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TOP > My page > Review List of 遊悠音詩人
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2 people agree with this review 2011/11/08
マーラーの交響曲というと、例えばバーンスタインやテンシュテットのように、とかく感情移入の濃厚な演奏が持て囃される傾向にある。第5番に関しても、殊にテンシュテットの1988年ライヴ盤など、まさに全身全霊の熱演であり、個人的にも極めて高く評価してきた。テンシュテット自身の闘病生活も相俟って、苦悩から歓喜への一大ドラマを形成し、特に終楽章の盛り上がりなど涙なしには聴けない仕上がりであった。だが、この曲の構成を改めて調べると、どうも“苦悩から歓喜へ”という路線とは掛け離れているように感じるのである。確かに、短調に始まり長調に終わるから、一見すると暗→明である。が、嬰ハ短調で始まるならば終楽章は変ニ長調になるところを、何故かニ長調という遠隔調へと飛んでいる。しかも間には長大なスケルツォが挿入されており、ベクトルを捩曲げてしまっている。終楽章など、《子供の不思議な角笛》の《高遠なる知性のお褒めの言葉》(カッコウとナイチンゲールが歌比べをするが、愚かなロバはカッコウの下手な歌に軍配を挙げるという筋書きの曲)の引用と、深遠なるアダージェットのパロディによって成り立っているのである。これらから、実は徹頭徹尾アイロニカルな曲であることがお分かり頂けるだろう。そう、魂を揺さ振られるような感動など、始めから求めてはいけなかったのだ。今まで正当な解釈と目されていたバーンスタイン路線が、如何に作品の本意と掛け離れてしまっているか理解されよう。ジンマンはバーンスタインの解釈を「主観的であり、私の解釈と根本的に異なる」と述べている。私情を排した解釈に賛否両論あるだろうし、現に自分自身も当初は理解できずにいた。しかし本当は、下手にドラマを構築するより、客観的に作品構造を分析した上で、各パートを過不足なく鳴らすほうが、遥かに面白いのだ。すっきり見通しが良くなったお陰で、モチーフの提示や展開の妙や管弦楽法の巧さが手に取るように分かる。こんなマーラーが、かつてあっただろうか?
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4 people agree with this review 2011/11/05
マーラーの《復活》(だけではなく全般にいえること)といえば、バーンスタインやテンシュテット、最近ではゲルギエフのように、とかく感情移入の濃厚な演奏が評価される傾向にある。確かに、バーンスタインの最晩年の全集や、テンシュテットの癌克服後の演奏など、全身全霊、壮絶としか言えないような名演中の名演である。だが、その代償として、マーラーの交響曲のもう一つの側面、すなわち室内楽的緊密さが忘れられてしまった憾みがある。確かに、マーラーは世紀末思想の申し子的存在であり、絶えず死に戦き、生に苦しんだ人である。だからこそ、そうした分裂症的気質をクローズアップした演奏が持て囃されるのはよく分かるし、現に自分自身も、特にテンシュテットの演奏を高く評価してきた。だが、どうもそれだけではないような気がしてきた。マーラーの分裂症的気質は、あくまで彼の一側面に過ぎないのではないか、と。思い返して欲しい、マーラーは何故、交響詩や歌劇というジャンルには一切手をつけなかったのだろう。まして無調音楽にも走らず、交響曲に絞ったのだろうか?それを考えると、マーラーは、古典的・形式主義的な枠組みの中で、極限まで表現の幅を拡大することに一生涯を費やしたのではないかと思えるのだ。この前提に立つと、ジンマンの解釈が際だってくる。ジンマンは作品に没入することなく、あくまで一歩引いた視線で対峙している。作品構造を徹底的に研究し、そこにある緊密な情報をくまなく音に変えていく。空間配置やテンポ、強弱や緩急など、実に考え抜かれている。その結果、今まで埋もれていた数々の仕掛けが開陳され、マーラーのこだわりが透けるように見えてくるのである。録音も実に優秀であり、レンジの広さは圧倒的だ。殊に合唱の透明感は格別で、最強奏でも混濁せずに明瞭さと力強さを保つあたりは、さすがとしか言いようがない。まさに、21世紀のスタンダードとなりうる傑作といえよう。
