう。この機は美唄鉄道の自社発注により、川崎造船神戸造船所で1919年に作製された。1919年6月25日に美唄鉄道に入線した2号機は、廃止となる1972年5月31日まで美唄鉄道を走り続けた。最期の日、美唄駅に入線した2号機は、隣の東明駅まで回送された。この3kmの運転が最後の旅だった。東明駅に着いて火を落とされた蒸気機関車は、周囲から鉄路が取り払われ、あたりの風景がすっかりかわってしまった今も、かの地に静かにたたずんでいる。

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     2021/04/15

    小樽市在住の鉄道写真家、星良助(1935-)氏が昭和30〜40年代に撮影した北海道の鉄道写真を収録したもの。氏の同内容の写真集としては、先にないねん出版から「北国の汽笛」と銘打って出版された全4冊のシリーズ本があるため、当本は総集編的な性格を持っているが、「北国の汽笛」はすでに絶版であり、中古市場でしか入手方法がないため、このたびのリリースは歓迎される。これらの写真が撮影された当時の北海道は、現在では到底考えられないような、鉄道王国としての絶頂期にあり、国鉄線のみならず、様々な私鉄、専用鉄道、森林鉄道、簡易軌道があちこちに路線網を持っていた。充実していたのは路線網だけではない。これらの鉄道には、1960年(昭和35年)から開始された動力近代化計画に伴って、本州以南で国鉄線の電化が進むにつれ、各地で活躍していた「名機」と呼ばれる蒸気機関車たちが、活躍の場を求めて北海道に集まってきたこともあり、鉄道フアンにとっては、まさに垂涎の的となっていたのである。三井鉱山奈井江専用鉄道には東海道本線の花形機8850形が、美唄鉄道では奥羽線板谷峠越えに製造されたE1形4110形が、三菱鉱業芦別専用鉄道では1Dテンダー機9200形が、寿都鉄道では8100形が、そして函館線では、特急つばめ号を牽いていたC62が急行「ニセコ」をけん引していた。各専用鉄道では、様々な外国製の古典蒸気機関車が活躍していた。日本甜菜製糖磯分内工場専用鉄道1号B型タンク機関車、置戸森林鉄道ではボールドウィン製B1リアタンク蒸気機関車、昭和炭鉱のクラウス、茂尻鉱業所のコッペル、三美運輸の2100形(B6型)・・・。それらは多彩で多様で、それぞれが豊かな個性をもって、当該地で活躍していた。そのようなわけで、この時代、北海道は、多くの鉄道フアンにとって、上述の通りまさに垂涎の的であった。しかし、北海道は広い。そして、首都圏からの訪問となると遠い。現代と比べて、圧倒的に移動に時間を要する当時、北海道を繰り返し訪問し、それらの多くを撮影することが出来た人は、ほとんどいないといって良い。そんな中、現地在住という圧倒的な利点を活かし、星氏のこれらの貴重な写真群が記録されることになった。前述の機関車がすべて収録されているわけではないが、とにかく素晴らしいの一語につきる網羅性である。これらの撮影地には、産炭地をはじめ、深い内陸地に存するものも多いが、くまなく訪問し、記録活動を行った当時の氏の情報収集力と行動力には心底頭が下がるのである。写真は、車両をターゲットとしたものが大半であるが、駅であったり、鉄道と深くかかわる生活をしている人々であったり、当時の空気や脈動といったものが、生き生きと伝わってくるのである。個人的に残念なのは、森林鉄道、簡易軌道に関する写真がごくわずかな点であるが、それでも定山渓森林鉄道に乗車して撮影した写真は、他では見られないものであろう。また東神楽の客土事業に従事している専用軌道と専用蒸気機関車の姿は、星氏以外に写真を報告してくれる者は(私の知る限り)いないのである。

