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ベルリン・フィル・ラウンジ特別号 ペトレンコ/ショスタコーヴィチ:交響曲集 ベルリン・フィル・ラウンジへ戻る

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2023年5月2日 (火)


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ベルリン・フィル&HMV&BOOKS online提携ページ『ベルリン・フィル・ラウンジ』
ペトレンコ指揮による「ショスタコーヴィチ:交響曲第8, 9, 10番」がリリース


 ベルリン・フィル・レコーディングスより首席指揮者キリル・ペトレンコ指揮による待望の新譜がリリースされました。2020 年の「ファースト・エディション」に続く 2 作目のボックスセットで、演目はショスタコーヴィチの交響曲第8、9、10 番。ペトレンコが「生々しい今日性を帯びることになった」と語るショスタコーヴィチの音楽のディスコグラフィーに、注目すべき録音が加わりました。
 このディスクは、2020年10月から2021年10月にかけて、コロナ禍の最中の特殊な条件下で収録されました。ペトレンコはこう語ります。「逆説的に聞こえるかもしれませんが、この3つの交響曲を孤立した時期に演奏したことで、個人的に作品理解への新しい扉が開かれました。私はこれらの交響曲の中に、それまで発見できなかった何かを体験したのです。 非常に限られた条件下でしか音楽ができない中、ショスタコーヴィチの音楽を今まで以上に身近に感じ、それゆえ彼の作品を多く、特に集中的に演奏しました」

商品トレーラー:YouTubeビデオのリンク(外部サイトが開きます)


 ハードカバー装丁の当エディションには、充実したブックレットに加えて、ペトレンコのインタビュー映像(日本語字幕付き)、2枚のCDとBlu-rayに収録されたハイレゾ音源をダウンロードできるコード、さらにデジタル・コンサートホールの7日無料視聴 チケットが含まれています。カバー・アートは、ドイツの写真家トーマス・デマンドの作品。無数のロッカーが壁一面に並ぶ光景は、抑圧され閉ざされた環境を象徴しています。オリジナルの解説書に収録されたモスクワ・ゴーリキー公園の花々の写真も含め、アートワークとしても充実した内容となっています。

商品の詳細情報

キリル・ペトレンコとベルリン・フィルの来日公演


 11月14日から11月26日にかけて、ベルリン・フィルは首席指揮者キリル・ペトレンコと共に待望となる来日公演を行います。ベルリン・フィルの来日公演は2019年以来4年ぶりで、ペトレンコの首席指揮者就任後は初となります。ツアーは高松を皮切りに、姫路、名古屋、大阪、東京、川崎の6都市全10公演が予定されています。モーツァルト、ベルク、ブラームス、レーガー、R・シュトラウスによるプログラムにどうぞご期待ください。

キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルの来日公演情報(外部サイトが開きます)

ペトレンコとベルリン・フィルのショスタコーヴィチ


 装丁について

じっくり見ると驚かされる写真
アートの見方は自由なので、以下、筆者の感想を記しておきます。今回のセットで注目されるのがその装丁です。いつもながらの上質な仕上がりのブック仕様ということですが、外側にはなぜかロッカーの写真、内側には花の写真が使用されています。
  しかし写真をよ〜く見ると、表紙は精密につくられたロッカーの紙オブジェが大量に並べられたもので、内側の方はリアルに制作されたスミレなどの花部分の紙オブジェを生きた植物の上に巧みに配置したハイブリッドなものであることがわかります。

トーマス・デマントの作品
これらの写真はトーマス・デマントというドイツ人造形作家の作品で、デマントはこうした手間のかかる異化的な複製手法によって、社会や自然に関する独自のアートを展示したり写真集にしたりして高い評価を受けてきた人物です。

ロッカーとデマント
ロッカーはデマントお気に入りの題材で、色違いや角度違い、他作品との組み合わせのほか、形の違うものも発表しています。
  今回の作品は、2018年に制作された「ロッカー」という作品の色違いヴァージョンですが、「ロッカー」が2018年に発表された際には、「残された時間の現在への攻撃」というキャプションが付されてもいました。

奇妙なキャプションの正体
なんとも思わせぶりな言葉の正体は、デマントと親しいドイツの映画監督、アレクサンダー・クルーゲが「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手だった1985年に制作した西ドイツ映画「残された時間の現在への攻撃」のタイトルです。
  わざわざ友人の映画のタイトルを引用したデマントには、何かを示唆する意図があるとも考えられることから、その映画の内容についても簡単に紹介しておきます。

「残された時間の現在への攻撃」
映画は12篇のエピソードで構成された113分のアンソロジーで、クルーゲ監督が音楽も学んだ人物ということもあってか、オペラ「トスカ」と「ファルスタッフ」に由来する話を最初と最後に置き、途中、時代も人物も様々な話が紹介されています。
  クルーゲ監督はそこで、社会や人々の生活の多様さを描きながら、「永続的な時間の流れの中での、人の主観的な時間感覚」という「時間の二重性」についても示しています。

「時間の二重性」
「時間」の流れは止まることが無く永続的で無限です。しかし、一個人という存在にとっての「時間」とは、その一個人という存在が無くなるまでの「残された時間」でしかありませんし、さらに「一個人という存在が主観的に捉えた時間」が「現在」ということでもあります。
  このことから、その人の思いや行動とは関係なく時間が経過していくことを、クルーゲ監督は「残された時間」の「現在」への攻撃と表現しており、そしてその攻撃(=経過)は抗いようの無いものだと言いたいかのようでもあります。つまりクロノスとカイロスの話です。

ロッカー・オブジェの意味
「ロッカー」のキャプションで示されていた映画の内容が、12篇のエピソードによって時間の二重性を表現したものであるということは、数多く並んだロッカーの存在には、それに準ずる意味があるようにも思えてきます。
  しかも大量に並んでいるのは、紙でつくり直され、ロッカー本来の実用的な目的をいったんクリアにし、ロッカーの役割・存在を抽象化・時系列化し、概念化したものなのでなおさらです。
  ロッカーの連続的な配置が時間の永続的な流れ(クロノス)を示唆し、個別のロッカーの扉の向こう側は主観的な時間(カイロス)やドキュメントであることが示唆されていると考えると、色々なことに当てはめることもできそうです。

フラワー・オブジェの意味
一方、フラワー・オブジェについては、生体植物と組み合わされている点が注目されるところです。オブジェでは生花の寿命や生殖機能がクリアにされ、純粋に美のための美的な存在と化しているわけですが、それを生体と組み合わせているあたりが、まるでアートとそれを支える存在(人や社会)との関りを示しているようでもあり、しかもその在り方の多様さが複数の事例で示されてもいます。

デマント(とクルーゲ)のメッセ―ジ?
最近はポジション・トークや扇情的な情報だらけで、何が本当なのか非常にわかりにくくなっていますが、事実や実際の数字を踏まえ、時系列的かつ論理的に物事を捉えて欲しいというのが、もしかしたら、デマント(とクルーゲ)のメッセ―ジなのかもしれません。
  ロッカー・オブジェにしても、フラワー・オブジェにしても、アートとしての面白さだけでなく、いろいろなことを考えるヒントを提供してくれるのが嬉しいところです。ペトレンコ指揮ベルリン・フィルのショスタコーヴィチにふさわしい装丁です。

