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4 people agree with this review 2012/03/20
カラヤンは独墺系の指揮者としては広範なレパートリーを誇ったところであるが、その中でもチャイコフスキーの楽曲を自家薬篭中とも言うべき得意のレパートリーとしていた。特に、三大交響曲集と称される交響曲第4番〜第6番については、それこそ何度も繰り返し演奏・録音を行っているところだ。クレンペラーやフルトヴェングラー、ベーム、ザンデルリンク、ヴァントなど、チャイコフスキーの交響曲の録音を遺した独墺系の指揮者は多いが、その録音の量においてカラヤンの右に出る指揮者は皆無であったと言っても過言ではあるまい。そうしたカラヤンによる数多くのチャイコフスキーの交響曲の録音の中で、随一の名演は何かと言われれば、私は躊躇なく本盤におさめられた1971年にEMIにスタジオ録音を行った第4番〜第6番の演奏を掲げたい。確かに、最晩年にウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音した第4番〜第6番の演奏も、波乱に満ちた生涯を送ったカラヤンが自省の気持ちを込めてその生涯を顧みるという人生の諦観とも言うべき味わい深さが感じられるところであり、演奏の持つ深みにおいては至高の高みに聳え立つ名演と言えるところだ。しかしながら、カラヤンの演奏の美質の一つでもあった鉄壁のアンサンブルを駆使した音のドラマの構築と言った点においては、いささか物足りない面もあると言えるところであり、カラヤンらしさという意味においては異色の演奏と言えなくもない。1970年代後半に完成させたカラヤンによる唯一の交響曲全集は、正にカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最後の輝きを放った時期のものであり、演奏の完成度においては出色のものがあると言えるだろう。これに対して、本盤の演奏は、実演的な迫力に満ち満ちた凄みのある名演と言えるのではないだろうか。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは当然のことであるが、全盛期のベルリン・フィルとともに構築した音のドラマは圧巻の一言。ブリリアントなブラスセクションの響きや唸るような厚みのある低弦の重厚さ、そして雷鳴のようなティンパニの轟きは凄まじいほどのド迫力であり、演奏全体に漲る気迫はあたかもライヴ録音を思わせるほどの凄さと言える。どこをとっても凄まじさの限りと言えるが、とりわけ、第4番の第1楽章終結部における猛烈なアッチェレランドや、第6番の第1楽章の展開部における低弦の圧倒的な迫力は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに成し得た圧巻の至芸と言っても過言ではあるまい。チャイコフスキーの交響曲第4番〜第6番の名演としては、同時代に活躍した旧ソヴィエト連邦出身の巨匠ムラヴィンスキーの超名演(1960年)があまりにも名高いが、本盤の演奏は、それに唯一比肩し得る至高の超名演と高く評価したいと考える。音質については、1970年代のEMIによる録音ということで、従来CD盤の音質が必ずしも芳しいものではなく、それはHQCD化されてもあまり改善は見られなかったところだ。特に、第4番については、マスターテープが損傷しているということで、これ以上の高音質化については絶望的であると考えていたところであるが、今般のSACD化で大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、そして1970年代前半のEMIによる録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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5 people agree with this review 2012/03/20
これは素晴らしい名全集だ。1990年代には、ほぼ同世代のドイツ人指揮者ザンデルリングがベルリン交響楽団を指揮してブラームスの交響曲全集をスタジオ録音しているが、1995年〜1997年に、ヴァントが北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音した本全集も、ザンデルリングによる全集に比肩し得る至高の名全集と評価し得るのではないだろうか。当初の予定では、全集を一気に完成させる予定であったが、ヴァントが体調を崩したために、第1番〜第3番が先行発売され、1997年に第4番が単独で発売されたという経緯がある。ヴァントは、本全集の約10年前にも、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1982〜1985年)している。この他にも、交響曲第1番については、シカゴ交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団(1996年)、ミュンヘン・フィル(1997年)とのライヴ録音、交響曲第4番についても、ベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1994年)が遺されている。いずれ劣らぬ名演と言えるが、気心が知れたオーケストラを指揮した演奏ということからしても、本全集こそは、ヴァントによるブラームスの交響曲演奏の代表盤と言っても過言ではあるまい。ヴァントによる演奏は、ザンデルリングのゆったりとしたテンポによる演奏とは大きくその性格を異にしていると言える。やや早めのテンポで一貫しており、演奏全体の造型は極めて堅固。華麗さとは無縁であり、演奏の様相は剛毅かつ重厚なものだ。決して微笑まない音楽であり、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本盤の各演奏は、ザンデルリングによるものとは違ったアプローチによって、ブラームスの交響曲演奏の理想像を具現化し得たと言えるのではないだろうか。各演奏の出来にムラがないというのも見事であると言えるところだ。いずれにしても、本全集は、ヴァントの最晩年の至高の芸風を体現した至高の名全集と高く評価したいと考える。音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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1 people agree with this review 2012/03/18
チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」は、必ずしも室内楽曲を得意とはしていなかったチャイコフスキーの作曲した室内楽曲の中でも異例の名作であるだけでなく、古今東西の作曲家によるピアノ三重奏曲の中でも、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲「大公」と並ぶ傑作と言えるのではないだろうか。ベートーヴェンの楽曲ほどの深みはないかもしれないが、それでも旋律のロシア風の憂愁に満ち溢れた美しさは実に魅力的であり、楽曲全体の構成的にも非常によく書けた作品であると言える。これだけの名作だけに、チョン・トリオやウィーン・ベートーヴェン・トリオによる名演、そして、いわゆる百万ドルトリオ(ルービンシュタイン、ハイフェッツ、ピアティゴルスキー)による歴史的な超名演など、数々の素晴らしい名演が成し遂げられてきているところだ。また、アルゲリッチ、マイスキー、クレーメルによる現代的なセンスに満ち溢れた名演も存在しており、おそらくは、今後も、名うてのピアニストやヴァイオリニスト、チェリストによる様々な個性的名演が生み出されていく可能性を秘めた懐の深い名作と言っても過言ではあるまい。本盤には、アシュケナージ、パールマン、ハレルの3者による同曲の演奏がおさめられている。本演奏は、個性という意味においては、前述の海千山千の個性的な錚々たるピアニストやヴァイオリニスト、チェリストによる名演と比較すると、若干弱いと言わざるを得ないところだ。しかしながら、聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さには出色のものがあり、加えていい意味でのヴィルトゥオーゾ性も見事に発揮していると言える。要は、同曲の美しさ、魅力を十二分に描出した演奏を行っていると言えるところであり、我々聴き手が同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏と言えるのではないかと考えられる。いずれにしても、本演奏は、前述のように強烈な個性にはいささか欠けるところがあるが、いい意味での演出巧者ぶりを十二分に発揮した素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質については、1980年のスタジオ録音であり、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。しかしながら、今般のSACD化で大変驚いた。従来CD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。アシュケナージのピアノタッチや、パールマンによるヴァイオリン演奏、ハレルによるチェロ演奏の弓使いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、アシュケナージ、パールマン、そしてハレルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
1 people agree with this review
3 people agree with this review 2012/03/18
カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。私としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを伺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、私も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、カラヤンによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
3 people agree with this review
8 people agree with this review 2012/03/17
近年では円熟の境地を迎えたものの、かつての光彩をすっかりと失ってしまったメータであるが、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をつとめていた時代は凄かった。当時は、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を繰り広げていたアバドや、ボストン交響楽団の音楽監督に就任して世界に羽ばたこうとしていた小澤などと並んで、新進気鋭の指揮者として次代を担う存在と言われたものであった。かの巨匠カラヤンも、将来のクラシック音楽界を背負う指揮者としてアバド、小澤とともにメータを掲げていたこともあり、メータが当時、いかに華々しい活躍をしていたかを窺い知ることが可能であると言える。本盤におさめられたマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏は、メータがいまだ39歳の時に、ウィーン・フィルを指揮したものであるが、メータの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。メータは、その後も同曲を録音しているが、本演奏の持つ魅力に迫る演奏を成し遂げることがいまだ出来ないでいるところだ。とにかく、冒頭から凄まじいド迫力だ。どこをとっても切れば血が噴き出てくるような力感が漲っており、随所に聴かれる畳み掛けていくような気迫や生命力にはただただ圧倒されるのみである。