小樽市在住の鉄道写真家、星良助(1935-)氏が撮りためた貴重な写真が、「北国の汽笛」と銘打って全4冊のシリーズとなっている。全ページが白黒で、基本的に1ページに2~3枚の写真を紹介する形。第4巻には1965-81年に撮られた写真が、以下のようにまとめられている。
【国鉄】
国鉄の話題
電化工事/特急「北海」誕生/室蘭本線不通迂回運転/夏休みカメラ紀行/NHK連続ドラマ 旅路ロケ/小樽‐滝川間 電化開業/義経としずかご対面/小樽築港機関区/北海道 鉄道90周年/千歳線 新線切り替え/義経号到着/電車特急試運転/北海道 鉄道100年記念
国鉄各線
客車・貨車
【私鉄】札幌市交通局/定山渓鉄道/旭川電気軌道/函館市交通局/美唄鉄道/夕張鉄道/三菱大夕張鉄道/苫小牧港開発 苫小牧臨海鉄道
【その他】三井鉱山 美唄鉱業所専用線/三井鉱山 奈井江専用鉄道/北星炭鉱 北星鉱業所専用(美流渡)/日本甜菜製糖 磯分内工場専用鉄道/小樽臨港鉄道/泰和車両/貨物線のスイッチャー/北海道開発局/鉱山のナローゲージ
【資料】室蘭本線不通に関する局報より
当書が全4巻シリーズの末尾であり、掲載対象となっている期間も1965年から1981年までの長い。この期間は、北海道の大地を覆った運炭鉄道の殆どと、森林鉄道、簡易軌道の全てが廃止となった時代で、蒸気機関車が1976年を最後に北海道の大地を去った。つまり、これらの鉄道の魅力的なものの多くが失われた時代でもある。かつて、多くのファンが羨望し、目指した北海道の鉄道は、80年代に入るころには、その多くが失われ、さらに80年代になってから、多くの国鉄線が廃止されることとなる。本巻掲載内容で最初に注目したいのは、「定山渓鉄道」と「千歳線 新線切り替え」である。前者の真駒内-澄川間は、札幌市営地下鉄南北線に、後者の東札幌-大谷地間は、同じく東西線に置換することとなる。いずれも札幌の市街地を走る線区である。定山渓鉄道の廃止には、1972年の札幌オリンピックの開催が関わっている。札幌市は、オリンピックを目指して都市を公の主観でデザインするため、鉄道職員を札幌市職員化するなど強引な手法で、「私」→「公」の引き継ぎが行われた。札幌市において現在に至るまで続いている「官主導」の開発スタイルを固定させたのがこのことであった。もし定山渓鉄道(東急系列)が残されていれば、札幌市も本州や九州の大都市のように、私鉄資本の開発・投資が行われ、街並みも現在とはまったくちがったものになっていただろう。千歳線の旧線も、もし今JRが線形を持っていれば、需要の高い路線として、経営の厳しいJR北海道の一助になっていたにちがいない。現在、それらの線形は、札幌市交通局が引き継いだ形になっているが、当該地下鉄線は、案内軌条式という独自の方策を取り入れたため、維持コストが余分にかかっている有様で、ある面で、40年以上前のオリンピックの負の遺産と化してしまっている。こんなことなら、定山渓鉄道と国鉄線の線形を維持したJR線を残した方が、余分な投資を回避し、民需を活用できたのではないだろうか。そのような観点で見ると、惜しいものを失った時代、という見方もできる。もちろん、その時代に、そこまでの見通しを持つことが困難であったという見方もあるだろうが。それにしても、旧千歳線の大谷地駅の木造駅舎の姿を見ると、さすがに隔世の感は禁じ得ないところか。別に注目したいのは北海道開発局の江別工場の風景で、石狩川治水工事等に従事した機関車たちの姿が収められている。また、最後にまとめられた「鉱山のナローゲージ」は、ほとんど報告のない軌道が紹介されている。岩内線国富駅から住友金属鉱山国富鉱業所に牽かれた線路を行く機関車で、この路線は地上部が木造の雪覆いで覆われており、橋梁を渡る部分でのみ、機関車が顔を外界に覗かせたという。その瞬間が撮影されている。思い入れの深いものとしては美唄鉄道で、これは私の父が撮影のため、足しげく通ったところ。父は1,000枚を越える美唄鉄道の写真を撮影していて、私は最近これをデジタル化し、HPでも公開したところ。4100型の特徴的な姿を見ることが出来る。現在、美唄鉄道の東明駅跡に、唯一見ることのできる形で保存されている当該蒸気機関車がある。興味を持たれた方は、是非足を運んでいただきたい。シリーズ4冊とも、星良助氏の熱意がこもった見事な写真集である。今世紀になって、このような書物にまとめていただいたことに、感謝の念は絶えないのである。