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0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/09/29
平均律の演奏(新盤)に較べ、相当に現代ピアノとしての表現に抑制を加え、己の自我を出さず、極力客観的な再現を心がけている点でかなり好感が持てる演奏です。しかしながらGoldberg変奏曲は、その優れた演奏に接すると必ず、眼前に鳴っている音楽から、その演奏者の有する音楽的背景がさながらパノラマのように実感される点で、J.S.Bachの全作品中はもちろん、西洋音楽史上でも類をみない幅広さを持った傑作と思います。まるで西洋音楽史の一大パノラマを実感させるようなG.Leonhardt、Bachの音楽構造の徹底的な分析に己を完全に無にして捧げたG.Gould、演奏から中世〜近現代から西洋以外のまるで第三世界のリズムまで聞こえてくるようなJ.MacGregor、そして古典派〜ロマン派に至る西洋古典音楽の伝統から離れ、まるでポピュラー音楽の一部を聴くような錯覚に陥るようなA.BacchetiなどのGoldbergは、聴いていてそのスリルに時間を忘れますが、このHewittのGoldberg演奏は非常に美しくまとまって、誰にも文句のつけられないような標準的外形をみせていても、演奏の背後に感じられるものが、意外な程乏しく、そのため、慣れ親しんだ音楽の姿が過ぎていっても、いつの間にか退屈して眠くなっている自分を発見します。ピアノによるGoldbergに、上記の名演・好演群のような驚嘆すべき感動体験を求めず、流しておく美しいBGMで十分な音楽ととらえるなら、これ以上はないお得な演奏かも知れませんし(確かに安いし)、そういうGoldberg演奏を愛聴されるのも全くありでしょうが、少なくともGoldberg演奏史上最高の演奏とはとてもとても言えないのではないでしょうか。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/09/14
Mortensen/Concerto CopenhagenのJ.S.Bachチェンバロ協奏曲全集の第3集、完結編ですが、実は自分が彼らのこの素晴らしい演奏集を知ったのは、この最新盤がきっかけ、Trevor Pinnockのフォローをしていたからでした。それまでは不勉強にして存在だけ知っていたのみで、この盤に接して初めて、Pinnock以上にConcerto Copenhagenの素晴らしさに感銘を受けたのです。J.S.Bachの音楽の再現の最も難しい点の一つは、特に(モテットを除く声楽作品の大部分含め)管弦楽作品における、各楽器、各声部のバランス ー ハーモニー、リズム、テンポおよび音色のすべて ー の正しいあり方を見いだすことがあまりにも難しいことにあると思うのですが、Mortensen/Concerto Copenhagenの演奏はその点において、現時点までで最も理想的な解答に近づき得た一つの姿である、Pinnock/English Concertの(後期)演奏を彷彿とさせる、全く演奏者の我を感じさせない、透明で自然なバランスに近づいています。もちろん、これは今回の第3集で全面的な共演者として裏方を演じているPinnockの存在も大きいでしょうが、Pinnockのいなかった第1,2集でもすでにこの自然な演奏が実現できていたことを思えば、修業時代からの盟友であるMortensen、Pinnockの両者に共通する(教育?)基盤からこの素晴らしい演奏が生み出されたと考えられるかも知れません。特に1台のチェンバロのための協奏曲と異なり、チェンバロ自体も管弦楽の一部としての色合いが濃い、この複数台チェンバロのための協奏曲の数々は、奏者間、および奏者とオーケストラ、指揮者のバランスがうまくいくことは稀ですが(どこか一部が突出したり、ソリストの誰かがやたら目立ってしまう場合は多い)、この演奏はCD2枚通じてすべて非常に美しいまとまりで統一されており、ここにMortensenの指揮者としての並々ならぬ手腕が感じられます。実はあまりにまとまりが良いため、やや優等生的で、それこそ若きPinnock,MortensenらとEnglish Concertの演奏にあった、弾けるような推進力が懐かしい瞬間もないではありませんが、それでもこの自然で透明で美しいチェンバロ協奏曲全集は、疑いなく現代のピリオド楽器によるJ.S.Bach演奏の頂点の一つと思います。いまや大御所のPinnockの演奏が素晴らしいのは言うまでもありませんが、他の若手ソリストもすべて技術的にも音楽的にも、ベテランに全く劣らない素晴らしい演奏を聴かせています。第1,2集を含め、すべてのJ.S.Bachファンにお薦めできる好演盤です。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/09/04
