CD 輸入盤

スメタナ・コレクション(8CD)

スメタナ(1824-1884)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL96909
組み枚数
:
8
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


意外な発見も多いスメタナの音楽!

スメタナ・コレクション(8CD)
管弦楽曲、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノ曲、歌劇「売られた花嫁」


スメタナの代表作を手軽に楽しめる8枚組セット。CD3枚に管弦楽曲を全曲、CD1枚に弦楽四重奏曲を全曲(2曲)とピアノ三重奏曲を全曲(1曲)、CD2枚にピアノ曲、CD2枚に歌劇「売られた花嫁」という収録内容。

ピアノ曲では熱情ソナタへのオマージュも
ロベルト・プラーノの演奏するスメタナのピアノ曲は非常に大胆な表現が聴きもので、「波立ち、わき返り、ざわめき、鳴り」という小品など、「熱情ソナタ」エンディングのオマージュ感(?)が凄いです。録音も優秀でピアノの迫力に驚かされます。


ドイツ語話者だったスメタナ
オーストリア帝国時代のチェコに生きたスメタナは、公用語だったドイツ語の話者として長く暮らしており、猛勉強してチェコ語をある程度流暢に話せるようになったのはやっと40歳の時でした。その頃書かれたオペラ「売られた花嫁」のドイツ語版が人気だったりするのも、語感と音楽が合っているからでしょうし、そもそもカレル・サビナの台本も最初はドイツ語で書かれていたりします。
  なので、このセットにスイトナー指揮ドレスデン国立歌劇場の有名なドイツ語版全曲録音(エテルナ)がライセンス収録されたのは、Brilliant Classicsがそうした歴史的事実に配慮したものなのかもしれません(ページ下部にトラックリストに対応させて「売られた花嫁」のあらすじを掲載してあります)。

民謡使用に批判的だったスメタナ
「売られた花嫁」は、チェコ的な作品とよく言われていますが、その印象は主に民俗舞曲をたくさん使ったことと、舞台上の民族衣装によってもたらされていると考えられ、肝心の歌やレツィタティーヴォにはそうした要素は含まれないのだとか。
  これはスメタナ自身が安易な民謡の使用に批判的だったことが原因ですが、その背景には、民謡の理解には対象地域の方言や古語の知識が不可欠という言語的な問題があったとも考えられます。

民俗舞曲やコラールはOK
実際、言葉が不要な民俗舞曲や、言葉の意味が広く浸透しているコラールなどについては、スメタナはオペラでもピアノ曲でも管弦楽曲でも数多く使用して効果をあげており、それゆえにチェコ国民楽派の祖とまで言われる状況にもなっています。

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 作品について

CD1

連作交響詩「わが祖国」JB 1:112


1874〜1879年作曲。6曲から成る連作交響詩。

第1曲「高い城(ヴィシェフラド)」JB 1:112/1
プラハの南、モルダウ河のほとりの崖の上に建つヴィシェフラド城は、10世紀後半に建設された中世ボヘミア王国の城で、そこではかつて伝説の吟遊詩人ルミールが、英雄や愛について歌っていました。曲頭のハープの動機は、この吟遊詩人ルミールのハープを表したもので、以後、「わが祖国」全体を通じて変形使用されることとなり、この連作交響詩が、あたかも吟遊詩人によって歌われたボヘミアの物語であるといった様相を呈しています。


第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」JB 1:112/2
チェコの中央部を流れる大河モルダウとその周辺の景観を描写したもので、変化に富む水の流れと、民族舞曲や月夜の水の精、聖ヨハネの急流などが描かれており、最後には循環動機でもある「高い城」の主題をモルダウの主題にかぶせて輝かしく終わります。


第3曲「シャールカ」JB 1:112/3
恋人の裏切りから、なぜか全男性への復しゅうを誓ってしまった女傑シャールカ率いる女性の軍隊と、男性の軍隊との戦いを描いた作品で、同じ題材のヤナーチェクのオペラも有名です。シャールカ討伐に向かったツティラートが、色香と酒によって簡単に負かされてしまうといったストーリーが、スメタナの音楽では最後の勇猛果敢な音楽に象徴されるようにきわめてシリアスなものとして描かれています。


第4曲「ボヘミアの牧場と森から」JB 1:112/4
きらきらと輝く陽光を受けた緑の平原、収穫祭を思わせる農民たちの楽しげな踊り、森にそよぐ風や小鳥たちのさえずりがあるときは陽気に、あるときは淋しげに描かれる「モルダウ」に次ぐ人気作。


第5曲「ターボル」JB 1:112/5
免罪符販売を非難したことによってローマ法王から破門され、やがて虐殺されることになるチェコの宗教改革運動家、ヤン・フスの衣鉢を継いだ急進的グループ「ターボル派」を中心に巻き起こったフス戦争を描いた作品。スメタナはフス教徒たちの信条を民族主義の旗印として捉え、主題に彼らの賛美歌(コラール)を用いることで、チェコの歴史上、最大の民族的盛り上がりを見せた出来事を叙事詩的壮大さをもってダイナミックに描き上げています。


第6曲「ブラニーク」JB 1:112/6
前曲からつながっているこの作品は、ボヘミアのブラニーク山に眠る救国の騎士たちの伝説を描いており、主要主題には第5曲のターボルの主題が用いられて、チェコの危機を救う英雄の存在を強く印象付けます。
  実際の戦争では、十字軍のたび重なる侵攻を撃破しながらも、結局は内部分裂によって敗戦を迎えることになる彼らの戦いぶりを考えると、スメタナの描写は少々理想主義的美化が過ぎるようにも思えてきますが、この曲集が、吟遊詩人ルミールによって語られるチェコについての幻想的な物語である点、「ターボル」と異なり、フス教徒ではなく伝説上の存在である騎士たちに戦いがシフトしている点を考慮すれば、スメタナの設定は当を得たものと言えるのではないでしょうか。



CD2

交響詩「ヴァレンシュタインの陣営」Op.14、JB 1:72

1858〜1859年作曲。スメタナは1856年から1861年までスウェーデンのイェーテボリで同地のフィルハーモニー協会の指揮者として暮らしており、1857年にはワイマールのフランツ・リストのもとを訪ねたりもしています。
  この「ヴァレンシュタインの陣営」は、スウェーデン時代に書いた3曲の交響詩のうちの2番目の作品で、題材はシラーの戯曲「ヴァレンシュタイン」。
  三十年戦争の際の皇帝軍の指揮官ヴァレンシュタイン公[1583-1634]の反逆と没落を描いた内容で、スメタナは3部作のうちの第1作「ヴァレンシュタインの陣営」に想を得て作曲。
  ヴァレンシュタインは傭兵たちの間で絶大な信望を得ているボヘミア出身の貴族で、美しい旋律で描かれる一方、軍に関することは強大な迫力で示されています。


