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ココパナ さんのレビュー一覧 

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     2021/04/15

    北見市と池田町を結んだ全長140kmの鉄道路線は、かつて「網走本線」の名で、札幌とオホーツク地域を結ぶ交通の主脈を担った。しかし、石北線の開通により、その座を失い、線名も池北線と改称された。1989年に石勝線が開通した際、札幌から北見に向かう線形的な優勢を回復するかに見えたが、その場合、道北の中心地旭川を通過してしまうこととなる。加えて、民営化に後のJR北海道の経営基盤は弱く、池北線の輸送能を強化することはできなかった。地域交通としての役割は残ったが、JRは廃止を検討することとなる。しかし、沿線自治体の路線継続への意志は強く、北海道の介入により1989年から「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」に名称を変え、第三セクター方式で運営が担われることとなった。とはいえ、北海道を囲む経済環境はきわめて厳しかった。1955年のガット加入から1993年ウルグアイ・ラウンドに至る農産物の自由化、1962年の原油の輸入自由化による石炭産業の衰微、1957年のニシン魚群の消滅、これらに伴って大規模な資本が継続的に倒れることで、ついに1998年、北海道の基幹金融機関であった北海道拓殖銀行が破たんした。一次産業中心の開発が行われていた北海道は、度重なる強烈な経済的打撃にたちうちできず、いくつもの集落が消滅していった。池北線沿線においても、過疎の波はとまらず、当該路線も、奮闘むなしく基金が底をついた2006年に廃止となった。北海道の場合、やはり冬の厳しい自然環境が、経営上の大きな負担となる。低温と豪雪から鉄道施設を保守することは、どうしても経費が発生する。また、北海道内の他地域でも線路の廃止が相次いだことは、交通ネットワークとしての機能性を低下させ、さらなる利用者の低下を招くと言う慢性的な負のスパイラルに陥っていた。当写真集は亀畑清隆(1959-)氏によるちほく高原鉄道の廃止までの1年間を追ったもの。構成としては、まず巻頭カラーとして16ページ32枚におよぶ春夏秋冬、そして昼夜を幅広くとらえた美しい写真が飾り、そのあと北見駅から33の駅(及びその周辺)ごとに各4ページ4枚のモノクロ写真があり、巻末に4ページからなるさよなら列車の様子のカラー写真が掲載されている。池北線は、北海道の失われた数々の鉄路の中にあっては、比較的地味な路線で、有名な景勝地も海も湖沼も見渡すわけではないが、それでも広大な大地を感じさせる風景が展開していた。また、途中、酷寒で有名な陸別町、大合併前には国内最大の面積をほこった自治体足寄町を通っていた。付近はいずれもかつては森林資源の集積でにぎわったところで、置戸、陸別、足寄からは長大な森林鉄道が、深い森にむかって敷かれていた。亀畑の写真は、鉄道や、これに携わる人々、あるいは取り囲む大自然をみごとにとらえたもの。雪景色や夜景も美しい。私はたびたびかの地を訪れているが、とても空気の澄んだところで、とくに冬の湿度の低い日など、光の屈折が少ないため、遠景もゆがみなくくっきりと見渡せるので、荘厳なほどの美しい景色が見られるところだ。そんな地域の様子がとてもよく伝わってくる。失われた駅たちの姿も、理想的な形で記録されていると思う。足寄、陸別、本別など、駅舎を一新した駅では、その後のことを考えるとやるせない気持ちにもなる。いずれも後継施設として使用されているけれど、鉄路を失った姿には寂しさを禁じ得ないから。しかし、それ以上に多く失われた駅舎たちも名残惜しい。高島駅など、その瀟洒な木造駅舎は廃止後しばらく保存されていたのだが、最近になって老朽化のため、あっさりと取り壊されてしまった。かの地を巡り歩いても、懐かしい駅舎との再会を望むことはできなくなっている。それにしても、良い写真集だ。解説が最小限にとどまっているのは、残念な気もするが、写真たちがそれ以上に雄弁に様々なことを物語ってくれていると思う。なお、最後まで沿線で路線の存続を願った陸別町は、陸別駅−分線駅間の線路を保存し、無雪期の週末などに保存列車を走らせている。私も複数回訪問し、乗車させていただいた。この取り組みが長く続き、継続的な地域おこしの範となることを願う。

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     2021/04/14

    1995年から1999年にかけてJTBキャンブックから刊行された全10冊からなる「鉄道廃線跡を歩く」は、鉄道フアンに大きな影響を与えた。私も、失われ、乗ることの叶わなくなった鉄道たちを、この書を片手に、あちこち訪ね歩いたものである。本書は、JTBキャンブックスが、新たに2007年から「私鉄の廃線跡を歩く」と題した全4冊をまとめたものの1冊で、地域ごとに鉄道研究科の寺田裕一(1960-)氏が2006年秋以降に、自ら探訪し、調査した結果を書籍の形でまとめたもの。もちろん、そのような活動範囲には制約があるため、前シリーズに比べて、いろいろ制約のあるものとなっている。まずターゲットは「1957年4月1日以降に廃止となった私鉄線」となっており、国鉄線、それと正規の旅客営業を行っていなかった森林鉄道や専用線については、すべて割愛されることとなった。また、廃線跡の探索についても、前シリーズほどの網羅性には乏しく、あくまで主要なポイント、訪問された際に確認できたものに絞られ、ハイライト的なものという印象だ。しかし、これほどの労力を費やして、「現況」を集約して伝えてくれたのだから、そのことについては、本当に頭の下がる思いである。各線の紹介は、廃線跡訪問時のもののほか、現役時の貴重な写真も交えられている。いずれも貴重なものだ。過去の写真を紹介するため、刊行時の現地踏査に関する情報量は減じてしまっているようにも思えるが、より詳細な踏査を行うには時間、労力の制約で難しかっただろうし、たとえ情報量に制約があったとしても、路線によっては貴重な情報更新が行われているほか、引き続いて地形図を引用して、線形と遺構の書き込みが行われており、ガイドブックとしての有用性は保たれている。当巻で取り上げられている「北海道・東北」の路線は以下の通り。なお、掲載順は、旅客営業を終了した順番となっている。根室拓殖鉄道/十勝鉄道/仙台鉄道/秋保電気鉄道/釧路炭鉱鉄道/天塩炭礦鉄道/宮城バス仙北鉄道/南部鉄道/北海道拓殖鉄道/寿都鉄道/磐梯急行電鉄/留萠鉄道/秋田中央交通/定山渓鉄道/松尾鉱業鉄道/雄別鉄道/雄別炭礦尺別鉄道/山形交通尾花沢線/羽幌炭礦鉄道/羽後交通横荘線/花巻電鉄/三菱鉱業美唄鉄道/三井芦別鉄道/福島臨海鉄道・江名鉄道/旭川電気軌道/羽後交通雄勝線/夕張鉄道/山形交通高畠線/庄内交通湯野浜線/同和鉱業花岡線/三菱石炭鉱業大夕張鉄道/岩手開発鉄道/小坂精練小坂鉄道/南部縦貫鉄道/弘南鉄道黒石線/下北交通大畑線/北海道ちほく高原鉄道/くりはら田園鉄道

