カラヤン -人生・音楽・美学- 第 V 章
Tuesday, July 1st 2008
第 V 章 1950〜1957年 帝王への道
文●阿部十三
「初来日まで」ザルツブルク音楽祭から締め出されたカラヤンは、今度はウィーンのバッハ音楽祭で厄介事に巻き込まれた。フルトヴェングラーが断った『マタイ受難曲』の指揮をカラヤンが引き受け、40回〜50回ものリハーサルを重ねていたところへ、再びフルトヴェングラーが姿を現し、やはり自分が指揮したいと言ってきたのである。ウィーン・フィルはさすがに今更カラヤンを降ろすのは不可能だと、この時だけはフルトヴェングラーの申し出を断ったが、以後カラヤンはウィーン・フィルのコンサートを指揮できなくなってしまった。
そんな状況の中、彼はウィーン楽友協会合唱団から終身監督に任命された。この団体の実力はお世辞にも高いとは言えなかったが、彼は困難な時期に自分に忠誠を示したこの合唱団を死ぬまで見放さなかった。
フルトヴェングラーによる妨害に悩まされていたカラヤンだが、ウィーン交響楽団や、自分の味方であるヴィクトル・デ・サーバタ率いるミラノ・スカラ座とは良好な関係を保っていた。それに何より彼には“レコード”があった。彼のレコードは大衆にも批評家にも受け入れられ、好調な売り上げを記録していた。
戦後、連合軍により中止されていたバイロイト音楽祭は、1951年7月29日、フルトヴェングラー指揮の「第九」で幕を開けた。カラヤンは「マイスタージンガー」と「指環」を指揮、巨匠ハンス・クナッパーツブッシュと共に主要指揮者として活躍した。
しかし、翌年のバイロイトではワーグナーの孫ヴィーラントの斬新な演出に異を唱え、関係が悪化。これ以降バイロイト音楽祭と縁を切ることになる。一説では、カラヤンはバイロイト音楽祭の実権を握ろうとしてヴィーラントに阻止された、とも言われている。
1953年9月8日にはベルリン・フィルを指揮。フルトヴェングラーのオーケストラを振るのは戦後初。どういう経緯でこのコンサートが実現したかは定かでない。
スカラ座ではマリア・カラスが歌うドニゼッティの『ランメルモールのルチア』を指揮し、大成功を収めた。54年1月18日のことである。オペラの達人だったカラヤンには、歌手と共に呼吸し、その声にぴったり合わせて指揮することができた。「彼がいないと私にはオペラが聞こえない」と言うほど、カラスはカラヤンの指揮に夢中になった。
同年4月2日、単身で来日。5月まで滞在し、NHK交響楽団のコンサートを14回も指揮した。その他、ラジオ放送のための演奏会を2回指揮、テレビ談話室にも出演している。
「新王の即位」
52年以降、フルトヴェングラーは過労で体調を崩しがちだった。おまけに肺炎の薬の副作用で聴覚障害を患い、54年の時点では深刻化していた。それでも彼は最後の夏、ザルツブルクとルツェルンの音楽祭で指揮し、壮絶な演奏で聴衆を圧倒した。それは一つの時代の終わりを告げる黄昏の閃光でもあった。
ある日、リハーサルでファゴットの音を聴きとることができなかったフルトヴェングラーは、諦めたように手を振った。「みんな、ありがとう。これでおしまいだ。さようなら」。彼とベルリン・フィルの最後のコンサートは9月20日に行われた。
その3日後、カラヤンは同じオーケストラの指揮台に立った。さらに、2ヶ月後の11月21日と22日にもベルリン・フィルを指揮した。状況が大きく変わりつつあることは誰の目にも明らかだった。
11月30日、フルトヴェングラーが68歳で死去。カラヤンはその訃報をローマで聞いた。同日、彼はウィーンから匿名の電報を受け取った。そこにはこう書かれていたという。「王は死んだ。新王万歳!」
ベルリン・フィルは1955年に北米ツアーを控えていた。この訪米は単なる演奏旅行ではなく、西ドイツ政府にとって外交上重要な意味を持っていた。ベルリン・フィルの支配人ヴェスターマンは代理指揮者としてカラヤンに白羽の矢を立てた。
もう一人、セルジウ・チェリビダッケというルーマニア出身の指揮者が候補にあがっていた。彼は戦後フルトヴェングラーが指揮活動を禁止されていた時期、ベルリン・フィルのコンサートを一手に担っていた若き救世主である。が、そのリハーサルは過酷で、攻撃的で、団員たちの反感を買っていた。他方、カラヤンのリハーサルは合理的で無駄がなく、罵声が飛び交うこともなかった。指揮する時に目を閉じる癖は多くの団員を戸惑わせたが、その分、手の動きは雄弁だった。
結局、アメリカ・ツアーの主催者コロンビア・アーティスツが、「フルトヴェングラーでなければカラヤンで」と条件を出してきたのが決定打となり、カラヤンを招くことになった。コロンビア・アーティスツがカラヤンに肩入れした理由はわからない。
カラヤンはベルリン・フィルの首席指揮者になることを条件にツアーを引き受けたい、と返答した。しかも期限は「終身」。ヴェスターマンらの間で反発が起こったが、カラヤンに譲歩する気はなかった。彼は勝負に出たのである。そして、見事賭けに勝った。
55年2月22日、ベルリンでコンサートが行われた後、ベルリン市文化大臣ヨアヒム・ティブルティウスがステージに現れ、5日後に始まる北米ツアーについてスピーチし、カラヤンにこう尋ねた。「フルトヴェングラーの後継者としてベルリン・フィルを率いる用意はありますか?」「議員殿、喜んでお受けします。ほかに言葉はありません」「それは素晴らしい」。このやりとりは、いわば予防線だった。まだ正式に首席指揮者になったわけではないが、こうして公衆の前で発表したことにより、カラヤンは自分が代理指揮者として片付けられるのを未然に防いだのである。
