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【インタビュー】 DCPRG 菊地成孔 〈2〉

2011年10月11日 (火)

interview
DCPRG 菊地成孔 インタビュー


--- 『Alter War In Tokyo』は、曲順が実際のライブとは異なっているのですが、これには何か意図したものがあったのですか?

 いや、特に意味はないです。今までは大体実際のライブの曲順で聴けたけど、今回はちょっとシャッフルしたってだけですね。まぁ1枚目の方がキツくて、2枚目の方が踊りやすいダンス対応になってますけど。エレクトリック・マイルスもデートコースもそうですけど、「踊りはいいからそれよりもすごいインプロとソロを聴かせてよ」っていう耳と「単純にノリたい」っていう耳とがあるじゃないですか。そういう意味では二つに分かれていて、ディスク1が “踊れないサイド” で、ディスク2が “踊れるサイド“ なんだと。とは言え、ディスク1で踊る人だっていますし、ディスク2にもインプロは入ってますから。

 でも大した意味はなくて。高見くんと二人で話し合って、今回はライブの曲順のままいくのはやめようって、何となくですけど決めたんですよ。今までそのままの曲順になってる音源は配信で皆死ぬほど聴いてるから(笑)。 

--- そしてこのタイトル、「Alter War」ということなんですが。「別化された戦争」と。

 この日のライブのタイトルが「Alter War & Polyphonic Peace」だったんですよね。僕はあまりその・・・何て言うか、今年の「3.11」以降の状況への対応、それは善意的な対応ですが、例えば応援歌を作るだとかね、そういうのはあまりしたくはないんだけど・・・元々デートコースっていうのは、非常に平和だった時期の99年に立ち上がって、そのときに「戦争、戦争」って言ってたわけ。

 で、今年はイラク空爆から10年、「9.11」から10年でもあり、日本では「3.11」が起こってしまったと。どうしても連想されてしまうわけですよね、「Alter War In Tokyo」というのは。第二次大戦以降、日本は実際の戦争も侵略もやってこなかったけど、「別化された戦争」というのが此処所処で起こっていると。その中で今回被災と放射能っていうのは、ある種の「別化された戦争」と言うに吝かでない現象ですよね。それに対して「Polyphonic Peace」っていう、要するに平和っていうのは多義的なんだっていうね。多層的っていうか。中心に平和っていう定義があって、そこに集まってくるっていうんじゃなくて、もっと多義的なものなんだっていう。「戦前・戦中・戦後」みたいなモノフォニックな戦争とモノフォニックな平和ではなくて、別化された、オルタネイトな戦争に対してオルタネイトな平和が来るっていう意味合いがライブ自体にはあったんですけど、ただ盤になる上でこの「Alter War & Polyphonic Peace」っていうのは退けられて、「Alter War In Tokyo」になったっていう。

 「イン・トーキョー」っていうのは、マイルスだけの引用ではないにしろ、入れたいところではあって。結果もっとキツいアタリになったんですよね。さらに名前に「ペンタゴン」も入ってるし、初めて聴く人はすごくタイムリーにやってるんだなって思うかもしれないんですけど、99年からずっとこの名前をもって「戦争が起こり得る」と。『アイアンマウンテン報告』って言ってたぐらいなんで、ある種の予兆的な形で出てしまったっていう、まぁ流れですよね。  

--- そうした菊地さんのコンセプトというのは、演奏とは別にメンバー各自に伝えられたりもするんですか?

 いや、一切伝えてないですね。

--- ブログを読まれたり、人づてに聞き伝えられたりして、初めてそうしたバンマスの意図を知るとか・・・

 そんなこともしないと思いますけどね(笑)。「戦争」に限らず、何かバンドにコンセプトがあるとするじゃない。で、それが行き渡ってるバンドがあるとしますよね。例えば、女王蜂とか面影ラッキーホールとかさ。僕はそれはコンセプトじゃなくて、コスチュームだと思うんですよね。コンセプトは含んでますけど。コンセプトっていうのは、極論すれば音楽と関係ないっていうか。まぁ多少関係はあるんだけど、ウチらみたいにメンバーは別に預かり知らないっていう。メンバーはただ楽曲をやってるだけだで十分じゃないかなって思ってて、そういうバンドって少ないですよね。なので、僕が極めて変わったことをしているように見えやすいんだけど。コンセプト・ワードを書くときもすごく分厚く書くし、そっちでヤラれちゃって音なんか聴いてなくて、もう興奮してそれだけで踊ってる人を生みやすいよね。でも、そんなこと全然気にしないで、ただ音だけ聴いてる人もいるわけで、それでいいと思ってますけどね。「アイツだってそうじゃん」っていうような類例があまりないんで。

