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TOP > My page > Review List of あまでうす
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4 people agree with this review 2011/09/25
リストのピアノ曲、オーケストラ曲、協奏曲、合唱曲、歌曲の代表作をえりすぐった34枚組のCDセットです。例によって1枚200円という超バジェット価格に目がくらんで買ってしまった「誰も聴かない大作曲家」の音楽ですが、買って良かった、聴いて良かった。これでこの知られざるコンポーザーピアニストの全貌がだいたいつかめます。 小澤・ツイマーマンの協奏曲やいま話題のアリス=紗良・オットの『超絶技巧練習曲集』なんて犬に食われろと思うくらいつまらないが、CD6枚分の宗教曲と同じく5枚組の歌曲は素晴らしい。 特にフィッシャー=ディースカウがバレンボイムの伴奏でうたう3枚組が絶品。これを聴けただけでもう大満足でしたが、リストが最も得意としたピアノ曲を余裕たっぷりに弾いてのけるホルヘ・ボレット、ラーザリ・ベルマン、ウイルヘルム・ケンプの大人の至芸にも感銘を受けました。 いやあリストって2流の音楽家だとは思うけれど、本当に好奇心が旺盛でクラシック音楽が大好きだったんですねえ。
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2 people agree with this review 2011/09/21
この人はいかにもインテリの音楽をやったヴェネツイア生まれのマエストロでありました。 ここでは1番から未完の10番までの交響曲に加えて「大地の歌」や「亡き子をしのぶ歌」など歌曲の代表作までマーラーの管弦楽曲を手兵フィルハーモニア管弦楽団の劇伴で12枚のセットに組まれ、なんと1枚300円の格安プライスで聴けます。 いずれも複雑でときどき怪奇でさえあるスコアを徹底的に読みこんだ演奏で(なんちゃって)、彼のタクトから流れ出す音の調べはいささかの晦渋さもとどめず、この曲を作ったマーラーがまるで私の隣家に住んでいる普通のオッサンのように思えてくるから不思議である。 2001年にベルリン・ドイツオペラでカルメンの第3幕を演奏中に心筋梗塞で54歳で急逝したシノーポリは80年代にはよく我が国を訪れ、お得意のマーラーなどを振っていました。 当時私はクラシックなんかよりインディーズのロックに心酔していたのですが、ある夜新宿ロフトのケラの「有頂天」の超満員酸欠ライヴで会場最前列左端のアルテックの巨大モニタースピーカーに押し付けられ、ために右耳の鼓膜を破られてしまいました。 忘れもしないその翌日がシノーポリ・フィルハーモニア管コンサートで、マーラーの5番が演奏されたのですが、いくらサントリーホールの2階席中央で耳を澄ませても4楽章のアダージェットが聞こえてこないのにはじつに閉口しました。 その思い出の5番も聴ける本全集ですが、今回私がもっとも感銘を受けたのはドレスデンのシュターツカペレとの「大地の歌」。これはワルター、クレンペラーと並ぶ名演奏だと思います。
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4 people agree with this review 2011/08/24
ドイチェ・グラモフォンに彼らが録音したシューべルトの男声用の全てのリート408曲21枚組のCDを続けて聴くと、ディースカウの前にディースカウなく、ディースカウの後にディースカウなしと思わずつぶやいてしまう。 それはあまたの指揮者あるにかかわらず、フルトヴェングラーの前にフルトヴェングラーなく、フルトヴェングラーの後にフルトヴェングラーなしとツイートするようなものである。 あるいはまた、あまたのピアニストあるにかかわらず、バックハウスの前にバックハウスなく、バックハウスの後にバックハウスなしと独語するようなものである。 なかんずく「水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の3大歌曲集の絶唱が心にしみる。1枚当たり265円のバジェット価格も、げに懐に優しい。