第1集より3年後、1台のチェンバロのための協奏曲全7曲の録音が完成しています。第1集の演奏と全く同じく、決して演奏者の個性を強調せず、しかしながらJ.S.Bachの管弦楽作品に必要なものをほぼすべて備えた模範的な演奏ではないでしょうか。だからと言ってMortensen/Concerto Copenhagenの演奏は、微塵も硬さがなく、まずBachの音楽の大前提である心から自然な生命力に溢れています。BWV1056のLargoがもう少し、情緒が欲しい部分もないではありませんが、ともすると現代的な演奏が実は内実ロマン派の亜流に堕しがちな事を考えると、清潔で時代様式にあくまで厳格な演奏として貴重と思います。第2集はどうしても、他の曲集との同曲が多くなりますが、それを感じさせない誠実で魅力的な演奏です。Bachファンなら揃えておかれて決して損の無い盤と思います。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/09/03
J.S.Bachのチェンバロ協奏曲は、古典派以降のピアノ協奏曲の輝かしい伝統を生み出す歴史的重要性と、(たとえ他楽器の協奏曲よりの編曲物が大部分としても)圧倒的な音楽的充実度にも関わらず、決して名盤に恵まれた曲集ではありません。この曲集の演奏史を変えたのは、疑いなく若い頃のTrevor Pinnock/English Concertの協奏曲全集(LP Boxで4枚組だった)で、その目の覚めるような鮮やかな演奏技術と、あくまで歴史的再現でありながら、それまでの古楽演奏を一挙に過去に押しやってしまうような現代的感覚に満ちた演奏で、J.S.Bachのチェンバロ協奏曲の価値自体を再認識させた名盤であったと思いますが、それ以降に良い演奏が目白押しかというとそうなりません。Pinnock以降、著名なチェンバロ奏者でこの曲集の録音は決して少なくありませんが、どれもEnglish Concertを越えるような決め手には欠けた演奏ばかりでした。Lars Ulrik Mortensenは、まさにPinnock/English Concertの全集に、K.Gilbertに次ぐ第三チェンバロ奏者として参加しており、英語版を読むと、修行時代をまさにPinnockの盟友(弟分?)として過ごしたようですが、ここでの演奏には今までPinnock/English Concertの全集にしか聴けなかった、Bachの音楽に則した非常にに自然なテンポ、楽器間のバランスが確かに存在します。Mortensenのチェンバロは、若い時代のPinnock程に推進的ではありませんが、一切余計な自己主張をせず、Bachの音楽構造を再現することに集中しており、これまでにKoopmanやStaierといった腕利きの奏者が、何か我の強く結果としてアクの強い協奏曲集にしてしまったのと、全く対称的に水のように透明で、それでいて生命力にあふれた演奏を実現しています。Concerto Copenhagen の非常に技術的に素晴らしい演奏も特筆もの。Pinnock/English Concertを越えるかどうかは分かりませんが、現時点で録音を含めてこの曲集の数少ないお薦めできる演奏ではないでしょうか。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/08/27
J.S.Bachの鍵盤パルティータ全集は、接すればするほど、その規模、とてつもない多様性、歴史的重要性、そして音楽内容のあまりの奥深さに圧倒される曲集であり、正直、この曲集の一人の奏者による十全な再現など夢物語ではないかと感じます。若い頃のGouldやRoussetのような天才でさえ、パルティータ全集に関しては名演というにはほど遠い不満足な録音であったと思うし(ぜひ、Roussetの再録音を希望したい!)、現代ピアノにせよピリオド楽器にせよ、これほどお薦めできる録音が少ない傑作もない状況でした(個人的にはLeonhardt、Pinnockの新盤がやっと理想的再現に近づけた希少な例かと思いますが)。今回のR.Egarrの録音も、この巨大な曲集全体を見渡せば、いくつも不満がないわけではありません。