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     2021/04/14

    20世紀初め、北海道の奥地への入殖・開拓を行うにあたり、当初、交通手段は馬のみという状況であったが、のちに軌間762mmの軽便鉄道(殖民軌道と称される)が各地に敷設されることなる。1925年5月の厚床-中標津58kmの開通を皮切りに、1946年には総延長が600kmを越え、各地の開発に貢献した。1960年代後半に入り、これらの軌道は廃止され、最後に残った茶内線が1972年5月1日に廃止された。本書は、首都圏に住み、会社務めしながら、何度も北海道を訪問しては自転車で殖民軌道の廃線跡を辿る著者による旅行記。文章は、とてもテンポが良く心地よい。説明的なものは、極力量を抑え、その一方で著者の見ているものや感じていることは簡潔によく伝わる。主体的なテイストを与えるレトリックも巧い。もちろん、文章を書く能力というのは、私もそうだけれど、ある程度社会組織に身を置く機会があれば、否が応にも身につけなくてはならないものだ。プレゼンテーションなど人にアピールすることも求められるから、大抵の人にとって「表現する」ことは、それなりに習得する能力ではある。しかし、それに加えて、味わいやユーモアを交え、読み手に悦楽を感じさせるとなると、これは作家としての能力があるということになる。著者は、本書が初めての著作ということだが、それを感じさせぬこなれた自己流の表現を使う。著者の経歴、余技には収まらぬ文章の能力、そして根底にある鉄道への愛といったものは、宮脇俊三氏を彷彿とさせる。著者が若いころから、殖民軌道に特別な気持ちを寄せていたことは、本書の全体からじわじわと伝わるのだけれど、彼はそれをくどくどと説明することはしない。登山家ジョージ・マロリーの「そこに山があるから」の言葉の通り、「趣味世界における説明することの無意味さ」を文学的に体現する。私はそれが良いと思う。人によっては、なぜそれほど惹かれるのか教えてほしい、と感じるかもしれない。けれども、説明することが、無理解と誤解を増長させるだけになることはよくある。「理解しがたいもの(人)」の場合、特にそうだ。しかし、本書を読めば、理由は分からなくとも、そこに喜びを感じるという氏の気持ちは、よく伝わる。そういう風になっている。さらに面白いのは、ときどき天気だとか、その他の理由で何かうまく進まない事態に直面したとき、ふと「自分は何をやっているんだか」といった我に返る俯瞰視点がしばしば顔をのぞかせるところである。これも、私たちのような趣味の人間には、ときどき心に舞来るもので、その正体が自分の本心なのか、それとも社会への従属のため教育とかによって埋め込まれたものなのか、よくわからない。けれど、そんな瞬間が過ぎたら、私たちは、すぐ趣味の世界に戻る。なぜか?・・「わかりません」。わからないから素晴らしい、と思いましょう。私は、ヘンリー・ソローのことばを思い出す。「人は自分自身の幸せの考案者である」。ところで、最初にちょっと紹介したけれど、殖民軌道の歴史などについてまとめた資料はきわめて乏しい。運よく町史などに編算されるものもあるが、その記述内容はごく一面的なものに限られている。旧地形図を見ることで、せめてその線形を知ることはできるが、地形図にさえ記載されなかったものもある。その姿をそれと分かる形で伝えるものは極めて限られている。しかし、著者は現地での人との触れあいから、様々な貴重な情報を引き出していく。例えば日高地方にあった貫気別の殖民軌道、これは他のどの鉄道線とも接続していないという点で、きわめてユニークな存在なのであるが、現在まで、その軌道がどこを通っていたのか、明確に示す資料は存在しない。しかし著者は様々な情報を交え、廃線跡を見出し、本書では地勢図に書き込む形でその線形を甦らせてくれている。これ自体が貴重なものに違いない。著者の淡々とした文章は、時として北海道の厳しい現状をも示す。あとがきに以下のことが記されている。「(本書執筆の過程で)弟子屈で泊まったホテル慶楽荘や養老牛温泉の花山荘は、もう旅館は閉鎖されていることも知り、北海道の厳しさをあらためて知らされることにもなりました。今日や昨日の経済混乱にかかわらない、北海道であるがゆえの特別な厳しさをつくづく思います。実際に北海道の山間や海辺の、あるいは平原のなかの集落を回っていると、明治以来の、その時々の生産力強化政策のもとに、多くのお金と多くのひとびとの労苦・犠牲を注ぎこんできり拓いてきた北の大地が、いまはもう見切りをつけられて、ひょっとすると蝦夷地だった昔に戻ってゆくのか、との恐怖感にとらわれそうになったりすらします。これは私もよく思うこと。北海道はかつて「国外地」であった。少なくとも江戸幕府のころは、現在の八雲町の山越に関所を設け、「ここより北は幕府の管轄外地」としていたのである。その後、明治期の入植から、先人たちの想像を絶する苦労の末に切り開かれた土地が、わずか百数十年を経て、各地で荒廃し、次々と元の山野に戻ろうとしている。何年かぶりで同じ場所を訪問すると、宿がなくなっている、駅がなくなっている、店がなくなっている。それだけでなく、集落がなくなり、生活基盤そのものが根こそぎ失われている。北海道という土地自体が、ごく一部の例外を除いて、見捨てられ打ち捨てられていく。莫大な労苦により、その地を切り拓いた人たち、その土地を守ってきた人たちが、時代の変遷と統治者の都合で、あっさりと捨てられようとしている。その残酷な現場の数々を目にする。本書を読んで、自分が愛する北海道が、それでもぎりぎりその姿を保つのは、あと何年のことだろうと、ふと思う。まるで、廃線跡や廃墟を探訪していて、急に「我に返る」みたいに。しかし、そうは言っても、その残り香を可能な限り楽しみたいと思う。それと、著者には、ぜひとも続編の執筆をお願いしたい。

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     2021/04/14

    冬の夜。しんしんと音もなく雪が降っている。人の気配はない。ぼうっと見える木々のシルエットは鉄道林だ。そのふもとを一本の線路が通っていて、小さなホームがある。夜明けを待つホーム。そこには電灯がともっていて、あたりをほのかにオレンジ色が照らし、雪が反射する青白い光との間に、淡い境界線を描いている。まるでおとぎ話のような一枚の写真。当写真集の27ページにあるその写真は、1973年12月20日に宗谷線の東六線駅で撮影されたものだ。私はこの写真を見た瞬間、魂を掴まれたような気持になった。幻想的、と表現すればいいだろうか。以来、私はこんな風景と出会うことが、私にとっての「旅」である、と感じ、そんな感動を探すようになった。本写真集は以下の4章構成になっている。第1章「永遠の蒸気機関車たち」 第2章「蒸気機関車を追って (驀進 狩勝峠 夢幻 昭和34年北海道)」 第3章「僕と鉄道 (僕とローカル線 レールとともに 動止 我が友4-4-0)」 第4章「鉄道のくに(国鉄 私鉄特急 新幹線 蒸気機関車再び)」。このうち第2章は広田氏の写真集「昭和三十四年二月北海道」の捕逸編といった体裁。広田氏の写真の美しさは、無類の情緒とロマンが漂う画面構成の力にある。東六線駅の写真も、少し手前に引くと、小さな待合室があることを私は知っているし、知らなくても、ネットで検索すればわかるのだ。けれども、このホームと線路の世界を抽出し、圧倒的な純度を獲得したのは、写真芸術ならではである。広田氏は、鉄道を愛する人が風景から感じる情緒を、写真に定着させる能力を持っているのだ。だから、一枚一枚の写真が、圧倒的な情感をもって、見るものに迫ってくるのである。第1章、1969年に撮影された厚岸-糸魚沢C58。チライカリベツ川の美しい湿原が車窓に展開する私も大好きなところ。そこをC58が走る失われた風景は絶品。室蘭線をすれ違う上り線と下り線のD51。石炭輸送にも力を発揮したD51が、複線区間をダイナミックに行き交う。三笠駅の9600。無煙化の波が押し寄せる中、最後までSLが活躍した幌内線。特に、幼少の私が、父に連れられて見た9600(残念ながら記憶はないのだけれど、写真が残っている)だけに感慨深い。名寄駅のC5550。C55が最後まで活躍した宗谷線。この機の最大の特徴である美しいスポーク動輪を収めた1973年12月の写真。金華-常紋間を走るD51444。私の父も蒸気機関車を撮影するため、石北線の常紋駅、金華駅はよく利用していた。そんな常紋駅は70年代のうちに廃止。残った金華駅も近く廃止になると言う。金華で乗り降りしたことのある私も寂しい。第2章、常磐線、広野-水戸間の蒸気機関車の力強い姿。根室線の旧線、狩勝峠を越える往年の名勝、狩勝-新内間の雄大な景色を行くD51。1965年の写真。熱と煙で、機関士が命がけの仕事をしたところでもある。昭和34年(1959年)の北海道訪問からは、寿都鉄道湯別駅の様子、函館線黒松内駅の馬橇、真谷地、大夕張、美流渡、角田といった石狩炭田を走る炭鉱鉄道、然別山を背景に疾走する北海道柘植鉄道の8622、根室柘植鉄道の銀竜号、厚床を起点としていた馬鉄風連線などいずれも貴重なものが紹介されている。第3章 若桜線で、鉄路を通学路として歩く生徒たち。線路を歩くことが出来た和やかな時代に思いを馳せる。大雪が去った後の大畑線正津川駅。屋根に降り積もった雪の印象的なこと。大雪の後の空の美しさは北国に住むものが味わう特権だ。名寄線、標津線といった今はなき路線たちの美しい風景。第4章 宗谷線、標津線、日高線の北海道ならではの自然を背景とした鉄道風景。特に新冠-節婦間の写真が掲載された日高線は、線路が長く海のすぐそばを走る抜群の車窓を持つ路線。3編成の気動車が出発を待つ全盛期の興部駅。名寄方面、紋別方面、雄武方面の3本だろう。このあたりは、私の父が、蒸気機関車撮影のため、何度も鉄道で訪れたところだ。倶知安付近を走るC62重連による急行「ニセコ」。夜景に思える。急行「ニセコ」が倶知安付近を、夕刻に通過するダイヤだったかどうか、私は覚えていなかったので、この写真は逆に印象的だった。国鉄の象徴であるスワロー・エンジェルのエンブレムを付けたC622も、ニセコを牽いた。宮古線田老駅付近。ネコと鉄道の風景はとてもしっくりいく。旧式の国電たちの姿。当時の車両たちは、それはそれで味があった。後藤寺線、筑前庄内-船尾で鉱業所の前を行く列車。鉱山と鉄路という往年の産業を象徴する一コマ。1980年5月、佐賀線諸富-筑後若津間を行く急行「ちくご」。佐賀線は1987年に廃止となったが、筑後川昇開橋は重要文化財としていまも姿を残している。多くの貴重な文化遺産が取り壊されてしまった北海道の現状と比べるとうらやましい。ちなみに、いま現在、国内で使用されている可動式の鉄道橋梁は、四日市市にある末広橋梁のみであり、私は、先日、三重県までその橋を見物に行きました。以上、印象的な写真を羅列的に印象をまじえてかかせていただいたが、これらはあくまでほんの一部。是非とも本書を買って、素晴らしい数々の写真を目にしていただくことをオススメします。

