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【特集】 マイルス・デイヴィス『TUTU』

2011年5月6日 (金)


Miles Davis TUTU



 ツタンカーメン? アフリカン・マスク? ファッション写真家アーヴィング・ペンによって捉えられたポートレイトが闇の向こうからヌッと浮かび上がり、日本人アート・デザイナー 石岡瑛子がコンセプト・デザインを手掛けたそのジャケット・アートワークには、かつてないシリアスさが漂流する。この年還暦を迎えたマイルス・デイヴィス。1986年に古巣コロムビアを離れワーナー移籍第1弾として発表されたアルバムには、84年にノーベル平和賞を受賞した、反アパルトヘイト運動の旗手として知られる南アフリカの平和運動家デズモンド・ムピロ・ツツ司祭の名「TUTU」が冠されている。

 『TUTU』は、今や「マイルス晩年の傑作」としてソツなく語り継がれている作品だが、マーカス・ミラー、トミー・リピューマの知恵を借り入れながらエレクトリック化の最終局面を通過し辿り着いた、よそよそしくてミニマルなファンクと相対している、この誰もが看破できそうでできなかった驚くべきプログラムが遂行された丁半表裏の大ばくち的なスリルに満ちている側面も語られて然るべき。整然とした「打ち込み」トラックについに着手したことにより、マイルスの世界はさらにジャンルレスで無欲な複合化を果たすものの、それは同時に、マイルス・デイヴィスという音楽家がシーケンスデータに閉じ込められてしまう危険性を孕んでいたのではないだろうか・・・?

 そんな懸念をよそに、マーカス・ミラージェイソン・マイルスジョージ・デューク、そしてプリンスと、帝都に赴き『TUTU』の完成に腐心する家臣団が献上したすべての楽曲には、民衆の予想をはるかに超えるクールで美しい新しさがひしめき合っていた。ニュー・ファウンデーションの誕生。土壇場におけるプリンス自らの却下申し出があったものの、それでもかつてギル・エヴァンスが務めていた”腹心”としての大役をわずか27歳のマーカスがさらりとやってのけ、そこにマイルスも何ひとつ躊躇することなくどっかりと乗っかっていったところに、このアルバムのおもしろさというものがあるのかもしれない。

 「帝王生誕85年」「没後20年」および「発売25周年」というせわしなく押し寄せる時間軸の区切りのよさがそうさせたのか否か、『TUTU』はさらに豪華な意匠を纏って再登場する。ボツとなったプリンス楽曲や「ラバー・バンド・セッション」音源、はたまた「Full Nelson」の12インチ・シングル・サンプラーに収録されていた同曲の長尺ヴァージョン(アルバム・ヴァージョンとはもちろん別テイク)などの公式音源化は今回残念ながら実現しなかったが、マイルスの「ソロ」という認識を抱かせるようなスタジオ録音と完全に袂を分かち、「グループ」としての意識を高めていった同時期のライヴ・ソースが、めでたく追加収録されることと相成ったのは密かなる事件。「マイルスの80年代屈指のライヴ」と称される、1986年欧州ツアーのハイライトのひとつでもある7月16日のフランス、ニースにおけるジャズ・フェス公演だ。「養殖」と「天然」それぞれに比肩できない良さがあるように、この時期のマイルスには、スタジオとライヴの表現・創作方法が完全に分離しながらも、双方どちらにも帝王本来の強度や滋養のようなものがドドッと溢れ出ている。それを是非とも本盤で確認していただきたい。 

 ジャズ・ジャーナリスト、アシュレー・カーンによるライナーノーツには、トミー・リピューマとマーカス・ミラーに当時を振り返ってもらったというインタビューも掲載される予定。また、そのマーカスが2009年12月22日にフランス・リヨンで行なったマイルス・トリビュート公演の模様も、『Tribute To Miles Davis:TUTU Revisited』としてこのたびCDまたはDVD化される。どちらもマイルスの誕生日となる5月26日前後には出揃うということで、初夏の風に乗った『TUTU』を尊ぶ祭囃子のシンセの音は、すぐそこまで聞こえてきている。



1986年夏のヨーロッパ・ツアーから
絶好調のマイルス・グループを捉えたニース公演が正規音盤化

 
TUTU 〈Deluxe Edition〉(輸入盤)

> 国内盤は9月21日発売
 
 Miles Davis 「TUTU」 〈Deluxe Edition〉
 Warner Jazz 8122.797687 発売中 デジパック2枚組デラックス・エディション