それでも、この盤は現在チェンバロで聴ける現役奏者のものの中で、Pinnockに次いでお薦めできる良演ではないかと思います。数カ月前録音のフランス組曲と同様、R.EgarrはJ.S.Bachの生きた時代を挟む、広範な歴史的音楽の知識と経験の基礎の上に、演奏のすべてを組み立てており、そこに根拠の曖昧な、恣意的な姿勢は皆無、あくまでこの時代の音楽を現代に忠実に再現することのみに奉仕しています。6曲すべてが、曲構成が異なり、ベースにしている音楽的背景もはるか以前のルネサンスから、Bachの息子やMozart,Haydnの古典派に近づく時代までものすごく広範にまたがるパルティータの演奏は、おそらくちょっとやそっとの歴史的知識・古楽再現経験では太刀打ちできない難しさがあると想像されますが、R.Egarrは完璧とまではいかないかも知れませんが、かなりなレベルまでその課題を見事に解決しています。これはBachだけでなく、Couperin全集などで音楽学者としても深い実績を残しているR.Egarrにして初めて可能になったことと思われます。それに加えて、J.S.Bachの音楽構造再現に際して常に伴う、本当に至適なテンポ、リズム、バランスを見いだす困難さにおいて、Egarrは現在の他のほとんどの鍵盤楽器奏者に比較しても(Pinnock新盤ほどでないかも知れませんが)誰にも納得できる再現をみせており、それが曲集全体を聞き通した際に感じる、この上ない自然さに繋がっています。これはおそらく、フランス・イギリス組曲や平均律といった鍵盤音楽の録音だけでなく、R.Egarrが指揮者として、管弦楽組曲やヨハネ・マタイ受難曲といった声楽大曲に近年積極的に取り組んできた経験(そのひとつひとつは必ずしも満足できるものばかりでなかったかも知れませんが)が大きく寄与しているのではないでしょうか。パルティータ4番Allemandeの、あまりにも自然で美しいテンポ、リズムなど、長年Bachの音楽全般に地道に深く関わって来なければ、決してできない音楽と思います。平均律と全く異なる意味でのJ.S.Bach鍵盤音楽の最高峰であるこの曲集の、現在入手できる最良の盤の一つであることは間違いありません。J.S.Bachのファンならば一度聴かれる価値があると思います。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/08/06
これはR.Egarrの演奏するBachの中で、良演に属するのではないでしょうか。外見上の典雅さ、柔和さとは裏腹の強固な音楽的構造を有し、一方でバロック組曲としての時代的背景・要素が存分に含まれたフランス組曲は、たとえ歴史的楽器で演奏したとしても、二重、三重に課題を内包しており、その結果、現代ピアノでなくチェンバロで演奏しても、名演と呼べるものは、実は録音数に比してごくごく僅かと思います。自分の思いつく限りでも、Leonhardtの歴史的録音以外では、今よりもう少し若い頃のRoussetの天才的な録音ぐらいしか、これといったチェンバロ録音は思い浮かびません。「古楽のバーンスタイン」や「鬼才」といったキャッチーな宣伝文句とは対称的に、実は非常にナイーブで誠実、どちらかといえば地味な本質を備えたR.Egarrの音楽は、あくまで歴史的音楽の歴史的再現という基本から全く遊離することなく、ルネサンスからバロックに至る広範な音楽史の無数の遺産の一部として、このフランス組曲を再現しており、調律、装飾音、リズム、テンポなどすべてが歴史的音楽の幅広い知識と経験のもとにしっかりと組み立てられています。RoussetやGouldのような、天才的な直感は希薄かも知れませんが、己を主張することなく、音楽の本来の形での再現に奉仕する姿勢は、実は今は亡きLeonhardtに最も近いかも知れません。特に後半の3曲において、Egarrの演奏に時折感じる、楽曲構造面での甘さを感じる瞬間が皆無ではありませんが、それを差し引いてもフランス組曲でこれだけの良演はやはり稀ではないでしょうか。バロック音楽としてのBachがお嫌いでないなら、一度耳にされる価値は十分ある好演盤と思います。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/30
