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ブルックナー (1824-1896)

LPレコード 交響曲第5番 変ロ長調 セルジュ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 (3枚組アナログレコード/Altus)

交響曲第5番 変ロ長調 セルジュ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 (3枚組アナログレコード/Altus)

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検索結果:101件中1件から15件まで表示

  • ★☆☆☆☆ 

    びよんびよん  |  鴻巣  |  不明  |  2008年02月23日

    チェリビダッケの演奏は耳の肥えた少数の人にしか解らないと考えられ勝ちだが、決してそうではなく、非常に単純である。其の為一般受けする。彼は尤もらしく現象学などと称するが、実体は極めて恣意的な作為と彼自身の嗜好に依拠するもので、自己暗示が強いに過ぎない。則ち表層の細工と加工という、相当に通俗的な傾向であって、高踏的でも深遠でもないが、神秘性を装っている分カラヤンよりも罪深いと言える。謂わば集団催眠の詐術であるが、この「5番」はそういう彼の皮肉な集大成と言えよう。

    9人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • ★★☆☆☆ 

    endless odyssey  |  大阪府  |  不明  |  2011年07月17日

     テンポを極端に落とす事によって、確かに音一つ一つの美しい響きを聴かせてくれます(特に1,2楽章)。しかし、音楽の重要な要素のひとつであるリズムが感じられません。元々5番自体がテンポの良いリズムや印象深いメロディで作曲されているわけではありませんので、余計停滞感があります。  チェリビダッケのファンの方々には申し訳ありませんが、私には少々きつい演奏でした。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゆらゆら亭  |  潮岬  |  不明  |  2008年02月16日

    留まる所を知らない絶賛の嵐に吹き飛ばされそうだ。「チェリの」芸としては最上級、「ブルックナーの」演奏としては最も本質から遠い。比類なき庭師、亦は美容師としてのチェリの魔術を讃える限りに於ては一向に差し支えないが、これがこの曲の最高の表現であると極め付けられては、実に恐ろしい世の中だと思う。従ってブルックナーの至純な世界に浸ろうと考える方々には全く推奨出来ない。飽くまで異端の、極北にある演奏と言えよう。

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  • ★★★★★ 

    okm  |  大阪府  |  不明  |  2009年09月22日

    心より、恐れ入りました。

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  • ★★★★★ 

    七海耀  |  埼玉県  |  不明  |  2009年07月22日

    EMI盤より、美しい。これほど、美しいブル5はまたとない。弦も磨き抜かれているし、ブラスも咆哮するが、うるさくならない。このテンポで最後まで飽きさせずに聞かせることの出来る指揮者がどれほどいようか。オケの美音は、BPOもVPOもこうは行くまいと思わせる。録音は、弦などややオフだが、このほうがかえって実際のコンサートプレゼンスに近いだろう。ティンパニがややこもり気味なのが惜しいが、ライナーによれば、お忍び録音のようだから、会場備え付けのマイクで、限りなくワンポイントに近い状態で録ったのだろう。

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  • ★☆☆☆☆ 

    函館  |  あさひなNO  |  不明  |  2008年02月18日

    今までチェリの演奏に心酔してましたが、マイナス評価のみなさんのコメントを読んで目が覚めました。世間は広いんだなあ。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゲルマン魂  |  千葉  |  不明  |  2007年05月12日

    幻の指揮者来日ということで一番高いチケットを購入し実演を聴いた。途中で席を立とうかと本気で思った。ただ、ただ、退屈でかったるい演奏。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年11月03日

    生前は原則として一切の録音を拒否し、幻の指揮者と言われていたチェリビダッケであるが、没後、相当数の録音が発売されることになり、その独特の芸風が多くのクラシック音楽ファンにも知られることになった。数年前にブルックナーの交響曲第8番とともに、本盤におさめられた交響曲第5番の来日時(1986年)のコンサートのライヴ録音のCD化が行われたのは記憶に新しいところである。今般、ついに、そのライヴ録音CDが、第8番とともに、シングルレイヤーによるSACD化が図られることになったのは、チェリビダッケの芸術を更に広く知らしめる意味においても、極めて意義の大きいことと言わざるを得ない。チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであったと言える。チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追及しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、正に音のドラマ。これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたと言えるが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言える。したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、それはブルックナーの交響曲についても言えるところだ。EMIから発売されているブルックナーの交響曲集についても、第3番や第6番は素晴らしい名演であったが、第5番や第8番については、超スローテンポによる演奏で、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないだろうか。ところが、1986年の来日時の演奏である本盤におさめられた第5番、そして同時発売の第8番については、アプローチとしては基本的に変わりがないものの、チェリビダッケが愛した日本での公演であること、当日の聴衆の熱気、そして何よりも極上の高音質録音によって、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることなどが相まって、スローテンポであってもいささかも間延びがしない充実した音楽になっているのではないかと思われるところだ。確かに、この演奏をブルックナーの交響曲演奏の理想像と評価するには躊躇するが、いわゆる音のドラマとしては究極のものと言えるところであり、良くも悪くもチェリビダッケの指揮芸術の全てが如実にあらわれた演奏と言うことができるだろう。いずれにしても、聴き手によって好き嫌いが明確に分かれる演奏であり、前述のように、ブルックナーらしさという意味では疑問符が付くが、少なくともEMIに録音された演奏よりは格段に優れており、私としては、チェリビダッケの指揮芸術の全てがあらわれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、前述のように、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは、シングルレイヤーによるSACD化によって、音質が更に鮮明になり、なおかつサントリーホールの残響の豊かさが活かされた臨場感溢れる音質であることも一躍買っていることを忘れてはならない。