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     2021/04/14

    全10冊に及んだ鉄道の廃線跡を実地踏査するシリーズ本の最後を締めくくる第10巻。紀行作家である宮脇俊三の編集により刊行された当シリーズは、廃線跡探訪という趣味のジャンルを確立したものと言って良い。このシリーズは、以下のような点に特徴をまとめることができる。まず、対象に廃線のみならず、着工されながら完成しなかった「未成線」、線路の付け替えのため廃棄された「旧線」を含むこと。次いで各巻ごとに全国から対象を抽出していること。そして、廃線を記載した地形図を掲載し、実地踏査に基づいて、写真とともに主要な遺構のある個所が示されていること。付け加えるなら、網羅性の高さと、各巻末に有用で貴重なデータ集が添付されていることも特徴だ。なお、第10巻の刊行前に宮脇氏が逝去されたことをふまえ、当書巻頭が「宮脇俊三と歩いた廃線跡」という一種の追悼文に置き換わっている。この10巻で実地踏査の対象として取り上げられているのは以下の通り。鴻紋軌道 紋別-鴻之舞鉱山元山/三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道 茶志内-茶志内坑/函館本線南美唄支線 美唄-南美唄/三菱鉱業専用線(三美運輸) 南美唄-三井美唄鉱/東京帝国大学演習林軌道 下金山-西達布、布部-麓郷/夕張鉄道(2) 栗山-夕張本町/苫小牧港開発臨海鉄道 新苫小牧-石油埠頭/登別温泉軌道 登別-温泉場/渡島海岸鉄道 森-砂原/東北本線旧線 西平内-浅虫/下北交通大畑線 下北-大畑/東北鉄道鉱業 (未成線)小鳥谷-門/小坂鉄道長木沢支線 茂内-長木沢/仙台の陸軍軍用線 陸前原ノ町-東京第一陸軍造兵廠仙台製造所/仙石線旧線 仙台駅周辺/羽越本線旧線 勝木-府屋、鼠ヶ関-小岩川/奥羽本線旧線板谷峠(2) 赤岩-板谷/磐越西線旧線 磐梯熱海-中山宿-沼上信号場-上戸-猪苗代湖畔/日立鉱山電車 助川-大雄院/入川森林鉄道 川又-赤沢出合/秩父鉄道の貨物線/日本鉄道旧線 長久保-古田/鍋山軌道 栃木駅-門沢/総武本線旧線とその周辺専用線 銚子-新生 ほか/総武本線旧線 物井-佐倉/陸軍鉄道連隊 千葉-津田沼-松戸/東京市電えびす長者丸(郡部)線 天現寺橋-えびす長者丸/京王電気軌道旧線 仙川-調布/川崎市電 市電川崎-塩浜/明治製糖専用線 川崎-明治製糖川崎工場/中央本線の廃駅跡めぐり/西武鉄道池袋線旧線と未成線 仏子-元加治 ほか/江の島電鉄旧線 鎌倉駅付近/山梨馬車鉄道・鰍沢馬車鉄道 勝沼-小井川-富士川河岸/伊東線旧線 伊豆多賀-網代-宇佐美/駿豆電気鉄道軌道線 三島田町-沼津駅前/身延線旧線 富士-入山瀬/東信電気専用鉄道 信濃大町-笹平-コジ沢/長野電鉄河東線 信州中野-木島/松本電気鉄道浅間線 松本駅前-浅間温泉/松本電鉄上高地地区廃止区間 新島々-島々/立山鉄道 上市-五百石/東洋活性白土専用線 国鉄糸魚川駅引込線-東洋活性白土工場/島田軌道 島田駅前-向谷/北恵那鉄道大井線 新大井-大井ダム/武豊線旧線 武豊-武豊港/東海道本線旧線 米原-大津/東海道本線旧線 吹田-大阪/関西鉄道桜宮線 加茂-新木津/南海電気鉄道和歌山港支線 和歌山港-水軒/阪神電気鉄道武庫川線 西ノ宮-武庫川/山陰本線旧線 福知山-城崎/尾道周辺の山陽鉄道境界杭 東尾道-尾道/山陽本線のスイッチバック式信号場 三原-広島/可部線旧線 横川-安芸長束/大日本軌道山口支社 小郡-山口/鹿児島本線旧線 枝光-八幡/西日本鉄道博多築港支線 三角-博多築港/鳥栖駅周辺の操車場・旧旅客線・貨物船・機関区跡/日本セメント香春工場専用線 香春-日本セメント工場-勾金/鹿児島本線旧線 玉名-肥後伊倉、植木-西里/肥前電気軌道 嬉野-塩田/唐津軌道 浜崎-佐志/グラバー商会・陸蒸気試運転区間 市民病院前-松ヶ枝橋北端/柳河軌道 柳河-矢部川/日豊本線旧線 新田原-築城/日豊本線旧線 宇佐-立石、中山香-杵築、豊後豊岡-亀川/内大臣森林鉄道 熊本営林局・矢部営林署/三菱重工業第九航空機製作所専用線 水前寺-三菱重工業第九航空機製作所/眼鏡軌道・日向軌道・木村林業 杉安-二軒橋-銀鏡-三塚/ 細島線 日向-細島/肥薩線線路移設跡 坂本-海路/北大東島東洋製糖燐鉱専用軌道 積出桟橋-黄金山   とりあげられている記事のうち個人的に思い入れが深いのは三菱鉱業専用線(三美運輸)である。国鉄南美唄駅と三井美唄炭坑を結ぶわずか1.2kmの専用線であるが、私の父が蒸気機関車撮影のために何度も赴いた場所だ。そこでは、1905年製の、米国ボールドウィン社製と、英国ノースブリティッシュ社製の2機の古典型蒸気機関車が1970年代後半まで入れ替えのため使用されていた。私の実家には、それらのフィルムが残っている。また、夕張鉄道も11形蒸気機関車という名機が最後まで活躍した路線。これを保存している夕張市の石炭の歴史村内の博物館が、夕張市の財再破綻で一般公開されていない現状がやるせない。刊行から時間が経過し、これらの廃線跡の多くは、二次消失というべき自然淘汰に晒されているが、それでも色濃く痕跡を残すものもあり、いまなお、資料的価値の高い1冊である。読み物としても面白く、私も全10巻を、所有し続けている。

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     2021/04/14

    国内の軽便鉄道の権威である岡本憲之による前著る「全国軽便鉄道」(1999)に続く2010年編集の1冊。とはいっても続編というわけではない。あえて表現するなら「改訂版」か。右開きだったものが左開きとなり、前回軽便鉄道に該当する様々な軌道を取り上げたものが、本書では旅客営業を行った鉄道に限定されている。キャンブックスからは2001年に「全国森林鉄道」が刊行されているから、かつて「全国軽便鉄道」に掲載された内容を、いくつかの本に分けて編算し直しているようにも思える。とりあえず、記事に取り上げられた軽便鉄道を列挙しよう。根室拓殖鉄道/早来鉄道/苫小牧軽便鉄道/日高拓殖鉄道/沙流軌道/鉄道院湧別軽便線/湧別軌道/十勝鉄道/河西鉄道/士別軌道/江当軌道/登別温泉軌道/小坂鉄道/十和田鉄道/岩手軽便鉄道/花巻電鉄/釜石鉱山鉄道/栗原鉄道/仙南温泉軌道/仙北軽便鉄道/仙北鉄道/仙台鉄道/金華山軌道/角田軌道/増東軌道/谷地軌道/信達軌道/本硫黄沼尻鉄道/好間軌道/磐城炭礦軌道/日本鉄道事業軌道部/磐城海岸軌道/草軽電気鉄道/竜崎鉄道/笠間稲荷鉄道/村松軌道/鹿島軌道/下野電気鉄道/宇都宮石材軌道/赤見鉄道/上野鉄道/利根軌道/吾妻軌道/夷隅軌道/千葉県営鉄道多古線・八街線/九十九里鉄道/千葉県営鉄道久留里線/流山軽便鉄道/青梅鉄道/西武鉄道山口線/湘南鉄道/熱海鉄道/魚沼鉄道/栃尾電鉄/頸城鉄道/富士電気軌道/大日本軌道静岡支社/安倍鉄道/庵原軌道/堀之内軌道/静岡鉄道駿遠線/遠州鉄道奥山線/遠州軌道/西遠鉄道/坂川鉄道/三井金属鉱業神岡鉄道/西尾鉄道/東濃鉄道/黒部峡谷鉄道/立山軽便鉄道/武岡軽便鉄道/尾小屋鉄道/丸岡鉄道/石川鉄道/三岐鉄道北勢線/近畿日本鉄道内部・八王子線/四日市鉄道/松阪軽便鉄道/中勢鉄道/安濃鉄道/天理軽便鉄道/阪堺鉄道/摂津鉄道/赤穂鉄道/岩井町営軌道/下津井電鉄/井笠鉄道/西大寺鉄道/中国鉄道荷山線/三蟠軽便鉄道/鞆軽便鉄道/両備軽便鉄道/神高手有働/可部軌道/船木軽便鉄道/大日本軌道山口支社/住友別子鉱山鉄道/伊予鉄道/宇和島鉄道/愛媛鉄道/芦屋鉄道 /鞍手軌道/北筑鉄道/太宰府軌道/朝倉軌道/両筑軌道/中央軌道/筑後軌道/黒木軌道/南筑軌道/柳河軌道/三潴軌道/川上軌道/肥筑軌道/祐徳軌道/佐世保軽便鉄道/熊本軽便鉄道/菊池軌道/日出生鉄道/耶馬溪鉄道/宇島鉄道/日本鉱業佐賀関鉄道/宮崎県営鉄道/大隅鉄道/沖縄県営鉄道   これらは、ほぼ先行する「全国軽便鉄道」に一度掲載されたものである。基本的に1ページで一つの鉄道を紹介する形となった。前身の「全国軽便鉄道」では1ページに1〜2の鉄道を紹介していたので、一見、情報量が増えたように感じるが、文章はリライトされ、更新できる情報は更新されているものの、基本的な情報量はそれほど変わらない。ただ、文字のサイズがやや大きくなっていることと、各鉄道の簡略な地図が掲載されていること、そして、写真も重複を避けたものが使用されていることなどから、両書を双方とも持つ価値はあるだろう。「全国軽便鉄道」では項目を持って紹介されていた馬車鉄道、森林鉄道、人車鉄道、森林鉄道などが、当書ではコラムに押し込まれてしまった感はあるが、これらも、森林鉄道と同様に、項目別にキャンブックスが刊行してくれればありがたい。特に、簡易軌道については、まとめてくれている書物で入手可能なものはほとんどない状況なので、是非ともこのカテゴリで1冊作製してほしいと思う。各鉄道の駅名を掲載した簡単な路線図が付されたことがありがたいが、線形と駅だけでなく、これが地形図等にトレースしたものであれば、さらに良かったと思う。とはいえ、これだけ集約された情報と、美しい写真を併せて堪能できるというのは、めったにない機会であり、編集に携わった人々の労力に感謝したい。

