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1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/19
20世紀初頭のドイツ音楽を語る上で無視できないのがマックス・レーガーなのですが、20世紀初頭のドイツ音楽が演奏されることはほとんどありません。一部の例外はリヒャルト・シュトラウスとマーラーぐらいでしょうか。 レーガーは、マイニンゲン宮廷楽団の楽長(ハンス・フォン・ビューローや若き日のリヒャルト・シュトラウスも務めた)の経歴を持ついわゆる「ドイツ伝統音楽」の中でのたたき上げであり、ドイツ3大Bやワーグナーの跡を継ぐ作曲家を自認し、対位法や主題の変奏を得意としていたようで、同時代の若手であったヒンデミットやプロコフィエフも影響を受けたといっています。 しかし、第一次大戦中の1916年に43歳で早世したこともあり(極度の肥満や暴飲暴食、ニコチン中毒などに起因する心筋梗塞だったらしい)、その後の「ドイツ帝国崩壊」の歴史の中で忘れ去られていったようです。 レーガーが活躍したのは1900〜1910年代であり、フランスではいわゆる「ベル・エポック」と呼ばれる時代ですが、ドイツではレーガーたちの「保守的」な作曲家とシェーンベルクらの「革新的」な作曲家が拮抗する混沌とした時代であったようです。結果的にどちらも「主流」とはなり得ず、第一次大戦後の「モダニズム」の時代を経てナチスの文化統制と戦後のナチス文化否定の中で、結局「20世紀前半のドイツ音楽」という「定位置」が形成されないまま今日に至っているようです。 その頃の音楽が実際どんな音を奏でていたのかという手掛かりを知る機会はほとんどなかったのですが、このところいろいろな企画が登場してリスナーの選択肢が増えました。 マックス・レーガーに関しては、Brilliant から旧東ドイツの音源を中心とした作品集(室内楽、オルガン曲を含む11枚組)が出ており、作曲家の全体像を知りたいのであればそちらの方が好適でしょう。ただし「管弦楽曲」や管弦楽を伴う歌曲が充実しているのはこのCD集の方なので、目的に合わせて選択すればよろしいと思います。演奏は1980〜90年代の西ドイツの指揮者、オーケストラです。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/19
20世紀初頭のドイツ音楽を語る上で無視できないのがマックス・レーガーなのですが、20世紀初頭のドイツ音楽はリヒャルト・シュトラウスとマーラー以外が演奏されることはほとんどありません。 レーガーは、マイニンゲン宮廷楽団の楽長(ハンス・フォン・ビューローや若き日のリヒャルト・シュトラウスも務めた)の経歴を持ついわゆる「ドイツ伝統音楽」の中でのたたき上げであり、ドイツ3大Bやワーグナーの跡を継ぐ作曲家を自認し、対位法や主題の変奏を得意としていたようで、同時代の若手であったヒンデミットやプロコフィエフも影響を受けたといっています。 20世紀初頭のドイツ音楽を語る上で無視できないのがマックス・レーガーなのですが、20世紀初頭のドイツ音楽が演奏されることはほとんどありません。一部の例外はリヒャルト・シュトラウスとマーラーぐらいでしょうか。 レーガーは、マイニンゲン宮廷楽団の楽長(ハンス・フォン・ビューローや若き日のリヒャルト・シュトラウスも務めた)の経歴を持ついわゆる「ドイツ伝統音楽」の中でのたたき上げであり、ドイツ3大Bやワーグナーの跡を継ぐ作曲家を自認し、対位法や主題の変奏を得意としていたようで、同時代の若手であったヒンデミットやプロコフィエフも影響を受けたといっています。 しかし、第一次大戦中の1916年に43歳で早世したこともあり(極度の肥満や暴飲暴食、ニコチン中毒などに起因する心筋梗塞だったらしい)、その後の「ドイツ帝国崩壊」の歴史の中で忘れ去られていったようです。 レーガーが活躍したのは1900〜1910年代であり、フランスではいわゆる「ベル・エポック」と呼ばれる時代ですが、ドイツではレーガーたちの「保守的」な作曲家とシェーンベルクらの「革新的」な作曲家が拮抗する混沌とした時代であったようです。結果的にどちらも「主流」とはなり得ず、第一次大戦後の「モダニズム」の時代を経てナチスの文化統制と戦後のナチス文化否定の中で、結局「20世紀前半のドイツ音楽」という「定位置」が形成されないまま今日に至っているようです。 