 時系列と表による対象把握

せっかくメッセージ性のある凝った装丁なので、セットの中身の音楽作品や、人物、団体などについても、時系列の表やリストといった切り口で取り上げてみます。

【作品&演奏情報】

ショスタコーヴィチの交響曲は20世紀作品ということもあり、楽器編成も大きく構造も複雑ですが、基本的には交響曲の伝統に則った作風なので、構成要素をある程度把握すれば鑑賞時の面白さも増して行く仕組みなのはベートーヴェンやマーラーの場合と同じと思われます。
  ここでは、各作品の楽章ごとに、演奏時間を一般的な楽曲分析パターンに沿って時系列で区分し、デジタル・コンサート・ホールのラップ・タイムを記載、その横に、楽章冒頭タイムを[00:00]とした場合の変換時間をCD推測値として記載しておきます。
  また、デジタル・コンサート・ホールの映像のメリットを生かして、各作品の実際の出演者を目視確認し、名簿としてまとめておきます。

交響曲第8番について
第8番こそレニングラード交響曲?
タイム・テーブル
出演者リスト

交響曲第9番について
タイム・テーブル
出演者リスト

交響曲第10番について
タイム・テーブル
出演者リスト

【団体情報】

ベルリン・フィルについては、ショスタコーヴィチの交響曲のCDや映像のリストを掲載しておきます。

ベルリン・フィルのショスタコーヴィチ

【人物情報】

指揮者ペトレンコ、作曲者ショスタコーヴィチの年表を掲載するほか、ペトレンコと同じくシベリアと縁の深いショスタコーヴィチの曽祖父・祖父・両親についての簡易年表も掲載しておきます。

キリル・ペトレンコ
ショスタコーヴィチの曽祖父・祖父・両親
ショスタコーヴィチ年表(商品ページが開きます)

 交響曲第8番について

第1楽章展開部最後のトルコ行進曲と再現部の凄絶なトゥッティ、およびそれに続くイングリッシュホルンの3分を超える長大なソロの部分が有名です(デジタル・コンサート・ホールで16:06〜21:34。CDはおそらく15:19〜20:47付近)。
  これはレニングラード市民を死に追いやるドイツ軍をトルコ行進曲で描き、そのドイツ軍に対して1943年1月に大量の砲弾を撃ち込んだ赤軍のイスクラ作戦を描いたものとも見ることができ、戦闘後の虚無の中に響くイングリッシュホルン・ソロは、あまりの悲惨さに泣くこともできないレニングラード市民のようにも思えます。
  この演奏ではドミニク・ヴォレンヴェーバーのソロが聴きものですが、途中328小節から335小節でクラリネットとオーボエが加わる部分(DCH 20:03〜、CD 19:16〜)でも、ダイナミクスは抑制気味で、空腹で声も出なかった状況に配慮しているかのようでもあり、その悲痛な美しさは忘れがたい印象を与えます。
  実際、レニングラードがドイツ軍の攻撃から解放されるのは、1944年1月に赤軍がドイツ軍陣地に対して2時間30分で約50万発の砲弾を撃ち込んで無力化した作戦でのことなので、それまでは市民の苦難は続いており、それが戦時に書かれた交響曲第8番の悲しみや奇想に繋がっているとも考えられます。
  また、第5楽章の主要主題と副次主題は、素材的にはマーラーの交響曲第9番第3楽章でのロンド主題とアダージョ予告部分を思わせるので、オマージュ的な要素も含意されていそうですが、ペトレンコ指揮するベルリン・フィルの演奏では、各パートがリズムよく明晰に響き渡るので情報量が多く、特に展開部最後(56:39〜)はかなり露骨にマーラー・オマージュ風になっているのが興味深いところです。
  マーラーは交響曲第9番で第3楽章の後に美しいアダージョを置いていますが、ショスタコーヴィチの場合は、戦況が好転したとはいえまだまだ凄惨な戦いが続いていたこともあり、複雑で落ち着きのない音楽の中に、明るい方向性だけを示すのがやっとのような雰囲気です。

 第8番こそレニングラード交響曲?

1941年に作曲した交響曲第7番「レニングラード」が、1942年に各国で成功を収めたことで、ショスタコーヴィチは米ライフ誌の表紙を消防訓練姿で飾るなど国際的な知名度を獲得。
  国内でも1941年と1942年にスターリン賞第1席を続けて受賞(賞金計20万ルーブル、現在換算で約3,800万円)、「ロシア共和国功労芸術家」の称号も授与されたことで地位を一気に高め、芸術問題委員会顧問と全ソ文化連絡協会、作曲家同盟の仕事も任され、モスクワの演奏を管理する団体「フィルハーモニー」での発言力も増していました。
  そして翌1943年の1月末には、ソ連政府によってスターリングラードの解放宣言とレニングラードの勝利宣言がおこなわれ、その約5か月後の1943年7月にはショスタコーヴィチは交響曲第8番の作曲に取りかかっています。
  しかしレニングラードが完全に解放されるのはさらに1年後の1944年1月の終わりのことですし、1943年2月中旬に食料や燃料の配給がおこなわれるようになって餓死・凍死の恐怖は去ったとはいえ、逃げ惑う人々を虐殺するドイツ軍とフィンランド軍、スペイン義勇部隊による砲撃と爆撃、機銃掃射はショスタコーヴィチの故郷ではまだ続けられていたのです。

作曲風景
じっくり構想して一気に書くというショスタコーヴィチのことなので、着想時期はわかりませんが、実際の記譜作業はモスクワの自宅で1943年7月に開始され、月末に第1楽章を完成。モスクワの南約500キロのクルスクで戦いが始まった8月には、反対側のモスクワの北東約200キロのイヴァノヴォの保養施設「作曲家の創造と休息の家」に移り、第2楽章から第5楽章までを9月中に完成させています。
  「作曲家の創造と休息の家」は、ソ連作曲家同盟が貴族の大きな館を宿泊施設に改造したもので、近くには養鶏場や農園もあって食事に困らないことから、ハチャトゥリアン、プロコフィエフ、グリエール、そしてムラデリらも滞在しており、夕方には皆でバレーボールに興じたりするような余裕のある状態だったため、ショスタコーヴィチの心身も健康だったと考えられます。
  また、ハチャトゥリアンによると、ショスタコーヴィチの書斎からはピアノの音が聴こえなかったということなので、まさに、じっくり構想していたものを一気に外に出していたということなのでしょう。
  ちなみにクルスクの戦いでは、3週間ほどでティーガーやパンターなど最新戦車を大投入していたドイツ軍が敗走しています。

作曲時期の戦争犠牲者
戦局は確かにソ連優勢に転じてはいましたが、一方でドイツ軍とフィンランド軍、スペイン義勇部隊によるレニングラード攻撃はまだ続いており、同所での累計死者数はソ連側戦闘員が約40万人、レニングラード市民が少なくとも包囲下で60万人以上餓死させられており、避難時にもドイツ軍などの砲撃や爆撃で約40万人が虐殺されていました。
  1939年の国勢調査ではレニングラード市の人口は約319万人で、1944年1月解放宣言時の人口は約60万人。徴兵と疎開、移住で多くが不在だったとはいえ、まさにジェノサイドです。

レニングラード大虐殺とは無関係だった第7番「レニングラード」
交響曲第7番はレニングラードの犠牲者がまだあまり多くない1941年9月末までにレニングラードで第1・2・3楽章を作曲しており、しかも構想そのものは戦前だったという話も複数の人間によって証言されています。また、10月にはショスタコーヴィチ家に避難命令が出たことからレニングラードを後にすることになり、第4楽章が完成したのは遷都先のクイビシェフで12月のことでした。
  つまり第7番の作品構想にレニングラードの地獄絵図のイメージは含まれておらず、しかもレニングラード界隈はソ連最大の軍需工場地帯で、各地の赤軍部隊に兵器を送り出していたことから、戦意高揚的な音楽になったのは自然な成り行きだったということになりそうです。
  もっとも、第1楽章についてはいわゆる「侵略の主題」が、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」(前年に半年かけて改訂版作成)のプロローグで民衆が廷吏に無理やり歌わされる新皇帝ボリスを待望する合唱「我らの父よ! 我らを誰の手におまかせなさるのか?」に似ていることや、構想が戦前ということを考慮すれば、スターリンと官僚らによる大粛清を暗に描いたものと見ることもできそうです。

