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sadRed さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/10/18

    ベートーヴェンの楽譜上の落書きとして有名なのが、晩年の荘厳ミサ曲冒頭キリエの最初のページの上部にある「心より出ず、心へ帰(き)さむことを」(Von Herzen ― möge es wieder ― zu Herzen gehen!)だ。私の心から出たものだから、それが帰り着くべきところは聴く人たちの心であってほしい。DENON時代も含めて、memoire(記憶、思い出)といった、きわめて個人的なアルバムタイトルは、これが唯一ではないか、と思う。その演奏は、ピアノ演奏を最大の自己表現の手段とする者のVon Herzen, zu Herzenになっていると感じる。イリーナ・メジューエワさんという、真摯で優しい女性の心に、人格に、聴き手は全身全霊をきもちよく包まれてしまう。曲がたぶん、幼少このかたからの、音楽体験の履歴そのものだから、“思い出”と題したのだろう。それはたぶん、愛してやまないロシアの風土でもある。彼女自身が書いたとてもおもしろいライナーの片隅に、評論家の亀田氏が「このアルバムに限らず彼女の演奏は一般的に、音楽を聴いていることを忘れさせ、感情そのものに包まれてしまう…こんな体験を与える音楽家は稀」と書いておられる。音が、本物の本人以上に本人の生きた分身である、そんなものすごい演奏者だけど、そこに感じられるものは、強さと、明確さと、そして優しさだ。妙な文学臭など、これっぱかりもない。純粋に、硬質に、美しい。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/08/19

    各曲についてはすでに優れたリビューが書かれているので、ここでは個人的なイリーナ・メジューエワ概論を簡単に。DENONから、ショパン生誕200年記念でCD5枚組の「CHOPIN eternal...」という名曲集が出ている。演奏者は日本と多少の縁のある人が多く、リグット(協奏曲1,2ほか)、リフシッツ(24の前奏曲)、グリモー、カメニーコヴァー、近藤嘉宏(エチュード10, 25)、トロップ(ソナタ2)、田部京子、アファナシェフ…らに混じってメジューエワはスケルツォ1、軍隊ポロ、マズルカ5,50が使われている。で、ほかの(まあまあ優れた)ピアニストたちと、メジュさんの断固たる圧倒的な違いがある。それは、ピアノの打鍵音の強さ・明確さだ。強いといっても、破(わ)れるような汚い音ではもちろんない。彼女のピアノの音は、すごいシリアスだが、そのガーン(低音)、カキーン(高音)という響きは耳から全身の神経に快感を与える。なまぬるい、いわゆる‘やさしさあふるる’美音は、どうも気持ち悪いのである。メジューエワの音は、完全な、強い、納得と肯定の音なのだ、少なくとも私にとっては。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2013/04/21

    みんながイリーナのピアノをほめまくるパーティーで、一人水を差すようなことを言うのは…、とためらっていましたが、mimiさんのレビューに勇気を得て書こうかと思います。赤信号、二人で渡れば怖くない?? なるべく短い言葉で言うと、西洋クラシック音楽はモーツァルト、ベートーヴェン以降、次第に「人間の音楽」「人間的な音楽」になっていきますが、バッハの音楽はそれらに対して、「宇宙的な音楽」だと感じるのです。もちろん客観的外部に広がる、(開発対象になったりする)物理的宇宙ではなく、人の心にある宇宙性、しばしば神というあまりに多義的で誤解を招きやすい言葉で表現されたりもする、大きな深いもの。それがバッハの音楽に感じる宇宙性です。あえて具体例を一つだけ挙げるなら、あの、ピアノ曲にも編曲された「シャコンヌ」、バッハの音楽のものすごさ(awesomeness)が強力に形作られています。一つ、と言ったけど「マタイ受難曲」もすごいなぁ。で、これ以上ごたごた書くよりも、イリーナ自身が誰よりも、自分のバッハはまだ未熟である、と自覚していると思います、という言葉でこのリビューを終えたいと思います。感心したのは、ピアノの音の魔術師メジューエワ、このCDでは音がチェンバロの音に似ていることです。意図的な小細工としてではなく、もちろんそれは、彼女の楽曲探究の結果として、自然に。

