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ソウル・フラワー・ユニオン 中川敬 インタビュー【1】

Thursday, March 12th 2009

中川敬インタビュー





 昨年9月にリリースされた、ソウル・フラワー・ユニオンのアルバム『カンテ・ディアスポラ』を聴いていて、あらためて強く感じたこと。 それは、今さらながら、本当に今さらながら、中川敬という”シンガー・ソングライター”のメロディ・メイカーとしての巧みな表現力、歌い手としての抜群の説得力が、ニューエスト・モデル時代から寸分の狂いも隙もなく、楽曲の中央に鎮座ましましているということ。本当に、今さらながら、そう強く感じたのです。独特の存在感を放つ”中川節”から繰り出される、<愛の総動員>、<ラヴィエベル〜人生は素晴らしい!>、<スイミング・プール>。

 <DAYS>、<尾根行く旅>、<遊園地は年中無休>、<底なしの底>、<もぐらと祭>・・・を口ずさんでいたあの頃も、実際、鮮明に甦ってきました。あの頃と言っても、ただのお涙交じりの”ノスタル爺”な感情ではなく、”ソウル・フラワー今だ旅の途中”という頼もしき前傾姿勢を思い描きながら、その時分の風景が目の目に広がっていったことは、言うに及ばず。

 そして、ニューエスト・モデル/メスカリン・ドライヴのキング時代のシングル・コレクション(+@)『Early Soul Flower Singles』がリリースされることに。バンド形態はもとより、表現方法、活動範囲を拡充させながら、現在も進化を続けるソウル・フラワー・ユニオン。ニューエスト、メスカリンの両バンドが基礎にあり、現在に繋がっていることは一目瞭然ですが・・・その道すがらの諸々を、両バンドのリアルな通過組の僕にとっては、どうしても中川さんご本人の口から聞いておきたかったのです。


 不躾な愚問数々も・・・「ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが、そこにいた時代」を中心に、お話し頂きました。僕にとっても、ニューエスト・モデル、メスカリン・ドライヴは、”抜き難く”あるものです。


インタビュー/文/構成    小浜文晶





アーリー・ソウル・フラワー・シングルズ
4 Newest Model / Mescaline Drive
    『Early Soul Flower Singles』
 «New«

ソウル・フラワー・ユニオンの前身、ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴがキング・レコード在籍時(1989年〜1993年)に発表した全シングルを時系列に集大成した、CD2枚組シングルズ・コレクション。長年入手困難であったアルバム未収録のカップリング・ナンバーや、各シングル・ミックス、代表曲の別ミックス、ライヴ音源、未発表曲『英雄と凱旋』等々、14曲のボーナス・トラックも嬉しい、2枚組全39曲のヴェリー・ベスト・コンピレーション!初回生産分のみ紙ジャケ仕様。






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中川敬


   



--- 本日は宜しくお願い致します。


中川敬(以下、中川)  はい。


--- 先程伺ったのですが、現在、ソウル・フラワー・ユニオンのレコーディング中ということで、お忙しいところを本当にありがとうございます。


中川  今日は、レコーディングのリハの最終日で、明日、明後日がレコーディング。6月に、7、8曲入りのマキシ・シングルを出そうかなと思ってて。


--- そちらの完成も楽しみにしております。では、この度、3/25にリリースされるニューエスト・モデル、メスカリン・ドライヴのキング時代のシングル・コレクション『Early Soul Flower Singles』についてお話をお伺いします。


今現在、中川さんご自身が音楽キャリアの軌跡の中で、ニューエスト・モデルというバンドを振り返った時、その89〜93年という時代は、どういった時代であったと言えそうでしょうか?


中川  俺の場合は、ずっと立場が一緒、「職種」が一緒やから。曲を書き、ギターを弾きながら唄を歌い、バンドをプロデュースするっていう。だから、一緒やねんね、ニューエスト・モデルもソウル・フラワー・ユニオンも(笑)。歴史が途切れてない。


 どちらのバンドもメンバー・チェンジもあったし・・・ていう意味においては、「初期ソウル・フラワー・ユニオン」みたいなもんやね、ニューエスト・モデルっていうのは。ただ勿論、ニューエストは、自分が20代前半の時期やから、やっぱり、「あの頃はこうやったなぁ、この頃はこうやったなぁ」っていうのは人並みにあるよ、そりゃあ色々。君もあると思うけど(笑)。「あの頃、もっとこうしたら良かったなぁ」、「制作費、かけ過ぎたなぁ」みたいな(笑)。  