レニングラード大虐殺との関係性が濃厚な第8番
1943年の交響曲第8番は、有史以来、最大の都市犠牲者を現在進行形で生み出し続けていた故郷レニングラードの戦いのさなかに作曲されているのですから、ショスタコーヴィチに明るい曲を期待する方が不自然というものです。
  そして、じっくり構想して一気に書くというショスタコーヴィチの創作スタイルや、第7番との共通の動機の使用なども考慮すれば、この交響曲第8番こそレニングラードの戦いから受けた印象を反映させたものと考える方が時系列的には筋が通ります。


 交響曲第8番 タイム・テーブル

左端数値はデジタル・コンサート・ホールのラップ・タイムで、その隣のカッコ内の時間はCDの推測値です。右端のカッコ内は各部分の演奏時間となります。

第1楽章

0:47 (0:00) 序奏(53秒)
1:40 (0:53) 呈示部 第1主題(4分11秒)
5:51 (5:04) 呈示部 第2主題(2分56秒)
8:47 (8:00) 呈示部 第3主題(2分22秒)
11:09 (10:22) 展開部(4分56秒)
16:06 (15:19) 展開部 トルコ行進曲(1分2秒)
17:07 (16:20) 再現部 序奏(1分3秒)
18:10 (17:23) 再現部 第3主題(3分24秒)
21:34 (20:47) 再現部 第2主題(2分13秒)
23:47 (23:00) 終結部 序奏主題(31秒)
24:18 (23:31) 終結部 第1主題(58秒)
25:16 (24:29) 終結部 序奏主題(44秒)
26:00 (25:13) 終了(25分13秒)

第2楽章

27:19 (0:00) 主部(1分39秒)
28:58 (1:39) 中間部(1分56秒)
30:54 (3:35) 主部(49秒)
31:43 (4:24) 終結部(1分39秒)
33:22 (6:03) 終了(6分3秒)

第3楽章

34:34 (0:00) 主部(3分15秒)
37:49 (3:15) 中間部(1分6秒)
38:55 (4:21) 主部(1分39秒)
40:34 (6:00) 終了(6分)

第4楽章

40:34 (0:00) 前奏(12秒)
40:46 (0:12) 主題(48秒)
41:34 (1:00) 第1変奏(45秒)
42:19 (1:45) 第2変奏(46秒)
43:05 (2:31) 第3変奏(45秒)
43:50 (3:16) 第4変奏(46秒)
44:36 (4:02) 第5変奏(53秒)
45:29 (4:55) 第6変奏(51秒)
46:20 (5:34) 第7変奏(55秒)
47:15 (6:41) 第8変奏(55秒)
48:13 (7:39) 第9変奏(58秒)
48:58 (8:24) 第10変奏(52秒)
49:50 (9:16) 第11変奏(48秒)
50:38 (10:04) 終了(10分4秒)

第5楽章

第1部
50:38 (0:00) 主要主題(1分21秒)
51:59 (1:21) 主要主題展開(31秒)
52:30 (1:52) 副次主題(54秒)
53:24 (2:46) 主要主題展開(1分32秒)
第2部
54:56 (4:18) 展開部(3分14秒)
58:10 (7:32) 第1楽章冒頭動機(1分29秒)
第3部
59:39 (9:01) 主要主題展開(42秒)
1:00:21 (9:43) 副次主題展開(3分38秒)
1:03:59 (13:21) 終了(13分21秒)

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 交響曲第8番 出演者リスト(弦楽器首席奏者と管楽器奏者等)

第1ヴァイオリン首席
ノア・ベンディックス=バルグリー(アメリカ)
第2ヴァイオリン首席
伊藤真麗音(日本)
ヴィオラ首席
清水直子(日本)
チェロ首席
オラフ・マニンガー(ドイツ)
コントラバス首席
エスコ・ライネ(フィンランド)
フルート
マチュー・デュフール(フランス)
イェルカ・ヴェーバー(ドイツ)
ピッコロ(フルート持ち替え)
エゴール・エゴルキン(ロシア)
ミヒャエル・ハーゼル(ドイツ)
オーボエ
アルブレヒト・マイヤー(ドイツ)
アンドレアス・ヴィットマン(ドイツ)
イングリッシュホルン
ドミニク・ヴォレンヴェーバー(ドイツ)
クラリネット
ヴァルター・ザイファート(ドイツ)
アンドレアス・オッテンザーマー(オーストリア)
アレクサンダー・バーダー(ドイツ)
バス・クラリネット
マンフレート・プライス(ドイツ)
ファゴット
シュテファン・シュヴァイガート(ドイツ)
モル・ビロン(イスラエル)
コントラファゴット
ヴァーツラフ・ヴォナーシェク(チェコ)
ホルン
シュテファン・ドーア(ドイツ)
アンドレイ・ジュスト(スロヴェニア)
ヨハネス・ラモートケ(ドイツ)
サラ・ウィリス(アメリカ)
トランペット
ギヨーム・ジェール(アメリカ)
タマーシュ・ヴェレンツェイ(ハンガリー)
アンドレ・ショッホ(ドイツ)
トロンボーン
オラフ・オット(ドイツ)
イェスパー・ブスク・セアンセン(デンマーク)
トーマス・ライエンデッカー(ドイツ)
チューバ
アレクサンダー・フォン・プットカマー(ドイツ)
ティンパニ
ヴィーラント・ヴェルツェル(ドイツ)

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 交響曲第9番について

ショスタコーヴィチは、「ナチス・ドイツに対するソ連の勝利を祝うものとして、オーケストラ、ソリスト、合唱のための大きな作品になるだろう」と自身で発表していたことから、周囲は当然ながら大きな作品を期待を寄せることになります。実際、終戦直前の1945年4月に第1楽章を聴かせてもらった友人のグリークマンは、壮大なスケールと哀愁、息を呑むような動きのあるものだったと述べていますが、ショスタコーヴィチはほどなくそうした傾向の作曲を中止しています。
  そして、7月下旬から短期間で完成した新たな第9番は、壮大な要素の一切ない軽妙な作品に姿を変えていたのです。
  ショスタコーヴィチが急遽方針を変更した理由ははっきりしていませんが、ナチス・ドイツによって若者を中心にソ連国民の4人に1人の命が奪われた事実と、さらに多くの遺族の心情を思えば、単純に戦勝を祝う曲を書くことなどとてもできなかったのかもしれません。
  戦争が終わってホッとする市民たちと、時々蘇る戦争の記憶を描いているようにも聴こえる第9番の音楽は、第8番終楽章の複雑な落ち着きの無さを、明るくシフトさせて継承したような印象もあり、その意味では現実の終戦を描いた戦争交響曲とも言える内容です。
  面白いのはショスタコーヴィチがそうした楽想を表現するために、まるで管弦楽の為の協奏曲のような妙技をたっぷりと盛り込んだことで、ペトレンコ指揮ベルリン・フィルの手にかかると、その機動力と次々に登場するソロ技の数々に驚かされっぱなしということになります。