その頃の音楽が実際どんな音を奏でていたのかという手掛かりを知る機会はほとんどなかったのですが、このところいろいろな企画が登場してリスナーの選択肢が増えました。 マックス・レーガーに関しては、この作品集CDが「管弦楽曲」「協奏曲」「室内楽」「オルガン曲」などがバランスよく網羅されて最適です。「管弦楽曲」は旧東ドイツ時代の古い録音が多いですが、演奏も音質も問題ありません。 その音楽がお気に召すかは・・・ご自分の耳であ確かめください。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/19
エルヴィン・シュルホフは、ハプスブルク帝国時代のプラハにドイツ系ユダヤ人として生まれ、プラハ音楽院で学び、その後ウィーンやライプツィヒ音楽院で学んでドイツ・オーストリア圏で活動しました。第一次大戦後は共産主義を信奉し(「共産党宣言」をテクストにした歌曲まで作っている)、音楽ではシェーンベルクが主宰する「私的演奏協会」に参加、ジャズを取り入れるなど「ダダイズムの作曲家」として当時の前衛音楽の最前線に立ちました(ただしシェーンベルクの十二音音楽には否定的だった)。1928年の「交響曲第1番」の初演はエーリヒ・クライバーによって行われています(このCDには含まれない)。「どこがダダイズムなの?」と思える、前向きで意欲にあふれ颯爽とした作風です。1920年代のドイツ音楽の「モダニズム」とはこいういったものだったのでしょう。 1930年代に入ると「ユダヤ人」「共産主義者」「退廃音楽」という二重三重にナチスからにらまれる存在となり、共産主義者ということで祖国チェコでも活動の場が狭められていきます。その後チェコを併合したナチスによって強制収容所に送られ、そこで1942年に世を去ります。そしてその音楽の足跡は忘れ去られ、第二次大戦後も長い間顧みられることはありませんでした。 そのシュルホフの作品を聴く機会は今日でもほとんどありませんが、私はたまたま弦楽四重奏の演奏会で「5つの小品」(1923年)を聴いて、なかなかエモーショナルな作品なので興味を持ちました。 この作品集には、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲などがバランスよく収められ、それぞれが一流の演奏なので、シュルホフという作曲家を知る上では絶好の企画といえます。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/17
これはなかなか優れた企画だと思います。商品説明にもあるとおり、何らかの理由(おそらく「商業的」観点が大きいのでしょう)でレパートリーになっていない作曲家、作品に光を当て、一定レベルの演奏で「音として聴ける」ことを目指したもののようです。それも「付け焼刃」ではなく、10枚のCDセットにするために、6年の時間をかけたそうです。付属のDVDのインタビューを見ると、指揮者、オーケストラとも「一度も演奏したことのない」曲ばかりなので、十分なリハーサルを重ねて音楽への理解・共感を深めながら、そして実際のコンサートと並行して録音を勧めたとのことです。その結果として、非常に丁寧に、共感を持った演奏が繰り広げられています。 選ばれた作曲家やその演奏曲は必ずしも「音楽史上の重要性や一貫性」を持ったものではなく、その作曲家の代表作というわけでもなく、それらがどのように選択されたのかは明らかではありません。また、この10人以外の作曲家にも範囲を広げて継続されるのかも定かではありません。 とはいえ、こういった「未知の世界」への道を開く企画はワクワクするチャレンジングなものなので、これからも様々な同様のものが出てくることを期待したいと思います。 生誕250年を超え、ベートーヴェンばかりでは飽きが来ますから。(「良いものは良い」と認めた上で、「他にも良いものがたくさんある」という事実も知って行きたい)
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/15