【DISC-1】 グレッグ・カルビによる2002年リマスター
1.Tutu 2.Tomaas 3.Portia 4.Splatch 5.Backyard Ritual 6.Perfect Way 7.Don't Lose Your Mind 8.Full Nelson

【DISC-2】 1986年7月16日 フランス・ニースのジャズ・フェスティヴァル ライヴ音源
1.Opening Medley:One Phone Call/Street Scenes〜Speak 2.New Blues(Star People) 3.Maze 4.Human Nature 5.Portia 6.Splatch 7.Time After Time 8.Carnival





 本編8曲はグレッグ・カルビによる2002年リマスタリング(つまり『Last Word』ボックス・セット時のリマスター)。注目のディスク2には、1986年7月16日にフランスのニースで行なわれた「Festival de Jazz」出演時のライヴ音源を収録。当日のセットを完全収録とはいかなかったが、「Star People」、「Maze」、「Time After Time」といった当時の重要レパートリーや、『TUTU』収録曲の「Portia」、「Splatch」をしっかりとおさえた内容なだけに、この正規初CD化は喜ばしい限り。ちなみにメンバーは、マイルス以下、ロベン・フォード(g)、ボブ・バーグ(ts,ss)、ロバート・アーヴィング(key)、アダム・ホルツマン(key)、フェルトン・クリューズ(b)、ヴィンセント・ウィルバーン(ds)、スティーヴ・ソーントン(per)のオクテット編成。中でも、ロベン・フォードの参加はこの年のツアーならではのハイライト。フォード在籍時の音源、映像は地下流出市場においてもあまり数がないだけにチェックしておきたいところ。翌日のモントルー祭と並び1986年欧州ツアーのベストとの呼び声も高いライヴをご堪能あれ!

 また、アシュレー・カーンによるライナーノーツも(もちろん英文)読みごたえたっぷり。今回特別にトミー・リピューマとマーカス・ミラーに当時を振り返りながら語ってもらったというインタビューも掲載されている。




ワーナー名盤 SACD〜SHM-CD シリーズ


  • ワーナー・ジャズ SACD〜SHM-CD

    ワーナー・ジャズ SACD〜SHM-CD

    更なる高音質を求めるシリーズ7月発売は、マイルス・デイヴィス『TUTU』、『Amandla』、『Doo Bop』、スタッフ『Stuff』、『More Stuff』の全5タイトル。初SACD化。初回生産限定盤・・・・・・






帝王の”若き腹心”自らが蘇生した、もうひとつの「TUTU」

 
Tribute To Miles Davis:TUTU Revisited


Tribute To Miles Davis:TUTU Revisited 【DVD】
 
 Marcus Miller 「Tribute To Miles Davis:TUTU Revisited」
 ビクターエンタテインメント VICJ61650 2011年5月25日発売 2枚組

【DISC-1】 2009年12月22日フランス・リヨンにおけるライヴ音源
1.トーマス 2.バックヤード・リチュアル 3.スプラッチ 4.ポーシア 5.ジャン・ピエール 6.アイーダ 7.イン・ア・センチメンタル・ムード
【DISC-2】 同   上
1.ハンニバル 2.ドント・ルーズ・ユア・マインド 3.ツツ 4.フル・ネルソン〜パーフェクト・ウェイ 5.ヒューマン・ネイチャー〜ソー・ホワット 


 Marcus Miller 「Tribute To Miles Davis:TUTU Revisited」
 ビクターエンタテインメント VIBJ26 2011年6月22日発売 日本語字幕 2.0ch (stereo) Dolby Digital

 2009年12月22日フランス・リヨンにおけるライヴ映像
1.トーマス 2.バックヤード・リチュアル 3.スプラッチ 4.ポーシア 5.アイーダ 6.イン・ア・センチメンタル・ムード 7.ハンニバル 8.ドント・ルーズ・ユア・マインド 9.ツツ 10.フル・ネルソン〜パーフェクト・ウェイ 11.ヒューマン・ネイチャー〜ソー・ホワット






 『TUTU』はマーカス・ミラーのリーダー作とも言える、という見解にさほど違和感はない。「僕が《TUTU》でやりたかったのは、できるかぎりマイルスと一体化することだった」と以前に語っていたとおり、マーカスによるバック・トラックは、1986年の帝王を担ぎ上げる格好の神輿として過不足なく、見事な機能を果たしていたのだ。また、「あの当時は、最新のテクノロジーを操りながらマイルスのサウンドトラックの一部を制作している感じだった。同時に、そうしたテクノロジーを用いて各自がどれだけ深い自己表現や密なリレーションシップをとり行なえるか試すことができたんだ」と続ける。それから23年が経過した2009年、マーカスは「TUTU Revisited〜The Music of Miles Davis」と銘打ったワールド・ツアーをスタートさせ、9月にはここ日本の地(東京・大阪・仙台・札幌)でもマイルス・トリビュート・セッションは実現した。