つまらない前置きで申し訳ありませんが、ここに聴くAshkenazyのピアノ演奏は、おそらく70年代、80年代のものに較べると演奏の各所緩みが生じている可能性はあり、Ashkenazyの熱心なファンの方ほど、満足できない部分があるかもしれません(それでも80歳の演奏とはとても思えませんが)。それを正直に認め、レビューとしてはやや甘い点はあるかもしれませんが、それでも、このディスクはAshkenazyが単なる名ピアニストと格の違う、20世紀を代表する巨匠であることを証明する演奏と思います。平均律録音以来の、これまでのAshkenazyのBach演奏の流れと同じく、このフランス組曲も、決して歴史的奏法や解釈、チェンバロ演奏を意識したものでは(皆無ではないかもしれませんが)なく、全くモダン・ピアノとしてのBachにほかなりません。それでいてこの演奏は、自分のように常時ピリオド楽器を聴き続けている者にも、ほとんど違和感のない、紛れもない「真正な」フランス組曲です。この演奏の鍵となるのは、ライナーノーツに記されたAshkenazyの(少ない)言葉にあるようで、”I dont like to talk about mood...”, ”...where there are lower bass lines, and a more involved texture.” ーこの演奏は、ほとんどの現代ピアニストが足をすくわれているフランス組曲の美しい旋律や柔和な情緒には目もくれず、この曲集の低音部を中心とした強固な多声構造とそれを中心として構成された、曲全体の構築をあくまで主眼としています。4,5,6番の緩徐楽章など(最近ちょうど出たPerahiaなど、こういった部分は思い切り旋律を強調して際立たせてました)、おそれく聞き手によっては不満を持つかも知れないほどあっさりと全体の再現の中に埋没させて経過します。しかしながら曲を聞き通し、全体の複雑で深い音楽を実感した時の感動は量り知れません。モダン・ピアノでこのような厳格なフランス組曲演奏は、自分の知る限り、G.GouldとJ.MacGregorくらいしか思い当たりません。Ashkenazyの再現法の一部はこの2者と酷似している部分もあるため、当然この2者からの影響も考えられるでしょうが、自分は個人的に思うに、おそらくAshkenazyは、歴史的文献的考察や他からの影響ではなく、純粋にBachの音楽構造を考察した結果、期せずして前2者と同様な構造的再現に辿り着いたのではないでしょうか(さきのAshkenazyの言葉がそれを裏書しているように思います)。実は数年前のパルティータ全集には、全く満足できなかったので(パルティータは、今から思えばあまりに時代的歴史的に制約の多い曲集でした)、正直あまり期待せずに聴き始めたのですが、自分の貧弱な予想を大きく裏切る素晴らしい演奏でした。非常に俗物的な言い方で恐縮ですが、やはりそんじょそこらの名ピアニストではない、歴史に残る巨匠の証明と思います。Ashkenazyの全キャリアの中では必ずしも最高の仕事ではないかも知れませんが、ピアノによるフランス組曲演奏では本当に数少ない、「真正な」演奏の一つです。ピアノによるBach演奏が好きな人も嫌いな人も、是非一度聴いてみていただきたいです。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/28
自分のごく若い、まだCDなぞなかった頃、East Windレーベルの富樫雅彦で、唯一購入してなかった作品でした。Jazz/Rockに傾倒し、同時に富樫雅彦の作品にのめり込んでいましたが、そんな貧乏学生にとってもこの作品(完全パーカッション・ソロ、多重録音駆使、2枚組LP)は、色々な意味でハードルが高すぎて...(笑)。今回40年ぶりに初めてCDで購入。富樫さんのこの手の作品としては、この5−6年?後に、「Face of Percussion」という、やはり完全ソロ、多重録音使用の名盤があり(ジャケットが秀逸だった!)、そちらの方は比較的早い時期にLPで購入しておりましたが、今回この「Rings」を聴き、両者の大きな違いに少し驚きました。「Face of Percussion」は非常にActiveでDynamicな印象であるのに対して、この「Rings」は徹底的にStatic。多重録音と言っても、同時に鳴っている楽器はたかだか2種類まで、その背後に信州で録音されたという自然の音がかすかにかぶり、LP2枚(CDは1枚)を通じて、ほとんどフォルテのないピアニッシモの世界。それでいながら、あまりにも安らかで美しい世界が、刻々と変化して流れていきます。これはもう、Jazzというしがらみから完全に自由になった、富樫さんの心象風景-それは明らかに、富樫さんにしかできない、音楽による(日本の)自然のすばらしいスケッチです。