大胆とも言うべきテンポの思い切った振幅や猛烈なアッチェレランド、そして強弱の変化などを効果的に駆使して、とてつもない壮麗な壁画とも言うべき圧倒的な音楽を構築しているのに成功していると言えるだろう。それでいて、第2楽章や第4楽章などにおける繊細な美しさにも出色のものがあり、必ずしも若さ故の勢い一本調子の演奏に陥っていないことに留意しておく必要がある。演奏によっては冗長さに陥りがちな終楽章も、緩急自在のテンポ設定を駆使した実に内容豊かな表現を垣間見せており、終結部のスケール雄大さも相まって、おそらくは同曲演奏史上でも上位にランキングしてもいいような見事な演奏に仕上がっていると言えるところだ。イレアナ・コトルバスやクリスタ・ルートヴィヒと言った超一流の歌手陣も最高のパフォーマンスを発揮しているとともに、ウィーン国立歌劇場合唱団もこれ以上は求め得ないような圧倒的な名唱を披露していると言えるだろう。そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる見事な名演奏である。若干39歳のメータの指揮に対して、これほどの渾身の名演奏を繰り広げたというのは、ウィーン・フィルが若きメータの才能を認めていたに他ならないところであり、こうした点にも当時のメータの偉大さがわかろうというものである。いずれにしても、本演奏は、若きメータによる圧倒的な名演であり、加えて同曲演奏史上でも上位を争う素晴らしい超名演と高く評価したいと考える。そして、本演奏の凄さは、英デッカによる今は亡きゾフィエンザールの豊かな残響を活かした極上の高音質録音と言える。英デッカは、その録音の素晴らしさで知られているが、その中でも、本演奏は最上位にランキングされるものと言えるのではないだろうか。したがって、従来CD盤でも十分に満足できるものであったが、数年前にSHM−CD化がなされ、それによって、更に良好な音質になったところであり、私もこれまでは当該SHM−CD盤を愛聴してきたところだ。ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やSHM−CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。オーケストラと合唱が見事に分離して聴こえるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、メータによる圧倒的な超名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
8 people agree with this review
2 people agree with this review 2012/03/17
モーツァルトの交響曲第38番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1959年)やシューリヒト&パリ・オペラ座管弦楽団(1963年)による名演、第39番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1960年)やムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(1965年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。これらの名演と比較すると、本盤におさめられたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除き、必ずしもこれら両曲のベストの名演との評価がなされてきたとは言い難いと言っても過言ではあるまい。確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さや、ムラヴィンスキーによる名演のような透徹した清澄さなどは薬にしたくもないと言える。むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。正にクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、このような演奏の彫の深さと言った面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。音質は今から約50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1962年のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
2 people agree with this review
1 people agree with this review 2012/03/17
チャイコフスキーの最高傑作でもある交響曲第6番「悲愴」については、これまで数多くの独墺系に指揮者が演奏・録音してきた。フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリングと言った錚々たる指揮者のほか、カラヤンに至っては、同曲を心から愛し、おびただしい数の録音を行っているところだ。ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、それでも交響曲第5番と比較すると、幾分ヴァントの芸風が活かされる余地がある楽曲と言えるのかもしれない。ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能であるとも言える。もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したいと考える。本盤におさめられたのは交響曲第6番であるが、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、私としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。併録のストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」も、ヴァントしては極めて珍しいレパートリーであると言えるが、これまた異色の名演だ。いわゆる新古典派と称される音楽であり、親しみやすい旋律に満ち溢れた名作であるが、ヴァントは陳腐なロマンティシズムに拘泥することなく、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