    7人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/22

    雨だれ(Raindrop)という、いいかげんで浅っぺらいニックネームのおかげで、その真髄が誤解されている15番を、最初から最後まで完全に真摯に弾いている。第一主題はショパンの基本テーマ「良(善)きものへの希求や想起」だ(ショパンの曲に、今そのものが良く、善く、明るく楽しい、というものはない。ノクターンの元祖フィールドも言うように、ショパンの曲は”病的”である…その正当な理由は紙幅の小さいここには書けないが)。対してその良(善)き想いを否定するかのように襲ってくる不吉な想いが“ショパンの嬰ハ短調”で鳴る第二主題だ。この曲は、このコントラストこそが、キモでありタマだ。そもそも私自身もメジューエワのこの演奏でこの曲の本質に目覚めたほうだが、第一主題をこんなにきれいにやさしく、そして第二主題をこんなに暗く不吉におそろしく、弾かれた15番をこれまで私は聞いたことがない。良(善)きものへのあこがれと、それを打ち消す不吉な暗い予感。それは、往時の“難民の元祖”ショパンが強く深く持っていただけでなく、今や、ほとんど世界中至るところで多くの人が持っている。そして作品28の全24曲は、その総体が、この二つの相反するものの葛藤にまみれている、深く病的な名曲だ、と言える。幸いにも“ポーランド難民”はヨーロッパの未来に二度と出現しないと思われるが、日本の現状には、小さな島をめぐり、えっ?また近隣諸国と戦争?、という不吉な予感がある。予感を警鐘として受け止め、平和の絶対的な貫徹に努めていきたいものだ。でなきゃ、かつて戦死したご先祖たちに申し訳ない。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/06/17

    シューベルトのピアノソナタとブルックナーの交響曲は共に、私にとって長くて冗漫で退屈な曲の最極端に位置する。しかし前者には、さすがに“メロディの天才”と呼ばれるだけあって、きれいなメロディが随所にあるぶん、救われる部分はある。メジューエワのシューベルトピアノソナタはしかし全篇、そんなに退屈せずに聴き通すことができる。それはたとえば、ポリーニの演奏を「正しい音の羅列」と呼ぶなら、こちらは完全に「音楽」に、そして心のこもった「歌」に、あるいは強靱なリトミックの「舞曲」に、なっているからだ。音が横に流れていかずに、一つ一つの音が聞き手の心に刺さってくる。フレージングの細部までていねいな、とてもきめ細かい歌いぶりは、村井翔さんがこのページで触れておられる。リズムの強靱さはhonojiさんが触れておられる(あと一歩でロックだ!)。彼女の、他に類のない演奏によって、私がシューベルトピアノソナタに関して初めて開眼させられただけでなく、おそらくもっとも救われたのはシューベルト自身だろう。彼もまた、世間の長年の、うざってぇ“シューベルト迷妄”(「死」がどーしたとかこーしたとか)から、彼女によって、初めてすっきりきれいに解放され、洗われたのだ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/21

    このアルバムは、演奏者自身が書いているノーツが重要だ: 「ショパンの魅力についてはすでに多くの言葉が費やされてきた。そのエッセンスは一言でいえばポーランド語の『żal』〔żは上に小さな点のあるzだ〕という言葉に集約されるだろうし、『ポエジー(詩情)』が最重要であることは論を俟たない。『人間の尊厳』。『高貴さ』というのも大切なキーワードだろう。プーシキンの言葉にあるように『美しいものは厳かなのである』。”żal”については、http://bit.ly/tfJQ4Eがいちばん詳しいだろう。このほか、「本来あるべきものを失った悲しみを意味します」http://bit.ly/vujoaa、「その含意するところは、悲しみ、憧れ、ノスタルジア、後悔、諦め、悔悟、腹立ち、だそうです」http://bit.ly/s9bPQC、「傷む心」http://bit.ly/tO33Loなども参考になる。Google翻訳では、英語で「grief」、日本語で「悲しみ」と出てくるだけだ。要は、私がメジューエワのノクターン全集の本HMVサイトのコメントに書いたとおりだ。むしろ私がびっくりするのは、”人間の尊厳”、”高貴さ”という言葉が出てくるところだ。音楽について、こんな言葉を発言したピアニストを、私は過去に知らない。彼女の音楽表現の、独特の「強さ」の基盤が、この音楽観にあるだろう。このパラグラフに続けて彼女は、「私はショパンを、あくまでも、構造性を重視した古典として弾く」と述べている。ショパン=ロマン派は、たしかに、あまりにも長持ちしすぎた誤解だろう。この誤解のおかげで、私にとってショパンの音楽は長年、つまんねぇ軽視の対象でしかなかった。イリーナ・メジューエワは、私の耳に対して、ショパンを”脱構築”したのだ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/16

