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Review List of つよしくん 

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  • 1 people agree with this review
     2011/05/14

    コダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」は名曲中の名曲であるが、最近では殆ど目ぼしい新録音が行われていないと言えるのではないだろうか。私も本盤の演奏を鑑賞するに先立って、CD棚を整理してみることにした。それを古い録音から並べて見ると、コダーイ&ブダペスト・フィル(自作自演盤)(1961年)、フリッチャイ&ベルリン放送響(1961年)、ケルテス&ロンドン響(1964年)、セル&クリーヴランド管(1969年)、オーマンディ&フィラデルフィア管(1973年)、ドラティ&フィルハーモニア・フンガリカ(1973年)、テンシュテット&ロンドン・フィル(1983年)、ショルティ&シカゴ響(1993年)、デュトワ&モントリオール響(1994年)、フィッシャー&ブダペスト祝祭管(1998年)となる。これ以外にもあるのかもしれないが、少なくとも私が知る限りにおいては、フィッシャー盤以降10年以上も著名な指揮者による新録音がなされていないことになる。実際のところ、最近発売された音楽之友社の「名曲名盤300選」をひも解いても、1993年のショルティ盤以降の推薦盤は皆無であることから、仮にあったとしてもめぼしい演奏はないと言ってもいいのではないだろうか(ペンタトーンレーベルから昨年フォスター盤が発売されたようであるが未聴。)。もっとも、前述に掲げた演奏はいずれも名演だ。ハンガリー系の指揮者が多いのは当然であり、それぞれに個性的な演奏ではあるが、基本的な性格としてはハンガリーの民族色豊かな演奏と言える。テンシュテットとデュトワの演奏が異彩を放っていると言えるが、デュトワは洗練の極みとも言うべき精緻な演奏、テンシュテットは細部にまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏と言えるだろう。これらの演奏を踏まえた上での本盤のラインスドルフによる演奏であるが、これは徹底して即物的なアプローチと言えるのではないだろうか。ハンガリーの民族色には目もくれず、むしろドイツの交響曲に接する時のような堅固な造型美や重厚さが支配していると言える。ある意味ではドライな表現とも言えるが、それでいて素っ気なささえ感じさせる各フレーズの端々から独特の情感が滲み出しており、決して血も涙もない演奏には陥っていないことに留意しておく必要があるだろう。いずれにしても本演奏は、ドイツ風の重厚なアプローチによる稀有の名演と高く評価したい。併録のハンガリー民謡「孔雀」による変奏曲も、組曲「ハーリ・ヤーノシュ」と同様の即物的なアプローチによる重厚な名演だ。ボストン交響楽団も、ラインスドルフの統率の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。そして本盤がさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音である。今から50年近く前の録音ではあるが、最新録音に限りなく近いような鮮明な音質に生まれ変わっていると言える。いずれにしても、ラインスドルフによる至高の名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/05/14

    プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。今回は第5番であるが、第1弾の第4番に勝るとも劣らない素晴らしい名演と高く評価したい。プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第5番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開していると言える。かかるアプローチは第4番においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であると言えるのではないだろうか。本演奏においても、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行く。ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避け、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう(とりわけ、第2楽章のホルンソロは美しさの極みである。)。もっとも、各楽章に現れる運命の主題の巧みな描き分け(例えば第2楽章中間部では微妙なアッチェレランドを施している。)、終楽章の中間部のあたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定の巧妙さ、そして第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、第4番と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したいと考える。第4番でのレビューでも記したが、残る第1番、第2番、第3番、第6番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。併録の幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えた稀有の名演と高く評価したい。録音は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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  • 5 people agree with this review
     2011/05/14