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  • ★★★★★ 

    飴善 祥匠  |  東京都  |  不明  |  2011年01月01日

     今頃になってヤット聴きました。チェリ初体験、サントリーホール初体験で当日連なっておりました。このCDは20数年隔てて、当日の空間をありありと思い出させてくれました。よく憶えているのは、1楽章のピチカートの初音が出るまで、ホールが息もつかえるほど静寂だったことと、1楽章が終わったところで、マエストロが何か確かめるように聴衆の方を向いたことです。コンサートというより何か音による時空体験のようでした。当夜の時間の流れと20数年の時の流れの両方をしみじみと味わい、また一つ掛けがえのない財産が増えた思いです。感謝感謝。

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  • ★★★★★ 

    fukifuki  |  茨城県  |  不明  |  2010年01月01日

    イヤー、安いとき買ってよかった。ラッキーとしか言いようがない。値段だけではない。演奏内容もすばらしくラッキー。今までは、コンヴィチュニー ゲヴァントハウス盤がお気に入りでしたが、この盤に取って代わってしまった。超最晩年に到る前の録音だけに、ただ遅く細部を丁寧に表現しているだけではない。力強さ推進力も感じられる。すでにレビューもかなりの数に上っており、賛否両論あるが私はこれでいいと思う。ほかに、ヴァント、朝比奈、ヨッフム....聴けばいいのですから。録音も半ば隠し録り(失礼)の割にはすばらしく、金管もうるさくなく、どっしりと低音も響いている。大きな不満なし。ブラ4といい、ブル5といい実体験した人は一生の宝ですね。うらやましい。

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  • ★★★★☆ 

    森林浴  |  京都府  |  不明  |  2009年11月01日

    この5番といい、展覧会の絵といい、終曲の最後の一音の扱いが、この指揮者に限って、録音毎に変わる。展覧会などは、ベルリンフィルハーモニーでのMPOの遠征時のものと、ガスタイグでのEMI録音、LSO来日公演などでは彼のホール残響へ適応のせいか、全く別物。5番もSROの旧録音、ガスタイグでのEMI,そしてこの東京公演と、変貌する。個人的には、この東京公演の終音はアタッカがもう少し欲しかった。チェリビダッケらしい最後の一音で総崩れ。逆に朝比奈は、最後の一音で納得させる。

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  • ★☆☆☆☆ 

    「ティン!」  |  岡山  |  不明  |  2008年02月25日

    何度聴いてみても感動しません。何故でしょうか。怖ろしく精緻で息をするのも憚られ、比類なく磨き上げられていることも、厭と言う程判るのですが・・・。そうでしたか、チェリは宗教なのですね。絶対的信仰が前提で、チェリと名が付けば無原則に誉め讃える方々のみが享受し得るのでしたね。それならば、人間的な交感を阻むこの人工臭・化学臭・機械臭も、窮極の美として受け容れられるのでしょう。世にも不思議な世界です。

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  • ★★☆☆☆ 

    ライツ  |  東京  |  不明  |  2007年01月01日

    スコアの記譜上にはない奥底まで読みの深いチェリの解釈には常に感服するが、ブル5に関しては空回りしている。1、2楽章の集中力に欠けた怠惰な流れは如何なものか。3楽章になって漸くエンジンがかかり始め、4楽章コーダからの高揚感はブル5の中でも白眉。結論として、チェリとブル5は以前の盤もそうだったが実演も含め、相性が悪いと言わざるを得ない。チェリでブルックナーを聴くなら、3.4.8番だろう。

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  • ★★☆☆☆ 

    カバポチ  |  横浜市  |  不明  |  2006年12月28日

    チケットが入手出来なくて、サントリーホールの前で締め出しを食った時の悔しい公演の記録!だが、こうして録音で聴くと、生で聴けた幸運な人の感動が伝わって来ない。 同じく今年初出のヴァント&ミュンヘン・フィルの神業的ブルックナーの化身の如き超名演と比べてしまうと、凡庸の域を出ない。あくまで「チェリ・ワールド」であり、ブルックナーの音楽が感じられない。

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  • ★★★★★ 

    うーつん  |  東京都  |  不明  |  2014年07月29日

     「音を出す」というより「音が生まれる」ような印象を受ける演奏と録音。急がず焦らずじっくりとブルックナーの楽堂が築かれていく。時間的な威容はいつものことだが、ここでのチェリビダッケはできたばかりのサントリーホールに音を染み込ませようとするかのようなテンポで静かに進めていく。音の輪郭はくっきりしている印象はない。スーッと音が湧き出てきて響きが余韻として残されていく。    特に大好きな第2楽章の敬虔な祈りの感情の表出は目をつぶってその中に浸れる喜びがある。  他にも堂々とした歩みの第1楽章、勇猛な第3楽章、堂々たる伽藍を思わせる第4楽章もこれ以上ないくらい立派。   ヴァントのようなキリッとした演奏とは違う。でもどちらも素晴らしい演奏なことでは同じ。  あと個人的にはEMIからでたブルックナー・チクルスの演奏よりこちらの方が好き。緊張感が全体に漂い、しかもそれが良い方向に活きているのでは1986年の日本公演盤の方だと思う。 これだけ質の高い演奏が日本で残されたことに感謝したい演奏だと思う。

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