マーカス・ミラー「TUTU Revisited」ライヴ@2009年リヨン
 『TUTU』発表から丸四半世紀が経った今年、いよいよそのツアーの模様、2009年12月22日に行なわれたフランスはリヨンのオーデトリアム公演がCDおよびDVD化される。『TUTU』制作のために当時自身が書き下ろした6曲はもちろんのこと、ジョージ・デューク作の「Backyard Ritual」、スクリッティ・ポリッティのカヴァー「Perfect Way」もしっかりと再演。その他取り上げている「Hannibal」、「Jean Pierre」、「Human Nature」(MJ本人にも捧げているはず...)、「Aida」といった、カムバック・バンド期から晩年に至るまでのライヴ定番レパートリーも、復帰以降のマイルスを語る上で必要不可欠な楽曲ばかりだ。バンド・メンバーは、マーカス以下、アレックス・ハン(as)、フェデリコ・ゴンザレス・ペーニャ(key)、ロナルド・ブルーナー(ds)、そして帝王の化身という大役に抜擢された若き才能クリスチャン・スコット(tp)。フェデリコ以外の3人はまだ20代ということで、若手を積極的にオルグしていく姿勢には ”マイルスイズム” の継承が。ただし過去は過去。当時の音を忠実に再現したリハーサルも行なわれたそうだが、「マイルスと同じようにやってもまったく意味はないんだ」と、あくまで現代の『TUTU』として彼ら独自の解釈で描かれている。



 

関係者抄録


 言うまでもなく『TUTU』におけるもうひとりの主役は、弱冠27歳の天才マルチ・クリエイター、マーカス・ミラーだ。帝王の復帰作『The Man With the Horn』のベーシストに大抜擢され、そのまま”カムバック・バンド”のボトムを支え続け、1983年発表の『Star People』ではマイルスをさらに太くハリのある最先端ファンクの極北へとホスティングした。ベースだけでなくギター、キーボード、バス・クラリネットといった各種楽器からプログラミング、プロデュース、アレンジまでを自在にこなすマルチ(何でも屋)ぶりは、もはや「マイルスの若き腹心」という肩書きだけでは済まされない末恐ろしい才能に溢れていた。

 というわけで、デヴィッド・サンボーンルーサー・ヴァンドロスのバック・バンドの中心的存在としても活躍しながら、1983年自身初のリーダー・アルバム『Suddenly』を発表する。これがまた、当時のスマートでポップなR&B/ブラコン・フィーリングを実に見事に捉えていて、マーカス自身の歌にも微笑ましさがある。続く84年の『Marcus Miller(パーフェクト・ガイ)』や、同郷クイーンズのバーナード・ライトレニー・ホワイトらと結成したジャマイカン・ボーイズの作品においてもこの路線は踏襲されている。生前のマイルスが唯一マーカスのリーダー作に参加したとされる楽曲「Rampage」は、『Amandla』のセッション・テープに残されていたマイルスの演奏を加工したもので、93年に発表された『The Sun Don't Lie』に収録されている。


Marcus Miller
Marcus Miller
「Marcus Miller」


The Sun Don't Lie
Marcus Miller
「The Sun Don't Lie」


 結果的に『TUTU』には収録されなかった、プリンス書き下ろしの「Can I Play With U?」。 殿下印とも言える疾走感のある一級品のファンク・ナンバーだけに、「何故ここまで完成度の高い曲がボツに?」と謎は深まるばかりだが、冷静に地下流出音源を聴き返していると、殿下のテンションに帝王が若干押されている気も・・・とは言え、厳密にはオーバー・ダビングゆえその録音の過程で出力バランスにムラが出てきてしまったのだろう、とあれこれ邪推を重ねてみたりもする。

 そもそものプリンスのマイルス熱というのは、マネージャーのアラン・リーズが『Kind of Blue』『Tribute to Jack Johnson』のレコードをプレゼントとしてプリンスに贈ったことから始まったのだという。そのマイルス熱、ひいてはジャズへの傾倒ぶりは、側近のサックス奏者エリック・リーズとの覆面プロジェクト、マッドハウス名義でリリースされた2枚のアルバムにて結実する。また、お蔵入りとなった3枚目のアルバム『Madhouse 24』に収録される予定だった「Are You Regal Yet?」、「Jailbait」、「A Girl And Her Puppy」、「Penatration」の4曲はマイルスに贈られ、最晩年(1991年)のライヴでお披露目されている。