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     2021/04/14

    1984年のある日、私は夕張にいた。鉄道少年だった私は、母にゴールデンウィークにどこに行きたいかと尋ねられて、当時、北海道で唯一旅客営業を行っていた私鉄、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線(清水沢-南大夕張)に乗りたいと答え、妹と一緒に連れてきてもらったのだ。念願の大夕張鉄道に乗車し、新夕張に役目を譲った紅葉山駅の廃墟や、夕張鉄道が使用していた若菜駅の駅舎を発見し、私は大喜び。だが、シューパロ湖に来たとき、その不思議な光景を目にして、はたと立ち尽くした。湖岸の反対側で、ダム湖特有の大きな入り江にかかる美しい立派な橋梁が見えたからだ。道路地図をみても、そんな橋梁は描かれていない。しかし、それはどうみても鉄道のためのトラス橋に見えた。美しい橋だっただけに、その幻想性は無二のものだった。それにしても不思議だ。かつてあった大夕張鉄道の廃線区間は、自分がいるこちら側の岸を通っていた。だから、対岸側に並行するような鉄道をもう一本敷くことは考えにくい。しかし、その鉄橋は、見れば見るほど、鉄道橋だった。当時はインターネットも何もなかったし、周囲の大人たちも答を知らなかったから、私のこの謎が解けるまで、しばらく時間を要した。答えは「森林鉄道の廃線」だった。当時、私は森林鉄道がどれほどの規模のものか、まるで想像していなかったのだ。(ちなみに、シューパロ湖にかかる鉄橋は、「三弦橋」と呼ばれる有名な橋梁で、建築工学的にも貴重なものだった。その後も私はこの美しい橋を何度か見に行ったのだけれど、2014年にダムの巨大化により湖底に沈んでしまった)。実は、北海道の森林鉄道がどれほどの規模のものだったかについて、現在も学術的に正確な結論というのは、(私の知る限り)出ていない。ただ、私がいくつかの資料をまとめた結果、総延長は少なくとも1,500kmを越えている。これは、現在のJR北海道の営業キロが2,500km弱であることを考えると驚異的な数字である。とはいっても、これらは同じ時期に存在していたわけではない。森林鉄道はその性格上、幹線以外の線路は、資源をもとめて付け替えが行われる。線区によっては、その運用期間は数年程度というものもある。森林鉄道特有の性格がその全貌をつかみにくくしている。加えて、特に北海道の場合、開拓、殖民の時期と重なっていたこともあって、その記録がきちんと残されていないものも多い。中には、上ノ国、本別、常呂、上川町中越など、「森林鉄道があったと推測されている」というレベルのものまで存在する。なにぶん廃止から年月が経ちすぎているし、しっかりした現地調査を行う労力も費用も限られているのだ。そのような状況の中で、比較的まとまった情報書として、本書は一定の価値がある。本書で取り上げる森林鉄道を列記しよう。 【北海道】羽幌森林鉄道、温根湯森林鉄道、置戸森林鉄道、丸瀬布森林鉄道、定山渓森林鉄道、芦別森林鉄道、陸別・トマム森林鉄道、 【東北】津軽森林鉄道、河内森林手と同、大畑森林鉄道、宮田又・船岡森林鉄道、長木沢森林鉄道、早口・岩瀬森林鉄道、鷹巣森林鉄道、仁鮒森林鉄道、二ツ井営林署森林鉄道、杉沢森林鉄道、仁別森林鉄道、浪江森林鉄道、直根森林鉄道、有林森林鉄道  【関東・東海】 武州中津川森林鉄道、世附森林鉄道、千頭森林鉄道、水窪森林鉄道、気田森林鉄道、下仁田森林鉄道、湯ノ小屋森林鉄道  【中部】 浦森林鉄道、遠山森林鉄道、小坂森林鉄道、王滝・小川森林鉄道、付知森林鉄道、双六・金木戸森林鉄道  【近畿・中国】 高野山森林鉄道、音水(上野)森林鉄道、大杉谷森林鉄道  【四国】 魚梁瀬森林鉄道  【九州】 内大臣森林鉄道、綾森林鉄道、鹿川森林鉄道  【民有林森林鉄道】 三塩森林軌道、稲又森林軌道、東京大学演習林軌道、王子製紙専用鉄道、殿川うち森林鉄道  【現役森林鉄道】 安房森林鉄道、京都大学演習林軌道  【保存森林鉄道】 丸瀬布いこいの森   貴重な写真などを通じて、いくつかピックアップされた森林鉄道について、その歴史背景などまとめてくれている。ただ、前述の理由もあって、資料としての価値は半端な面を指摘せざるをえない。とくに巻末の資料篇の「全国森林鉄道」はあまりにも「抜け」が多すぎる。私が見ただけでも、恵庭、幾寅、音更、達布、美深などの森林鉄道がまるごと抜けているほか、まとめられている森林鉄道も路線の抜けが多い。ただ、このあたり、正確な線名がなかったり、基礎資料に矛盾する記述があったりすることは私も知っているし、網羅というのは、特に北海道の場合、きわめて困難なのだろう。それにしても、基礎資料のあるものまで抜け落ちている気がするのだけれど。各森林軌道をピックアップした紹介でも、せめて路線表記した地形図くらいは記載してほしかった。しばしば簡単な地図が掲載されているだけで、遺構の現地探索などにもほとんど供しないレベルにとどまっている。以上のように「まだまだ」という感がぬぐえない反面、これまで資料整理がおざなりだった森林鉄道というジャンルに「手を付けて」くれたことには、心底感謝したい。貴重な写真や車両の紹介などとても楽しかった。私は、今年丸瀬布いこいの森を訪問した。そこで動態保存・運転されている雨宮製作所製の小さな森林鉄道用蒸気機関車に乗ったのはちょっとした感激だった。ぜひとも、森林鉄道という文化を記録する作業を、様々な形で継続してほしい。

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     2021/04/14

    読売新聞に連載されたノンフィクション作家である梯久美子氏が、全国の廃線跡を訪問するドキュメンタリー記事を単行本化したもの。全国各地の廃線跡が紹介されている。掲載されている路線は以下の通り。【北海道・東北】下夕張森林鉄道夕張岳線/国鉄根北線/国鉄手宮線/定山渓鉄道/岩手軽便鉄道/くりはら田園鉄道/山形交通高畠線/国鉄日中線 【関東】鹿島鉄道/日鉄鉱業羽鶴専用鉄道/足尾線/JR信越本線旧線/日本煉瓦製造専用線/東武鉄道熊谷線/陸軍鉄道聯隊軍用線/東京都港湾局専用線晴海線/横浜臨港線・山下臨港線 【中部】新潟交通電車線/JR篠ノ井線旧線/布引電気鉄道/JR中央本線 旧大日影トンネル/国鉄清水港線/名鉄谷汲線/名鉄美濃町線/名鉄三河線(猿投−西中金)/名鉄瀬戸線旧線 【近畿】三重交通神都線/国鉄中舞鶴線/蹴上インクライン/江若鉄道/JR大阪臨港線/姫路市営モノレール/三木鉄道/関西鉄道大仏線/天理軽便鉄道/近鉄東信貴鋼索線/紀州鉄道(西御坊−日高川) 【中国・四国】JR大社線/下津井電鉄/鞆軽便鉄道/国鉄宇品線/JR宇部線旧線/琴平参宮電鉄(多度津線・琴平線)/住友別子鉱山鉄道(上部鉄道) 【九州】JR上山田線/九州鉄道大蔵線/国鉄佐賀線/大分交通耶馬渓線/高千穂鉄道/鹿児島交通南薩線  紹介は各線4ページ。その4ページには、筆者が撮影したカラー写真1枚と、訪問した廃線の所在地がわかる簡単なマップが付されている。情報量は限られたものであるが、それこそが本書の狙いで、あくまで日常的な風景の中で、筆者ならではの視点でサラリと切り取った「風景」が、自由なタッチで紹介されている。そのライトな感触が、本書のスタイルであり、味わいとなっている。著者は、宮脇俊三作品の熱心な読者であったそうだ。なるほど、梯氏の文体は、それを彷彿とさせる。専門的に偏り過ぎることなく、情報はコンパクトに提示し、最後は、読者の想像力に委ねるようにして、軽やかにペンを置く。胸やけとは無縁の、清涼な筆致である。だから読みやすいし、印象に残った個所にきちんと焦点があっている。マニアックな廃線探訪の参考書ではない。新聞連載という体裁にふさわしい、ふと目にした人に「気づき」や「きっかけ」を与えてくれるような、軽いもの。「どの線のどの個所を選んだのか」「筆者がどのようなことを感じたのか」ということを知れる面白味がある。添えられた筆者が撮ったという写真も、「これを見せたい」という筆者の感性が伝わってきて好ましい。私も廃線・廃駅の探訪の趣味を持っているが、最近、そのような散策地で、女性の同好の士と思われる人物を見かけることが増えてきた。嬉しいことではあるが、はたして女性のファンは、どのような視点と感受性で、対象と接しているのだろうか。自分と同じような知識を持ち、似たようなことを考えているのだろうか?と思うこともあった。女性(あるいは男性)の場合、こういうふうに思う、みたいに言い切れるものではないことを百も承知で、本書は私のそのような好奇心も満たしてくれた。ところで、私の住む北海道の場合、廃線というのが、ただのノスタルジーではなく、今現在の現実を突きつけられた問題とリンクしている、ということである。冬の厳しい北海道こそ、安定した長距離移動を可能とする基幹交通として、鉄道は重要だと思うのだが、逆に冬の維持費をネックに、どんどん線路は無くなっていく。私個人的に、鉄道網だけでなく、電気・水道・通信・郵政等の生活基盤となるインフラは、公が支えるべきだと考えている。しかし、いまの風潮は、民営化、民間委託こそが正しいという方向を向いている。これらのインフラを支えているのが、一企業ということになれば、彼らがペイしない土地から撤退するのは、合理的なこととなるのである。私企業にこれらを委ねることは、大いなる間違いであると確信をもって言える。本書で、三木鉄道を訪問した時、旧沿線に住んでいた方の一言「鉄道がなくなることは、町の活力がなくなることなんだよ」は、まぎれもない真実味をもって伝わる。

