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TOP > My page > Review List of 一人のクラシックオールドファン
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0 people agree with this review 2012/01/01
かつてリコーダーで「ラ・フォリア」ブームの火付け役となったブリュッヘンは自ら編成した18世紀Oを指揮してモーツァルト等の古典交響曲を録音続けていましたがその後しばらくその活動に目立ったものがありませんでした。ところが私がFMで偶々聴いたショパンのピアノ協奏曲第2番のバックを何とその独特の響きで務めた演奏に接し驚いた次第で少しレビューメモさせていただきます。本演奏は2006年のライブでピアノはベトナム出身のダン・タイソン(当時48歳、なお指揮のブリュッヘンは72歳)で演奏タイムは@14’30A8’59B8’10となっております。承知の通りダン・タイソンは1980年ショパン・コンクールで優勝したピアニストで、ベトナム戦争戦火の下、防空壕の中で、紙に書いた鍵盤の上でピアノを練習したという逸話は有名ですね。その彼が弾くピアノはバックの古楽器オーケストラに合わせて1948年製のエラール(同社製品はショパンやリストに愛用された長いブランドを保っているそうです)フォルテピアノでその若干哀愁的なビロードタッチの音色がダン・タイソンのロマンチックな表現と絶妙な仕上がりを提示してくれています。第1楽章、それこそ雅やかな響きでのスタートに先ず注目されます。聴き方によってはバック・オーケストラの「詰め」焦点のボヤケやピアノの普段聴いている協奏曲演奏からすれば隔靴掻痒感が気にならないでもありませんがそこが目新しい重要ポイントでそれが要領得て来るとちょっとしたフォローもその音色に惹きつけられてしまいました。美しい楽章の第2楽章はいたずらに情緒過多に陥らずしかしファッとしたピークでの緊迫感の雰囲気は素晴らしいです。最終楽章ではこのピアノとオーケストラの奥ゆかしい音色が更に効果的にこの楽章の少し押し付けがましい処を軽減してくれます。全体的に特にオーケストラの各声部の輪郭がはっきりしダン・タイソンの質実剛健さとマッチしている様です。私は第1番(2005年ライブ録音、タイム@20’28A10’01B9’37 )は聴いておりませんので★一つ保留しておきます。なお、ダン・タイソンには1992年録音盤・・・バックはマクシミウク指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア、タイム第1番@19’53A9’49B9’36、第2番@14’03A8’57B8’20・・・もあった事を追加メモしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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1 people agree with this review 2011/12/31
以前私はこのフルトヴェングラー指揮の「悲愴」をその辺の廉価盤で求め録音年代(1938年、勿論モノラル)も元々古いことからそう苦もなく聴いてそれなりの感激をしていました。本演奏は爛熟期のフルトヴェングラー(当時52歳)のチャイコフスキー名演だけに何種類も盤があり本盤ズバリの感想ではありませんがメモを入れさせていただきます。何れのCD盤もソース次第で作曲者が例えばppppppとかfffffとか指定した強弱記号の烈しい感情起伏がどの程度再現されているかは別としてこの演奏・・・演奏タイム的には他演奏との比較ではマトモ(タイム@20’09A8’48B9’17C10’18)なもののフルトヴェングラーの場合その間の若干こもった様な音質強奏にも凝縮された当時のドイツ系指揮者の一つの「悲愴」スタイルが聴かれる素晴らしい貴重な記録であります。貧弱な音質の古い録音において時代を超えて蘇ってくるからこそ得られる感動というものもありましょう(セピア色の昔の写真同様・・・)が本盤制作で起用された技術による成果が大いに期待され又制作者の努力・熱意にも頭が下がる思いであります。第1楽章は恍惚とした物憂さの内に動かしている緩急は味わい処でしょう。第2楽章は歌い過ぎない優美さが独特の魅力を提示し第3楽章はじっくり運ぶしっかりしたリズムで攻めあげ物凄いピークに向かいますが少しティンパニーの突っ込みに物足りなさを感じました。最終楽章は比較的タイムも感情も思った程引き摺らない演奏で聴き終えた時もう一つ「抉り」が欲しいと感じつつこれがフルトヴェングラーらしさなのかも・・・と複雑な思いをしました。