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2006年10月3日 (火)
「ケーゲルとザンデルリンクのライヴ」(許光俊)
ケーゲルとザンデルリンクの珍しいレパートリーがCD化された。ふたりがきわめて元気だった時代のライヴだ。ライヴの発掘というと、どうしても玉石混淆になるのは仕方がないが、今回は外れがない。
まずはザンデルリンクの1枚。ズバリ、頭の「エグモント」序曲を聴くためだけでも買う価値がある。ドイツのオーケストラらしい重厚な響きを誇りつつ、鈍くさくない。雄渾なのに粗さがない。心地よい緊張感が張りつめ、音楽は痛快なまでにグングンと前に進んでいく。背筋がピンと伸びたような姿勢のよさ、凛とした気品がある。
「英雄の生涯」でも、予想通り、各楽器が絵具の厚塗りのように積み重なっていく音響が聴きものだ。説明的で精密な描写を試みるわけではないから、あちこちで音画というよりはブラームスの交響曲のように聞こえる。
最初はやや合奏が荒れているが、だんだん感興が高まり、戦場のシーンあたりからは、完全にスイッチ・オン状態。鳴りっぷりに不足はなく、決して悪い録音ではないのに(それどころか、きわめて明快で好感が持てる音質)、音があふれてしまっている。このあたりを境にソロ楽器が俄然生き生きしてくるのがまさにライヴならではだ。木管楽器は余韻が深く、ヴァイオリンは夢のように美しい。あたかも起伏に富んだ壮大なドラマを目撃するかのような、「英雄の生涯」ならではの魅力を心ゆくまで楽しめる。
それにしても、ザンデルリンクが指揮すると、弦楽器は実にたっぷりと歌ってくれるのがいい。といっても、ウィーン・フィルのような柔らかい歌ではなく、もっと直線的でダイナミックだ。それゆえ、リヒャルト・シュトラウスでも、軟弱にならない。
オーケストラは生きている楽器である。その生きている楽器が溌剌と躍動している姿は、私たちを無条件に幸せにしてくれる。
ケーゲルのベートーヴェン集では、交響曲第8番がいい。緩んだところがないキッチリ感はケーゲルならではだが、ただ整然とするだけにとどまらず、体温は非常に高い。リズムは常に戦闘的で、打楽器をはじめとして、普通ならこの曲よりはむしろ第9に似合いそうな、追い込むような激しさを示している。第1楽章の息つく暇のないような、極度に緊張感が強い演奏は、この曲では類例がないかもしれない。それでいて、響きは痩せていない。ウィーン風のほのぼのしたユーモアを好む人には、間違っても勧められない。
第2楽章以下も同様だ。ケーゲルは終始ニコリともせず、ひたすら厳粛に音楽を進める。その結果、まるで交響曲第5番のような、隙のない名曲という印象を与えるのだ。ケーゲルにはドレスデン・フィルとのベートーヴェン全集もあるが、あれをはるかに上回る衝撃度の高さだ。
この第8番があまりにユニークかつ強烈なので、「英雄」は普通に聞こえてしまう。
そして、今回もっとも注目されるケーゲル指揮の「大地の歌」。これはおそらく誰ひとり想像もしなかったような演奏である。私も聴き始めてすぐに耳を疑ったほどだ。
第1楽章からして、曲への感情移入ぶりがすごい。なんとテンシュテットもかくやという激しい没入ぶりなのだ。跳躍する音が空間を鮮やかに切り裂くかと思うと、こんなケーゲルは聴いたことがないというほどに甘美な響きが広がる。音色もテンポも大きく揺れ動く。弦楽器も木管楽器も限界まで歌う。これが今触れたベートーヴェン第8番と同じ指揮者の演奏とは絶対に信じられない。
第2楽章でも弦楽器の色彩感がきわめて強い。陰鬱、憧れ、陶酔、酷薄、はかなさ、さまざまな感情を巧みに表現する。この楽章をこれだけ克明にやった人も少ないだろう。
当然フィナーレも聴き応え十分である。ニュアンス豊かで、特に12分あたりからは、まさに感動的と言うほかないような音楽である。この部分をこれほどまでにやさしく、まるで慰撫するかのように演奏した例を私は他に知らない。スピーカーで聴いてさえ、吸い込まれてしまうような柔らかさなのだ。こんな音がオーケストラからは出るのである。「大地の歌」、いや、マーラーが好きな人は、ここだけでも必聴だ。終わりの部分も最高。ことに弦楽器のピアニッシモが何とも言えない深い余情をたたえていてすばらしい。
以前出た写真集に触れられていたように、ケーゲルは自らをロマン主義者と称していた。だが、私たちがそれを痛感する機会はほとんどなかった。彼がマーラーを指揮したすぐれた演奏もすでに登場していたが、この「大地の歌」はロマンティックという点でははるか上をいく。まったく比べものにならないと言ってよい。
さんざんケーゲルの録音を聴いた私でも、目隠しで聴かされたら、絶対に演奏者を当てられないだろう。ふたを開けてみないとどんな演奏になっているかわからないケーゲルのライヴ。改めてこの指揮者の不思議さを思い知らされた。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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