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     2021/04/14

    北海道の終着駅を題材として、昭和期に撮影された全ページカラーの写真集。北海道の場合、昭和期以後、ほとんどの線路が廃止されているため、当書に掲載された駅たちも、ほとんどが現在は廃駅である。そのことも手伝って、この本からは郷愁に溢れてくるようだ。対象となっている駅を記載すると、以下の通り。稚内駅(宗谷線)、北見枝幸駅(興浜北線)、雄武駅(興浜南線)、仁宇布駅(美幸線)、北見滝ノ上駅(渚滑線)、湧別駅(名寄線湧別支線)、北見相生駅(相生線)、根室標津駅(標津線)、根室駅(根室線)、北進駅(白糠駅)、十勝三股駅(士幌線)、広尾駅(広尾線)、様似駅(日高線)、日高町駅(富内線)、夕張駅(夕張線)、登川駅(夕張線登川支線)、南大夕張駅(三菱石炭鉱業大夕張鉄道線)、大夕張駅/大夕張炭山駅(三菱石炭鉱業大夕張鉄道線)、万字炭山駅(万字線)、幾春別駅(幌内線)、上砂川駅(函館線上砂川支線)、歌志内駅(歌志内線)、室蘭駅(室蘭線)、増毛駅(留萌線)、新十津川駅(札沼線)、岩内駅(岩内線)、瀬棚駅(瀬棚線)、江差駅(江差線)、松前駅(松前線)、函館駅(函館線)。あらためて数えてみるとびっくりであるが、これらの30の終着駅のうち、2021年が現在も駅機能を存続させているのは、稚内駅、根室駅、室蘭駅、函館駅のわずか4駅である。また、昭和期に廃止された国鉄線の「終着駅」のうち、幌内駅、手宮駅、越川駅、脇方駅、南美唄駅の5駅については、掲載されていない。つまり、北海道の路線の支線網は、ほぼすべて「廃止」されたのである。北海道では、1980年に制定された国鉄再建法に基づき、収支の数字が基準に満たない線区がなし崩し的に廃止されていった。これを経た分割民営化に際して、当時の政府は、国会答弁などで、これ以上路線が廃止されることはない旨を担保するような答弁を行ったが、現在までの状況はみなさんご存知だろう。その後も、深名線、池北線、江差線、留萌線(留萌-増毛)、石勝線の夕張支線、留萌線(深川−留萌)、札沼線末端部(北海道医療大−新十津川)、日高線が廃止され、根室線の一部は復旧しないまま放置状態となっている。私は鉄道が好きな人間だから、そのことを無念に思うけれど、そのような次元を超えて、現在の北海道の状況は深刻さを呈していると言って良いだろう。そもそも、先進国において、鉄道事業だけで経営を成り立たせることは至難である。多くの国において、鉄道は国営、もしくはいわゆる上下分離方式により、施設を公が維持した上で、運行のみを民間委託している。そうやって、鉄道を維持している。なぜか。それは、単に鉄道が地域のライフラインだというだけでなく、観光を含めた「人の移動」自体に、社会的に様々な意味での「価値」があることを、社会と地域が理解し認識しているためだ。ところが、日本ではこの感覚が非常に薄く、特に最近では、民間会社の収支という観点ばかりが考えられるようになってきている。多くの路線が廃止された北海道の地方の衰退は激しい。それは基幹産業である石炭や林業が衰えたということもあるが、それに輪をかけて交通網の衰微は地域に残った最後の呼吸を止めてゆく。それは、この地を巡り続けてきた私の実感である。鉄道利用者の数が減っている。これだけ多くの路線が廃止されているのだから当たり前でもある。私も、もしかつてのように鉄道網が充実していたのなら、当然のように鉄道を利用していた行程であっても、鉄道がなくなってはどうしようもない、他の交通機関を利用する。ローカル線という枝を振り払ったら幹が枯れてくるのは自然の摂理だ。バスで代替といっても限度がある。そもそも、冬期間のバスの運行は当てにならないことが多いし、遠距離であれば、いくつものバスに乗り継ぐことになる。実質的にそれは利用のハードルを大きく上げることになる。旅行者の足は遠のく。そもそも、バス転換したとしても、いまの時代、バスの運転手もバスの台数も確保できない。北海道のように、冬季の道路条件の厳しいところではなおさらである。結果として、あちこちの集落が消失する。消失する集落の規模が大きくなってきているところがさらに恐ろしい。そのような現実を知らない人が、まったくの圏外に居住し、安穏な生活を送りながら、「収支が上がらないのだから廃止は当然だ」みたいなことを平然と言ってのけたりする。ひどい世の中だと思う。随分書いてしまったけど、このような写真集を見て過去のことを思い出すたびに、「私達はどこでボタンを掛け違えたのだろう」という思いが、私を苛むので、書いてしまった次第である。本書に戻ろう。写真はとにかく美しい。北海道ならではの四季それぞれの背景を活かした美しい情景が巧みな画角で捉えられている。それにしても「終着駅」という言葉は旅情を誘うものだ。ずっと続いてきた線路がそこで途切れる。そのことに、様々な思いを重ねて、情感を膨らませる人も多いだろう。船の「波止場」に相当する良い言葉だ。掲載されている写真はその「終着駅」に相応しい情緒を感じさせるものばかり。また、かつてあった貨物取り扱いの側線、炭鉱に近い駅であれば選炭場、多くの貨車を取り扱ったヤードなども、この雰囲気を見事にサポートしてくれる。溢れてくる情感に、過去への憧憬が焦がれてくるような、詩的な一冊となっています。