3 people agree with this review 2011/07/07
これまたソニーの叩き売り超廉価盤CDですが、珍しやクラウディオ・アバドがシカゴ響を指揮しています。最近のアバドは「知・情・意」が絶妙に融合された名演奏を聞かせてくれるようになりましたが、これはちと知が勝ち過ぎて、情と意に欠ける演奏で、そのかわりにチャイコフスキーの管弦楽の構造が清明に透けて見えてくるような不思議な聴後感が残ります。 カラヤンやロストロポーヴィッチその他の指揮者で1番や2番、3番を聴いても、作曲者がなにを言いたいのか全然分かりませんが、アバドだとなんとなく分かった気にさせてくれる。しかし4番5番6番では全然興奮しない、できないという、よくいえば都会的でクールなチャイコフスキー、悪く言えばカタルシス皆無のチャイコということかしらん。 ところが交響曲よりも聴き映えがするのは序曲1812年やスラブ行進曲で、天才の天下の駄曲が立派な演奏に変身するところが、さすがはインテリアバドです。
3 people agree with this review
2 people agree with this review 2011/06/29
いったいどうしたことか、さして心が弾まない。昔LPで聞いた時には、ああ艶なるかな!と二嘆、三嘆して飽かなかったのに、これは異なこともあったものじゃ。 あのフランス風の典雅な指のこなしが何回聞いても再現できないというのは、私の耳がまたしてもロバの耳に退化したのか、あるいは最新型の24bitの復刻が災いしているのかのどちらかでしょう。どこかにLPがあるはずですが、探し出すのに1週間はかかるでしょうからもう諦めていつか確かに耳にしたはずの洗練され尽くしたギャラントな洋琴の調べを無理にでも思いだして胸の奥で奏でてみることにいたしませう。 そんな残念無念なコンピレーションでしたが、そこをおしてあえて指を折るならば、ギャビー、ジャンとの家族3人で合奏したk365と242の2台&3台のピアノのための協奏曲とフィラデルフィア木管5重奏団と入れたk452ということになるでしょうか。
0 people agree with this review 2011/06/29
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8 people agree with this review 2011/06/18
まず武満徹の「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」ですが、これが今まで誰からも聴かされたことのない希代の名演奏でした。 指揮者がなにかを意図的に仕掛けた形跡はまったくなく、ただ作曲者が楽譜に記したとおりを、素直に朴訥に音にしていったに過ぎないのですが、ベルリン・フィルの奏者、とりわけ5人の打楽器奏者の妙技が、武満の音楽の特異性と素晴らしさをいやがうえにも引きだして、最後にカラヤンサーカスの天井に吊るされた鐘が天国からの妙音を降らせる箇所では涙が出てくるほどの名演でした。 バッハやベートーヴェンなど西欧の音楽家が、「存在を沈潜して神の前での無に終わる」という音楽を書いたのに対して、武満は、「空無から出発して宇宙的存在に至る」という、それまでとはベクトルが180度異なる革命的な音楽を創造したのですが、そのことの意義をものの見事にあきらかにした奇跡的な演奏でした。 けれども次のメインの曲、ショスタコーヴィッチの二短調作品47の交響曲は、ベルリンフィルの献身に支えられた熱演とはいえ、何の感銘も感動もない凡演、と言って悪ければ、普通の演奏でした。 指揮者が曲の核心に第3楽章を据えたのは正解ですが、どのような思いで作曲者がこの悲痛なラルゴを書いたのか、その意味がよく分かっていない、あるいはそういうところまで遡って曲想を鋭く抉ろうとする意思が、この指揮者には(にも)ないようです。 彼の師匠であるバーンスタインも、ショスタコーヴィッチの生と思想に想像力を巡らせることなく、ただ音響のみが乱高下する大力演を残していますが、ことこの作曲家の演奏にかんしては、いま流行の純器楽的解釈で臨むのは、よいアプローチとはいえないのではないでしょうか。