若くして不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤におさめられた演奏は、死の2か月前にブザンソンにおいて重い病をおして敢行した歴史的なコンサートの貴重な記録である。演奏は正に凄いという他はない。本演奏は、リパッティによる遺言とも言うべき精神の音楽と言っても過言ではあるまい。どの曲もリパッティが得意とした楽曲で占められているだけに、至高の超名演と評価すべきであるが、特に、メインであるショパンのワルツ集に注目したい。リパッティの不朽の名演との評価がなされているのは、同じく1950年にスタジオ録音したワルツ集であるというのは論を待たないところだ。当該演奏は、モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、近年ではルイサダなどによる名演の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまに当該演奏を耳にすると、とてつもない感動を覚えるところだ。それは、リパッティの演奏に、ショパンのピアノ曲演奏に必要不可欠の豊かな詩情や独特の洒落た味わいが満ち溢れているからであると言えるところであるが、それだけでなく、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫の深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているからであると言える。いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。これに対して、本盤の演奏は、基本的なアプローチ自体は変わりがないものの、当該演奏よりも更に底知れぬ深みを湛えていると言えるところであり、加えて演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるだろう。コンサートの最後に予定されていたワルツ第2番の演奏を果たすことが出来なかったのは大変残念ではあるが、それだけに、それ以外の楽曲に対してすべての体力や精神力を使い果たしたとも言えるところであり、そうしたリパッティのピアニストとしての、芸術家としての真摯な姿勢には、ただただ首を垂れるのみであると言える。いずれにしても、本盤の演奏は、薄幸の天才ピアニストであるリパッティが、その短い人生の最後に到達し得た至高至純の清澄な境地を大いに感じさせる超名演と高く評価したいと考える。もっとも、リパッティによる本演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいと言えるが、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
2 people agree with this review 2012/03/10
独墺系の指揮者にはチャイコフスキーの交響曲の録音を好んで行った者は多い。フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリングと言った錚々たる指揮者が、後期3大交響曲の録音を行っているし、カラヤンに至っては、交響曲全集のほか、数多くの録音を遺しているところだ。ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能であるとも言える。もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したいと考える。本盤におさめられたのは交響曲第5番であるが、同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作であると言える。それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いと言えるが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしていると言える。演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、私としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。併録のモーツァルトの交響曲第40番も、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ないが、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏と同様に、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。いずれにしても、本演奏は、ヴァントの最晩年の清澄な境地が示された至高の名演と高く評価したいと考える。ヴァントは、同時期に交響曲第39番や第41番も録音しているが、可能であれば、本盤のようにSACD化して欲しいと思う聴き手は私だけではあるまい。音質は、1994年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
5 people agree with this review 2012/03/04