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9 people agree with this review 2011/10/30
『交響曲第二番に捧ぐ』 僕が貴女に初めてお会いしたのは、思春期の頃。僕は貴女に一目惚れした。その余りの美しさに、我を忘れてしまった程だ。その日から、貴女をよく知る方々が、代わる代わる、貴女の魅力を語ってくれた。プレヴィン氏は貴女の気品を、アシュケナージ氏は貴女の面白さを教えてくれた。スヴェトラーノフ氏は貴女の意外なほどの強さに気づかせてくれたし、ザンデルリング氏は貴女の懐の深さを伝えてくれた。勿論、マゼール氏やオーマンディ氏のように、貴女を素っ気ない人間のように言う人もいて、少し戸惑ったりもしましたが。出逢った日から、どれ程季節は廻っただろうか。けれど、貴女は不変の美しさを放っている。今夜、僕の元へデ・ワールト氏が訪れ、僕に、貴女の真の美しさを教えてくれると言う。それは、一本芯の通った、凛とした美しさだという。デ・ワールト氏のお陰で、貴女が実に細かいところまで神経が行き届いている人だということが分かった。そして、貴女は主要動機という名の曲がらぬ信念を持っていることも。ある時は控え目に、ある時は堂々と主張する。あの美しい第3楽章の、もっとも感情の高ぶるところでも、貴女はさりげなくポリシーを訴えかけていた。貴女は、あらゆる手段で、至るところに信念を滲ませていたのだ。今まで、そんな真実の叫びに気づかず、貴女の美貌に現を抜かしてしまっていた不甲斐なさに、今更ながら恥ずかしさを覚える。貴女の一途な想いに、もっと耳を傾けなくては。デ・ワールト氏との出逢いで、貴女への想いが“恋”から“愛”へと変わった。
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5 people agree with this review 2011/10/26
感涙必至の《新世界より》!余りにも有名過ぎて、今更感動することなどないと思われがちな交響曲の一つが、《新世界より》ではなかろうか。しかし、ものがノイマン&チェコ・フィルの最後の録音となれば話は別だ。既に何百回もこの曲を演奏してきたノイマンにとって、言わば指揮者人生の総決算ともいうべき録音である。しかも、93年12月のライヴ盤から実質1年1ヶ月弱しか経たないにも拘わらず再録に踏み切っていることからも、如何に思い入れが強いかがお分かり頂けるであろう。実際、93年盤より更に細部が練り上げられており、各パートの活かし方など絶妙である。これはノイマンの解釈の深みに加えて、PONY CANYONの江崎氏がマルチマイクを駆使して録音したことが大きい。EXTONの丁寧なSACD化も奏功し、各パートが混濁せずに聴き分けられる超優秀な録音に仕上がっている(対する93年盤は、無指向性マイク2本で、ホール音響を丸ごと捉えるような音作りである)。面白いのは、この曲の主要動機である第一楽章第一主題が、各楽章に形を変えて現れるところで、ここまで意味を持って伏線を敷き、展開し、再現した演奏は他にないといえる。終楽章など、主要動機に加えて各楽章の主題が有機的に処理されているが、その橋渡しなど絶妙である。このように、確固とした形式感を築く一方で、旋律の歌わせ方も実に味わい深い。全編に散りばめられた五音音階には、異国の地にあって黒人霊歌の中からボヘミア民謡との類似性を見出だしたドヴォルザークの、感動と郷愁の念が込められている。それを最晩年のノイマンが、時に慈しむように、時に力強く具現するのだ。殊に第二楽章のコーラングレの主題(いわゆる“家路”)の息遣いや間の取り方が素晴らしい。オーボエが提示する第二主題も哀愁にみち、直後チェロが合いの手のように主要動機を回想するところも絶妙である。終盤、ヴァイオリンとチェロの掛け合いなど、静寂の中に深い祈りが込められているようで、身震いするほど美しい。勿論、他の楽章も、中庸の美学ともいうべき気品を漂わせている。迫力や仕掛けで大見得を切ってみせるような芸風とは正反対であり、精緻でありながらもボヘミアの抒情を自然体で描く演奏は、まさに大家の至芸といえよう。