8 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/06/18
聞くも涙語るも涙、波乱万丈の一大ラブスペクタクルをこのロシアの指揮者はなんとよどみなく、疲れもしらず、はじめは処女の如く、終わりは脱兎のように走破しおおせることでしょう! ヒロインのダニエラ・バルセロナ、ヒーローのランス・ライアンの熱演ともどもまことに現代のマエストロの鑑とも称すべき見事な演奏でした。 注目に値するのは全体をスターウオーズ風のスペースファンタジーとして舞台を再構成したカルルス・パトリッサによる演出で、はじめは違和感があったのですが、ベルリオーズの折衷的で冗長な音楽をなんとかまぎらわせて長丁場を乗り切るために大きな役割を果たしています。
1 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/06/14
ヘンデルの「水上の音楽」をちょいと聞いたのが運のつき。ターフェルルムジークをジャン・ラモンが指揮した、その目も覚めるように新鮮な演奏に、正統派のビーチャム以来の感動を覚えてしまい、次々にプレイヤーに乗せることに相成りました。 結局はプロデューサー、ヴォルフ・エリクソンが辣腕の目利きなのでしょうね。名手たちの見事な演奏に、さしもの古楽器嫌いも両手をあげて降参してしまいました。
5 people agree with this review 2011/06/14
録音が更新されたためか、非常に力動感が増し、他の凡百の指揮者に持ち合わせがない彼の音楽的野生が存分に発揮されている。 従来から定評のあるメンデルスゾーン、ブラームスも良かったが、今回聴き直してシューベルトの最後の交響曲が図抜けて素晴らしかった。手兵のボストン響の弦と管の黄金の輝きを、後任のラインスドルフ、スタインバーグ、小澤征爾が寄ってたかって台なしにしてしまったっことが、つくづく悔やまれてならない。 ボストン響を聴くなら、やはりクーセヴィツスキー、モントゥー、そしてミュンシュである。
5 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/04/28
「春って曙」なら、ホロビッツって、顔も演奏も「古狸」だと思う。 ここにはその古狸がソニーから移籍して晩年に入れた7枚のCDが収められているが、どれもこれも不作為という名の作為に満ち満ちており、それが嫌になるとしばらく離れていたくもなるのだが、最近のピアニストのCDの作為がもっとあざといと気がつくと、またまた手に取ってしまうのです。 例えばカルロ・マリア・ジュリーニ&スカラ座と入れたモーツアルトのk488はまあ普通の出来だが、同時に収録されたk333は生気溌剌としている。この時の映像を見ると、古狸は「オケなんかうざったい。ソナタのほうがよっぽどいい」などと温厚なジュリーニに失礼なセリフをほざいて、収録寸前までk333をつまびいているのだが、その演奏のあざやかなこと。本番のテークよりもそっちのほうがよほどチャーミングで、そんなことはここに収められた「ホロビッツ・アット・ホーム」のビデオ収録の時も散見された。 同じライブでもかしこまった世紀録音ではなくて、ざっかけない試技の指のすさびに天才の霊感がほとばしる。モスクワでの一期一会のライブでシューマンのトロイメライを弾いたときに目をしばたたく中年の聴衆に感動した私だったが、映像なしの録音ではさほどの演奏とは思えなかった。かように音楽鑑賞には目が邪魔になることもある。
1 people agree with this review 2011/04/27