今年2021年はストラヴィンスキーの没後50年にあたります。「20世紀を代表する10曲」を挙げるとすれば、当選確実の最右翼は「春の祭典」でしょう。それほどまでに「20世紀を代表する作曲家」でありながら、「3大バレエ」以外に演奏される曲は極端に少なくなります。ストラヴィンスキーは「カメレオン作曲家」といわれるように生涯に作風をいろいろ変えています。新しいものを求めて試行錯誤を繰り返したのでしょうが、結局は出世作「3大バレエ」を超えるものは作れなかったということなのでしょうか。ただし「人気」(特に音楽ビジネス上の)は勝ち得ていないにしても、ストラヴィンスキーは自己の能力と情熱を傾けてそれぞれの曲を作曲したはずなので、きちんと耳を傾けないのは失礼でしょう。 そんな「3大バレエ」以外に目を向けるのに適したセットが、この Warner 盤(23枚組)と DG 盤(30枚組)でしょうか。 DG 盤は「全集」と銘打っており、おそらくあまり聞くことのない歌曲なども含まれますので、多少ボリュームの少ない(そして価格も)こちらのセットを選ぶのも大いにありだと思います。 作曲者自身が最晩年にコロンビア交響楽団を指揮した22枚組の自作自演盤もありましたが現在廃盤のようです(ステレオ録音で音もよい)。 没後50年の節目に、20世紀の音楽を俯瞰する視点からストラヴィンスキーの音楽を見直してみるのもよいでしょう。「3大バレエ」以外をお持ちでないなら、この際ぜひ聴いてみてはいかがでしょうか。(私は2015年に出た DG 盤のボックスを買ってしまったし、個別に持っている演奏も何枚かあるので、このセットは様子見です)
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/15
今年2021年は、ストラヴィンスキーの没後50年にあたります。「20世紀を代表する10曲」を挙げるとすれば、当選確実の最右翼は「春の祭典」でしょう。それほどまでに「20世紀を代表する作曲家」でありながら、「3大バレエ」以外に演奏される曲は極端に少なくなります。ストラヴィンスキーは「カメレオン作曲家」といわれるように生涯に作風をいろいろ変えています。新しいものを求めて試行錯誤を繰り返したのでしょうが、結局は出世作「3大バレエ」を超えるものは作れなかったということなのでしょうか。ただし「人気」(特に音楽ビジネス上の)は勝ち得ていないにしても、ストラヴィンスキーは自己の能力と情熱を傾けてそれぞれの曲を作曲したはずなので、きちんと耳を傾けないのは失礼でしょう。 そんな「3大バレエ」以外に目を向けるのに最適なのがこのセット。演奏内容はどれも最高レベルのものがそろった全集ですから。仮にほとんど聴かない曲も含まれるとしても、聴きたい曲だけ個別に集めるよりは断然お得です。(ただし、「火の鳥」の組曲は1945年盤のみで最もよく演奏される1919年盤は収録されていないなど、必要なものは個別に補う必要があります) このDG盤全集以外にも、没後50年の企画で Warner 盤(23枚組)も出ているので、そちらを選ぶ選択肢もあるでしょう。 また、作曲者自身が最晩年にコロンビア交響楽団を指揮した22枚組の自作自演盤もありましたが現在廃盤のようです(ステレオ録音で音もよい)。 没後50年の節目に、20世紀の音楽を俯瞰する視点からストラヴィンスキーの音楽を見直してみるのもよいでしょう。「3大バレエ」以外をお持ちでないなら、いずれかを聴いてみてはいかがでしょうか。 (私は2015年に出たボックスを買ってしまったので、今回数曲がプラスされているようですが買い直しはしません)
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/14
「20世紀を象徴する10曲」に入るであろう大作です。 この曲には、作曲者が想定した「かつての対戦国から集まった3人の独唱陣」(イギリスのピーター・ピアーズ、ロシア(当時はソ連)のガリーナ・ヴィシネフスカヤ、ドイツのフィッシャー・ディスカウ)を取りそろえて作曲者自身が指揮をした決定的名盤があります。 それはそれとして、20世紀の音楽を語るためには、この曲はいろいろな演奏家によって繰り返し演奏され、多くの人に聴かれる必要があると思います。また、それだけの価値のある名曲でもあると思います。 この演奏は独唱陣が充実した演奏です。第一次大戦に散った反戦詩人ウィルフレッド・オーウェンの英語の詩を歌う男性陣は英語圏の2人、ラテン語の典礼文を歌うのはロシアのネトレプコ(もともとヴィシネフスカヤが「英語が苦手」というのでこういう分担になったらしい)。 音の広がりや奥行きがよく表現された録音で、オーウェンの歌詞の室内オケによる歌唱は「手前」に聞こえます。 歌詞対訳が必要なので、初めて買うのは国内盤がよいです。