Around the World In A Day
Prince
「Around the World In A Day」


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Madhouse
「16」(廃盤)


 一家総出のチャールズ・フォード・ブルース・バンドディスカヴァリング・ザ・ブルースといったオーセンティックなホワイト・ブルース・バンドでキャリアを積んだロベン・フォードは、ジミー・ウィザースプーンとの共演、トム・スコットのL.A.エクスプレスへの参加を経て、1978年に初リーダー・アルバム『The Inside Story』を発表。このアルバムのセッションから派生したグループが、かのイエロージャケッツで、81年の初アルバム『Yellowjackets』、83年の2nd『Mirage a Trois』に参加している(結成30周年を迎える2011年の新録アルバム『Timeline』にゲスト参加)。マイルス・バンドの歴代ギタリストの中でこれほどまでにストレートなブルース・フィーリングを体に染み込ませていたのは、このロベン・フォードを置いて他にはいないだろう。

 スタジオ録音こそ残されていないが、『TUTU』発表直前の1986年4〜8月のツアーに参加。燃えるようなギター・ソロをここ一番で盛り込みながらも、あくまで帝王をバックアップする見事な黒子っぷりで、”デキる男”を多くのマイルス・ファンに印象づけた。中でも、6月15日のジャイアンツ・スタジアムで行なわれたアムネスティー・インターナショナル主催によるチャリティー・コンサート(「Burn」ではカルロス・サンタナと競演)、あるいは同年の欧州ツアーから、今回正規お蔵出しとなる7月16日や20日のニース公演、さらには、ジョージ・デュークデヴィッド・サンボーンがゲスト参加した7月17日のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルなどは、ロベン・フォード在籍時のマイルス・グループの代表的なライヴとして語り継がれている。


Inside Story
Robben Ford
「Inside Story」


 フランク・ザッパ・グループの一員として活躍している頃からマイルスに目を付けられていた(であろう)ジョージ・デューク。そのEpic/CBS在籍期というのは、70年代後半から80年代初頭にかけて『Reach For It』『Brazilian Love Affair』、『Dream On』といったリーダー・アルバムのクロスオーバー・ヒットに加え、盟友であるスタンリー・クラークとのユニット、クラーク/デューク・プロジェクトとしての活動、さらにはデニース・ウィリアムスシスター・スレッジテイスト・オブ・ハニーフローラ・プリム作品などのプロデューサー業でまさに脂が乗り切っていた時代。

 マイルスから14年ぶりに電話がかかってきた1985年には、すでにワーナー傘下のエレクトラ・レコードに籍を移し、その移籍第1弾となるアルバム『Thief In The Night』を発表する直前だった。前作『Rendezvous』から続くポップ路線を踏襲したライトなファンク・サウンドは、昔ながらのジャズ・ファンにそっぽを向かれる一方で、マイルスやスティーヴィー・ワンダーのようなジャンル概念を持たない一握りの天才たちからは注目された。86年の『George Duke』は、前2作と較べると一般的な評価こそ高くはないが、「Backyard Ritual」よろしくの打ち込みを大胆に取り入れたシャープなエレクトリック・ファンク・サウンドと生音によるバラードのバランスがニクイほど判りやすく整合化されている佳作だ。安定感のあるブラコン〜スムース・ジャズのヒット・メイカー/プロデューサーとして着実に歩みはじめていた時期のジョージ・デュークにとって、マイルスへの楽曲提供は何物にも代え難い自己キャリアに対する絶対的な自信へとつながっていったのかもしれない。


George Duke
George Duke
「George Duke」


 グリーン・ガートサイドの美しいファルセット・ヴォイスで人気を博したスクリッティ・ ポリッティが、アリフ・マーディンの手を借りながらデジタル・シンセなどを多用し80年代的サウンドを標榜した『Cupid & Psyche 85』。トミー・リピューマがカヴァー用の参考にとマイルスに渡していたテープにこのアルバムが紛れていたのは有名な話。

 マイルスがカヴァーした「Perfect Way」以外にも、アレサ・フランクリンの「Rock Steady」をサンプリングした「Wood Beez」や、プリンスを想わせるメロディが乱麻する「Absolute」など、アルバム丸々がメロディ、リズム、コンセプトすべてにおいてハイセンスだった。ハイセンス過ぎて当時は「判りにくい」とするきらいも多かったそうだが、マイルス、マーカス、さらにはクリス・ボッティロジャー・トラウトマンまでもが参加した次作『Provision』のソウルフルでキャッチーな世界への布石は十分に敷かれていた。「Perfect Way」をはじめとする最新型ブルー・アイド・ソウルの先鋭的なフォルムや、「The Word Girl」に漂う子守唄の優しいメロディなどにマイルスは見事ハートを射抜かれてしまったのだ。