交響詩「ハーコン・ヤール」Op.16、JB 1:79

1860〜1861年作曲。スウェーデンのイェーテボリ時代に書いた3曲の交響詩のうちの3番目の作品。デンマークの詩人で劇作家のアダム・エーレンスレーヤー[1779-1850]が1803年に書いた詩「ハーコン・ヤールの死」を題材にした作品で、のちのチャイコフスキーのような部分が多いほか、トリスタン(1865年初演)やブルックナー5番(1875〜1878年作曲)に似た部分もあるなど、スメタナのアイデアの豊富さには驚くばかり。
  ハーラル1世(青歯王、ブルートゥース通信規格の語源)にキリスト教信仰を強制されながらも北欧神話信仰を捨てず、やがて身内に殺される中世ノルウェーの統治者ハーコン大公[935-995]の戦いと死を英雄的に描いています。


交響詩「リチャード3世」Op.11、JB 1:70

1857〜1858年作曲。スウェーデンのイェーテボリ時代に書いた3曲の交響詩のうちの最初の作品。
  味方の裏切りによってボズワースの戦いで若くして虐殺されたイングランド王リチャード3世[1452-1485]が題材。王はチェロで描かれ、頭部に9か所の深い傷を受けることになる戦闘の様子は曲の最後の3分間で劇的に描写。シンバルが激しく鳴り響いて弦楽器がトレモロを奏で、最後にチェロが悲劇的に締めくくります。


歌劇「売られた花嫁」JB 1:100〜序曲と舞曲

1866年完成。序曲、第1幕から「ポルカ」、第2幕から「フリアント」、第3幕から「スコチナー(道化師の踊り)」を収録。有名な序曲に続き、楽しく激しいチェコの民俗舞曲を3曲収録。


「ファウスト博士」JB 1:85

1862年作曲。マチェイ・コペツキー[1775-1847]の考案した人形劇は、コペツキーの死後もチェコで長く人気を保っており、その人形劇「ファウスト」が上演される際の前奏曲として作曲されたのがこのコミカルな作品。
  1分弱の賑やかな導入に続き、バッハの「フーガの技法」の主題に似た旋律が対位法的に示されたパロディののち、さまざまに展開される面白い作品。


ポルカ「田舎の女(ヴェンコヴァンカ)」JB 1:115

1879年作曲。チェコ国民舞踊の日のために作曲。

ポルカ 「われらの乙女たちに」JB 1:86

原曲のピアノ曲は1849年の作曲で、1863年頃に管弦楽編曲。


CD3

「勝利の交響曲」Op.6、JB 1:59

1853〜54年作曲。スメタナ唯一の交響曲。1853年8月、ボヘミア王も兼ねるオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とバイエルンのエリーザベトの婚約が発表されると、1850年から、前オーストリア皇帝であるフェルディナント1世のプラハ城の宮廷ピアニストとして働いていたスメタナは、祝賀を目的とする交響曲の作曲に取り掛かります。
  全4楽章中3つの楽章で、当時のオーストリア国歌(現ドイツ国歌。ハイドンがクロアチア民謡をベースに作曲)が使用されていますが、第1楽章では最後に静かに示されるだけで、第2楽章では大きく展開、第4楽章でようやく国歌の全容が示されるという構成。ほかの素材や展開にも味があり、慣れるとなかなか良い曲です。
  皇帝の挙式は1854年4月におこなわれることになり、スメタナは完成した「勝利の交響曲」を宮廷に届けますが、オーストリア国歌の扱いが十分ではないことを理由に献呈は拒否され、初演や一定期間の独占上演に伴う献呈報酬を受け取ることはできませんでした。そしてこれがこのあとの一連の不幸な出来事の始まりでもあったので、以下、時系列で簡単にまとめておきます。

●1854年6月、次女ガブリエラが結核により2歳3か月で死去。
●1855年2月、プラハで開催した自費演奏会で「勝利の交響曲」を自ら指揮して初演。しかしその演奏会は、自分の本業であるピアノ演奏に加え、チケット購入対象を増やすため自分のピアノ学校の生徒たちが絡む室内楽リサイタルなども盛り込んで非常に長大な公演になったにも関わらずあまり売れず興行的には失敗。
●1855年9月、長女ベドジシュカが猩紅熱により4歳8か月で死去。
●1855年11月、スメタナは娘を偲んでピアノ三重奏曲を作曲。
●1855年12月、プラハでピアノ三重奏曲を初演。リストは称賛。
●1856年6月、四女のカテジナが1歳7か月で死去。
●1856年7月、1848年の革命運動で一緒だった旧友のボロフスキーが結核で死去。

そして同じ頃、妻も結核と診断されるという具合に不幸が押し寄せています。傷心のスメタナは、6歳年長のピアニストであるドライショク[1818-1869]がスウェーデンのイェーテボリで成功した話に刺激されたのと彼の推薦が受けられることになった1856年、単身、イェーテボリに向かうことになります。


●1856年、イェーテボリで音楽学校を開設し、イェーテボリ合唱音楽協会の指揮者にも就任。
●1857年、イェーテボリでピアニストとしても成功。
●1857年5月、ボヘミアに一時帰国して療養中の妻に面会。
●1857年6月、父が死去。
●1857年9月、ワイマールのリストを訪問。「ファウスト交響曲」と「理想」の初演を鑑賞。
●1857年9月末、療養中の妻と三女と共にイェーテボリに到着。
●1857年、生徒で病身の夫を持つフレーダ・ベネッケ[1837-1923]と交流。
●1857〜1858年、交響詩「リチャード3世」作曲。
●1858年12月、ワイマールのリストを訪問。リストの弟子のペーター・コルネリウス[1824-1874]の「バグダッドの理髪師」を鑑賞。
●1858〜1859年、交響詩「ヴァレンシュタインの陣営」作曲。
●1859年春、容態の悪化した妻がボヘミアに戻りたがったため出発。
●1859年4月、旅の途中、妻がドレスデンで死去。プラハで葬儀。
●1859年後半、弟カレルの家に滞在し、弟の義妹で16歳若いベッティーナ[1840-1908]と恋愛関係になりほどなく求婚。
●1860年7月、ベッティーナとイェーテボリで結婚。
●1860年3月、「勝利の交響曲」をイェーテボリで指揮。
●1860〜1861年、交響詩「ハーコン・ヤール」作曲。
●1861年4月、スウェーデン王室に招待。
●1861年、プラハに帰還。
●1862年1月、プラハで「リチャード3世」と「ヴァレンシュタインの陣営」を初演。
●1863年3月、プラハで「勝利の交響曲」の第3楽章を指揮。民族主義運動の高まる中、オーストリア国歌の使用された他の楽章は演奏が難しくなり、以後、この第3楽章のみ取り上げられるようになります。
●1864年2月、プラハで「ハーコン・ヤール」初演。
●1881年、「勝利の交響曲」を少し手直ししてカットしたうえで「祝祭交響曲」と改名。
●1882年3月、改訂版初演。