20世紀を象徴する曲の、作曲者自身の指揮による極めつけの名盤。 なんせ、独唱陣がこの曲を作る上で想定されていた張本人たち、西側イギリスのピーター・ピアーズ、東側ロシア(当時はソ連)のガリーナ・ヴィシネフスカヤ(チェロ奏者ロストロポーヴィチ夫人)、対戦国ドイツのフィッシャー・ディスカウがそろった一期一会の演奏なのだから。バーミンガム市響によって行われた初演にはヴィシネフスカヤが出国を許可されず参加できなかったので、ブリテンは満を持してロンドン響に変えて録音に臨んだのだろう。 誰がこの曲の代表盤を選んでもこのCDになるという面白みのなさもあるので、この演奏をリファレンスに、他の演奏もいろいろ聴いてみるのが20世紀を生きた人間のたしなみだろう。やや古いものではケーゲル、小澤征爾もライブ録音しているし、ヤンソンスやパッパーノ、ノセダ、ネルソンスなども録音している。曲の好き嫌いとか演奏の良し悪しという次元を超えて、20世紀そして現代を生きる人間として一度は聴いておくべき曲なのだと思う。 ラテン語によるカトリックのレクイエムの典礼文に、第一次大戦の戦場に散った反戦詩人ウィルフレッド・オーウェンの詩が「寓話」として組み合わされており、宗教や国家を超えた「人間」に焦点が当てられている。 歌詞対訳があった方がよいので、初めて買う場合にはちょっと高いが国内盤にしておいた方がよい。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/13
NHKで放送している「みんなのうた」が2021年で60周年らしく、初期に放映していた歌を「みんなのうた60」として再放送している。そこで1963年に放送された「おおブレネリ」というスイス民謡を再放映していて、「編曲」が矢代秋雄だった! そんな仕事もしていたのですね。 矢代秋雄は1951〜56年にフランスに留学し、一緒に留学した黛敏郎は「もう学ぶものはない」と1年で帰国したが、「フランクこそ自分の出発点」とじっくりフランス音楽を学んで帰国。帰国後の1958年(28歳)に日フィルの委嘱で「交響曲」を作曲した。ピアノ協奏曲は、NHKの委嘱で1967年(38歳)に作曲された。 1974年(44歳)で藝大教授となるが、1976年(46歳)にヴァイオリン協奏曲の作曲中に急逝した。長生きしていれば、もっと傑作をたくさん残したであろうと惜しまれる。 ピアノ協奏曲は尾高賞を受賞した代表作であり、初演した中村紘子さんとNHK交響楽団の録音もあるが、このNaxos盤の方が整ったよい演奏であり、この曲の真価を味わえる。 「交響曲」も含めて、日本人作曲家の優れた作品を優れた演奏で耳にできることを Naxos「日本作曲家選輯」シリーズに感謝したい。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/13
世の中が豊かさを享受する中で、ベトナム戦争が泥沼化して、法律上は人種差別が撤廃されたもののキング牧師が暗殺されるなど、信仰や社会正義の価値感が揺らぎ、ヒッピーなど若者の現実逃避が増える中で1971年に作曲された問題作である。この「ミサ〜歌手、演奏者、ダンサーのためのシアターピース」は、バーンスタインが熱烈に支持しながらも暗殺された故ケネディ大統領の名を冠してワシントンDCに完成した複合文化施設「ケネディ・センター」のこけら落としのために作曲された。作曲を依頼したのはジャクリーヌ夫人であった。 バーンスタイン自身はユダヤ教徒なので、カトリックの「ミサ曲」を作る意図はなく、ラテン語のミサ典礼文と英語の「寓話」を組み合わせるという、ブリテンの「戦争レクイエム」の手法を取り入れて、信仰の危機とそれを克服することによる人間性に対する信頼と復活を呼びかけるものを作ろうとしたように思う。 その意味で、この曲「Mass」を「ミサ曲」と呼ぶのは間違いで、「ミサ」を題材にしたシアターピースであり、宗派を超えた「大衆、庶民」という意味もかけているはずだ。 最も正統的なのが自作自演盤であるが、そのアメリカ的ごった煮感をよく再現しているのはオールソップ盤のように思う。 それに対してこのケント・ナガノ盤は、ドイツのオケであることもあり、クラシック風の優等生的な演奏である。それでは面白くないかといえばそんなことはなく、この曲が持つ普遍的、全人類的な意味や、アメリカを超えたグローバルな捉え方、21世紀から20世紀の音楽を客観的に眺める観点からは面白く聴ける。それだけ多面的な曲であるということなのだろう。