本盤はEMI系?なのですがDG系?には1951年録音(所謂カイロライブ)でオーケストラは同じBPOを振っての盤(同@19’44A9’19B9’49C9’42)も幾つかの種類が出ている様です。それにしてもフルトヴェングラー演奏の手を変え品を変えての盤起しは相変わらず盛んなようですね。なお、本盤併録の「エグモント」序曲(オーケストラBPO、1933年録音、タイム8’29)と「コリオラン」序曲(オーケストラVPO、1947年録音、タイム8’30)は未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
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2009/1に本盤へのレビューとして「OKランク」確保をしていた者で、若干当時のレビュー文中私自身演奏タイム上1951年演奏分とボタンのかけ違いをしていた節がありますのでデータ的なものを追記して整理させていただきます。先ず本盤は1938年フルトヴェングラー52歳の爛熟期におけるチャイコフスキーの名演であり演奏タイムは@20’09A8’48B9’17C10’18と先のレビューの「短い」というより1951年演奏分(@19’44A9’19B9’49C9’42)と比べたら中二楽章が若干短いというだけの事であります。私の個人的好みはいろいろの盤はありますが1951年演奏の方に「おどろおどろ」したものをより感じる点で惹かれてはおります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/12/31
2009/1に本盤へのレビューとして「OKランク」確保をしていた者で、若干当時のレビュー文中私自身演奏タイム上1951年演奏分とボタンのかけ違いをしていた節がありますのでデータ的なものを追記して整理させていただきます。先ず本盤は1938年フルトヴェングラー52歳の爛熟期におけるチャイコフスキーの名演であり演奏タイムは@20’09A8’48B9’17C10’18と先のレビューの「短い」というより1951年演奏分(@19’44A9’19B9’49C9’42)と比べたら中二楽章が若干短いというだけの事であります。私の個人的好みはいろいろの盤はありますが1951年演奏の方に「おどろおどろ」したものをより感じる点で惹かれてはおります。なお、本盤併録のワグナー「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」も1938年BPOを振っての演奏でその演奏時間(11’13+6’57)内の「ウネリ」の起伏はチャイコフスキーがあくまでドイツ型だったのに比しドイツ本領を発揮したものと思えます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
以前私はこのフルトヴェングラー指揮の「悲愴」をその辺の廉価盤で求め録音年代(1938年)も元々古いことからそう苦もなく聴いてそれなりの感激をしていました。本演奏は爛熟期のフルトヴェングラー(当時52歳)のチャイコフスキー名演だけに何種類も盤があり本盤ズバリの感想ではありませんがメモを入れさせていただきます。何れのCD盤もソース次第で作曲者が例えばppppppとかfffffとか指定した強弱記号の烈しい感情起伏がどの程度再現されているかは別としてこの演奏・・・演奏タイム的には他演奏との比較ではマトモ(タイム@20’09A8’48B9’17C10’18)なもののフルトヴェングラーの場合その間の若干こもった様な音質強奏にも凝縮された当時のドイツ系指揮者の一つの「悲愴」スタイルが聴かれる素晴らしい貴重な記録であります。貧弱な音質の古い録音において時代を超えて蘇ってくるからこそ得られる感動というものもありましょう(セピア色の昔の写真同様・・・)が、仕様変更による音質改善等については東京都の方のレビューなりを参考にされたら良いかと思います。第1楽章は恍惚とした物憂さの内に動かしている緩急は味わい処でしょう。第2楽章は歌い過ぎない優美さが独特の魅力を提示し第3楽章はじっくり運ぶしっかりしたリズムで攻めあげ物凄いピークに向かいますが少しティンパニーの突っ込みに物足りなさを感じました。最終楽章は比較的タイムも感情も思った程引き摺らない演奏で聴き終えた時もう一つ「抉り」が欲しいと感じつつこれがフルトヴェングラーらしさなのかも・・・と複雑な思いをしました。本盤はEMI系?なのですがDG系?には1951年録音(所謂カイロライブ)でオーケストラは同じBPOを振っての盤(同@19’44A9’19B9’49C9’42)も幾つかの種類が出ている様です。それにしてもフルトヴェングラー演奏の手を変え品を変えての盤起しは相変わらず盛んなようですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/12/30
