CD

Sym, 5, : Jochum / Concertgebouw O (1986)

ブルックナー (1824-1896)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
KKCC4277
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明

輸入盤に日本語解説を添付したという体裁の国内盤がお得です。以下、HMVによるライナーノートから第1楽章部分を抜粋。   新機軸?ブルックナー5番物語 〜野人と教理〜    クラシック音楽の解説は真面目なものが多い。中でもブルックナーは特にそうで、音楽が真面目だから仕方がないと言われればそれまでだが、どこの誰が何を書こうが、結果的には“個人の意見”を、あくまでお金と引き換えに書き連ねているに過ぎないのであり、右へならえ式の格調高い(?)量産解説にはもう飽きたという方も多いハズ。そこで今回は、不謹慎・下世話は百も承知で、敢えてこの難曲に標題音楽風なストーリーを無理やりこじつけ、単純化して説明してみたい。読みながら笑っていただければ幸いであるが、筆者の知人の中にも『ブルックナーの5番はどうも苦手で』などと言う人間がけっこういるので、こうした戯画的な説明を考えついた次第。ちなみに、[00:00-]なる数字は、CDプレーヤーに表示される経過時間値で、当該部分開始のおおよその目安と考えていただきたい。     設定:ときは19世紀後半、オーストリアのとある片田舎の村に住む、純真素朴ながら信仰薄いカトリック信者で、おまけに少々野卑な性向で、くわえて思い込みも激しいというある男の物語。 さしずめここでは男を“野人”としておこう。登場人物は彼のみ。 つまり彼の頭の中で起きる様々な変化のことを描いたものとして作品を捉えてみたのが以下の筋立てである。   第1楽章[TAH247A TRACK:1]
野人は、時おり訪れる町にあるゴシック建築の威容を誇る大聖堂に以前から大きな関心を持ちながらも、これまでは単に遠くから眺めているだけだった。この様子は、第1楽章の序奏部に、大聖堂に恐る恐る近づく野人がピツィカートで描かれ(“野人の動機”[00:01-]とする)、間近に見あげる建物の荘厳さに圧倒されながらも(“大聖堂の動機群”[01:21-])、なんとか気力を振り絞って重い扉を開き、意を決して中に入るという感じで描かれている。ヨッフムの演奏は、冒頭から非常に遅いテンポが採られたもので、序奏部全体を荘厳きわまりない筆致でひたすら巨大に描きあげる手法が、指揮者の作品へのスタンスを明確にあらわして説得力絶大である(実質的には3番の次に書かれたのが5番という観点から作品を捉えなおすと、これまでとはまたずいぶん印象の異なる解釈が成立し得るはずで、そうした意味からも、ここでのヨッフムのスタンスは、あくまで後期の作品に近い拍節感覚で巨大なスケール感を演出したものと捉えることが可能)。  これほど圧倒的な開始はそうそうお目にかかれるものではなく、まさに大聖堂の威容を聴き手に存分に示したのち、重い扉が開いて内部が明かされるといった趣だ。この部分の後半、指揮者によっては加速効果におもね過ぎて少々気恥ずかしい音楽に仕立てていたりもするが、ヨッフムのふんばりの効いたアプローチは、そうした手法とは次元の異なる美意識にもとづいたものといえ、上述のこじつけに対しても素直に納得させてくれるのが嬉しいところ。  つまり、近づく野人と荘厳な大聖堂のコントラストが非常に強烈ということであり、こうでなければその後の野人の内面変化も説明が難しくなるというもの。  まさにヨッフムさまさまである。   ついで主部に入ると、田舎の教会とはあまりに異なる宗教的アウラ漂う雰囲気に完全に呑み込まれ、さすがの野人もふだん忘れていた教理を思い出し、やがて頭の中は教理とその妄想に埋め尽くされてしまう。  これが第1主題部で、便宜上ここでは“教理の動機[03:31-]”としておこう。ヨッフムの演奏は線が太く、鋭いリズム動機の扱いも実に豪快で印象深い。 序奏部の巨大な質量に十分見合う量感が確保されており、この後、非常に重要な役割を果たすことになる主要動機の扱いとして、まずは理想的な表現と言って良いだろう。  やがてその興奮も冷め、ひと息つくと、今度は大聖堂の中を恐る恐る歩き回る野人の様子が描かれる。“野人の動機”変化形のピツィカートに、聖堂内部をあらわす弦楽による静謐な旋律の組み合わせがその様子を雄弁に描き出して第2主題部[05:00-]を構成するのだが、後半には、野人が田舎の自然のことなど思い出すうちに[06:37-]、生来の素朴な性分が目覚めてしまう。  つまり“野人の動機”が大幅に拡大変容され、舞曲的性格を伴う第3主題部[08:10-]として立ちあらわれるということだが、この部分、厳粛な大聖堂の中にあっても、まったく異なること(村祭りなど)を考えているのんきな野人を活写して小気味良いばかりだ。  演奏もみごとで、終結部分[10:03-]では楽しい妄想に後ろ髪引かれる思いの野人をあらわすべく、絶妙なルバートがかけられるのだが、この雰囲気描写がまた実に素晴らしい。  四角四面な演奏では考えられないユーモアさえ漂って、改めてヨッフムのブルックナーの魅力を確認することとなる。
展開部[11:24-]では、そうした野人の思い込みがドラマティックに描かれており、大聖堂の権威に圧倒されながらも、共感や同意・服従を素直には表明しようとしない野人の反抗心(“野人の動機”と第3主題の展開形)が、“大聖堂の動機群”と“教理の動機”を交えて自問自答を繰り返すこととなり、結局、再現部[16:37-]では野人の心理にも多少の変化が見られ始め、最後、コーダで、その気になった野人が“教理の動機”を夢中になって礼賛しながら第1楽章が締めくくられるという図式だ。  ヨッフムの演奏はこの展開部からけっこうテンションが上がってきて、ダイナミックな音楽の運びにもさらに強靭なエネルギー感が付加され、再現部手前の野人的リズムの表出など実に痛快。  コーダ冒頭の“野人の動機” [20:28-]にも凄い気迫がこめられ、同時にスタートする“教理の動機”をも圧倒的なパワーで描きぬき、野人の確信を高らかにうたいあげて非常に動的に終結するさまが何とも心地よい。実に見事な演奏である。