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7 people agree with this review 2011/10/19
これぞ、名演・名録音!ブラームスのピアノ協奏曲第1番はこの一枚で決まり!何しろ、冒頭のドラムロールからして、尋常ならざる雰囲気だ。強烈なアクセントの弦といい悲鳴のような管といい、唸り方がとにかく凄い。そして序奏が静まるや、枯淡の境地ともいうべきピアノが忽然と現れる。円やかさと厳しさを併せ持つカーゾンのピアニズムは、ブラームスの芸風と完全な一致を見せる。それを下支えするオケ(特に低弦)がこれまた雄弁で、筋肉質ながらも仄かにロマンスを薫らせる。殊に第2楽章など、重厚さのなかにもみずみずしさを湛えており、深々とした瞑想の境地に心洗われる想いがする。終楽章の畳み掛けも凄まじく、ティンパニの決めも見事だ。このように、演奏内容だけ取ってみても素晴らしいが、特筆大書すべきは録音の優秀さだ。何しろ、名プロデューサー:ジョン・カルショウと録音の神様:ケネス・ウィルキンソンというDECCA黄金時代の最強コンビの録音である。録音から半世紀も経つというのに、全く綻びを知らない。分離の良さなど驚異的ですらある。協奏曲の録音では、とかくピアノがでしゃばる余りオケが貧弱になるか、逆にピアノがオケに埋没してしまうか、何れにせよアンバランスな録音の方が圧倒的に多い。しかし当盤は、何れ劣らぬ強力な音圧を出しつつ、完全に分離して聴こえるのである。更に、打鍵の瞬間の音とホールに反響した時に出される音とのバランスの再現にも事欠かない。終楽章など、カーゾンがペダルを踏み込む音すら捉えきっているのである。これらは従来のLEGENDS盤でも十分に堪能できるが、一時期限定販売されたSHM-CD盤は更に上を行く高音質に仕上がっている。LEGENDS盤より一段と透明感に磨きがかかり、音の立ち上がりや減衰も、より自然になった。SHM-CD盤は現在廃盤であるが、中古市場をくまなくチェックすれば巡り逢えるかも知れない。自信を持って推奨したい。
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3 people agree with this review 2011/09/24
平林直哉氏渾身の復刻!リアル・サウンドで蘇る名演!半世紀以上も昔の録音、しかも個人的なコレクションによるオープンリールからの復刻が、まさかここまで凄いとは!驚異の鮮度との看板に偽りなし。もっとも、最新の録音からすればテープヒスや若干の歪み等の瑕疵があるが、それを補って余りあるほどだ。音が生々しい。殊に、安定した低音域のコクといったら病み付きになる。無論、中音域も厚みがあるし、高音域の抜けも上々だ。分離のよさも、当時の録音水準の高さを物語る。特に、ビゼーの二曲のリアリティの高さには、スピーカーを前に思わずのけ反るほどで、打楽器の破裂音も最高だ。パレーの指揮自体も、フランスのエスプリという名でごまかされがちな曖昧さがなく、筋肉質で腰の座った音作りをしている。デュトワやクリヴィヌなどを物足りないと感じる向きには特にオススメである。
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8 people agree with this review 2011/09/23