 交響曲第9番 タイム・テーブル

左端数値はデジタル・コンサート・ホールのラップ・タイムで、その隣のカッコ内の時間はCDの推測値です。右端のカッコ内は各部分の演奏時間となります。

第1楽章

0:30 (0:00) 呈示部 第1主題 (43秒)
1:13 (0:43) 呈示部 第2主題 (34秒)
1:47 (1:17) 呈示部 第1主題 (42秒)
2:29 (1:59) 呈示部 第2主題 (34秒)
3:03 (2:33) 展開部 (1分2秒)
4:05 (3:35) 再現部 第1主題 (30秒)
4:35 (4:05) 再現部 第2主題 (24秒)
4:59 (4:29) 終結部 (34秒)
5:33 (5:03) 終了(5分3秒)

第2楽章

6:03 (0:00) 主部(2分27秒)
8:30 (2:27) 中間部(3分36秒)
12:06 (6:03) 主部(1分27秒)
13:33 (7:30) 終了(7分30秒)

第3楽章

13:56 (0:00) 主部(1分)
14:56 (1:00) 中間部(33秒)
15:29 (1:33) 主部(1分11秒)
16:40 (2:44) 終了(2分44秒)

第4楽章

16:40 (0:00) (4分27秒)
21:07 (4:27) 終了(4分27秒)

第5楽章

21:07 (0:00) 呈示部 第1主題(56秒)
22:03 (0:56) 呈示部 第2主題(44秒)
22:47 (1:40) 呈示部 第1主題(25秒)
23:12 (2:05) 呈示部 第3主題(43秒)
23:55 (2:48) 展開部(2分3秒)
25:58 (4:51) 再現部 第1主題(22秒)
26:20 (5:13) 再現部 第3主題(32秒)
26:52 (5:45) 終結部(44秒)
27:36 (6:29) 終了(6分29秒)

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 交響曲第9番 出演者リスト(弦楽器首席奏者と管楽器奏者等)

第1ヴァイオリン首席
樫本大進(日本)
第2ヴァイオリン首席
伊藤真麗音(日本)
ヴィオラ首席
清水直子(日本)
チェロ首席
オラフ・マニンガー(ドイツ)
コントラバス首席
ヤンネ・サクサラ(フィンランド)
ピッコロ
エゴール・エゴルキン(ロシア)
フルート
マチュー・デュフール(フランス)
イェルカ・ヴェーバー(ドイツ)
オーボエ
アルブレヒト・マイヤー(ドイツ)
ジョナサン・ケリー(イギリス)
クラリネット
キリアン・ヘロルト(ドイツ)
アレクサンダー・バーダー(ドイツ)
ファゴット
シュテファン・シュヴァイガート(ドイツ)
モル・ビロン(イスラエル)
トランペット
タマーシュ・ヴェレンツェイ(ハンガリー)
アンドレ・ショッホ(ドイツ)
ホルン
シュテファン・ドーア(ドイツ)
サラ・ウィリス(アメリカ)
ステファン・デ・レヴァル・イェジアスキー(アメリカ)
ゲオルク・シュレッケンベルガー(ドイツ)
トロンボーン
オラフ・オット(ドイツ)
イェスパー・ブスク・セアンセン(デンマーク)
トーマス・ライエンデッカー(ドイツ)
チューバ
アレクサンダー・フォン・プットカマー(ドイツ)
ティンパニ
ヴィーラント・ヴェルツェル(ドイツ)
小太鼓等
ラファエル・ヘーガー(ドイツ)
大太鼓等
ジーモン・レスラー(ドイツ)

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 交響曲第10番について

作曲に集中的に取り組んだのは1953年の夏から秋にかけてですが、着想が1946年を示す証拠があるとか、当時親しかったニコラーエワが1951年に聴いたなどという情報もあります。第1楽章の雰囲気が難解そうなこともあって、ホールに観衆を入れて3日間に渡って公開討論会まで開かれますが、体制が変わっていたことから反ショスタコーヴィチ音楽官僚たちの勢いが無く、「感情と情熱を描きたかった」ショスタコーヴィチの優位に終わっています。

第1楽章
主要素材はグレゴリオ聖歌「怒りの日」が変形されたものという見方をすると、序奏主題も第1主題も第2主題もその範疇に収まって来るので、単一の主題による巨大なモニュメントのような楽章と捉えることも可能です。
  また、1952年10月に書かれた「プーシキンの詩による4つのモノローグ」の第2曲「あなたにとって私の名前は何ですか?」の素材引用とみることもできます。「プーシキンの詩による4つのモノローグ」は親しかったウストヴォリスカヤに献呈した作品で、その第2曲は少しクヨクヨ系の未練がましいような印象もある曲(ちなみに第1曲はユダヤ人家族のもとを深夜に訪れて重々しくノックする巡礼者の不気味さを描いていますが、巡礼者=秘密警察、オフラーナのことかもしれません)。前年に書かれた弦楽四重奏曲第5番にはウストヴォリスカヤのクラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲の旋律を使用し、一緒に自分の名前を示すDSCH音型の変形を組み込んでもいました。
  要するに第1楽章にはショスタコーヴィチの個人的な気持ちも関わっている可能性が高いということになりますが、ウストヴォリスカヤ作品の直接引用ではないのと、DSCH音型の変形使用も少ないことから、前年の弦楽四重奏曲第5番に較べれば吹っ切れた状況と見ることもできます。
  ショスタコーヴィチの音楽の二重性について考えさせられるユニークな楽章です。

第2楽章
スケルツォ楽章ですが、本来の「主部・トリオ・主部」の3部構成ではなく、最初の「主部」のみの構成となっており、なおかつテンポが速いため、時間が非常に短い楽章となっています。その強烈なスピード感とダイナミズムはインパクト絶大で、第1楽章の重さから一気に気分転換を図る効果も十分。
  この楽章では「ボリス・ゴドゥノフ」の冒頭主題に似た旋律が使われていることからスターリンを描いたものとも言われてきました。ショスタコーヴィチは「ムツェンスク郡のマクベス夫人」では舅ボリスを毒殺した直後にカテリーナが嘆いているふりをする歌に「ボリス・ゴドゥノフ」の民衆の合唱の旋律を引用していたほか、交響曲第7番第1楽章の侵略の主題でも同じ旋律を変形使用していたので、プーシキンの描いた「ボリス・ゴドゥノフ」が悪玉だったことからもその素材が「悪の主題」という認識だったと考えられます。しかしどちらの場合も滑稽味を含んでいたことを考えると、このスケルツォ楽章での勇ましさと格好の良さは不思議ではありますが、実際にはスターリンはナチス・ドイツに打ち勝つなど悪い面ばかりでもなかったことから抽象化・圧縮して表現しているのかもしれません。また、ここでも「怒りの日」の変形素材が効果的に使用されています。

第3楽章
マーラー「大地の歌」第1楽章や同じくマーラーの交響曲第5番第3楽章へのオマージュのような音楽。第1主題には第2楽章の冒頭動機の変形が含まれ、第2主題にはDSCH音型が含まれるという構造で、その後、ホルンの特徴的な音型が12回も登場して目立ちますが、それは1947年からショスタコーヴィチがモスクワ音楽院で作曲を指導していたユダヤ系アゼルバイジャン人のエリミーラ・ナジーロヴァ[1928-2014]の名前を表しています。エリミーラへの指導は1948年にジダーノフ批判でショスタコーヴィチが解雇されたことで終わっており、その年にエリミーラは同郷のアゼルバイジャン人医学生と結婚してバクーに戻ってバクー音楽院で勉強を続け、やがてピアニスト、作曲家として活動を開始。ショスタコーヴィチは1952年にバクーを2度訪れたほか、エリミーラもモスクワに仕事で何度も出向いていますが、2人の手紙のやりとりが頻繁だったのは1953年の夏から秋にかけて交響曲第10番を作曲していた時くらいなので、単にショスタコーヴィチのイメージ上のミューズとして必要だったということかもしれません。ともかく第3楽章でのホルンのエリミーラ動機にアプローチするDSCH動機は非常に情熱的で、合体までしています。

