トップ > My ページ > HIRO さんのレビュー一覧

HIRO さんのレビュー一覧 

検索結果:6件中1件から6件まで表示

%%header%%

%%message%%

  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/10/28

    非常に貴重なディスクです。
    タネーエフの編曲版と言うだけで貴重なのですが、
    このディスクは曲の骨格が見えると同時に、非常に耽美的な美しさをも備えています。
    ラフマニノフ編曲の「眠りの森の美女」。
    ドビュッシー編曲の「白鳥の湖」、
    特に、ラフマニノフ編曲のものは非常にクオリティが高いです。
    演奏は2人の掛け合いも呼吸まで合っているようで、見事の一言に尽きます。
    チャイコフスキーの交響曲第5番が好きな方以外にも聴いてもらいたい一枚です。
    このデォオには他にも様々な録音を残してくれることを切に祈ります。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/19

    著名なドイツ、オーストリアの作曲家の交響曲の演奏集です。

    チェリビダッケの演奏が他の演奏と決定的に異なる点は、
    オーケストラの音色の透明性にあります。
    100人からなるオーケストラをまるで一つの楽器のように演奏するのです。

    このようなことが出来たのは、後にも先にもチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのみでしょう。

    ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」を聴いてみて下さい。
    このベートーヴェンとしては比較的牧歌的な曲を、
    信じがたいくらいの美しさで歌い上げています。
    この美しさは筆舌しがたいものがあります。

    しかし、この価格は本当に信じがたい!
    圧倒的にお薦めです。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 9人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/19

    とにかくこの選集のハイライトはチャイコフスキーでしょう。
    この選集には交響曲第5番と交響曲第6番「悲愴」が収録されています。

    5番はあり得ないほど調和した音が神々しく響きます。
    全楽章の奇跡的なまでの統一感!
    チャイコフスキー自身はこの曲について、最終楽章が「嘘っぽい」と自身で語っています。
    ここまで説得力のある演奏を提示されたら、
    「嘘っぽい」ではなく、「限りなく正しい」と言わざるを得ません。

    悲愴は、非常にゆっくりと演奏が奏でられます。
    あらゆる音に意味を持たせることに成功しています。
    私はこの演奏の第一楽章を聴いたとき、頭の中で雷が弾けた気がしました。
    その記憶は一生忘れないでしょう。

    ムソルグスキー/ラヴェルの「展覧会の絵」も素晴らしいし、
    バルトークの「管弦楽のための協奏曲」も、異常に邪悪な演奏で感嘆させられます。
    ドビュッシーの「海」と「イベリア」は明晰の極みです。
    しかし、最近のブーレーズ指揮の音楽のような明晰さとは決定的に異なっています。
    圧倒的に有機的でいながら、明晰で情報量が多いのです。

    しかし、この価格は本当に信じがたい!
    圧倒的にお薦めです。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/12/19

    個人の嗜好によるでしょうが、
    私にとってはこのチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルのブルックナーがベスト演奏です。

    Boot音源の方が良い演奏&録音があるにせよ、買いです。
    例えば、交響曲第9番、これはもはやなんと言って良いのか・・・
    人間の精神の限界を垣間見る思いです。

    交響曲第3番から第9番+ミサ曲第3番&テ・デウム。
    それぞれ、見事な演奏です。
    オーケストラの色彩の美しさは筆舌にしがたいものがあります。

    しかし、この価格は本当に信じがたい!
    圧倒的にお薦めです。
    私は、33枚Boxを、当時3万円ちょっとで買いました。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 0人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/11/27

    一曲だけ取り上げます。
    ”チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」 作品71a”(1991年録音) 非常に儚く、なごやかで、 かつ、かけがえようもない美しさを持った演奏です。 演奏時間は通常だと約23分。 (チェリビダッケは約30分かけて演奏しています。) ―演奏について―

    ・第1曲 小序曲 (Ouverture miniature) Allegro giusto、変ロ長調、4分の2拍子(複合2部形式) 弦楽器が非常に快活で、わくわくさせてくれます。 ディナーミクの振動の大きさは驚異的です。 テンポも適切に(曲想に応じて)変化します。 そして、特筆すべきは弦楽器(特にヴァイオリン)の響きの美しさです。 澄み切った響きとはこのようなことを指すのでしょう。