北米ツアーではナチ党員訪米反対運動に何度か出くわしたが、大半の都市では歓迎され、批評もおおむね好意的だった。
4月5日、47歳の誕生日にベルリン・フィルの常任指揮者に「即位」したカラヤンは、コンサートを重ね、ベルリンでの評判を徐々に高めていった。9月にはベルリン市立歌劇場とスカラ座の提携による『ランメルモールのルチア』を上演、10月にはフィルハーモニア管弦楽団とまたアメリカへ演奏旅行に出た。
1956年3月にはウィーン国立歌劇場の総監督だったカール・ベームが舌禍により辞任。その後任としてカラヤンの名前が挙がった。最早彼の行く手を阻むものは何もなかった。
9月1日、同歌劇場の芸術監督に就任。かくして1人の男が欧州の最重要ポスト2つを独占することになったのである。
それまで自分を締め出していたザルツブルク音楽祭の芸術総監督にも就任。11月からはベルリン・フィルを率いてアメリカへ。翌年4月2日にはウィーン国立歌劇場で『ワルキューレ』を指揮し、芸術監督として華々しいデビューを飾った。「ヨーロッパの音楽監督」の天下が、今まさに始まろうとしていた。
(続く)
1950年から1957年にかけての代表的録音
モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』クンツ、ゼーフリート、シュヴァルツコップ他/ウィーン・フィル EMI 3367792 ウィーン・モーツァルト・アンサンブルのベストメンバーによる快演。カラヤンにとって初のオペラ全曲録音。以後カラヤンとレッグはオペラ分野で『魔笛』『コシ』『ヘンゼルとグレーテル』など次々と名録音を生み出してゆく。1950年録音。 ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』メードル、ヴィナイ他/バイロイト祝祭管弦楽団 ORFEOR603033 緊張感溢れる凄絶ライヴ。マルタ・メードルの絶唱に鳥肌が立つ。前年に指揮した『マイスタージンガー』や『ワルキューレ第3幕』の音も残っているが、カラヤンのバイロイト音源ではこれが最高だろう。1952年ライヴ。 J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調シュヴァルツコップ、他/フィルハーモニア管 EMI 5868382 発売当時、「深い霊感に溢れている」と評された名演。「サンクトゥス」と「アニュス・デイ」の感動的な響きからは、カラヤンのバッハに対する誠実さと深い愛情が伝わってくる。1952-53年録音。 チャイコフスキー:3大バレエ組曲フィルハーモニア管 EMI 4768992 カラヤン×フィルハーモニア管が遺した数多くのレコードの中で、ダントツのセールスを記録したのがコレ。メロディーの歌わせ方のうまさに「さすがカラヤン」と唸らずにはいられない。1952年録音。 ベートーヴェン:交響曲全集フィルハーモニア管 EMI 5158632 カラヤンが初めて完成させたベートーヴェン交響曲全集。抜群の統率力と鋭い解釈で聴き手を刮目させる「英雄」と「田園」が出色の出来ばえ。音質がもっと良かったら…と思うのは贅沢か。1951-55年録音。 |
モーツァルト:ホルン協奏曲集デニス・ブレイン(Hr)/フィルハーモニア管 EMI 5158632 フィルハーモニア管の首席ホルン奏者だった若き天才デニス・ブレイン(1921-57)の遺産。不慮の事故死から50年以上を経てもこの演奏は輝きを失っていない。カラヤンの伴奏も鮮やかだ。1953年録音。 オペラ間奏曲集フィルハーモニア管 EMI TOCE-13302 「タイースの瞑想曲」等の超有名作から通好みの曲までバランスよく収録。カラヤンは小品でも手を抜かない。この録音の間、彼のテンションは異常に高く、「いってしまっていた」という。1954年録音。 プッチーニ:歌劇『蝶々夫人』カラス、ディ・ステファノ他/ミラノ・スカラ座管 NAXOS 8111026 人気実力共に黄金期を迎えていたマリア・カラスがそれまで舞台で歌ったことのない蝶々夫人に挑んだ名録音。確かな洞察力に裏付けられた役作りが素晴らしい。カラヤンのサポートも絶妙だ。1955年録音。 R.シュトラウス:歌劇『ばらの騎士』シュヴァルツコップ、他/フィルハーモニア管 EMI 3773572 カラヤンが最も得意としたオペラの一つ。芳醇なワインのように香り高い演奏だ。“最高の当たり役”と絶賛されたエリザベート・シュヴァルツコップの元帥夫人も見事の一言に尽きる。脇役の歌手陣も好演。1956年録音。 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番グレン・グールド(p)/ベルリン・フィル SONY 88697287822 グールドが珍しく指揮者に付き従って演奏している(彼はカラヤンを尊敬していた)……かと思いきや、途中で一触即発のムードに。個性の強い2人の天才の駆け引きが実にスリリング。1957年ライヴ。 |
関連情報