本盤チャイコフスキー演奏は1951年フルトヴェングラーが65歳の時BPOを振ってのカイロライブ録音(モノラル、DG系)で私は本盤ズバリではなくよく駅店頭などで売られている廉価盤(タイム@19’44A9’19B9’49C9’42))を聴いてそれなりの感動を覚えましたので本盤現在販売もされていないけれどもメモする次第です。現在HMVでも本演奏の単独盤は無い様でEMI系の1938年録音演奏(オーケストラは同じくBPO、タイム@20’09A8’48B9’17C10’18)ばかりが何種類もカタログに載っており少し寂しい気がしております。モノラルライブのハンディはあるものの結構音質は聴けるもので第1楽章は割りと綿々と情緒にひた走らず音の遠近感で立体的に展開し、静まるとあの怒涛のピークに入ってからは微妙な緩急のニュアンスを触りつつ一大ドラマを描きます。第2楽章はゆったり気味に弦が雄弁に語りその高い密度に得てして退屈な楽章を楽しませてくれます。第3楽章はライブ故もあってスタート私には若干の「もたつき」感を抱かないではなかったけれど軌道に乗るとやはりゆったり目、敢えて切迫感に結びつけず全奏マーチは一歩ずつ踏みしめて進みますがラストは駆け込みします。最終楽章、しばらくは私個人としては粘着性も期待したいところなのがそうでない処がフルトヴェングラー所以なのでしょう・・・そしてあの怒涛の奈落への駆け込みも比較的テンポ早いのですがこの間の陰影とティンパニーの持続音は流石ですね。〆は結構深い吐息を引き摺っております・・・ライブに伴う緊迫感も合わせて・・・。1952年ライブ収録の「未完成」交響曲(モノラル、タイム@11’55A12’10)は第1楽章序奏での低音弦の響きからこの演奏のレベル?の高さの予兆を感じさせ実に骨太で引き締まった展開を持続するティンパニー効果も背景に寄与して雄渾な流れを作って行きます。最後「間」で溜めながらの〆も印象的です。じっくり腰の据わった進み方の第2楽章も全奏での確信に満ちた迫力はライブ臨場感と相俟ってもう最高ランクと言って良いでしょう。(私はこの未完成交響曲をブラームス第三交響曲とのカップリングDG盤で聴いております。)フルトヴェングラーの残された多くの未完成交響曲録音(1943年VPOタイム@11’22、1944年BPO同@11’16、1948年BPOタイム@11’31A11’59、1950年VPO同@11’34A12’16、本盤演奏1952年BPO同@11’55A12’10、1952年TRAIO同@11’26A11’41、1953年BPO同@11’35A11’25、1954年BPO同@11’32A11’35等々・・・)は大半ライブで都度再創造の過程を繰り返す演奏行為を物語っております。それにしてもフルトヴェングラー演奏の手を変え品を変えての盤起しは相変わらず盛んなようで本盤演奏も復活をして欲しいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/12/29
ほぼ同い年・・・ツィマーマン47歳、ラトル48歳の両名演奏家として充実期に入った2003年に録音したブラームス、ピアノ協奏曲第1番(タイム@23’27A15’45B12’09)はオーケストラBPOの重厚且つ精緻な響きも大いに手伝って大変映えた鮮やかなコンチェルト演奏となっております。マァ、両名の完璧な演奏性格から来るクールさ・隙の無さが当然現象的にこの演奏に切れ味の鋭さをもたらし私がこの曲に託す思いとはちょっと「ズレ」が生じたのも正直な処であります。全体タイム的にはやや中間楽章がじっくりとしている印象はありますがツィマーマンが約二十年前の1984年バーンスタイン/VPOと共演した収録盤のタイム@24’35A16’28B13’00からすれば(指揮者の違いも大いに関与している点ではありますが)平均タイムに近いものとなっており、ツィマーマンの「録音とはすべて一瞬の記録」という思慮深い発言が思い起こされます。第1楽章に終始する重音トリルにテインパニーが効果を上げ、又左右に工夫して配置された弦の掛合い等により実によく鳴った派手に仕上がった楽章でブラームスの青春懊悩が吹っ飛んだ感じに受け取りました。クライマックスへはテンポに溜めをいれつつ堂々と締めくくります。シューマンへの鎮魂にもなったという中間楽章は当然情緒的アプローチがなされますが後段粘っこさも見せやや長さも感じさせました。最終楽章はピアノ、オーケストラとも更にその応酬迫力を増し曲自体少し単調さもあってかその迫力が空回りしている印象も過ぎりましたがともかく堂々とした演奏には違いありません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/12/28
