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チャイコフスキー(1840-1893)

Blu-spec CD 2 交響曲第6番『悲愴』 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

交響曲第6番『悲愴』 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

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    saitaman  |  埼玉県  |  不明  |  2022年10月23日

    なんだ、これは。非常に変わった演奏である。まるでギリシャ悲劇かイタリアオペラか。これは好悪分かれるわ。悲愴の録音は無数と言ってよいほどあるし、コンサートでも当たり前に聴いてきたが、これは異演である。変すぎる。でも、ムチャクチャ面白い。普通の悲愴を聴きたければ、ロシア的にこだわるならムラヴィンスキーを筆頭にいくつもあるし、ロマン派正当スタイルならカラヤンはじめ星の数ほど名演がある。今さら似たような演奏を量産したって大して意味が無い。グレン・グールドのバッハだってバッハだし、テオドールの悲愴だって悲愴である。普通の悲愴にこだわる人にはおススメしない。

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  • ★★★★★ 

    風とライオン  |  ZIMBABWE  |  不明  |  2018年05月04日

    >私も一聴して揺さぶられた口だが、愛聴してきたマゼール クリーブランドに戻ったら、マゼールとオケに心底圧倒された。 音楽の全てで次元が違うのである。 ←マゼールのチャイコごときに感心出来る様な人間はクラシックよりAKBでも聞いてろと思うよ?(笑)。それはさて置き、クルレンツィスはあらゆる伝統のしがらみから解き放たれた自由な演奏といって良いだろう。それゆえ古臭い演奏の様式にとらわれた人間には理解出来ないのだろうな。俺も今までで古今東西あらゆるチャイコは聴いてきたが、この演奏を聴いて初めてチャイコの第6を理解出来た気がする。今まで大仰な音響効果や安っぽいセンチメンタリズムに彩られた大向う受けを狙った通俗名曲でしかないと思っていた「悲愴」交響曲からこれほど生々しく熱いドラマを引き出したクルレンツィスの手腕は天才的という他ない。しかも欧米のトップ・オーケストラでなく、ロシアの田舎の歌劇場の座付きオーケストラを使ってこれだけの演奏が成し遂げられたというのは奇跡とすら思える。ただこの演奏はあまりに面白すぎて他の演奏が聴けなくなるという弊害もあるな。最近もユロフスキの全集から第6を聴いたが、普通過ぎてかったるくなってすぐ聴くのを止めてしまった。ユロフスキも良い指揮者だが常人と天才の差は歴然。

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  • ★★★★★ 

    Amadeo  |  神奈川県  |  不明  |  2018年04月16日

    この曲の演奏にありがちな贅肉がそぎ落とされ、聴いていて気持ちいいとさえいいたくなるくらい、納得感のある悲愴です。 何かほかの指揮者と違うことをしようとしているわけではなく、楽譜に忠実に行こうとした結果がほかの演奏と違うだけなのではないか。強拍・弱拍の扱いも理にかなっており、恣意的というよりはむしろ、作曲家の意図に近づいたいるのないかと感じました。全体を通じて弛緩することがなく、非常に高い緊張感を保った名演と思います。

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  • ★★★★★ 

    せごびあ  |  愛知県  |  不明  |  2018年03月11日

    これまで考えてきた悲愴を全く別の角度から見た演奏といえましょう。一石を投じるという意味では大変意義深いものです。しかしその感覚を生理的に受け入れられるかどうかはおおいに意見の分かれるところでしょうし、聞き手の音楽的な感性の幅や器を試される挑戦的なものであるといえましょう。私はこれもありと感じましたが、何度も繰り返し聞く類のものではないでしょう。一期一会の思いで心して聴かれることをおすすめします。