 ただ、「もうデートコースはしばらくいいよ」って言ってたんですけど、去年復活したじゃないですか。やり始めたきっかけも、マイケル・ヘンダーソンのエレクトリック・マイルス・リユニオン・バンドが来日する予定があって、「是非前座でデートコースやりましょうよ」って言うから、「じゃあ一日だけやるか」っていう感じだったんですけど、マイケル・ヘンダーソン・バンドの話しが頓挫したんで、ウチらだけ復活するような状況に無理矢理なっちゃったんですよね(笑)。


マイケル・ヘンダーソン   (註)マイケル・ヘンダーソン・・・スティーヴィー・ワンダーのツアー・サポートに参加していた際にマイルス・デイヴィスにスカウトされ、70年初頭からエレクトリック・マイルス・グループへのセッションに加わったベーシスト。同グループの歴代ベーシスト、ロン・カーター、ハーヴィ・ブルックス、デイヴ・ホランドらが奏でてきたボトムを、さらに太く強い電化されたものへと発展させた。『Tribute To Jack Johnson』の一部セッション、『Live Evil』におけるセラー・ドア・サイドの4曲、『On The Corner』を皮切りに、以降『Pangaea』までに聴くことができるその強烈なファンク・ベースは、妖気たっぷりの電化マイルス・サウンドを雄弁に語る決定的な核となっている。グループ離脱後、ブラコン期から近年に至るまでシンガーとしての活動を主に行なっていたが、2008年程に『On The Corner』期のエレクトリック・マイルス・リユニオン・バンド結成を企て、来日興行までするという情報が飛び交い、これが所謂 ”デートコース活動再開” の最たるトリガーとなったわけだが・・・


 10年前は「9.11」とぶつかっちゃったわけだけど、もうそんなこともないだろうと。戦争っていう状態が人類にとって必要かどうかがデートコースの最初のエゲツないコンセプト・ワークで、それが「9.11」以降の世界に何らかの形で予兆的に響いてしまった感じもあったんですけど、さすがにそういうのはもういいよっていうね。ただ音楽を純化させて深化させていこうと思って始めたら、翌年の「3.11」ですから。このバンドは立ち上がるべきじゃないんじゃないかなって。再立ち上げをすると巨大な規模の悲劇的なことが起こるんで、イヤだなと。勿論自分たちが起こしたとは言わないですけど・・・偶然とは言え、また起こったかっていう。



DCPRG @日比谷野外音楽堂 2010.10.9
Photo by Shiro Miyake



--- 先だっての9月30日には、デートコースのライブ・フィルムの劇場上映が行なわれたそうですね。これは去年の野音の映像が中心になったものなのですか?

 去年の野音から、今年2月の新宿文化センター、それからこの恵比寿LIQUIDROOMまでのライブとドキュメンタリーで、1日だけ豊洲(ユナイテッド・シネマ)で上映されたんですよ。

--- ソフト化される予定などあるんですか?

 しないんじゃないかな? ・・・これは書いてもらってまったく問題ないことなんだけど(笑)、少なくとも第二期デートコースの活動を仕切っているのって、僕じゃなくて高見くんなんですよ。それはテオとマイルスの関係と同じで。例えばテオが「リンカーン・センターでやれ」って言ったら、マイルスが「あんなところでやってられるか」とか言いながら結局やっちゃったとかさ(笑)。ああいう感じの、要するに二人三脚ですよね。

 第一期は僕が全部やってました。どこでライブを打つかってことから、それこそTシャツのデザインなんかまで全部。そこには元P-Vineの又場(聡)くんっていう天才プロデューサーの存在もあったんだけど、そのときはどちらかというと僕がリードして又場くんがそれに応えてくれるって感じで進んでいたんだけど、今はそもそも「活動再開しましょうよ」って言ったのが高見くんだったわけで。それを恒常的な再結成に持って行っちゃったのも高見くん(笑)。僕は、イヤイヤとまでは言わないですけど、彼に引っ張られる形でやってるのね。その映画に関しても、僕は抜き打ちに近い感じで聞かされましたし(笑)。「豊洲の映画館で1日限定で公開するんだ」って監督(冨永昌敬)を引き連れて行動してるのも彼だから、僕はちょっと大袈裟に言っちゃえば、大体のことを預かり知らないっていうか(笑)。