思えば、「Spiritual Nature」「Song for Myself」「Song of Soil」「Words of Wind」など、活動再開後の富樫さんの代表的傑作は、常に自然を描くことが中心であり、それは他でもないたぶん富樫さんがこよなく愛し続けた日本の風土の姿でした。ここに聴く12のスケッチは、その最も直接的で端的な作業であり、それはこれだけ自然と空間を自分の音楽として常にとらえ続けた、富樫さんにしかできない美しい成果ではないでしょうか。お世辞や誇張一切抜きで、音楽を愛する人ならどなたでも(もちろんジャズのジの字も全く知らない人にも)お薦めできます。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/07/28
Perahiaが10年前に録音したパルティータ全集は、多彩な各曲にひとつひとつ向きあう誠実なアプローチと、厳しい自己抑制によって、モダン・ピアノによる演奏としては最上位に属するものであり、ゆえに今回非常に期待して聴きましたが、印象としてやや違和感の多いものでした。70歳になったPerahiaのこの人にしか無い美音は(パルティータ全集時より明らかに各所に緩みがみられますが)健在であり、その意味では大したものではあります。しかしながらフランス組曲は、Bachの鍵盤組曲中、最も柔和で美しい印象(モダンピアニストがよくアプローチするのはそのためでしょうが)とは裏腹に、ひょっとすると平均律に次ぐ位に、厳格な対位法と曲構造を有し、ともすると演奏外見の美しさは却って曲の感動を削ぐことになり兼ねません。Perahiaのこの美しい演奏、各所において、低音部旋律とそれに基づく曲の対位法構造が曖昧で、それを右手の旋律と美音がマスクして、きれいだけれど、全体としてもわっとした音楽に残念ながらなっています。その最も典型的なのは組曲2番のGigueで、Perahiaは上声部の一音一音を独立させず快速に一つの美しいフレーズとして弾きとばすために、低音部とのきわめて幾何学的で美しい対位法が全く提示されません。もちろん、5番、6番の各所など、これ以上ないくらいの美しい響もいっぱいあるのですが、現代、ピアノが美しいフランス組曲なら、実は山ほどあって、その中で、この曲集の深くて大きな構造もしっかり提示してくれる演奏は稀です。良演ですが、名ピアニストをしてもこのレベルにはまだ遠かったかな、というのが偽らざる感想でした。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/05/26
富樫雅彦さんが亡くなって今年でもう10年、活動休止されて15年になります。自分が音楽を聴き始めた青春時代から、常に側にあって馴染み、感銘を受け続けてきた、この不世出の音楽家について、とてもまだまだ詳しく、冷静には書けないのですが、たまたま久しぶりにこの晩年のライブ(活動休止直前)を購入しました。疑いなく富樫雅彦にとって、生涯で最も心の近くにあった佐藤允彦さんとのデュオ、もう何百、何千回とやったか解らないでしょうし、CDになってるものだけでも十数枚はくだらないでしょう。富樫さんのすべてのライブが最上のものだったかどうかはわからないでしょうが、少なくとも、ここには常に「静寂」と「空間」を追い求め続けた希有の芸術家の生涯最後の(それでも決して変わらない)姿が、非常にリラックスした雰囲気のもとに記録されています。もう亡くなって10年以上になるけど、おそらくプライベートのなんやかやで、まともな伝記はおろか特集すら組めない富樫雅彦という、日本(ジャズ)音楽界にとって、唯一無二の存在の、美しい音楽が今もまだ手に入るのは、ある意味奇跡的です。5.Walz Step,6.Valenciaなど、他の誰にも生み出し得ない永遠の美の世界と思います。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/08/16