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     2021/04/15

    趣味の鉄道研究に関する著作も多くある医師、笹田昌宏氏による「廃駅ミュージアム」と題した一冊。写真集であり、写真付き解説本的な部分もある。カラーページと白黒ページの混合で、全国各地の廃駅の「今」の姿が紹介されている。また、廃墟写真家としても著名な丸田祥三氏による写真が巻頭を飾る。私の住んでいる北海道には、私鉄線、国鉄線を含め、無数と言っていいくらいの廃駅がある。それらの総数は、現役の駅を軽く凌駕するくらいだ。70年代の時刻表を見ると、廃止された路線の多さとともに、例えば石北線の上川-北見間など、当時存在した駅の過半数が鬼籍に入っていることがわかる。そもそも、国鉄再建化の名目で行われた民営化という手法に、北海道に関しては相当な無理があった。交通という地方を支えるインフラを、他の付加価値から切り離して、単独の収支だけを目安とする手法がいびつで不合理なものだったのだ。地方線の廃止は、地方の過疎化に拍車をかけ、その結果、他の幹線の利用者まで減少するという負のスパイラルに陥り、地方は惨澹たる状況だ。国鉄再建化法の下、廃止対象とされた路線以外にも廃止の触手は延びる。運営する会社も、いかに自治体や国から補助金を得るかの口実を探すことに一生懸命。魅力的な列車を走らせたり、利便性の高い駅を設置したりする経営努力も、「自治体負担ありき」で開き直り、開発もすすまない。その上、自治体側の理解も低い。そのような状況だから、鉄道に乗るのが好きな私も、乗る機会が増えているとは言い難い。魅力的な路線や駅が続々と消えていく状況で、それでも、もちろん残った路線に乗るのは楽しいが、そこには痛々しい切なさが同居するようになった。そんな痛々しさを緩和するように廃駅を巡る様になった。私の場合、自分自身がかつて乗った路線や乗りたかったけどついに乗る機会に巡り会えなかった路線への思いとともに、私の父が70年代に蒸気機関車などの撮影に訪れていた各地への思いがあって、廃駅や路線跡を訪ねることになる。しかし、廃駅というのは、そう都合よく残っていてはくれない。周辺管理の面から撤去され、あっさりと更地になり、荒野へと戻っていくものがザラだ。自分が幼少のころおとずれた駅に想い出の痕跡を探そうと思って再訪しても、がっかりさせられることが多い。あまりにも何もないから。

    本書には、幸いにもその痕跡を最近まで伝える駅たちが紹介されている。駅の中には、地元の人たちの愛情により、なんらかの形で保存されているものもある。また、単に撤去の必要がないという後ろ向きな理由によって痕跡を残しているものもある。その双方が、本書では紹介されている。いずれにしても、私は鉄道に乗るとともに、そういった駅たちを訪ねることを始めた。廃駅には列車で行くのは難しい場合が多く、そうなると、どうしても車で出かけてしまうので、列車にのる頻度が下がってしまうのだけれど、そこは痛しかゆしである。そんな私にとって、本書は、廃駅たちの、かなり新しい状況を伝えてくれる手引きとしても、とても有用なものだと思う。旅情と郷愁を誘う美しい写真集である、というだけでなく、旅の案内書でもある。本書に取り上げられている駅から、いくつか私にとって感慨深い駅を紹介しよう。胆振線の蟠渓駅は、廃止2年前に列車で来たことがある。曲線状のホームが印象的な、長流川の渓流に近い駅。集落から階段を上がったところにそのホームはあった。私はこの駅跡が大好きで、何度も訪問したのですが、新しく造成される道路に胆振線の路盤が提供されるため、最近解体されてしまった。もう行くこともないかもしれない。標津線の奥行臼駅は、開拓に功績のあった駅として、別海町によって保存されていて、すぐ近くには別海町営殖民軌道のDL機関車と自走客車も静態保存されていて素晴らしい。ぜひとも訪れるべき施設となっている。幌内線の唐松駅、万字線の朝日駅なども良好に保存され、最近では空知地方の産炭地を舞台にしたアート展の会場などにも利用されていて、廃駅の利用形態の一つとして、望ましいものを示してくれている。また、深名線の鷹泊、政和、沼牛、添牛内といった駅たちは、廃止からまだ20数年しか経っていないことや、付近の人口密度が低いこともあって、まだその雰囲気を色濃く残しており、駅舎も別の目的で利用される形で残っている。しかし、毎年の豪雪を経るごとに、痛みは増しており、興味のある人は、是非とも早くに訪問することをオススメしたい。美幸線の終着だった仁宇布駅跡は、駅舎は残っていないが、仁宇布駅から線路約5km分が保存されていて、観光客がエンジン付きの自走カートで走れる施設となっている。私も乗ったことがあるが、緑の中、いくつもの渓流を越えて走るのはとても清々しく、気持ち良かった。これも好ましい利用例の一つに違いない。それにしても、北海道の場合、無数と思える廃駅のリストは、旅情や過去への思いを誘う一方で、この地の厳しさをも強く印象付けるものである。

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     2021/04/15

    幸いにも何らかのモニュメント的な形で、廃駅の駅舎が保存されている駅たちが、美しい風景写真と、その歴史背景を簡単にまとめた文章で紹介されている。写真はカラーで、撮影年月日も記されているので、資料的な価値とともに、廃駅舎探訪の案内書とも言える。紹介されている駅は、いずれも「保存されている」という条件もあって、平易に訪れることのできるものばかりであり、同様の趣味の初心者向け案内書としても、十分に機能しそうである。紹介されている駅舎は以下の通り。