---  (笑)そうだったんですね。すると、水面下で動いていたImpulse! との契約も、アート・リンゼイの突然のゲスト参加も、すべて高見さんが中心になって動いてコントロールしていたということなんですね。

 うん、全部高見くん。12月にブルーノートでやることになってて、皆「えーっ!」ってなってるんだけど、それも高見くん(笑)。ただ、ある意味彼はちゃんと責任を取っているっていうか、「失敗しても成功しても高見くん」ってなるわけだから。Impulse!で成功してバンザイってなったら、それは彼のおかげだからね。僕が狙って頑張ったわけじゃないから。なので、活動の進路に関しては、彼が名実共にプロデューサーとして奔走してるっていう感じですよね。僕がやってるのは音楽だけですよ。メンバーの選択もほとんどやってるし。大村くんは僕が探したけど、丈青は高見くんが連れて来たの。千住くんもそう。組織作りから絡んでるんですよ。彼が提案してきたもので今のところ「いや、それはできないよ」って退けたものはないから。全部請け負ってます。

--- 12月6日にブルーノート公演を行なうということですが、それに先がけて10月9日に恵比寿LIQUIDROOMでオールナイト・イベントというのが控えていますよね。

※ このインタビューは10月5日に行なわれたものです。

 そのオールナイト企画も高見くん(笑)。僕が自分でライブ切るんだったら、客にあんなキツい見せ方はしないですよね、夜中の2時半スタートとか(笑)。僕的には問題ないんだけど、普通お客さんは「19〜22時ぐらいでいいんじゃないの?」って思いますよね。終わった後飲みにも行きたいだろうし。

--- 菊地さん発信での、 “あえて” のオールナイトかと思っていたんですが。

 僕主観で言えば、全然 “あえて” ではないですよね。ただ、 “チーム高見” の若手の中には、クラブに異様に憧憬がある人がいて。「オールでのクラブ・イベントを死んでもやるんだ」っていう(笑)、そういう連中が高見くんと共に動かしてるんですよ。

 僕は別にクラブ・イベントは嫌いじゃないけど、ちょっと古いと思う。夜通し、DJがいて、バンドが出てきて、フロアがグダグダになっていく様がヤバいとか言って、別にひとつもヤバかないっていう(笑)。そんなのもう終わったよって(笑)。いいじゃん、普通に19時ぐらいでさっていう感じではいますね。

 ただ、一時期そういうことがヤバかったのは確かで、デートコースが夜通しクラブでやることのヤバさに参入して支持を受けたことも事実だけど、もう終わったことであって、今はちょっと古いっていう。フロアを2つ使って、こっちではチル、こっちのメインでは有名DJが出たりバンドが出たりで「ウォーッ!」みたいな感じで、終わったら「朝だぜ」って(笑)。もはやノスタルジックな光景でもありますよね。

--- 一方で、ブルーノート公演の企画も高見さんになるわけですよね?

 うん。これはギリギリまで抵抗したんだけど、「絶対やめた方がいい」って。僕がやりたいやりたくない以前に、第一に店が危険っていうか。音量的にもそうだし、我慢できずに踊り出した人が隣のテーブルのワインをひっくり返しちゃったりしたら危ないじゃない(笑)。最初は、椅子を撤去してダンス・フロアを作るようなことを言ってて。さらに、「ほらごらんなさい、シックのライブのときにはこんなに人が踊るんですよ」って言われて、観に行かされたりもしたんだけど(笑)。シックとデートコースじゃ音量があまりにも違いすぎるし、踊るっていってもむこうはディスコっぽいステップだろって(笑)。あそこにウチらのクラウド入れたら、店のテーブルとか壊れるから(笑)、「弁償しなきゃいけなくなったらイヤだから、絶対ダメだよ」って抵抗してたんだけど。さらに普通の営業でやるって言われてさ。客が全員、席に着いて料理食って酒飲んでるっていう状況ですよ。

