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マーラー(1860-1911)

CD 大地の歌 サイモン・ラトル&バイエルン放送交響楽団、マグダレーナ・コジェナー、スチュアート・スケルトン

大地の歌 サイモン・ラトル&バイエルン放送交響楽団、マグダレーナ・コジェナー、スチュアート・スケルトン

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    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2018年12月31日

    ラトル最初のアルト版『大地の歌』録音はやはりコジェナーとの共演になりましたね。奥さんがこの曲を歌えるようになるまで待っていて、だからこれまでバリトン版でしか録音しなかったような気もする。そのコジェナーの歌が別格の素晴らしさ。アルトが歌うとこの曲に必須の寂寥感は申し分なく表出されるが、第2、第6楽章(もともと別の詩を接合したものなので前半、後半とも)は明らかに男性視点の詩なので、バリトンが歌えば自ずと現われてくる歌い手の心情も、いわば「ズボン役」的に歌い出してほしいところ。これはアルト歌手には意外に難しく、かつてのルートヴィヒ、現代ならば(ズボン役は得意だったはずの)フォン・オッター、(声としては理想的な)ラーションなどもクールに過ぎるきらいがあった。ところが、コジェナーはこの両面を完璧に満たしている。特に、友と別れて自然のなかに死に場所を求めようとする男が一人称で歌う終楽章終盤は、魂が震えるような絶唱。 一方のスケルトン、トリスタン役では男臭い不器用さがなかなか魅力的だが、三度目の録音のはずの『大地の歌』でも相変わらず小回りが効かない。カウフマンの超絶的なうまさを知ってしまうと(ただし全6楽章を一人で歌ってしまうのは反対。できるからと言って何でもやって良いものではない)、これでは不満だが、それでもこの曲のテノール・パートとしては上出来の部類か。ラトルの指揮はバーンスタインのように強引に歌手を引き回すものではなく、交響曲と歌曲の中間あたりで、とてもうまくバランスをとっている。金属打楽器やチェレスタを強調して華やかな響きをたてるティルソン・トーマスに対して、むしろ渋めの、枯れた音色で全体をまとめているのはそれなりの見識。

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    風信子  |  茨城県  |  不明  |  2018年10月24日

    ラトルにとってマーラーは何時迄も帰って行きたい故里なのだろう 己の心情を仮託できる音楽はマーラーなのだ 何よりもそこに出て来た音楽が寛いでいる 身も心も預けてしまえるのだろう 表現や主張よりも伸びやかに歌い愉しんでいる それが人生の悲哀であろうと諦観であろうと生きて感謝する肯定感に包まれている そんな生半可な生っちょろい哀感など”マーラー”じゃないと言われても ラトルもマーラーも音楽で表現できる歓びを捨てやしない 先ず音楽がある人生の幸福の上に二人はいる だから音楽が美しく輝いてわたしたちに語りかけてくるのだ 音楽は聴く人が自分の身に惹きつけて味わえばいい それが慟哭の悲しみだろうが 甘やかな諦めだろうが それは聴く人の心の中で生まれる 人は聴きたいように聞くのだ 作品はもう作者の手を離れた ラトルは何にもしていないといえばしていない だがそこには紛れも無い”大地の歌”が鳴っている 好悪を超えて耳傾けたい あなたも如何

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    naosan  |  神奈川県  |  不明  |  2018年09月23日

    これはすごい演奏です。 特にコジェナー。 歴史的歌唱です。 びっくりしました。

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