ニューエスト・モデル
ニューエスト・モデル(89年リリースの『Soul Survivor』の裏ジャケットより):左から、中川敬(vo&g)、鈴木友之(b)、奥野真哉(key)、田中“ベン”勉(ds)。



--- そういった中でも、今もソウル・フラワー・ユニオンのライヴ等で、「杓子定木」であったり、「雑種天国」であったりをレパートリーとして取り上げられてますよね。


中川  うん、勿論。


--- 逆に、長年全く取り上げていない楽曲などもあったりします。


中川  まぁ、できないものはあるよね。


--- それは、今おっしゃていた「あの頃、もっとこうしたら・・・」というような思いも含めて?


中川  いやいや、もう単純に、20代前半の頃に書いた、歌詞は勿論やけど、メロディでもアレンジでも、だんだん稚拙に感じていくよね。だって、21、2の頃の自分の原稿とか出てきたら恥ずかしいやろ?(笑)


--- (笑)たしかに、冷静には見返せないです。でも、さらに年齢を重ねて、50、60代で若き日の楽曲をレパートリーに加えるということも考えられそうですよね。


中川  うん、そりゃ勿論、考えられるよね。俺の場合、レパートリーはほとんど自分の書いた曲やし。その時のバンドの感じ、お客さんとの関係性、色々含み合わせた上で、「今回<外交不能症>やろか?」とか(笑)。今でもそういうことはあるしね。だから、あるんちゃうかな? 75ぐらいになって、「奥野はん、今日は<こたつ内紛争>でもやりまひょか〜」(笑)とか、楽屋で言うててもいいよね(笑)。


--- (笑)。基本、ソウル・フラワー・ユニオンでニューエスト、メスカリンの楽曲を取り上げる際の発起というのは、中川さんが?


中川  「今回、コレやってみいひん?」とか、リハで色々意見が出るけどね。で、試しにやってみて、全然ダメとかってよくあるし。まぁ、バンドのメンバーが変わると、少しずつ違うバンドになっていくから、“合う”、“合わない”はあるよね。あと、やってみたら気分的に乗らなかった、とかね。


中川敬


 




--- 同じく当時を振り返ってみて、その頃のニューエストとメスカリンをどう比較されますか?ニューエストにあって、メスカリンになかったもの。または、その逆であったりと。


中川  やっぱりある意味、男のバンドと女のバンドやなと思うけどね、まさしく。ニューエスト・モデルは、ある種、音楽に対して野心的やったしね。メスカリン・ドライヴの方は、右脳全開みたいな(笑)。ある種の目標設定なんかがはっきりとあったのは、ニューエスト・モデルの方やね。メスカリン・ドライヴは、バァーンとね、アホみたいに轟音を前に出すだけや(笑)。「コレがやりたいんやぁ!男なんてアホばっかりやぁ!」って(笑)。実際、それは正しかった(笑)。


 まぁ、でも、すごい刺激し合った2つのバンドやね。それぞれが持ってないもんを、お互い持ってたから。


 俺は実際、メスカリン・ドライヴのファンやったし。特に、コレ(『Early Soul Flower Singles』)よりももっと前の時期かな。この辺(89年以降)はもう一緒にやってるからね。85年かなぁ・・・ニューエスト・モデルを結成した時に、その頃、ロック喫茶っていうものがまだあった時代で、オレ、ロック喫茶の店員やってんね。大阪のミナミで。80年代後半に潰れた店なんやけど。


 そこに客で、派手な女達がやってきたわけ。髪の毛、真っ赤なんが、5、6人ガァーッと入ってきて、「ビデオ、ハノイロックスにしてや、兄ちゃ〜ん」とか、「レコード、ニューヨーク・ドールズかけてやぁ〜」みたいな(笑)。派手すぎて10人ぐらいに見える(笑)。「自分ら、ニューヨーク・ドールズ好きなぁん?」、「ああ、ホンマに〜?」って、オレも軽い店員やってんけど(笑)。で、友達になったとゆう感じで。


 ある時、「デモ・テープ録ってんけど、ちょっと聴いてやぁ」とか言われて、仕事中、ウォークマンで聴かせてもらって・・・初めっから「出来上がってた」ね、メスカリン・ドライヴは。シルヴァーヘッドの<Hello New York>がそこに入ってて(笑)、まぁ何て言うのか、いわばグラム・ロックやったね。テクニックも何もなくて。でも、ヒデ坊(伊丹英子)のアンペッグ・サウンドとヴォーカル内海洋子は、初めから「出来上がってた」。「何や、このパティ・スミスみたいなヴォーカルは!?」みたいな感じやね、まだ俺も20歳ぐらいで。「ヤバい!」みたいな。「俺らもちょっと気合入れてやらなあかんな」って。だから、いつも刺激与えてもらってたっていうかね、初期の頃。


--- そこから、色々と対バンなんかをするように?