    かつては音楽学者の研究対象に過ぎなかったブルックナーの交響曲の初稿が、近年では立派な芸術作品としての地位を獲得しつつある。それはインバルが1980年代後半にフランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音した、原則として初稿を使用した初のブルックナー交響曲全集が起爆剤になったからであり、その後はティントナーやケント・ナガノなどによる優れた名演が数多く生み出されるようになってきているところだ。シモーネ・ヤングも、そのような初稿を尊重する指揮者の一人であり、これまで第2、第3、第4及び第8を録音しているが、いずれも素晴らしい名演に仕上がっていると言える。そして、シモーネ・ヤングは今般第1に挑戦することになったが、これまた素晴らしい名演と高く評価したい。使用楽譜はもちろん初稿であるが、本演奏ではキャラガン校訂による初稿を使用している。第1の演奏においては、近年ではブルックナーが最晩年の1891年に大幅な改訂を行ったウィーン稿を使用するのが一般的であり、1877年に改訂を行ったリンツ稿を使用するのは稀になりつつあるが、シモーネ・ヤングによるキャラガン校訂版の使用は、リンツ稿よりも更に遡った同曲の原型を追及しようというものであり、ティントナー以外には同版の使用例が見られないことからしても極めて貴重なものと言える。そして、版の問題だけでなく演奏内容も素晴らしい。シモーネ・ヤングのアプローチは、女流指揮者離れした悠揚迫らぬテンポ設定による堂々たるものだ。各楽器を力の限り強奏させている(とりわけ第1楽章及び終楽章の終結部は壮絶なド迫力)が、いささかも無機的に陥ることがなく、そして情感の豊かさを失わないのが素晴らしい。全体の造型は堅固であるが、スケールは雄大であり、音楽全体の構えが大きいのが見事であると言える。また、第2楽章など緩徐的箇所における抒情的な美しさは、あたかも聖フローリアンを吹く一陣の風のような趣きがあり、これは女流指揮者シモーネ・ヤングの真骨頂と言えるだろう。いずれにしても本演奏は、ブルックナーの交響曲を鑑賞する醍醐味を全て兼ね備えていると言えるところであり、キャラガン校訂版を使用した第1としては、史上最高の名演と評価しても過言ではあるまい。さらに本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。かかる臨場感溢れる高音質録音は、本名演の価値を更にグレード・アップすることに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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     2011/05/14

    本盤におさめられているのは、カルミニョーラが、同じイタリア人の大指揮者アバドと組んでスタジオ録音を行ったモーツァルトのヴァイオリンのための協奏曲全集からの有名な楽曲の抜粋である。いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。本演奏の特徴を一言で言えば、ソロ奏者、指揮者、オーケストラの全員が実に楽しげに音楽を奏でているということではないかと考えられる。カルミニョーラのヴァイオリンは、モーツァルトの若い時代の作品であるということもあってもともと卓越した技量を要するような楽曲ではないという側面もあるが、自らの技量をいささかも誇示することなく、あたかも南国イタリアの燦々と降り注ぐ陽光のような明瞭で伸びやかな演奏を披露してくれているのが素晴らしい。若手の才能ある演奏家で構成されているモーツァルト管弦楽団も、いわゆる古楽器奏法を駆使した演奏ではあるがいささかも薄味には陥っておらず、フレッシュな息吹を感じさせるような躍動感溢れる名演奏を展開しており、演奏全体に清新さを与えるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督退任の少し前に大病を患ったが、大病克服後は音楽に深みと鋭さを増すことになり、現代を代表する大指揮者と言える偉大な存在であると言えるが、本演奏においては、親交あるカルミニューラやヴィオラのヴァスキエヴィチ、そしてモーツァルト管弦楽団などの若い音楽家たちを温かく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事であると言える。録音については、今から4年足らず前の録音であり従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、今般のSHM−CD化によって若干ではあるが音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように感じられるところだ。このような新鮮味溢れる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/05/14

    カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は一般的に1960年代及び1970年代と言われている。この当時の弦楽合奏は鉄壁のアンサンブルと独特の厚みがあり、いわゆるカラヤンサウンドの基盤を形成するものであったと言える。しかしながら、蜜月状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルも、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によって大きな亀裂が入り、その後は修復不可能にまで両者の関係が拗れてしまったところである。本盤におさめられた演奏は、アイネ・クライネ・ナハトムジークが全盛時代末期のもの、ディヴェルティメント第15番が両者の関係が最悪の時期のものと言えるが、演奏を聴く限りにおいては、両演奏ともにそのような事件の影響を何ら感じさせないような、いわゆるカラヤンサウンド満載の演奏と言える。一糸乱れぬアンサンブルを駆使した重量感溢れる分厚い弦楽合奏は圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、カラヤンは、このような重厚な弦楽合奏に流れるようなレガートを施すことによって、曲想を徹底して美しく磨き抜いている。これによって、おそらくは両曲演奏史上最も重厚にして美しい演奏に仕上がっていると言える。古楽器奏法やピリオド楽器の使用が主流となりつつある今日においては、このようなカラヤンによる重厚な演奏を時代遅れとして批判することは容易である。しかしながら、ネット配信の隆盛によって新譜CDが激減し、クラシック音楽界に不況の嵐が吹き荒れている今日においては、カラヤンのような世紀の大巨匠が、特にディヴェルティメントのようなモーツァルトとしては一流の芸術作品とは必ずしも言い難い軽快な曲を、ベルリン・フィルの重量感溢れる弦楽合奏を使って大真面目に演奏をしていたという、クラシック音楽界のいわゆる古き良き時代(それを批判する意見があるのも十分に承知しているが)が少々懐かしく思われるのもまた事実であり、このような演奏を聴くとあたかも故郷に帰省した時のようにほっとした気持ちになるというのも事実なのだ。このように賛否両論はある演奏であると言えるが、私としては、両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。本演奏は、従来盤でも十分に満足できる高音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって、音質はさらに鮮明になるとともに音場が幅広くなったように思われる。カラヤンによる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 10 people agree with this review
     2011/05/13