第4楽章
マーラーの交響曲第5番第5楽章へのオマージュのような音楽。序奏部は悲し気な美しさが印象的で、「怒りの日」の変形使用も効果的。じらしにじらされてから登場する第1主題はとても快活で第2主題はワイルド。展開部では第2楽章の猛烈な音楽が再現されるもののDSCH音型が最後にさえぎって打ち克ち、エネルギッシュな再現部へと繋げ、DSCH音が盛大に演奏される中、喜びのエンディングを迎えます。
  ペトレンコ指揮ベルリン・フィルによる演奏はリズムもフレージングもパート・バランスも素晴らしく、この作品の魅力が実はかなり多面的であることを明確に教えてくれます。


 交響曲第10番 タイム・テーブル

左端数値はデジタル・コンサート・ホールのラップ・タイムで、その隣のカッコ内の時間はCDの推測値です。右端のカッコ内は各部分の演奏時間となります。

第1楽章

0:45 (0:00) 序奏部(2分23秒)
3:08 (2:23) 呈示部 第1主題(4分3秒)
7:11 (6:26) 呈示部 第2主題(2分47秒)
9:58 (9:13) 展開部(4分9秒)
14:07 (13:22) 再現部 第1主題(3分11秒)
17:18 (16:33) 再現部 第2主題(3分24秒)
20:42 (19:57) 終結部(3分12秒)
23:54 (23:09) 終了(23分9秒)

第2楽章

24:23 (0:00) 主部 第1主題(4分23秒)
28:26 (4:23) 終了(4分23秒)

第3楽章

29:00 (0:00) 主部 第1主題(1分4秒)
30:04 (1:04) 主部 第2主題(1分16秒)
31:20 (2:20) 主部 第1主題(1分)
32:20 (3:20) 中間部(2分49秒)
35:09 (6:09) 主部 第1主題(1分10秒)
36:19 (7:19) 主部 第2主題(3分11秒)
39:30 (10:30) 終結部(1分19秒)
40:49 (11:49) 終了(11分49秒)

第4楽章

41:26 (0:00) 序奏部(4分12秒)
45:38 (4:12) 呈示部 第1主題(1分14秒)
46:52 (5:26) 呈示部 第2主題(38秒)
47:30 (6:04) 展開部(1分47秒)
49:17 (7:51) 展開部 第2楽章素材(37秒)
49:54 (8:28) 展開部 序奏(1分20秒)
51:14 (9:48) 再現部 第1主題(49秒)
52:03 (10:37) 再現部 第2主題(19秒)
52:22 (10:56) 終結部(1分3秒)
53:25 (11:59) 終了(11分59秒)

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 交響曲第10番 出演者リスト(弦楽器首席奏者と管楽器奏者等)

第1ヴァイオリン首席
樫本大進(日本)
第2ヴァイオリン首席
伊藤真麗音(日本)
ヴィオラ首席
アミハイ・グロス(イスラエル)
チェロ首席
ルートヴィヒ・クヴァント(ドイツ)
コントラバス首席
ヤンネ・サクサラ(フィンランド)
フルート
エマニュエル・パユ(フランス)
ミヒャエル・ハーゼル(ドイツ)
ピッコロ
エゴール・エゴルキン(ロシア)
オーボエ
アルブレヒト・マイヤー(ドイツ)
アンドレアス・ヴィットマン(ドイツ)
イングリッシュホルン
ドミニク・ヴォレンヴェーバー(ドイツ)
クラリネット
ヴェンツェル・フックス(オーストリア)
アレクサンダー・バーダー(ドイツ)
ヴァルター・ザイファート(ドイツ)
バス・クラリネット
マンフレート・プライス(ドイツ)
ファゴット
シュテファン・シュヴァイガート(ドイツ)
マルクス・ヴァイトマン(ドイツ)
コントラファゴット
ヴァーツラフ・ヴォナーシェク(チェコ)
ホルン
シュテファン・ドーア(ドイツ)
アンドレイ・ジュスト(スロヴェニア)
ヨハネス・ラモートケ(ドイツ)
ヘリー・ユー(韓国)
トランペット
ギヨーム・ジェール(アメリカ)
タマーシュ・ヴェレンツェイ(ハンガリー)
アンドレ・ショッホ(ドイツ)
マティアス・ザイツ(ドイツ)
トロンボーン
クリスタート・ゲスリング(ドイツ)
イェスパー・ブスク・セアンセン(デンマーク)
シュテファン・シュルツ(ドイツ)
チューバ
アレクサンダー・フォン・プットカマー(ドイツ)
ティンパニ
ヴィーラント・ヴェルツェル(ドイツ)
小太鼓等
ジーモン・レスラー(ドイツ)
タムタム等
フランツ・シンドルベック(ドイツ)

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 ベルリン・フィル / ショスタコーヴィチ 交響曲

交響曲第1番


◆ 1994 マリス・ヤンソンス EMI

◆ 2005 サイモン・ラトル EMI

◆ 2015 パーヴォ・ヤルヴィ DCH(外部サイト)

交響曲第4番


◆ 1997 ベルナルト・ハイティンク Video

◆ 2009 サイモン・ラトル DCH(外部サイト)

◆ 2015 サイモン・ラトル DCH(外部サイト)

交響曲第5番


◆ 1986 セミョン・ビシュコフ PHILIPS

◆ 1993 ゲオルク・ショルティ Video

◆ 2011 佐渡裕 DCH(外部サイト)avex

◆ 2014 トゥガン・ソヒエフ DCH(外部サイト)

◆ 2017 アンドレス・オロスコ=エストラーダ DCH(外部サイト)

◆ 2018 グスタヴォ・ドゥダメル DCH(外部サイト)

◆ 2021 ダニエーレ・ガッティ DCH(外部サイト)

交響曲第6番


◆ 2013 アンドリス・ネルソンス DCH(外部サイト)

◆ 2013 パーヴォ・ヤルヴィ DCH(外部サイト)

交響曲第7番


◆ 1946 セルジュ・チェリビダッケ URANIA

◆ 1992 マリス・ヤンソンス DCH(外部サイト)

◆ 2019 ミヒャエル・ザンデルリング DCH(外部サイト)

交響曲第8番


◆ 1990 セミョン・ビシュコフ PHILIPS

◆ 1997 クルト・ザンデルリング Video

◆ 2001 パーヴォ・ベルグルンド Testament

◆ 2010 アンドリス・ネルソンス DCH(外部サイト)

◆ 2020 キリル・ペトレンコ DCH(外部サイト)Berlin Phil Media

交響曲第9番


◆ 2020 キリル・ペトレンコ DCH(外部サイト)Berlin Phil Media

交響曲第10番


◆ 1966 ヘルベルト・フォン・カラヤン DG

◆ 1969 ヘルベルト・フォン・カラヤン Melodiya

◆ 1981 ヘルベルト・フォン・カラヤン DG

◆ 2008 サイモン・ラトル DCH(外部サイト)

◆ 2016 マリス・ヤンソンス DCH(外部サイト)