中川  そやね。ニューエストはもっと、ジャムとか、フーとか、スモール・フェイセズとか、ちょっとモッズっぽい感じと、オレ以外のメンバーがパンク好きやったから、そういうのとの融合みたいなバンドやったから、音楽性は全然ちゃうかったんやけどね、メスカリンとは。ただ、俺が元々ローリング・ストーンズで始まった人やから、グッときたよ。それと、喋ってみて、すごく似た臭いを感じてね。特に、伊丹英子。なんかこう・・・上の世代に対する感じとか。それこそ、社会に蔓延するマッチョイズムに対する考え方とか。あと、ギャグのセンスとか(笑)。なんか、近いものを感じて。全然ちゃう音楽やってるのに、近いなぁとはお互いが感じててんね、ハナから。で、ニューエスト・モデルが初めてライヴをやる時の対バンは、メスカリン・ドライヴにやってもらったんよ。86年3月10日、大阪西成Egg plant。


メスカリン・ドライヴ
メスカリン・ドライヴ(88年リリースの1st LP『Deep Morning Glow』より):左から、井上実香(ds)、内海洋子(vo)、浅野フジコ(b)、伊丹英子(g)。


--- 僕個人は、中学2年の時に、『Pretty Radiation』からニューエストに入りまして・・・


中川  古いやん(笑)。

--- 束の間、キング・レコードから『Soul Survivor』がリリースされて、メジャー・デビューとなったのですが、その当時、ニューエストは、すぐにはメジャーには行かないだろうなと僕個人は勝手に思っていたんですよ。当時、インディ・シーンが異様に盛り上がっていたということもありまして。だから、あのタイミングでのニューエスト、また、メスカリンのメジャー・デビューは、少し意外だなとも感じていました。


中川  まぁね。正直言って、俺とヒデ坊はあまり興味がなかったんよ、メジャーに。音楽業界自体も、あまりよく分かってなかったし。俺は22ぐらいやったかな。それに、周りから「1回メジャーでやってみたけど、あかんかった。業界のヤツらはアホばっかりや」みたいな話も聞くわけやん(笑)。「あぁ、そうかアホばっかりなんや」って(笑)。


 初めは、あまり興味なかったんやけど・・・その頃、俺、大阪の老舗の中古レコード屋の店員で。で、その店にレコード会社の人間が、ポツポツ来る。全部で、5社か6社ぐらいは来たかな。「ニューエスト、ウチから出しませんか?」、あるいは、ヒデ坊の方に「メスカリン、ウチから出しませんか?」って。まぁ、よう分からへんし、興味もそんなになかったから、「いい、いい」って感じやったんやけど・・・でも、いい話なんであれば、それはやっぱりいいことなんちゃうか?と。音楽をやりながら、食えるんか、と。こんだけツアーやりながら、バイト、もうしんどいねん、みたいな(笑)。それは、勿論あるやん? 一個人として。だから、なんか分からへんから、とにかく何個か譲れない条件出しといたら、引くとこは引くやろなと思って。それがまぁ、大阪に住み続けるということと、ニューエストとメスカリンはセットやと。ソウル・フラワー・レーベルごと契約するっていうことやないとダメやと。あと、外部プロデューサーは一切つけないと。シングル、どれ切るかとかいつ出すかとか、そういうことを全部決めるのも俺らやと。すると、ほとんどの会社が引いてくんよ、ヒューッと(笑)。


 そこで残ったのが、キング・レコードっていう、非常にマヌケなレコード会社やったわけやね(笑)。「2つとも貰えるんですか!?」みたいな(笑)。「1個だけやと思ったのに、2個も貰えるんですか?」みたいな(笑)。「プロデュースまでやって頂けるんですか?」って・・・そんなことはないけど(笑)。キング・レコードは、明らかに出遅れててさ、バンド・ブームに。88年末の段階で、まだアニメとプログレと演歌がほとんど。で、他社は当ててるわけ。どこどこはジュンスカ、どこどこはブルーハーツやとか。だから、キングは相当焦ってたらしくて、後で話を聞くと。ほんまに社を挙げてイチ押しという感じやったよ、ニューエストは特に。


