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ベートーヴェン(1770-1827)

CD 交響曲第9番『合唱』 フルトヴェングラー&バイロイト(1951)

交響曲第9番『合唱』 フルトヴェングラー&バイロイト(1951)

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  • ★☆☆☆☆ 

    伊東洋輔  |  神奈川県  |  不明  |  2015年09月24日

    「終わり良ければ総て良し」というが、逆に言えば「終わり悪ければ総て悪し」となるだろうか。少なくとも私にとってこの「バイロイトの第九」がそれ。曲の最後の最後、コーダでの、あのマッテマシタとばかりに加速・爆走してオケがが置いてきぼりにされて空中分解、グシャグシャになっておしまい。・・・初めて聴いた時はあまりの安っぽさ、単純さに呆れ且つ怒りを覚えた。もっともフルトヴェングラーの同曲には、一部のマニアの間ではバイロイト以上と評され、彼自身も満足したという「ルツェルンの第九」があるが、ここでもやはり最後で驀進しているのを聴くと、おそらく彼にとって「ベートーヴェン」とはこういうもの、こんな風に表現すべきと思っていたのだろう。本人やファンの方はどうだか知らないが、はっきり言って私には到底「永遠の名盤」とは認められない代物である。

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  • ★☆☆☆☆ 

    エーリッヒの息子  |  相模原  |  不明  |  2005年11月06日

    ここではあえて「だめ!」にした。私が言いたいのは、「この録音を崇拝してしまって良いのか?」と言う事。承知の通りフルトヴェングラーは大戦中ナチに散々煮え湯を飲まされた人だ。その彼がよりによってワーグナーの聖地バイロイトで「歓喜の歌」を、これほどまでに直截に表現している事に誰も違和感や不信感等を抱かないのか?「政治と芸術は別」という理屈が、ナチズムという悪夢の前には全く役に立たないどころか、かえってドイツ芸術の政治利用に加担してしまったことは事実だ。フルトヴェングラーのデリカシーに、私は敢えて疑義を呈したい。

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