日本のシンガーTOP30 - 第22位
2005年11月27日 (日)

日本一のマイペースミュージシャン・奥田民生!
現在の日本のロックシーンにおいて、ミュージシャンからリスナーまで最も広く愛されるアーティストの一人である奥田民生。
彼の歌声を聴いたら、即座に奥田民生だとわかってしまう、特徴的なうたいまわしと声質の持ち主。しかしながら現在の歌い方に至るまでには、なかなかの長〜い歴史があります。なんといっても2004年で”ソロ”活動10周年ですから。
また2004年10月30日、諸般の事情で今までコンサートは開催不可能と言われた広島市民球場始まって以来のまさに歴史的ライブ「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を開催し、大きな話題となったのも最近の大きな出来事。また先頃、このライブをメインとした映画『カスタムメイド 10.30』が公開され、木村カエラ映画初主演で、こちらもヒット中。
そんな奥田民生のこれまでをユニコーン時代から現在までざっとご紹介。
民生といえばユニコーン。
1986年に広島で結成された5人組バンドユニコーンはバンド・ブームの渦中にアイドル・ロック的なイメージで颯爽と登場し、そのブームのど真ん中にどっしりとあぐらをかきながらも次第に独自の音楽性を開花させ、バンド・ブーム終焉後もスイスイと涼しい顔でシーンを泳ぎきり、クオリティの高い作品を連発した類い稀なバンド。
初期のアイドル・ロックから物凄い速さで自由奔放なサウンドを奏でるグループへと進化したその様はビートルズすら思い起こさせる…というのは過言かもしれないが、解散から10年近く経過した今も音楽的に高い評価を得ていることは言うまでもない。
89年、傑作アルバム『服部』(のちに氣志團が『Too Fast To Live Too Young To Die』でアルバムジャケをオマージュ)収録の、単身赴任の侘しさを歌った名曲「大迷惑」がシングル・ヒット、メンバーそれぞれのキャラが明確に立ってきたせいもあり、ユニコーンはアイドル的人気も維持しながら評論家も唸らすという独自のポジションを獲得。当時のビート・パンク全盛の中で彼らの立ち位置はいい意味で曖昧で微妙なところに位置していた。
その後も、「ケダモノの嵐」、「ヒゲとボイン」などの傑作アルバムとシングルを残しながら、93年2月にはアルバム制作途中でリーダーの西川が脱退という事件が起こり、93年9月21日に解散。ラジオ、オールナイトニッポンの特番内での発表であった。
しかしながら、最後のアルバム『スプリングマン』もかなりソロ曲の寄せ集め的印象も強かったが、ユニコーンは活動後期はかなり個人活動が活発であった。それがその後のそれぞれの活動にダイレクトに影響し、民生はソロとして素直に活動を開始する。
奥田民生、のほほんと歌う。
1965年5月12日生まれ、血液型B、広島県出身。(改めてプロフィールを...) ユニコーンのボーカルとして活躍したのち、93年のバンド解散後ソロアーティストとして活動開始した奥田民生。
94年リリースのソロデビューシングル「愛のために」とファースト・ソロアルバム『29』が共にミリオンヒットとなる。
当時2ndシングルとしてリリースした「息子」はかなり衝撃的だった。確かにユニコーン後期は、「素晴らしい日々」や「雪の降る町」など落ち着いた曲が増えてきていたが、ここまで人間味のある曲を民生が作るとは思っていなかったからだ。そう当時からぐっと民生の曲は人間味が増した。それと同時にオヤジになった...
これ以後民生はどんどんと泥臭く、人間味を増していった気がする。この時期には、徐々に歌い方も今の感じとなり、それも粘っこくて曲にマッチしていた。
以後、井上陽水とのコラボレーション井上陽水奥田民生のリリースや、プロデューサーとしてPuffy、浜田雅功を手がけ、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーションなど、その才能をいかんなく発揮。
「イージュー☆ライダー」、「恋のかけら」、「マシマロ」、最近では「スカイウォーカー」など数々のシングルヒットを飛ばしている彼。
才能ってどこから生まれるんでしょう?なんて言ったって、彼の自然体の姿を見ていると、なんだかそんなことはどうでも良くなってくる。"悩んで学んで"ここまでたどり着いた奥田民生。現在の日本のロックシーンにおいて、ミュージシャンからリスナーまで最も広く愛されるアーティストの一人である。
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

