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ombredouble さんのレビュー一覧 

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     2009/10/31

    エクス音楽祭での上演に先立ち、同シーズンのベルリン・フェストターゲでプレミエされたプロダクション.当年は舞台関係者ストの影響で公演がほとんどキャンセルになり、十全な条件での収録ではなかったとは思うが、それにしてもフレージングの貧しいオケといい平板な歌唱といい(満足できるのはパパ・ジェルモンのルチッチくらいではないか)、こうしてソフトにするにはちょっと色々損をしている.(尚、音響がデッドなのは露天の大司教館劇場での収録のため.)舞台には奥へ続くハイウェイの路面、その前面に舞台の視覚像を暈かしスクリーン代わりにもなる紗幕、そこへライトの仕込まれた白い半透明ドレスのヴィオレッタ(ミレイユ・ドランシュ)がモンローよろしく白塗りブロンドで登場し、妖しげな魅力を振りまく.しばしば判別の難しい意味ありげな登場人物たちとともに、すべてはヴィオレッタの幻想であるかのように進行する演出は、ドラマ的な方向性を掘り下げるよりは視覚像に音楽が染み込んでゆくかのような効果を狙っている.もしムスバッハが優れた演出家なら、これだけでも見応えのある舞台を作れたかもしれないが、生憎元々彼は演技付けは下手くそであり、意味不明な部分が多いのも単純に出来が薄いことの裏返しだろう(結局、《椿姫》の「怖い横顔」を露わにしたソフトは今のところ存在していないわけだ).それでもエーリヒ・ヴォンダーの手になる舞台装置やヴィデオ映像の繊細な質感は見ものであり、第3幕で急に舞台の広がりが露見し奥行き方向に閉ざされた感覚が表れるのは印象的だった.ベルリンではベルク《ルル》と対にして両方ともシェーファー主演で上演されており、舞台写真からは全く別演出のような印象も受けるので、そちらを見てみたかった事には変わりない.

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/10/31

    パリ国立オペラの前支配人、ジェラール・モルチエがザルツブルグ監督時代に制作したプロダクション(2001)を、キャストもほぼそのままにパリへ移した舞台の収録.メジャーな場所でマルターラーのような現役の前衛演劇人を使ってしまうのがモルチエの恐いもの知らずなところだが、一方でバイロイトの《トリスタン》(大植→シュナイダー指揮)、ベアート・フラー自作自演のミュージックシアター二本とジャレルのオペラを除き、マルターラーのオペラ演出ではシルヴァン・カンブルランが一貫して指揮を務めており、彼と共同作業をしているのは事実上この人しかいないわけだ.

    当の《フィガロ》はフォルクスビューネ劇場を思わせる高さのある空間に、段差や演壇や様々なスペースで細かい分割を行った上で、ミニマルな演技の連続で進行する.ロマンティックな要素は徹底して外しが行われており、「音楽と劇は別々」的な適当な行き方ではなく歌唱の上でも的確な表現を見出すことが求められるが、このあたり当キャストは些か創意が足りない.ヴィデオで見て面白いものかどうかは疑問にしても、やや退屈な出来なのは残念.それでも不自然に急ぐように演奏される婚礼の舞踏の、不気味な機械性とコミカルさの同居などにやりとさせられるし、鳩ぽっぽのような似合わない婚礼衣装姿のエルツェ=伯爵夫人を中心に<家族の肖像>が提示される大団円(頭上には”MARIAGE”のネオンサイン)の、急に生気を喪失した肌触りなどはマルターラー劇の白眉だろう.結局これは結婚という制度を巡る様々の注釈であり、最初から最後までどうしようもなくstuckした状況を描いたものなのだ、と腑に落ちる.

    同チームが次に制作した《椿姫》こそ彼らの才気が余すところのない発揮を見た例であり、今まで見聞きした中で最も異質で、しかし最も優れた《椿姫》の上演であった.再演《トリスタン》なんてどうでもいいので、Opus arteにはこちらのリリースを期待したい(笑)

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     2009/10/31

    各地で引っ張りだこのクラウス・グートはさほどの演出家とも思われないが(××から拝借したのでは、というアイディアも多いし.同年ザルツの《ツァイーデ/アダマ》やハヤ・チェルノヴィン《プニマ》も見た)、普通とちょっと異なった切り口でまあまあ正解の舞台.フィガロの出生の秘密以上にケルビーノはロマン主義的な形象だろうが、グートの演出は時代設定等を解消してケルビーノの幻想的な伏線を張っておき、新たに作ったケルビム(ザルツブルグの聴衆に分かり易いようにとの意図も大きかろう)を他の登場人物にややアンビヴァレントに絡ませる一方、当のケルビーノは何も知らないかのように舞台中を逍遙する.同役のシェーファーがちょっと吃驚するような上手さで、彼女ありきで作った演出という気がしなくもないが、別にそこに拘らずとも、凍り付くような婚礼の舞踏(ニキ・ド・サンファールの初期の否定性を思わせる、膨らんだ花嫁衣装!)など印象的な場面はある.アーノンクールがまた舞台のロマン性に過剰気味に反応してしまい、普通はあまり感じない濃厚な悲劇性に傾斜した音楽づくり(《もう飛ぶまいぞ》と最後の幕切れの荘重さ!).要するにあまりバランスの良い解釈ではないが、さすがに歌手陣は主役のダルカンジェロ、ネトレプコからマクラフリン(マルチェリーナ)、リーバウ(バルバリーナ)に至るまで巧い(スコウフスとレシュマンはやや大仰だが).アーノンクールの音楽性と波長が合えば楽しめるだろうし、合わなければ徹底して退屈するだろうソフト.反発するかのように適度に我が道を行くヴィーン・フィルも聴きものだ.尚ORFによる初日のライヴ中継では演出家のみならず指揮者への盛大なブーが聞かれたが、かなり綺麗に証拠隠滅されている(笑).今年の《コジ》を以て完結したグートのダ・ポンテ三部作ではヴィーン版を用いた《ドン・ジョヴァンニ》が出色の面白さだったので、ぜひソフト化を望みたい.