1 people agree with this review 2011/12/27
本盤は1968〜1973年に収録されたノイマン/CPO演奏の第一回目のドヴォルザーク交響曲全集からの抜粋で第7番(タイム@11’00A9’30B7’36C9’06)、第8番(同@9’42A10’29B6’35C10’45)、どちらも資料からは1972年ノイマン52歳の時の録音となっております。第7番・・・第1楽章遠く不安げなティンパニーと断片的テーマを奏でる管からスタートして弦も加わって民族舞曲風に様々なテーマを繰り返しながら盛り上げて行きます。1968年動乱期からは幾分年月が過ぎてもなお困難な時期を共に過ごした緊張感のあらわれか、演奏の密度は非常に高いものとなっています。この第7番は続く第8番とは異なりややフォローしにくい曲想が多いのですが全体的にノイマンは遅めにボヘミアの情感を散らばせます。第3楽章はそれに対してよく聴く舞曲風の親しみ易い楽章ですね。最終楽章は又少し曲自体流れがスッキリしない処を陰影をつけて演奏を進めます。第8番の方は偶々出版がロンドンたったなので「イギリス」と愛称されており私はセル/CLOやカラヤン/VPOでLP時代にも親しんだ曲です。ノイマンの演奏は初めやや遅めな印象を受けますが第1楽章展開への勢いはメリハリがついて来ます。時としてつんのめりそうにも感じますがフレーズによってはその早目のテンポがスパイス効果を醸しだします。第2楽章のヴァイオリンソロの美しさと山場作り後半ティンパニーの打ち込み迫りには凄みが伴い第3楽章・・・美しい弦の節回しそして最終楽章での管楽器の散りばめなどもノイマンならではと思わせます。大きく息を取って見えをきる独特なゆっくり語りつつの最終詰めも印象的です。この二曲については1981〜1982年の二回目全集分(第7番タイム@10’50A9’10B7’25C9’13、第8番タイム@9’18A10’17B6’08C10’18)そして1991年東京ライブ分(第7番タイム@11’37A9’36B7’54C9’59、第8番タイム@10’09A11’08B6’29C11’06)があるそうですが未だ聴き比べを完了しておりません。ほぼこうして並べると十年毎となって微妙な変化もあるのでしょう・・・ただ世評ではある若さもあって本盤一回目録音分が覇気の点でも評価高の様ですね。仕様変更での再登板です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/12/26
よくカップリングされるグリーグ、シューマンのイ短調ピアノ協奏曲(私の世代ではリパッティ演奏盤が馴染み深いものです)を1974年事もあろうにあの御大マタチッチ(当時75歳)が指揮するMNOO伴奏でのリヒテル(同59歳)の演奏盤で聴く前からキャストから正直少し重すぎるのではと思いました。リヒテルのグリーグの方は本盤以外私は知りません、それだけリヒテルが北欧の透明さと隔たりがあると自他共に認めてはいるのでしょう。演奏タイムとしては@12’38A6’07B9’54と顕著な特徴はありませんが第1楽章の出だしから大きな構えというか他の演奏とは路線を異とする方向性は明らか・・・。続くテーマでのゆっくりした運びがその気迫を伝えようとしています。凄まじいカデンツァでは自然の厳しさを「ほうふつ」させ全体を充分過ぎるロマンチック性で展開しています。逆に中間楽章は変に情に流されずバックもリヒテルの設計通りになっています。最終楽章も第1楽章同様豪快な感じであると共に普段聴き流す処がクローズアップされる等すっかり巨匠演奏ムードになっております。多分リヒテル、マタチッチ両人彼らにとっては珍しいこの曲への対応を熟慮の上のこの演奏結果でそのがっちりした重厚さは我々が持つこの曲へのイメージとは明らかに異なった異世界を提供してくれ一聴是非おすすめします。リヒテル自身この演奏は比較的気に入っていた様です。次にシューマンの方ですがリヒテルは小品を含め結構シューマン作品をこなしており録音盤も多くあります。シューマンのある屈託性が気に入っていたのかピアノ協奏曲も本盤演奏(タイム@14’35A5’06B10’21)の他に1948年ガウク/MSRO、1954年ガウク/MSRO、1958年ロヴィッキー/WPO、1958年ジョルジュスク/USSRSO等が残っておりある意味弾き慣れた曲なのにリヒテルは本盤演奏はグリーグほどには満足していなかったそうですね。