「祝典前奏曲」ハ長調 JB 1:95

1868年作曲。プラハの「国民劇場」の定礎式のための音楽。当時のプラハの劇場の多くはオーストリア帝国のもたらしたもので、外国語の演劇やオペラでも上演言語はドイツ語でした。1844年には愛国者たちのあいだでチェコ語専門の劇場が必要だという声が高まり、やがて国民の資金による劇場建設をおこなうこととし、1851年から本格的に国民に募金を募り、翌年には土地を取得。1861年には募金額は10万6千グルデンに達したため、まず敷地の端に約800席の「仮劇場」の建設を開始し、翌1862年11月に開場。といっても当時は、演劇はともかくオペラに関してはチェコ語の作品が無かったため、1861年にチェコ語オペラ作曲コンクールを開催し、まず作品から準備しなければならない状況でした。スメタナはそのためにチェコ語を猛勉強して「ボヘミアのブランデンブルク人」で応募し、選ばれたという経緯があります。
  下の画像は1881年に完成した「国民劇場」で、右側の「仮劇場」と接続されています。


「祝典序曲」Op.4、JB 1:39

1848〜1849年作曲。1849年4月20日にプラハで初演。フランス2月革命の影響により、ヨーロッパ中に革命気運が広まっていた1848年、革命運動が盛りあがるプラハはオーストリア軍に攻撃されやがて鎮圧されています。スメタナ自身も1848年6月にごく僅かですが革命運動に参加しており、この「祝典序曲」も冒頭からティンパニが大活躍するなど当時の高揚ぶりを伝えるかのような曲調となっています。なお、このときスメタナはのちにオペラ「ボヘミアのブランデンブルク人」と「売られた花嫁」で仕事をすることになる作家のカレル・サビナ[1813-1877]と知り合っています。


「プラハの謝肉祭」序奏とポロネーズ JB 1:126

1883年作曲。1884年初演。
「国民衛兵行進曲」JB 1:37

1848年作曲。1848年初演。祝典序曲と同じく、1848年の革命運動の高揚を伝える作品。原曲はピアノ曲。


「シェイクスピア祭のための祝典行進曲」Op.20、JB 1:90

1864年作曲。1864年初演。

CD4

弦楽四重奏曲第1番ホ短調 JB 1:105「わが生涯より」


1876年10月から12月にかけて作曲。「人生の思い出と、完全な失聴というカタストロフィーを描いた」とスメタナ自身が述べている作品で、スメタナ自身の説明の言葉も遺されているので以下に記しておきます。
  第1楽章:アレグロ・ヴィーヴォ・アパッショナート。「青年時代の強い芸術への希求、ロマンティックな雰囲気、自分ではよくわからない何か言い表しがたい憧れ、そして将来の不幸の知らせ。」。
  第2楽章:アレグロ・モデラート・ア・ラ・ポルカ。「ポルカ風の楽章で、楽しかった青春の日々を蘇らせる。そのころ私はダンス音楽を作曲し、いたるところで熱烈なダンス狂として知られていた。」
  第3楽章:ラルゴ・ソステヌート。「この四重奏曲を弾かれた方々のご意見では演奏不能という楽章であるが、のちに私の忠実な妻(最初の妻カテジナのこと)となった少女との初恋の幸福な思い出を私に蘇らせてくれる。」
  第4楽章:ヴィヴァーチェ。「民族的な要素を音楽で扱う道を見出し、せっかく仕事が軌道に乗りだして喜んでいたところへ、耳が聞こえなくなるというカタストロフィーが襲いかかって挫折させられるまでを描く。そして悲惨な先の見通しや、一抹の回復への希望も描いている。」


弦楽四重奏曲第2番ニ短調 JB 1:124

1882年6月から1883年3月にかけて作曲。シェーンベルクが啓示を受けたと称賛する作品ですが、スメタナ自身は、「これは私の不幸な人生から生まれた曲」と述べています。当時のスメタナは、オペラ「悪魔の壁」を完成したばかりで、失聴に加えて、頭の中の雑音と幻覚に悩まされたりするなど神経障害が悪化。医師からは作曲を禁じられていましたが、それでもスメタナは1日数分間の時間を作曲に充て、苦難の末に完成に漕ぎつけています(1年2か月後の1884年5月12日に死去)。
  第1楽章:アレグロ。オーストリア国歌の断片が織り込まれたような楽章の展開は不規則でユニーク。
  第2楽章:アレグロ・モデラート。主部はポルカ風、中間部では子守歌風の楽想が現れ、主部が復帰すると中間部のリズムに浸食されたりする構造が面白いです。
  第3楽章:アレグロ・ノン・ピウ・モデラート。動的なスケルツォ的要素と、フガートや「わが祖国」の「高い城」の引用もある旋律的要素の交錯が印象的な楽章。
  第4楽章:フィナーレ.プレスト。コンパクトですがオペラ「悪魔の壁」の終幕のアリアを思わせる雰囲気には独特の魅力があります。


ピアノ三重奏曲ト短調 Op.15、JB 1:64

1855年11月に完成。9月に猩紅熱により4歳8か月で亡くなった長女ベドジシュカを偲んで作曲。
  第1楽章:モデラート・アッサイ。
  第2楽章:アレグロ、マ・ノン・アジタート。ポルカ風のスケルツォ。
  第3楽章:フィナーレ. プレスト



CD5

アンダンテ 変ホ長調 JB 1:62

1855年頃の作曲。通常2分かからない曲ですが、プラーノはここで3分もかけて情感豊かな演奏を聴かせており、他と比較するとけっこうインパクトがあります。これは1855年作曲の場合、1854年6月に結核により僅か2歳3か月で亡くなった次女ガブリエラのことを偲んでという筋書きが想定できるゆえの解釈かもしれません。1855年9月に猩紅熱により4歳8か月で亡くなった長女ベドジシュカの時には、スメタナはピアノ三重奏曲を作曲しているので、小さなガブリエラにもというプラーノの優しい思いのあらわれでしょうか。プラーノは3人の娘の父でもあります。

束の間の想い ニ短調 JB 1:24

1845年作曲。スメタナは1844年から1847年にかけて、プラハで音楽院を運営するヨーゼフ・プロクシュ[1794-1864]に理論と作曲を師事。プロクシュはスメタナの生活のために貴族のトゥーン伯爵家の音楽教師の仕事を紹介してもいました。スメタナはプラハのトゥーン伯爵の館に住み込みで働き、田舎の複数の地所の別邸にも同行。この「束の間の想い」は、バイエルンとの国境に近いロンシュペルク(現ポベジョヴィツェ)の別邸滞在中に作曲し、伯爵夫人に献呈したものです。
  速度指定はアンダンテで、通常2〜3分で演奏されますが、プラーノは4分11秒もかけて繊細に詩情豊かに演奏しています。
  なお、プロクシュは13歳から盲目でしたが、リスト、ベルリオーズ、クララ・シューマン、アントン・ルビンシテイン、モシェレス、ビューローなどと親交のある有名人でした。