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/10/31

    グランド・オペラ風にやるほどに詰まらなくなる徹頭徹尾クサいオペラ《椿姫》、どうせならミュージカル的エンターテイメントとして見せてしまおうというのがこれ.クリシェーなメロドラマを大真面目に見せられるのに我慢ならない向きには、ひとつの納得し得る選択肢ではあろう.ヴィリー・デッカーの演出はのっけからグランヴィル(ルイージ・ローニ)を運命を司る老人として登場させ、大時計をキーにしながら、無機質な半月形の舞台空間上で、ほとんど照明と合唱団の動きだけで進行する.数を見ると同工異曲ではあり、全く深みがないから個人的には退屈だが、コンパクトな舞台技巧は一見の価値があると思う(連続的に移行する第2幕前半〜後半〜第3幕など).ヴィオレッタはドゥミ・モンドと言うより現代風セックス・シンボルとして提示されるが、そうした役どころを実に完璧に演じてしまえるのがネトレプコであり、クールな彼女にいつでも絶唱調のヴィラゾンの組み合わせもgood.ネトレプコはこの声と技巧でよく考えて歌っているとは思うが、集中力はあってもやや陰翳に欠けるし、妙な位置でブレスが入ったりもしており(テンポのせいか?当DVDは彼女のヴィオレッタを見るものではあっても聴くものではない感じがする.もう一種くらいソフトが出てもいいのではないか)、ハンプソンだけを悪く言うのは気の毒.他の役は無難な選択だが、敢えて目立たないようにされている.指揮者のカルロ・リッツィは失敗の許されない公演への安全牌だろうが、堅実さは評価できるものの覇気にもニュアンスにも乏しく、音楽を一層魅力の無いものにしている.楽しいと思うかどうかは人それぞれ.特には薦めない.

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     2009/10/14

    東フィル客演のマーラー第6を二晩続けて聴いた夜にこのCDを聴き始め、昼間の憤懣が洗い流されてゆくような快感を覚えたことを思い出す.これはヴィーン・フィルがマーラーについてこれほど語ることを持っている、というのを聴くCD.ハーディングはさすがに10番クック版を何度も演奏してきただけあってしっかりした解釈の骨格を持っているし、随所に彼らしい拘りも見せるが、豊かなフレージングは全くオーケストラのもの.一方で他レパートリーでの彼を知っているだけに、ほんのちょっとした箇所で棒の技術に難を見、やたら気になってしまうのは悪い癖だろうか.

    10番はアダージョを除き過剰さも凝縮も中途で、やはりマーラーの完成された作品とは見なせないが(ベルクの《ルル》とはわけが違う)、そうしたことをひとまず置いて、世紀末と大戦の中間という少しばかり穏やかな時代に作曲された交響楽のひとつとして楽しみたい.(アルマの歌曲とサマーレ=マッツーカ補筆版を組み合わせたジークハルト=アーネム・フィルの面白い演奏会があったのだが、CDでは歌曲が省略されただ脳天気なだけの演奏になってしまった.残念.)

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     2009/10/13

    これは素晴らしい録音.細かいモティーフが積み上がって部分的に自由な無調期シェーンベルクに近付いている第1楽章も、変奏がとうとうと流れる第4楽章も、ディティールまで実に精細にバランス感ある見通しで捌かれていて、この曲が晦渋だと思っていた昔がうそのよう.それでいてこちらが欲しいと思う響きの質やエネルギーにも欠けていないのだ(細かい器楽法の扱いが実に巧い).ラジオ音源のライヴの方が遙かに白熱した演奏でそちらも良かったけれど、ここまでいい仕事をされるともう時間を掛けたセッション録音の勝利と言う他はない(金管の機能性が僅かに不足するところも、うまく録られている).結局はケレンで聴かせる方向に行ってしまうラトルとは正反対のアプローチに、溜飲を下げる向きも多かろう.この次はぜひ6番をやってほしい.ブーレーズ=WPh盤の憤懣が解消される筈だ.

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/04/29

    期待して見たがいまいちの感を拭えない.ラトル=BPhの響きは明晰だがライトモティーフの処理や和声感の移り変わりに鈍く、ドラマの展開に有機的に結びつくには至っていない.OAEとの《ラインの黄金》は素晴らしかっただけに残念.仏演劇界の大御所ブロンシュヴェイクの演出は室内劇的で丁寧なものであり、冒頭からしてふっと眠りに落ちるジークムントが印象に残るが、どうもこの人はオペラ歌手相手に本領を発揮できず(スカラ座での《ドン・カルロ》も、初日直前に題名役のフィリアノーティ降板の憂き目にあった)、そう何度も見る気にはなれない.

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