    ジンマンが手兵トーンハレ管弦楽団を指揮して、2006年から2010年という短期間で成し遂げたマーラーの交響曲全集がついにボックス化される運びとなった。本全集で何よりも素晴らしいのは、すべての交響曲がマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる極上の高音質であるという点であろう。SACDによるマーラーの交響曲全集というのは、既に完成されているものとしては、他にバーンスタイン(第1回)やティルソン・トーマスによる全集しかないという極めて希少であると言えるだけに、本全集の価値はその点だけをとってみても、極めて高いものと言わざるを得ない。演奏自体も実に素晴らしいと言える。ジンマンのアプローチは、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ある意味ではオーソドックスなものと言えるだろう。もっとも、ジンマンの場合は、各楽器の鳴らし方に特徴的なものがあり、透明感溢れるクリアさが全体を支配しているとさえ言える。これは、ジンマンが成し遂げた古楽器奏法によるベートーヴェンの交響曲全集にも通底するものと言えるところであり、マーラーによる複雑なオーケストレーションをこれほどまでに丁寧かつ明瞭に解きほぐした演奏は、レントゲンで写真を撮るかの如き精密さを誇るかのブーレーズの精緻な演奏にも比肩し得るものであるとも考えられる。それでいて、演奏が冷徹なものになることはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのがジンマンのマーラーの素晴らしいところであり、これはジンマンの優れた音楽性の賜物と言っても過言ではあるまい。ジンマンの統率の下、トーンハレ管弦楽団も持ち前の卓越した技量を発揮して最高のパフォーマンスを発揮している点も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。本全集で残念なのは、交響曲「大地の歌」や主要な歌曲集が含まれていないことであるが、その一方で、第1番には「花の章」を付加したり、第10番についてはアダージョのみではなく、一般的なクック版に代わってクリントン・カーペンター補筆完成版を使用した全曲演奏を行っており、収録曲については一長一短と言うところではないかと考える。また、本全集の大きなアドバンテージは、7190円というとても考えられないような廉価であるということである。まもなく発売されるティルソン・トーマスのSACDによる全集が20790円であることに鑑みれば、本全集の価格がいかに廉価であるかが理解できるところだ。いずれにしても本全集は、演奏内容の素晴らしさと臨場感溢れる鮮明な高音質、そして低価格であることを考慮すれば、現時点では最も安心してお薦めできる名全集と高く評価したい。

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  • 8 people agree with this review
     2011/05/13