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2017年12月26日

    修正版CDが届きました。なるほどコントラバス伴奏の入りが0.5秒ほど欠けていましたね。しかし、ファゴットの主旋律が欠けているわけではないので、このミスに気づくのはなかなか至難かと。さて、肝心の演奏だが、やはり大した業師との印象を再確認した。HIP(ピリオド)様式による『悲愴』の録音は既にあったが、これはもはやHIPでは全くないでしょう。弦はノン・ヴィブラートからヴィブラートたっぷりまで自由自在、編成も16/14/12/14/9と非常に大きい(低弦が厚いのはロシアの伝統でもあるようだ)。対向配置も、終楽章第1楽章など両ヴァイオリンが合わさって一つの旋律を作るという作曲者の凝った書法を生かすために(常にではないが)既に行われてきている。管楽器も「増管」して3管編成。第1楽章展開部直前のppppppもバス・クラリネットだし、モーツァルトでも必要とあらば譜面に手を入れていたクルレンツィス、オーセンティックでなければならぬというこだわりは皆無だ。 しかし極端な強弱の対比を軸にした細部への徹底的なこだわり、第1楽章展開部などでのめざましい弦楽器群の表出力は、いつもながらお見事。オケをベルリンまで連れてきて、この一曲のために一週間、スタジオに缶詰めにするなんて、毎週の定期演奏会演目を2〜3日のリハーサルで仕上げねばならぬメジャー・オーケストラには出来るはずもない芸当だ。第3楽章では金管を抑え、すなわち華やかさを抑えて(録音の方でもそのようにバランス調整しているようだが)、終楽章とのコントラストよりは同質性を狙うなど、方法論が徹底している。終楽章最後の第2主題再現、普通は「鎮静・浄化」を感じさせるところで、こんなに痛烈な表現を持ち込むなんて、やはり聴かせどころを外さないな。

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  • ★★★★★ 

    SeaCrow  |  東京都  |  不明  |  2017年11月30日

    演奏はみなさんの書いておられる通り、本当に素晴らしい。劇的、ときに恣意的ですらありながらシャープで研ぎ澄まされており、それでいて音楽の恰幅は十分にあって神経質ではない。名演、少なくとも個性的秀演に数えられるべき演奏。ただ、輸入盤CDに限り、不具合が発生しています(第1楽章冒頭音欠け+ノイズ)。既にソニー側で交換が始まっていますので、詳しくは「ソニーミュージック クルレンツィス」でネット検索してみてください。それにしても、ネット上で輸入盤CDを聴いてのレビューが溢れているけれど、この程度のことに気付かないのでしょうか? 「悲愴」のあの冒頭部ですよ? 個人のレビューなんて本当にあてにならないな、と思いつつ個人のレビューを投稿する私。

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  • ★★★★★ 

    てつ  |  東京都  |  不明  |  2017年11月26日

    悪魔か天才か、ではなく間違いなく天才だ。春の祭典も素晴らしかったが、この悲愴は本当に凄い。小生は細部に拘り、各声部をしっかり聴かせる演奏が好きだが、クルレンティスは拘りという狭い範疇ではなく、音楽として全てを表現し切っている。各楽章に聞きどころは多いが、とにかく第4楽章のコーダを聞いて欲しい。こういう音楽は誰もなし得なかった。スコアを見たら、確かにその通りだった。なのに誰もやっていない。チャイコフスキーは死ではなく、生きることの辛さを表現したかったのだろうと思えた。この演奏は聞いている時は新たな発見を、聴き終わってからは曲自体の存在感を聞き手に意識させる稀有な演奏だと私は思った。

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  • ★★★★★ 

    ゆりぞう  |  兵庫県  |  不明  |  2017年11月24日

    えらいもん聴いてしもうた。もう他の悲愴が生ぬるくて聞けんがな。

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  • ★★★★★ 

    風信子  |  茨城県  |  不明  |  2017年11月20日

    アフロディテかムースか ミューズの横顔が浮かび上がる神秘のディスク マルティノンの”悲愴”の洗礼を受けたわたしは ムラヴィンスキーのそれを聴いた時言うに言われぬ齟齬感に苛まれた その表現主義を是としながらも 何かチャイコフスキーを超えてしまった処で演奏が成立しているような違和感と言ったらいいだろうか またあの疼きが巡ってこようとは思わなかった 予感はあったものの出会ってしまうとやはり衝撃を受けた クルレンツィス&MEの”悲愴”はムラヴィウスキー&LPOの演奏を凌駕する精度と広大さを持って現れた ベートーヴェンが打ち立てたデュナーミクの表現力を駆使した交響曲の追求がここに極まった感を受ける だが どうしたのだろう あの”悲愴”を初めて聴いた日 この世の美も悲も夢も懊悩も一度に知った日 生涯に一人という運命の娘に出会った日 あの日の何もかもが綯い交ぜになってこの身に降り注いだ驚き 喜怒哀楽凡てが胸にふあれた後の余韻が見つからない 崩れ去る 雪崩れ落ちる 舞い落ちる弦楽に涙がこぼれない 何故だろう わたしが年をとったからか この凄演お聴きになっては如何