6つのアルバムの綴り(記念帳) Op.2、JB 1:51

1849〜1850年作曲。1847年6月、スメタナはプロクシュのもとでの勉強を終えると、トゥーン家の音楽教師の仕事も辞し、コンサート・ピアニストとしての活動を始めますが、最初のツアーは宣伝不足により中止を余儀なくされます。スメタナは教師としてピアノ学校を開くことにし、1848年1月、総督府に申請書を提出して許可を得ています。
  翌2月にはフランスで2月革命が勃発してヨーロッパ各地に飛び火、プラハでも3月に「国民衛兵」の部隊が組織されて民主化活動を始め、6月のプラハ蜂起を誘発。スメタナもカレル橋のバリケード活動に僅かながら参加したほか、「国民衛兵行進曲」なども作曲していますが、すぐにオーストリア軍に鎮圧されたため元の生活に戻り、8月にはカレル橋のある旧市街広場にピアノ学校を開設、さらに翌1849年の8月29日には交際7年目のカテジナと結婚しています。
  この「6つのアルバムの綴り」は、新たな人生を歩み出したスメタナによって書かれたもので、6曲の小品から成り、1851年に出版されています。
  プラーノのアプローチは表現の振れ幅が大きく、第2曲「シャンソン」と第4曲「アレグロ・コモド」でのタメの効いたロマン的な表現から第3曲「ヴィヴァーチェ」での切れの良い演奏まで実に見事で飽かせません。

3つのアルバムの綴り(性格的小品) Op.3、JB 1:65

1848〜1856年作曲。ピアノ学校を開設した1848年からスウェーデンのイェーテボリに渡る1856年までに書かれた小品集。プラーノによる第3曲「波立ち、わき返り、ざわめき、鳴り」の演奏は大迫力で、ベートーヴェン「熱情ソナタ」エンディングのオマージュ感(?)が凄いです。


スケッチ集 第1集 Op.4、JB 1:66

1848〜1857年頃作曲。「スケッチ」は、ドイツ語で「スキッツェン」と書かれ、意味は同じで内容も規模感も「アルバムの綴り」と似ています。「アルバムの綴り」と日本語訳されるスメタナの曲集は2種類で、ドイツ語で「カラクターシュテュック(性格的小品)」と書かれたものと、「シュタムブーフ=ブレッター(記念帳)」と書かれたものがあります。
  プラーノの演奏はここでも大胆で、通常7〜8分のところ12分近くかけており、特に「牧歌」「思い出」「根気のいい努力」は没入の度合いの強い演奏になっています。

スケッチ集 第2集 Op.5、JB 1:67

1849〜1857年頃作曲。冒頭の「スケルツォ・ポルカ」から素朴さとは無縁なプラーノの演奏は、スメタナがショパン弾きとして有名だったことを意識させるような演奏で、続く「憂鬱」「なつかしい風景」「狂詩曲」でも濃いめの演奏を聴かせています。

アルバムの綴り(記念帳)

1849〜1850年頃作曲。流麗で華やかな「変ロ長調 JB 1:46」「ロンド・カプリッチョ」「トッカティーナ」と続いたあと、プラーノは「ト長調 JB 1:41」の後に、中間部として「ト短調 JB 1:42」を置き、再び「ト長調 JB 1:41」を演奏することで三部形式の効果を上げていてこれがなかなか魅力的です。
  「変ホ短調 JB 1:54」は、プラーノの濃い演奏で聴くと、モーツァルトのアダージョとフーガのオマージュのように聴こえてきます。
  「変ロ短調 JB 1:52」コン・モートは指定通り動きのある音楽で、モーツァルト風でもありショパン風でもある作品。

アルバムの綴り(記念帳)

1844〜1862年頃作曲。スメタナが友人たちのために書いた小品集。「カテジナ・コラージョヴァーのために」は最初の奥さんのためにに結婚の5年前に書いた曲。「エリーザベト・F・トゥーンのために」は、スメタナが音楽教師をしていたトゥーン家の夫人のために書いた曲。「マリー・プロクシュのために」は恩師の娘で作曲家になったマリーのために書いた曲で、これだけ1862年で、ほかは1844年から1845年にかけての若い時の曲。
アンダンテ ヘ短調 JB 1:117

1880年作曲。晩年の小品。耳鳴りも幻覚も無い穏やかな日の心情でしょうか。
ロマンス ト短調 JB 1:121

1880年作曲。晩年の小品。医師に作曲を止められても書き続けたスメタナ。晩年といってもまだ56歳なので、この曲もまるで切ないラヴ・ソングにも聴こえます。スメタナが絶望の淵にはいなかったことがよくわかる音楽です。

CD6

チェコ舞曲集第1集 JB 1:107

1877年作曲。スメタナは1874年末には完全に聴力を失っていましたが、そのことで劇場の仕事から解放され、「わが祖国」やオペラ、弦楽四重奏曲などかえって多くの作品を書くようになります。このチェコ舞曲第1集もそうした環境下で作曲されたもので、楽しいポルカを陰影豊かに描いた傑作が並んでいます。

チェコ舞曲集第2集 JB 1:114

1879年作曲。ノリの良い舞曲が10曲収録された楽しい曲集。「熊の踊り」は「動物の謝肉祭」の「像」にも影響を与えていそうです。





 演奏者について

CD1-3

テオドレ・クチャル(指揮)

1960年5月30日、ニューヨークに生まれたテオドレ・クチャル(セオドア・クーチャー)は、自宅ではウクライナ語を喋る西ウクライナ移民の音楽家ファミリーに育ちました。
  10歳からヴァイオリンを始め、のちにヴィオラに転向、クリーヴランド音楽院で、クリーヴランド管弦楽団首席ヴィオラ奏者でもあるロバート・ヴァーノン[1949- ]に師事。
  その後、ボストン交響楽団の「ポール・フロム・フェローシップ」を受賞し、タングルウッド・ミュージック・センターで指揮などを学んだりしたのち、1982年にクリーヴランド音楽院を卒業、プロの音楽家としての仕事は、クリーヴランドやヘルシンキ、ケープタウンのオーケストラのヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者というものでした。
  その後、各地での経験を経て、1987年、27歳のときにオーストラリア東端のブリスベンのオーケストラ、クイーンズランド・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。同時に約3,600キロ離れたオーストラリア西端のパースのバレエ団「ウエスト・オーストラリア・バレエ」の音楽監督にも就いています。
  また、1990年からは、オーストラリア室内楽フェスティヴァルの音楽監督にも就任。開催地のタウンズヴィルは、ブリスベンの北西約1,300キロのところにある港町でした。
  1992年になると、ウクライナ国立交響楽団の首席客演指揮者となって評判となり、1994年には音楽監督に就任しています。このオーケストラとの関係は非常に良好で、数多くのコンサートのほか、ナクソス・レーベルへのレコーディングも開始。未知の曲や現代ものにも積極的に取り組んでいきます。
  1996年、コロラド州のボルダー・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督も兼務し、コロラド大学音楽大学の教授にも就任。
  1999年、ウクライナ国立交響楽団の音楽監督を退任後は、アメリカに戻り、2002年にカリフォルニア州のフレズノ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。2003年には、ネヴァダ州のリノ・チェンバー・オーケストラの音楽監督に就任。さらに音楽祭の監督などを兼務したのち、ベルリン交響楽団(西)と3週間のツアーも実施。
  2005年、チェコのヤナーチェク・フィルハーモニーの首席指揮者に就任。前年からブリリアント・クラシックスへのレコーディングも開始。
  2011年、ベネズエラ交響楽団の芸術監督に就任して南米でも活躍を開始、2013年には、チェコの隣、スロヴァキア・シンフォニエッタの首席指揮者にも就任。
  2017年、ウクライナ国立交響楽団と北米ツアーを実施、44回のコンサートをおこなっていました。
  2018年、ウクライナのリヴィウ国立フィルハーモニーの首席客演指揮者に就任。北米ツア-など実施しています。


ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団

1929年、チェコのオストラヴァに設立された放送オーケストラが前身。1954年、オストラヴァ交響楽団として正式に設立され、1962年、オストラヴァ国立フィルハーモニー管弦楽団に改名し、1971年、ヤナーチェク・フィルハーモニー・オストラヴァに改名。クチャルの指揮した録音ではティンパニを核とした非常に迫力のある音を鳴らすオーケストラで、スメタナのパワフルな音楽との相性も最高です。



CD4

シュターミッツ四重奏団


1985年、スニーティラ門下のソリスト、ボフスラフ・マトウシェクを第1ヴァイオリンに、同門の後輩、ヨセフ・ケクラを第2ヴァイオリンに、プラハ音楽院出身のヤン・ペルーシュカをヴィオラに、同じくプラハ音楽院出身のヴラディーミル・レイクスネルをチェロに結成。
  第1ヴァイオリンのマトウシェク[1949- ]は、1970年のティボール・ヴァルガ・コンクールでの特別賞受賞、1972年のプラハの春国際ヴァイオリン・コンクールでの優勝により、ソリストとしてキャリアをスタートしていますが、1977年から1980年にかけて、読売日本交響楽団ソリスト兼コンサートマスターとして活躍していたので、ご記憶の方もいらっしゃることでしょう。チェコに戻って再びソリストとしての活動を開始するマトウシェクですが、5年後には、新たに結成されるシュターミッツ四重奏団のリーダーとして、同四重奏団の演奏水準を国際的なものとすることに成功し、1995年までの10年間に渡って同四重奏団に在籍しました。
  同四重奏団退団後は、ソリストとして、また、ドヴォルザーク・ピアノ・トリオのメンバーとして活躍しており、ソリストとしてのレコーディングはすでに24点を数えます。なお、マトウシェク退団後の第1ヴァイオリンは、まずチェルノフが、次いでパズデラが引き継いで現在に至っています。

  第1ヴァイオリン:ボフスラフ・マトウシェク
  第2ヴァイオリン:ヨセフ・ケクラ
  ヴィオラ:ヤン・ペルーシュカ
  チェロ:ヴラディーミル・レイクスネル



CD5

ロベルト・プラーノ(ピアノ)


1978年8月1日、ミラノ近郊のヴァレーゼで誕生。2001年、クリーヴランド国際ピアノ・コンクール優勝したほか、仙台国際音楽コンクール、ホーネンス国際ピアノ・コンクール、バレンシア国際ピアノ・コンクール、ゲザ・アンダ国際コンクールなどで入賞。
  ソロと室内楽の両方で活動し、欧米各国や日本などで演奏。2016年からはボストン大学の教授となり、2018年からはインディアナ大学ジェイコブス音楽院でも教えています。
  CDは、Brilliant Classics、DECCA、Azica、Amadeus、Arktos、Concerto Classics、Van Cliburn Foundation、Da Vinci Classicsなどから発売。



CD6
アントニン・クバレク(ピアノ)

1935年11月8日、チェコスロヴァキア共和国北東部、ドイツ国境に近いリブコヴィツェに誕生。同地域は1938年にはナイスドイツのベーメン・メーレン保護領となり、母親は工場に駆り出されて居なくなり、継母からは虐待を受けたため4歳から父方の祖父母によって養育。連合軍による猛爆撃の中を生き延びますが、戦後、10歳の時に野原で対戦車焼夷弾が爆発して全身火だるまになり、近くの小川に落ちてなんとか助かるものの、目も含め、全身に水ぶくれができ、視力がほとんど失われてしまいます。クバレクはプラハにある視覚障害児のためのフラドカニ広場校に送られ、そこでクラリネット、ヴァイオリン、チェロ、フルート、ピアノを学びますが、最も熱中したのはピアノでした。クバレクは点字でピアノの楽譜を学び、曲を記憶することで、強力なイマジネーションを獲得。
  1952年にプラハ音楽院に入学して1957年に卒業。1957年に舞台芸術アカデミーに入学して1959年に卒業。ブカレストのジョルジュ・エネスク国際ピアノ・コンクールなどで入賞し、ピアニストとして活動を開始し、1960年には教職も兼務。
  1968年、ワルシャワ条約機構軍によるチェコスロヴァキア侵攻を機にカナダのトロントに渡ります。カナダに到着した直後、クバレクの演奏を聴いたグレン・グールドがその演奏に感動し、支援の小切手を送ってくれ、ほかにも多くの人の善意でなんとかピアニストとして生活し、1969年から75年までトロントのブロディ音楽・現代舞踊学校、オンタリオ州コリングウッドのブルーマウンテン音楽学校で個人的に教えていました。また、1979年からはトロントの王立音楽院で教え、その後、同校の教授陣のほか、トロント大学、トロントのヨーク大学、プラハ音楽院、プラハ・アカデミーの教授も務めています。   1991年に再びチェコスロヴァキアを訪れ、プラハのスメタナ・ホールでピアノ・リサイタル・シリーズを開始。2002年には「プラハの春音楽祭」での卓越した演奏により、チェコ音楽の海外普及に貢献したチェコ音楽評議会賞を受賞。



CD7〜8

オトマール・スイトナー(指揮)


スイトナーは1960年から1964年までドレスデン国立歌劇場の音楽総監督、及びシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務めており、1962年録音の「売られた花嫁」もその時期の演奏ということになります。

スイトナー詳細情報




 収録作品と演奏者

ベドジフ・スメタナ[1824-1884]

CD1 73'15
連作交響詩「わが祖国」

1. 高い城(ヴィシェフラド) 14'51
2. モルダウ(ヴルタヴァ) 11'33
3. シャールカ 9'34
4. ボヘミアの森と草原から 12'21
5. ターボル 11'32
6. ブラニーク 12'56

ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団
テオドレ・クチャル(指揮)