    ショパンにおけるバラードというジャンルは、ショパンという個人の「語り」であり「モノローグ」である。それらは結果的に「悲歌」であり、ときには、ある種”正当性”すら帯びた「激情」である。イリーナ・メジューエワの演奏は、そういう、曲と表現者個人との同一性をあらためて認識させてくれる真摯な音群である。これまでつまらない曲と思っていた2番の、序奏と主題冒頭との、非常に鋭利な激しいコントラストは、私の耳にとって初耳であり、また4番終わりのほうの、主題のためらいがちな再帰部分の、思わず聞くほうも涙ぐんでしまいそうな孤独な悲しみ、いずれも、これまでのショパン弾きたちの生半可な音群とは決定的に違う。今朝、テレビの国民対話番組におけるプーチンのテキトーな不誠実な受け答えを聞いていて、あらためて分かったのだが、表現者と祖国・故国との関係が、当時のショパンとイリーナとでは相似であることだ。あるべき祖国が、誰かに奪われてしまっている。だから、正当性のある強い激情を、世界に向けて真剣に表現しなければならない。それはたぶん、ロシア本国にいては、できにくいことなのだろう。21世紀前半、世界がこんな総体的な動乱期に入っていくとは、ふつつかな私が想像もしなかったことだ。そう、こんなときこそ、これぐらい、強い音が必要だよね。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2011/10/26

    この全集演奏の大きな特長の一つは、初期の無名曲をどれも、ひとつひとつ、とても生き生きとしたフレッシュでみずみずしい音楽として鳴らしていることです。曲と、若き日の作曲家への、シンパシーと愛情が感じられる。名曲は8番「悲愴」から、と思っていたみなさん(この私も!)、この6番、とくに第二楽章の演奏を聴くべきです。優しい、繊細、深い、夢幻的、神秘性、と形容詞を羅列すると陳腐な文になるばかりだが、なにしろこの演奏は、超名演です。ちなみに私の少年期からの聴取歴からいって、初期のソナタもどれも聴いているはず。そんな私にこれらの演奏は、新鮮で生きた新発見をもたらしてくれる。初期ソナタはこれまで、私の中で死んでいた。イリーナの強力な確信犯的な演奏で、それが生きた若者へと蘇った。すばらしいピアニストです。「強い音」と「美しい音」が一つの音として両立している。健康に気をつけて、長寿をお願いしたい。おっと、27番ホ短調の”しっかりした孤独感”も、説得力に富む名演です。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/10/14

    田中希代子さんは、日本人女性としては珍しく、西洋クラシック音楽を演奏することは矮小な個人的自己表現ではなくて、西欧文化という圧倒的なもの=音楽の音の形(構成、ダイナミズム、リズム、スウィング、等)の、強力な動的表現であることを、本能的にわきまえていた方だと感じます。ベートーヴェンの最後のこの巨人的ピアノソナタを、ここまでがっちりと、本格的に、堂々と、築き上げた日本人女性ピアニストは、私の知るかぎりこのディスクにおける田中さんのみです。ドビュッシーの演奏(別盤)にも、やはり、すごい”本格性・本物性”を感じてしまいます。

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  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/09/04

    仕事をしている人間が音を聞く主な動機の一つは、(神経の)疲労を癒すことにあると思うのですが、そのためには、ピアノ演奏では、圧倒的な強音のグァーン!という響きや、高音の澄み切ったするどい響きが重要です。どちらも、シロウトがSteinwayの前に座っても、絶対に出せない音です。
    [段落] 

    それと、シューマンの言葉を持ち出すまでもなく、ショパンがスケルツォと呼ぶ自分の曲は、いわゆるスケルツォではなく、自分の曲の中でもかなり前衛的な位置づけを持たせていたと思います。このCDの構成で、うまいなと思うのは、2曲終わるごとに、軽い「口直し」を入れているところ。
    [段落] 

    また、それが必要なぐらい、スケルツォ本体の演奏は、すさまじいです。ショパンが込めた、強烈な前衛性そのものではないでしょうか。たくさん書かずに一つだけ挙げておこうと思いますが、4番のB部のいかにもショパン節と言える(泣かせる?)旋律が、次第々々に奇怪に変貌し、最後は、暗雲たれ込める重い暗い激しい嵐に突入していきます。ここらの、イリーナの表現力も、すごいねぇ。こういう、強い裁断性--日本刀的?--のある「劇力」は、もしかして歌舞伎や能から学んだのかしら?

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/03/05

    日本には、いやロシアも含むほとんどの国に、ピアノを弾くことやピアノ音楽を聴くことをめぐる、ひとつの村社会ができている。象徴的に一つだけ言うと、たとえばショパンのアンダンテスピアナートを、安っぽくなれなれしく「アンスピ」などと呼んではばからない世界だ。ショパンはその村の最大のアイドルで、曲や演奏者(いわゆるショパン弾きの名人達人)をめぐって話題や行事がつきない。その、気色悪い、うざってぇ、かったりー世界の人たちに言いたい:「ショパンを”予定調和的に”弾くな!」、「ショパンを”予定調和的に”聞いて楽しむな!」。以下は、メジューエワのすばらしい音と演奏からの私の勝手な想像だが、彼女の日本〜日本文化(たとえば能は、その音〜音楽が強烈ですばらしい)への帰依は、ロシアのそういった伝統的「おピアノ村」に足蹴を食らわす自己儀式ではなかったか。たとえばこのCDのスケルツォ2を、ツィマーマン、ユンディ・リといった、村好みの予定調和的美演と聞き比べてみよう。うー、これ以上長く書かないために短くひとこと: 彼女の、正しい、強靱な、破壊への意思が、より強く伝わってくるのである。

