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正座で聴きたいテンシュテット 許光俊の言いたい放題へ戻る

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2015年11月28日 (土)

連載 許光俊の言いたい放題 第246回


 信じられない。そういうことが時々起きるものである。
 今から四半世紀前、ベルリンの壁崩壊のニュースを見たときがそうだった。まさに唖然として、言葉を失った
 アメリカでオバマ大統領が誕生したときにも強い衝撃を受けた。まさか自分の目が黒いうちにアフリカ系のアメリカ大統領が実現しようとは、考えてもいなかった。
 そして今、LPレコードが復活し、次々と新譜が発売されていることも・・・。若い演奏家の録音までもがわざわざLPで発売され、しかもCDの倍以上の値段を払ってもそれを買う人がいるなんて。五年前、十年前には誰が予想できたか。
 私は現在、ほとんどすべてのCDをネット通販で購入している。これは、CDが手ごろなサイズであり、しかも日本ではすぐれた宅配システムができあがっていて、迅速かつ確実に商品が家に届くからである。
 もしLPの時代が続いていたら、こうはならなかっただろう。LPは大きい。しかもセットものでもなければ、ぺらっとしたジャケットに入っているだけなので傷みやすい。CDだからこそ、現在のようにネット販売が盛んになったことは間違いない。
 だが、やはりLPの音質はすばらしい。皮肉なことだが、まさにそれゆえに私はLPをあまり聴かない。ついつい立て続けに聴いてしまう。仕事をしたり、未知の曲を勉強したりするには、やはりCDが便利だし主である。が、本当に楽しみたいときにはLP。そういう区別をしている。
 最近も、テンシュテットの日本ライヴがLPで出直したのを聴き、予想を超える生々しさに狂喜乱舞した。
 とにかく弱音の存在感が圧倒的なのだ。演奏家の緊張感が伝わるのだ。コンサートホールで、私たちは息を詰めて最弱音を聴く。そういう緊張感が見事に伝わってくる。あたかも身を潜めて待ち構えるような気配、その場の人々の心が音楽に集中している様子がわかる。
 それでいて全体がマスとして鳴っている感じもよくわかる。弦楽器の弓の動き、指揮棒の動き、打楽器奏者の身振り、鮮やかに見えるかのように感じられるのだ。これはたまらない。
 具体例を挙げれば、マーラーの第5交響曲のアダージェット。まさに無の中から音が生まれてくるような開始にしびれる。そのあと、音楽は一歩一歩足元を確かめるかのように進んでいく。静かだ。まったく陶酔的ではない。ゆっくりと言葉のひとつひとつを思い出しながらつぶやく詩のようだ。だからこそのすさまじい切迫感。今ここで音楽が生まれているという圧倒的なリアリティ。こんなものが家で聴けていいのかと思うほどだ。
 ロンドン・フィルの弦楽器は、ものすごく艶やかで美しいというものではない。その点では世界の超一流の足元に及ばない。しかし、そんなことはこの場合まったく問題ではないのだ。まるで作曲家の心をぐいとわしづかみにして突き出してくるかのような、血なまぐさいほどの表現力。その点で、このオーケストラは最高の仕事をしている。何度聴いても呆然とするすごい演奏だ。昔の人は、SPを聴くとき、スピーカーの前に正座したという。音楽が溢れている現代ではあり得ない光景だろうが、その理由がわかる。音に対する畏怖を感じさせられるのだ。

 ブルックナーの交響曲第4番では、ことにフィナーレが聴きものだ。もともとが放送のための録音だから、スタジオ録音のようなスケール感とは違うのだが、それでも音楽の大きさがよくわかる。おもしろいことに、テンシュテットはこのフィナーレで改訂版よろしくシンバルをガシャーンとやる。初めて聴いた人はびっくりするに違いない。これがブルックナー的かどうかはともかく、オーケストラがその最強音めがけて高まっていく様子にはどきどきさせられる。ティンパニの打ち込みの激しさ、金管楽器の野性的な咆哮、ひょいと顔を出すコントラバスの表情、そういうことも。
 コーダはなおさら。またまた繰り返すが、自分の家でこんなにどきどきわくわくしてよいのかと思うほど夢中になって聴ける。
 しかし、いったいなぜなのだろう。LPのほうがずっと音楽に集中できる。これは私の場合だけだろうか。


 大手のレーベルのいわゆる名盤を次々にLP化されている。たとえば、少しずつ発売されるバーンスタインのマーラー交響曲全集。第4番では、指揮者がオーケストラに何をやらせているか手に取るようにわかる。私は、人が言うほどコンセルトヘボウ管がよいオーケストラとはまったく思わない。その至らなさも含めての生々しさが新鮮なのだ。できたこと、できなかったこと、両方を合わせてのリアルなのだ。ことにアムステルダムの名高いホールの中で響く弦楽器の艶やかな響きは、的確に伝わってくる。バーンスタインがうなると、奏者に気合が入る。ああ、こんな生々しい音をちゃんとDGは記録していたんだなと思った。
 「巨人」でも弦楽器の柔らかで甘美な響きが堪能できる。グロテスクなリズムの崩しの感じもよくわかる。管楽器のアクセントの強さも。要するに、バーンスタインのやりたいこと、表現のポイントがよくわかるのだ。これは決定的に重要である。
 しかし、せっかくのだから、2枚組にしてくれてもよかったのに。「巨人」のフィナーレ、やはりたっぷりした音で聴きたいではないか。高額にはなるが、テンシュテットのセットみたいにしてくれたらよかったのに。ひっくり返すのはめんどくさいけどね・・・。

 たぶん、このマーラー全集は、演奏はともかく、音質的にはマニアの支持を得られなかったセットだ。が、LPで聴くと、これがオーディオファンが喜ぶよい録音かどうかはともかくとして、素直に驚ける生々しさがあちこちにあると思う。

 残念ながら、LPはそれほど生産数が多くない。買っておかないと案外早く売り切れになってしまう。迷っていてはだめだ。私もいくつか買い逃した。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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※表示のポイント倍率は、
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