報道写真家 ジブ・コーレン インタビュー 3
Thursday, June 26th 2008
『1000の言葉よりも 報道写真家 ジブ・コーレン』 公開記念!
ジブ・コーレンインタビュー
2008年6月14日(土)より、東京都写真美術館ほか、全国順次ロードショー!
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第1回 「"撮る"側から"撮られる"側へ」 第2回 「イスラエルの軍隊で」 第3回 「"トラウマ"を抱えて」 第4回 「カメラは、人々の意識を促すための道具」 第5回 「両足を失ったルアイについて」 第6回 「ポジティブな人間でいて下さい」 |
2008-06-19 2008-06-23 2008-06-26 2008-06-30 2008-07-03 2008-07-07
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第3回 「"トラウマ"を抱えて」
これは、どの方にも言われることだと思いますが・・・"自爆攻撃により破壊された1台のバスの写真"についてお尋ねします。
あの写真は、爆発の衝撃の威力を物語り、"報道写真家 ジブ・コーレン"の名を有名にした1枚の写真(タイム誌の表紙を飾り、後に世界中のコンクールで賞を総なめにし、イスラエルの新聞にも掲載された。死んだ自国民の写真を自国の新聞に掲載したのは、"イスラエル報道史"でも際立った出来事だった)です。
映画の中で、「未だにあの事故が起こった現場に行くことを避けてしまう」と発言されていましたが、それは現在も続いていますか?
ジブ 2つのことが、このことに絡んであるのですが・・・。 もちろん、この写真を撮ったことで、世界的な名声を得て、自分のキャリアにとって、華々しいページになったことは間違いないのですが、他方で、それは自分にとって、個人的な意味での"トラウマ"でもあります。どんな写真家でも、自分の写真が世界的に認められることを望んでいますが、この仕事を続けていく上で、わたしにとっては、あまり関係のないことです。 「避けてしまう・・・」というのは、「その情景をまた見たくないから」という、"心理的なもの"があります。それはあの場所だけではなく、エルサレムにしても、他の土地でも、テロの現場、自分の撮影した現場は、あまり通りたくないという気持ちです。それは、今でも強くあります。 ---そんな"トラウマ"まで抱えられて、撮影すること、真実を伝えることを続けられているわけですが、その写真を見た、第3者の反応はいかがですか? ジブ イスラエル国内の場合は、自分の撮った写真はすぐに公表、掲載されるので、その反応はすぐに返ってきます。例えば、イスラエルでのバスの爆破の時には、「あんな写真をよく出せるな!」「こんな写真はうんざりするから見せるな!」というような批判を非常に強く受けました。 そして、一方でそれがパレスチナ側の写真だとすると、「自分たちがそういうことを知ることができるのはいいことだ」という風に言われます。 今では、自分が経験してきたことが積み重なり、わたしの仕事に対して、みなさんが敬意を払って下さるので、人々があまり知りたくないと思うテーマに関しても、取り上げることが出来ています。
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ジブ・コーレン プロフィール |
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1992年よりイスラエルの軍隊でカメラマンとしてのキャリアをスタート。後にイェディオット・アハロノット新聞で編集委員会に加わり写真家兼フォトエディターを努める。
1994年から2002年までフランスのフォトエージェンシー「シグマ」「ガンマ」に所属。2003年からは「ポラリス・イメージズ」に所属。
1995年に撮影された、爆破されたイスラエルのバスの写真が、2000年に「ワールド・プレス・フォト・オーガニゼーション」の
"過去45年の中で最も重要な写真200"の中に選ばれた。
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