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ブルックナー (1824-1896)

CD 交響曲第5番 ボルトン&モーツァルテウム管弦楽団

交響曲第5番 ボルトン&モーツァルテウム管弦楽団

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  • ★★★★★ 

    のんじょんれ  |  神奈川県  |  不明  |  2012年06月10日

    まず何より、響きが素晴らしい。このような響きはわが国の録音センスからは決して生まれないものだ。なぜか日本のオケの録音はホールの響きを殺してデッドにしてしまうからだ。 このボルトンという人はモーツァルト指揮者ということだが、ブルックナーを得意とする人はモーツァルトとの親和性がある人が多いので、この5番以外にも大いに期待できる。ただ、矛盾するようだが、ブルックナーのすべての曲、すべての楽章を完璧にその性格を分けて振れた人が史上存在していない事実を鑑みるに、過度の期待は禁物だが、この5番に関する限り上々だ。とにかくゲネラルパウゼが多いこの曲にこの残響は強力な武器となって、第一楽章を美しく聴かせる。大伽藍というよりはすっきりとしており、曲の始まりとしては、申し分ない推進力だ。第二楽章はよりボルトンに向いているようで、この楽章の難しいテンポ感を見事に表現している。実際のテンポと、聴こえてくるテンポが異なるのがこの5番の第二楽章の難しさなのだが、そのテンポと、もう一つのテンポ感を大きな二泊三連のリズム感をずらすことで危うい構築物としてのこの楽章の特徴を音化することに成功している稀有な例だ。そしてびっくりするのは第二主題の展開部のテンポを自在に揺らすことだ。こんなカンタービレなブルックナーを聞いたことはかつてなかった。普通は失敗しそうなものを、ボルトンの歌心がそれを可能にしている。スケルツォのワクワク感がまた最高だ。ほとんどの巨匠と呼ばれるマエストロが、ブルックナーのスケルツォの本質を再現できずに終わってしまっている中、スケルツォをこれだけ捉えられる指揮者は貴重。この5番のスケルツォの最高の名演はアイヒホルンだが、あのトリオ部分にはかなわないものの、全体に流れるダンサブルな躍動感と切れの良さ、それに相対する、ゆったりとした(決してテンポが遅いというのではなく、ノリが)大きな流れが見事だ。フィナーレも全く滞ることがないのに、複雑なスコアを複雑なまま、スッキリ聴かせるというかつてない録音になっている。これは思うに、ボルトンの指揮はかなりこまかな指示でオケが鳴っているのだが、会場並びに録音の残響との相乗効果でこのような美しくも複雑なブルックナーが実現したのではないか。コラール主題の金管のフレーズの間の撮り方も絶賛に値する。大胆なのであるボルトンは。それがことごとく成功しているのがこの5番だ。この方法がほかのブルックナーの番号にそのままあてはまらないのがブルックナーのおそろしいところだが、ほぼ改訂なしのこの5番でこれだけ触れるのは、ボルトンがブルックナーに対する親和性が強いことを物語っている。フーガも弛緩することが全くない。ずっと聴いていたい巨大な流れも決してうるさくないからなのだ。妙に安価なのと、気絶するほどジャケットが酷過ぎることで、相当損している貴重な録音だ。

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  • ★★★★★ 

    七海耀  |  さいたま市  |  不明  |  2005年03月19日

    これは期待しないで買ったが、なかなかの掘り出し物である。細部のテクスチャがクリアな上に、重量感もある。金管のキレがよく、ここぞという時のティンパにの打ち込みも激しい。朝比奈流の大伽藍とはまた違った魅力である。

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