若干、記憶が曖昧で自信のないところもありますが、この10枚中、Disc1-6,8は初出時、日本発売は無かったのでは無いでしょうか。Disc10は実質Trevor Pinnock/English concertの名高い協奏曲全集であり、するとKenneth Gilbertの独奏盤で過去に日本盤が出たのはDisc7,9のみとなります(Disc9の末尾にはPinnock/English concertのBWV1060が入ってます)。その2枚はどちらも、自分はLP発売時に購入して持っていました。Kenneth Gilbertは、1970-1980年代当時Pinnock、Coopman、Hogwoodらの上、Leonhardtらのすこし下の世代として、国際的に活躍されたにも関わらず、そのArchivの主要録音の大半が日本発売されてないのが、日本のクラシックマスコミからいかに無視されていたかの証明です(Leonhardtらと違って、全く指揮をやらなかったのも一因でしょうが)。個人的に平均律は入手したくて長年探していたので、今回全集中の一部としても聴けたのは嬉しい限りです。その平均律ですが、これだけの名演奏がこれまでほとんど日本で言及されていないのは、日本の音楽ファンにとって不幸だったのではないでしょうか。K.Gilbertは思い返せば、チェンバロ演奏技術の確かさではおそらく先に挙げた名手を凌駕しており、この平均律もひょっとすると技術的に、平均律の録音史上ではトップかもしれないくらい(ルセの1巻が揃えば負けるかも)、安定した演奏です。それはもちろん技術が優れているだけでなく、各曲の細部に至るまでの分析を経た解釈が、どこをとってもBachの音楽構造の再現に忠実だからで、これは演奏者だけでなく様々な楽譜の校訂を行ってきた古学研究者としてのGilbertの深い学識に裏付けられたものでしょう。もちろん、Leonhardtの西洋音楽史を鳥瞰するような幅広い演奏に比較すると、若干硬く一本調子な面もないではありませんが、その代わりにGilbertの演奏には年齢がだいぶ下のPinnockらに通じる非常に現代的に新鮮な息吹が感じられます。これはあるいはGilbertが、G.Gouldらと同じくカナダ出身であることが影響しているかもしれません。とにかくこの平均律は2巻通じて、自分が知る限りではチェンバロ演奏によるものの中では、数年に一度も見ないくらいのレベルの高い、誠実なものであり、現代でも全く遜色はありません。お薦めです。他の演奏では、インベンションが美しく堅実で、これもチェンバロ演奏ではこれ以上のものはあまり思い当たりません(ピアノではGouldの絶対的!名盤がありますが)。あと、個人的にお薦めなのは、もう一つ日本既発売のDisc9で、Bachの隠れた傑作BWV933-938をはじめ、これもGouldの同種盤と並ぶ生命力に溢れた名演集です。トッカータ集やフーガの技法など、やや食い足りない部分もあり、ここにEnglish Concertを入れるのもどうかとも思いますが、少なくとも平均律全曲だけでも値段(自分は4500円)を遥かに上回る価値が十分あるのではないかと思います。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/06/22
Wigmore Hall Liveより6年ぶり、自分たちにとっては待望の、Pinnockのチェンバロ独奏アルバム。冒頭、カベソンの「騎士の歌によるディファレンシアス」が涙が出るようなしっとりとした名演。その後、バード、タリス、ブル等自国ゆかりの小品の数々も、どこをとっても気負いがないが、完全に作品を自分のものとしたものでなければ出せない、深い味わいを湛えています。J.S.Bachのフランス組曲6番は、自分の知る限り、Pinnock初めての録音と思うのですが、アルトニコル写本をベースにした新バッハ全集のA版でなく、他の筆写譜による版(これも正規版)を使用。ヘンデルのシャコンヌは、Pinnockが壮年期に王室所蔵の歴史的名器で録音した超名演奏が未だに耳についてますが、今回のものも、楽器の味わいはやや劣りますが、手慣れた好演。アルバムの副題が何か歴史的企画のようにつけられてますが、Pinnock自身のライナーを読むと、むしろPinnockの幼少時からの愛奏曲集の性格が強いようです(曲の並びも年代順ではありません)。いまや、完全に最年長世代になったPinnockですが、思い返せば若い頃からコープマンやルセのようなテクニックを前面に押し出すタイプではなく、常に音楽の深い味わいをあくまで身上とする奏者でした(デビュー時はそれが必ずしも十分な形では表現されてなかったようですが)。現在のPinnockは(さながらLeonhardtの晩年のように)、どんな曲においても音楽の深さがさりげなく自然に滲み出るようになっており、それがくり返し聴けば聴くほどに味わいが増す、このようなアルバムに結晶しています。企画も内容も演奏も、全く目立たないある意味、地味なものですが、バロック以前の音楽を愛好するすべての方にお薦め出来る名盤の一つと思います。一つだけ欲を言う事が許されるなら、過去、パルティータ全集しか録音の無いPinnockのバッハ組曲録音で、これを機会にぜひフランス組曲全曲を録音してほしい、心から希望してます。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/06/05