Cupid & Psyche 85
Scritti Politti
「Cupid & Psyche 85」


ワーナー移籍第1弾、その完成までには色々とドラマがあった
『TUTU』 完成に至るまでの道程


 1985年2月、デンマークで録音されたアルバム『Aura』の制作費などを巡り、マイルス・デイヴィスとコロムビア・レコードとの溝は決定的なものになった。「決定的」というのは、それ以前から同じコロムビア所属のウィントン・マルサリスとの確執があり、「ウィントンの方がレコード会社に大切にされている」という疑心をマイルスが抱き続けていた伏線があったためであり、実際、セールス面やビジュアル面( ”若さ” に対する先行投資は世の常)において水をあけられていたのはもちろんのこと、アコースティックであるという伝統主義に執着しながらメイン・ストリームでそれをきっちり具現化していたこの時期のウィントンには一部のスキもなかった。保守派が多い老舗企業においてのこうしたムードにマイルス自身も多少の風当たりの悪さを感じていたのかもしれない。それでもやはり「マイルス・デイヴィス」という名は魅力的な大看板となる。しめしめと言わんばかりに水面下で獲得に動き出したワーナー・ブラザーズとの正式な契約が交わされたのは、それからわずか4ヵ月後の85年6月。移籍後の初セッションは9月下旬にL.A.で行なわれ、フュージョン・ブームの仕掛け人として知られる当代きってのヒットメイカー、トミー・リピューマがスーパーバイザー的な役回りでその場に立ち会った。その名のとおりメイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリーにインスピレーションを受けた「Maze」、そしてMr. ミスターの「Broken Wings」の2曲が吹き込まれたものの、セッションは「前作の延長線上にあるという意味で、楽曲の新鮮味に欠ける」ことを凡その懸念事項に中断を余儀なくされる。

 旧知のポール・バックマスターや、マイケル・ジャクソン「Human Nature」の作曲者でその時期のマイルスがライターとしての腕を最も買っていたTOTOのスティーヴ・ポーカロ、さらにはハービー・ハンコック『Future Shock』のプロデュースで一躍時のヒトとなっていたビル・ラズウェルに、楽曲の提供、プロデュースの依頼などを行なうが、いづれも折り合いが付かずにさしたる成果を挙げられずにいた。ちなみに、スティーヴ・ポーカロおよびTOTOとの共演は、彼らの1986年のアルバム『Fahrenheit』所収の「Don't Stop Me Now」というインスト曲において実現し、その後もマイルスは自身のライヴで頻繁にレパートリーとして取り上げている。 


Miles Davis


 1985年10月17日を初日に、のちに「幻のラバー・バンド・セッション」と呼ばれることになるスタジオ・セッションが行なわれる。シカゴから『The Man With The Horns』以来となるランディ・ホール(g,vo,key)が召集され、グレン・ブリス(sax)、ゼイン・ギレス(g,key)、アダム・ホルツマン(synth)、ニール・ラーセン(key)、ウェイン・リンゼイ(key)、ヴィンス・ウィルバーン(ds)、スティーヴ・リード(per)、そしてこの日のみのマイク・スターン(g)というメンツのセッションに加わった。「Rubberband」という楽曲がすぐさま吹き込まれたというのは、セッションの通称を一目すれば想像に難くない。欧州ツアーの束の間の中断を挟みながらも、ランディやラーセンらが中心となって制作した「Carnival Time」や「Give It Up」といった数曲のデモに、マイルスのトランペットが次々とオーバー・ダビングされていった。順調に行くかと思われたレコーディング作業も、年明けの86年1月にすべてが白紙に戻された。 ワーナー移籍から半年が経過するものの、ニュー・アルバム用のマテリアルはこの時点でなにひとつ出揃っていないことになる。ただし、ほぼ同時進行的に動いていたコラボレイターとのアプローチが二つあった。ひとつはジョージ・デュークへの楽曲提供依頼の電話。もうひとつは晴れてレーベル・メイトとなったプリンスとの接触だった。

