日本のシンガーTOP30 - 第6位
2005年12月29日 (木)
奇跡の歌声。小田和正。
1969年オフコース結成。翌年「群衆の中で」でデビュー。「さよなら」「Yes-No」等ヒット曲をたて続けに発表し、 幅広い層の支持を受ける。89年、東京ドーム「The Night with Us」公演を最後に解散、20年間の活動に終止符を打った彼ら。
それは86年に「1985」でソロとしてのキャリアをスタートさせ、89年のオフコース解散と同時にソロ活動を本格化させたソロアーティスト・小田和正の誕生へと繋がった。そうです、日本のシンガー第6位は小田和正さんです。
驚異の記録を保持!
透き通ったハイトーン・ヴォイス、切なくも温かい抜群のメロディ、情景を想起させるような詞世界が一体となって織り成す純度/完成度の高いナンバーは、高い支持を集めいている。なかでも、TVドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌に起用された91年の「ラブ・ストーリーは突然に/Oh! Yeah!」はシングルCD史上最高の280万枚を売り上げる。
また2002年のベスト盤『自己ベスト』は男性ソロアーティストのベスト盤としては史上初の200万枚超えの記録を達成し、2005年のアルバム『そうかな』は史上最年長でのアルバム首位を獲得で、さらに50代のアーティストでの首位獲得は史上初の快挙です。
圧倒的な歌唱力と唯一無二の透明感溢れるボーカルスタイル、メロディセンス、リリックの繊細さと、シンガーとしてもソングライターとしても常に一流であり続けた小田和正。こちらでは、オフコースを省いた小田和正ソロ時代から現在までの経歴をご紹介。
圧倒的人気を誇ったオフコースからソロアーティストへ。
1947年9月20日、神奈川県横浜市生まれ。東北大学工学部、早稲田大学理工学部建築科修士課程卒業。1969年にオフコース結成。1989年、全国ツアー終了後、東京ドーム「The Night with Us」公演を最後に解散、20年間の活動に終止符を打ちます。
解散後は、初の音楽活動として、鈴木雅之のシングル「別れの街」を全面プロデュース。10月18日ソロ第一弾シングル「Little Tokyo」を発表。
翌年5月にはアルバム『Far East Cafe』を発表。初のソロ・ツアーを実施、20万人を動員。第一生命企業CF「君に Merry Xmas」企画・演出。
「ラブ・ストーリーは突然に」の大ヒット!
1991年、「ラブ・ストーリーは突然に/Oh! Yeah!」をリリースし、シングルCD史上最高の270万枚を売り上げる。5月にはアルバム『Oh! Yeah!』をリリースし、ミリオンセールスを記録。さらに映画「いつかどこかで」(企画・脚本・監督・音楽:小田和正)撮影開始。
1992年1月、アルバム『sometime somewhere』、シングル「いつか どこかで」発表。第一回監督作品「いつか どこかで」公開され、時任三郎主演テレビドラマ「真夏の刑事」主題歌を作詩・作曲・プロデュース。またアニメーション映画「走れメロス」の音楽監督を担当。
その後、初の東南アジアツアー実施や、1996年のオフコース時代のセルフカバーアルバム 『Looking Back』、『Looking Back 2』、ベストアルバム 『伝えたいことがあるんだ』などが話題となる。
近年は記録尽くめ!
また2002年にリリースされた『自己ベスト』が史上最年長ベストアルバム200万枚を突破!今なお超ロングヒットを続ける小田和正のこのベストアルバムは、累積売り上げ枚数200万枚を突破し、男性ソロアーティストのベスト盤としては史上初の記録を打ち立てています。
そして2004年、まさかの小田和正初のテレビレギュラー番組「風のようにうたが流れていた」が放映。2004年10月4日から12月20日まで全11回放送され、ファンはもちろんのこと数多くのアーティストからも絶大なる支持を受けた良質の歌番組として認知されました。この映像は『風のようにうたが流れていたBOX』としてリリースされました。
2005年にはCM曲、主題歌として発表されていたお馴染みの楽曲の数々を収録したオリジナル・アルバム『そうかな』をリリース。5年の時を経て姿を現したこの作品は、オリコンチャートでは初登場首位獲得し、57歳9ヵ月での達成となり、史上最年長でのアルバム首位を獲得で、さらに50代のアーティストでの首位獲得は史上初の快挙という記録づくめとなりました。
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。
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自己ベスト
小田和正
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