    ・第2曲 行進曲 (Marche) Tempo di marcia viva、ト長調、4分の4拍子(ロンド形式)。A-B-A-C-A-B-A とても有名な曲です。 ダイナミズムが素晴らしです。 最初に登場するAの主題と 再帰して奏でられるAの主題を聴き比べてみてください。 なんという違い! そしてその違いには音楽の必然性が込められているのです。

    ・第3曲 金平糖の精の踊り (Danse de la Fee Dragee) Andante non troppo、ホ短調、4分の2拍子(複合三部形式) チェレスタの響きが非常に美しいです。 美しいだけではありません。 チェレスタはとても音量の小さい楽器ですから、 他のオーケストラのセクションに埋もれることが多いのですが、 チェリビダッケの見事なオーケストラコントロールにより、 非常に調和して響きます。

    ・第4曲 ロシアの踊り(トレパック) (Danse russe (Trepak)) Tempo di Trepak, Molto vivace、ト長調、4分の2拍子(複合三部形式)。 これも非常に有名な曲です。 とても快活で溌剌としており、 これが老人の音楽だとはとても信じられません。

    ・第5曲 アラビアの踊り (Danse arabe) Allegretto、ト短調、8分の3拍子(変奏曲形式)。 前曲から一変して、 暗く、不可思議な印象をもたらします。 異国情緒とでもいうのでしょうか? この怪しさは恐ろしいほどです。 各曲におけるチェリビダッケの表情の付け方は、 驚異的なまでに適切で自然です。

    ・第6曲 中国の踊り (Danse chinoise) Allegro Moderato、変ロ長調、4分の4拍子(小三部形式)。 とても短い曲ですが、 各パートをこれほどまでにポリフォニックに響かせる手腕には驚きの念を禁じえません。

    ・第7曲 葦笛の踊り (Danse des mirlitons) Moderato Assai、ニ長調、4分の2拍子(小ロンド形式) 調和、この曲を聴いたときに浮かぶ印象はそれです。 ピアニッシモの美しさには言葉が出ません。

    ・第8曲 花のワルツ (Valse des fleurs) Tempo di Valse、ニ長調、4分の3拍子(複合三部形式)。 クラシック音楽の中でも非常にポピュラーな音楽です。 全ての音に意味を持たせている(各楽器のパートバランスが非常に見事です。)。 ・音楽のダイナミズムを非常に自然に描いている。 ・完璧にチューニングされたオーケストラの響きの美しさを堪能できる。 ・転調において、世界が変わったかのような印象を受ける。  等など・・・ 曲は最後、自然(この自然さは特筆するべきものがあります。)に高揚して終わりを迎えます。 この曲は組曲ですが、 不思議と交響曲(起承転結を持っている。)を聴いたような、 そういう印象を残します。 これは、 あまた存在する「くるみ割り人形」組曲の演奏の中でも特別なものだと思います。 非常に鮮烈で、覚醒的な音楽です。

    0人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/03/14

    正直に述べますと、この曲のレヴューを行うのは辛いです。
    それは、この音楽が、その内に、
    「自己破滅」「絶望」「自暴自棄」といったイデーを内在しているためかもしれません。
    ただ聴くのみだけでしたら、そう問題にはならないかもしれません。
    しかしこれはレヴュー(断じて感想ではない!)ですので、
    作品の本質に可能な限り近づかないといけないという思いが私の中にあります。
    よって、この曲のレヴューはきついなぁと思ってしまいます。

    以前も記述しましたが、繰り返させて頂きます。
    この曲は、チャイコフスキーの交響曲としてだけではなく、ロマン派の交響曲としても、最高のものの一つです。
    (あとは、ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク、(マーラー?保留)位でしょうか。)
    (ちなみに、私はブラームスの交響曲は、余り好んで聴きません。)

    この曲に関して、チャイコフスキー自身は自身の最高傑作であると確信していたようです。
    それを裏付けるエピソードとして、
    人間としてのチャイコフスキーは極端なペシミストで、
    常に自分の作品がどのように評価されるのか気になって仕方なかったそうです。

    また、自身の作分を否定的に、
    例えば「チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲」の初演を、
    ヴァイオリニストのレオポルド・アウアー(当時の楽壇の権威)に依頼し、
    「この曲は演奏不可能」であるとの返答をうけて、非情にショックを受けています。。

    この交響曲第6番 『悲愴』の初演での評価は芳しいものではありませんでした。
    しかし、チャイコフスキーはこの作品に関してのみは、
    「自身の最高傑作」であるとかたく認識していたようです。