第1楽章割と元気よくスタートし伴奏も威勢がよい感じです。分り易く言えば「濃い」味で「切なさ」とはこれ又違う領域です。第2楽章は落ち着いた情感を安らぎのうちに進みますが切れ目無しに続く最終楽章はこの曲の構成上やや執拗な華麗さを更に念押しするが如くの演奏です。スケール感と言ってよいのか分かりませんがその様な事が果たしてシューマンのこの曲に似合っていたのか・・・?、この二人の演奏アプローチからはグリーグ同様避けられない方向性なのですが万全なリヒテルの技巧が分厚いオーケストラに塗され若干考え過ぎた演奏の様に思え正直しんどかったです・・・スミマセン。仕様変更での再登板です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/12/25
彼女は1978年カラヤン/BPOバックでモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲集の内「美味しい」第3番及び第5番をDG録音してしまっていた為、全曲収録としての体裁を整える結果的意味?で1981年ムーティ/PHOバックで第2番(タイム@8’53A7’40B4’11)、第4番(同@9’27A7’34B7’19)をそして1991年マリナー/ASMFのバックで第1番(同@7’09A8’13B5’38)及びK314協奏交響曲(同@13’06A1136B6’07)を追加EMI録音しており、それは録音年にバラつきがあったりムター自身各二曲の指揮者のバラつきに自身の演奏も多かれ少なかれ受けた影響も考慮して後年自らの弾き振りで正しく全曲を2005年にDG再録しています(その内EMI盤と同曲分の演奏タイムは次の通りです。第1番→@6’48A7’58B5’43、第2番→@8’21A7’01B3’51、第4番→@9’03A6’57B7’01、K314協奏交響曲→@12’37A11’41B6’11)。1981年ということはムターはまだ18歳、カラヤンの時からまだそんなに経っていないもののその演奏表現は着実さが加わり且つ女性らしい艶やかさも帯びて来た様で2005年録音盤ほど個性ムンムン・・・好き勝手にはなっていないだけコントロールも効いた節度ある演奏であります。ムーティも40歳と若く彼はモーツァルト作品との取り組みは通常オペラ物中心でこういった協奏曲伴奏は珍しいものとなって慎重になってはいます。第2番、第4番共に後年新盤よりタイム上は上記の通りゆったりしているのも特徴となっています。1991年、前回二曲収録から十年、ムターは28歳となり加齢反比例の如く更に華やかに元気になり第1番などは大曲風な仕上がりになりました。K314協奏交響曲はヴィオラがB.ジュランナ(録音当時58歳)の担当で良きバランスで曲進めが行なわれています。タイムも各楽章で凸凹はありますがこれ又概ね後年2005年録音盤よりゆったりしているのは面白いですね。マリナー(録音当時67歳)はこの人の後年傾向らしく無難なサポートであります。何れにしてもの各曲カデンツァを含めムター個性をフルに感じたければ後年盤(2005年盤)が適している様ですし、やはり「曲」の味わいを大切にムターで聴くというならば1981,1991年盤ということになるのでしょうか・・・。なお、本盤は現在販売されておりません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/12/24
1 people agree with this review 2011/12/23
私は初回LP盤で「1968年度ACCディスク大賞受賞」の帯がついていた盤でこのカップリング協奏曲を聴きました。1967年アルゲリッチ26歳、アバド34歳・・・若かったですね!・・・の時の名演奏録音で新仕様が期待されます。既に載っている各レビューに屋上屋を重ねる様ですが私も以前の本演奏を軸にメモさせていただきます。オーケストラはBPOで当時私にはこれらの曲のバックとしては物珍しかったものの流石BPO!適度な緊張感と躍動感溢れる演奏と申せましょう。さてこのラヴェルピアノコンチェルト(タイム@8’00A8’57B3’49 )なかなかのもの、私にとって当時クラシック通になる一つのメルクマールのようでアルゲリッチは煌びやかなそれでいて繊細なラヴェル音色を抜群のテクニックで表出しています。フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいにおいて少しガーシュインに似た楽章もあれば第2楽章の管楽器とのデュエット様なピアノの静かな流れ、「ゴジラの逆襲」のテーマ似が瞬間過ぎる終楽章・・演奏者も前述を繰り返しますが覇気溢れ若かった・・・最高!ですね。