まことに滋味溢れる音楽です。佐藤豊彦のCDを購入するのは久しぶりで、不勉強にして、ロイスナーについては全く知りませんでした。時代的にはJ S BachやWeissより完全に一世代前、シュッツらの初期〜盛期バロックの作曲家で、リュート作曲家としては歴史上きわめて著名とのことですが、BachやWeissの時代の論理性はまだそれほど強く感じず、ルネサンスのリュート音楽の枠組みの中でドイツ的な堅牢性を感じさせ始める音楽と思いました。佐藤豊彦の解釈も時代にきわめて則した安定した演奏で、好感がもてるものです。バロック好きなら、持っておかれて決して損の無い好演盤と思います。
11人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/05/04
これだけ古楽CD発売数が減少している現在、よもやこのような素晴らしいCDが出るとは夢にも思いませんでした。Guillaume Dufayの4つの後期ミサ曲は、疑いなくDufayの最も重要な作品群であるだけでなく、千年以上の西洋音楽の歴史上でもこれ以上ない重要な作品群であるのは古楽愛好家には常識ですが、そのあまりに高い作品の質にもかかわらず、演奏の困難さからか、決して名演奏に恵まれてはいませんでした。古楽の歌唱団体の質が飛躍的に高まったこの数十年間でも、これら4つのミサ曲の超一流の団体による演奏は、ダントツに録音の多いの”Se la face ay pale”含めてこれはというものがない事が多く、しかも数少ない新録音はすぐ入手不能になるので、自分等のような音楽学者でもプロの演奏家でもないものには、不満が尽きた事がありませんでした。古のDavid Munrowの”Se la face ay pale”、The Hilliard Ensemble/Oxford Camerataの”L’homme arme”...と挙げてくると、もう後は寂しくなってきます。The Tallis Scholars, Ensemble Musica Novaなどの超一流団体が、これらのミサを録音してくれないか、というのは自分たち古楽愛好者の本当に長年の希望でした(The Tallis Scholars初期にPeter Phillipsが”Ave regina celorum”の録音を予定していると、インタビューで語っていたのですが、立ち消えになったみたいですね)。Cut Circleという団体のことはもちろん自分も、このCDを手にするまでは(不勉強にして)全く知りませんでした。団体のホームページでは2003年にベルギーで結成された若い団体のようですが、総勢8人(女性2人)の少人数にもかかわらず、その技量は非常にすばらしく、Duet/Soloの部分でも、複数声部の箇所においても全く混濁ないクリアな歌唱をメンバーすべてが可能としてます。Dufayのミサにおいてはおそらく下声部の演奏形態が常に課題で、器楽で代用されることも多いのですが(器楽のみで通す方がまれ)、一切器楽を加えず声楽のみでこれだけ重厚な音楽を現実にできているのは驚異です。収録されている4曲すべて(+シャンソン”Se la face ay pale”、最後の”Ave regina celorum”という贅沢!)、音楽の質的にも西洋音楽史上も、その一つ一つが例えようも無い大きな存在なので、とても個々について記す余裕などありませんが、確実に言えることは、DirectorのJesse Rodinが、この4曲の音楽的歴史的な位置を十二分に認識した上で、Dufayの創作活動の全体像におけるこの4曲の意味から、各曲の細部と全体について深く考察し、その再現・演奏について既存の通念に囚われない解決を与えていることです。もちろん、そこには日々進化する音楽史学の最新の成果も取り入れられているようで、J.Rodin自身のCD解説をみると、彼がいかに深い理解のもとにこの画期的な録音を実現しているかが、よく解ります。4曲のうち最初期で最も多く録音される”Se la face ay pale”をclassicalと呼び、一般にDufayの白鳥の詩とも考えられる最晩年の”Ave regina celorum”をなお未来の発展を見据えたexperimantalな作品と呼ぶ。”