ヨーロッパをナチスの横暴が吹き荒れていた1938年、ドイツのポーランド系ユダヤ人に対する国外追放に抗議して、パリ在住のユダヤ人青年がパリのドイツ大使館員を射殺するという事件が起こった。これは「国際ユダヤ人組織によるテロ」としてドイツ国内での反ユダヤ感情をあおるプロパガンダに利用され、その数日後には「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人襲撃に発展していく・・・。 マイケル・ティペットの「われらの時代の子」とは、このユダヤ人青年のことである。 この出来事やナチスのユダヤ人迫害に心を痛めたティペットは、詩人の T. S. エリオットに詞を依頼するが、逆に自分の言葉で語るよう励まされ、自身の言葉に曲を付けて1942年にオラトリオとして完成させた。ユダヤ人の迫害をイエスの受難になぞらえ、バッハの「マタイ受難曲」を手本として、合唱によるコラールの部分には黒人霊歌を用いている。かつてカナンの地を追われたユダヤ民族や迫害されたイエスを、自らの奴隷の境遇に重ねた黒人霊歌を、再度迫害されたユダヤ人の心境を歌うものとして使っているわけである。 曲が完成したのは、まだノルマンディー上陸作戦などが行われる前にもかかわらず、ティペットの詞は人間性や人本来の理性を信じる希望によって閉じられ、最後に置かれた黒人霊歌「深い川」が大きな感動を呼び起こす。 20世紀を象徴する10曲に含めてよい名曲だと思う。 (その後イスラエルがパレスチナ住民を迫害することになるのは、ティペットの信じた人間性に逆行することになるが・・・) コリン・ディヴィスはこの曲の演奏・普及に情熱を燃やし、生涯に3回録音を行なっており、このCDはその最初のものである。自身のリサイタルなどで黒人霊歌をアンコールとして歌うこともあるジェシー・ノーマンが、ユダヤ人青年の母親役などとして参加して名唱を聴かせる歴史的な名演である。
ヨーロッパをナチスの横暴が吹き荒れていた1938年、ドイツのポーランド系ユダヤ人に対する国外追放に抗議して、パリ在住のユダヤ人青年がパリのドイツ大使館員を射殺するという事件が起こった。これは「国際ユダヤ人組織によるテロ」としてドイツ国内での反ユダヤ感情をあおるプロパガンダに利用され、その数日後には「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人襲撃に発展していく・・・。 マイケル・ティペットの「われらの時代の子」とは、このユダヤ人青年のことである。 この出来事やナチスのユダヤ人迫害に心を痛めたティペットは、詩人の T. S. エリオットに詞を依頼するが、逆に自分の言葉で語るよう励まされ、自身の言葉に曲を付けて1942年にオラトリオとして完成させた。ユダヤ人の迫害をイエスの受難になぞらえ、バッハの「マタイ受難曲」を手本として、合唱によるコラールの部分には黒人霊歌を用いている。かつてカナンの地を追われたユダヤ民族や迫害されたイエスを、自らの奴隷の境遇に重ねた黒人霊歌を、再度迫害されたユダヤ人の心境を歌うものとして使っているわけである。 曲が完成したのは、まだノルマンディー上陸作戦などが行われる前にもかかわらず、ティペットの詞は人間性や人本来の理性を信じる希望によって閉じられ、最後に置かれた黒人霊歌「深い川」が大きな感動を呼び起こす。 20世紀を象徴する10曲に含めてよい名曲だと思う。 (その後イスラエルがパレスチナ住民を迫害することになるのは、ティペットの信じた人間性に逆行することになるが・・・) コリン・ディヴィスはこの曲の演奏・普及に情熱を燃やし、生涯に3回録音を行なっており、このCDはその最後のものである。状況の語り部やユダヤ人青年の叔母役として、アルトの藤村実穂子さんが参加している。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2021/03/12