録音:2007年、チェコ、オストラヴァ、コンサート・ホール

CD2 77'14
1. 交響詩「ヴァレンシュタインの陣営」 Op.14 JB 1:72
  14'51
2. 交響詩「ハーコン・ヤール」 Op.16、JB 1:79  16'46
3. 交響詩「リチャード3世」 Op.11、JB 1:70  13'05

歌劇「売られた花嫁」JB 1:100〜序曲と舞曲
4. 序曲  6'29
5. 第1幕〜ポルカ  5'02
6. 第2幕〜フリアント  2'27
7. 第3幕〜スコチナー(道化師の踊り)  5'16

8. 序曲「ファウスト博士」ハ短調 JB 1:85  4'20
9. ポルカ「田舎の女」ト長調 JB 1:115  4'07
10. ポルカ「われらの乙女たちに」ニ長調 JB 1:86  4'26

ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団
テオドレ・クチャル(指揮)

録音:2007年、チェコ、オストラヴァ、コンサート・ホール

CD3 75'40
「勝利の交響曲(祝典交響曲)」ホ長調 Op.6、JB 1:59
 45'31
1. 第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ  11'13
2. 第2楽章:ラルゴ・マエストーソ  11'04
3. 第3楽章:スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ  11'38
4. 第4楽章:フィナーレ、アレグロ・ノン・トロッポ・マ・エネルジーコ  11'36

5. 「祝典前奏曲」ハ長調 JB 1:95  2'58
6. 「祝典序曲」ニ長調 Op.4、JB 1:39  8'59
7. 「プラハの謝肉祭」序奏とポロネーズ イ短調 JB 1:126  6'21
8. 「国民衛兵行進曲」ニ長調 JB 1:37  4'50
9. 「シェイクスピア祭のための祝典行進曲」ホ長調 Op.20、JB 1:90  6'31

ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団
テオドレ・クチャル(指揮)

録音:2007年、チェコ、オストラヴァ、コンサート・ホール

CD4 78'25
弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」JB 1:105

1. 第1楽章:アレグロ・ヴィーヴォ・アパッショナート 8'15
2. 第2楽章:アレグロ・モデラート・ア・ラ・ポルカ 6'01
3. 第3楽章:ラルゴ・ソステヌート 9'30
4. 第4楽章:ヴィヴァーチェ 6'30

弦楽四重奏曲第2番ニ短調 JB 1:124
5. 第1楽章:アレグロ 5'08
6. 第2楽章:アレグロ・モデラート 6'05
7. 第3楽章:アレグロ・ノン・ピウ・モデラート 5'02
8. 第4楽章:フィナーレ.プレスト 2'54

シュターミッツ四重奏団
第1ヴァイオリン:ボフスラフ・マトウシェク
第2ヴァイオリン:ヨセフ・ケクラ
ヴィオラ:ヤン・ペルーシュカ
チェロ:ヴラディーミル・レイクスネル

録音:1990年10月、プラハ(BAYERライセンス音源)

ピアノ三重奏曲ト短調 Op.15、JB 1:64
9. 第1楽章:モデラート・アッサイ 11'40
10. 第2楽章:アレグロ、マ・ノン・アジタート 8'08
11. 第3楽章:フィナーレ. プレスト 9'03

ヨアヒム・トリオ

録音:1995年3月27-29日、イギリス、ハンプシャー州、イーストウッドヘイ、セント・マーティン教会(NAXOSライセンス音源)

CD5 76'21
1. アンダンテ 変ホ長調 JB 1:62 [1852]
  3'02
2. 束の間の想い JB 1:24 [1845]  4'10

6つのアルバムの綴り(記念帳) Op.2、JB 1:51 [1849-1850]
3. プレリュード:アレグロ  1'02
4. シャンソン:モデラート  1'53
5. ヴィヴァーチェ  1'17
6. アレグロ・コモド、センプレ・マルカート  3'25
7. モデラート・コン・アニマ  1'53
8. アンダンテ・マ・ノン・トロッポ  2'49

3つのアルバムの綴り(性格的小品) Op.3、JB 1:65 [1856]
9. ロベルト・シューマンに  3'36
10. 旅人の歌  2'08
11. 波立ち、わき返り、ざわめき、鳴り  1'40

スケッチ集 第1集 Op.4、JB 1:66 [1856]
12. 前奏曲  1'49
13. 牧歌  2'52
14. 思い出  3'19
15. 根気のいい努力  3'39

スケッチ集 第2集 Op.5、JB 1:67 [1856]
16. スケルツォ・ポルカ  3'06
17. 憂鬱  2'31
18. なつかしい風景  2'39
19. 狂詩曲  4'58

アルバムの綴り(記念帳)
20. 変ロ長調 JB 1:46  1'40
21. ロンド・カプリッチョ ロ短調 JB 1:43  1'07
22. トッカティーナ ロ長調 JB 1:53  1'50
23. ト長調 JB 1:41, ト短調 JB 1:42, ト長調 JB 1:41  2'15
24. 変ホ短調 JB 1:54  3'51
25. 変ロ短調 JB 1:52  1'20

アルバムの綴り(記念帳)
26. カテジナ・コラージョヴァーのために JB 1:20 [1844]  2'19
27. エリーザベト・F・トゥーンのために JB 1:25 [1845]  1'00
28. ヨゼフィーネ・フィンケのために JB 1:21 [1845]  1'12
29. ヤン・クンツのために JB 1:22 [1845]  1'16
30. ヴァーツラフ・ウルヴェルのために JB 1:23 [1845]  1'51
31. マリー・プロクシュのために JB 1:81 [1862]  0'56

32. アンダンテ ヘ短調 JB 1:117 [1880]  1'06
33. ロマンス ト短調 JB 1:121 [1882]  2'25

ロベルト・プラーノ(ピアノ)

録音:2013年3月1-3日、ミラノ、ベルナレッジョ、バルトーク・スタジオ

CD6 58'22
チェコ舞曲集第1集 JB 1:107 [1877]

1. ポルカ 嬰ヘ短調  4'08
2. ポルカ イ短調  2'56
3. ポルカ ヘ長調  4'01
4. ポルカ 変ロ長調  3'22

チェコ舞曲集第2集 JB 1:114 [1879]
5. フリアント  5'37
6. スレピチカ(めんどりの踊り)  3'16
7. オヴェス(燕麦の踊り)  5'44
8. メドヴィエト(熊の踊り)  3'35
9. ツィブリチカ(タマネギの踊り)  5'01
10. ドゥパーク(足踏み舞曲)  4'03
11. フラーン(槍騎兵の踊り)  4'56
12. オブクロチャーク(跨り舞曲)  3'10
13. ソウセツカー(隣人の踊り)  4'45
14. スコチナー(跳躍舞曲)  3'43

アントニン・クバレク(ピアノ)

録音:1988年12月、ニューヨーク州、トロイ、トロイ貯蓄銀行ミュージック・ホール(Dorianライセンス音源)

CD7 66'42
歌劇「売られた花嫁」JB 1:100 全曲(ドイツ語版)