驚異の音質に感謝!ワルター晩年のブラームス全集は、巨匠の枯淡の境地を伝えるものとして何れも定評であるが、個人的には、SONYの妙チクリンなリマスタリングに耐え切れず、どうも好きになれなかった。しかし、演奏自体は世評通り素晴らしいものであるため、音質改善されたら必ず買い替えるつもりでいた。今まで、SBM盤は薄すぎ、DSD盤は高音がキツすぎという具合に、再発の度に裏切られっ放しだったが、盤鬼平林直哉氏渾身の復刻で、ようやく満足いくものに出会えた。一言でいえば、音が活きている。もっとも、復刻ソースであるオープンリールテープに起因するヒスノイズはあるものの、それを敢えて残したのが奏功し、高音域の伸びやかな抜けを獲得している。のみならず、厚みのある中音域や唸りをあげる低音域なども実に小気味よい。普通の録音では埋没してしまいがちなヴィオラの刻みまで、明瞭な分離感を伴って克明に鳴らされる辺り、とても半世紀以上前の録音とは信じがたい。しかも、個人的なコレクションによるオープンリールからの復刻が、本家のオリジナル・マスターからの復刻をアッサリ抜き去っているのだから、リマスタリングとは恐ろしい。こうなってくると、歴史的音源の復刻に言い訳のように書かれている「お聴き苦しい点」が、本当に「オリジナル・マスターに起因する」ものなのかと疑問を呈したくなる(はっきりいって、オリジナル・マスターからの復刻であるDSD盤の方がノイズが多い)。同時に、メジャーレーベルでよく見られるハイビット・ハイサンプリング化や新素材の開発などが、音質向上にどれだけ寄与して来たのかも疑わしくなる。更にいえば、現在のCDの数々が、そのフォーマット特性をどれだけ活かし切れているのか訝しい(編集痕だらけの最新デジタル録音より、優秀なアナログ録音を丁寧に復刻したほうが遥かに音質がよいからだ)。このCDは、これら不満をもつファンをも唸らせる、数少ない優秀な復刻盤である。平林氏には、感謝というほかない。
8 people agree with this review
10 people agree with this review 2011/09/21
滋味深く温かなワルターの《新世界》を、最高の音質で聴く悦び!ステレオ黎明期、CBSに残されたワルター最晩年の貴重な遺産の数々は、何れも音楽の使者たる巨匠の至芸を今に伝えるものとして評価が高いのは衆目の一致するところであるが、一方、復刻CDに関しては賛否両論あることも事実だ。例えばSBM盤では音が痩せてしまっているし、DSD盤では金属的な高音が耳障りである。何れもオリジナル・マスターから復刻されているにも拘わらず、どうも満足いく音にはなっていなかった。そこへ来て平林直哉復刻盤の登場である。原理的にはオリジナル・マスターに太刀打ち出来る訳がないオープンリールからの復刻であるが、さすが盤鬼、圧倒的な情報量とリアリティを持つ盤に仕上げてしまった!勿論、原盤に起因するヒスノイズは割と大きい。しかし、それを敢えてリダクションせず残したからこそ、高音域の伸びがどこまでも自然で、柔らかな音になっているのだ。いや、単に音が良いだけではなく、会場の空気感、更にはワルターその人の体温すら感じるほどのものである。弓をさっと走らせる音、床が共鳴する音、楽譜をめくる音、足を踏み鳴らす音までも聴こえてくる。最近の録音は、こうした要素を尽くノイズとして切り捨て、複数のセッションで録られた音を一律に均すためイコライジングを施し、そのくせ、おおよそライヴとは言えないほど切り貼りだらけなのにご丁寧に拍手まで付けてライヴと銘打つような陳腐なものが余りにも多い。復刻に関しても、おおよそ悪趣味としかいえないほどのイコライジングや、テープヒスは悪だと言わんばかりのノイズ除去に彩られた盤が跋扈している。そうやって消費者を欺く一方でCDが売れないと歎き、何十枚も束にして激安廉価で叩き売る行為に走る。ステレオ黎明期の技術者達は、半世紀後の世の中がこうなることを望んでいただろうか。いや、彼等の目的は、巨匠達の名演を、当時持てる技術を総動員して世に広める、ただその一点に尽きていたはずだ。だからこそ、現在聴いても聴き劣りするどころかむしろ新鮮であり、何より自然な音作りがいつまでも浸っていたいと思えるのである。平林直哉氏の復刻は、そうした先人達へのオマージュともいえよう。