ドイツの名指揮者であったアイヒホルンであるが、本盤におさめられたブルックナーの交響曲選集は、その最良の遺産と言っても過言ではあるまい。第1番、第3番及び第4番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは大変残念なことであるが、第2番についてはキャラガンによる新しい校訂版を用いたり、第9番については、通例の第3楽章までの演奏に加えて、1992年に刊行された未完の第4楽章の復元版を世界に先駆けて録音するなど、ブルックナーの研究学的にも極めて貴重な選集ということができるのではないだろうか。こうしたブルックナーの交響曲の演奏に際しては避けて通ることができない版の問題への強い拘りは、アイヒホルンによる長年に渡って地道に積み重ねてきたブルックナー研究の成果とも言えるとともに、ブルックナーの交響曲に対して深い愛着を抱いていた証左とも言えるところだ。演奏も素晴らしい。1990年代に入って、神々しいまでの超名演を繰り広げたヴァントや朝比奈などの演奏ほどの高峰に聳え立ったものとは言い難いが、それでも演奏の持つ懐の深さやいぶし銀の輝きさえ感じさせる重厚さは、ブルックナーの交響曲演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。6曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演であると評価したいが、第5番や第7番〜第9番の4曲については、前述のヴァントや朝比奈、そして他の海千山千の大指揮者がそれぞれ素晴らしい名演の数々を成し遂げていることから、アイヒホルンによる本選集の演奏をベストの名演とするのはいささか困難と言わざるを得ないところだ。これに対して、第2番及び第6番については、それぞれの楽曲の演奏史上でもトップの座を争う名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。特に圧倒的なのは第2番の演奏であり、演奏全体の堅固な造型を堅持しつつ、スケールは雄大であり、ブラスセクションの朗々たる響かせ方もいささかも無機的に陥ることなく、重厚で剛毅な中にも豊かな情感を失うことがないのが素晴らしい。彫の深さにも尋常ならざるものがあり、ブルックナーの初期の交響曲であるにもかかわらず、これほどの奥行きの深さ、そしてスケールの雄大さを感じさせる演奏は、他にも類例を見ないと言ってもいいだろう。同曲の名演には、ヨッフムやジュリーニなどによるものが存在しているが、スケールの雄大さや懐の深さと言った点においては、アイヒホルンによる本演奏の方を随一の名演に掲げるべきではないかと考えているところだ。第6番も素晴らしい。同曲にはヨッフムやヴァントによる名演が成し遂げられているが、ヨッフムのロマンティシズム溢れる演奏と、ヴァントによる重厚かつ剛毅な演奏の中間に位置する演奏とも言えるところであり、剛柔のバランスがとれた演奏という意味では、随一に掲げられる名演と言ってもいいのではないだろうか。アイヒホルンの確かな統率の下、渾身の名演奏を繰り広げたリンツ・ブルックナー管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。そして、本選集の素晴らしさは、リマスタリングによって大幅な高音質化が図られたことであろう。私は、各曲単独で発売された初期盤をこれまで愛聴してきたが、本選集は、そもそも次元の異なる素晴らしい音質に生まれ変わったと言える。加えて、100ページ以上にも及ぶ詳細で読み応えのある解説書が添付されたのも見事であり、アイヒホルンによる名演奏も相まって、全体として至高の名選集と高く評価したいと考える。
4 people agree with this review 2012/03/04
ヴァントと言えば、最晩年の神々しいまでの崇高な超名演を成し遂げたこともあって、どうしてもブルックナー指揮者のイメージが付きまとうところだ。これは、朝比奈にも共通することであると思われるが、ヴァントにしても朝比奈にしても、ブルックナーだけでなく、ベートーヴェンやブラームス、シューベルトの楽曲においても、比類のない名演の数々を成し遂げていることを忘れてはならないだろう。ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがないと言える。しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏は、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番〜第4番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであったと言える。それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の最高の名演と高く評価したいと考える。音質は、1992年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
3 people agree with this review 2012/03/04
ヴァントは、必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言えないが、それでもチャイコフスキーの交響曲第5番及び第6番や、ストラヴィンスキーのバレエ音楽など、意外な楽曲を演奏・録音していることについても留意しておく必要があると思われるところだ。とは言っても、ヴァントのレパートリーの中核は独墺系の作曲家の楽曲であり、定評のあるブルックナーの交響曲のほか、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどの楽曲がその中心であったことは否めない事実であると言える。ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがないと言える。しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたベートーヴェンの交響曲第3番の演奏は、1989年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番、第2番、そして第4番〜第6番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであったと言える。それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、正に晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第3番の最高の名演と高く評価したいと考える。併録の「レオノーレ」序曲第3番も、晩年のヴァントならではの雄渾なスケールと崇高な風格を兼ね備えた素晴らしい名演に仕上がっていると言えるところだ。音質は、1989年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