    カラヤンはR・シュトラウスの音楽を十八番としており、管弦楽曲や協奏曲、管弦楽伴奏付き歌曲、オペラに至るまで数多くの録音を遺している。特に、交響詩については、初期の「マクベス」を除き、それぞれ複数の録音を行っている。ところが、これらの交響詩の集大成として作曲されたアルプス交響曲をレパートリーに加えたのは、本盤が録音された1980年になってからである。家庭交響曲を1973年に録音していることからしても、これは実に遅すぎたのではないかとも言える。その理由の解明はさておき、本カラヤン盤が登場する以前は、アルプス交響曲の録音などは極めて少なかったと言わざるを得ない。ベーム&ドレスデン国立管(1957年)はモノラルであり問題外。質実剛健なケンぺ&ドレスデン国立管(1970年)が唯一の代表盤という存在であったと言える。この他にはスペクタクルなメータ&ロサンジェルス・フィル盤(1975年)や快速のテンポによるショルティ&バイエルン放送響盤(1979年)があったが、とても決定盤足り得る演奏ではなかったと言える。そうしたアルプス交響曲を、現在における一大人気交響曲の地位に押し上げていくのに貢献した演奏こそが、本盤のカラヤンによる至高の超名演であると言える。本カラヤン盤の発売以降は、様々な指揮者によって多種多様な演奏が行われるようになり、現在では、R・シュトラウスの他の有名交響詩の人気をも凌ぐ存在になっているのは周知の事実である。いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマと言えるだろう。本演奏の2年後には、ザビーネ・マイヤー事件をきっかけとして両者の関係が修復不可能にまで悪化したことから、ある意味では、この黄金コンビの最後の輝きとも言える存在なのかもしれない。本演奏でのベルリン・フィルのアンサンブルの鉄壁さはあたかも精密機械のようであり、金管楽器や木管楽器の超絶的な技量には唖然とするばかりだ。肉厚の弦楽合奏や重量感溢れるティンパニの響きは圧巻の迫力を誇っており、カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調そのものだ。アルプス交響曲については、前述のように本カラヤン盤の登場以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が成し遂げられるようになったが、現在においてもなお、本演奏は、いかなる名演にも冠絶する至高の超名演の座を譲っていないものと考える。音質については、従来盤でも非常に鮮明な高音質を誇っていたが、今回のSHM−CD化によって、若干の音質向上効果が見られたのではないかと考えられる。可能ならば、SACD化を望みたいところであるが、多少なりとも音質向上が図られたことについては高く評価したい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/05/12

    モーツァルトの交響曲第40番&第41番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1959〜1960年)(特に、第40番についてはワルター&ウィーン・フィル(1952年))、ベーム&ベルリン・フィル(1961〜1962年)、クーベリック&バイエルン放送響(1980年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。これらの名演と比較すると、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除きこれまで殆ど注目されることがないと言っても過言ではあるまい。確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくもないと言える。むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。正にクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、このような演奏の彫の深さと言った面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。録音は今から50年ほど前の録音であるが、従来盤でも比較的満足できる音質であったと言える。このような中で今般のHQCD化により、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところだ。もっとも、クレンペラーによる名演でもあり、今後SACD化をするなど更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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  • 20 people agree with this review
     2011/05/11

    近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る第8の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。本盤には当該全集のほか、咽頭がん発症後の数少ないコンサートの記録である第5、第6及び第7のライヴ録音がおさめられているが、これらもまたテンシュテットの遺した偉大な遺産であると言えるであろう。テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施していると言える。かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない。)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。いずれにしても、本盤におさめられた演奏はいずれも圧倒的な超名演であり、楽曲による当たり外れがないと言えるが、とりわけ咽頭がん発症後のライヴ録音である第5〜第7については、死と隣り合わせの正に命がけの渾身の超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。オーケストラはいずれも必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。マーラーの交響曲全集はあまた存在しており、その中ではバーンスタインによる3つのオーケストラを振り分けた最後の全集(1966〜1990年)が随一の名全集と言えるが、聴き手に深い感動を与えるという意味において当該バーンスタインの全集に肉薄し得るのは、本盤のテンシュテットによる全集であると考える。それにしては、本盤の価格は異常な廉価と言えるのではないか。テンシュテットによるマーラーの交響曲全集がはじめて発売されたのは確か1987年頃であり、私も学生時代にアルバイトで稼いだ金で購入したが、その価格は何と37500円であった。しかも、当該全集には、テンシュテット自身が演奏の出来に満足していないということで、交響曲「大地の歌」が含まれていなかった。ましてや、その後に録音されたライヴ録音の第5〜第7は当然のことながら含まれておらず、それらの演奏をすべて網羅した本全集の価格が3080円というのはとてつもない廉価であると言える。同じくEMIにライヴ録音したシカゴ交響楽団との第1(1990年)が含まれていないのが残念ではあるが、演奏の素晴らしさと低価格を考えると文句は言えまい。いずれにしても、本盤は、最高の演奏内容のマーラーの交響曲全集をできるだけ安い価格で購入したいというクラシック音楽ファンには第一に推薦したい至高の名全集と高く評価したい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/05/11