 1971年にグループ加入打診の電話を受けて以来およそ15年ぶりとなるあまりにも突然の連絡ではあったが、長年のアイドルからの直々の依頼。ジョージ・デュークに断る理由はなにひとつない。しかも、「こんな感じで仕立ててくれや」という具体的な参考楽曲のテープまでが送り付けられてきたのだから意気に感じないわけにはいかない。参考音源のイラケレのテープを聴きながら3曲を書き下ろし、その中から「Backyard Ritual」が採用された。

 プリンスとの初接触は1985年の12月上旬、ロサンゼルス空港。偶然出会った両者は、マイルスの車に乗り込み約20分間の会話を交わしたという。その10日後にプリンスは早速マイルスに提供するためのデモ・テープ作りに取りかかっている。「Can I Play With U?」と題された楽曲のテープは、12月29日にマイルスが滞在するマリブの別荘に届けられた。デモを気に入ったマイルスは、電話でプリンスにこの曲をさらに完成へと進めるように指示し、それに応じて整えられていった「Can I Play With U?」は、あとはマイルスのトランペットがオーバー・ダビングされるだけのマテリアルとなった。それが86年の1月ということで、「ラバー・バンド・セッション」の終息とともに一見白紙になったかのように思えたニュー・アルバム用のレコーディングは、実はこの時点で「Backyard Ritual」、「Can I Play With U?」を起点にしたものへと密かにシフト・チェンジしていたのだ。 

マーカス・ミラーとマイルス・ディヴィス
 ただしまだ完成が見えているのは2曲のみ。焦りの色を隠せなかったのは、プロデューサーに指名されたトミー・リピューマ。そこに”救世主”のように現れたのが、マイルス自身もカムバック・バンド以来知己があり、なおかつ絶対的な信頼を置いている若きマルチ・クリエイター、マーカス・ミラーであった。『The Man With The Horns』〜カムバック・バンド参加以降、自身の2枚のリーダー・アルバムの成功もあり、セッション・ベーシスト、プロデューサーとして各方面で引っ張りだこだったマーカスだが、意外なことに「マイルスのためにできることがあったら何でも言ってよ」と自らリピューマにニュー・アルバム制作への参加を売り込んできたそうだ。シンクラヴィアやドラム・マシンが大胆に使用された「Backyard Ritual」のテープを聴いたマーカスは、「マイルスのやりたいこと」を即座に嗅ぎ分け、「TUTU」、「Portia」、「Splatch」を書き上げた。リズム・マシン、シンセ、ベース、バス・クラリネットをすべて自身の手によってプレイしたデモの完成度は恐ろしく高く、リピューマはおろかマイルスさえも唸らせ、リピューマの判断によりニュー・アルバム・プロジェクトのほぼ全権を一任された。「バンドはいない。君ひとりで出来るところまでトラックを作ってくれ。あとはこっちでどうにかするから」。リピューマの”丸投げ”はむしろマーカスの計り知れない才能への最上級の敬意であったとも言えるだろう。

 マイルスからの「なかなかいいサウンドを作るじゃねーか」というお褒めの言葉や、「アコースティック・ピアノは入れんじゃねーぞ。耳にするのもうんざりだぜ」という愚痴めいたリクエストを巧みに吸いあげながら、マーカスはとにかく今までにない新しいサウンドを作ることに腐心した。のちにマーカス自身「最もお気に入りの1曲」と語っていたオープニング曲の「TUTU」。この曲の冒頭のサンプリングによるオーケストラ・ヒットは、マーカスが協力を仰いだジェイソン・マイルスの貢献も大きい。アイデア自体はマーカスによるものらしいが、このあまりにも印象的なヒット音はまぎれもなく、MIDIによる楽曲制作の極意やデジタル・シンセサイザーの性質をしっかりと心得ていたジェイソンとのコンビネーションから生まれた賜物だと言え、このパートナー・シップによる方法論は次作『Siesta』『Amandla』においても継続されていくこととなる。