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     2021/04/13

    2021年4月1日、日高本線の鵡川−様似間116kmが廃止された。2015年1月の高波被害により一部の路盤が流出、その後、JR、行政の双方の「放置状態」により、被害個所は拡大し、そのまま復旧しないまま廃止となった。悲運の線路と言って良い。日高本線は、車窓の美しい北海道の鉄道路線網の中でも、秀でで素晴らしい車窓を持つ路線だった。もちろん、北海道には他にも風光明媚な路線が多く存在する。かつての国鉄線も含めると、数え上げるのも大変なくらい。現役線では、狩勝峠、馬主来沼、厚岸湖、チライベツ湿原などが見渡せる根室線、釧路湿原、斜里岳、オホーツク海が見渡せる釧網線、大沼・小沼と駒ヶ岳、内浦湾、ニセコの山々を望める函館線、天塩川、日本海に浮かぶ利尻島を遥かに見渡す宗谷線、遠景に大雪山系、十勝岳連峰、近景に田園と花々の彩溢れる富良野線、函館湾の風景、津軽海峡の夜景が見える道南いさりび鉄道。鬼籍に入った線路に目を移せば、羽幌線、名寄線、興浜北線、興浜南線、湧網線、士幌線、富内線、万字線、胆振線、瀬棚線・・・。これらの路線に引けをとらないどころか、ベストを争う車窓を持っていたのが日高本線。では、ちょっと紹介してみよう。苫小牧を出た線路は、臨港工業地帯と勇払原野を見たのち、苫東厚真火力発電所の巨大設備のすぐ横を通り、鵡川駅に至る。その後、線路は太平洋岸に出て、海に面して急峻な岩山の下を進む。日高町では、豊郷駅、清畠駅と太平洋べりを進む。厚賀駅を過ぎて、厚別川橋梁はまるで海の中の一本道のよう。海の真横にある絶景駅、大狩部駅を過ぎてからも、線路は太平洋にぴったりと沿って続く。車窓からは見渡す限りの水平線が広がる。沿線最大の町、静内を過ぎると、今度はしばしば内陸側に進路を取るようになる。すると、車窓をにぎわすのは、沿線にある様々な個人農場で放牧されているサラブレットたちだ。サラブレットたちは、時に軽やかにギャロップしたり、ゆったりと遠くを見たりと、自由だ。ふと、いつのまにか自分が異世界に来たような気分になるだろう。あたりの駅舎たちには、昭和の国鉄時代の雰囲気をしっかり残しているものが多い。日高東別駅、本桐駅など味わい深い。蓬栄駅の手前では、蓬莱山と呼ばれる奇妙な岩山の真横を通る。近づく日高山脈。初夏になってもまだ白い残雪を頂いて輝いて見えるだろう。牧場に囲まれた絵笛駅は、まるで絵本の中の世界。物語の中にさ迷い込んだような駅だ。やがて日高の中心地・浦河に至る。浦河駅も、趣深い駅舎と跨線橋が美しい。広い構内は交換可能だった時代の名残だ。浦河の街中にある東町駅を出ると、ハイライトと言っても良い海岸の砂の上を線路は行く。岩山と太平洋の隙を通って、海に反射する光の中を走り抜けると、その先に見えてくるのは、名峰アポイ岳。日高幌別駅を出ると、もう一度線路は内陸に向かう。かつては森林資源の集積地だった西様似駅を出て、ついに終点、様似駅に到着する。そこでは、もう目の前にアポイ岳が見えている。襟裳岬めがけて、日高山脈に近づいてきた線路が行き着く町。様似。日高線沿線では、もっとも人口の少ない町だが、それゆえの旅情に溢れている。・・・そんな美しい日高線が、永遠に失われた。私が日高線を惜しいと思うのは、風光明媚な観光資源としてのポテンシャルが掘り起こされていない、というだけではない。そもそも、日高沿岸には、人口1万2千の日高町、人口2万3千の新ひだか町、人口1万3千の浦河町が並び、北海道の他地域と比較しても、相応の人口があり、かつ日高線はこの地域唯一の鉄道交通なのである。かつては、札幌から直通する急行列車が1日に3往復も運転され、相応の乗車率もあったのであるが、これらが廃止された要因としては、千歳線の列車密度の問題で間引きされたことが大きい。札幌直通運転を取りやめられただけではく、長く静内での乗り換えがきわめて不便なダイヤをあえて運用した時代があり、日高線のポテンシャルは、様々な外的要因で下げられた面があった。そして、最後は高波被害から復旧せず、そのままなし崩し的な廃止である。これほどの不遇に見舞われ続けた鉄道線は、他にないと言って良い。私個人的には、地域間をつなぐ長距離鉄道路線網については、ヨーロッパの多くの国がそうしているように、国営化、もしくは駅・線路等の施設は公営化した上で、鉄道運行のみを民間委託する形で保持すべきと考えている。それは、鉄道が、冬季でも安定な地域間交通を担っていること、鉄道の経済的効果は、運賃だけでなく、鉄道利用者による交流人口の増加による地域への貢献等を含めたより広い見地から検討すべきことなどを踏まえての考えである。しかし、日本では、そのような公的感覚に乏しく、単に一私企業の収益性という観点で議論が主導されてしまう。どう考えても、「そういうものではない」と思うのだが。と、いろいろ書いてしまったが、この写真集は本当に美しい。日高線の魅力を端的に集約し、「一目見て分かる」ものとして、これだけ完成度の高い本というのは、ちょっとないかもしれない。写真の力強さが凄い。これぞプロの写真だ、と感嘆させられる。黄金色に染まった勇払原野を行く気動車、真っ暗な太平洋を背に、か細い明かりをともす夜の大狩部駅、雲と波の中、ただ一本伸びる厚別川橋梁を渡る列車、海霧や朝焼けの中、海岸を走る単行気動車、サラブレッドたちがくつろぐ新緑の中を走る日高線、日高昆布が干される海岸を見ながら走る列車、そして味わい深い駅舎、列車にかかわる人々の豊かな表情。それらすべてが、活き活きと、かつ鮮明な色彩感で捉えられており、感嘆するしかない。これほどの写真家を魅了し続けた日高線。その思いが、全編から伝わってくる素晴らしい一冊だ。海、湿原、川、波、海岸、断崖、岩山、星、暗闇、光、花、雪、レトロな駅、サラブレット、人。。。すべてが、去りがたい捨てがたいものとして、刻まれている。

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     2021/04/13

    北海道大学で物理学の教授を務めながら、趣味の分野でも精力的な活動をし、地図に関する著作を多く執筆された堀淳一氏が亡くなる直前にまとめた一冊。氏の様々な書物に影響され、産業遺産や廃線跡を探訪したり、鉄道での車窓を楽しんだり、地形という観点で物事を考えたりして、楽しむようになった私には、いろいろ思うところがある。氏はこれまで、「地図の中の」ではじまる以下の2冊を執筆している。「地図の中の札幌(2012)」「地図の中の鉄路(2014)」。そして、2017年の末に本書が刊行された。本書では、北海道内にかつて存在した国鉄線(一部を除く)について、その全貌を20万分の1旧版地勢図で紹介しつつ、現在の地勢図と比較し、さらに要所については、5万分の1地形図や2万5千分の1地形図も引用し、紹介してくれている。これらの引用された地図を眺めるだけで、たいへん楽しい。ただ、正直に言うと、内容としては、残念なものを感じる部分がある。これは、執筆時の氏の年齢のためか、内容的な新しさがほとんどない点による。これまでの2作では、地形図を引用しつつ、それにまつわる興味深い論説があり、その部分で新しい知見が読者にいろいろともたらされたのであったが、本書の文章は、これまで氏が執筆されていた廃線跡探訪に係わるものをリライトしただけといったもので、特に地形図と直接的な関係のないことが書いてあるという印象が強い。むしろ風景描写中心の探訪記の体裁になってしまうところが多く、地形図より、写真を紹介してほしいような内容となってしまう。これは、氏のこれまでの廃線跡探訪問記が、基本的に写真付であり、そのために書かれたものをリライトでした体裁であるため、仕方ないのではあろうが、残念である。ちなみに引用された地形図類は、そのスジの趣味の人にはたまらないものが多い(と思う)。かつてあった森林鉄道や簡易軌道、運炭鉄道など現在は失われた線形があちこちに顔を出している。中湧別を起点とした富士製紙馬鉄など、その最たるものだろう。しかし、氏の文章は、そのようなものには一切触れず、ただ、かつての廃線跡探訪を思い出し、まとめ直したもの。加えて、その探訪も、全線というわけにはいかないので、線区によってはごく一部の紹介に記述はとどまってしまうのだ。せっかくこれだけ貴重な旧版地図を引用しているのだから、その内容や面白さを解説してほしかった。氏の薀蓄を読みたかった。そうはいっても、これだけ貴重な地図を集め、編集・引用の選定を行う作業は相当大変だっただろうと思う。結果として、興味深い地図をまとめて見ることが出来るという稀な書になっており、私は、氏の業績を偲びながらページをめくった。

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     2021/04/13

    北海道大学で物理学の教授を務めた堀淳一(1926-)氏による素晴らしい趣味本で、出版時現存した北海道のJR線について、地形図と照らし合わせながら、その線形の面白さや、車窓を読み説いていく、というものである。路線は「全線の開通年代順」に、以下の様に並べられている。1) 富良野線 2) 函館線 3) 根室線 4) 留萌線 5) 千歳線 6) 室蘭線 7) 宗谷線 8) 釧網線 9) 石北線 10) 札沼線 11) 日高線 12) 江差線 13) 石勝線 14) 海峡線。こうして書いてみて、現存線で全線開通が一番早かったのが富良野線だったというのは、私もなかなか意外だった。それにしても、北海道の線路は随分を減ってしまった。美しい車窓風景が見られた羽幌線、興浜北線、名寄線、湧網線、士幌線、深名線、万字線、胆振線、富内線、松前線、その他多くの線路が、失われてしまった。本書の内容に戻ろう。本書では路線ごとに、まずは20万分の1地形図でその全貌を紹介し、要所要所で、新旧の5万分の1及び2万5千分の1地形図を引用しながら、解説を加える方法で記述が進められていく。(各地図は、転載の際に適宜拡縮が行われているが、その比率もきちんと記載してある)。線路を辿って地形を読み解く、という試みが面白くなるのは、鉄道の地形的制約が大きいことに由来する。回転半径、上り勾配には限界があり、工事の省力化と、目的地到達の短時間化の折衷案として路線が決定されていく。川を渡るには効率的に架橋する角度も検討しなくてはならない。さらに集落には駅を設ける必要があるが、駅の設置にはある程度の広さの平坦な場所が不可欠だ。だから、線路の線形を辿るということは、当地の地勢学や地誌そのものを検討することに繋がっている。どこの谷を通って分水嶺を超えることがもっとも合理的か。現路線に決定するまでにどのような検討が行われたと考えられるか。また、線路の付け替えなどは、どのような価値観を勘案してなされたのか。これらの考察は、多様な要素を含んでいるから、とても楽しいのだ。面白かった一例を挙げてみよう。根室線の末端に近い茶内駅以東では、線路がずっと尾根道(分水嶺)に敷かれている。通常、川に沿って敷かれる線路において、これは世界的にみてきわめて珍しい路線配置だ。この地の低湿な土壌と、台地の形態的特徴を背景として、必然的にこのようなものになった、と本書では語られている。函館線蕨岱駅付近の峠越えの変遷も本書の解説で一層興味が高まった。また「窓から見える山容」への記述も面白い。例えば、名寄盆地西側にある一見普通な山なみが、主尾根とこれに並行して孤立峰が連なるユニークな形をしていることも、あらためて指摘されてみないと、わからないことだ。地質の硬軟による浸蝕差で生まれた珍しいものとのこと。それにしても、本書で引用された数々の地形図は見ていて楽しい。引用されている地形図のうち、私が特に見どころだと感じるものについて。