1. 序曲 6'28



第1幕
第1場 (村の広場)

2. 「どうして喜ばないでいられよう」(村人たちの合唱) 4'47
教会の春の祭りの日で村人たちがにぎやかに踊り歌い、春の訪れを喜んで大騒ぎ。

3. 「愛しい人よ、教えてください。」(ハンス、マリー、村人たちの合唱) 3'31
(村人たちが楽しく祝っている中、農夫クルシナの娘のマリーは悲しげ。マリーにはハンスという恋人がいるにも関わらず、親たちはマリーを大地主のところに嫁に出そうと決めているため。)
恋人のハンスがマリーに対して悲しむ理由を尋ねると、マリーは結婚仲介人が花婿候補を連れてやってくることを伝え、ハンスは心配ないと激励。村人たちの合唱が再び登場して3部形式を形成。

第2場 (村の広場)

4. レチタティーヴォ:「こんなに踊ってはいられない」(マリー、ハンス) 1'16
マリーが今日大地主のミーハがやってくることを伝えると、ハンスがどう答えるのか訊いたため、マリーは自分にはハンスしかいないのになぜそんなことを言うのかと怒るものの、父はすでに約束してしまったと嘆きます。そしてハンスの不安げな様子から、他の女がいるではないかと疑い、ハンスはそれを否定。

5. アリア:「喜んであなたを信じます」(マリー) 4'21
マリーはもしハンスに他に女がいたら絶対に許さないことと、ハンスの謎に包まれた過去について質問。

6. レチタティーヴォ:「家から離れた理由を教えます」(ハンス) 0'41
ハンスは自分の過去は酷いもので、裕福な家に生まれたものの母親が早くに亡くなり、継母が自分を虐めて追い出したため、これまでずっと見知らぬ人たちのもとで働いてきたと説明。

7. 二重唱:「母親と一緒に墓場に沈む」(ハンス、マリー) 2'38
ハンスが母親に恵みあれ、継母に呪いあれと歌い出すと、マリーも同調。

8. 「今、欲望と悲しみの中で」(ハンス、マリー) 4'01
どんな悪意も愛を妨げることはできないと2人が歌っていると、マリーが父親たちの姿を見つけたため2人は別々に退場。

第3場 (村の広場)

9. 三重唱:「何事も右へならえ」(ケツァル、父クルシナ、母カティンカ) 5'17
結婚仲介人ケツァルの話により、すでにマリーの父親クルシナは説得されたものの母親カティンカはまだ懐疑的という状態(ケツァルは大地主ミーハの出来の悪い息子ヴェンツェルを立派な青年のように見せかけてマリーと結婚させ礼金を得ようと考えている人物)。

10. レチタティーヴォ:「もちろん! トビアス・ミーハ」(父クルシナ、ケツァル、母カティンカ) 0'45
マリーの父親クルシナが、大地主ミーハには2人の息子がいたことは知っているもののどちらも面識は無いと語り、結婚仲介人ケツァルは、大地主の息子は今はヴェンツェルだけだと回答。

11. 三重唱:「彼は喜んで私と一緒に来てくれただろう」(ケツァル、父クルシナ、母カティンカ) 4'11
結婚仲介人ケツァルは、大地主の息子ヴェンツェルは真面目で物静かで温厚で品が良く、すべてにおいて模範的で立派な若者であると説明し、マリーの両親も納得。

第4場 (村の広場)

12. 「ほら、彼女がやって来る」(ケツァル、母カティンカ、父クルシナ) 4'55
ケツァルとマリーの両親が3人でいるところにマリーが到着。ケツァルとマリーの両親は、マリーを説得しようとしますが、マリーは結婚を約束した人が他にいると言って断るものの、ケツァルは自分の知恵でマリーの結婚の約束を引き裂いて見せると宣言し、マリーの両親もそれに同調。

13. レチタティーヴォ:「ハンスと私は結ばれている!」(マリー、父クルシナ、母カティンカ) 1'39
マリーが恋人ハンスのことを命に懸けても諦めないと言うと、父クルシナはすでに大地主のミーハと約束してしまったと怒鳴り、ケツァルはポケットから証人の署名もある父クルシナの誓約書を出して示します。マリーは絶対に引き下がらないと言って退場。ケツァルは自分がハンスに話をつけるといって退場。

第5場 (村の広場、居酒屋)

14. ポルカ(村人たちの合唱) 4'36
ボヘミアの民俗舞曲ポルカの音楽が鳴り始め、集まってきた村人たちのうちの若者男女が踊り歌い、大人たちが居酒屋で酒宴に興じるうち第1幕が終了。

第2幕
第1場 (居酒屋)


15. 「ビールは天からの授かり物」(村人たちの合唱、ハンス、ケツァル) 5'02
ビールをたたえる村の若者たちに、ハンスは愛はビールやワインより美味だと語り、若者たちはハンスに対し、ケツァルに気を付けるよう忠告。ケツァルはこの世の中では金と助言こそが人生を動かすと応酬。

16. フリアント 2'07
ボヘミアの民俗舞曲フリアントが演奏され、若者たちは踊りに参加。

第2場 (居酒屋)

17. 「親愛なる息子よ、母は言った」(ヴェンツェル) 2'29
誰もいなくなったところに大地主の息子ヴェンツェルが登場。母の言いつけをたどたどしく歌う頼りない若者。

第3場 (居酒屋)

18. レチタティーヴォ:「あなたは花婿ではないのか」(マリー、ヴェンツェル) 1'13
19. 二重唱:「この村の1人の娘さんを知っている」(マリー、ヴェンツェル) 6'33
そこにマリーが登場し、その若者が自分が結婚させられようとしている大地主の息子ヴェンツェルであることを知ると、自分がまだヴェンツェルに顔を知られていないことを利用し、あなたが結婚しようとしているマリーはとても悪い女だからやめた方が良いと忠告し、他に良い子がいるからと騙してマリーと結婚しないことを誓わせ、2人とも退場。

CD8 70'55

第4場 (居酒屋)

1. 二重唱:「おいで、私の小さな息子」(ケツァル、ハンス) 2'26
2. 愛に燃える人(ケツァル、ハンス) 5'46
3. レチタティーヴォ:「愚かな恋愛をあきらめる」(ケツァル、ハンス) 3'12
4. 「哀れな愚か者」(ハンス) 0'52
結婚仲介人ケツァルがハンスと共に登場し、いい話があるからと持ちかけて、美人で金持ちの娘を世話するから、マリーのことは諦めるよう要求。マリーを諦めてこの地を去る報酬として200グルデン渡すというケツァルに対し、ハンスは交渉して300グルデンまで引き上げます。そしてその際、「マリーは大地主ミーハの息子以外とは絶対に結婚しない」という条件を約束させます。実際にはハンスも大地主ミーハの息子ですが、ケツァルはミーハの息子は長男が行方不明で今はヴェンツェルしかいないと思っているので快諾。さらにハンスはマリーの父が大地主のミーハに対して負っている債務の全てを帳消しにすることも要求し、ケツァルはその条件で契約書を作成することを約束し退場。ひとりになったハンスは、ケツァルをうまく騙せたことに安堵、