 1986年の2月初旬から約2週間にわたり行なわれたマーカス主導のL.A.セッションで、アダム・ホルツマン(synth)、パウリーニョ・ダ・コスタ(per)らの助力を得て上記の3曲は完成を見た。さらにニューヨークへと戻り、マーカスは「Tomaas」、「Don't Lose Your Mind」、「Full Nelson」の3曲のデモを完成させ、ここに都合8曲のマテリアルが出揃ったことになる。一説には、アフリカ南東部ジンバブエ独立闘争の旗手で、投獄されながらもショナ語で歌いつづけたシンガー、トーマス・マプフーモに共鳴し制作したとも言われている「Tomaas」、「Get Up, Stand Up」のフレーズをさらっと盛り込みながら、ボブ・マーリィピーター・トッシュのアフリカ回帰思想に接近してみせたことを想像させるレゲエ・タッチの「Don't Lose Your Mind」と、アパルトヘイト撤廃に尽力した運動家デズモンド・ツツ大主教の名を冠した「TUTU」を含めて、母なる大地を十二分に意識させるタイトルが並んだのは、前年にマイルス自身も参加した「Artists United Against Apartheid」による『Sun City』コンピレーションや、マイケル・ジャクソンライオネル・リッチーの呼びかけで実現したUSA フォー・アフリカ「We Are The World」など、当時活発化していたアーティストたちによるアフリカ支援の動きとどうやら無関係ではなさそうだ。ただし「Full Nelson」に関して、その「Nelson」が指し示すのは「ネルソン・マンデラ」ではなく、プリンスの本名「プリンス・ロジャーズ・ネルソン」にかけているものと見る向きが大方。プリンスが制作した「Can I Play With U?」のイントロ的な役割を果たす曲としてマーカスによって書かれた「Full Nelson」は、チャーリー・パーカーとの共演時代にマイルスが書いた「Half Nelson」をそのタイトルの拠り所にしながら、プリンス、あるいはプリンスとマイルスの共演そのものに賛辞を贈っている、となるわけだ。

 全8曲のレコーディングすべてが終了。ジャケット・デザインは日本人のグラフィック・デザイナー、石岡瑛子氏に任されることが決まり、またタイトルも仮ながらも「TUTU」に決定した。誰もがアルバムの完成を疑わなかった1986年の3月半ば、マイルスは、以前にトミー・リピューマから渡されていたカヴァー用の参考テープに収録されているスクリッティ・ポリッティの「Perfect Way」を録音したい旨を突然伝えた。ポップで聴きやすいメロディを持つその素材は、移籍第1弾アルバムに収録されるものとしてはセールス面のことを考慮しても「打ってつけ」なのは一目瞭然。マーカスは当初困惑したそうだが、リピューマは即座にGOサインを出した。ここでニュー・アルバムは全9曲、タイトルそのものも「Perfect Way」へと変更された。また、ご存知のとおり87年の彼らの3rdアルバム『Provision』所収の「Oh Patti」という曲にマイルスは(そのお返しにというわけではないだろうが)ゲスト参加を果たしている。  

マイルスとロベン・フォード
 春の訪れとともにマイルスは、ニューヨークに登場する。3月のレーマン・センター公演ですさまじくハイ・テンションな演奏を見せたマイルス一座。ベースは多忙なマーカスに代わってフェルトン・クリューズ、ギターは4月よりマイク・スターンから襷を受けたロベン・フォード、そしてパーカッションにはスティーヴ・ソーントンという顔ぶれが並ぶ新ラインナップ。「One Phone Call」を皮切りに、「Speak」、「Star People」、「Maze」、「Human Nature」、「Time After Time」など前年とさほど変わり映えしないセットだが、フォードのギターが入るだけでこうまで変わるか、といったフレッシュで激しいステージの印象を聴衆に強く植えつける。マイク・スターンジョン・スコフィールドも素晴らしいギタリストに違いはないが、フォードのギターにはマイルスの出す音に敏感に反応する何かがあったと思わせ、また、ブルースを出自とするギタリストとして知られるフォードだが、マイルス・グループのライヴにおいてはそのプレイ自体にさほどブルース臭を強く漂わせることはせず、あくまでマイルスのトランペットとの同化を積極的にはかろうとしていることが窺える。これはアダム・ホルツマン、ボブ・アーヴィングのキーボードにも同じことが言えそうだ。このあざといまでに練られたアンサンブルや同化の構図は、俯瞰するならば、コラボレイターのアイデアにマイルス自身が歩み寄ろうとするスタジオ・レコーディングとはほぼ真逆なベクトルを持つ。ゆえに、この時期を境にスタジオとライヴの表現方法が明確に分断されていったことを推して知ることができる。

 プリンスに届けられたニュー・アルバム用の最終版ソース全9曲が収録されているテープには、「Miles」、「Disinvestment」、「Perfect Way」と二転三転しながらも、あらためて「TUTU」に落ち着いたタイトルが記されていた。もちろん「Can I Play With U?」は、マイルスがトランペットのオーバー・ダビングを終えた状態で、「Full Nelson」を前菜としながらアルバム最後尾のメイン・ディッシュとして堂々と鎮座している。  