    ・昭和26(1951) 函館線落部駅付近 ; 路線変更のタイミングで、落部駅新旧2つが掲載
    ・昭和42(1967) 根室線新得駅付近 ; 狩勝峠越の新旧両線さらに北海道拓殖鉄道が掲載
    ・昭和28(1953) 室蘭線伊達付近 ; 海岸線に沿って走る旧室蘭線(現在はトンネル)が掲載
    ・昭和44(1969)と平成12(2000)の有珠山 ; 1977年の噴火前後で変化した山容(車窓風景) 前者には胆振線も掲載
    ・大正6(1917) 函館線ニセコ付近 ; 旧線の線形が掲載 厳密な測量を経ない等高線にも注目
    ・昭和3(1928) 門別付近; 日高線の前身日高拓殖鉄道が掲載 門別にはすでに競馬場が見える
    ・昭和28(1953) 苫小牧付近 ; 苫東開発前の海岸を走る日高線が掲載
    ・平成3(1991) 苫小牧付近 ; 最近廃止された苫小牧港開発社線が掲載
    ・昭和33(1958) 夕張登川付近 ; 旧登川支線の全貌が掲載

    ざっと挙げてみたが、どれも食い入るように見てしまう地形図である。その他、根室線では、線路の付け替えをもたらした2つのダムと、それに伴って消えた2つの駅(滝里駅;滝里ダム と 鹿越駅;金山ダム)のダム完成前後の姿も示されている。堀氏の文章はいつもながらの味わい。エッセイ風な自由な書き振りで、興味のあることはどんどん書くし、そうでないことはほとんど触れない。私個人的に、共感したのは、例えば、根室線糸魚沢駅付近のチライカリベツ川周辺の湿原の車窓美が素晴らしいこと、釧路湿原のシラルトロ沼周辺の散策路がまたとない楽しいものであること、などである。一方で、場所によっては毒舌が過ぎるところもあるかもしれない。例えば、留萌線の書き振りは冷たく、増毛駅については、何もない、駅前を10分ふらついて終わりだし、留萌線もほとんど乗客がいない、といった体。ちなみに、私も昨年、留萌線で増毛まで行ったのだが、深川-留萌間は座席が全て塞がるくらいの乗客だったし、留萌-増毛間も10人以上の乗客だった。増毛も歴史あるきれいな町で、駅前にある保存された旧旅館建築、旧食堂建築、駅から丘に上がったところにある北海道最古の現役の木造校舎の増毛小学校など私は大好きだし、国稀酒造、旧商家丸一本間家なども是非オススメした訪問地だ。それに美味しいお寿司屋さんやラーメン屋さんもある。そういったことに、あまり興味のない堀氏の記述は、観光という点では鵜呑みにされない方がいいでしょう。とはいえ、地図と旅が好きな人であれば、間違いなく楽しめる一冊です。

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     2021/04/13

    物理学者であり、地図収集・研究家でもある堀淳一氏による趣味性満載の一冊。開拓以来、たびたび発行されてきた様々な年代の5万分の1地形図を引用しながら、時代ごとに、札幌の各所から象徴的な箇所を抽出・紹介されていく。1898年(明治30年)に発行された「札幌沿革史」には、開拓使が置かれた1869年(明治2年)当時の札幌の様子が、以下の様に表現されている。「鬱々たる密林、ほうほう(草冠に凡で“ほう”)たる茅野(ぼうや)相接し、狐兎棲息し、熊鹿出没し、真に野獣の巣窟たりき」。寒冷なる大地の開拓と、世界的にも稀な大規模移民による都市建設は、ここから始まった。古地図たちは、その当時の状況を詳細に伝えている。時代の変転とともに、開拓地の面積、地表水の所在、産業の構造、交通のシステムは劇的に変容し、そのことが地図にはっきり示される。また、氏のコメントは地図が発行された年と、測量が行われた年の「タイムラグ」にも可能な限り言及しており、必要な補正についても適宜、補筆の形で記載されているのが助かる。かつて札幌がおおくの「村」に分かれていたときの境界線の形状や、扇状地のメム(泉)から発生する多くの水路の暗渠化、いつの間にか失われた「地名」、あるいは住所から消えても、いまなお様々な形で残る「地名」など興味は尽きない。札幌という街が、いかに短期間で劇的に変容してきたか、またそのスピード感の中で何が失われてきたか、多くの貴重な痕跡が記されている。また、軽川(がるがわ;現在の手稲)と花畔(ばんなぐろ)を結んでいた軽石軌道、現創成川通沿いに札幌と茨戸川を結んでいた札幌軌道、苗穂・白石から豊平を経て定山渓に至る定山渓鉄道、定山渓近辺の森林鉄道などが記載された詳細な地図などもたいへん興味深い。かつての鉄路の場所とともに、当時の周辺状況が詳細にわかる。「文章」の量は少ないため「読み物」としてはすぐに読み終わってしまうが、氏の指摘するポイントを、一つ一つ、引用されている地図で確認し、「なるほど」と納得しながらゆっくりと読み進めるのが本書の楽しみ方と言えそうだ。また、しばしば「コラム」と概して、氏の思い出話や、願望(「もしも?だったら」の様な内容)が気楽な筆致で書かれているが、こちらは読んでみて、昔に思いを馳せたり、あるいはその気ままな発想にニヤリとしてみたりするのが楽しいだろう。札幌という町は大都市でありながら、強く郷愁を漂わせる街である。これは時代の急な流れの中で、傍流として時間の止まった箇所があちこちに点在するためで、その混交ぶりが人の心のどこかに触れるためだと思う。1972年のオリンピックの際に、近代化と称して、多くの無粋な建築物がこの街並みを壊してしまった観があるが、それでも、まだ東区や、市電の沿線には、昔の「札幌らしさ」を色濃く漂わせた地域がある。開発一辺倒ではなく、急激な都市化の過程で、20世紀の様々なものが地域ごとに混交し、それが不思議と一体感のある景色となっている。私は、そんな札幌が好きである。そのような札幌を時間軸に解きほぐしていくような本書には、あらためて強い郷愁を感じるとともに、時の流れを強烈に思い知らされるものでもある。札幌という街の「不思議さ」を感じたことのある方には、是非読んで(見て?)いただきたい一冊だ。

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     2021/04/13

    「留萌本線、宗谷本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止されたこれらの線の支線群である。すなわち、深名線、羽幌線、美幸線、天北線、興浜北線となる。また、2016年12月に廃止された留萌本線の留萌−増毛間も掲載対象となっている。留萌線の廃線区間では、終着、増毛駅の「絵になる風景」が本書の印象の大きな部分を占めるだろう。廃止前の増毛駅は一面一線の駅だったが、その広い構内には、かつて側線が敷かれ、多くの貨車たちが停まっていた時代があったのだ。深名線は、人口希薄な豪雪地帯を走る文字通りの「ライフライン」だった。廃止とともに、いくつかの集落が消滅に近い状態となったことは象徴的だ。幌成駅や朱鞠内駅の風景、現在も土木遺産として保存されている第三雨竜川橋梁、それに蒸気機関車の貴重なカラー写真も掲載されている。本書をご覧になられた方には、是非、伊丹恒氏の写真集「幌加内」も手に取る機会があったらご覧になってほしいと思う。深名線廃止の時、地域の人たちが、長年連れ添った肉親と別れるような目で、その日、列車を見送ったことが如実に伝わってくる。羽幌線は日本海に沿って、海岸丘陵付近を走る、たいへん美しい車窓を持つ路線だった。当書では、冬の蒸気機関車の写真、羽幌駅、それに天塩栄駅や北川口駅といった、大きな集落からは離れていた駅の貴重な写真が印象深い。また、日本海に面し、焼尻島、天売島、それに利尻島まで見渡す絶景が車窓に展開した金駒内橋梁を通る気動車の写真も忘れがたいシーンだ。美幸線は、本来は北見枝幸とを結ぶ予定で中途まで開業するという営業形態ゆえ、旅客が少なく、日本一の赤字線と呼ばれた路線。しかし仁宇布駅ではスキーをかついだ旅客が利用する姿が写っている。私の父も、登山をする際、美幸線を何度か利用していて、まだ小さかった私に、仁宇布駅近くにある松山湿原のキーホルダーを買ってきてくれたことなど、良い思い出である。美幸線の末端部は現在も観光トロッコ用に線路が残っていて、私も乗ることができた。天北線は、かつての宗谷線であった。実は、音威子府−南稚内の利用者数は、宗谷線より天北線の方が多かったのだが、線名の定義に従って、天北線側が切り離され、廃止された。江差線と松前線の関係(木古内駅以西は松前線の方が利用者が多かったが、函館まで連続している関係で、松前線が廃止され、江差−木古内は存続)に似る。広大な台地を走る列車、5両編成の急行「天北」、分岐駅で広い構内のあった浜頓別駅、さらに小頓別駅、敏音知駅、中頓別駅、猿払駅、クッチャロ湖岸の路線風景など紹介されている。興浜北線は、宗谷地方で稚内に次ぐ人口規模を持っていた枝幸町までの支線。枝幸町には、かつて小頓別から歌登を経る公営の軽便鉄道があった。美幸線建設にあたってその路盤が買い上げられたわけだが、結局、美幸線は開通せず、雄武へつながる予定だった興浜線も開通せず、それどころか唯一残った興浜北線も廃止となったというわけで、枝幸町は鉄道悲運の町でもある。夕景の浜頓別駅に停まる興浜北線の気動車、目梨泊駅、北見枝幸駅の風景が紹介されている。いずれも情緒豊かで、「情景」の名にふさわしい。鉄道を利用する人々や係る人々の姿も時折収められるが、こころなしか、現在よりも、地域の雰囲気が明るく感じられるのだけれど、どうだろうか。美しい、往時を偲ぶ写真集であるとともに、失われた空気感が閉じ込められたような、一冊となっています。ついでに、私が思うことは追加して書き記そう。私は北海道に住んでいるので、鉄道の利便性を享受できるき機会は多くない。路線網はさびしく、運行している列車本数も少ない。それでも鉄道が好きだから、しばしば鉄道にのってぶらりと出かける。列車の本数が少ないので、頻繁に下車するわけには行かない。ブラリと気軽に列車を降りることができる線区は、限られている。さらに支線がほとんど廃止されているため、行動範囲の制約も大きい。なかなかスケジュールを編み出すのも骨の折れる作業だし、ダイヤも融通性が低い。これは、80年代から今日まで続く、鉄道先細り政策の行く末にあった必然的結果である。鉄道は基本インフラだ。特に北海道の様に、広域で、大きな都市と地方の間に距離があり、冬季の気象条件が厳しいところでは、地域の生活を支える性格を多分に有する。それは、本来、鉄道単体の収支で評価されるものではない。歴史に少し触れると、北海道は江戸末期まで多くが未開の地であった。しかし、国力状況を喫緊の課題とする近代政府の主導により、開発が行われる。北海道の奥地に住んで開墾に従事した人々の多くは、関東大震災で罹災し、家を失った人や、東北地方の農家の次男・三男で、家業を長男に譲った人たちである。そういった人たちが、国家事業の枠組みで、未開の地、冬は酷寒となる土地に入植し、想像を絶する労苦の果て、開墾し、北海道を食料とエネルギーの生産基地とした。鉄道は、これらの事業を強力に補助し、のちには、厳しい土地において、その地を管理する人々が、拠点都市と移動することを可能とするものでもあった。まさにインフラである。その役割がすべて残っていたわけではないが、本来、地域の足、インフラとして整備したものを、後になって、突然収益性の評価に根拠を転換し、廃止を促進していくというのは、基本的にはき違えであり、厳しい土地を開墾し生産拠点とした人々への背信行為であるとさえ私は思っている。実際、北海道の地を何年もかけてめぐっていると、一度は切り開かれ、耕され、町がつくられ、鉄道も敷かれたところが、外部の支援もすべて絶たれる形で、退出を余儀なくされ、元の未開の地の姿に、打ち捨てられるように戻っていく様を何度も目撃することになる。鉄道の廃止は、現地にとって非情きわまりないことであるだけであり、かつそれを推進した人々の多くは、あいかわらず都市部で特に不自由のない生活を謳歌し続けているのである。なんともやりきれない話としかいいようがない。私は、いつしか廃線跡を訪ねるようになった。最初、それはすでに廃止された鉄道に乗ることへの代償行為であったが、その結果、廃村を巡ることに重なる場合も多なり、その土地が静かに物語る歴史に強く胸打たれるようになった。いろいろ思うことがあって、廃線事情に係る私の思いを書かせていただいたが、本書の美しい写真たちは、ただ、風光明媚だった沿線風景を伝えるにとどまらず、地域や地方が大切にされていた時代、極端に政策が都市中心的なものになる前の時代の空気感、価値観といったものを、併せて伝えているように感じる。合理性で押し切られない余情や暖かみといった、今の時代では失われつつあるものが、籠っている。私はそれをいとおしいと思う。