10 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/09/21
XRCDだからこそ、ハイフェッツの名演が最も安定した音質で聴ける!筆者は、メンデルスゾーンに関しては、当盤の他、SACDハイブリッド盤、24bitリマスター盤、更に平林直哉復刻盤の合計4種を聴き比べている。個人的な試聴結果を述べると、音質の安定度ではXRCDが断トツ!音割れや揺れ、歪みなどがなく、何より中音域の分厚さと分離の良さが活きている。ただし、ハイフェッツのヴァイオリンの音色にやや固さや冷たさが残るのが難点で、かなりオンマイクぎみでセンターポジションを陣取っているような、広がりに欠けるところがある。その点の豊かさでは平林直哉復刻盤に軍配が上がる。さすが、原理的にはオリジナル・マスターに太刀打ち出来るはずのないオープンリールからの復刻盤を敢えて出すだけのことはある。勿論、元が元なだけにテープヒスは上記4種のうちで一番大きく、歪みや割れも時折見られる。しかし、ハイフェッツのヴァイオリンの美音の再現は圧倒的で、見事に固さが解れ、そればかりか、艶やかさや温かさまで宿した音に生まれ変わっているのだ。上記の残りの2種は、何れも貧弱な音であり、オケの厚みもスカスカで、ヴァイオリンも相変わらず固い。そうなってくると、やはりXRCDか平林盤か、となるのだが、上述の通り特長が全く違うため、あとは好みの問題ということになろう。もっとも、コストパフォーマンスまで含めるとXRCDはやや不利だが、名盤をより良い音質で聴くために多少の出費も厭わないというのであれば、当盤を選択する価値は十二分にあるといえよう。
0 people agree with this review 2011/09/13
知人のご好意でお借りしたものの、どう感想を述べるべきか戸惑うほど、音が死んでいる。再生してヴォーカルが登場するや、コンポの配線に接続不良でもあったかと、思わず見直してしまったほど、不自然窮まる音響に怒り心頭!声がまるで響かない。普通なら伴奏より前方に定位するはずのヴォーカルが、何故か奥まっている。しかも、四方八方に拡散していくようなステレオフォニックな面は皆無。妙なエコーまで付加されており、これでは、普通のモノラル録音の方が余程聴きやすい。だいいち、本来聴かれるであろう美声が、音割れ寸前の状態をギリギリ綱渡りしているような、掠れた声質に改竄されているのだ。挙句、絶えずリミッターがかかっているのではないかと思うほど、音圧調整もド下手!殊に、サビの部分で音が全く伸びずに頭を押さえ付けられたような苦しい声に変貌してしまうような陳腐な加工は、もはやプロのやる仕事ではない。極めつけは、これほどの駄作をSACD並みの値段で売るという強硬姿勢!CDの売れ行き不振が叫ばれて久しいが、歎く暇があったら、もう少し質の良いものを低価格で販売する術を身につけるべし!現状を見よ、企業努力が一切見えないではないか。これではアーティストだって育たない。
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5 people agree with this review 2011/09/01
驚異の復刻!この盤を聴いてしまったら最後、従来盤のレビューの流用など出来ないはず。何しろ、今まで聴いてきたものは一体何だったのかというほどの、恐るべき音質改善である。いや、単に音が良くなったなどというレベルではない。演奏そのもの、もっといえばトスカニーニその人の印象すら変えてしまうほどなのだ!従来盤では、ヒスノイズを過剰に除去する余り高音域が全く乾ききってしまい、加えて、低音もバッサリ切られた薄っぺらい音になり下がっていた。テンポの速いことも相俟って、トスカニーニ=拙速の権化のように誤解させる程のものだった。口の悪い評論家など「ただの肉体労働」などとこき下ろすこともあったし、コアなファンですら「一本調子に馴染めない」云々と批評することもあった。私自身も、同世代のフルトヴェングラーやワルターなどに比し、いまいち馴染めないものを感じていた。