 しかしここへ来て、プリンスは自身が書いた「Can I Play With U?」が、このアルバム全体の流れには相応しくないと判断した。記念すべき初共演曲だからこそ妥協は一切許されなかった、とプリンスが感じたかどうかの具体的な証言は残されていないが、おそらくは遠からず近からず、楽曲のクオリティ自体あるいはマイルスのトランペットが吹き込まれたものにあと一歩納得していなかったことはたしかだろう。また、「Full Nelson」というおあつらえ向きの序奏があるにもかかわらずに「ボツ」と判断した背景には、「マーカス・ミラージョージ・デュークが提供した楽曲へのいくらかの敗北感もあったかもしれない」と中山康樹氏が著書「マイルス・デイヴィス 奇跡のラスト・イヤーズ」の中で推察しているとおり、あらためて他の作家陣の楽曲と冷静に比較したときにわずかな ”綻び” を見つけてしまったとするのがごく一般的な解釈だろう。折りしもプリンス&ザ・レヴォリューション名義では最終作となるアルバム『Parade』をリリースしたばかり。その後『Sign O The Times』、『The Black Album』と続くように殿下自身のサウンドもまた過渡期を迎えようとしていた。

1988年、帝王と殿下ライヴ共演
 結局、「Can I Play With U?」はプリンスの申し出によりアルバムからはずされ、「Full Nelson」を最後尾に配したままの全8曲でリリースされることとなった。ここで中途半端なものを出さなくても、いづれきっちりとしたカタチで共演・共作をする機会は訪れるだろうという両者の中長期的なヴィジョンでの思惑が一致。ゆえにマイルスも「アイツが言うならしょうがねぇな・・・」といったニュアンスで「Can I Play With U?」の収録拒否をあっさりと受諾したのだろう。ちなみにこの両者の共作アルバムというものは以後作られることがなく、1987年の大晦日、ミネアポリスに建設中だったペイズリー・パーク・スタジオのサウンド・ステージで行なわれたプリンスのコンサートにマイルスがゲスト出演(「It's Gonna Be A Beautiful Night」)、翌88年にチャカ・カーンのアルバム『C.K.』でプリンス作曲の「Sticky Wicked」にマイルスがミュート・トランペットをオーバー・ダビングで乗せている、この2点のみに共演の公式データはとどまっている。「Can I Play With U?」は「Red Riding Hood」というワーキング・タイトルとして、その地下流出音源が全国的に有名となっているが、同じ頃にプリンスがマイルスのために書き下ろした「A Couple of Miles」、さらには89年にペイズリー・パークにおける両者のプライベート・セッションで録られた「Crucial Love」、「Fantastic」という楽曲の存在も同じく地下界隈で確認されており、こちらも公式音盤化が長く待たれている。

 1986年の暮れも押し迫った12月、『TUTU』はリリースされた。ワーナー移籍からほぼ1年半の時間を費やしたこととなる。打ち込みの世界侵食を甘受しながらも、硬質かつ無表情なバック・トラックが理路整然とループする中に起つマイルスのハーマン・ミュートのトランペットは、あまりにも生々しく美しく、誰がどう聴いてもマイルス・デイヴィスの音そのものでしかなかった。ジャズを超えた超えないは、もはや問題ではない。還暦を迎えた音楽家がおいそれと手を出すにはあまりにもリスキーだと思える部分へのタッチがあっさりと実現され、また「そう言えば、ギル・エヴァンスとやっていたときもそうだったし、東京ドームの<Strawberry Fields Forever>だって・・・」と通史的な見地からも ”カラオケ” はアリだということが十分に証明された。素晴らしい素材(トラック)、もしくはその素材(トラック)を組み立てることができる優秀な人材に事欠かないかぎり、孤高なるマイルス・デイヴィスの世界はいつどこにだって存在し得る。『TUTU』はそれをあらためてはっきりと約束してくれた作品のように思えてならない。そしてここから、世界中でたっぷりの愛をもって語られる、帝王最期の5年間がスタートする。



参考文献
帝王、華麗なるラスト・ラン

マイルス・デイヴィス 奇跡のラスト・イヤーズ
 
 中山康樹 「マイルス・デイヴィス 奇跡のラスト・イヤーズ」
 小学館  2010年10月出版
 「ジャズの帝王マイルスの華麗なる晩年」 マイルス・デイヴィスの人生を語る「マイルス五部作」の最終作。1975年の引退、81年のカムバック、91年の急死までの華麗な活動を、日本におけるマイルス・デイヴィス研究の第一人者・中山康樹氏が独自の調査による新事実を多数織り交ぜつつ語る。







1981年以降のマイルス・デイヴィス
主要アルバムとDVD

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中山康樹さんに訊く、マイルス・デイヴィス




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