--- 本来であれば、ペペあたりの出演が妥当かなと。

 当たり前ですよね(笑)。誰がどう考えたってそうなるっていう。で、これもハッキリ書いてもらっていいんだけど、高見くんは、聴衆に何かしらの “怨み” があるんだよ(笑)。

--- 笑。

 やっつけたいって気持ちがあって(笑)、ラブがないの、全然。やっつけたいっていう情熱ってたしかにありますけど。聴衆を痛めつけてやるっていう攻撃性。高見くんは元々の出自が現代音楽なんですよ。現代音楽って、現代音楽家が少ない聴衆を痛めつける感じなわけじゃないですか(笑)。僕はディスコあがりだから、ラブ・ラブ・ラブ、なんですよね。僕がやることを放っておいたら、皆ひとつになって感動するようなタイプのものになっちゃうと思うんですよ。だから、彼のあの毒々しい攻撃的なところっていうのは、僕にはないものってことが言えるんですよね。そういう意味で、一義的に非常に困ってイヤなことではないです。自分にないことをやってくれるから。デートコースがブルーノートでやるだなんて、一部のマゾヒスティックな好事家が悦ぶだけで、大抵の人には「何てことするんだ・・・」ってことになりかねないんだけど(笑)、まぁ実際、半ば嫌がらせですよね(笑)。

 ビッグバジェットのアイドルだとか、例えば前田の敦子ちゃんがAKB48の音楽を作ってるなんて誰も思ってないわけじゃないですか。秋元康さんがやってるわけですよね。ああいうプロデューサー・システムっていうのは、日本で言えばつんく以降、皆に教育が行き届いたから理解はできているんだけど、ウチらみたいな音楽は、なにせアーティストが「菊地」であるわけだから、どんなことをしても僕の考えや判断ひとつでやってるに違いないと思われがちなんですよ。だけど実は違うんだっていう(笑)。それを言いたいですよね。こういう音楽だけど、実は二人三脚で、キワキワなところでやっているんだって(笑)。

 でもまぁ、そこはほら、マイルスとテオの関係でもあるから。多くの日本人がテオの存在に気付いたのは90年代以降ですよね。それまではマイルスが全部ひとりでやってるって皆信じてたから。それはゴダールなんかにも同じことが言えて、今やゴダールはひとりで映画を作っているわけではないですからね。チーム・ゴダールに囲まれながらゴダール風の作品がファクトリー制作されているわけであって。だけど、日本人ってやっぱり「芸術家は天才で孤高で」って、イメージ的には19世紀の詩人とか画家とかさ(笑)、ああいうところにすぐ直結させちゃうから、ひとりの人間の内世界が出ているって思いがちなんですよね。 

--- そこは、矢面に立つ作り手の宿命みたいなところも。

 「アーティスト」って言葉を使うこと自体がそういうことなわけで。本当は、「ミュージシャン」とか「プレイヤー」とか「アレンジャー」って言うべきなんだよね。僕なんかも「アーティスト」って言われるんだけど、全然そうじゃないよって。僕は、「アレンジャー」で「バンドマスター」で「コンポーザー」なんだっていう。プロデューサーと組んでやってるわけだし。だから、活動の在り方っていうのはプロデューサーの判断に委ねることがほとんどですよね。

 高見くんにしても、せっかくあんないい映画作ったのに豊洲で1回、しかも平日の集客が難しそうな時間帯に上映するって、客をやっつけてるとしか言いようがないですからね(笑)。内容はすごい良いんですよ。でも、「DVDにしたら売れるんじゃない?」って言っても、「売らない」の一点張りで(笑)。そこは、一夜しかやらないところに意味があるって感じてるんですよね。

 まぁだから、アメリカのヒップホップ並みにタレントとアーティストは別なんだっていうことが、最近のデートコースの現場でもあるんだと。それが、活動再開後のデートコースの最初のリテラシーですよね(笑)。

--- では最後に、次のスタジオ録音のアルバムについて少し伺ってもよろしいでしょうか? 情報によると、菊地雅章さんの「サークル/ライン」を再録されるそうですね。

 今のメンバーでもう1回徹底的にやってみようということですね。その「サークル/ライン」と、マイルスのカヴァーを1曲やるっていうのが、次のアルバムでのImpulse!側からの条件なんですよ。それ以外は本当に何も決まってないんで、アナウンスできることがないんですが(笑)。