シューリヒトはブルックナーを得意中の得意としており、近年ではシュトゥットガルト放送交響楽団などとのライヴ録音なども数多く発掘されている状況にある。それらは、必ずしも音質に恵まれているとは言い難いものの、いずれもシューリヒトならではの素晴らしい名演に仕上がっていると言える。もっとも、それらの数々の名演が登場してもなお、シューリヒトのブルックナーの代表的な名演との地位がいささかも揺らぐことがない名演が存在している。それこそは、最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行った交響曲第8番(1963年)及び第9番(1961年(本盤))であると考えられる。このうち、第8番については、近年のヴァントや朝比奈などによって確立された悠揚迫らぬインテンポによる演奏とはかなり様相が異なった演奏であり、早めのテンポと、随所においてアッチェレランドも含むテンポの振幅も厭わないなど、むしろドラマティックな演奏に仕上がっていると言える。シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているだけに、名演との評価にはいささかも揺らぎがないが、近年のヴァントや朝比奈によるインテンポによる名演奏の数々に慣れた耳で聴くと、若干の違和感を感じずにはいられないところである。これに対して、本盤におさめられた第9番については、悠揚迫らぬインテンポを基調とした演奏を行っており、第8番の演奏のような違和感などいささかも感じさせないところだ。ブラスセクション、とりわけホルンの朗々たる奥行きのある響きの美しさは、これぞブルックナーとも言うべき崇高な美しさを誇っており、正にウィーン・フィルによる美演をも最大限に活かした神々しいまでの本演奏は、シューリヒトとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地に達したものとも言えるのかもしれない。 各フレーズに込められたニュアンスの豊かさには尋常ならざるものがあるとともに、その端々から漂ってくる豊かな情感には、最晩年の巨匠シューリヒトならではの枯淡の境地さえ感じさせると言えるところであり、演奏の神々しいまでの奥行きの深さには抗し難い魅力があると言える。第3楽章においては、もう少しスケールの雄大さが欲しい気もするが、第1楽章と第2楽章については文句のつけようがない完全無欠の崇高の極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、後年のヴァントや朝比奈と言えども、第1楽章と第2楽章に限っては、本演奏と同格の演奏を成し遂げるのが精一杯であったと言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのブルックナーの交響曲の演奏でも最高峰の名演であるとともに、ブルックナーの交響曲第9番の演奏史上でも、第1楽章及び第2楽章に関しては、現在においてもなおトップの座を争う至高の名演と高く評価したいと考える。音質は、1961年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つ冴えない音質であった(それ故に、第3楽章のスケールの小ささと合わせて、かつては★4つの評価としていた。)が、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、シューリヒト&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
12 people agree with this review 2012/03/03
近年では、その活動も低調なチョン・キョンファであるが、本盤におさめられたチャイコフスキー&シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、22歳という若き日のもの。次代を担う気鋭の女流ヴァイオリニストとして、これから世界に羽ばたいて行こうとしていた時期のものだ。チョン・キョンファは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲については本演奏の後は一度も録音を行っておらず、他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ジュリーニ&ベルリン・フィルとの演奏(1973年ライヴ録音)、デュトワ&モントリオール交響楽団との演奏(1981年スタジオ録音)の2種の録音が存在している。両曲のうち、ダントツの名演は何と言ってもシベリウスのヴァイオリン協奏曲であると考える。とある影響力のある某音楽評論家が激賞している演奏でもあるが、氏の偏向的な見解に疑問を感じることが多い私としても、本演奏に関しては氏の見解に異論なく賛同したい。シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、なかなかに難しいと言える。というのも、濃厚な表情づけを行うと、楽曲の持つ北欧風の清涼な雰囲気を大きく損なってしまうことになり兼ねないからだ。さりとて、あまりにも繊細な表情づけに固執すると、音が痩せると言うか、薄味の演奏に陥ってしまう危険性もあり、この両要素をいかにバランスを保って演奏するのかが鍵になると言えるだろう。チョン・キョンファによる本ヴァイオリン演奏は、この難しいバランスを見事に保った稀代の名演奏を成し遂げるのに成功していると言っても過言ではあるまい。