--- たしかに、当時「キングの強力新人」という触れ込みで、「ソウル・サバイバーの逆襲」のサンプラーが、レコード屋の店頭で配られていたような記憶があります。


中川  うん。初めはすごい力入ってたよ、キング・・・初めだけやけど(笑)。


--- 逆に、シングルのジャケットで、フランク・ザッパ「Freak Out」、ビートルズ「Revolver」、ジェファーソン・エアプレイン「Crown of Creation」などのパロディを縛りなくできたのは、キングだったからこそと。


中川  俺、当時はすごいアナログ・フェチやったから、中古レコード屋でバイトしてるぐらいね。だから、その当時、CDっていうフォーマットで、デザインをどう展開するかってことに関して、悲観的やってんね。しかも、「何や!?この短冊型(8cmCDシングル)は!」みたいな。「どないせぇ言うねん、コレを!」みたいな(笑)。せっかく作った自分達のレコードやのに、こんなんやろ?・・・だからまぁ、ちょっと遊びたいなぁいうことやね、そういう中で。







--- さらに、折りたたみのインナースリーヴが差し込んであって、そこに手書きの歌詞とイラストが書かれていたりと。


中川  LPが作りたかったわけよ、LPが(笑)。だから、ここまで来たら、少し遊ばな、みたいな。


(つづきます)







 






Solid Foundation -Early Days1986-1987
4 Newest Model 『Solid Foundation -Early Days86-87』

 アナログ・リリースの『Senseless Chatter Senseless Fists』、『Standing On The New Foundation』、『オモチャの兵隊』等からの初期(1986-87)の貴重な音源をまとめたコンピレーション・アルバム。以前、バルコニーより再発されていたものに、「オモチャの兵隊」のフォノシート・ヴァージョンなど3曲を追加した新装丁盤。




Soul Survivor
4 Newest Model 『Soul Survivor』

 1989年にキング・レコードからリリースされたメジャー初アルバム。持ち前の質実剛健ソウル・パンク・サウンドに、ニューオリンズ、ファンキー・ブラス等のファクターを投下。モノトーンから一気にカラフルなサウンドを手繰り寄せ、同時代バンドの中でも、圧倒的な存在感を見せつけた傑作。抵抗を繰り返すも切実すぎる、青春のひとコマ。




Crossbreed Park
4 Newest Model 『Crossbreed Park』

 1990年リリースのメジャー2ndアルバム。冒頭「ひかりの怪物」から、雑多感を多分に含むブラス・ファンク・アジテーションの尋常ではない”うねり”が右往左往。”重心の低さ”をはじめ、前作『Soul Surviver』からの進化の速度感が否応なしに伺える。「杓子定木」を聴けば、現在の中川氏及び、ソウル・フラワー・ユニオンの活動にまで直結する原点なるものを見出すことは容易の筈。「雑種天国」、「乳母車と棺桶」といった名曲を含む、中川氏本人も「ニューエストのピーク」と振り返る1枚。「特別って思ってても 狭い海で皆泳ぐ」・・・のである。




Universal Invader
4 Newest Model 『Universal Invader』

 1992年発表のニューエスト最後のフル・オリジナル・アルバム。前2作の余韻を躊躇なく払い落とし、さらにラディカルに進化を遂げようとするソウル・フラワー劇場の舞台裏は、Pファンク、カーティス・メイフィールド、パブリック・エネミー等から抽出されたエキスで充満。イラク戦争(当時)における一部マスコミの報道に対する痛烈な皮肉「報道機関が優しく君を包む」、ライヴでは長尺のインプロヴィゼーションが展開された「知識を得て、心を開き、自転車に乗れ!」など、振り返れば、その後のソウル・フラワー・ユニオンへの統合を十分に予感させる楽曲が並ぶ。

  



Soul Flower Clique 1988-1992
4 Newest Model 『Soul Flower Clique 1988-1992』

 1992年に発表された、ニューエスト・モデルのビデオ・クリップ集。「Hey Pocky A-Way」、「こたつ内紛争」、「Soul Dynamite」はライヴ映像。ボーナス・トラックとして、メスカリン・ドライヴのヴィデオ・クリップ2曲「迷宮新喜劇」、「お花見列車」を追加収録してDVD化。