このCDが発売された2016年は「海道東征」の当たり年で、このCDとEXTON盤の山田和樹指揮による録音がほぼ同時期に発売された。演奏・録音自体は山田和樹が2014年2月11日(紀元節!)、藝大チームによるこのCDが2015年11月なので、藝大チームの方が録音から4ヶ月ほどでわずかに先行して発売されたことになる。作曲者の信時潔は長年東京音楽学校(藝大の前身)の教授を務め、「作曲科」を創設した大先輩なので(信時自身は作曲科教授には就かなかった)、藝大の威信をかけてその作品のリバイバルを一番手として世に問いたかったのだろう。 この曲は、1940年の「皇紀2600年奉祝曲」の一つとして作曲された。同じ「奉祝曲」としては、山田耕筰の歌劇「黒船」(初演時は「夜明け」)や、東京音楽学校作曲科教授であった橋本國彦「交響曲第1番」などがある。 このCDの演奏は、藝大の威信をかけて臨んだだけに非常に優れたものである。信時の作品が単なる「皇紀2600年奉祝曲」という軍国主義の時流に乗った(乗せられた)機会音楽ではなく、日本のクラシック音楽のひとつの大きな成果であったことを示している。 山田和樹盤の演奏とは優劣や好み云々を論じるようなものはなく、聴き比べて楽しめる複数の演奏が世に出ていることを喜びたい。できれば両方を聴いてみることをお勧めする。 2020年には大阪フィルの録音(2019年11月のライブ演奏)も発売されているが、そちらはまだ聴いていない。(この曲の演奏が増えているのは、決してこの国が右傾化しているからではないということを信じたい)
この年2016年はこの「海道東征」の当たり年で、このCDとNaxos「日本作曲家選輯」シリーズの東京藝大チームによる録音がほぼ同時期に発売された。演奏・録音自体はこのCDが2014年2月11日(紀元節!)、藝大チームが2015年11月なので、藝大チームの方が録音から4カ月ほどでわずかだけ先に発売した、ということになる。作曲者の信時潔は長年東京音楽学校(藝大の前身)の教授を務め、「作曲科」を創設した大先輩なので(信時自身は作曲科教授には就かなかった)、藝大の威信をかけてその作品のリバイバルを一番手として世に問いたかったのだろう。 このCDの演奏は優れたもので、声楽陣、児童合唱も健闘している。信時の作品が単なる「皇紀2600年奉祝曲」という軍国主義の時流に乗った(乗せられた)機会音楽ではなく、日本のクラシック音楽のひとつの大きな成果であったことを示している。藝大チームの演奏とは優劣や好み云々を論じるようなものはなく、聴き比べて楽しめる複数の演奏が世に出ていることを喜びたい。できれば両方を聴いてみることをお勧めする。 藝大チームの録音が「やや近め」の音像なのに対して、このEXTON盤はスケールの大きな「広がり」や「遠近感」をもった響きとなっている。また、藝大チームの演奏は、初演ではピアノで演奏された部分をハープに置き換えているが、このCDではオリジナルどおりの演奏である。 2020年には大阪フィルの録音(2019年11月のライブ演奏)も発売されているが、そちらはまだ聴いていない。
ワーグナーの隠れた名曲、ヴェーゼンドンク歌曲集の名演です。ワーグナーはドレスデンのザクセン宮廷歌劇場楽長のときに革命に加担し、指名手配の身となってスイスの富豪ヴェーゼンドンク家で亡命生活を送ります。そのときに、あろうことかヴェーゼンドンク夫人マティルデと不倫の仲となり、それが「トリスタンとイゾルデ」に結実します。その過程で、マティルデの官能的で憧憬に満ちた5つの詩に曲を付けたのが「ヴェーゼンドンク歌曲集」であり、「トリスタン」のモチーフが用いられています。その意味で楽劇「ジークフリート」と「ジークフリート牧歌」の関係に似ています。 原曲はピアノ伴奏ですが、5曲のうち1曲(第5曲「夢」)は作曲者によって、他の4曲はワーグナー指揮者であるフェリックス・モットルが管弦楽に編曲しています。 クリスタ・ルートヴィヒはまだ30代のはずですが、威厳に満ちた豊かな声で歌い上げいています。併せて収録されている「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」も堂に入っています。 指揮は全てオットー・クレンペラーであり、オーケストラの響きも充実しています。 このCDには、クレンペラーと録音したマーラーやブラームスの歌曲も収録されいます。クレンペラーとは同じ時期にマーラー「大地の歌」も録音しており(後にカラヤンとも録音している)この頃からマーラーを得意としていたのでしょう。
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