内容詳細

重厚な指揮ぶりで知られるオイゲン・ヨッフムの、亡くなる3ヶ月前の86年12月に行なわれたライヴを収録。ヨッフムのブルックナーは定評があるが、巨匠が最期に到達した精神の深みに驚嘆する名演。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

  • 01. 交響曲第5番変ロ長調

総合評価

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この演奏会を聞かれた東賢太郎氏のブログに...

投稿日:2020/03/23 (月)

この演奏会を聞かれた東賢太郎氏のブログには以下のように書かれている。『足がおぼつかず階段を登れなかったヨッフムが最後の力を振り絞ったアンコールが終楽章とは驚いた。ヨッフムはスコアにない金管を増強(記憶ではHr4,Tr3,Trb3,Tuba1)していたが、そうしないと奏者は肉体的負担が大きく終楽章のコラールが天界に響き渡るほど豪壮に鳴ることはない。彼らには受難だったかもしれないが、オーケストラにとってもヨッフムにとっても、もしかしてこれが最後という思いはあったと思料する。そうでなければこんな音楽は生まれないだろうというほど稀有な演奏で、こういう質のものは「聴く」という言葉では浅く、「参加する」「体験する」とでも書くしかない』。アンコールで終楽章を繰り返したとは驚きだが、この演奏会の三か月後に死去したヨッフムにとって、音楽家人生の締めくくりとなったアンコールが収録されていないのが残念である。

ROYCE さん | 神奈川県 | 不明

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小生のお気に入り、DG盤のブル4のような...

投稿日:2013/09/01 (日)

小生のお気に入り、DG盤のブル4のようなイケイケな演奏を期待していましたが…、ヨッフム翁、老い過ぎだったかな? スケールの大きい演奏だったとは思いますが、小生にとっての主観的な「ヨッフムらしさ」(ハラハラするようなテンポの変化とスピード感)を感じることは少なかった。 シューリヒト&WPO盤を凌駕できないまでも、音質で賄えられるものはないものなのでしょうか?

けんけん さん | 神奈川県 | 不明

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1楽章の単層構造から、終楽章の重層構造へ...

投稿日:2013/08/07 (水)

1楽章の単層構造から、終楽章の重層構造へ、迷わず、間延びせずに聴き手を誘う運転技量は超絶である。この奏者の組み合わせでは、7番では、自然な重力と惰力に任せた一音の伸びが乏しく、響きの欲求不満に陥ったが、この5番は、自在なテンポ配分と、金管の重層の処理の塩梅が絶妙に溶け合った、溜飲下がる=消化不良無しの、納得コーダが味わえる。建築構造の可視化という点ではチェリ=MPOの、硬質な緻密度という点ではヴァント=BPOの、強度とヴォリューム感という点では朝比奈=NJPの、三者の良さを全て兼ね備えた超名演である。

森林浴 さん | 京都府 | 不明

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人物・団体紹介

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ブルックナー (1824-1896)

1824年:オーストリアのアンスフェルデンでヨーゼフ・アントン・ブルックナー誕生。 1845年:聖フローリアン修道院の助教師に就任。 1856年:リンツ聖堂及び教区教会のオルガン奏者に就任。 1866年:交響曲第1番完成。 1868年:音楽大学の教授に就任。 1869年:交響曲第0番完成。 1872年:交響曲第2番完成。 1873年

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