HMVインタビュー:Smooth Stylez Of Life
Thursday, September 4th 2008
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「自分たちでプリンターを使いカバーを印刷して、切って、ケースに入れて、シュリンクラップをかけて、って作業を自分たちでやったんだからね」
Q. まずは自己紹介をお願いします。 LIL CHINO (以下、C) Hey Whats Up, オレはスムース・スタイルズ・オブ・ライフ、SSOLのリル・チノ。805エリア、サウス・カリフォルニアのフィルモア出身だ。 LIL PUNCH (以下、P) Whats Up、SSOLのリル・パンチだ。オレもフィルモア出身だよ。 Q. あなたが最初にヒップホップに興味を持った時のことを教えて下さい。 C オレの兄貴がスヌープ・ドギー・ドッグのアルバム『Doggystyle』をかけてるのを聴いた時かな。まだオレは9歳だったけど、マジでコレでハマっちゃったんだよね!スヌープを聴いた後は、ドクター・ドレやアイス・キューブ、DJクイック、セカンドIIノン、AMG、シュガ・フリー、ウォーレン・G、ネイト・ドッグ、クラプト、ダズ・・・とにかく他にもたくさんのグレイトなウエストコーストのラッパーたちを自分で探して聴いてたんだ。 P オレはリル・ロブの『Crazy Life』ってアルバムを聴いたのが最初だな。それで興味を持ったんだ。 Q. SSOLはどのように結成されたのですか? C オレはリル・パンチが5歳の頃から知ってるんだ。ヤツの兄貴とオレはオレらが12歳の頃からの友達で、パンチが12-13歳くらいの時にヤツがラップしたがってる、って兄貴に聞いたんだよ。その時オレは既に音楽を作っていて、それから2年もしないうちにオレはヤツをビーブズのスタジオに連れてって、オレらの最初のレコーディング曲「Lonely Girl」を録ったんだ。録り終えた後にオレとビーブスで、グループを組んでみたらイイんじゃないか、ってことになってパンチに話して今に至る、って感じかな。
Q. ビーブズについて教えてもらっても良いですか?
C SSOLのエグゼクティヴ・プロデューサーであり、オレのビジネス・パートナーなんだ。オレらは10年近く前からの知り合いで一緒に仕事し始めたのは7年前くらいかな。元々はオレの兄貴の幼なじみで2001年に友達を通じてスタジオで会ったのが最初なんだけど、それから時々オレらはレコーディングをするようになったんだ。SSOLを結成する前なんだけど、ストリートハッスル・レコードはもう設立していて曲を作り始め、2003年にはストリート・コンピレーションを出したんだよ。そんなに大きな規模じゃないけど。 P ビーブズはオレをフックアップし、チャンスをくれたんだ。オレらの曲の殆どを手がけて、トークボックスをプレイしてるのも彼さ。
Q. SSOL(SMOOTH STYLEZ OF LIFE)という名の由来を教えて下さい。
P リル・チノがアイデアをオレに教えてくれてオレがそれに乗ったんだよ。 C CLS(CALI LIFE STLE)やトリプル・C(CCC a.k.a. CENTRAL COAST CLIQUE)みたいなイニシャルを使ったユニークな名前をつけたかったんだ。オレは最初に言ったアーティスト同様に彼らの大ファンでもあるし、彼らみたいなチカーノのラッパーに影響を受けて育ったようなもんだからね!それで色んなイニシャルを組み合わせるうちにS.S.O.L.、〈SMOOTH STYLEZ OF LIFE〉ってのがオレらの音楽にもフィットするしピッタリだな、って思ったんだ。スムースなレイドバックしたフロウにローライダー向けのクルージング・ジャムだからね。ホーミーたちとのパーティとか日曜のBBQの時に聴いて盛り上がる曲もあれば、もちろん女の子にピッタリな曲もあるし。
Q. どんな音楽から影響を受けたんですか?
C 小さい頃から音楽は大好きだったよ。オールドスクールなR&B、ヒップホップ、レゲエ、オールディーズ…。でもオレがラップする上でマジで影響を受けたのは、初めてチカーノのラッパーたちがオールドスクール・サンプルを使ってラップしてるのを聴いた時だね。90年代の話さ。オレらと同じチカーノでマイクを握って、オレの好みのオールド・スクールなトラックにラップを乗せてたヤツ…Joeってラッパーの「Anotha Crazy Aztec」って曲なんだけど。レコードも出してるんだぜ。その後にCLSやトリプル・Cを聴いて全てが変わっちまったね!オレの住んでるエリア・コード805をリプレゼントしてんだけど、彼ら以前に805をリプレゼントしてるヤツなんて居なかったからさ。それ以来ずっと彼らのファンなんだ。 P オレはリル・ロブの「Stop, Look & Listen」を聴いてから、チカーノにもラップが出来るんだ、オレにもチャンスがあるかも、って思ったんだ
Q. 1stアルバム『California Coastin』はどのように作られたのですか?
C 『California Coastin』はオレらにとって実験みたいなもんだったよ。オレらはアルバムを作って実際にCDをプレスしたかったし、オレらの音楽を気に入ってくれる人がいるかも、ということを確かめたかったんだ。ビーブスと一緒に少しばかしの金を工面し、1000枚だけCDを作ったんだけど、CDを作るために金を貯めるのはちょっとクレイジーだったね(笑)。 P 何度も週末にビーブズのスタジオに集まってはアイデアを練ってね。 C そして遂に完成させた、ってわけ。失敗から学ぶこともあったよ、プレス工場でCDだけをプレスして自分たちでプリンターを使いカバーを印刷して、切って、ケースに入れて、シュリンクラップをかけて、って作業を自分たちでやったんだからね!10日間くらいかけて50枚作るのがやっとだったよ!それを2007年にはマスタリングしてリプレスしたんだ。
Q. アルバムをリリースして何か変化はありましたか?
C 『California Coastin』を出した後は大した変化はなかったね。マイスペースでオレらのフレンド登録してくれてた人たちに伝えてたくらいで。少しは売れたけど決して大きな数じゃない。アンダーワールド805レコードのトーマスに会ってから状況が変わり始めた、って感じかな。彼の助言やサポートにはすごく感謝してるんだ! P オレは少しだけと変化があったと思うよ。オレらの音楽を知ってくれた人がコンタクトしてくれたりしたしね。
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