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     2011/02/28

    この方のショパンに関する総論的なリビューは「ノクターン全集」のほうに書いたので、ここでは短く。この俗称「葬送ソナタ」もやはり、われわれ、あるいは私の、耳に長年なじんでいるショパンの名曲としてのそれとは相当違う。立体的で構造的で、主張の強いダイナミズムがあり、音が目の前を横に流れていくのでなく、縦に、こっちへ突き刺さってくる。友人が、ショパンはベートーヴェンの弟子だと暗喩を言ったが、まさにそれ。葬送行進曲の楽章は、これまでいかにもそれらしい演奏が多かったと思うが、この演奏ではショパンという人間の、強さ激しさもある、心のモノローグになっている。だから、このCDの前座の5曲は何かというと、(うまく説明できないが)ショパンという人間を一軒の家にたとえると、その音楽には、家の外でお客に商品として提供するものと、自分の家の中の”ショパン節”のインテリアになるものの2種類があり、後者ばかりを選りすぐって集めた5曲だ。こんな拙(つたな)い説明でなく、いずれ演奏者本人の本格的な蘊蓄を読みたい。

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     2011/02/21

    これは、ものすごく「厳しいショパン」である。これまでの、“クラシックの名曲〜ピアノの名曲”としてのショパンの音(たとえば往々にして日本人好みの感傷的な)は、ここにはない。演奏者は、過去の一般的なショパンの概念を自分の心頭から消し去る、ショパン像をリセットするところから、ショパンへの取り組みを開始したと思われる。とにかく、楽譜を詳細に読み、必要なことはすべて楽譜中に見つける。ショパンの名曲、ではなく、ショパンという人間の表現としてのショパンの音楽とは、どういうものか。どういうものであるべきか。ショパンのノクターンなんて、これまでさまざまな機会に聴いて/聴かされて、まるで耳垢みたいなものとしてこびりついていたものが、このCDの最初の数秒(嬰ハ短調遺作)で一瞬にして完全に消え去る。背筋に戦慄が走る。そして、耳から心へ突きつけられるものは、ショパンの心の本質、みたいなもの。それは、とても巨きな欠乏感、それをあえて別の言葉で言えば、巨きな憧憬や願望だ(詳細はポーランド史+ショパン伝記に譲る)。そしてその巨きな欠乏感は、今、一部の被抑圧国だけでなく、世界中の人の心にもあるものだ。それが、明日の歴史を動かしていく。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/14

    ショパンに限らず西洋クラシック音楽のロマン派は私にとって全然重要なものではなかった(バッハとモーツァルトとベートーヴェンだけあればよい)が、この方の演奏からは、ショパンがベートーヴェンと(ほぼ)同時代人であること、ヨーロッパ史の動乱期転換期を生きた人であることを、強く認識させられる。だからその音楽は、言いたいことの中身が強くて激しいのである。その強さ激しさをきちんと(ベートーヴェンんなみに)ダイナミックに構造的に打ち出したショパンの演奏は、過去にめったにない(私は寡聞にして知らない)。リヒテルの幻想ポロネーズは、凄いと思うが。というわけでロマン派音楽嫌いの私が、完全に圧倒されつつ完全に納得感動して聞いてしまうのが、このライブ演奏だ。この、類のない偉才ピアニストの、今後の健康長寿をせつに祈りたい。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/13

    自分は、ヘンデル、ハイドン以前や、いわゆるロマン派以降には関心がないという、ある意味偏狭なクラシック音楽ファンなので、今回その理由を探ってみると、バッハ(1750没)、モーツァルト(1756-1792)、ベートーヴェン(1770-1827)というように、好きな3人は18世紀末とほぼ時代が重なっている。それは、王族貴族社会の衰退、しかしのちの(かったるい!)ヨーロッパブルジョワ社会はまだない、ある種の真空地帯である。その中でとくに晩年のベートーヴェンは、自分の孤独な「個」というものに沈潜していった。(途中省略)。最後のソナタ32番は、身の程知らずに自分も挑戦したことがあるが、この演奏の音、とくにフォルティッシモのコードを中心とするフレージングは、私が弾きたいと思った音そのものだ。それプラス、2楽章の最後の夢幻玄妙な音の織り方は、この曲について私が初めて教えられた部分だ。「熱情」のリビューにも書いたが、この人の左手の表現力は、他に類なくすばらしい。今後の健康と長寿を、ぜひお願いしたい。

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