    【北海道・東北エリア】標津線・奥行臼駅跡 士幌線・士幌駅跡 夕張鉄道・新二岐駅跡 札沼線・和駅跡 定山渓鉄道・石切山駅跡 室蘭本線・室蘭駅(旧駅舎) 小坂精錬・茂内駅跡 山形交通・高畑駅跡 福島交通・掛田駅跡 国鉄日中戦・熱塩駅跡 【関東・甲信越エリア】 赤谷線・赤谷駅跡 新潟交通・月潟駅跡 蒲原鉄道・七谷駅跡 筑波鉄道・筑波駅跡 鹿島鉄道・石岡南台駅跡 草軽電気鉄道・北軽井沢駅跡 【中部・北陸エリア】 加越能鉄道・井波駅跡 名鉄美濃町線・美濃駅跡 名鉄揖斐線・黒野駅跡 名鉄モンキーパークモノレール線・動物園駅跡 名鉄三河線・三河広瀬駅跡 【近畿・中国・山陰エリア】 東海道線・旧長浜駅跡 江若鉄道・近江今津駅跡 有田鉄道・金屋口駅跡 姫路市交通局モノレール線・手柄山駅跡 同和鉱業片上鉄道・吉ヶ原駅跡 井笠鉄道・新山駅跡 船木鉄道・船木町駅跡 大社線・大社駅跡 【四国・九州エリア】 屋島登山鉄道・屋島山上駅跡 下部鉄道・星越駅跡 宮之城線・樋脇駅跡 大隅線・古江駅跡   

    写真も美しく、周辺の関連状況を示す写真なども掲載されていて、わかりやすくまとめられている。現役時の時刻表地図の当該部分などが引用図として紹介されているのも、良いサービスである。本書は、そのような廃線探訪に興味のある人にとっては「入門書」として最良といった位置づけになるかと思う。さて、せっかくなので、私なりの廃駅の魅力を語ってみたい。駅というのは地域の象徴的な場所である。それは、駅がその機能上、人が集まる場所で、物流の中心であるからに他ならない。廃駅であれば、その存在は地域の盛衰を物語るものと言える。かつて必要とされ、地域の中で大きな役割を果たした駅が、その機能を失ったということは、地域が、かつての繁栄の時を経て、エネルギーを失い、静まっていくということである。また、駅は、多くの人にとって、なんらかの思い出にもつながっている。それは、通学であったり、送り迎えであったり、あるいは、人生の大きな転轍点における旅立ちであったりする。廃駅を訪れたとき、私の胸に忍んで来るものは、そういった地域の総体としての、「流れた時の重み」と、「現在の静謐」の対比である。こうして考えてみると、いくつかの廃駅が、地域の要望によって何らかの形でモニュメントとして保存されることは、人の心の持つ感傷の作用に照らして当然のことに思える。そして、それを「保存したい」という地域の意思が、そこを訪れた旅人の心にも、何かを呼び覚ますのである。もちろん、保存されず、朽ち果てる駅もある。いや、その方がずっとずっと多い。その場合、私が感じるものは寂寥の感が強くなるが、それもまた旅情を呼び覚ますのである。私の場合、北海道内を旅しているのだが、例えば萱野駅(幌内線)、忠類駅(広尾線)などは、地域の熱意で保存されているし、沼牛駅(深名線)はクラウドファンディングで保存費を募って保存されている。そのような熱意が叶う駅がある一方で、池北線の駅などは、川上駅、大誉地駅、高島駅など、昭和の味わいを存分に残した美しい駅舎たちが、次々と、いつしか撤去されていき、最後に残った木造駅舎上利別駅は、足寄町が数百万円の保存費用を捻出できず、2016年に解体された。また、炭鉱地帯などでは、産業の終焉とともに、駅だけでなく、町も含めて消滅してしまうものがある。かつて2万人の町があった大夕張はダム底に沈んでしまったし、沼田町の昭和炭鉱は、一般車両が通行できる道路もなく、いまでは行き着くことさえ難しい。たどり着くことさえできない駅舎の場合、私は古い地形図を見て、その盛時と現状を相照らす。また、駅への道がなくなり、叢をかき分けて駅跡にたどり着くようなものもある。深い草木の中に静かに横たわるホームの跡を見ると、これまた流れすぎた時に感慨を催すのである。本書で紹介されているのは、いずれも、程度の差はあるが、保存されている駅舎と言えるだろう。私が前述した「廃駅探訪としては入門書」というのは、そういう点を踏まえてのことである。ぜひ、本書をご覧になる方には、これらの駅の影で、今まさに風化し、この世から姿を消そうとしている駅舎たちがあることも気に留めてほしいと、これは私の希望として思うところです。また、現存する路線が、少しでも多く存続するように、これらの路線を利用して旅を続けたい。

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