◆ 2021 キリル・ペトレンコ DCH(外部サイト)Berlin Phil Media

交響曲第11番


◆ 1987 セミョン・ビシュコフ PHILIPS

◆ 2014 セミョン・ビシュコフ DCH(外部サイト)

◆ 2019 アンドリス・ネルソンス DCH(外部サイト)

交響曲第12番


◆ 2009 グスタヴォ・ドゥダメル DCH(外部サイト)
交響曲第13番


◆ 2016 ヤニック・ネゼ=セガン DCH(外部サイト)
交響曲第14番


◆ 2005 サイモン・ラトル EMI

◆ 2010 ネーメ・ヤルヴィ DCH(外部サイト)
交響曲第15番


◆ 1999 クルト・ザンデルリング BPH

◆ 2015 ベルナルト・ハイティンク DCH(外部サイト)

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 キリル・ペトレンコ

オペラ指揮者
飛躍のきっかけはマイニンゲン時代の2001年、29歳で取り組んだ「ニーベルングの指環」の成功で、以後、各国に客演することとなり、ドイツのオペラ誌「Opernwelt」では、2007、2009、2014、2015、2020年に年間最優秀指揮者に選ばれてもいました。
  オペラの客演は、2000年のフィレンツェ5月音楽祭を皮切りに、ウィーン国立歌劇場、ザクセン州立歌劇場、リセウ大劇場、パリ・オペラ座、コヴェントガーデン王立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、フランクフルト歌劇場、リヨン国立歌劇場、バイロイト音楽祭と続いています。

コンサート指揮者
オーケストラ・コンサートへの客演も盛んで、シカゴ響、クリーヴランド管、ロサンジェルス・フィル、コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、シュターツカペレ・ドレスデン、ハンブルク・フィル、NDR響(ハンブルク)、WDR響(ケルン)、MDR響(ライプツィヒ)、デュースブルク・フィル、ケルン・フィル、ウィーン放送響、ウィーン響、オスロ・フィル、ローマ聖チェチーリア管、RAI国立響(トリノ)、ロンドン・フィル、イスラエル・フィルなどを指揮。ベルリン・フィルへの初登場は2006年2月。

楽譜の研究と自分の音
ペトレンコはどんな作品でも必ず、頭の中で「自分の音」を響かせるまで楽譜を繰り返し研究するそうです。そしてリハーサルではその「自分の音」の実現に向けて、自分の考えとそのための要求を楽員に伝え、目標実現に向けて共に努力するというのが基本スタイルになっているのだとか。そのため、楽員や歌手の能力や集中力が常に維持されるような友好的な雰囲気の中で仕事をするのがペトレンコ流儀で、それが作品情報の伝達力や演奏の完成度の高さの秘訣にもなっています。

切れ味抜群で高解像度なショスタコーヴィチ
数多くの共演を果たしてきたペトレンコとベルリン・フィルによるショスタコーヴィチ演奏は強烈です。
  現代最高のオーケストラによる全パートの名人芸が、切れの良いリズム、正確な音価とダイナミクスで生かされているため、全編に渡って見事な拍節感が生み出されています。
  結果としてどのフレーズも隅々まで整えられていることから、繊細な起伏や「間」の表現にも秀でており、たとえば通常、平板に流れがちな交響曲第8番第1楽章のアダージョ部分や、第4楽章パッサカリアでもきわめて精密な変化を聴かせてくれます。
  また、パート間のバランスも常に配慮が行き届いており、主旋律を強調し過ぎて重要な他声部が疎かになるなどといったことがまずないため、これまで体験できなかったようなテクスチャ―の面白さが随所で待ち受けています。
  ショスタコーヴィチは、家じゅうの時計を常に同期させたり、毎日同じ時刻に食堂に現れたりと、非常に時間にうるさい人物だったので、演奏に際しても時間の正確さは重要かもしれません。

ベルリン・フィルの能力を最大限引き出す卓越した指揮ぶり
こうした楽譜肉薄型の高解像度で精密な演奏が可能なのはベルリン・フィルの驚異的な腕前とパワーがあればこその話ですが、ベルリン・フィルでもここまでハイレベルなものはこれまで聴けなかったよう思います。たとえばデジタル・コンサート・ホールで2010年のネルソンス指揮による第8番の演奏も聴けますが、細部の綿密な仕上げではペトレンコの方が明らかに魅力的です。

レーニン家族法世代の超天才だったショスタコーヴィチ
ペトレンコ指揮ベルリン・フィルによるリズムや拍の克明な演奏で聴くと、ショスタコーヴィチがレーニンの家族法(1918年)のもたらした自由恋愛の世の中で青年時代を過ごし、頭脳も体もリズミカルにフル回転の活力旺盛な音楽家で、本人のピアノ演奏もそんな感じだったことに改めて思いが至ります。


1972


◆ 2月11日、ソ連、西シベリアの大都市オムスクに誕生。父のガリー・ペトレンコはソ連、西ウクライナのリヴォフの生まれで、ヴォルガ・ドイツ人らも多く移住していたオムスクに移り住んだユダヤ系のヴァイオリニスト。母は音楽学者

1983


◆ ピアニストとして地元オムスクの交響楽団と共演

1990


◆ ペトレンコ家はオーストリアのフォアアールベルク州に移住。父が同地の音楽学校で働くことになったため。父は教職だけでなく、友人とアルペジョーネ・ホーエネムス室内管弦楽団を結成して活動
◆ フォアアールベルク州のフェルトキルヒ国立音楽院でフェレンツ・ポーグナーにピアノを師事
◆ ウィーン音楽大学に入学し、ウロシュ・ラヨヴィチらに指揮を師事

1995


◆ フォアアールベルクで、ブリテン「オペラを作ろう」で指揮者デビュー

1997


◆ ウィーン音楽大学を卒業

◆ ウィーン・フォルクスオーパーのカペルマイスターに就任

1998


◆ ウィーン・フォルクスオーパーのカペルマイスター

1999


◆ ウィーン・フォルクスオーパーのカペルマイスターを退任
◆ マイニンゲン歌劇場の音楽総監督に就任

2000


◆ マイニンゲン歌劇場音楽総監督
◆ フィレンツェ5月音楽祭に出演

2001


◆ マイニンゲン歌劇場音楽総監督
◆ 同劇場の「ニーベルングの指環」で成功
◆ 12月、ウィーン国立歌劇場に「魔笛」でデビュー
◆ ドレスデン州立歌劇場デビュー

2002


◆ マイニンゲン歌劇場の音楽総監督を退任
◆ 8月、ザルツブルク音楽祭、モーツァルテウム管弦楽団、モーツァルト34番、アリアーガ:交響曲第ニ長調、他
◆ ベルリン・コーミシェオーパーの音楽総監督に就任

2003


◆ ベルリン・コーミシェオーパー音楽総監督
◆ リセウ大劇場デビュー
◆ パリ国立歌劇場デビュー
◆ コヴェントガーデン王立歌劇場デビュー

2004


◆ ベルリン・コーミシェオーパー音楽総監督
◆ 9月、ウィーン国立歌劇場「リゴレット」

2005


◆ ベルリン・コーミシェオーパー音楽総監督
◆ フランクフルト歌劇場デビュー

2006


◆ ベルリン・コーミシェオーパー音楽総監督
◆ 2月、ベルリン・フィルに初客演
◆ リヨン国立歌劇場デビュー

2007


◆ ベルリン・コーミシェオーパー音楽総監督を退任
◆ 7月、ウィーン響、ショスタコーヴィチ:交響曲第14番、ブリテン:シンプル・シンフォニー 
◆ リヨン国立歌劇場
◆ ドイツのオペラ誌「Opernwelt」で年間最優秀指揮者に選出