第5場 (居酒屋)

5. アリア:「成功しなければならない」(ハンス) 3'11
ハンスは自分に作戦を成功させるために覚悟を決めながら、マリーへの愛を再確認。

第6場 (居酒屋)

6. フィナーレ:「熱くなりすぎないで」(ケツァル、クルシナ、ハンス、村人たち) 3'58
突然、序曲の冒頭部分が嗚り響き第2幕フィナーレの開始。村人たちがハンスのまわりに集まってくると、いったん退場していた結婚仲介人ケツァルも、マリーの父クルシナと共に登場。ケツァルがハンスと結んだ契約内容を読みあげ、サインするハンスを見て、父クルシナは呆れ、村人たちもハンスのことを金で自分の恋人を売り渡したひどい人間として非難。

第3幕
第1場 (村の広場)

7. 「ああ、僕の悲しみときたら!」(ヴェンツェル) 3'34
ヴェンツェルがひとりで登場し、居酒屋で知り合った女性(マリー)から教えられた、結婚相手のマリーが人を毒殺するような恐ろしい人間であるという事に自分の命の危険を感じながらたどたどしく恐怖を表現。

第2場 (村の広場)

8. 「喜劇役者たちの行進」(シュプリンガー) 2'51
旅回りのサーカスの一座が登場し、座長がロ上をまくしたて、喜劇役者たちが行進。

9. 「喜劇役者たちの踊りと出し物」 4'47
道化師たちが踊りを開始。チェコの民俗舞曲スコチナーの活気ある音楽で盛り上げます。

10. レチタティーヴォ:「卵、卵、なんて素敵なんだろう!」(ヴェンツェル、エスメラルダ、ムフ、シュプリンガー) 2'21
11. 「ねえ、私の愛する人」(シュプリンガー、ヴェンツェル、エスメラルダ) 1'58
12. 二重唱:「すべてが時計仕掛けのように進む」(エスメラルダ、シュプリンガー) 1'04
旅回りの芸人たちの中に、エスメラルダという美しい踊り子がいて、ヴェンツェルは一目惚れ。エスメラルダは、座長にすすめられて、酔いつぶれて使いものにならなくなった熊の着ぐるみを着る役者の代役をヴェンツェルにやらせようとしておだててお願いし、ヴェンツェルは大喜びで熊の踊りの練習を開始。

第3場 (村の広場)

13. レチタティーヴォ:「ああ、どうしよう」(ヴェンツェル、アグネス) 0'56
14. 「雷鳴のような衝撃だ」(アグネス、ミーハ、ケツァル) 2'34
そこにマリーの両親と結婚仲介人ケツァルがやってきて、ヴェンツェルをマリーのところに連れて行こうとするもののヴェンツェルは拒否。

第4場 (村の広場)

15. 「ダメだ!いやだ!」(マリー、クルシナ、ケツァル) 1'38
16. 「私はこんな不名誉に値するのだろうか」(マリー、クルシナ、ケツァル) 2'27
そこへ、恋人のハンスが自分を金で売り渡したという話を聞いたマリーがやってきて、結婚仲介人ケツァルに問題の契約書を見せられ号泣。

第5場 (村の広場)

17. 「ねえ、ヴェンツェル」(ケツァル) 1'18
18. 「もうちょっとだけ、マリー」(カティンカ、アグネス、クルシナ、ミーハ、ケツァル) 3'32

第6場 (村の広場)

19. 「ついに1人になった」(マリー) 1'27
20. アリア:「愛の夢は美しかった」(マリー) 4'45
皆が去り舞台にはマリーひとり。いったいどうしてこんなことになってしまったんだろうと詠嘆。

第7場 (村の広場)

21. 「そうやって君を見つけるんだ」(ハンス、マリー) 2:00
22. 「ハ、ハ、ハ!」(ハンス、マリー) 0'27
23. 二重唱:「愛する人よ、気をつけろ!」(ハンス、マリー) 1'53
そこに現れたハンスがにやにやしているのにマリーは腹を立て、一時は裏切られた腹いせにヴェンツェルとの結婚も検討。

第8場 (村の広場)

24. レチタティーヴォ:「おい、ハンス!金が欲しいか?」(ケツァル、マリー) 1'05
25. 三重唱:「愛する者、また信頼する者は幸いである」(ハンス、マリー、ケツァル) 3'49
そこへ結婚仲介人ケツァルが現れ、ハンス・ケツァル、マリーで三重唱。

第9場 (村の広場)

26. フィナーレ:「喜んで来る、すぐに来る」(合唱、マリー) 1'06
27. 「何が見えるか」(アグネス、ミーハ) 1'51
28. 「誰が考えたんだろう」(ケツァル、ミーハ、アグネス) 1'20
村人たちが大ぜい登場し、浮かない顔をしているマリーに問いかけるところからフィナーレが開始。最後には、ハンスがゆくえの知れなかった大地主ミーハの長男だったことがわかり、彼が結婚仲介人ケツァルの言いなりになったと見せかけて、実は計略をめぐらしてケツァルを騙したことも判明。

第10場 (村の広場)

29. レチタティーヴォ:「クマが逃げたぞ!」(ヴェンツェル、アグネス、クルシナ、カティンカ) 1'34
30. その通り、みんな幸せです (全員、合唱) 0'57
そこへ熊の着ぐるみをつけたヴェンツェルが現れ、マリーの花婿にふさわしくないことをみずから暴露。ハンスとマリーが、村人たちの祝福をうけながら幕。

マリー(チェコ語版ではマジェンカ):アニー・シュレム(ソプラノ)
マリーの恋人ハンス(大地主の前妻の息子、チェコ語版ではイェニーク):ロルフ・アプレック(テノール)
マリーの父、クルシナ:ギュンター・ライプ(バリトン)
マリーの母、カティンカ(チェコ語版ではルドミラ):アンネリース・ブルマイスター(アルト)
結婚仲介人、ケツァル:テオ・アダム(バス)
大地主、ミーハ:フレート・テシュラー(バス)
大地主の妻、アグネス(チェコ語版ではハータ):ルート・ラング(アルト)
大地主の息子、ヴェンツェル(チェコ語版ではヴァシェク):ハラルト・ノイキルヒ(テノール)
旅芸人一座の座長、シュプリンガー:ヨハネス・ケムター(テノール)
旅芸人一座の踊り子、エスメラルダ:エレオノーレ・エルスターマン(ソプラノ)
旅芸人一座の喜劇役者、ムフ:ヴィルフリート・シャール(バリトン)

ドレスデン国立歌劇場合唱団
ゲルハルト・ヴュストナー(合唱指揮)
シュターツカペレ・ドレスデン
オトマール・スイトナー(指揮)

録音:1962年、ドレスデン、ルカ教会

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