心が乱れて落ち着きを失いそうになった日にはクララ・ハスキルのモーツアルトを聴くと、かなり効き目があるから不思議だ。そこには慌てず急がず、ゆっくりと己の信ずる道を歩んでいくおばあさん、酸いも甘いも噛分けた媼の熟成の音が奏でられている。 若き血がたぎる青春の音楽はそこにはない。人生の黄昏の音楽、あるいはもはやその人は黄泉の国でみまかっていて、死から次の生への途次である中有に向かいながら二短調協奏曲のアレグロを弾いているのかも知れない。そんな音楽。 この選集にはモーツアルトのk271や466、491、459、488、595などのピアノ協奏曲がマルケビッチ、フリッチャイ、バウムガルトナー、スボボダなどの指揮で収められているが、録音の時期やオケの精度の違いはあっても、彼女の演奏の解釈はまったく変わることなく、この世の果ての中有の音楽を孤吟している。 同じモーツアルトのグリュミオーと入れた6つのヴァイオリンソナタも枯淡と優婉のあわいに絶望と希望が点滅するような演奏で、絶品というよりほかにない。そのほか彼女がかつてフィリプスに入れたシュウマン、シューベルト、スカルラッテイ、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集も楽しめるベスト盤といえるでしょう。
8 people agree with this review 2011/04/19
この人のドビュッシーやラベル、とりわけシューマンが深い詩想を湛えていることはどんな小品のたった6小節を聴いても分かるが、驚くべきことはあれほど軽薄なショパンの音楽、自慰してたった1分で精髄を放出して果てるあの西洋俳句のような痙攣音楽が、なんとも偉大な大芸術として現前することである。 超二流の音楽家の哀しさを慈しみと共感をもって演奏することができる世にも不思議なたった二人のピアニストの一人、それがフランソワなのである。 練習大嫌いでミスタッチは水の中の水素より多く、気分屋で、いい加減でノンシャランのように見えて比類なく繊細で、誠実で、直情的で、霊感に富み、音楽の最も大切な部分に最短距離で到達する技術、つまりは天才をこのピアノの詩人は生まれながらにして持っていた。指揮者で言えばクナパーツブッシュかクレンペラーにちょいと似ているのかもしれない。 ポリーニやアルゲリッチのショパンの中にギンギラギンにさりげなく存在しているのはえげつないポリーニやアルゲリッチだけで、純正ショパンはひとかけらもないのだが、コルトーとフランソワの演奏の中には2流の芸術家ショパンの哀しさだけが明滅していて、それで私たちは不覚にもおいおい泣かされるのである。
8 people agree with this review 2011/04/17
ルービンシュタインはベートーヴェンもモーツアルトもシューマンもショパンでさえもみなみないいが、とりわけこのブラームスの演奏で、彼の晦渋な音譜の内奥の秘密を噛んで含めるように弾き明かしてくれる。 とりわけシェリングとのバイオリンソナタや、ピアテゴルスキーとのチエロソナタ、そしてシェリング、フルニエとのピアノトリオにおいては彼の明鏡止水のようなピアノが、鬱屈した作曲家の心にそっと寄り添うような優しい表情を湛えて鳴り響き、後の二名が心をひとつにして精妙なアンサンブルを奏でていくありさまは、思わずこれが音楽だあ、とため息がでるようで、実際に出てしまう。 ああ、なんという素晴らしいブラームスであろう。 とかくこの国では、このアメリカの名ピアニストの音楽について、かの天才ホロビッツなどと比較して一籌を輸する、なぞとほざくあほばか者が多いようだが、とんでもない。ロバの耳を底までほじってこの超廉価CDを聴いてほしいものだ。
0 people agree with this review 2011/04/17
世間ではこれら最晩年の演奏を高く評価しているようですが、だからといって初期や中期の音楽が駄目なわけでは毛頭なく、そのことはここに収められたブラームスの4つの交響曲やクラウディオ・アラウと入れた2つのピアノ協奏曲が持つ軽快なテンポと表情豊かなカンタービレを耳にすれば一聴瞭然でしょう。 マエストロと英国のフィルハーモニア管弦楽団との相性の良さは、例えばモーツアルトの「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」を聴いた人ならよくご存知のはずです。 そうしてジュリーニの特徴である、あの高いインテリジェンスと胸底深く秘めたアレグロ・コンブリオ魂は、同じ北イタリア出身のクラウディオ・アバドに引き継がれているのではないでしょうか。 気前よくCD買うのも国のため 茫洋
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