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  • ★★★★★ 

    Seiru  |  千葉県  |  不明  |  2017年11月17日

    待ちに待ったハイレゾ配信にて購入。これはドン引きするくらい凄い……。この曲における今世紀最大の名盤と断ずるに躊躇なし。対抗配置による曲の本来の魅力そのものを引き出しているのは勿論、「これの何処が客観的演奏なんだ」と思うような、しかし音楽効果上聴き栄えもするし納得のする非常に主観的な表現まですべてが盛り沢山。デュナーミクは極限まで拡大され、音の一つ一つ全てに有機的にそれとアーティキュレーションを徹底的に施し、しかもアンサンブルは完璧で乱れない。第三楽章で顕著ですが決然とした主旋律の裏で弦の対旋律が左右にのたうち回る!!悲愴はチャイコフスキーの中でもオーケストレーションが独特で、他の曲と同じように演奏するとスカスカになってしまう事例までありますが、ここまですべての音を鳴らしきりつつも悲愴らしさを失わない録音は今までなかったと思います。諸氏がおっしゃる通りマルケヴィチよりも「凄く」、ムラヴィンスキーよりも「有機的」。CDはディザリングされてそれ自体でもやはり高音質だとは思いますが、ハイレゾですら24bitのダイナミックレンジを極限まで用いている感じがあり(第一楽章音量注意!)、別サイトレビューにもやはり音が違うというレビューが載っているので、これは是非LPでお茶を濁さずSACDで再発するべきです。それだけの価値がないわけがありません。近年ソニーは復刻企画ではすでにSACDを度々リリースしているのですから。

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  • ★★★★★ 

    Waree Nanisitonnenn  |  富山県  |  不明  |  2017年11月12日

    やりすぎですう(笑) 刺激度はマルケビッチ並です。保証します。

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  • ★★★★★ 

    John Cleese  |  静岡県  |  不明  |  2017年11月11日

    これを「恣意的」と呼ぶのだろうか。聴きながらそんなことを考えました。いや、違う。恣意的という言葉は、オリジナルの音楽が求めている方向と異なる方向を再現者・演奏家が勝手に取り始めたときに使う言葉で、この演奏には、それは全くあてはまらない。 いままで聴いてきた「悲愴」の演奏とは一線を画し、たった今出来上がったばかりの初めて耳にする曲であるかのように響く、この斬新な演奏。 一聴して恣意的とすら受け止められないほど、最大限に拡大されたダイナミック・レンジ。同じく最大限に拡大された緩急のつけ方も、過激という形容すらあてはまりそうです。 しかし「恣意的」という感じではないのです。これこそ作曲者の求めたこの曲の姿ではないか、とすら感じます。つまり、ここで再現者・演奏家は、その表現においては、作曲者の忠実なしもべとして誠実にその意図を再現する務めを果たし、その結果として、この空前絶後の名演が生まれたのでは。第一楽章が終わったばかりで、完全にノックアウトされてしまいました。あのショスタコ14番の、あのダ・ポンテ3部作のクルレンツィス先生ですから、期待はしていました。でもそれを上回る出来です。 いまどき「悲愴」を聴いてこんなに衝撃を受けるとは・・・個人のランクではマルケヴィッチ大先生のベルリン、ロンドン両名盤をしのぐ「悲愴」の出現です!

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  • ★★★★★ 

    フォアグラ  |  愛知県  |  不明  |  2017年11月06日

    驚愕の演奏である。クルレンツィスは「悲愴」のスコアからテンポ、アクセント、アンサンブル・バランス等を徹底的に見直し、再構成している。あらゆる場面から聴きなれないパッセージが飛び出す。通俗名曲といってもいい「悲愴」にこれほどの可能性がまだ残っていたのかと誰もが驚くのではないか。私自身いったい何枚の「悲愴」のCDを持っているのかわからないが、クルレンツィスの演奏はそのどれとも全く似ていないと断言できる。しかも、音楽はとてつもなくエモーショナルなのだ。第1楽章展開部の入りは衝撃を受けるし、終楽章末尾ののたうち回るような表現も強烈だ。大した才能だというしかない。クルレンツィスのチャイコフスキーといえばコパチンスカヤの単にロマ風に悪乗りしただけのコンチェルトがあったが(あれを褒めた評論家は10年後も評価を変えずにいられるのか)、まさに雲泥の差である。ダイナミックレンジも広大だが、それを納め切った録音も絶賛したい。待った甲斐があった。

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