L’homme arme”の革新的で時代的にも大胆な音楽を見事に分析した上で、それに対応した大胆で強靭な再現を実現し、一方”Ecce ancilla Domini”では定旋律となるマリア賛歌から、ミサとしての他にない繊細な性格を見事に表現する。解釈・再現について彼らが(独自に?)とった方法論を専門的に論じる資格は、自分にはもちろんありませんが、最後の二つのミサ(”Ecce ancilla Domini””Ave regina celorum”)において、器楽演奏されることが多いテノール声部で原曲の賛歌のtextを実際に歌うなど、実際に聴いてみればその複雑で豊かな響きはまるで全く新しい曲を聴く思いすらします。この点のみならず、彼らが自分等の知識と分析をもとに導き出した数々の解決法は、無論それが決定的回答ではないにしても、過去のどの録音と比較しても同等以上の説得力を有しています。演奏についてのみでも、言うべき事は尽きませんが、J.Rodinの確信を持った解釈・指揮の下に、過去のたいていの録音よりも少人数にもかかわらず、いずれよりも極めて強い表現力を秘めた腰の強い強靭な再現が実現できていることには、感嘆するしかありません。おそらくDufayの演奏・録音史上、さらに古楽の演奏史上でも画期的意義を有する演奏集と考えられ、Bach以前の音楽、特にルネサンス以前の音楽に関心を持たれる方には絶対的にお薦めしたい必聴盤と思います。ルネサンス・古楽愛好家として、おそらく十年に一度も出会えない素晴らしい盤に出会えた事を心から嬉しく思います。
11人の方が、このレビューに「共感」しています。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/04/11
決してモダン・ヴァイオリニストに詳しくなく、五嶋みどりさんの熱心な聴者でもない自分ですが、これだけ確信を持った音と技巧を奏でられる奏者は、日本はもちろん世界的にもそういないのではないでしょうか。年齢はまだ若くともキャリア的にはすでに30年を越えている彼女は、現在もしかするとヴァイオリニストとしてのキャリアの頂点を迎えつつあるかも知れません。その意味で、これは紛れも無く現代のトップ奏者による無伴奏として遜色ない演奏であると言えるでしょうが、一方でJ.S.Bachのこの曲集の演奏からみた場合、手放しで称賛できない部分もあるようです。確かにモダン・ヴァイオリン奏法を見直した上でヴィブラートを抑制し、ロマン的な音色とフレージングを排除した極めて誠実な音楽作りを実現されており、近年で言えばI.Faustが推し進めた方向性の基に(Faustほど徹底はしていないかも知れませんが)ある演奏として完成しています。しかしながら、曲の様式としてまでBach/バロック音楽として極めているかと言えばそうでない。全体の傾向として、各Sonataはもともと曲の構造がすでにある程度規定されているからでしょうか、あまり違和感なく聴けるのですが、一転各Partitaとなると、各舞曲のリズムと性格が全くバロック音楽特有のそれからどうみても離れており、さらに歴史的根拠の不明な装飾やテンポ変動が頻出するので、どなたかも書いておられますが、とても演奏の見事さを称賛する気分になれません(むしろパガニーニ的?)。もちろん、3番のPartitaなど、モダン・ヴァイオリンの高音でなければ楽しめないような瞬間も多々あるのですが、J.S.Bachの音楽の様式をあくまで忠実に再現する事を最優先した演奏とは考え難いと言うのが、正直な感想です。Bachの音楽の再現には、年齢、肩書きやキャリアなどはむしろ不要、必要なのはBachの音楽構造にあくまで真摯に寄り添うことであることは、だいぶ前にわずか21歳のJ.Fischerの無伴奏を聴いた時痛感しましたが、ひょっとすると五嶋みどりさんは、むしろ最初の無伴奏の録音を待ち過ぎたのかも知れません(無伴奏ヴァイオリン/チェロで2回目の録音の方がイマイチ、という例はあまりに多い)。作曲家に虚心に寄り添うよりも、演奏者としての「我」を抑えきれない瞬間が多々感じられるように思います。日本が世界に誇るトップ奏者としての五嶋みどりさんの演奏としては一級品と思いますが、いちバッハ・ファンとしては(遺憾ながら)あまり親近感を持てない演奏でした。Bachファンでなく、あくまでMidoriファンにお薦めするのが相応しい盤と思います。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。
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