菊地雅章 「ススト」   (註)菊地雅章 『ススト』・・・自らの愛称「プーさん」を表題に冠した1970年のアルバム『Poo-Sun』で、マイルスよろしくの電化ジャズ手法を日本でイチ早く体現したピアニスト/キーボーディスト。本作では、スティーヴ・グロスマン(ss)、デイヴ・リーブマン(ss)、アイアート・モレイラ(per)、バリー・フィナティ(g)、ビリー ”スペースマン” パターソン(g)といったマイルス劇場の千両役者たちに、日野皓正(tp)らを迎え、『On The Corner』をご本尊とする70年代マイルスの混沌に、80年代において(1980年11月N.Y.録音) 最(再)接近。デートコースは、収録曲「サークル/ライン」の完全採譜〜完全再現を自らの第一コンセプトに掲げ、99年に活動を開始している。


 ただリリース自体は来年になると思います。大体5、6曲収録ってところじゃないですかね。あと、これはちょっと計画倒れで終わる可能性も高いですけど、せっかくユニバーサル/Impulse! でやってるんだから、外国人ゲスト、しかもラッパーを入れたいなって話をしているんですよ。

--- Def Jam ラッパーあたりが参加したらまた盛り上がりそうですね。

 フリースタイルもらって、こっちの演奏に乗せるっていうトラックがあったらおもしろいだろうなっていうところを話していて。ジャズ系のミュージシャンなんかよりラッパーの方がよっぽど今のMP3、インターネット時代に対応しているわけだから、「日本でこういうバンドがオマエのフリースタイルを欲しがってるよ」ってなったら、そんなに難しい話でもないんじゃないかなって。必ず収録されるとは言いませんが、あたってみようかとは思ってます。なので、来年アルバムが出てそういう曲が入ってなかったら、ダメだったんだなって思ってもらって結構です(笑)。




【取材協力:イーストワークスエンターテインメント/ユニバーサル インターナショナル】





Alter War In Tokyo / DCPRG
2011年6月6日、恵比寿リキッドルームにおける菊地成孔DCPRG+アート・リンゼイのライヴを収録した2枚組。ライヴでは聴き取ることのできなかった全く別次元のグルーブが聴こえてくる! バンドの結成12年目にして初のメジャー・リリースとなる作品は、2011年6月6日に恵比寿リキッドルームで行われた最新ライヴを収録した2枚組。鬼才ギタリスト、アート・リンゼイがゲスト参加した熱狂のライヴで、オーディエンスからは公演直後から作品化のリクエストが多数寄せられるなど、早くも伝説化していた。初期からおなじみのレパートリーが新生DCPRGにより鮮やかに甦る。また、マイルス・デイヴィス『オン・ザ・コーナー』収録の「ニューヨーク・ガール」のカヴァーは今回がCD初収録となる。




菊地成孔 ライブ・スケジュール


ローソンジャズウィーク2011

公演日:2011年10月24日(月)
会場:大阪・森ノ宮ピロティホール
開場:17:30
開演:18:30
料金:5,500円 (全席指定・税込)
お問い合わせ:キョードーインフォメーション 06-7732-8888 (10:00AM - 19:00)



菊地成孔 南博「花と水」

公演日:2011年11月3日(木・祝)
会場:ラフォーレミュージアム原宿
開場:15:30
開演:16:00
料金:前売り5,500円 (税込)/当日6,000円 (税込) *入場整理番号付き、全席自由席
お問い合わせ:ラフォーレ原宿 03-3475-0411



菊地成孔クインテット・ライブ・ダブ
YO NAKAGAWA PRESENTS NIGHT OF JAZZ & ECHO
〜 ジャーナリスツ・チョイス vol.7 中川ヨウ 〜


公演日:2011年11月15日(火)
会場:JZ Brat Sound of Tokyo
開場:17:30
開演:19:00
料金(税込):前売5,500円 (税込) /当日6,000円 (税込)
お問い合わせ:JZ Brat Sound of Tokyo 03-3475-0411



菊地成孔ダブセクステット ”2012 SS / Brand New Collection”

