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モーツァルト(1756-1791)

CD ピアノ協奏曲第20番、第26番『戴冠式』 フリードリヒ・グルダ、ミュンヘン・フィル

ピアノ協奏曲第20番、第26番『戴冠式』 フリードリヒ・グルダ、ミュンヘン・フィル

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  • ★★★★★ 

    Ichirokagawa  |  香川県  |  不明  |  2021年06月29日

    他のレビュアーの方々がDVDとの比較でレビューされているので、このCD単独のレビューといたします。第20番はアバドとの、第26番はアーノンクールとの競演盤がある。今回のCDはライヴ録音で、ミュンヘンのガスタイクのホールというお馴染みの場所である。オケは小編成と思われる。グルダの弾き振りだが、実にリラックスして演奏している様が、目に浮かぶようである。20番でさえ楽しそうに演奏しているし、26番は無類の愉しさである。第1楽章でのオケとの遣り取りは室内楽のようである。録音は、拍手はカットされているが、音場感豊かで、目の前で演奏されているような臨場感がある。素晴らしいCDである。

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  • ★★★★☆ 

    ウロウロ  |  東京都  |  不明  |  2020年01月03日

    年代と曲目、オーケストラからして「DVDと同じかしら?」と思いつつ購入したら案の定でした(笑) まあ、それはともかく、グルダだって、ペライアだって、ヘブラーだって、みんなそれぞれ良いじゃないですか。 「人それぞれに人それぞれのモーツァルト」があっていいし、本来はそうなんだろうと思います。 ただ、個人的には、やっぱりグルダさんの演奏をよく聴きますかね。 こちらが身構えることなく、スーッと入っていける、みたいな。 それでいて、モノによっては、いい意味ですごく唸らされるというか。 DVDでは、第3楽章のカデンツァで、お得意の装飾を「まだやるか」っていうぐらいやっていて、それを見ているオーケストラのトップの人がニヤッと笑っていたのが印象に残っています。 あれは、侮蔑・嘲笑という意味合いの「笑み」ではなく、「やってる、やってる」という音楽家特有の「笑み」。 もちろん、好意的な意味での「笑い」です。 こういう交歓がある演奏、私はいいと思います。

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  • ★★★★☆ 

    トラツォーム  |  静岡県  |  不明  |  2019年08月28日

    前に出ていたDVDと比べて、びっくりする程音が良くなっているわけではないので、星1つ減点といったところ。下の評者に反論しておくと、別に”ウィーンの演奏家”だからグルダのモーツァルトを評価しているわけではなくて、”生きた音楽”を演奏しているので評価しているということ。彼の演奏を荒っぽく感じて馴染めない人がいるのは分かりますが、”ピアノで音を出す”ことと”生きた音楽を創造する”ことの違いをこれほどはっきりとーモーツァルトやベートーヴェンの演奏でー示せる人は現代では誰もいなくなったと思っています(ただし、これは実演を聴いての評価なので、録音でどこまでそれが伝わるかという点もありますが)。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゲゲゲアサ  |  神奈川県  |  不明  |  2019年08月03日

    モーツァルトがヴィーンで活躍したから、グルダが最適なモーツァルト演奏者であるというのは欠落した配慮のない結論である。私ははるかに、ペライア やヘブラーの演奏の方がモーツァルトの本質を最善に解釈した演奏であると思う。グルダの演奏に欠けているのはモーツァルトの本質である細かい「テンポ」の変化がないところと、単純なミスタッチが目立つ。グルダのディナーミックの単純さもモーツァルトの本質とは相容れない音楽である。モーツァルト・イコール、グルダを信用してグルダのモーツァルトを購入するとがっかりさせられる。ピアノ協奏曲もピアノソナタもどれひとつ感心させられる演奏はない。ジャズもどきのインプロヴィゼーションも鼻につく演奏である。

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