2008


◆ 9月、ウィーン国立歌劇場「ナクソス島のアリアドネ」
◆ リヨン国立歌劇場 

2009


◆ 8月、ウィーン響、シマノフスキ:交響曲第4番、スクリャービン「法悦の詩」、他
◆ バイエルン州立歌劇場「イェヌーファ」
◆ リヨン国立歌劇場
◆ フランクフルト歌劇場「パレストリーナ」
◆ ドイツのオペラ誌「Opernwelt」で年間最優秀指揮者に選出

2010


◆ 5〜6月、ウィーン国立歌劇場「エフゲニー・オネーギン」
◆ リヨン国立歌劇場 

2011


◆ 2月、ウィーン響、ツェムリンスキー:抒情交響曲、リャードフ:「魔法にかけられた湖」、スクリャービン:「法悦の詩」
◆ 8月、ウィーン響、シェーンベルク「ナポレオン・ボナパルトへの頌歌」、チャイコフスキー:マンフレッド交響曲、他
◆ フランクフルト歌劇場「トスカ」

2013


◆ 1月、コンセルトヘボウ管、R=コルサコフ:シェエラザード、他
◆ 3月、メトロポリタン歌劇場「ホヴァンシチナ」
◆ バイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」
◆ 9月、バイエルン州立歌劇場の音楽総監督に就任 

2014


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督
◆ バイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」
◆ 11月、ウィーン国立歌劇場「ばらの騎士」
◆ ドイツのオペラ誌「Opernwelt」で年間最優秀指揮者に選出

2015


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督
◆ バイロイト音楽祭「ニーベルングの指環」
◆ ドイツのオペラ誌「Opernwelt」で年間最優秀指揮者に選出

2016


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督
◆ 4月、ウィーン・フィル、メンデルスゾーン3番、マーラー:大地の歌

2017


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督

2018


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督
◆ 8月、ザルツブルク音楽祭、ベルリン・フィル、ドン・ファン、死と変容、ベートーヴェン7番、デュカス:ラ・ペリ、シュミット:交響曲第4番、他
◆ 12月、ウィーン・フィル、シュテファン:管弦楽の為の音楽、R.シュトラウス:メタモルフォーゼン、ブラームス4番

2019


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督
◆ ベルリン・フィルの音楽監督に就任

2020


◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督
◆ ベルリン・フィル音楽監督
◆ ドイツのオペラ誌「Opernwelt」で年間最優秀指揮者に選出

2021


◆ ベルリン・フィル音楽監督
◆ バイエルン州立歌劇場音楽総監督を退任
◆ 12月、ウィーン・フィル、シュニトケ:ヴィオラ協奏曲、スクリャービン:交響曲第3番「神聖な詩」

2022


◆ ベルリン・フィル音楽監督

2023


◆ ベルリン・フィル音楽監督

 ショスタコーヴィチ・ファミリー前史

曽祖父(父方)
ピョートル・ミハイロヴィチ・ショスタコーヴィチ
1808-1871

1808


◆ ロシア帝国、シェメトヴォ(現ベラルーシ)で誕生し、科目等履修生としてヴィルナ(現リトアニア、ヴィルニュス)の医科外科アカデミーを卒業

1830


◆ ポーランドの反乱勢力側に参加 

1831


◆ 11月蜂起に参加
◆ ロシア帝国軍に捕らえられ、妻のマリア・ヨセファ・ヤシンスカとともにウラルのペルミに追放。家ではポーランド語を喋り、外ではロシア語を使用 
1830年代


◆ ウラルのエカテリンブルクに転居

1845


◆ 長男ボレスラフ=アルトゥール・ペトロヴィチ・ショスタコーヴィチ誕生

1849


◆ 次男ヴィトルト・ペトロヴィチ・ショスタコーヴィチ誕生
1850年代
 

◆ ロシア市民階級第8等に昇進

1858


◆ カザンに転居
1860年代

◆ トムスクに転居

1871


◆ エカテリンブルクで死去



祖父(父方)
ボレスラフ=アルトゥール・ペトロヴィチ・ショスタコーヴィチ
1845-1919

1808


◆ ロシア帝国、シェメトヴォ(現ベラルーシ)で誕生し、科目等履修生としてヴィルナ(現リトアニア、ヴィルニュス)の医科外科アカデミーを卒業。

1845


◆ 2月8日(1月27日)、ロシア帝国、エカテリンブルクで誕生

1858


◆ カザンに転居。第1カザン・ギムナジウムに編入

1861


◆ 第1カザン・ギムナジウム在学中に革命結社「土地と自由」の幹部らと交流

1862


◆ モスクワに行き、ニジニ・ノヴゴロド鉄道の管理に従事

1863


◆ ポーランド蜂起に参加

1864


◆ ヴァルバラ・ガヴリロヴナ・シャポシニコワらと共に、のちにパリ・コミューンの英雄となる革命家ヤロスラフ・ドンブロフスキーの脱獄に関与

1865


◆ ヴァルバラと共にカザンに帰還

1866


◆ ロシア皇帝アレクサンドルU世暗殺未遂事件の共謀者ヤクブ・ポプワフスキーを匿った容疑でカザンで逮捕、モスクワに護送され、政治犯としてペトロパブロフスク要塞に収監(ポプワフスキーはポーランドのショスタコーヴィチ研究者クシシュトフ・メイエルの祖先)。取り調べの際に1863年の革命家ドンブロフスキー脱獄幇助事件に関わっていたことが発覚
◆ 9月24日、最高裁で強制労働の判決ののち、シベリア、ノヴォシビリスクの北東約320kmのところにあるマリインスクへの居住という強制措置に減刑
◆ マリインスク居住開始。しかし3か月後にポーランド人とロシア人により、蜂起を企てたことが発覚

1867


◆ 蜂起計画の容疑で裁判にかけられることになり、ノヴォシビリスクの西約600kmのオムスクに移送
◆ 指定居住地がマリインスクからトムスクに変更。トムスクはノヴォシビリスクの北東約210kmのところにある皇帝ボリス・ゴドゥノフの創った町
◆ 春、トムスク居住開始。ベレストフ将軍の推薦でトムスク州政府の事務職に採用

1869


◆ ヴァルヴァラ・ガヴリロヴナ・シャポシニコワと結婚。トムスクで2人の子供が誕生。

1872


◆ 国家犯罪人ピョートル・ウスペンスキーとの交流が発覚したため指定居住地が変更。トムスクの北西約340kmのナリムに居住開始。同地では5人の子供が誕生し計7人に。ボレスラフは狩猟や漁に従事し、ヴァルヴァラは菜園を営んだほか、蜂蜜や酒を作って売り、パンも焼いていました

1876


◆ ボレスラフは、政治経済、地理、植物学、会計学を勉強。石炭や金の鉱脈があるという情報を確かめるために、ヴァシュガン川とチズハプカ川を訪れて調査し、ナリュムスコエ地方に関する論文を執筆