公演日:2011年11月21日(月)
会場:ブルーノート東京
開場:17:30
開演:19:00
料金:席種により異なります。お店のHPにてご確認ください。
お問い合わせ:ブルーノート東京 03-5485-0088



DCPRG ”SYNDICATE NKKH -DCPRG & AMERIAN CLAVE -”

公演日:2011年12月6日(火) 1st
会場:ブルーノート東京
開場:17:30
開演:19:00
料金:席種により異なります。お店のHPにてご確認ください。
お問い合わせ:ブルーノート東京 03-5485-0088

公演日:2011年12月6日(火) 2nd
会場:ブルーノート東京
開場:20:45
開演:21:30
料金:席種により異なります。お店のHPにてご確認ください。
お問い合わせ:ブルーノート東京 03-5485-0088






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profile

菊地成孔(きくち・なるよし)

 音楽家/文筆家/音楽講師、1963年千葉県銚子市生まれ。25歳で音楽家デビュー。山下洋輔グループ、ティポグラフィカ(今堀恒夫主宰)、グランドゼロ(大友良英主宰)を経て、「デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」、「スパンクハッピー」といったプロジェクトを立ち上げるも、2004年ジャズ回帰宣言をし、ソロ・アルバム『デギュスタシオン・ア・ジャズ』、『南米のエリザベス・テイラー』を発表。現在ジャズ・サキソフォニストとして演奏するほか、作詞、作曲、編曲、プロデュース等の音楽活動を展開。主宰ユニットに「ペペ・トルメント・アスカラール」、「ダブ・セクステット」をもち、そして2007年に解散した「デ−トコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」を2010年に活動再開させ、今年Impulse!より『Alter War In Tokyo』をリリース。音楽、音楽講師、また執筆(音楽にとどまらずその対象は映画、料理、服飾、格闘技と幅広い)をよくし、「時代をリードする鬼才」、「現代のカリスマ」、「疾走する天才」などとも呼ばれている。






DCPRG 2011 その他のメンバー


坪口昌恭 坪口昌恭
(つぼぐち まさやす)


いまやDCPRGの副司令官とも言える結成当初からのメンバーのひとり、坪口昌恭。菊地氏とはDCPRGとほぼ時を同じくして、自動変奏シーケンスソフトがリズムを刻む、多重力的エレクトロ・ジャズ・ユニット、東京ザヴィヌルバッハを立ち上げているのは広く知られているところ。ラップトップ・テクノの鬼才numbとのコラボ活動や、自身のソロ作品におけるエフェクティブ手法やポリ・スイングの実践などを行なう一方で、ソロ・ピアノやトリオ〜小編成コンボではアコースティック・ジャズ・ピアニストそのものの魅力をアピールするなど、菊地氏に負けず劣らぬ「アンビバレンツ(両面性)」を兼ね備えている。


丈青 丈青
(じょうせい)


DCPRG 第三シーズンの中核を担うであろう、ドスの利いた「爆音ジャズ」「デスジャズ」でシーンに風穴を開けまくるSOIL&PIMP SESSIONS (別働トリオ・プロジェクトに J.A.M.)のピアニスト/キーボーディスト、丈青。2003年に音源も出さないままフジロックに出演するというSOILの快挙は、2000〜01年上半期までにスプリット・シングル『全米ビフテキ芸術連盟』 1枚こっきりの作品目録でライブハウスを夜毎熱狂させたDCPRGの徹底的な現場主義と共通している。


大村孝佳 大村孝佳
(おおむら たかよし)


坩堝感がさらに極まった新生DCPRGの中でも一際異彩を放つのが、今年2月20日の「巨星ジークフェルド」がお披露目公演となった新加入ギタリスト、大村孝佳の存在。様式美ヘヴィメタル/メロディック・ヘヴィメタル・ギタリストの「最速王」というのがそのスジでのふれこみ。従って「ザッパ・バンドのヴァイみたいに弾いてくれ!」(©菊地氏)という明瞭なパラブルと明確な着地場所がきちんとあってこそのヘッドハンティング、ということになる。しかもこのメタリックなギタリズムが、化学反応という意味合いも含めて、とてつもなくDCPRGにフィットしている。そして巧い。スピードを競うソロよりは、堅実な刻みや音の出し入れみたいなものがハンパなく手練れている。東京JAZZでのステージはしばし釘付けになった。