    全盛期のリヒテルのピアノ演奏の凄さを味わうことができる一枚だ。リヒテルのピアノは、何と言ってもそのスケールの雄大さが際立っていると言える。グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカプリングしたCDは数多く存在しているが、演奏のスケールの大きさにおいては本演奏は随一と言えるだろう。かかるスケールの大きさはあたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどだ。このような音楽の構えの大きさは、詩情の豊かさが勝負のシューマンのピアノ協奏曲においては若干の違和感を感じさせなくもないが、グリーグのピアノ協奏曲においては見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。また、その卓越した技量も特筆すべきものがあり、両演奏ともに強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで桁外れの表現力の幅の広さを披露している。各曲のトゥッティに向けての畳み掛けていくような気迫にも渾身の生命力が漲っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であると言える。こうした極大なスケールのリヒテルの力強いピアニズムに対して、マタチッチの指揮も一歩も引けを取っていない。その巨体を生かしたかのような悠揚迫らぬ重厚な音楽は、リヒテルのピアノを効果的に下支えするとともに、スケールの雄大な本演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。オーケストラは二流のモンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団であるが、ここではマタチッチの確かな統率の下、実力以上の名演奏を展開していると言える。いずれにしても、両演奏ともに素晴らしい名演であり、とりわけグリーグのピアノ協奏曲については、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。録音については、従来盤が今一つ冴えない音質であったが、HQCD化によってある程度は満足できる音質になるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなった。もっとも、抜本的な音質改善が図られたというわけではないので、リヒテル&マタチッチによる至高の超名演であることも考慮して、今後はSACD化を行うなど更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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  • 7 people agree with this review
     2011/05/10

    レスピーギのローマ三部作は、様々な指揮者によって数多くの名演が成し遂げられてきている人気作であるが、現在においてもなお、トスカニーニ&NBC交響楽団による超名演を凌駕する演奏はあらわれていないと言えるのではないだろうか。1949〜1953年にかけてのモノラル録音という音質面でのハンディもあるのだが、数年前にXRCD化されたことによって、ますます決定盤としての地位を不動のものとしつつあると言える。したがって、他の指揮者は、必然的にナンバー2の地位を争うということにならざるを得ないが、このナンバー2の地位にある演奏こそは、本盤におさめられたムーティによる名演であると考える。ローマ三部作は、レスピーギならではの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを誇るとともに、祖国イタリアの首都であるローマへの深い愛着と郷愁に満ち溢れた名作である。したがって、イタリア人指揮者にとっては特にかけがえのない作品とも言えるところであるが、必ずしもすべての指揮者が同曲を演奏しているわけではない。ジュリーニ、アバド、シャイーなどと言った大指揮者が同曲を全く演奏していないのは実に意外な気がするところだ。これに対して、ムーティ、シノーポリ、そして若手のパッパーノなどが同曲を演奏しており、いずれも名演の名に値すると言えるが、やはり一日の長があるのは年功から言ってもムーティと言うことになる。ムーティは、手兵フィラデルフィア管弦楽団を巧みにドライブして、実に華麗で躍動感溢れる演奏を展開している。トゥッティに向けて畳み掛けていくようなアグレッシブな力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、抒情的な箇所における情感の豊かさは、レスピーギのローマに対する深い愛着の念を表現し得て妙だ。また、フィラデルフィア管弦楽団による好パフォーマンスも本名演に大きく貢献していることを忘れてはならないだろう。フィラデルフィア管弦楽団は、かつてオーマンディとローマ三部作の名演を成し遂げている(1975年)が、本演奏でもその卓越した技量と色彩感豊かな音色は健在であると言える。本盤は、これまでゴールドCD化やリマスタリングなどを繰り返してきたが、現在のところは、数年前に発売されたHQCD盤がベストの音質と言えるだろう。もっとも、現在では当該HQCD盤は入手難であるが、トスカニーニ盤に次ぐ名演であることもあり、HQCD盤の再発売か、可能であればSACD化を強く望みたいと考える。