この曲、アルゲリッチには既にまだティーンエイジ時代1959年あの後年結婚相手となるデュトワの指揮ローザンヌCOバックでのライブ演奏盤(勿論モノラル、タイム不詳)もある様ですね。一方同じアバドでオーケストラをLSOに変えて1975年再録(トータルタイム22’03)、1984年再々録(同@8’38A9’31B3’51)したり珍しいベルティーニ/ケルン放送SOとの1985年ライブ盤(タイム不詳)、更に1997年デュトワ/モントリオールSOのバックでも録音(同@8’18A8’59B3’58 )し彼女のこの曲へのご執心が分かります。本盤プロコフィエフの方(同@8’53A8’57B8’57)もクラシック通になる一つのメルクマールのようでアルゲリッチは抜群のテクニックでこの曲独特のアイロニー混じりのリズム感を巧みに表出しています。アバドのサポートもBPOはやヽ重いもののバッチリ!作曲年代1910年台後半からして日本に立寄った影響か和音階も聞き分けられます。プロコフィエフの協奏曲もアルゲリッチは1997年デュトワ/モントリオールSOのバックで再録(同@9’44A9’40B9’46)しております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/12/22
HMVレビューの1966年収録盤という前提でコメントさせていただきます。私はLPと本盤とは別の廉価CD盤を聴いているのですが全く颯爽とした演奏でして付け加えるにしなやかな筋肉質さも味わえるカラヤンの運びの上手さは流石ですね。カラヤンにはチャイコフスキー交響曲録音CD種類が多くこの第4番を手元資料からピックアップしますと1953年PHO(タイム@18’57A10’10B5’55C8’54)、1954年同じくPHO(同@19’15A10’18B5’59C8’59)、1954年VSO(ライブ)、1960年BPO(1958年?同@19’10A9’02B5’40C8’54)、本盤1966年BPO(同@18’45A9’02B5’45C8’24)、1971年BPO(同@18’50A10’01B5’21C8’26)、1976年BPO(同@18’54A9’08B5’46C8’34)、1984年VPO(同@18’38A10’07B5’43C8’40)等々です。1950年代のモノラル録音盤はさておき、1966年カラヤン58歳の頃の本演奏は軸足が定まったこの曲の彼の原点とまで思われ私を支配して止みません・・・私の年代ではどうしてもこの時代の収録盤が印象に残り「三つ子の魂百まで」ではないですが以降回数を重ねた録音は二番煎じの先入観が入ってしまい申し訳ない感じです(多分BPOとの後続盤も演奏基本姿勢は大きくは異なってはいないと思います)。全体勿論ロシア的ではなくドイツ風でBPOとのコンビ録音の駆け出し印象が好ましいですね。第1楽章「運命の動機」?主旋律をやや滑らかに提示しながら最後のクライマックスでの見え切りと断定的な畳み込み、第2楽章のエンドの各楽器のミックスチュア具合、終楽章の「生きる希望」を表す為の突き進む迫力・・平凡な感想ですがカラヤンとて若いっていいですねぇ。併録のイタリア奇想曲(タイム16’54)も実に聴かせ処を押えたカラヤンならではのアプローチで楽しく聴けました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/12/21
私の聴いているピノックのヘンデル「水上の音楽」は1983年、ピノックが37歳の頃に録音した古楽器使用の演奏で(演奏タイム・・・HWV348→9曲30’46,HWV349・350→10曲23’00)当初から比較的メジャーな盤で私も早くから手に入れて繰り返し聴いておりました(申し訳ないですがHMVレビューにメモされている「水上の音楽」曲内容とのマッチングはしておりません)。それ以前はオリジナルDG(ARHIV)のヴェッチンガー盤なりそれこそパイヤール少し遅れてミュンヒンガーに接して一方セルのようなフルオケ物で視野?を拡げました。本盤演奏は最初聴いた時無理な運びをせず自然な息遣いを大切にした演奏を繰り広げ且つメリハリのついた爽やかさが残る印象があり今もそれは私の中では変わらないようです。併録のフランス風序曲に5つの楽章が緩急交代しながら続く組曲形式となっているオペラ「忠実な羊飼い」HWV.8a「序曲」(1985年録音、タイム6曲23’10)は残念ながら私は聴いておりませんが「水上の音楽」に花を持たせて「素晴らしい」ランクとします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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