「ギーレンのロマンティックなブラームス」
2006年3月15日 (水)
連載 許光俊の言いたい放題 第76回「ギーレンのロマンティックなブラームス」
とっくに売れに売れた今頃になって書くのもどうかと思うが、クライバーのベートーヴェン第7交響曲はすごい。クライバーに関しては、もうさんざんいろいろなライヴの記録を聴いたし、このCDの発売が発表されたときには今更また第7かという気持ちがまったくしないわけではなかったのだが、日本盤の解説を頼まれて聴いたら、全盛期のすさまじさにすっかり感激してしまったのだ。これこそライヴのクライバーの本領であり、間違いなく彼の代表盤(のひとつ)と言っていい。おそらくどんな初心者でも、これを聴けば、演奏家次第でどれだけ作品の印象が変わるか、なぜ200年前に作られた曲がいまだに人をひきつけるのか、といったことがわかるはずだ。もしクラシックを聴き始めるという初心者に3枚CDを買わせるとしたら、私はこれを絶対に入れる。
第2楽章の流麗といい、第3、4楽章の天翔けるような自由奔放といい、改めてこの指揮者が例外的な音楽家のひとりだったことを痛感させられる。最後は驚くほど直接的かつ爆発的なエクスタシーの瞬間であり、演奏が終わった直後のためらいがちな喝采に、聴衆のタジタジぶりが見て取れる。クライバーを聴くということは、何かを経験することだった。そういう、音楽の一回性という経験をさせてくれるという点では、この人とチェリビダッケが群を抜いていた。だから、彼らのコンサートには無理をしても通い続ける人たちが世界中にいたのだ。
私はSACDプレーヤーを持っていないので普通のCDとして聴いたが、会場の雰囲気ないし空気感が伝わる音質が喜ばしい。
さて、以前このコラムでミヒャエル・ギーレンのマーラー交響曲第10番について述べた。驚くほど濃厚な表現で、これが無表情系演奏の代表者かと耳を疑うような音楽が展開されていた。予想通り、今度のブラームス交響曲第2番も、完全に晩年様式だ。
第1楽章冒頭からしてたおやかで、どことなくはかなげで寂しげな風情が漂う。主題がたっぷりとロマンティックに歌われている。ギーレンがこんなブラームスを演奏するなんて、かつてなら予想できなかった。滴るようなヴァイオリンといい、深いチェロ・バスの響きといい、ちょっとブルーノ・ワルターみたいだ。フルートも弦も陶酔的である。指揮者が音を愛おしんでいる様子がよくうかがえる。
第2楽章も基本的に同じ。こちらでは余韻がいっそう目立つ。とにかく、現代においてこれほど甘美かつ切なげな歌であふれかえった第2交響曲の演奏がめったにないことは間違いない。
第3楽章頭の木管のソロの何とも言えない表情もいいが、休符にこもる虚無感を聴けば(思いがけずギクリとさせられるほどだ)、ギーレンという音楽家が生涯の最後にさしかかっていることがことのほかよくわかる。この楽章が、まるで第3交響曲のあのメランコリックな第3楽章みたいに聞こえて仕方がないのである。
オーケストラの力というか、合奏というか、そういう点では甘さがあるが、不愉快ではない。第4楽章など、音の濁り方がいかにもギーレンなのだけれど、まったく腹が立たないのが不思議なほどだ。むしろ、そんなことがどうでもいいことのように思える。いい感じのテンポで進む自然さのせいなのかどうか、抵抗感なく音楽の流れを受け入れられるのである。私はさんざんギーレンのことをけなしてきたが、今は、この指揮者が、誰もが到達できるわけではない融通無碍の境地に思いがけずたどりついたことを言祝ぎたい(本当はそれは、われわれがヴォルフガング・サヴァリッシュやホルスト・シュタインに期待していたものなのだが)。
なお、「ハイドン変奏曲」のほうは、聴けばすぐわかる通り、交響曲より約10年前、演奏がまだギーレンギーレンしていた頃のものだ。交響曲に比べれば、せかせか、せこせこ、ギスギスした音楽で、余裕がなく、不器用で、わざとらしく、第1変奏を聴いただけ嫌になってしまう。神経を逆なでするような第2変奏の強音、かと思うと妙に暗く不気味でお化けが出そうな第4変奏、またせせこましくなる第5、6変奏、粘りに粘る第7変奏というぐあいに、イモっぽいというか、ダサいというか、おかしなバランスの演奏である。こういうのがおもしろがるのは趣味の問題としても、聴き比べれば、第2交響曲がどれほどすばらしいか、あまりにも明らかである。ギーレンが現在達している境地に改めて驚愕するしかない。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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交響曲第2番、ハイドン変奏曲 ギーレン&南西ドイツ放送響
ブラームス(1833-1897)
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交響曲第7番 カルロス・クライバー&バイエルン国立管弦楽団(1982年ライヴ)
ベートーヴェン(1770-1827)
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