ところが、平林直哉氏渾身の復刻による当盤は、そんな印象を根底から覆してしまったのだ!平林氏自身、「既成概念を打ち砕く音」などと筆を窮めて自画自賛しているが、まことにその通りで、音の一つ一つが、まるでトスカニーニその人の怒号の如く唸りに唸る!甘さゼロ、徹底してストイックな演奏で、よくもここまでタイトに仕上げられるものかと思う。それでいて、決して一本調子などではなく、強弱の幅の広さなど恐ろしいくらいで、クレッシェンドなど、舞台から迫り出して胸倉を掴みに来るかのような怒涛っぷりである。殊にブラ1の終楽章コーダや《キエフの大門》など、スピーカーを前に思わずのけ反るほどで、ただ圧巻の一語に尽きる。勿論その他の楽章でも、冷たく固い印象はどこへやら、熱い血潮が全編に滾る快演を繰り広げている。平林氏自身による解説も面白く拝読した次第であり、加えてジャケットも渋くてカッコイイ。あらゆる面において高品質な一枚といえよう。
3 people agree with this review 2011/09/01
音質改善に感謝!私はかつてDSDリマスタリング盤で聴いていたが、DSD盤の悪癖たる金属的な高音のせいもあり、どうも好きになれなかった。ただ、特に《田園》は、ベーム&ウィーン・フィルの来日ライヴ盤と双璧を成す名盤なだけに、音質改善した暁には是非とも聴いてみたいと思っていた。今般、平林直哉氏による優秀な復刻が出て、ようやく納得のいく音質に巡り会えたといえる。勿論、ヒスノイズはDSD盤よりやや大きいが、その分情報量は非常に豊かであり、演奏会場の空気感までも再現しつくされている。もともとやや癖のある音場ではあるが、DSD盤よりは自然な音場に近づいており、聴き疲れすることのないサウンドになっているのも好ましい。勿論《運命》も素晴らしい。ちょっとした間の取り方や表情付けの上手さも、優秀な復刻も相俟って絶妙の味わいをみせる。何より、高音域のニュアンス豊かな響きは、DSD盤には見られない特長であり、ヒスノイズを除去せず敢えてそのまま残したことが奏功したものといえる。ヒスノイズが多いと批判する人もあるだろうが、そんな人は試しにイコライザで高音域を下げてみるがよい。確かにヒスは弱まるが、その分伸びのない窮屈な音になるはずだ。しかも高音域がキンキンと金属的で耳障りな音になり、とても落ち着けたものではなくなる。平林氏は、このことを充分に承知しているのだ。そしてこの点こそ、オープンリールでもオリジナル・マスターからの復刻を凌駕することが出来る最大の理由なのだ。平林氏の慧眼に、ただただ敬服あるのみである。
7 people agree with this review 2011/08/27
ハイフェッツがこんなに凄いとは!平林直哉氏渾身の復刻は、ハイフェッツに対するイメージを根底から覆した!ハイフェッツがヴァイオリニストにおける20世紀最大の巨匠の一人であったことは疑い無い事実だが、個人的にはどうも好きになれなかった。従来盤で聴くハイフェッツは、何れも硬く冷たく、音は終始掠れ、高音は耳障りで、挙句ハイスピードでまくし立てるというような、最悪な印象しかなかった。当サイトでも散々酷評してきたし、同世代ならオイストラフやシェリングに限るというような論評で大論争を展開してしまったこともある。そんな偏見を180度覆したのが、当盤に先立って発売されたメンデルスゾーン&ベートーヴェンの協奏曲だった。恐ろしいことに、今までの憎たらしい印象が全く消え、この私を一気にハイフェッツのファンに変えてしまったのである。従来盤ではあんなにキンキンしていた音が一変、艶やかで余韻も豊かな、何とも甘美な音色に様変わりしているではないか!しかもオケのサウンドも年代離れした迫力である。今か今かと待ち侘びた当盤も、メンデルスゾーン&ベートーヴェンのときと同じく、意外なほどの芳醇さに引き込まれてしまう。タイトでありながら、ふとしたところに垣間見る柔らかな節回しやおおらかな息遣いなど、今までの復刻盤は何だったのかと思えるほど克明に再現されている。殊に弱音の美しさは、弓が弦を優しく愛撫するようであり、思わずうっとりとしてしまう。勿論テクニカルな面も完璧で、カデンツァのかっこよさなどピカ一である。漆原朝子氏による解説も、女流ヴァイオリニストならではの、気品ある言葉遣いと鋭い視点によるもので、大変興味深く拝読した次第である。演奏・録音・復刻・解説、全てにおいて高品質な一枚といえよう。