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     2021/04/13

    「室蘭本線、日高本線、根室本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止されたこれらの線の支線群である。すなわち、胆振線、富内線、万字線、夕張線、士幌線、広尾線、池北線、白糠線となる。最近、書類上の廃止となった日高本線は、対象となっていない。これらの路線の沿線風景の美しさは、本当に素晴らしい。今となっては残された写真でしか往時の姿を見られないことが惜しくてならない。特に、取り上げられた線区では、胆振線、富内線、万字線は本当に美しい車窓に満ちていたと思う。一般的に、万字線の車窓は、車窓の美しさが有名だった士幌線と比べて、それほど取り上げられる機会はないだろう。しかし。私は、「スイッチバック 北の鉄道」という映像作品のコメンタリーで、北海道で長年車掌を務めてきた田中和夫氏が、万字線の山側の車窓風景の美しさは素晴らしかったと繰り返し言及し、特に、深い渓谷を何度も高い橋梁で跨ぎ、谷を覗き込むようにして走る路線は、「それだけでも観光資源としての価値があった」と感じたほどとお話させるのを聴き、加えて廃線跡を訪ね歩くことで、その実感を濃くした。もちろん、士幌線も素晴らしかったが、私がこの線に乗車したとき、すでに糠平以北は運転していなかった。もちろん、それでも急峻な山間で、音更川の渓谷を高い橋梁で越えるところなど、本当に凄かった。北海道は、車窓風景だけで、十分な観光資源になりうる鉄路を、これほど多く持っていた。しかし、それらは失われた。さて、私の言いたいことを書かせていただくと、本来鉄道の価値は、単体の収支で図るべきものではない。まず、北海道の様に気候風土の厳しい土地において、冬季の主要都市間移動のための安定的交通機関は、基本インフラであり、収支で図るべきものではない。加えて言うと、その多くが未開の地であった北海道が、国土強靭化計画の一環として移住を進め、開拓者とそれを継いだ人々の努力により、食料生産基地となったことを知らぬものは少ないと思うが、その彼らのいざというときの交通手段を、収支の観点で奪うことは適切ではない。次に、鉄道の経済効果というのは、単に収益と費用の差額で計算できるものではない。鉄道により、人が地域を訪問し、人々と交流する機会を高めるとは、交流人口の増加、地域経済の底支えに大いに活用できるものである。2019年に夕張支線が廃止となった夕張市の市域のその後の衰退の加速ぶりは現地の人であれば実感しているだろう。沼ノ沢駅に入っていたレストランは廃業し、スキー場も営業を終了した。鉄道廃止ばかりが理由ではないだろうが、トリガーの一つであったことは大いに考えられる。(実際、私も廃止前は年に3,4回訪問していた夕張を、廃止後は1度も訪問していない・・・さすがに薄情な感じもするので、そろそろ訪問したいとも思っているが、やはり鉄道がないのは寂しい)。また、鉄道は観光資源としても利用できる。利用・啓発の方法によって、大きく地域に貢献するポテンシャルを持っている。まもなく廃止となる日高線だって、あれほど美しい車窓を持つ路線は、国内外を探してもそうはないだろうと思わせる線路であったが、そのことを知っている人がどれほどいただろうか。そして、そのポテンシャルは、地域の観光開発計画という枠組みの中で、その価値を図るべきものである。ほかにもいろいろあるが、地方の鉄道というのは、収益を維持・廃止の目安にしては成り立たないし、そういうものではないのである。例えば、ヨーロッパの多くの国が、鉄道を国営化したり、線路・駅等の施設を公有物とし(道路と同じ考えだ)、鉄道の運行のみを民間委託するなどの方法により、路線網を維持し、地域経済の組み込まれているのは、この「考え方」があるからである。ひるがえって日本では、そのような公的発想が乏しく、単にJRという私企業の交通事業としてしか認識されていない。これでは、地域の衰退は加速し、最終的には国が疲弊化するばかりである。「考え方」を改めなくてはならない。いろいろ書いてしまったが、本書に話を戻すと、その観光面、風光明媚な風景という「ポテンシャル」を記録した良書、と言う以外になく、美しく、そしてもの悲しさも感じてしまう一冊である。胆振線では、尻別川、長流川、昭和新山、羊蹄山といったこの路線ならではの風景の中、蒸気機関車や気動車たちの姿が捉えられている。雪を頂く昭和新山が美しい。鉄鉱石の搬出拠点であった脇方駅では、レールバスが停車している写真が紹介されており、貴重な一枚だ。富内線では、鵡川、そして分水嶺を越えて沙流川流域の谷あいの美しい風景が紹介されている。日高町駅は私も訪れたことがあるが、小さな町の端にある終着駅で、特有の旅情があった。本書で紹介されている写真も、その雰囲気を良く伝えている。万字線では、幌向川を越していた橋梁群、そして炭鉱街特有の万字炭山駅の様子がうかがわれる。駅の奥には選炭機をはじめとした工場建築物が並ぶが、現在かの地は、最後まで残っていた万字炭山駅の駅舎も取り壊され、林の中、ただホームの跡があるのを見出だせるのみである。夕張線では、歴史ある運炭路線にふさわしい風格と歴史を感じさせる写真が多い。夕張川を渡るD51が牽引する石炭列車の写真。よく見ると橋梁の手前に橋脚跡があり、夕張線複線時代の名残が刻まれている。1981年に廃止された登川駅の、駅舎、構内を俯瞰した写真も、フアンにはありがたいもの。士幌線では、やはり十勝川や音更川を渡る橋梁群が象徴的な風景であり、本書でも紹介される。また、十勝三股−糠平間が、バス転換される前の、貴重な列車風景も紹介されている。(ただし、タウシュベツ橋は、ダム建設に伴って1955年に付けけられた旧線にあるので、本書の紹介対象とはなっていない)。広尾線では、縁起切符で全国区の知名度を誇った愛国駅、幸福駅の現役時の姿、大正駅、広尾駅などの写真も掲載されている。結氷した札内川を渡る9600形蒸気機関車の姿も印象的。池北線は、第3セクターとしてちほく高原鉄道として長らえた路線であり、そのため90年代の写真も掲載されている。十勝平野、北見盆地のおおらかな風景の中、蒸気機関車や気動車の活動する姿が収められている。1999年に撮影された境野駅を発車していく気動車の風景に、郷愁の情をもよおす。白糠線では、なにもない終着駅、北進駅の風景に胸打たれる。本来であれば、足寄を経由し、北十勝線とともに、札幌と釧路を結ぶ高速鉄道路線の一端を担うことになっていた高規格での設計路線であるが、上庶路炭鉱の石炭の搬出に一定の活躍を果たしたとはいえ、国鉄再建法下の第1号廃線となったのは、この路線の哀しい現実であり、それが北進駅の風景に詰まっているように思われる。

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