小樽市在住の鉄道写真家、星良助氏が撮りためた貴重な写真を、「北国の汽笛」と銘打って全4冊の写真集としたシリーズの第3巻。全ページが白黒で、基本的に1ページに2~3枚の写真を紹介する形。当巻には1962-64年に撮られた写真が、以下のようにまとめられている。
【国鉄】
国鉄の話題
「狩勝」「はまなす」の増発/手宮線旅客営業廃止/小樽の列車/洞爺駅に改称/蒸機急行「大雪」の最後/小樽始発になった「はまなす」/函館本線の列車/臨時海水浴列車/北海道鉄道記念館/小樽市内高架工事
国鉄各線
客車・貨車
【私鉄】札幌市交通局/定山渓鉄道/夕張鉄道/旭川電気軌道/留萠鉄道/雄別炭礦 尺別鉄道/寿都鉄道/函館市交通局
【その他】豊羽鉱山専用鉄道/日本セメント 上磯工場専用鉄道/北海道炭礦汽船 美流渡礦専用鉄道/明治鉱業 庶路鉱業所専用鉄道/ 日本甜菜製糖 磯分内工場専用鉄道/北日本製紙 江別工場専用鉄道/七重浜・伊達紋別・富士製鉄/農地開発機械公団/旭川土木現業所 東神楽客土事業所
【資料】北海道の駅スタンプ/編者あとがき/北国の汽笛2 正誤表
当巻の注目点をまず書いていこう。寿都鉄道は、晩年、経営が非常に厳しく、冬期間の運行はめったにないような状態となっていた。そのような中、1968年の豪雨による河川増水で路盤が流出し、運行休止、そのまま廃止となってしまった。和歌山から札幌に移り、1969年から蒸気機関車の写真を撮り始めた私の父が、「寿都鉄道には行きたかった」と言っていたが、その理由は、茅沼炭化工業専用線から寿都鉄道に移り、最後まで活躍していた8100の存在がある。星氏は所属する鉄道愛好会のメンバーと一緒に寿都鉄道を訪れた模様。かように寿都鉄道は蒸気機関車ファンには外せない路線であったが、不幸にも天災に見舞われ、私の父はその姿を見る機会を失ってしまった。そのため、残された写真を見るのは、私には感慨深いが、そうでない人であっても、その美しい機関車の姿は感動的であろう。ちなみに、紀行作家の宮脇俊三も、寿都鉄道のことを「なぜ乗っておかなかったのだろう」と悔やんでいた。函館線の黒松内から寿都湾の港町に至る線形は、地図で見ても旅情を誘うもの。本書に話を戻して、特に貴重な画像として、定山渓鉄道の錦橋駅を起点としていた豊羽鉱山専用鉄道の姿、そして、東神楽客土事業所による客土事業のため敷設された線路を走る蒸気機関車の姿を挙げよう。前者は現役時の写真を紹介される機会自体がほとんどない。後者の客土事業については、星良助氏が1963年6月号の「鉄道ファン」誌に、地図とともに1ページの報告を寄せている。その報告によると、道庁が軌道を用いて客土を行っているところが(当時)全道で19カ所あり、そのうち東神楽と知内では8〜20トンの蒸気機関車が使用されていたとのこと。昭和28年日立製の蒸気機関車には「土改C101」「土改C102」のプレートが付けられていた。本書では、その貴重なCタンク蒸気機関車の写真が紹介されている。なお、1963年6月号の「鉄道ファン」誌のマップを見ると、東神楽の客土事業は1,067mmの軌道により行われ、その路線は2か所で旭川電気軌道の線路と平面交差によりクロスしていたとのこと。さらに旭川電気軌道の終点である東川周辺では、別に軌間762mmの鉄道が敷設され、こちらではディーゼル機関車が客土作業に従事していたという。かように瞬間的しか存在しなかった貴重な鉄道も、写真として記録されたことは、たいへん価値のあることである。小樽市内の函館線高架化工事の際の写真、完成時の写真も掲載されている。一時期のみみられた鉄道風景であり、地域史の貴重な一コマに違いない。他にも、美流渡、上磯、庶路、磯分内など、貴重で良い写真が数多く収録されているが、ファンには巻末に収録された当時の北海道の各駅の旅のスタンプも楽しいものとなっている。