3 people agree with this review 2011/08/22
凄い音質!本家SONYのDSDリマスタリング盤は、オリジナル・マスターから最新技術でハイビット・サンプリング化されている。片や平林直哉盤はというと、原理的にはオリジナル・マスターに太刀打ち出来るはずのない、個人的なコレクションによるオープンリールからの復刻である。こう書くと大方は「軍配は勿論DSD盤だろう」と思われるかもしれない。それが違うのだ!何と、オープンリールからの復刻の方が、音はみずみずしく、ノイズや割れも少なく、細部の情報も密なのである。その原因を、平林氏自身は、「一般のCDでは復刻の過程でテープヒスを除去することが多く、それによって高域の情報までも剥奪されてしまっているからだ」としているが、全く不思議なことが起こるものである。こうして克明で明晰な復刻を聴くと、晩年のワルターのイメージともなっている枯れた味わいが一変、円熟の味わいの中にも作品に対する情熱を宿していることがよく分かる。フレーズの絶妙な歌わせ方といい各声部の活かし方といい、そのバランス配分が実に細かいところまで行き届いていることに気づくだろう。殊に通常のCDでは殆ど埋もれて聴き取れないヴィオラの合いの手までちゃんと響いてくる辺り、目から鱗の素晴らしさといえよう。無論、ややフルートがきつく感じられるところも無きにしもあらずだが、DSDリマスタリング盤の金属的でがさついた音からすれば格段に潤いがある。マクルーア氏の解説も、巨匠への敬愛の念に満ちた、殆ど芸術的ともいえる卓越した文章であり、あたかもワルターその人と対話するかの如き趣がある。演奏、音質、解説、全てにおいて高品質な一枚といえよう。
18 people agree with this review 2011/08/18
驚異の復刻!本家SONYのDSDリマスター盤の、妙なエフェクトによる金属的な音はどこへやら。オープンリールの音が、こんなにもみずみずしくダイナミックだとは!晩年のワルターは、決して枯れてなんかいなかった。むしろ、円熟の中にも作品に対する情熱を宿し、若いときの覇気とはまた違った求心力を感じさせる。しかも音楽はあくまで温かく、まるで大木に抱かれるような安らぎがある。良い復刻に接し、演奏の、いや、晩年のワルターそのものの印象が変わった。それほどの魅力がある一枚だ。ただ、問題は宇野功芳氏の解説。交響曲第1〜3番のCDに添付された、マックルーア氏の巨匠への敬愛に満ちた、殆ど芸術的ともいうべき卓越した文章に比し、宇野氏のそれは、まるで小学生の読書感想文とでもいうべき稚拙ぶりであり、こうも紋切り型の主観論を羅列させられると、演奏がよいだけになおのこと胸糞が悪い。第2楽章を「小細工に感じられて心を打たない」などと切り捨てているが、小細工だらけの指揮しか出来ない評論家の戯言以外の何物でもない。これほどの繊細な表情はなかなか出せるものではない。勿論、小細工や虚仮威しなどとは最も遠い、ワルターならではの深い読みに基づく情感発露であるはずだ。宇野氏はワルターと書簡のやり取りまでしたというのに、このことに気付かず一方的に批判するとは、余りにもお粗末だ。挙げ句、音楽評論家界では重鎮として崇められているのだから、全く困ったものだ。かの作曲家シベリウスは「評論家が何を言おうと気にしないことだ。今までに評論家の銅像が建てられたことがあったかね?」との名言を残しているが、“平成のハンスリック”の言うことなど、もはやどうでもいい。演奏・録音・復刻ともに星5つ、いやその倍でもよい程だが、宇野氏の解説はダメ以下。よって「すばらしい」止まり。
18 people agree with this review
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