 



カムイ・イピリマ
4 Soul Flower Union 『カムイ イピリマ』

 元々は、中川、奥野両氏の全面参加の下、メスカリン・ドライヴのニュー・アルバムとして制作されていたものの、その制作過程において、”ソウル・フラワー・ユニオン”という名の統合行為を果たすべくして果たした、1993年記念すべきSFU名義での1stアルバム。タイトルは、アイヌ語で「神・自然の耳打ち」を意味し、「お前の村の踊りを踊れ」をはじめ、「日本列島先住民史」をテーマに掲げ制作された1枚。「寝首かかれた酋長」の出典は、トラフィック「Forty Thousand Headmen」。




ワタツミ ヤマツミ
4 Soul Flower Union 『ワタツミ ヤマツミ』

 1994年、別名「もののけ解放セッション」。実質的なソウル・フラワー・ユニオンの1stアルバムとも呼べる本作には、レス・ポール×マーシャル・アンプの歪み、お囃子と和太鼓、フリーキーなサックス・・・全てが奇跡的な融合を果たした「もののけと遊ぶ庭」、北海道南西沖地震による奥尻島への津波来襲を唄った「レプン・カムイ(沖の神様)」、喜納昌吉&チャンプルーズのカヴァー「アイヌ・プリ」など、トラッド、民謡、アイヌのキーワードをより具体的・効果的に流し込んだ傑なる曲が連なる。「リベラリストに踏絵を」におけるPファンクから沖縄民謡までの目まぐるしい出し入れも驚異的。アルバム・リリース前、横浜寿町フリーコンサートで初めて聴いた「陽炎のくに、鉛のうた」の衝撃が今でも忘れられない。




Ghost Hits 1993-96
4 Soul Flower Union 『Ghost Hits 1993-96』

 1996年リリースのソウル・フラワー・ユニオン初期楽曲を纏めたベスト。6曲の別ミックスに加えて、「やまんばの里」、「騒乱節(ソーラン節)」、「杓子定木('96 モノノケサミット・ヴァージョン)」、さらには、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の惨状、復興への厳しい現実、それらに向き合おうとする人々の姿を描いた「満月の夕」(中川敬、ヒートウェイヴの山口洋両氏による共作。95年10月1日にシングルとしてリリース)を収録。「満月の夕」は、のちに、ドーナル・ラニー・バンドとのアイリッシュ・トラッド共演盤『マージナル・ムーン』、中川敬ソロ・プロジェクト=ソウルシャリスト・エスケイプ『ロスト・ホームランド』、ソウル・フラワー・ユニオンのライヴ・アルバム『High Tide And Moonlight Bash』などにも収められることとなる。




アジール チンドン
4 Soul Flower Mononoke Summit 『アジール チンドン』

 95年阪神・淡路大震災の被災地における「出前慰問ライヴ活動」に端を発した、ソウル・フラワー・モノノケサミットは、アコースティックな”ちんどん”スタイルで、被災地のみならず、障がい者イベント、寄せ場(ドヤ街)、市民運動、反戦運動の現場など日本全国の様々な祭り、また、北朝鮮・平壌、中国返還直後の香港、ベトナム・ダナン、フィリピン・スモーキー・マウンテン、東ティモール独立祝賀祭、フランス・ツアー、台湾、ヨルダン・パレスチナ難民キャンプ等々、国内にとどまらず、唄と踊りが熱望される”ヤチマタ”で祭りを創出し続けている。




エレクトロ・アジール・バップ
4 Soul Flower Union 『エレクトロ・アジール・バップ』

 上述「出前慰問ライヴ活動」〜ソウル・フラワー・モノノケサミットでの成果とアイデアの先を、深化させ、電化させた3rdアルバム。日本・沖縄・アイヌ・朝鮮の民謡、壮士演歌、労働歌、革命歌、はやり唄・・・所謂”日本のロック・バンド”が、ここまで”ローカル発グローバル行き”な打ち出しを見せるとは・・・と慌てふためくも、それが純粋な意味で、真の意味での”万国共通のロック”であることを知らしめた重要作。「エエジャナイカ」に含まれたダンス・ミュージックの要素は、もはや凡百テクノ/ハウス・ミュージックのそれを遥かに凌駕する決定的なトランス感を誇っている。












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