交響曲第4番 ボルトン&モーツァルテウム管弦楽団
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風信子 | 茨城県 | 不明 | 2017年01月11日
ブルックナーとは何者だったのか! ボルトン&SMOのブルックナー演奏を聴いておそらく多くの方々が違和感を抱き あるいは拒否反応を示されているのではないかと推察する 善意からだったとはいえ百年を超えて偽ブルックナーが出現横行してきたことに因がある 有り体に言えば存在しない「ブルックナー」像を見せ聴かせられてきたあなたはブルックナーを知らない そこへ本物のブルックナーが登場したものだから受け入れがたい 稀代のブルックナー指揮者故朝比奈隆氏の鳴り物入りだったN響演奏会の光景を思い出す 期待の第8番とあって超満員の客席では 演奏がff〜fffになると爛爛と瞳を輝かして前のめりになって聴いていた聴衆の多くが pp〜pppの部分では背もたれに埋もれて眠っていた ブルックナー音楽の美を感得できなかった指揮者たちが捏造したブルックナーを押し付けることによって 聴衆の耳は麻痺しブルックナーは聴くと疲れて眠気を催す音楽に作り変えられてきた 頑張って聴き通せば不必要なアドレナリンを放出して奇妙に戦闘的な人間に改造される ブルックナーのスコアを見れば瞭然だ 長大なシンフォニーの大半はp〜pppで演奏するように指定されている 愛する朝比奈隆氏はオーケストラにpは大きく鳴らせと指示している 本当に残念だ どんなに優れた指揮者でも解らない人にはブルックナーは分からない ボルトン&SMOはスコアの指示通りに演奏している これがブルックナーだ ブルックナーに共感できないだろうか ブルックナーは人を威嚇したり高らかに勝利を誇示して見せる人ではない 音響の高まりは心の叫びと信念への没入なのだ 感謝と祈りといってもいい もうすでに第3、第8と第9番はカタログから消えている 「ワーグナー」と呼ばれた第3番を聴けば ブルックナーがワーグナーから如何に遠いfieldを歩んでいたか知れる 一人でも多くの人の耳と心にボルトン&SMOのブルックナーが届くことを願うばかりだ2人の方が、このレビューに「共感」しています。
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のんじょんれ | 神奈川県 | 不明 | 2012年07月02日
モーツァルト指揮者がブルックナーに向いていることは多いが、このボルトンもその一人だ。ここでの4番は全楽章にわたって素晴らしく透明感、スピード感のあるブルックナーを成功させている。 ブルックナーにおいて、すべての楽章を成功させている指揮者は皆無に等しく、その意味でこのボルトンは稀有の存在といってもいい。 比較的軽い響きの第一楽章はそのまま譜面を響かせることで難なく通り抜ける。 次のアンダンテはまさにアンダンテ。多くの指揮者がテンポを遅くし過ぎて、重たくなっているのに、ボルトンはさわやかに、しかも朴訥と解釈している。何より後半の二つの楽章が素晴らしい。 スケルツォの躍動感。そしてこの曲で唯一後期の交響曲に匹敵する巨大さを持っているフィナーレもきちんと悠然と鳴らしきっている。 例によって悲惨なジャケットによってまたもや看過されてしまうことが無いように今からでも遅くないので、買う気になるような目を引くジャケットに作り替えて、みんなに聴いてもらいたいブルックナーだ。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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