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     2011/05/09

    ベートーヴェンの三重協奏曲はベートーヴェンが作曲した労作であり、一部の評論家が指摘しているような駄作とは思わないが、それでもピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲などと比較するといささか魅力に乏しいと言わざるを得ないのではないだろうか。もちろん、親しみやすい旋律などにも事欠かないと言えなくもないが、よほどの指揮者やソリストが揃わないと同曲の真価を聴き手に知らしめるのは困難と言えるだろう。したがって、本演奏の関心は、もっぱら演奏者とその演奏内容の方に注がれることになる。カラヤンとロシアの偉大な3人のソリストという超豪華な布陣は、ネット配信の隆盛などによりクラシック音楽界が不況下にある現代においては望むべくもない、夢のような共演と言えるだろう。ましてやオーケストラが世界最高のベルリン・フィルであり、三重協奏曲のような楽曲ではもったいないような究極の布陣とも言える。そして、本演奏が凄いのは(裏方では微妙な意見の食い違いがあったようであるが、我々は遺された録音を聴くのみである。)、4巨匠とベルリン・フィルがその能力を最大限に発揮しているところであろう。カラヤン&ベルリン・フィルは、この黄金コンビの全盛時代ならではのオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っているし、ロストロポーヴィチの渾身のチェロ演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言える。オイストラフのヴァイオリンも、ロストロポーヴィチのチェロに引けを取らないような凄みのある演奏を展開しているし、リヒテルのピアノも、本名演の縁の下の力持ちとして、重心の低い堂々たるピアニズムを展開していると言える。いずれにしても、凄い演奏であるし超名演に値すると言える。そして、このような凄い超名演を持ってして漸くこの三重協奏曲の魅力が聴き手に伝えられたというのが正直なところであり、その意味では、本演奏こそが同曲の唯一無二の名演と言えるのかもしれない。もっとも、本演奏は狭い土俵の上で、天下の大横綱が5人いてお互いに相撲をとっているようなイメージとも言えるところであり、このような5人の大横綱には、もう少し広い土俵で相撲をとって欲しかったというのが正直なところだ(と言っても、広い土俵たり得る三重協奏曲に変わる作品は存在しないが)。他方、ブラームスの二重協奏曲は最晩年の名作であり、ベートーヴェンとは異なる魅力作である。全盛期のロストロポーヴィチとオイストラフによる火花が散るような渾身の演奏は我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っているし、最晩年になって鉄壁のアンサンブルに人間味溢れる温かみが加わったセル&クリーヴランド管弦楽団による入魂の名演奏も素晴らしい。本演奏こそは、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい(もちろん、三重協奏曲も同曲演奏史上最高の超名演である。)。録音は、従来盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、HQCD化によってかなり音質の改善がなされたように思われる。したがって、当面はHQCD盤で満足できると思うが、歴史的な超名演であり、可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望みたい。

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     2011/05/08

    ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言うと、同曲を何度も録音したロストロポーヴィチによる演奏がいの一番に念頭に浮かぶ。遺された録音はいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ演奏(1968年)は、指揮者とチェリストががっぷり四つに組んだ絢爛豪華な超名演として、現在においても同曲演奏史上最高の名演としての地位を譲っていないと考えている。このように、ロストロポーヴィチによる数々の名演の印象があまりにも強い同曲であるが、録音がやや冴えないという難点はあるものの、演奏内容だけをとれば、デュ・プレによる本演奏は、前述のロストロポーヴィチによる1968年盤にも十分に対抗し得るだけの名演と評価できるのではないだろうか。それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きいと言える。本演奏は1970年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取りつかれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせるとも言えるだろう。いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は私だけではあるまい。かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとシカゴ交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。録音は、従来盤があまり冴えない音質で大いに問題があったが、数年前にHQCD化されたことによって、格段に音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言える。もっとも、デュ・プレによる歴史的な超名演でもあり、今後はSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/05/08

