1984年のある日、私は夕張にいた。鉄道少年だった私は、母にゴールデンウィークにどこに行きたいかと尋ねられて、当時、北海道で唯一旅客営業を行っていた私鉄、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線(清水沢-南大夕張)に乗りたいと答え、妹と一緒に連れてきてもらったのだ。念願の大夕張鉄道に乗車し、新夕張に役目を譲った紅葉山駅の廃墟や、夕張鉄道が使用していた若菜駅の駅舎を発見し、私は大喜び。だが、シューパロ湖に来たとき、その不思議な光景を目にして、はたと立ち尽くした。湖岸の反対側で、ダム湖特有の大きな入り江にかかる美しい立派な橋梁が見えたからだ。道路地図をみても、そんな橋梁は描かれていない。しかし、それはどうみても鉄道のためのトラス橋に見えた。美しい橋だっただけに、その幻想性は無二のものだった。それにしても不思議だ。かつてあった大夕張鉄道の廃線区間は、自分がいるこちら側の岸を通っていた。だから、対岸側に並行するような鉄道をもう一本敷くことは考えにくい。しかし、その鉄橋は、見れば見るほど、鉄道橋だった。当時はインターネットも何もなかったし、周囲の大人たちも答を知らなかったから、私のこの謎が解けるまで、しばらく時間を要した。答えは「森林鉄道の廃線」だった。当時、私は森林鉄道がどれほどの規模のものか、まるで想像していなかったのだ。(ちなみに、シューパロ湖にかかる鉄橋は、「三弦橋」と呼ばれる有名な橋梁で、建築工学的にも貴重なものだった。その後も私はこの美しい橋を何度か見に行ったのだけれど、2014年にダムの巨大化により湖底に沈んでしまった)。実は、北海道の森林鉄道がどれほどの規模のものだったかについて、現在も学術的に正確な結論というのは、(私の知る限り)出ていない。ただ、私がいくつかの資料をまとめた結果、総延長は少なくとも1,500kmを越えている。これは、現在のJR北海道の営業キロが2,500km弱であることを考えると驚異的な数字である。とはいっても、これらは同じ時期に存在していたわけではない。森林鉄道はその性格上、幹線以外の線路は、資源をもとめて付け替えが行われる。線区によっては、その運用期間は数年程度というものもある。森林鉄道特有の性格がその全貌をつかみにくくしている。加えて、特に北海道の場合、開拓、殖民の時期と重なっていたこともあって、その記録がきちんと残されていないものも多い。中には、上ノ国、本別、常呂、上川町中越など、「森林鉄道があったと推測されている」というレベルのものまで存在する。なにぶん廃止から年月が経ちすぎているし、しっかりした現地調査を行う労力も費用も限られているのだ。そのような状況の中で、比較的まとまった情報書として、本書は一定の価値がある。本書で取り上げる森林鉄道を列記しよう。 【北海道】羽幌森林鉄道、温根湯森林鉄道、置戸森林鉄道、丸瀬布森林鉄道、定山渓森林鉄道、芦別森林鉄道、陸別・トマム森林鉄道、 【東北】津軽森林鉄道、河内森林手と同、大畑森林鉄道、宮田又・船岡森林鉄道、長木沢森林鉄道、早口・岩瀬森林鉄道、鷹巣森林鉄道、仁鮒森林鉄道、二ツ井営林署森林鉄道、杉沢森林鉄道、仁別森林鉄道、浪江森林鉄道、直根森林鉄道、有林森林鉄道 【関東・東海】 武州中津川森林鉄道、世附森林鉄道、千頭森林鉄道、水窪森林鉄道、気田森林鉄道、下仁田森林鉄道、湯ノ小屋森林鉄道 【中部】 浦森林鉄道、遠山森林鉄道、小坂森林鉄道、王滝・小川森林鉄道、付知森林鉄道、双六・金木戸森林鉄道 【近畿・中国】 高野山森林鉄道、音水(上野)森林鉄道、大杉谷森林鉄道 【四国】 魚梁瀬森林鉄道 【九州】 内大臣森林鉄道、綾森林鉄道、鹿川森林鉄道 【民有林森林鉄道】 三塩森林軌道、稲又森林軌道、東京大学演習林軌道、王子製紙専用鉄道、殿川うち森林鉄道 【現役森林鉄道】 安房森林鉄道、京都大学演習林軌道 【保存森林鉄道】 丸瀬布いこいの森 貴重な写真などを通じて、いくつかピックアップされた森林鉄道について、その歴史背景などまとめてくれている。ただ、前述の理由もあって、資料としての価値は半端な面を指摘せざるをえない。とくに巻末の資料篇の「全国森林鉄道」はあまりにも「抜け」が多すぎる。私が見ただけでも、恵庭、幾寅、音更、達布、美深などの森林鉄道がまるごと抜けているほか、まとめられている森林鉄道も路線の抜けが多い。ただ、このあたり、正確な線名がなかったり、基礎資料に矛盾する記述があったりすることは私も知っているし、網羅というのは、特に北海道の場合、きわめて困難なのだろう。それにしても、基礎資料のあるものまで抜け落ちている気がするのだけれど。各森林軌道をピックアップした紹介でも、せめて路線表記した地形図くらいは記載してほしかった。しばしば簡単な地図が掲載されているだけで、遺構の現地探索などにもほとんど供しないレベルにとどまっている。以上のように「まだまだ」という感がぬぐえない反面、これまで資料整理がおざなりだった森林鉄道というジャンルに「手を付けて」くれたことには、心底感謝したい。貴重な写真や車両の紹介などとても楽しかった。私は、今年丸瀬布いこいの森を訪問した。そこで動態保存・運転されている雨宮製作所製の小さな森林鉄道用蒸気機関車に乗ったのはちょっとした感激だった。ぜひとも、森林鉄道という文化を記録する作業を、様々な形で継続してほしい。