北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現など、正に申し分のない名演奏を展開しているが、それでいていかなる繊細な箇所においても、その演奏には独特のニュアンスが込められているなど内容の濃さをいささかも失っておらず、薄味な箇所は一つとして存在していないと言える。チョン・キョンファとしても、22歳というこの時だけに可能な演奏であったとも言えるところであり、その後は2度と同曲を録音しようとしていないことに鑑みても、本演奏は会心の出来と考えていたのではないだろうか。こうしたチョン・キョンファによる至高のヴァイオリン演奏を下支えするとともに、北欧の抒情に満ち溢れた見事な名演奏を展開したプレヴィン&ロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。いずれにしても、本演奏は、チョン・キョンファが時宜を得て行った稀代の名演奏であるとも言えるところであり、プレヴィン&ロンドン交響楽団の好パフォーマンスも相まって、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考える。他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ヴィルトゥオーゾ性の発揮と表現力の幅の広さを問われる楽曲であることから、人生経験を積んでより表現力の幅が増した1981年盤や、ライヴ録音ならではの演奏全体に漲る気迫や熱き生命力において1973年盤の方を上位に掲げたいが、本演奏もチョン・キョンファの卓越した技量と音楽性の高さを伺い知ることが可能な名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。音質は、英デッカによる優秀録音であるのに加えて、リマスタリングが行われたこと、更にSHM−CD化(現在では入手難)が図られたこともあって、十分に満足できるものであると言える。ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やSHM−CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言える。チョン・キョンファのヴァイオリン演奏の弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、チョン・キョンファ、そしてプレヴィンによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
12 people agree with this review
6 people agree with this review 2012/02/26
マーツァル&チェコ・フィルによる待望のブラームスの交響曲全集の登場だ。このコンビは、チャイコフスキーの交響曲全集については完成にこぎつけたものの、マーラーやドヴォルザークの交響曲全集についてはいまだ一部の交響曲の録音が終了しておらず、加えて、マーツァルがチェコ・フィルの音楽監督を退任したこともあって、全集完成が見通せない状況にある。ブラームスの交響曲全集についても、第1番、第2番及び第4番と悲劇的序曲については数年前に発売されていたが、第3番及び大学祝典序曲については長らく発売されるに至らず、前述のマーラーやドヴォルザークと同様に、全集完成について半ばあきらめていたところだ。それだけに、今般、第3番及び大学祝典序曲も加えて全集の形で発売されたのは、ある種の感慨を覚えるところである。これまで既に発売されていた第1番、第2番&悲劇的序曲、第4番のうち、既に個別にレビューを記したところであるが、圧倒的に素晴らしい名演は第1番であると考えている。そして、今般、初登場の第3番&大学祝典序曲も第1番と同格の名演であり、後述するようにSACDによる高音質録音も相まって、それらを味わうだけでも十分に価値の高い名全集と言えるだろう。第1番については、全体を43分で駆け抜けるという、同曲としては早めのテンポ設定であり、マーツァルは、一直線のインテンポで演奏している。テンポだけで言うと、かのベーム&ベルリン・フィルによる超名演(1959年)と同様であるが、出てきた音楽は全く異なる。ベームが剛毅でなおかつ重厚さが際立ったいかにもドイツ正統派の名演であったが、マーツァルの演奏は、むしろ柔和なイメージ。剛と柔という違いがある。では、軟弱な演奏かというとそうではない。ブラームスの音楽の美しさを、オーケストラを無理なく鳴らすことによって、優美に仕立て上げるという、マーツァル得意の名人芸が繰り広げられているのだ。第3番もやや早めのテンポによる演奏ではあるが、第1番と同様に剛柔のバランスが絶妙であり、マーツァルの類稀なる音楽性の高さが随所に感じられる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。この両曲に対して、第2番及び第4番については、マーツァルとしては今一つの出来と言わざるを得ない。両演奏ともに美しい演奏であると言える。しかしながら、とりわけ第4番において顕著であるが、今一つ楽曲への踏み込みが足りないのではないかと考えられるところだ。決して、凡演とは言えないが、マーツァルならば、もう一段上の彫の深い演奏を行うことができたのではないだろうか。チェコ・フィルは、どの楽曲の演奏においても見事な名演奏を繰り広げており、とりわけ、中欧のオーケストラならではのしっとりとした美音が、演奏全体に適度の潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。そして、本全集が素晴らしいのは、何と言ってもSACDによる極上の高音質録音であると考えられる。かかる鮮明な高音質は、本全集の価値を著しく高めるものであり、第2番及び第4番の若干の踏み込み不足を加味しても、全集全体としては、★5つの評価はあながち高すぎるとは言えないものと考える。
6 people agree with this review
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