1877


◆ 4月、トムスクに戻ることが許可
◆ ペトロフ・ミハイロフ商会で会計士として働き、同時にトムスク市議会の公選議員、町議会議員として地方行政に参画し活動 

1887


◆ イルクーツクのシベリア貿易銀行の地方支店のマネージャーに就任

1892


◆ 世襲名誉市民となり居住の自由を与えられますが、シベリアにとどまります。

1902


◆ イルクーツク市長に選出(1903年まで)。

1919


◆ イルクーツクで死去。



祖父(母方)
ヴァシリー・ヤコヴレヴィチ・コクーリン
1850-1911

1850


◆ 東シベリア、キレンスクで誕生

1860年代前半


◆ 東シベリア、キレンスクの市立学校を卒業

1860年代後半


◆ 、キレンスクの約400キロ東のボダイボに転居。当時「ゴールドラッシュ」に沸いていた地
◆ ボダイボ、レナ川の金採掘場の管理事務所に事務員として就職

1872


◆ ヤーコフ誕生

1878


◆ ソフィア誕生

1889


◆ ボダイボ、レナ川の金採掘場の管理事務所の所長に昇格

1890年代


◆ 労働者のために保険や医療を導入し、暖かいバラックを建設
◆ 妻のアレクサンドラ・ペトロブナ・コクリナが労働者の子供たちのための学校を開設
◆ 妻のアレクサンドラが、ボダイボでアマチュア・オーケストラを組織

1898


◆ 管理事務所の所長を辞任し、クリミアに転居

1905


◆ 妻アレクサンドラが亡くなったため、ボダイボに帰還

1907

● ロシア帝国とイギリスの間で英露協商が締結

1910


◆ サンクトペテルブルクの実業家や貴族が所有するレナ金鉱組合が一帯の鉱山を買収し、ロンドン、パリ、サンクトペテルブルクでも株式の取引が開始

1911


◆ 死去

1912


◆ レナ川虐殺事件発生




ドミトリー・ボレスラヴォヴィチ・ショスタコーヴィチ
1875-1922

1875


◆ 10月11日、ロシア帝国、シベリア、トムスクのナリムで誕生。両親の強制移住先でした

1880年代


◆ トムスクに転居
◆ イルクーツクに転居

1890年代半ば


◆ イルクーツクの実家を出てサンクトペテルブルクに転居

1897


◆ サンクトペテルブルク大学に入学(物理数学部自然学科)

1900


◆ 同大学卒業
◆ 化学者ドミトリー・メンデレーエフ[1834-1907]が創設して間もない度量衡局に採用

1902


◆ 度量衡局の検証主任

1903


◆ 2月、同級生の妹で音楽家のソフィア・ヴァシリエヴナ・コクーリナと結婚

1905


◆ 1月22日、「血の日曜日事件」のデモ隊に参加

1906


◆ 検証室長に就任

1907


◆ 2月、メンデレーエフ局長が死去
◆ 度量衡局を退職し、レンネンカンプ地所の泥炭採取業を監督する総支配人に就任。高給だったため、ショスタコーヴィチ家は、夏の休暇では郊外のラドガ湖畔のイリノフカに滞在

1914


◆ 軍需産業に投資する会社に管理職として転職

1917


◆ 10月革命後の産業国有化に際し、国営企業に就職。ほどなく度量衡局に戻り、副局長に就任

1922


◆ 47歳で死去




ソフィア・ヴァシリエヴナ・コクーリナ
1878-1955

1878


◆ 3月10日、シベリアのボダイボで誕生。6人兄弟の3番目

1880年代


◆ 母親のアレクサンドラ・ペトロヴナ・コクーリナからピアノのレッスン

1890


◆ イルクーツク高等女学校に入学

1896


◆ イルクーツク高等女学校を卒業
◆ イルクーツクでピアニスト、合唱指揮者として活動

1898


◆ 一家のクリミアへの転居を機に、兄の住んでいたサンクトペテルブルクに妹と共に転居
◆ サンクトペテルブルク音楽院に入学、S.A.マロゼモワ、A.A.ロザノワに師事
◆ シベリア生まれで音楽愛好家のドミトリー・ボレスラヴォヴィチ・ショスタコーヴィチと知り合い交際

1903


◆ 2月、ドミトリー・ボレスラヴォヴィチ・ショスタコーヴィチと結婚
◆ 10月、長女マリア・ドミトリエヴナ(フレデリクス)[1903-1973 ピアニスト]、誕生

1906


◆ 9月、長男ドミトリー・ドミトリエヴィチ、誕生

1909


◆ 次女ゾーヤ・ドミトリエヴナ(フルシチョワ)[1908.08.21-1990.11.16 科学者]、誕生

1955


◆ 死去

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フィーチャー商品

交響曲第8番、第9番、第10番 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル(2CD+BD)

CD

交響曲第8番、第9番、第10番 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル(2CD+BD)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

ユーザー評価 : 4.5点 (4件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥11,000
会員価格(税込) : ¥10,120

発売日:2023年02月03日
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ベートーヴェン:交響曲第9番『合唱』、第7番、チャイコフスキー:交響曲第5番、第6番『悲愴』、他 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル(5CD+2BD)

CD

ベートーヴェン:交響曲第9番『合唱』、第7番、チャイコフスキー:交響曲第5番、第6番『悲愴』、他 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル(5CD+2BD)

ユーザー評価 : 4.5点 (5件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥14,300
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発売日:2020年10月20日
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交響曲全集 第1〜10番アダージョ ベルリン・フィル、K.ペトレンコ、ラトル、アバド、ドゥダメル、ネルソンス、ネゼ=セガン、ハーディング、ハイティンク(10CD+4BD)

CD

交響曲全集 第1〜10番アダージョ ベルリン・フィル、K.ペトレンコ、ラトル、アバド、ドゥダメル、ネルソンス、ネゼ=セガン、ハーディング、ハイティンク(10CD+4BD)

マーラー(1860-1911)

ユーザー評価 : 4.5点 (11件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥21,780
会員価格(税込) : ¥20,038
まとめ買い価格(税込) : ¥18,513

発売日:2020年12月25日
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交響曲第6番『悲愴』 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル

SACD

交響曲第6番『悲愴』 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル

チャイコフスキー(1840-1893)

ユーザー評価 : 4.5点 (7件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥3,565
会員価格(税込) : ¥3,280
まとめ買い価格(税込) : ¥3,030

発売日:2019年05月11日

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『ヴァイオリン協奏曲集〜ベートーヴェン、ベルク、バルトーク』 フランク・ペーター・ツィンマーマン、ベルリン・フィル、ハーディング、K.ペトレンコ、他(2CD+BD)

CD

『ヴァイオリン協奏曲集〜ベートーヴェン、ベルク、バルトーク』 フランク・ペーター・ツィンマーマン、ベルリン・フィル、ハーディング、K.ペトレンコ、他(2CD+BD)

価格(税込) : ¥9,000
会員価格(税込) : ¥8,281
まとめ買い価格(税込) : ¥7,650

発売日:2021年10月07日
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フィーチャー商品

ジョン・アダムズ・エディション ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、サイモン・ラトル、キリル・ペトレンコ、グスターヴォ・ドゥダメル、他(4CD+2BD)

CD

ジョン・アダムズ・エディション ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、サイモン・ラトル、キリル・ペトレンコ、グスターヴォ・ドゥダメル、他(4CD+2BD)

アダムズ、ジョン(1947-)

価格(税込) : ¥14,300
会員価格(税込) : ¥13,156
まとめ買い価格(税込) : ¥12,155

発売日:2017年11月21日
在庫あり

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フィーチャー商品

交響曲第6番『悲愴』 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル (180グラム重量盤レコード/Berliner Philharmoniker Recordings)

LPレコード

交響曲第6番『悲愴』 キリル・ペトレンコ&ベルリン・フィル (180グラム重量盤レコード/Berliner Philharmoniker Recordings)

チャイコフスキー(1840-1893)

ユーザー評価 : 4.5点 (7件のレビュー) ★★★★★

価格(税込) : ¥7,981

発売日:2019年09月21日
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