千住宗臣 千住宗臣
(せんじゅ むねおみ)


PARACOMBOPIANOウリチパン群など幅広い活動で爽やかに暗躍するドラマー、千住宗臣。メタルやハードコアから、ファンク/グルーヴ・ミュージックへと向かい、さらにNO WAVEとテクノを通過しながら、民族音楽と現代音楽を同時に貪る。「聴き手の意識を変容させていくようなビートの創出」を無機質的に表出することで、その独特とも言える空間芸術が生まれている。数々のレコーディング/ツアー・サポートに引っ張りだこなのも納得だが、この若さにして菊地氏や大友良英はおろか、ビル・ラズウェルアート・リンゼイ高橋幸宏細野晴臣ダモ鈴木(!)といった一筋縄ではいかない巨匠ドコロと共演歴がある。


大儀見元 大儀見元
(おぎみ げん)


背中一面にバカでかい「雷神」を刻んだ、泣く子も黙るパーカッション・リズムマスター、大儀見元は、菊地氏と同級生の初期メンバー。オルケスタ・デ・ラ・ルスの初代リーダーとしても知られ、脱退後の1991年にN.Y.へ移住し、サルサ界の大御所シンガー、ティト・ニエベスのバンドでコンガを叩くようになる。帰国後の97年、総勢11名からなるリーダー・コンボ、サルサ・スインゴサを立ち上げ、07年にはフジロックにサルサ・バンドとしては初めての出演を果たしている。ラテンのみならず世界各地のリズムを吸収した幅広いプレイスタイルと抜けがよく迫力のあるサウンドは、エムトゥーメのそれにも全く引けをとっていない。


津上研太 津上研太
(つがみ けんた)


2000年加入のアルト/ソプラノサックス、フルート奏者の津上研太。同じく初期メンである大友良英ONJQ/ONJOにも2007年まで参加し、ゼロ年代東京の緊迫した裸のジャズの在り方をケイオスに吐き出した。2000年に南博(p)、水谷浩章(b)、外山明(ds)と旗揚げしたリーダー・バンド「BOZO」ほか、村田陽一オーケストラ、渋谷毅との活動などでもその骨太でエレガントなブロウを聴くことができる。


類家心平 類家心平
(るいけ しんぺい)


DCPRGの「トランペットの王子様」「傷ついた美男子」(©菊地氏) 類家心平。海上自衛隊大湊音楽隊に在籍していたという驚くべき経歴を持ち、退隊後の2003年に6人組のジャム系ジャズ・コンボ「urb」に参加。2007年には、マイルスと並び敬愛してやまない菊地氏の当時の新バンド、ダブ・セクステットに加入し見事その念願を叶え、以来若手No.1 トランペッターの名を欲しいままにしている。その甘いお顔立ちからは想像できないほど激しく燃え上がるアドリブで、DCPRGファンからアッパーギャル層のハートを総ざらいしていることは、あの『美男子JAZZ』に堂々フィーチャーされている点においても顕著。先月には、類家率いるワンホーン・カルテット、類家心平 4 Piece Bandの2ndアルバム『Sector b』もリリースされた。プロデュースはもちろん親方・菊地氏。氏書き下ろしのポリリズミック・チューン「GL/JM」、DCPRG若衆が寄ったジャズバンド「アンフォルメル8」の三輪裕也が書いた「アトム」、さらにはレディ・ガガ「Poker Face」のカヴァーなど、かなりバラエティに富んだコンポジションが散りばめられている。


田中教順

アリガス

高井汐人
田中教順 (たなか きょうじゅん)
アリガス
高井汐人 (たかい しおひと)

「DCPRGを聴いて育った世代の成長ぶりにとにかく驚かされた」と語っていた菊地氏肝煎りの、ピッカピカの新メン・トリオ。2010年、ダブ・セクステットのフジロック公演で本田珠也のトラも務めたドラマー、田中教順、ベースのアリガス、テナー/ソプラノ・サックスの高井汐人。いずれも「朱雀大路」というインストバンドのメンバーで、主幹の私塾「ペンギン音楽大学」出身でもある言うなれば「菊地成孔チルドレン」にして腹心。「新人の腹心」「腹心の新人」という実体があってないようなものを起用するというこうした人材育成・開発メソッドは、まさにエレクトリック期以降のマイルスのそれに追随している。