    初演の9日後にチャイコフスキーはコレラ及び肺水腫で死亡しています。
    様々な説がありますが、そのことについては触れません。

    悲愴は「急 - 舞 - 舞 - 緩」という4楽章形式で創り上げられています。

    ―演奏について―
    第1楽章
    Adagio - Allegro non troppo
    序奏付きソナタ形式、ロ短調

    交響曲第5番でも述べましたが、
    通常、このこの交響曲第6番の第一楽章の冒頭部分は、
    悲しみを帯びた音色で奏されます。
    しかし、チェリビダッケはの演奏で感じるのは、
    「諦念」です。

    なにか。。。
    すべてを諦めているような。。。
    それでも懸命に生きようとしているような。。。

    しかし、「暗い」、絶望的なまでに「暗い」音楽です。

    序奏部での上行3音形(ミ → ♯ファ → ソ)は、
    この曲全体を通して、ある時は逆行形の形で姿を現します。

    これはそのまま、第一主題
    (ヴィオラとチェロの合奏(両パートの奏者の半分のみで奏する。))に受け継がれます。

    チェリビダッケは執拗にこの音形を強調します、
    それが、曲全体の統一感をもたらしています。

    ここでのチャイコフスキーの管弦楽法の巧みさに圧倒されます。
    私はこの曲のスコアを分析しましたが、
    実に合理的、かつ有機的にオーケストレーションが為されています。

    また、pppppp(ピアニッシッシッシッシモ?)
    等の極端な強弱記号を使用するなど、表現意欲にあふれているように感じます。

    そしてチェリビダッケとミュンヘン・フィルは、
    オーケストラの全ての楽器が有機的な繋がりを持つよう演奏します。

    圧巻なのは再現部の最後の辺りです。
    全ての楽器がフォルテッシモで鳴り響いているのに、
    全てのパートを俯瞰することが出来ます。
    私はこの部分を初めて聴いたとき、
    全身に稲妻が走ったような経験をしましたことがあります。
    そのぐらい衝撃的です。
    なんで、トロンボーンがこんなに強奏しているのに、木管の音が聴こえるのでしょうか?
    ここは、最もチャイコフスキーとチェリビダッケの天才性が明らかになる個所の一つです。

    音楽は徐々に、自然(不自然)?に優しさ(救い)?を取り戻していこうとします。

    そして、最後のコーダの美しさ、今にも消えそうな儚さは何なんでしょうか?
    救い?
    いえ、違います。
    このコーダの儚さは、後の楽章で完膚なきまでに、蹂躙されます。

    第2楽章
    Allegro con grazia
    複合三部形式、ニ長調

    非常に優雅な音楽です。
    が、
    4分の5拍子という混合拍子によるワルツなので、どこか不安定です。
    (この音楽では踊れませんね。)
    中間部の暗さは恐ろしいようです。

    チェリビダッケの演奏で感心させられるのが、
    アゴーギクが非常に適切に為されているということです。
    (特に弦楽器群のセクションに顕著に現れます。)


    第3楽章
    Allegro molto vivace
    スケルツォと行進曲(A-B-A-B)、ト長調

    12/8拍子のスケルツォから、
    4/4拍子の行進曲が姿を表し、
    スケルツォから取って代わります。
    この行進曲での高揚は凄まじいものがあります。
    ここ部分でのアッチェレランドはなんていう自然さなんでしょう!

    終楽章のことを考えると、
    とても捻くれた(悲しい)音楽のように感じます。


    第4楽章
    Finale. Adagio lamentoso
    (Andante lamentoso)

    当時、緩急楽章を交響曲の結部に配置することは稀でした。
    このことからも、チャイコフスキーのこの曲に対する表現意識の強さを推して知ることができます。

    主題も、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという異常な形式を用いています。

    オーケストラの音色は澄み切っています。
    (澄み切っているという言葉だけでは表現したくありませんが、
    非情に独特で透明で色彩が豊かで音色が深くて、
    この時期のチェリビダッケとミュンヘン・フィルにしか、
    達成し得なかった音色です。)

    最後、曲は消え入るように終わります。
    そして、諦念、無常感を感じさせます


    チャイコフスキーの絶望を表現し尽くした演奏ではないのかもしれませんが、
    この支離滅裂な交響曲に全体的な一体感を与えることが出来た希有な演奏だと思います。

    ちなみにこの曲は1993年の来日コンサートで取り上げられています。
    ALTUSさん、音源をリリースして下さい。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

    このレビューに共感する

検索結果:6件中1件から6件まで表示