    本盤には、リヒテルによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番がおさめられている。このうち、ラフマニノフについては、初CD化の際には、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とのカプリングであったと記憶している。というのも、バックが同じヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルであるからであり、協奏曲の演奏はピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラがあってこそ成り立つことに鑑みれば、いくら人気曲どうしのカプリングとは言え、本盤のようなカプリングについては若干の疑問を感じざるを得ないことを冒頭に付記しておきたい。演奏については、何と言ってもラフマニノフがダントツの超名演だ。今から50年以上も前の録音ではあるが、現在でも同曲演奏史上最高峰の名演の地位を譲っていないのは驚異的ですらある。本演奏では、とにかくリヒテルのピアノが素晴らしい。同曲はロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律に彩られた楽曲であるが、リヒテルは豊かな情感を湛えつつ、いささかも哀嘆調には陥らず常に格調の高い演奏を繰り広げていると言える。超絶的な技量は当然のことであるが、強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで表現力の幅は桁外れに広い。スケールも極めて雄大であり、その巨木のような雄渾さはあたかも悠久の大地ロシアを思わせるほどだ。ヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルの演奏も、いささかも華美に走らない飾り気のない演奏を展開しているが、その質実剛健とも言うべき名演奏は、リヒテルの素晴らしいピアノを引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。他方、チャイコフスキーについては、ラフマニノフのように同曲演奏史上最高の名演とまでは言い難いが、それでも名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。指揮はカラヤンであり、オーケストラはウィーン交響楽団。ベルリン・フィルではないのは残念であるが、これは契約の関係で致し方がなかったのかもしれない。いずれにしても、これは典型的な競争曲になっていると言える。リヒテルとカラヤンというとてつもない大物芸術家どうしが火花を散らし合う演奏。絢爛豪華なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だけに、実にスリリングで面白く聴くことが可能であると言える。カラヤンは、本盤のリヒテルのほか、ワイセンベルク、ベルマン、キーシンとともに同曲を録音しているが、ピアニストと対等な立場でいわゆる協奏曲の醍醐味とも評価し得る競争的な演奏を繰り広げたのは本演奏だけであったと言えるだろう。録音は、従来盤ではチャイコフスキーは比較的満足できる音質であったが、ラフマニノフはやや不満が残る音質であった。その後、SHM−CD盤が発売された際には、ラフマニノフもかなり音質改善がなされ、比較的満足できる音質になった。しかしながら、現在ではSHM−CD盤は入手難である。とりわけ、ラフマニノフについては同曲演奏史上最高の名演であり、今後SHM−CD盤の再発売、更には、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売など、更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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     2011/05/08

    グラズノフは、チャイコフスキーやロシア5人組などの帝政ロシア時代末期に活躍した大作曲家と、プロコフィエフやラフマニノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどの旧ソヴィエト連邦時代に活躍した大作曲家(ラフマニノフやストラヴィンスキーは国外での活躍が中心であるが)の間に挟まれた、いわゆる狭間の世代の作曲家である。これら前後の世代の作曲家の活躍があまりにも華やかであったこともあり、グラズノフは比較的目立たない存在に甘んじていると言わざるを得ない。前述の旧ソヴィエト連邦時代に活躍した作曲家に絶大なる影響力を誇ったことを考えると、大変嘆かわしい状況に置かれていると言えるのではないだろうか。グラズノフの楽曲は、チャイコフスキーやラフマニノフほどではないものの、その旋律は、メランコリックなロシア風の抒情に満ち溢れており、内容も多彩な変化に富んでいるなど、聴き応えがあり大変魅力的であると言える。交響曲は全部で8作存在しているが、いずれも親しみやすい名作揃いである。全集を録音した指揮者は、これまでのところネーメ・ヤルヴィや尾高忠明、セレブリエールなどを除くと基本的にロシア系の指揮者に限られているのが、前述のような現在におけるグラズノフのいささか残念な認知のされ方を表しているとも言える。フェドセーエフは、本盤以外にもグラズノフの交響曲全集をスタジオ録音(1976〜1979年)しているので、本盤はスタジオ録音とほぼ同時期にライブ録音された2つ目の全集ということになる。スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキーなどの先輩指揮者の演奏は、ロシア風の民族色を全面に打ち出したアプローチを行っているのが特色であると言えたが、フェドセーエフのアプローチは、スタジオ録音でもそうであったように、より純音楽的なものであると言える。本盤のライブ録音の方が、スタジオ録音よりもより情感に満ち溢れた熱い演奏になっているように思うが、基本的なアプローチは何ら変わっていないと思われる。もちろん、純音楽的とは言ってもスヴェトラーノフなどのあくの強い演奏との比較の話であり、グラズノフの交響曲が含有するメランコリックなロシア風の抒情の表現においても、いささかの不足はない。モスクワ放送交響楽団も、フェドセーエフの指揮の下、ライブ録音とは言えないような卓越した技量をベースとした素晴らしい演奏を披露しており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献をしている点を忘れてはならない。録音も比較的良好であり、文句のつけようがないレベルに達していると言える。

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